3 大人になる日
デビュタント当日、フィオナはふんわりとした桃色のドレスに身を包んでいた。腰には騎士でもないのに剣をぶら下げて、背筋を伸ばしカツカツと王宮の廊下を進む。
先ほどまで両親と話をしてきたところで、良い具合に集中できていた。
今日デビューを迎える令嬢達がいる控室へと使用人に扉を開けてもらい入室する。
今日までに婚約者がいる子は婚約者とともに、そうでない子は使用人だけを連れてきていて、それなりに人数が集まって入場の時を待っていた。
そんな中でもイラついた様子で、体を小刻みに揺らしているメルヴィンは自分より後に訪れたフィオナにイラついて眉間にしわを寄せていた。
メルヴィンは開口一番、控室にひびきわたるような大声で貶してやろうと考えていた。
しかし、打合せとはまったく違うドレスを着て、今までの従順だった雰囲気を脱ぎ捨ててこちらをにらむようにみるフィオナの姿にごくりと息をのんだ。
「……メルヴィン、お待たせして申し訳ありません。両親との話し合いが想定よりも随分と長引いてしまって」
適当なテーブルセットに腰かけてワインを飲んでいた彼にフィオナは一応謝罪をした。
ドレスの件は置いて置くとしても、待ち合わせに遅れるのは良い事ではないだろう。
頭を下げると、メルヴィンはハッとしたように目を見開いて、それから軽く考えを振り払うように頭を振ってから、立ち上がってフィオナを指さした。
「なんだこのドレスは!」
「……」
「こんな派手で、下品で、時代遅れな代物を着てくるなんて、俺を侮辱しているのか!!」
「……」
「きちんと俺の衣装と合う物を渡しただろ!! どうしてこんな子供みたいなことをする!!」
フィオナは自分よりもいくらか背の高い彼を見上げて、指差し怒鳴りつけてくるメルヴィンをじっと見た。
「ここまで来て反抗するなんて、いい加減にしろよ!! 何とか言ったらどうだ!」
必要以上に怒鳴りつけて萎縮させようとするその態度。
今にも手をあげられるのではないかと想像してしまいそうなほど、彼は怒りを全面に押し出していて、デビュタントに緊張している周りの令嬢たちは驚いてフィオナたちの方へと視線をよこした。
「常々、聞き分けがないと思ってたが、こんな時に反抗しやがって!!」
誰もが今日というハレの日にふさわしくないフィオナとメルヴィンの様子を心配そうに見つめていた。
しかし、フィオナは堂々としていた。
今までは叱られると恥ずかしくて、フィオナという人間がどこまでも間抜けだと周りに知られるのが嫌で、できるだけ小さくなって聞いていたが、今はただそんな気も起きない。
「……反抗ではありません。メルヴィン。これは私に与えられた権利です」
冷静に言葉を紡ぐ、今日この日までフィオナは沢山考えた。大人になるとは何か、自分の望み、彼の行動、何が正しい事なのか。
そして納得できたからこそ、ここに立っている。
「何言ってんだ、今更屁理屈でも言うつもりか?!」
「屁理屈でもありません。メルヴィン、私をずっと子ども扱いしてまともに意見を聞いてくれなかった分、今日、私の言葉を聞いてください」
「なんだとぉ?! 俺が悪いみたいな言い方するじゃないか、あれだけ面倒を見てやったのに!!」
フィオナの言葉に逐一怒り狂って声を荒げる彼に、フィオナは段々と腹が立ってくる。
そうして滅茶苦茶に怒り散らかしていればフィオナが黙ると思っているから言っているんだ。
だったら周りの迷惑にはなるかもしれないが、今日はどこまでも付き合ってやれる。
「そもそも、婚約者に面倒を見てもらうなど例外的な行為だと思います。私に身寄りがなく教育もされていない子供だとするならば、そう言ったこともあるかもしれませんが私は、あなたに面倒を見てほしいとは思っていない」
「俺に向かって何だその言い草は!!!」
「では、これ以上に正しい言葉使いをあなたはご存じですか。ご教授ください」
「そうやって年配者を馬鹿にしたような態度をとって誰もお前を助けてくれなくなるぞ!!」
「困っていません。現在困っていることといえば、メルヴィンとの関係です。年配であるあなたが悩みの種です」
「なんだと?! いい加減にしろ!! 子供だからって駄々をこねて、許されるのは俺が寛容だからだぞ!!」
「私は、子供ではありません。今日成人する立派な大人です。なので、寛容に接してくださらなくて結構です、そうではなく一人の人間として尊重する接し方を要求します」
「偉そうなこと言いやがって、黙らせてやる!!」
多くの目がある場所なのでメルヴィンは我慢していた様子だったが、ついに耐え切れなくなり拳を振り上げた。
周りの令嬢たちから小さな悲鳴が上がったが、フィオナはすかさず腰にぶら下げていた剣を掴み鞘から抜かずにガードに使う。
「っ……っ~」
拳は、もろに剣の刀身に当たって力いっぱい殴った分だけ痛みが彼に返る。
「……あなたこそ、すぐに手をあげる。それは幼い子供のすることではないですか」
「なんだと?」
「私は、ずっとあなたに言われて従ってきました。立派な大人だと自称するあなたは私のすべてを定義して、あなたにとって不要な部分を削ぎ落して大人の権力を振りかざしていましたね」
