二十三話、シナモン香る人参クッキー
「はい、アイスティーとチーズトーストですね」
誠司さんの声がする。
着流しの男性から注文をとり、戻ってきた彼は、翡翠色の美しい瞳でぱちりとウィンクをして、伝票を置くとそのまま別の卓へと向かって行った。
純喫茶『星月』の店内、午後のピークを過ぎても、ご来店は途切れず、オーダーに合わせて注がれた琥珀色の珈琲の、甘く香ばしい匂いが店中に満ちていた。
ーーかろんかろん。
店に入ってきたのは、見慣れない大柄な男性だった。背が高く、がっしりとした体つき。顔は爬虫類を思わせるような面立ちで、瞳は鋭い。鎧の隙間から出る肌には細かい鱗のような表皮が見え隠れし、太い尻尾が床をかすめる。腰には、彼と同じくらい大柄な大剣がぶら下がっていた。冒険者の中でも、あまり見かけない蜥蜴人族という種族だろうか。
彼は、店内を見回し、まるで獲物を探すかのように、警戒した視線を巡らせた。特に、窓際の席で接客中の誠司さんの姿を認めると、その鋭い瞳が、さらに細められたように見えた。
「いらっしゃいませ。どうぞ、お好きな席へ」
私がにこやかに声をかけると、彼は少し躊躇うように立ち止まった。そして、まるで不承不承といった様子で、一番奥のテーブル席にどっかりと腰を下ろした。
その大きな体躯は、店の調度品と比べると、なんだか窮屈そうに見える。
「ご注文、お決まりでしたらお伺いいたします」
誠司さんが、いつもの穏やかな物腰で、メニューを持って彼のテーブルへと向かった。しかし、蜥蜴人族の男性は、誠司さんの顔を真っ直ぐに睨みつけるような視線を向けた。
「……喫茶というのは珈琲を飲む店だと聞いた。苦く熱い水になんの魅力があるのか」
ぶっきらぼうな声でそう言い放ち、彼はメニューに目もくれずに言い放った。その口ぶりからは、珈琲や喫茶店に対して、あまり良いイメージを持っていないことが伺える。
誠司さんは、一瞬だけ眉をひそめたものの、すぐにいつもの穏やかな笑顔に戻った。
「珈琲でよろしいですか?
当店には、冷珈琲もございますが……」
「……どちらでも構わん」
「かしこまりました。本日は陽気が強いでしょうし、冷たいものを用意致しますね。酸味が少なく、口当たりの柔らかな一品でございます」
誠司さんはそう言って、カウンターに戻ってきた。彼の表情は、いつもと変わらないけれど、どこかぴりっとした空気が流れるのを感じた。
「なんだか、誠司さんのこと、敵視してるみたいですね……?」
私が小声で尋ねると、誠司さんは小さく息を吐いた。
「うーん、少しね。心当たりはないけれど」
誠司さんはそう言うけれど、私にはなんとなく分かる気がした。
誠司さんの容姿と、彼が持つ人当たりの良さは、この店に来てから、数々の女性客を惹きつけてきた。硬派な男性が誠司さんの人当たり良さに敵愾心を抱くこともあるのだ。
つまり、モテない男に嫉妬じみた八つ当たりされることがあるのだ。蜥蜴人族の彼も、誠司さんのことをそうやって警戒しているのだろうか?
