十五話、花屋フローリアと薔薇の香り
ーーかろんかろん。
明るい呼鈴の音とともに店に入ってきたのは、い明るい笑顔のリリーちゃんだった。
彼女が定期的に届けてくれる季節の花々で、この喫茶店は華やかに彩られている。
卓上に添えられた花がお客様の心を癒すとともに、その花瓶に結ばれた、店名の判子を押したロゴ入りリボンも、すっかり店の顔になった。おかげで、リリーちゃんのお家の花屋『フローリア』の評判も上々だと聞いている。
「イオリさん、誠司さん! こんにちは!」
「こんにちは、リリーちゃん。今日はお客様ですね」
リリーちゃんは「はい!」と元気よく返事してカウンターに座り、花が咲くように笑った。そして、少し迷う素振りを見せながらも、最近お気に入りのミルクセーキを注文した。
「今回のブルーベルも素敵ですよ」
「えへへ、ありがとうございます!
でも、私、このままで満足してるわけじゃないんです」
リリーちゃんの言葉に、私は少し驚いた。現代なら高校生くらいの彼女は、いつも将来のことを真剣に考えていてとても向上心が高い。
「この間、お父さんとお母さんと話したんです。
ただ花を売るだけじゃなくて、もっとできることがあるのかもって……。最近、本を読んだり、他の街の花屋さんを調べたりしてるんですけど、なかなか良いアイデアが浮かばなくて…」
「そうなんですね。……焦らなくても大丈夫ですよ。誠実に向き合えば、それに応えるように、きっと、良いアイデアが見つかると思います」
「ありがとうございます、イオリさん」
なにかいいアイデアがあればいいけれど。
ーーふと、あるアイデアが閃いた。思い出したといってもいい。
「ねぇ、リリーちゃん。もしよかったら、私の相談に乗ってもらえませんか?」
私がそう切り出すと、リリーちゃんは目を丸くした。
「私に、ですか?」
「うん。実は私も、新しい甘味のアイデアを考えているんだけど、どうしても必要な食材があるんです。
リリーちゃんのお花屋さんなら、もしかしたら手に入るんじゃないかと思って」
「どんな食材ですか?」
リリーちゃんは、興味津々といった様子で身を乗り出した。
「『食べる薔薇』って、用意できませんか?」
私の言葉に、リリーちゃんはさらに目を大きくした。
エディブルフラワーと呼ばれたりもする食用花だ。
日本では古くから菊や桜、菜の花が有名だし、海外でも薔薇やスミレは昔から砂糖漬けにされたりしている。カモミールやラベンダー、サフランなどハーブとしての側面も持つ植物だって食べられているのだ。
「食べる薔薇、ですか?」
「そうなの。薔薇を使ったジャムを作ってみたいのよ。香りが良くて、見た目も華やかな、そんなジャムをね」
リリーちゃんは、パッと顔を輝かせた。
さすがに現代日本にいた頃には知識はあっても作ったことがないので、試作から始めることになるが機会があれば作ってみたいと思っていたのだ。
「なるほど、食べられる薔薇なら、いくつか種類があります! うちのフローリアでも、薔薇に限らず食用花をご用意できますよ!」
「本当ですか?
信頼するリリーちゃんのお店に用意して貰えるなら助かります」
私の言葉に、リリーちゃんは嬉しそうに頷いた。
どん、と胸を叩く仕草で自信のほどを伝えてくれる。
「任せてください、イオリさん!