「それは、お前の為を思って言ってやったことだ!」
「そうかもしれません、実際、あなたの庇護下にあって大きな権力に守られていると感じたこともありました」
「そうだろ! 今すぐ俺に謝罪しろ!」
少し肯定しただけで彼はすぐにフィオナに謝罪を求めてきて、話の通じなさに辟易する。
「しかし、私は、そんなもの望みません。……私はただ、綺麗なドレスを着たかった。対等に話すことが出来る相手と結婚したい、そう望んでいます」
「大人の苦労も知らないでわがままばかり言いやがって!!!」
「はい。知りません。でもメルヴィン」
言いながら、フィオナは拳を庇うように摩っている彼に手を伸ばした。
今日からフィオナは大人になる。だからこそ、同じ立場に立って対等に未来への道を進んでいけるかもしれない。
はじめて話し合えるのだ、希望をもって彼に手を伸ばした。
「今日から、私は社会からも大人として認められます。どうか、子供という枠組みの外で対等に”私”を見てはくれませんか。私は一人の人間です。どういう人間かは自分で決めます、ドレスの色も香水も、髪型も、喋り方もあなたの物ではないんです」
「生意気なこと言いやがって……」
「あなたに養われているわけではないんです。だから、生意気だなんて言わないでください、意見として取り入れてほしいです」
彼の手に手を添える。自分から触れたのは初めてだった。
しかし、フィオナの行動に未練を感じたメルヴィンは、その手を振り払い、歪んだ笑みを浮かべて言った。
「ハッ、生意気以外の何物でもないだろ。いいかフィオナ、お前はな、なにも分かってない。成人したからなんだっていうんだ? 人生の先輩である俺が導いてやってるのに自分の考えなんて未熟なものを主張して、それで間違えて台無しになるのが目に見えてるだろ?」
「やってみなければわかりません」
「いいや、わかるぞ! お前の下らん考えで自由にして何になるんだ、お前の考えを尊重して何かあったらお前責任とれるのか?」
「とります」
「ああ、そうだ、お前みたいな愚図には取れないだろ? だってお前は━━━━」
「とれます」
間髪入れずに返したフィオナの言葉を取り違えていた様子だったので、すぐにフィオナは言い直した。
たしかにフィオナの意見を通してもいいことなどないかもしれない、それどころか何かとんでもない事態になるかもしれない。
しかし、それでもフィオナは”大人”になりたいのだ。
「自分の選択の責任は負います。そういう覚悟はしています。そして責任を負うからには選択を許される。違いますか」
「なに言ってんだ。そもそもお前に選択権なんて……」
「あります。私は私の人生を決めることが出来る。それがたとえ狭い選択肢だとしても、選べる人生を私は望むことにしました」
「はぁ?」
「だから、メルヴィンがそれをどうしても許してくれないというのならば、あなたから卒業します。今まで大変お世話になりました」
「はぁ?!」
彼が絶対に認める気がないのだというのが分かったので、フィオナはそれだけ言って剣を腰に戻す。
仕方がないだろう。彼はそういう人間で変えられないのだ。彼もまた大人だから、自分の人生の選択権を自分で持っている。
しかしそれはフィオナもそうだ。
「婚約を破棄してください。両親に話を通しています。他人になるべきだとたった今、理解しました」
「な、なんだと?! ふざけたことばかり言ってると屋敷に戻ってからひどい目に━━━━」
「屋敷には戻りません。あの屋敷からも卒業ということで」
「ふっざけんな!」
「ふざけていません。エスコートもいりません」
真顔で続けるフィオナにメルヴィンは顔を真っ赤にしてぶるぶると拳を震わせる。
しかし、防御されるので殴ることもできないし、言葉でも不要だと告げられたからには、これ以上言葉を重ねても意味などない。
つまりは、この場において彼女に対する仕返しの方法がわからなかった。
だからただ顔を赤くしてプルプルと震えることしかできなかった。
そんな中、くす、くすくす、と小さな笑い声がする。
妖精のささやきのようなその声は、周りからすべてを見て聞いていた令嬢たちから発せられている。
誰かがぽつりと「惨め」と口にした。次に「無様」と。
それから、小さな笑い声に混じって、捨てられて当然、暴力男、最低よ、そんな声が聞こえてくる。
たった一人が言っているならばまだ不敬で捕らえることだってできた。しかし今夜デビューする令嬢たちの円の中から次から次に聞こえてくる。
それがまるでこの群衆の総意かと思うほどに、あらゆる場所からメルヴィンに対する敵意を感じた。
その状態を変えるために周囲の令嬢をにらみつけるが笑い声は収まらない。
「こ、こ、後悔するぞ!……何が卒業だ! バカバカしい!」
「自分が選んだ選択で後悔するなら本望です」
「精々、エスコート相手がいなくなって惨めな思いをすればいい! 自分の行動の意味を思い知れ!」
そう口にして、彼は最後までフィオナに悪態をつきながら速足で控室を去っていき、その背を見つめてフィオナはふうっと息をついた。