26 元婚約者
「フィオナ様、もう少し時間がたったら庭園に出ていいんだよね?」
目の前で行儀よくお菓子を食べていたルイーザがそう問いかけてきてフィオナは瞳を瞬いた。
しかしすぐに言葉の意味を理解してこくりと頷く。
「はい。庭園のガゼボがあるあたりへ出ても大丈夫だと思います。普段からそれほど使われているわけではありませんし一応、ノアにも伝えてありますから」
「やった!……あ、べ、別にお外で走り回りたいなんてフィオナ様が想像してるような子供っぽいこと考えてなんかないんだからね」
「知ってます。でも外に出るだけでも気分転換になりますから」
「そ、そう! 気分転換にお散歩をするのって私大好き」
「私もです」
ルイーザはお菓子を食べ終わって、同意するフィオナに無邪気な笑みを見せた。
フィオナは忙しくしてばかりで退屈だろうから、このぐらいの余暇があってもいいかと考えて先日予定を入れてみたが、正直なところ今のフィオナはそれどころではない。
「楽しみだね。……もう少し時間があるから窓から眺めてる!」
そう言ってルイーザは椅子から降りて、トテトテと歩いて窓辺へと向かった。そこからはさっき言っていたガゼボが見えるのだ。
庭園はとても広くいくつもの噴水と花壇があり、趣向の凝ったトピアリーが設置されていてとても見ごたえがある。
その端の一角、それも離宮から目の前の区画で遊ぶだけだ。それほどとがめられることもないはずである。
ルイーザも楽しみにしている様子だし、今更、ついさっきメーベルの話を聞いたからと言って予定を変えなくても大丈夫なはずだ。
しかしどうしても心がざわつく、フィオナは今選択を迫られている。
早く結論を出すべきだとどうしても考えてしまって気がはやるのだ。しかし今慌ててもいいことはないだろう。
ウィンドウベンチに腰かけてキラキラとした瞳で外を見つめるルイーザを見れば、その気持ちはすこしだけ和らいだ。
しかし、彼女はすこし表情を曇らせて、ふとフィオナに向かって言った。
「ねぇ、フィオナ様、あそこに誰かいる」
子供っぽい短い指先で窓の外を指さす。
嫌な予感が当たっていないことを願いつつ、フィオナはゆっくりとルイーザの元へと向かった。
「……どんな人ですか?」
「騎士様のように見えるよ」
騎士ならば少なくともメルヴィンではない、と考えつつもルイーザの隣に座って、庭園の方へと視線を向けた。
確かに四角く剪定された木の向こう側に騎士の後姿がある。
「まだ私たちが使うまでに時間がありますから、通りすがったのかもしれません」
「でもなんか、怖そうな人たち……」
そしてその騎士は何かをしているのか、誰かと話をしているのか、その場からしばらく動かない。
不安そうに言うルイーザの言葉にフィオナもすこし不安になる。しばらくすると騎士はふいに動き、入れ替わるように木の陰からメルヴィンが出てきた。そしてふとこちらに視線を向ける。
それに驚いてフィオナはすぐに身をかがめた。
「っ、」
「あれって、メルヴィン第二王子殿下? こっちを見てる。頭を下げた方がいいの?」
「き、気がついてないふりを、してください。ルイーザ、お願いします」
「う、うん?」
ルイーザは意味はわかっていなさそうだったが、それでもフィオナが急に声を固くして言ったので、適当に視線を逸らして部屋の中へと視線を戻す。
「……」
「あ、どこか行くみたい。フィオナ様はメルヴィン第二王子殿下が苦手なの?」
「……そんなところです」
フィオナは急に心臓の音がバクバクと鳴り響いて。腰に携えている剣に手を伸ばしてきつく握った。
メルヴィンは確かにそりが合わない婚約者で苦手だ。けれどもそれだけではない、ここに彼がいるという事それはもしかするとヴェロニカの意思ではないだろうか。
彼が勝手に暴走して王宮にいるフィオナを探してあわよくば出くわそうとしているのならまだましだ。
彼はフィオナに文句を言いたいだけだと思うし、彼がフィオナの事が好きだとか執着しているという事実はない。
