十八話、新聞社の男とコロッケサンド
「いらっしゃいませ。どうぞ、お好きな席へ」
私がにこやかに声をかけると、男性は軽く会釈をして、窓際のテーブル席に腰を下ろした。
テーブルで帽子を外した彼は、洋装をきっちりと着こなした中年男性だった。揃えた髭や、背筋が伸びていて、どこか知的な雰囲気が漂う。手に持った鞄からは、新聞らしきものが覗いている。
「失礼。この店は『星月』さんで間違いありませんか?」
お冷を持っていった誠司さんに男性はそう言った。
「はい、何かお探しですか?」
誠司さんが尋ねると、男性はふっと口元を緩めた。その後、私や誠司さんを見るその視線は、まるで何かを探るようだった。
「いやぁ噂に違わぬ、趣のある店ですね。
店主は女性と聞いておりましたが、そちらの方で?」
「はい、佐藤伊織といいます」
「私は新聞社の絹田と申します。仕事柄、新しいものや、ハイカラなものには目がなくてね。
こちらでは新しいチッケンライスを使ったオムライスや、分厚い星月ハットケーキが評判だと最近聞きましてな」
絹田さんはそう言って、メニューを指差した。
大正時代くらいの頃は、チキンライスは赤茄子を使わない鶏の洋風炊き込みご飯だったらしく、今は当たり前の赤いチキンライスは『新しい』らしい。
星月がこうして新聞社の方の目に留まるなんて、本当に嬉しいことだ。
「ありがとうございます。どちらも、自信作でございます」
「ふむ。ぜひとも味わってみたいところだが、今日はどうも、無性にコロッケが食べたい気分でして……。
しかし、メニューには無いようですな」
絹田さんはそう言って、少し残念そうにため息をついた。
「軽めのものがお好みならサンドイッチが、揚げ物が良ければカツレツなどはございますが、いかがですか?」
私がそう提案すると、絹田さんはメニューに再度目を落とした。現代知識を使った、ハイカラなものはいくつかあるが、どうにも彼の心を動かすことは出来なかったようだ。
「うーん、そうですな……。しかし、やはりコロッケが……」
彼の言葉に、私は何かできないかと、一瞬だけ誠司さんと顔を見合わせた。誠司さんも、私の考えを察したように、小さく頷いてくれた。
「絹田さん、もしお時間がよろしければ、特別に『コロッケサンド』はいかがですか?」
私がそう提案すると、絹田さんの目が、大きく見開かれた。
「コロッケサンド……?
それはまた、面白い組み合わせですな!」
「はい。きっと、絹田さんのご期待に沿えると思います!」
私の言葉に、絹田さんは楽しそうに笑った。
「それはぜひ、いただきたい! この目で、そのハイカラな一品を拝見しましょう」
「かしこまりました。コロッケを用意するので、少々お時間をいただきますね」
私はすぐに厨房へ向かい、腕を捲り上げた。
誠司さんも、手際よく調理の準備を始める。
まずは、コロッケの準備からだ。
「誠司さん、ビフテキの付け合せのふかし芋、少し分けてもらえる?」
私が声をかけると、誠司さんはカウンターで、店内の様子を見つつ、ホクホクに蒸し上がったジャガイモをボウルに移し、湯気の立つジャガイモを、熱いうちにマッシャーで潰していく。
その間に、私は豚ひき肉と、細かく刻んだ玉ねぎを、フライパンで丁寧に炒めていく。ジュウ、と肉が焼ける香ばしい匂いが、厨房に満ちる。玉ねぎが透き通るまで炒めたら、塩胡椒で軽く味を調える。
誠司さんが潰してくれたジャガイモに、炒めたひき肉と玉ねぎを加えて、しっかりと混ぜ合わせる。この時、少しだけ生クリームと砂糖を加えるのが私のこだわりだ。
混ぜ合わせたタネを、小判型に成形していく。
本来ならしっかり休ませたいし冷ましたいので、急ぎの今日は冷却バットを使いながら。
「誠司さん、衣を準備して貰える?」
「そう言うと思って、用意しておいたよ」
「わ、ありがとうございます」
成形したタネに、まずは小麦粉を薄くまぶし、次に溶き卵をくぐらせ、最後にたっぷりのパン粉をしっかりとつける。サクサクとした食感のコロッケにするためには、この衣付けが肝心だ。
揚げる準備が整ったら、鍋にたっぷりの油を注ぎ、火にかける。パチパチと音が聞こえ始め、油が温まってきたら、いよいよ投入だ。
ジュワワワワ…!
熱い油の中にコロッケを入れると、一気に香ばしい匂いが立ち上る。黄金色になり両面がこんがりと揚がったら、油を切ってバットに上げる。揚げたてのコロッケからは、ホクホクとした湯気が立ち上っていた。
次に、サンドイッチの準備だ。
特製の食パンを、軽くトースターで温める。
そこに、自家製の辛子マヨネーズを薄く塗る。この辛子マヨネーズが、コロッケの味を一層引き立ててくれるのだ。
そして、揚げたてのコロッケを、パンの上にそっと乗せる。その上から、シャキシャキとした千切りキャベツをたっぷりと乗せ、最後に手作りのトンカツソースをかける。コロッケの熱で、ソースの香りがふわりと広がる。もう一枚のパンで挟み、軽く押さえたら、食べやすいように半分にカットする。
「お待たせしました! コロッケサンドです!」
私が運んでいくと、絹田さんの目が、キラキラと輝いた。
「おお! これは…、見事ですな!」
彼はそう言って、コロッケサンドを手に取った。そのずっしりとした重みと、揚げたての衣とソースの香ばしい匂いに、期待に満ちた表情が浮かんでいる。
バクリ、と大きな一口。
「…!! これは…! 美味い!」
絹田さんは、思わずそう叫んだ。その瞳は、驚きと喜びでいっぱいに輝いている。
「コロッケのホクホクとした甘みと、肉の旨味が口いっぱいに広がる! そして、このタレと、シャキシャキのキャベツが、絶妙なバランスだ!それに、このパンの柔らかさ…! これは、まさにハイカラな逸品ですな!」
絹田さんは、興奮したようにそう語った。彼の食べっぷりを見ていると、こちらまで嬉しくなってくる。
「ありがとうございます。お気に召していただけましたか?」
私がそう言うと、絹田さんは満足そうに頷いた。
「いやはや……まさか、こんな素晴らしいものに出会えるとは。この店は、本当に驚きの連続ですな」
絹田さんは、私と誠司さんを交互に見て、にこやかに微笑んだ。誠司さんも、彼の言葉に、少し照れたように頭を下げた。
「このコロッケサンドは、本当に素晴らしい。この街の人々にも、もっとこの店の魅力を伝えたいものですな」
その言葉に、私の胸は温かいもので満たされた。この喫茶店が、こうして少しずつ、この異世界で認められていくことは、私自身が受け入れられていく気がしている。
絹田さんは、その後もコロッケサンドを堪能し、満足そうに店を後にした。
「喜んでくれて、良かったね」
「コロッケサンドもメニューにしますか?」
「うーん。揚げ物が結構大変かなあ、フロアが無人になるのも困るし……美味しいのは間違いないけど」
トンカツサンドのように、作り置きするのもありだが、メニューの増やしすぎもよくない。
「それはぜひ、今日のまかないに期待しよう」
にっこりと笑う誠司さんは既にコロッケサンドを楽しみにしているようだった。
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