45 最後の計画 その三
「まったく、あなたには本当に腸が煮えくり返っていたけれど、簡単に誘いに乗って一人で証拠をつかみにやってくるなんて馬鹿で助かったわ。フィオナ、これから散々躾けてあげるわよ」
そういって振り下ろされる手にフィオナは目をつむって身を固くする。
……もう少しだけでもっ。
短くそう考えたがパシッと音がするけれど痛みはないふと目を開いた。
ソファーの背もたれから手が伸びていて爪の長いヴェロニカの手を止めるようにフィオナへの攻撃を防いでいた。
「……」
「遅い」
声は聴きなれたいつものノアの声だ。しかしなんだか少し怒っている様子だった。
理由はわかるけれど、計画を立てている最中もあまりそれ以外の話をしなかったのでこういう叱責するような言葉を言われるのは久しぶりだった。
「んなっ、今すぐとらえなさい!!」
ヴェロニカはすぐに反応して自分の背後にいる騎士たちに命令を飛ばす。
しかし振り返った先にすでに騎士はおらず、彼らは忽然と姿を消していた。
しかしそれにしても、遅かっただろうか。計画を立てているときにできるだけ引き延ばすようにと言われていたのだ、もう少し粘れたと思う。
「ちょっと聞いてる? フィオナ、君はさ、私に頼ってってちゃんといつも言ってるよね。いざとなった時に助けに行くから合図送る手はずだったでしょ」
「は、はい。でももう少しくらいなら大丈夫かと思いまして」
「大丈夫じゃないよ。少し心配する人間がいるんだって自覚をもって」
「……ごめんなさい」
厳しく言われて、フィオナはとりあえず謝った。
フィオナは彼に逃げられて以来、ノアとどういう風に接したらいいのかよくわからなかった部分もあるのだが、ノアの方は案外いつも通りで、それに合わせる形でとりあえずやり過ごしている。
しかし心配だというスタンスは変えないらしく、そのことをどういう風に受け取ればいいのか未だに悩んでいる。
……今も嬉しい気持ちと難しい気持ちが半分半分です。
状況にそぐわずに、ちょっとだけいつものように叱ってくれたことに嬉しくなってドキドキしたが、今が計画の真っ最中で山場だという事をヴェロニカが「なんなのよォ!」と叫んだことによって思いだした。
ヴェロニカは取り乱してそのまま、数歩後ずさった。そんな彼女にフィオナはふうっとひと息ついてから、向き合うために立ち上がった。
そんなフィオナにノアは何も言わずにただそこにいるだけだった。
「……ヴェロニカ様」
「あ、あなた! この売女っ、聖者なんて誑し込んで自分の護衛をさせていたなんて!」
「……」
「でも、残念だったわね。ここにはあなたの望むものなんか何もないわよ!」
動揺している様子だったが、ヴェロニカは未だにフィオナの行動の意味に気が付いていない様子だった。
「手ぶらでマーシアの元に戻るつもり? あなたみたいな不気味な魔法を持った人間なんて所詮信用なんてされないわ! むしろわたくしの離宮に来たことを疑われるんじゃないの?!」
言っている最中に彼女の手にはめている合図を送るための魔法道具の指輪がふと魔力を失って、それはフィオナにとっても良い知らせになった。
「……ヴェロニカ様、その指輪、あなたの協力者との合図用に使われている物ですよね」
「そ、そうよ! こうして、ちゃんと光っている限りはわたくしの計画に誰も文句なんて付けられな……」
彼女の言葉は途中で止まって、指輪を見たまま硬直した。
そういう作戦だったのだ。
フィオナはフィオナだけではうまくやれない事がまだまだ多い、けれどもフィオナにしかできない事がある。
それは今回、ヴェロニカの誘いにわざと乗っかって、フィオナがマーシアたちの為にヴェロニカの計画を暴こうとしているという演技をすることだった。
もちろんヴェロニカがフィオナをまるっきり信用して証拠集めをできるならばそれでも良かったが、マーシアたちはフィオナの話を聞いて相手の裏を読んだ策を練った。
「あなたの協力者のところには、マーシア様たちが向かってくれています。私たちは、あなたの足止めとこの離宮の捜索を命じられています」
「……は、はぁ?」
