二十五話、恋する乙女の贈り物
現代日本で産まれた私ーー佐藤伊織は、ある日突然気づいたら獣耳や魔法使いや冒険者のいる異世界ファンタジーと大正ロマンや昭和レトロが混じりあった世界に迷い込んでいた。
そこから紆余曲折あったが、今は命の恩人とともに喫茶店を営むことで生計を立てている。
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ーーからりん。
「いらっしゃいませ。
ヨネさん、どうですか? 体調は」
偏屈そうに眉をしかめているヨネさんは、最近常連になってくださったお客様だ。
柳色の着流し姿は前回よりも顔色がいい。
「フン、うるさい奴がいるからおちおち寝てもいられんわ」
「あら、食欲がないなんて心配ですもの」
つん、と生意気そうにいえばこの老人は満足そうに笑う。素直じゃないだけなのだ。
この間は「食欲がない、食えるものをくれ」なんて青い顔でいうものだから慌ててしまった。
「あれをくれ、今日は飲み物だけでいいわい」
「はい、ほうじ茶オレですね」
頷いて戻ると、笑顔の誠司さんがひそっと声をかけてきた。
「ヨネさん、元気なったって?」
「はい。『おちおち寝てもいられん!』って言ってました。……ほうじ茶オレ淹れますね」
「よかった。イオリも心配してたでしょ」
少し前にゴローさんが倒れたのもあり、ヨネさんも奥様を亡くされていて一人暮らしらしく、必要以上に気にしてしまったのだ。
「誠司さんには敵いませんね」
言うと、なぜか誠司さんは嬉しそうに笑った。
そんな午後のことだった。
誠司さんはカウンターでグラスを磨いている。店内に穏やかな時間が流れる中、かららん、と呼鈴が軽やかに鳴った。
「いらっしゃいませ!」
私の声に応えるように店に入ってきたのは、今日も制服に身を包んだ裕子さんだった。艶やかな髪をハーフアップにし、いつものように控えめに微笑んでいる。
いつも奥のテーブル席に座って、誠司さんが接客するのを待つ健気な姿は、もう見慣れた光景になった。
彼女の瞳が誠司さんを見つめるたびにキラキラと輝くのを見るのは、なんだか微笑ましい。
けれど、今日の彼女は、いつもと少しだけ雰囲気が違った。その手には、可愛らしい包装紙に包まれた、小さな箱が提げられている。
「あら、裕子さん。いらっしゃい」
私が声をかけると、彼女は少しだけはにかんで、いつもの奥のテーブル席へと向かおうとした。その時、彼女の足がぴたりと止まる。彼女の視線が、真っ直ぐにカウンターに立つ誠司さんを捉えたのだ。
「誠司さん!」
彼女は、少しだけ弾んだ声で誠司さんの名を呼んだ。その声は、いつもより、ほんの少しだけ積極的だ。誠司さんも、その声に気づいて振り返った。
「いらっしゃいませ。いつもの珈琲でよろしいでしょうか?」
誠司さんの声は、いつも通り穏やかで、紳士的だ。しかし、裕子さんは、今日ばかりはいつものように頷かない。彼女は、提げていた箱を、そっと誠司さんのいるカウンターに置いた。
「あの、これ……誠司さんへ。いつも、美味しい珈琲と、優しい接客をありがとうございます」
彼女の頬が、林檎のように真っ赤に染まっているのが分かった。箱は、どこか有名店で買ったのだろう、綺麗な包みだった。もしかしたら、自分で作ったものなのかもしれない。
誠司さんは、差し出された箱を見て、一瞬だけ目を見開いた。彼も、ここまでストレートなアプローチは初めてかもしれない。
「これは……裕子さん、お気持ちは嬉しいですが、お気遣いなく……」
誠司さんは、いつものように微笑みながらも受け取ろうとしない。お客様からの個人的な贈り物を受け取らない。軽薄そうにすら見える彼の、生真面目な部分なのだろう。
今までも、何度か同じような場面を見たことがある。
けれど、今日の裕子さんは、いつもよりずっと覚悟を決めているみたいだった。
「いえ! これは、お礼なんです!
だから、どうしても受け取っていただきたくて……! 私……私、 誠司さんのおかげで、毎日がとても楽しいんです!」
彼女の声は、少し震えていたけれど、その瞳は、真っ直ぐに誠司さんを見つめている。彼女の純粋で、ひたむきな気持ちが、店内にいる全員に伝わるような気がした。
ほうじ茶オレを飲み、への字口で注文表を見ていたヨネさんも、頬杖を付きながら、静かに成り行きを見守っている。
誠司さんも、そんな裕子さんの真剣な眼差しに、いつものように押し返すことができないようだった。少し困ったような顔で、箱と裕子さんの顔を交互に見ている。
そして、彼は、ため息を一つ吐くと、仕方ないといった様子で、箱にそっと手を伸ばした。
「……では、今回だけ。
お気持ちだけ、ありがたく頂戴いたします」
誠司さんが箱を受け取った瞬間、裕子さんの顔は、まるで花が咲いたかのように、パッと輝いた。彼女の瞳には、喜びと、そして、確かな希望の色が浮かんでいる。
「ありがとうございますっ……誠司さん!」
裕子さんは、満面の笑みで、いつもの奥のテーブル席へと戻っていった。その足取りは、踊るように軽やかで。彼女の周りには、今にも花が咲きそうな、甘い空気が漂っているみたい。
誠司さんは、受け取った箱をカウンターの隅にそっと置くと、いつものように私の隣に立ってグラスを磨き始めた。彼の表情は、相変わらず穏やかで、彼が何を考えているのか、私には分からない。
「誠司さん……受け取ったんですね」
私が小声で尋ねると、誠司さんは、グラスを磨く手を止めず、チラリと私を見た。
「うん? あまりにも真剣な顔で頼まれたからね。それに、お気持ちだけ、だから」
彼の言葉は、正直な言葉にみえて、どこかはぐらかすような返事だった。彼はいつものように明るく微笑みかけてくる。
「……嫉妬する?」
「しません」
そう言いながら、私は少し複雑な気持ちだ。
彼女の真っ直ぐさを羨ましく思う気持ちや、誠司さんに恋人が出来たら、今の関係ではいられないのだと思う気持ちが、確かにあった。
これまでの誠司さんなら、どんなに真剣に頼まれても、きっぱりと断っていたはずだ。
そう思うと、今回の彼の「お気持ちだけ」という言葉の裏には、裕子さんのひたむきな想いを、少なからず受け止めた証拠のように思えた。
裕子さんは、いつもの珈琲をゆっくりと味わいながら、時折、カウンターの誠司さんを嬉しそうに見つめている。その澄んだ瞳は、きっと、今頃、未来の甘い夢を見ているのだろう。
裕子さんの純粋な恋心が、誠司さんの心を動かしたのだろうか。そんなことを考えてしまう自分を叱咤して、私は自分の感情を見ないふりした。
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