十三話、偏屈な老人とあられ茶漬け
ーーかろりん。
呼鈴が鳴り、来客を知らせてくれる。
「いらっしゃいませ!」
すぐに誠司さんがご案内に向かった。
扉の開閉に合わせて、春風や街の賑わいが入ってくる。しかし最近、店の外で、いつも同じ声が聞こえるようになっていた。
「けっ、こんな小洒落た店、長続きするもんか」
「珈琲だぁ?そんな苦いもん、どこがうまいんだか」
しわがれた、皮肉屋な声。
顔は見えないけれど、きっと偏屈な老人なのだろう。今日もそんな声が聞こえてくる。私は少しだけ苦笑して、誠司さんに目配せをした。彼も肩をすくめてみせた。
━━━━━━━━━━★
客足が少し落ち着いた頃、珍しく小雨が降ってきた。さああ、と雨の音がする。雨が入らないよう窓を閉めようとしていると、また外からあの声が聞こえてきた。
「ちっ、こんな日に限って……」
私はふと、店の外に目をやった。
すると、店の軒先で、雨宿りをしている老人の姿が見えた。背は少し丸まっているけれど、弱々しい雰囲気はまるでない。口元は偏屈さを示すようにへの字に結ばれている。
あの皮肉屋な声の主が、確かに立っていた。
「あの、もしよかったら、中で雨宿りしていきませんか?」
私が声をかけると、老人はギョッとしたように私を見た。
「なんだ、あんたか。余計なお世話だ」
そう言いながらも、老人は少しだけ、店の中をちらりと見た。その瞳の奥に、少しだけ寂しさを溶かした光が見えた気がした。
「どうぞ、遠慮なく。温かい珈琲でもいかがですか?」
私がにこやかに手招きすると、老人はしばらく躊躇っていたが、しぶしぶといった様子で店に入ってきた。
「……仕方ねぇ。少しだけだぞ」
渋茶色の着流し姿の老人はそう言って、一番奥の席に、どっかりと腰を下ろした。
「いらっしゃいませ、ヨネさん」
私がそう声をかけると、老人は眉をひそめた。
「なんで俺の名前を知ってるんだ」
「ええ、いつも店の外から、元気な声が聞こえてきますから」
近所の方が、教えてくださいました。
私がそう言うと、ヨネさんは少しだけ顔を赤くした。
「ふん。……珈琲とやらを頼む。どうせ、苦いだけでうまかねぇんだろうがな」
「お砂糖や牛乳を入れて、苦味を和らげることもできますし、他の飲み物もございますよ?」
「うるさい。さっさと持ってこい」
「かしこまりました」
あまりの頑なさに少し笑ってしまいそうになる。
私はすぐに珈琲の準備に取り掛かり、丁寧に淹れた珈琲を、ヨネさんの前に差し出す。
ヨネさんは、一緒に提供したシュガーポットやミルクピッチャーを無視して、ストレートのまま恐る恐る珈琲を一口飲んだ。その顔が、みるみるうちに歪む。
「うぇっ、やっぱり苦いじゃねぇか! こんなもん、どこがうまいんだ!」
その言葉に、少し離れたところにいた誠司さんも思わずクスリと笑ってしまったようだった。
「ヨネさん、もしよかったら、何か別の、温かいものを作りましょうか?
先ほども言いましたが、苦いものが苦手なら、無理にそのまま飲まなくてもいいんですよ」
優しく声をかけると、ヨネさんはふん、と鼻を鳴らした。
「そんなもの、あるもんか。どうせ、見た目ばかりの、小洒落たものばかりなんだろう。年寄りにビフテキだの洋食だの胃に重いわ」
彼の言葉に、私は少しだけ考えてみた。この頑固な老人が、心を開いてくれるようなもの。洋食ではなく、量を控えていて、そして、彼が「懐かしい」と感じてくれるようなもの。
「……もしよかったら、お茶漬けはいかがですか?
メニューにはないんですけど、特別に」
私がそう提案すると、ヨネさんの顔に、一瞬だけ驚きの色が浮かんだ。
「お茶漬け…だと?」
「はい。温かいお茶と、少しの具材で、体を温めてくれると思います」
私がそう言うと、ヨネさんは小さな声で呟いた。
「……昔、ばあさんがよく作ってくれたな……」
「すぐに作りますね」
なにか言えばまた私は誠司さんに店内を見ててもらうようにお願いし、厨房へ向かった。誠司さんはヨネさんの様子を伺っていたようで「まかせて」と軽く笑った。
私は、小鍋で油を温めつつ、乾燥させた切り餅を取り出す。
新商品の開発用にあって良かった、と思いながら切れ味の良い包丁で細かく切る。
油が温まる頃に切ったもちを入れ、あられを作る。
ばちばちと景気のいい音がする。
その間に、醤油ダレを作っておく。
「せめて鮭とかあれば良かったんだけど……」
ないものを悔やんでも仕方ない。
揚がったあられの油を切り、サッと醤油ダレをくぐらせて取り出し、乾燥させておく。
ご飯を軽く温め、その上に、海苔、そして出来たてのあられを乗せた。そして、熱い玄米茶を、ゆっくりと注ぎ込む。湯気と共に、香ばしいお茶の香りが立ち上る。
山葵と漬物を小皿に添えて、完成だ。
「お待たせしました、ヨネさん。あられ茶漬けです。お好みで、山葵をどうぞ」
私が差し出すと、ヨネさんは、先ほどまでの皮肉屋な顔とは違う、どこか懐かしむような表情でそれを受け取った。
彼は、なにも言わなかった。
ゆっくりと箸を手に取り、一口、口に運んだ。
その瞬間、ヨネさんの瞳が、大きく見開かれた。そして、その目尻に、うっすらと光るものが見えた。
「………うまい………」
小さな声で、呟いたその声は、震えているようにも聞こえた。
ヨネさんは、それから無言で、お茶漬けをゆっくりと食べ進めた。その間、彼の目からは、静かに涙が溢れ落ちていた。ポタポタと、皺のある頬を伝い落ちる涙。
店内にいたお客様たちも、その様子に気づいたようだった。誰も何も言わない。ただ、温かい空気が、店全体を包み込んでいく。誰もが、ヨネさんの心に触れた、その瞬間に立ち会っているようだった。
「……ばあさん……」
ヨネさんは、全てを食べ終えると、掠れた声でそう呟いた。その顔には、寂しさと、そして、どこか安堵したような表情が浮かんでいた。
「ありがとうございました。
良ければ、また来てくださいね。いつでもお待ちしております」
帰り際に私がそう言うと、ヨネさんは、深々と頭を下げた。その姿は、先ほどまでの偏屈な老人とは、まるで別人だった。
「イオリ、珈琲、淹れようか?」
「ありがとう、誠司さん」
私がそう言うと、優しく誠司さんは頷いて、珈琲の準備に取り掛かった。
ヨネさんは、それからというもの、星月喫茶に顔を出すようになった。すぐに偏屈なところが治るーーなんてことはなく、なにかと珈琲や洋食に文句を言うけれど、私や誠司さん、そして他のお客様とも少しずつ新しい関係を築いていくのだろう。
この喫茶店にいて、少しでもヨネさんの寂しさが紛れたらいいな。
お読み頂きありがとうございました!
少しでもお楽しみいただけましたら、よろしければ評価やブックマークをお願いします。
続きや続編製作の活力となります!