アイスコーヒーは、グラスにたっぷりと氷を入れ、倍量の珈琲豆で濃く淹れた珈琲を注ぐ、急速冷却法だ。丁寧に珈琲を淹れ、誠司さんがそれを彼のテーブルへと運んだ。
「お待たせいたしました。冷珈琲でございます」
誠司さんが差し出すと、蜥蜴人族の男性は、グラスを掴むように持ち上げた。その鋭い爪が、グラスの縁をかすめる。彼は、警戒しながら、ゆっくりと珈琲を一口飲んだ。
すると、彼の眉間の皺が、ほんの少しだけ緩んだように見えた。
「……悪く、ないな」
その呟きは、先ほどのぶっきらぼうな声とは違い、少しだけ驚きが混じっているように聞こえた。彼は、もう一口、硝子のグラスに入った冷珈琲を口に含む。
軽く辺りを見回す仕草は何かを探しているようにも見えた。
「ねえイオリ、俺の給料から引いていいからさ、クッキー貰っていい?」
誠司さんが私に声をかけてきた。
彼がなにをするかわかって思わず私は笑顔になってしまう。
「……! ええ勿論!」
「ナッツクッキーと……これは?」
「人参クッキーです。隠し味にシナモンを少し効かせたの」
指差された金茶のクッキーは、キャロットケーキのような人参と香辛料のクッキーだ。私がそう答えると、誠司さんはそれらを皿に載せ、彼にクッキーを勧めた。
「よろしければ、こちらはいかがでしょう?
珈琲にもよく合います」
蜥蜴人族の男性は、人参クッキーを手に取り、一口食べた。すると、彼の表情に、さらに驚きの色が浮かんだ。
「これは……甘いだけじゃない。うまく言えないが、温かみのある味だ……」
彼は、そう言って、もう一枚、クッキーを口に運んだ。サクサクとクッキーを食むその様子は、まるで初めて美味しいものに出会った子供のような微笑ましさがあった。
その日から、蜥蜴人族の男性は、時折店に顔を出すようになった。いつも冷珈琲を頼み、最近はクッキーだけでなく食事を注文することも増えてきた。最初は警戒していた誠司さんに対しても、少しずつ視線を合わせるようになり、ぶっきらぼうながらも、短い会話を交わすようになった。
彼の喫茶店や珈琲への嫌なイメージは、私たちの心こめた接客によって、少しずつ払拭されているようだった。
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ある日の午後。
かろりん。と呼鈴が鳴り、いつものように私が「いらっしゃいませ!」と入口に視線を飛ばすと、店に入ってきたのは、大柄な蜥蜴人族の男性と――その影から続くように現れたのは見慣れた豹獣人の姿があった。
「おう、マスター、セージ!」
夕焼け色の美しい体毛をなびかせたカンナさんがいつもの元気な声で店に入ってきた。その隣の蜥蜴人族の男性は、カンナさんの方を見ては、慌ててそっぽ向く。そして、その鋭い瞳は、またカンナさんへと目を向ける。
彼の肌の鱗が、ほんの少しだけ、赤みを帯びたように見える。
「ダイガもここ知ってたんだな!」
カンナさんが、そう言って、ダイガさんと呼んだ彼の肩をポンと叩いた。ダイガさんは、まるで固まったかのようにピクリとも動かず、カンナさんの言葉に何も返せないでいる。
その様子は、いつもぶっきらぼうで強面だが、はっきりと話してくれる彼とは、まるで別人だった。
「カンナさんこんにちは、ご一緒ですか?」
私が尋ねると、カンナさんは首を傾げた。
「いや、アタシも丁度仕事終わりだったんだけど、知った顔がこの店に入っていくのを見かけたから声かけたんだよ。
なんだ、こんな小洒落た喫茶店に一人で来てたのか?」
カンナさんの言葉に、ダイガさんはさらに顔を赤くし、小さく呻き声を上げた。
「……た、たまたま、通りかかっただけだ!」
明らかに動揺しているダイガさんの様子に、私は思わずクスリと笑ってしまった。ふと見れば誠司さんも、口元に微かな笑みを浮かべている。
きっと、この蜥蜴人族の男性、ダイガさんは、カンナさんに片思いをしていて、彼女が通うこの店に、わざわざ来ていたに違いない。
最初、誠司さんのことを敵視していたのも、カンナさんと親しく話す彼を見たか想像したかで、嫉妬していたんだろう。
ぶっきらぼうで、喫茶店や珈琲に良いイメージを持っていなかった蜥蜴人族の冒険者。彼がこの店に足繁く通っていた、その本当の理由を知って、私と誠司さんは、顔を見合わせてそっと微笑み合った。
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