二話、喫茶店のナポリタン
古都街ビンティーク。
大正ロマンとRPG的な異世界が混ざりあったような摩訶不思議な街。木造平屋の合間に冒険者の酒場があり、荷車は驢馬ではなくエルバという四足獣が牽引し、車輪の大きな馬車に裕福そうな人が乗り込んでいる。石畳の道の横にはガス灯に似た魔具街灯が立っていた。
そんな街にある古い洋館が、今は喫茶店として営業している。純喫茶『星月』はそんな小さな私のお店だ。
「お待たせしました、ナポリタンです」
静かに配膳された真っ白な皿には、こっくりとしたオレンジが色鮮やかなナポリタン。具材は玉ねぎピーマンソーセージだけというシンプルな昼の定番メニューだ。
「おお……!!」
「美味そうだな」
警備隊の隊服を着た人達が、待ちきれないというようにフォークを持った。太めの麺をぐるぐると巻き付けて、ばくり!と食べる。
どちらともなく、二人は顔を見合わせた。
「なぽりたんは美味だな」
「随分ハイカラな味ですな!」
私のいた日本では昔ながらの家庭の味、喫茶店の味として有名なナポリタンだが、この街ではまだまだ新しい。
「イオリ、注文でナポリタン、トースト、珈琲だ」
「はーい」
誠司さんが注文を持ってきた。彼目当ての女性客を生みだすさわやかな笑顔が今日も眩しい。
昼はやはり喫茶店のメニューでは少し物足りないのかもしれない。サラダのセットよりトーストのセットがよく出る。冒険者や軍人は活動量も多く、女性でも健啖家が多いのだろう。
「ナポリタン今日はよく出るね」
「そうですね、場合によっては材料がなくなるかも……」
「どうしようもない時は店内が落ち着いたら僕が買ってくるよ、賄いのぶんもね」
ぱちん、とウィンクする誠司さんはどこかイタズラっぽい笑顔をしている。なるほど、賄いもナポリタンがいいのか、理解。
「あのもっちりした麺と濃いめの味付けがたまらない……っと、いらっしゃいませ」
かろりん、と音が鳴れば誠司さんはそちらに向かう。
刻んだ食材を炒めて皿に避ける。そのフライパンにたっぷりとケチャップを入れて、よく炒める。加熱で甘みが増すので手は抜かない。その後は醤油、ウスターソース、赤ワインでソースに。
「もっちり麺の秘密はこれなのよね」
ぽつりと呟きながら魔具氷室を開ける。
長めに茹でられた麺を流水にさらし、水気を切ったらオイルで和えた状態で一晩寝かせておくのだ。これで麺はもちもち、調理時間短縮もできる。
フライパンに茹でパスタを入れ、炒める。
炒めることで香ばしさが増して食欲をかき立てる匂いが広がる。最後に牛酪を大きめひと欠片。粗挽き胡椒をがりっとしたら完成だ。
「はい、ナポリタン提供お願いします」
その間にトーストと珈琲を用意しておく。
あつあつのトーストに牛酪がじんわりと染みていて、これだけでも美味しいはずだ。
「次、トーストと珈琲提供で」
からりん、とドアベルが鳴る。
誠司さんは接客中みたいなので案内しないとね。
お着物のおばあ様と、洋装のワンピースを着たマダムを窓際のお席へ。少し提供までに待ち時間がかかることも伝えておく。
「あの、イオリ……」
配膳と接客から戻ってきた誠司さんはぽつりと言った。
「ん?」
「ナポリタンふたつ、注文。
……それからさっきの二人、もう一つ欲しいって」
ナポリタン3
昼も利用していただけるのは喫茶店としてはとてもありがたい話だが。誠司さんは少し眉を下げて不安そうな顔をしている。
飲食店だとこういうなぜか偏る日あるんだよなあ。
うーん、誠司さんのぶん残るかな……。
━━━━━━━━━━★
「誠司さん、飲み物どうしますか?」
「イオリは紅茶と珈琲どちらがオススメ?」
賄いのナポリタンを炒めていると鉄のフライパンがじゅうじゅうと鳴り、香ばしい匂いがしてくる。
「うーん、どっちも美味しいですよ?」
「質問を変えようか、イオリはどう組み合わせるのが好き?」
「そうですね……」
ナポリタンに私が組み合わせるなら……?
紅茶ならバランスが良く合わせやすいキャンディとかニルギリ、珈琲なら深煎りのマンデリンでどっしりとしたコクとバターの組み合わせを楽しむとか、逆に浅煎りにしたモカのフルーティーとトマト感を組み合わせるのもいい。
でも紅茶も珈琲も、産地や製法が現代と違うし、手元にあるのももちろんそれらではない。
「食事中はお水で食後に珈琲にするか、アイスティーと一緒に食べるかも」
「それならアイスティーを」
「温かい紅茶でもいいんですよ?」
「イオリの好みが知りたいからね」
ぱちん、とウインクする誠司さん。
初めて出会った時は軍服で、すごく真面目な印象だったのにあのきりっとした誠司さんは何処へやら。
アイドルも真っ青のきらきらしい顔立ちで、にこにこと甘い顔ばかりして、さらりと口説き文句みたいなことを言ってくるので実はすごく心臓に悪い。
あんまり自意識過剰になりたくないので、甘い言葉は控えて欲しいところだ。
「はい、ナポリタンとアイスティーです」
「嬉しいな、食べたかったんだよ。
仕事中ずっと美味しい匂いがして、みんな美味しそうに食べてるのに僕だけお預けされてるんだ」
格好良い素敵な店員さんと噂の彼が、そんな子どものようなことを思いながら仕事してるとは彼のファンも思うまいよ。
わくわくとした顔の誠司さんは可愛くさえ見えるが、フォークの動きは美しく上品だ。
「美味い……。買い出しに行って良かった……」
「ふふ、お疲れ様でした」
しみじみ呟かれるとさすがに笑ってしまう。
今日はナポリタンが本当によく出た。
「すぱげてぃは何度か他で食べたことあるけど、こんなに濃厚で旨みの強いものはなかったよ」
個人的に、パスタと喫茶店のナポリタンは別物だと思っている。
ナポリタンではない濃厚なパスタを誠司さんが食べた時の反応も気になるし、いつか出してみよう。
「アイスティー、なにか変えた?」
「いえ、同じですよ?」
「そんなまさか!
断然こっちのほうが美味い気がするのに」
驚いた顔で何度も私と紅茶を見比べる誠司さん。
硝子のグラスにはもう半分も入っていない。
「お口がさっぱりしますよね。
濃厚な牛酪と甘酸っぱい赤茄子の後だと、紅茶の渋みが油分を洗い流し、柑橘のようなフルーティーさが後味の余韻になるんです」
「うん、正直初めて飲んだ時は紅茶の渋みが苦手だったけど、これはそのやわらかな渋みが美味しいよ……」
紅茶の渋みは魅力のひとつでもあるが、苦手な人も多い。今もできるだけ渋みは抑えるようにしているが、その僅かな渋みが清涼剤のように濃い味のお口をリセットしてくれるのだ。
「紅茶って美味しいんだな……」
「あら嬉しいですね。おかわりします?」
「うん、お願いするよ」
氷だけなったグラスを恥ずかしそうに掲げる誠司さんをみながら、私はティーポットに手を伸ばした。
お読み頂きありがとうございました!
少しでもお楽しみいただけましたら、よろしければ評価やブックマークをお願いします。
続きや続編製作の活力となります!