ただ自分を辱めた女に腹が立っているだけなのだ。彼の感情は手に取るようにわかる。しかしそこにヴェロニカの思惑が乗っていると話がややこしい。
「ルイーザ、私、少し用事が出来たので行ってきます」
「……フィオナ様、大丈夫?」
「はい、平気です。ルイーザは私が戻るまでここで大人しくしていてください」
「うん」
彼女はすぐに異変を察知してわがままも言わずに静かに頷いた。そんなルイーザに申し訳なくなってフィオナは桃色のくるくるした髪をやさしく撫でつけて、出来る限りの笑みを浮かべた。
「すぐに戻ります」
それからロージーと一緒に部屋を出て、周辺に注意しながら庭園の方へと向かった。
庭園は高い生垣が並んでいて、上から見る分にはよく見えるが、その場に居ると遮蔽物が多く見晴らしは良くない。
だからこそ、庭園を迂回しつつ上から見た場所へとちかづくと彼らのそばまで行くことが出来た。
すると苛立ったようなメルヴィンの声が聞こえてきて、フィオナは数人が歩く音を聞きながらロージーとゆっくりと距離を詰めて聞き耳を立てた。
「だから子供でいい! とにかく子供でもフィオナでもおびき出す方法を考えろ!」
「ですが、いつのノア王子殿下がお戻りになるかわかりませんし……」
「俺よりあのごく潰しのが怖いってのか!?」
「いえ! 滅相もありません」
「そうだろ? どいつもこいつもふざけやがって、母上もなぜあんな馬鹿に拘るんだか意味が分からん」
イラついた様子でメルヴィンは大きな声で話していた。
この生垣の向こうにあの日からまったく変わっていない彼がいるのだと感じて妙に緊張してしまう。
地面を踏みしめて、剣の柄を握る。
「そもそも! あんな子供っぽいはねっかえりの面倒なんか押し付けられて腹が立っていたというのに、罰として婚約を破棄しただけで母上に俺が叱責される道理があるか?!」
「仰る通りです」
「その通りです、メルヴィン様」
……メルヴィン、変わらずあなたは私の事を一人の大人だとは認めてくれていないんですね。
久しぶりに会った元婚約者の言葉になんだかすこし胸が苦しい。
「ちょっと使える魔法を持ってるからって言っても、あんな使い勝手の悪い女をあてがわれた俺のプライドを母上は理解していないんだ! さらには連れ戻してこいだと?」
腹が立って収まりがつかないらしく、彼は大きな声で騎士たちに同意を求めながら歩いていく。
そんなことを言いつつもメルヴィンはマザコンなので、彼はフィオナをどんな手段を使っても取り戻そうとするだろう。
「うっとおしくて馬鹿で子供でくだらない奴なんだぞあいつ。ああでも、連れ戻したら、せっかんしてやらないとな、一発や二発じゃすまないほど殴って俺が受けた以上の屈辱を受けさせてやる」
「さ、流石です、メルヴィン様」
「男らしいです」
「それでこそやっと俺の心もスカッとするってもんだな」
もうこれ以上聞く必要はないのでフィオナは足を止めて、生垣の向こうにいるはずのメルヴィンを見つめた。
ヴェロニカはフィオナを取り戻そうとしている。安易に外に出ることは危険だろう。
フィオナ自身はまだいい、しかしルイーザに危険が及んではいけない。
冷静にそう考える自分と、メルヴィンに対する腹の奥が焦げ付くような怒りの感情が再燃して、彼を今すぐにどうにかしてやりたい気持ちになる。
デビュタントの時には、今から脱却することに必死で、現状を変えるために行動をとった。しかしフィオナは彼に長年人生を縛られ続け痛めつけられたことを忘れていない。
「……フィオナ様、離宮に戻りましょう。万が一見つかっては危険です」
ロージーが気遣うように優しく言って、それに頷いてフィオナは身を翻す。
メルヴィンに対する怒りと復讐心も心にきちんと存在していて、けれども、だからと言って良くない手段を使ってマーシアの派閥で彼らを追い詰めるために動きたいとは思えない。
しかし苦しい。
どうしてももやもやする。
久々に聞いたメルヴィンの声は自分自身に、自分が想定していないほど彼に傷つけられていたのだと自覚した。
正解はなんだろうか、考えるより先に涙が出てきてロージーにばれないようにぬぐったのだった。