「その指輪が魔力を失ったということは、マーシア様たちは協力者も証拠も掴んだはずです。抵抗せずにどうか投降してください」
混乱した様子で指輪を凝視する彼女だったが、フィオナは用意していた言葉を言った。
ノアが合図を送れば、外にいる騎士たちがこの屋敷に突入してヴェロニカとメルヴィンをとらえることになる。
これで彼らとフィオナが自由に言葉を交わせるのは最後になる。
予想だにしていなかった展開に言葉を失ってただ目を見開くヴェロニカに、フィオナは続けていった。
「……私はたしかに、考えが足りない事も多いし、世間知らずで、何も考えずに罪を重ねてしまった愚か者です」
「……」
「あなたに手紙で言われた通り、何もしていない方が楽に生きられたかもしれませんし、実質的に面倒を見てくれた恩もあります」
それを認めてしまって悲しくなったこともあった。しかし、それもこれも全部含めての自分だ。今更否定したって仕方がない。
罪は重い、フィオナは自覚がなくとも悪事を働いてしまった。
だからこそ認めてあがくべきなのだ。
フィオナはそうして生きたさきで必ず誰か救われてくれるのだと知っている。
「でも、見て見ぬふりを続けて罪を重ねるよりも、胸を張って生きられる選択肢を自分の責任で選びます。ただそれだけですヴェロニカ様。私は道具でも幼子でもない、立派な大人です」
ヴェロニカは頬を引き攣らせてフィオナを見つめる。きっと頭の中にはたくさんの打開策を巡らせている事だろう。
この人はそういう人だ。フィオナだけだったらきっとこうして成し遂げられなかった。
「そろそろ呼ぶよ。フィオナ」
「はい、お願いします。ノア」
ノアがそう声をかけるとヴェロニカは、おもむろに走り出した。
高いヒールを履いているので、何度か転びそうになりながら応接室の窓に向かって、駆けだす。
「ヴェロニカ様、本当は道具呼ばわりしたことを謝罪して欲しいです。私の人生をしばりつけようとしたことも、でもあなたは大罪で裁かれる。それを見て心の整理をつけようと思います」
フィオナの言葉などどうでもいいというようにヴェロニカは窓を開けてドレスを引きずりながら外に出ようとする。
しかし、すでに離宮の周りを取り囲んでいた騎士たちによって引きずり倒されて、喚くような声をあげた。
「無礼よ! 離しなさいッ何を根拠にこんなことしてるか言ってみなさいよ!!!」
その行動を見てヴェロニカは別にフィオナの事など、道具以上の感情を持っていないことは明白でそれをフィオナも知っていた。
魔力を封じる枷をはめられて、強引に腕を引かれて彼女はわめきながら離宮から出ていく。
結局彼女は、フィオナの事など見向きもせずに恨み言も言わず、ただマーシアに恨みつらみを吐き捨てる。
「……行ったね。そのうちメルヴィンも捕らえられると思うけれど、見ていく?」
「いえ、苦しめられていた私は彼らに特別思う所がありますけれど、彼らにとって私は、利用して不幸にした数百人のうちの一人でしかないと思います。だから謝罪もないでしょうし、私自身が彼らをさばくわけでもないので見向きもしないと思うんです」
「……」
フィオナの言葉に、ノアは驚いた様子ですこし黙って、フィオナが首をかしげると彼は言った。
「君ってそんなに達観してたっけ? 変なの。一発ぐらい殴ってきたらいいのに」
「……一発じゃ、すまないので」
「あははっ、それもそっか。じゃあ帰ろ」
「はい、ノア」
言われて考えてみると確かに一発ぐらいは、殴ってもよかった気がするが、殴られることはあっても殴ったことは一度もなかったフィオナが今更同じ土俵に立ってやり返すのは勿体ないような気がする。
それに正当に裁かれるならその方がずっといいだろう。
フィオナが殴るようなことよりも、きっととても重たい罰が待っている。
「フィオナ」
「はい」
「かっこよかったよ」
そういってノアはフィオナの手を取った。
……触れたくないんではなかったんでしょうか?
そんな感想が思い浮かんだけれど、ぐっと強く引かれる手はやっぱりこころ強くてデビュタントの日を思い出した。
揃いの指輪が淡く光をはらんでいる。繋がれた手を見て思わず微笑んだ。




