5 離れてみると (ここから連載版の新エピソードです)
フィオナは大人になるという事の難しさに早速直面していた。
デビュタントのあの日、フィオナは家族に婚約破棄をすることを告げて勘当を言い渡された。
それはもちろん想定していたことだし、あんな場で侮辱を受けたメルヴィンは怒りに任せて婚約を破棄した。
つまりフィオナの望んだとおりになったのだ。
しかし、自分の望む未来の為に決意をしても、日々の生活というものはしていかなければならなくて、フィオナはすでに帰る家を失った。
生活する場所ならば何とでもなると思っていたが案外そうもいかない。
むしろこれから自分の未来の為に精力的に活動していくのであれば、生活基盤というのは重要な一つのパーツだったのだ。
……新しい気付きです。メルヴィンの元にずっといては気がつくことはできないものでした。
心の中で、そんな風に言いながら、フィオナは自分のベッドを整えていた。
いつもは侍女が適当な時にやってくれて、掃除も洗濯も、午後三時のお茶も何もかもが用意されていた。
しかしそれら一つ一つを用意することには、誰かの労力がかかっている。
生まれた時から当たり前にやってもらっていたことなので、そんなことすら知らなかった。
……自分で選択をすると決めたんですから、何も知らずに選ぶことは出来ません。こういう事も、今までの事も正しく理解して、正しく心躍る選択がしたいです。
けれども、人が誰もいない自分一人の生活は、すこしだけ心細くて胸の奥が苦しいけれど、そんな気持ちは決意を胸に抱いてやり過ごす。
きれいにベッドを整えたころに、フィオナに与えられている部屋の扉がノックされた。
「はい、どうぞ」
いつもは侍女がやってくれた、受け答えや相手の確認も、今ではフィオナの仕事だ。これについてはこの方が効率はいい気がする。
「……失礼するよ。……ごめんね、フィオナちゃん、自分がもう少し権力のある立場なら良かったんだけど、色々手間がかかるだろう?」
フィオナの元へとやってきた彼は、胸に女神さまへの信仰を表すペンダントをつけていて、それは窓から差し込んだ朝日にキラリとひかり、なんだか妙に神秘的な物に見えた。
やっぱり本職の人間がつけているとそれなりに神聖に見えるものだな、とあまり信心深くないフィオナは感想をもつ。
「いえ、置いてくださっているだけでとてもありがたいです。……それに、貴族として当たり前にしていた生活が、どれほどの人に支えられているのかよく理解できる気がしますから」
「そう言ってくれて助かる。でもある程度の事は下働きの者がやってくれるから……フィオナちゃんはフィオナちゃんのやることを優先して」
「……はい」
彼は人好きのする笑みを浮かべて、フィオナを気遣った。たしかに生活の事も大切だけれどフィオナは立派な大人なのだからやることがある。
自分のこれからの行く先を決めるのだ。
それと同時に、今までの事を清算する必要もある。
「やはり一度、実家に……アシュトン伯爵家の方に行く必要があると思います」
「そうだね……でも、どうかな、兄さんも義姉さんもあの人に心酔してるから」
彼は顔を曇らせて考えるように視線を外す。
この人は、フィオナの叔父にあたる人物でダグラスという。
魔力もそれなりにある方だったが、フィオナの父に爵位継承権を取られ、現在は教会の司祭として、教会所有の魔法道具に魔力を注いだりたまに本職の神事を行ったりする。
爵位継承権者のない貴族の子供はこうして職に就く、騎士職についたり魔法使いになったりする場合もあり、人それぞれだ。
そして第二王子の婚約者を失ったフィオナも現在、爵位継承権のないただの貴族令嬢だ。だからこそ、教会に勤めているダグラスはフィオナに手を貸してくれた。
もともとダグラスは実家の派閥に納得がいっておらず、家を出た経緯があるので、同じようにメルヴィンに逆らい側妃の派閥から抜けたフィオナに思う所があったのだと思う。
「フィオナちゃんだけは目を覚ましてくれたからよかったけど、立場も立場だからね、気を付けて」
「はい、大丈夫です」
実家に戻るフィオナを心配してそう口にするダグラスだったが、正直、物理的な問題は無いのだ。フィオナには切り札があるし、それを家族も知っている。
いざとなれば、逃げ出すこともできる。彼がしている心配は精神的な面でのものだろう。
「それじゃあ、自分は仕事があるから、馬車が必要なら適当な人に声かけて」
「そうさせてもらいます」
手をひらりと振って去っていく彼に、フィオナは頭を下げた。
そのまま廊下を眺めながら去っていく背中を見つめた。
フィオナ自身、多少なりとも家族がおかしいという自覚は無かった。
しかし、あの日ノアに言われるまで、フィオナの周りの世界はとても閉じていて、自分の家族と婚約者それから、自分たちの庇護者である側妃ヴェロニカしか人生に登場していなかった。
だからこそ、暴行を受けてもフィオナが悪いのだと言われたし、フィオナの主張がまったく通らなくても当たり前だと思えていた。
けれどもそんなことは無く、はたから見ればフィオナの状況はおかしかった、それにやっとこうして家族からもメルヴィンからも離れてみて理解が出来る。
フィオナが、自分をないがしろにされる状況から脱したいと思ったのは、心躍る人生が欲しいと思ったからだ。
可愛いドレスを着て、当たり前のように対等に話し合える結婚相手がいるそんな人生を欲したからだった。
けれども離れてみると、離れるべきだった理由は、今更ながら沢山思いつく。
……私が、ああして家族の中で囲われていたのは、私が必要だったからです。
決して私をいじめるためだけにああしていたわけではない、理由があったんです。
フィオナには、とても特殊な魔法がある。
それを使いたかったのだ。そしてその使い道について文句を言わない道具にしたかったのだ。
だから、いつまでたっても子供だと押し付けられていた。
でも今ならばわかる、ダグラスがヴェロニカの派閥から抜けたいと思った理由も、その恐ろしさも。
だからこそきちんと家族にはそのことも含めて、フィオナはもうそんなことに加担しないと意思表示をするべきなのだ。
それから行く先を考える、ノアとの話に応えるのはその後だ。
それに、あの求婚はあの時だけの気まぐれかもしれない。彼はとても気ままな人らしいのだ。よく考えて答えを出したいとも伝えてあるし、考え事には順序がある。
その時間を待ってほしいとも思っている。しかし、長く考えすぎて気が変わったからもういいと言われてもフィオナには文句はない。
とりあえずフィオナはまずやることやろうと心に決めた。
「廊下に立ち尽くして何してんの?」
しかし背後から声がして、驚いて体がびくっと反応する。
聞き覚えのある声に急いで振り返ると、ノアがそこにいて当たり前のように「とりあえず中入ろうよ」と適当に言ったのだった。