私、喜んで協力します!」
それから数日後の定休日。
リリーちゃんが、摘みたての食用薔薇をたくさん持ってきてくれた。花びらは、私の希望である濃いピンク色で、ふわりと甘く、上品な香りがする。
「わぁ、本当に綺麗ね…!」
私が感動していると、誠司さんが隣で薔薇の香りをすんすんと軽く吸い込んだ。
「いい香りだね。
ジャムにしたら、きっととても香り高いんだろうね。それを使った甘味はどんな味になるのか……」
想像つかない、と唸る誠司さん。
リリーちゃんが最近気に入ってるミルクセーキを誠司さんが初めて飲んだ時は、あまりの美味しさに夢中になり、綺麗な顔にミルクセーキの白い髭をつくっていたことをふと思い出す。
薔薇を食べるのは初めてです、と興味津々な誠司さんと、これも勉強になります、と真剣なリリーちゃんの三人で薔薇ジャムの開発に取り掛かった。
「よし、早速ジャム作りを始めようか」
「はい。
まずは、薔薇の花びらを一枚一枚外し、ガクやおしべ、傷のあるものなど必要ないものを丁寧に取り除くきます」
言いながら試しにひとつやってみる。
花びらが山になったら、水に晒して静かに洗い、しっかりと水気を切るのだ。
この作業が、意外と手間がかかる。リリーちゃんが、花びらを傷つけないように、真剣な表情で手伝ってくれた。
次に、鍋に花びらと少量の水、砂糖を入れ、弱火でじっくりと煮詰めていく。最初は、花びらがたくさんあるように見えるけれど、煮詰まっていくうちに、どんどん量が減っていく。
「あまり混ぜると花びらが傷ついて色が悪くなるので、触りすぎないようにします」
「わぁ、色がだんだん濃くなってきた!」
リリーちゃんが、鍋の中を覗き込みながら、目を輝かせた。煮詰まっていく薔薇から立ち上る香りは、甘く、そしてどこか官能的で、厨房全体を包み込む。
「もう少し煮詰めた方が、とろみがつきそうじゃない?」
誠司さんが覗き込みながらアドバイスをくれる。
作業はスムーズに進んだが、最初の試作は、なかなかうまくいかなかった。香りが飛びすぎてしまったり、仕上げにレモン汁を加えたが、色がくすんでしまったし、とろみももう少しほしい……。
「うーん、なかなか難しいですね」
「イオリさん、もっと煮詰める時間を短くしてみませんか?
野菜や果物は傷んだところから味も悪くなるので、もしかしたら花はそれが激しいのかも……」
リリーちゃんの提案に、私はハッとした。
色や香りが飛んでいることも含めて、加熱しすぎかもしれない。
「でも、とろみは他のジャムほどはないよ?」
「それは多分、果物に含まれる成分が薔薇には足りないんです。少し他の果物を入れる方が安定するかもしれない……」
ジャムのとろみはペクチンという成分だ。
同じバラ科の林檎や苺を入れてバランスをとるべきだろうか。火の通りを考えて、砂糖を溶かしてから加えたが、苺なんかは加熱する前に砂糖と合わせて置いておくのでそれがいいだろうか。
どう試作するか考えつつ、失敗を恐れず、私たちは三人で試行錯誤を繰り返した。
そして、ついに、理想の薔薇ジャムが完成した。
透明感のあるピンクルビー色で、瓶の中に閉じ込められた花びらが、まるで宝石のように輝いている。蓋を開けると、ふわっと、甘く、そして上品な薔薇の香りが広がる。
「わぁ! やったあ! イオリさんすごい!」
「香りも色も、申し分ないね」
「味見してみましょう!」
慌ててパンを魔具トースターに押し込んでトーストを作る。完成した薔薇ジャムを塗って、三人で味見をした。
口に入れると、薔薇の香りが鼻腔をくすぐり、甘酸っぱさが口いっぱいに広がる。後味はすっきりとしていて、何枚でも食べられそうだ。
「美味しい………本当に美味しいです、イオリさん!」
リリーちゃんは、感動したように目を潤ませた。
慣れない試行錯誤だっただろうに、彼女は泣き言ひとつ言わず一生懸命頑張ってくれた。
「色々試したかいがあって、嫌な苦味もないし、口当たりもいい」
「はい。
これなら……きっとお客様にも喜んでもらえますね」
こうして、『星月』の新しい商品として、期間限定で薔薇ジャムが加わった。トーストやパンケーキに添えるだけでなく、紅茶に入れて提供することもできる。
私としても使い方に迷ってしまうくらいだ。
お客様たちは、その美しい見た目と、上品な香りに、もれなく舌鼓を打った。
「まぁ、なんて華やかなジャムなのかしら」
「口に入れると、まるで花園にいるみたいな優雅な気持ちになれるわ……」
そんな喜びの声があちこちから聞こえてくる。
リリーちゃんは、自分の店の花が、こうして喫茶店の新しい商品としてお客様に喜んでもらえていることに、心から喜びを感じているようだった。彼女は、花を売るだけでなく、花を使った新しい価値を生み出すという、花屋の新しい道を、私との協力で一歩踏み出したのだ。
「イオリさん、本当にありがとうございます!
私、もっと色々な花で、新しい挑戦をしてみたいです!」
リリーちゃんは、キラキラした瞳で私にそう言った。その笑顔は、以前よりも自信に満ちているように見えた。
今日の純喫茶『星月』には、薔薇の甘い香りが漂い、お客様たちの笑顔が溢れていた。
お読み頂きありがとうございました!
少しでもお楽しみいただけましたら、よろしければ評価やブックマークをお願いします。
続きや続編製作の活力となります!




