二十六話、極厚ポークカツレツ
ーーかろりん。
元気よく呼鈴が鳴る。
「いらっしゃいませ!」
私の声が、今日も純喫茶『星月』に響く。
磨き上げられた木のカウンター、厚手のテーブルクロスの上にはリリーちゃんが用意してくれた小さな卓上花があり、店内に穏やかな温かみのある空間を演出している。
ネルドリップで注がれた琥珀色の珈琲の、甘く香ばしい匂いが店中に満ちていた。
その日、店に入ってきたのは、見慣れない冒険者だった。しかし、どこか既視感があるような気がして私は瞬きする。
彼は、すらりとした長身で、引き締まった体に、旅慣れた冒険者らしい薄手の皮鎧を身につけている。顔は、日に焼けた健康的な肌色で、整った顔立ちがはっきりとわかる。
特に、きりりと上がった眉と、鋭い光を宿した瞳が印象的だった。顎には無精ひげが生えているが、それがかえってワイルドな魅力を引き出している。
彼は、迷うことなくカウンター席の一つに腰を下ろした。その動きには、無駄がなく、どこか自信に満ちている。
「いらっしゃいませ。ご注文、お伺いいたします」
私が注文表を持って向かうと、彼は私を真っ直ぐに見つめた。
その視線に、ほんの少しだけ戸惑いを覚える。
「ああ。あんたがマスターか」
彼の声は、低く、少しハスキーだ。
そして、その話し方には、どこか遠慮のない、フランクな響きがあった。
「はい、私が店主をしております。伊織です」
私がそう答えると、彼はニヤリと口角を上げた。
「そうか。じゃあイオリ、ガッツリした飯と、珈琲を頼む」
「かしこまりました。
それでは、笑顔豚の極厚ポークカツレツはいかがでしょう?
ライスをお付けするのがオススメですが、パンも用意できますし、ナポリタンやオムライスを注文される方もおりますが……」
「ああ、それでいい。ライスを付けてくれ。
……それから、この、サンドイッチも。前回の詫びもまだだしな」
彼の言葉に、私は首を傾げた。
このフランクな物言いと、言い方が引っかかった。
「もしかして、以前、一度いらしたことが……?」
私が恐る恐る尋ねると、彼は楽しそうに笑った。
その笑顔は、どこか見覚えがあるような、ないような。
「ああ、一度な。いや、一度じゃねぇな。飯は食ってねぇし。あんたに介抱してもらっただろ。あん時ゃ、ひどい有様だったろうが」
その言葉に、私はハッとした。
あの時の!
「あ、アランさん!?」
私が驚いて声を上げると、彼は愉快そうに笑った。その笑顔は、あの日のボロボロの姿からは想像もできないほど、精悍で、どこか魅力的に見えた。
無精ひげも、そのワイルドな雰囲気をさらに際立たせている。言われてみれば、確かに面影があった。
彼が顔を整えているだけで、こんなにも印象が変わるなんて。
「覚えててくれたか。よかった。
あんたに顔を覚えてもらいたくて、今日はちゃんと身綺麗にしてきたんだ」
アランさんの言葉に、私の頬が、少しだけ熱くなるのを感じた。
誠司さんが、いつの間にか私の隣に立っていた。
彼の瑠璃色の瞳が、アランさんをじっと見つめている。普段は穏やかな誠司さんの表情が、なぜか少しだけ硬いように見えた。
「ご注文、承りました」
誠司さんが、いつもよりも一段低い声でアランさんに告げた。アランさんは、そんな誠司さんの態度にも動じず、ただニヤリと笑った。
「おう。頼んだぞ」
そのフランクなやり取りに、誠司さんの眉が、ピクリと動いたのがわかった。
私は、厨房でポークカツレツの準備に取り掛かった。
笑顔豚は、迷宮でとれる、なぜか常に笑顔に見える豚だ。食材として人気があり、その美味しさに食べた人も笑顔になれることから『スマイルポーク』と呼ばれているらしい。
笑顔豚の厚切り肉に丁寧に衣をつけ、きつね色になるまで揚げていく。サクサクの衣の中から、肉汁がじゅわっと溢れ、辺りには食欲をそそる香ばしい匂いが広がる。
付け合わせには、千切りキャベツと、くし切りの檸檬、一緒に揚げたハーブ香るポテトフライも添えておく。
「お待たせいたしました」
私が運んでいくと、アランさんは目を輝かせた。
その爛々とした瞳は、獲物を見つけた猛獣のようだ。
「おお、これは美味そうだ!」
彼は、ナイフとフォークを手に取ると、迷いなくカツレツをすっと切り込んだ。
一口食べると、その表情は、言葉にならないほどの満足感に満ちている。
「うまい!これは、たまらねぇな!
衣はサクサク、肉はジューシーで、噛むたびに口の中に幸福が広がる! これぞまさに、スマイルポークってわけだな!」
アランさんは、そう言って、あっという間に半分ほどを平らげた。その食べっぷりは、見ていて気持ちがいいほどだ。そして、彼は食べる合間に、私の方をちらりと見ては、にこりと笑う。
「あんたの作る飯は、本当に腹にしみる。
酒がなくても、これだけで十分満足できる」
その言葉に、私は嬉しさと、少しの照れが入り混じる。
あんな深酒するくらいには飲み慣れている人が、酒がなくてもいいだなんて。アランさんが手放しでほめていてくれることが私にも伝わった。
誠司さんが、カウンターの向こうでグラスを磨いている。彼の動きは、いつも通り丁寧だけれど、その視線が、時折アランさんに向けられているのがわかる。
そして、アランさんが私を褒めるたびに、彼の表情が、ほんの少しだけ険しくなっているように見えた。
アランさんは、あっという間に定食を平らげると、最後に星空珈琲を一口飲んだ。
「ああ、これも最高だ。
この店に来ると、腹も心も満たされる。また来るぜ、イオリ」
彼はそう言って、会計を済ませ、満足そうに店を出て行った。その背中には、以前とは違う、確かな自信と、清々しさが漂っているように見えた。
アランさんが退店した後、珍しく険しい顔の誠司さんがこちらへ歩いてくる。
「イオリ、アイツとどこで知り合ったの?」
誠司さんが、静かに私に尋ねてきた。
彼の声には、どこか探るような響きがある。
「ほら、この間、酔い潰れているところを介抱した人です。……でも、こんなに印象が変わると私も言われるまで気づきませんでした。びっくりです」
私がそう答えると、誠司さんは、ふぅ、と小さく息を吐いた。
「……ああ、なるほど……。
それでも彼は、少しフランクすぎじゃない?」
誠司さんの言葉に、私は思わず苦笑した。
彼の表情は、先ほどよりもさらに冷たいように見えた。その瞳の奥には、確かに、複雑な感情が揺れているのがわかる。
アランさんの、あの馴れ馴れしいほどの親しみやすさと、そして誠司さんの、どことなく冷たい態度。
この喫茶店に、また一つ、新しい波がやってきたような、そんな予感がした。
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