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二十八話、海色の女性

 



 星月は、喫茶店だ。

 本来は昼のランチより、ティータイムの方が客入りはいい。夕暮れ時を目安に店を閉めているが、夕方までご来店が途切れない時もある。


 雨でもない日に、ご来店が少ないのも珍しいなぁ、とぼんやり思った。



 純喫茶『星月』営業中です。




 ━━━━━━━━━━★




 磨き上げられた木のカウンターやテーブル、アンティークの魔具灯の優しい光が、店内に穏やかな温かみのある空間を演出している。

 ご来店の少ない店内は、いつもより更に時間の流れを遅く感じさせた。


 時が止まったかのような穏やかさ。


 ーーかろりん……。


 呼鈴(ドアベル)の音を背に、店に入ってきたのは、息をのむほど美しい女性だった。


 まず目を奪われたのは、その髪の色だ。


 まるで深海の青と、波打ち際の緑が混じり合ったような、複雑な海色のウェーブロングヘアが、彼女の背中に豊かに流れている。


 その髪は、光の当たり具合で、様々な色に変化するようにも見えた。



 彼女の顔立ちは、彫りが深く、どこか異国的で、吸い込まれるような大きな瞳は、静かに店内を見渡している。耳元には、まるで涙の雫が固まったかのような、ティアドロップ型のアクセサリーが揺れていた。


 その姿は、まるで絵画から抜け出してきた人魚姫だと言われれば信じてしまいそうな佇まいだった。



「いらっしゃいませ。どうぞ、お好きな席へ」



 私が声をかけると、彼女はふわりと微笑んだ。

 その微笑みは、店の空気を一瞬で変えるような、不思議な魅力に満ちている。


 彼女は、ゆっくりと、しかし確かな足取りで、窓際のテーブル席へと進んだ。その動きには、一切の無駄がなく、流れるように優雅だ。



「ご注文、お伺いいたします」



 誠司さんが注文表(メニュー)を持って向かうと、彼女は静かにそれを受け取り、じっと見つめた。

 その瞳は、何かを深く探るかのように、メニューの文字を追っている。



「……紅茶を、お願いします」



 彼女の声は、驚くほど小さく、か細かった。

 まるで、今にも消えてしまいそうなほど、そっと囁くような声だ。

 その存在感のある美しい容姿からは想像もできない、繊細な声の響きに、私は少しだけ戸惑いを覚えた。人見知りなのだろうか。



「かしこまりました」



 誠司さんがそう答えると、彼女は小さく頷いた。その間も、彼女の表情は、どこか物憂げな影を宿しているように見えた。



「温かいものと冷たいもの、どちらもご用意できますが……」


「……温かいものを」



 やはり声は、注文を受けている誠司さんにしか届かないくらい小さい。


 私は、彼女のために、丁寧に紅茶を淹れた。

 お湯はボコボコと音が鳴るほど沸騰させ、茶葉を入れたら砂時計できっちりと時間を測る。

 ティーカップやソーサーも、彼女に似合いそうな華奢なデザインを選んだ。


 茶葉がゆっくりと開いていく様子を眺めながら、彼女の持つ、不思議な魅力について考えていた。

 ふと見る彼女は憂いを帯びた瞳を伏せ、ぼんやりと外を眺めている。絵画じみたその美しさは、まるで人を惹きつけてやまない、おとぎ話の存在のようだ。



「お待たせいたしました。紅茶でございます」



 淹れた紅茶をそっと彼女の前に置くと、彼女は再び、ふわりと微笑んだ。その微笑みは、先ほどよりも少しだけ、温かみを帯びているように見えた。

 彼女は、カップをそっと持ち上げ、立ち上る湯気を深く吸い込んだ。


 そして、ゆっくりと一口。

 その瞳が、わずかに潤んだように見えたのは、気のせいだろうか。

 彼女は、紅茶を飲みながら、時折、窓の外を眺めている。その横顔は、どこか遠い場所を想っているかのように、物悲しい。

 そして、その美しい唇から、再び、か細い声が漏れた。



「……温かい」



 その一言だけだったけれど、彼女の心に、この紅茶が、そしてこの喫茶店が、じんわりと染み渡っているのが伝わってきた。


 誠司さんも、カウンターの向こうで、静かに彼女の様子を見守っている。彼の視線もまた、彼女の持つ、不思議な魅力に惹きつけられているようだった。


 彼女は、紅茶を飲み終えると、静かに会計を済ませた。



「あの、」


 「え?」


 「……ありがとう、ございました」



 その小さな声は、やはり、今にも消えてしまいそうだった。彼女は、ただ一言そう告げると、優雅な足取りで店を出て行った。


 ーーかろりん。


 呼鈴(ドアベル)が鳴り、彼女の姿が見えなくなる。

 店内に、再び静寂が戻った。

 けれど、その静寂は、彼女の残していった、不思議な余韻に満ちていた。



「……誠司さん。今の、お客様……」



 私がそう呟くと、誠司さんが頷いた。



「うん。まるで、海の精霊みたいだったね」



 彼の言葉に、私も同意した。

 彼女の波打つような輝く海色の髪、人間離れした美貌、あの人のために誂えたようなティアドロップのアクセサリー、そして、艶やかな唇から漏れるか細い声。

 その全てが、彼女の持つ、神秘的な魅力を際立たせていた。


 あの美しい女性が、またこの店を訪れてくれることを、私は願わずにはいられなかった。




お読み頂きありがとうございました!

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