十七話、恋する乙女と胡麻サブレ
ここは古都街ビンティーク。
剣と魔法と冒険なファンタジーと、日本の大正ロマン風なイメージが混在している。
建物は木造建築が主だが、洋館も見かけられ、街中の大通りは石畳が敷かれていた。
四足獣が牽く荷馬車がゴトゴトと進む横を、獣の耳や尻尾、表皮をもつ『獣人』と呼ばれる人達が歩いている。
揃いの制服を着た女の子達は、女学校の生徒だろうか。
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ーーからりん、ころん。
戸掛の呼鈴が鳴る。
明るい日差しとともに、外の香りが入ってくると、空気が動いて店内に満ちた珈琲の、甘く香ばしい匂いがふわりと舞った。
店に入ってきたのは、女学生のグループだった。
皆、ぱりっとした制服に身を包み、楽しそうに笑い合っている。その中に、ひときわ目を引く、軽やかな物腰の女の子がいた。
「いらっしゃいませ。どうぞ、お好きな席へ」
私が声をかけると、彼女たちは奥のテーブル席に座った。賑やかな声が店内に響き渡る。
「誠司さん、あちらのお客様、お願いできる?」
「旧帝国語のメニュー借りるね」
私が誠司さんに声をかけると、彼はにこやかに頷き、メニューを持って女学生たちのテーブルへと向かった。
彼の薄茶の髪が、窓から降り注ぐ日差しの光を受けてキラキラと輝く。日本人離れした翡翠色の瞳は、まっすぐに前を見ていた。
元軍人であることを時折忘れてしまいそうなそど、物腰が柔らかい彼の仕草はとても洗練されている。
「ご注文、お伺いいたします」
誠司さんの声が、女学生たちのテーブルに届く。
すると、先ほど目を引いた女の子が、誠司の顔をじっと見つめているのが見えた。彼女の頬が、ほんのりと赤く染まっている。
「あの…」
彼女は、誠司の顔から目を離せないまま、友人に小声で何かを尋ねているようだった。そして、誠司が彼女たちの注文を終えて戻ってくるまで、その視線は彼に釘付けだった。
誠司さんがカウンターに戻ってくると、私は小声で尋ねた。
「誠司さん、あの真ん中の子、誠司さんのこと、じっと見てませんでした?」
誠司は、いつものようにへらりとした笑顔で首を傾げた。
「そう? 何か、顔にでもついてたかな?」
「とぼけてますね?」
訝しむように見ると、誠司さんは少し意地の悪そうな顔になる。
「そんなことないよ。
それより、イオリ、俺が注文とってる間ずっと見てたんだ」
「ーーっ!」
からかわれた。そう思ったがもう遅い。
それ以上追求するのはやぶ蛇だった。
きっと、彼女は誠司さんに目を奪われたのだろう。彼は、本当に女性に人気がある。
その容姿もさることながら、接客中はとても紳士的で物腰も柔らかい。恋に憧れる年齢の彼女たちが、誠司さんに恋をするのは当たり前だとすら思った。
翌日。
ーーからりん……。
呼鈴に店に入ってきたのは、昨日女学生のグループの中にいた、あの女の子だった。艶のある髪をハーフアップにしている。
今日は一人で、少し緊張した面持ちだ。
「あら、いらっしゃいませ。どうぞ、お好きな席へ」
彼女は少しはにかんだように頷き、昨日と同じ奥のテーブル席に座った。
「ご注文、お伺いいたします」
誠司さんが、いつものようにメニューを持って彼女のテーブルへと向かう。彼女の頬が、昨日と同じように、ほんのりと赤く染まるのが見えた。
「あの……珈琲と、くっきぃを……」
彼女は、誠司さんの顔をちらちらと見ながら、消え入りそうな声で注文した。声を震わせながらも、その視線は、やはり誠司さんに釘付けだ。
誠司さんは、さして気にした様子もなく、いつものように丁寧な接客で、彼女の注文を受け、カウンターに戻ってきた。
「イオリ、珈琲とクッキー入ったよ。
クッキーは、胡麻のサブレと牛酪クッキーでいいかな?」
「はい、お願いします」
私は、真っ白な皿にクッキーを盛り付ける誠司さんを盗み見ながら、少しだけ複雑な気持ちになった。
白すり胡麻を混ぜこみ、黒胡麻を混ぜたの胡麻のサブレの丸い断面は斑模様だ。
それがまるで私の複雑な気持ちを表してるようにすら見えてきた。
彼女の、誠司さんへの淡い恋心は、私にもはっきりと分かる。そして、その恋心が、これからどんな風に育っていくのだろう、と思った。
なぜか気持ちがもやもやする気がして、私は珈琲を注ぐことに意識を集中させた。
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それからというもの、彼女は定期的に星月に顔を出すようになった。毎日とは言わないが、頻繁だ。そしていつも決まって、カウンターから遠い、あの奥のテーブル席に座り、誠司さんが接客するのを待っている。
ーー誠司さん、オススメを教えてください。
ーー誠司さんは、なにがお好きですか。
ーー誠司さん、最近、何か面白いことはありましたか?
彼女は、不器用ながらも、少しずつ誠司さんとの距離を詰めようとしているようだった。
林檎のように頬を染めながら、いつも澄んだ瞳で彼を見つめている。
誠司さんの方はといえば、彼女の質問には丁寧に答えるけれど、決して特別な親密さを出すことはない。あくまで、お客様と店員という、一線を引いた態度を崩さない。
「イオリ、疲れてる?」
「大丈夫です。……え、なんか顔に出てます?」
「気のせいならいいんだ。
俺がイオリのこと気にしすぎちゃっただけ」
と、軽く笑う誠司さん。
そんなこと言うから女の子に勘違いさせるんですよ!と言いたいところだが、他の人にこんなこと言ってないのも、わかってる。
恋する彼女の姿を、カウンターから見守っていた。彼女が誠司さんに話しかけるたびに、その瞳がキラキラと輝くのを見るのは、なんだか微笑ましい。
けれど、同時に、私の心の中に、少しだけチクリとした痛みが走るのを感じた。
誠司さんは本当に女性に人気がある。
程度の差はあれど、お客様で彼に好意を寄せる女性を何人も見てきた。それをさして気にかけたことはなかった。
なのに、なぜだろう。
あの裕子さんという女学生が、誠司さんに話しかけるたびに、私の胸が、少しだけざわつくのは。
私は、自分のこの感情に、まだ名前をつけられずにいた。誠司さんは、私が異世界に来て、初めて話した人で、助けてくれた恩人だ。
軍を辞め、私と一緒に喫茶店をやると言ってくれたあの日から、彼は、私にとって、かけがえのない存在であることは、はっきりと分かっている。
今日もまた、星月喫茶に、新しい物語が生まれていく。そして、私の心の中にも、少しずつ、新しい感情が芽生えていく。
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