25 執務室にて
メーベルはノアの離宮から去った後に王宮の方へと戻り、マーシアの執務室へと向かった。
外交などの手ほどきを受けつつともに仕事をしている間柄なので、普段はメーベルがやってきたことについては特に反応しない事も多いのだが、珍しくマーシアはメーベルにすぐに視線を向けた。
「ご苦労だったな。メーベル。それで、どうだった? 彼女は」
使用人から資料を受け取りつつ、マーシアはメーベルに問いかけた。
メーベルのお付きの侍女達はメーベルの机の整理と飲み物の支度を始めて、騎士たちは執務室についている見張りの騎士と交代して休憩に入る。
忙しなく周りの人間が動くが、それもこの立場になってからもうずいぶんと慣れた。
「指示通り、契約を持ち掛けてすこしゆすりもかけてみましたが、戸惑っている……というより、困り果てているといった具合でした」
「ああ、そういう話ではない。私が興味あるのは結論だけだ。ただ今はメーベルがフィオナ・アシュトンと接触してどんな人間に感じたかそういう事を聞きたいだけだ」
そう言いながらマーシアはペンを手に取って、簡単に紙にメモを取る体勢を取った。
美しいアメシストの宝石が鋭く細められて、その興味がフィオナに向けられていることにメーベルは少しだけ嫉妬した。
……たしかに彼女はとても稀有ですけれど、わたくしの方がずっとお義母さまに取って有益なはずですのに。
尊敬するマーシアの興味を取られたことで、メーベルは少しフィオナに敵対心を感じたけれど、そんな私情を報告に挟むほどメーベルは子供ではない。
先ほど会ったばかりのうら若い令嬢の事を思いだして出来る限り正確に印象を伝える。
「そうですね……まず外見から幼いからかしら、着ているドレスも少女のようで少し子供っぽく感じました。メルヴィン第二王子と婚約をしていた時にはとても静かな大人しい子という印象だったけれど、あれはただ頭を抑え付けられていたゆえのことだったのではと感じました」
メーベルたちは長年その存在を認知していたが、メルヴィンたちがフィオナをどのように扱っていたのかということについてまでは知らなかった。
しかし今日会った彼女が本来の姿なのだとするならば、無理やり押さえつけられていたのだと想像できる。
「フィオナ自身はきちんと自分の主張を持っている普通の子です。ただ、長らく他人の指示に従っていたからかはわかりませんが、年齢よりも言動も行動も洗練されていない。思慮深さも感じません」
「そうか。……メーベルがそういうのならば間違いないのだろう」
「人を見る目には自信がある方ですから、もっと沢山仕事をくださっても良いのですよ」
「それはおいおいな。それにしてもその程度の普通の子供ならば、こちらの思惑通りに動かすことも容易だろう。むしろ好きにさせておく事の方が愚策か」
「そうですね、彼女の連れている子供の事を引き合いに出すことが一番効率よくフィオナを落とせそうでした」
メーベルはフィオナとのやり取りを思い出しながら、口にする。
メルヴィンの事や生活の事ノアの事色々なことを引き合いに出したが、彼女の連れているルイーザという少女の事を口にしたときの反応が一番よかったと思う。
「なるほど、何にせよ様子見だな。我々の提案に従うのか否か、時間もそうない、直に彼女から動きがあるだろう」
「はい」
「……それにしてもノアは何を考えているのやら」
そう言ってマーシアはすこし憂鬱そうに頬杖をついて遠い目をする。
……たしかにヴェロニカ派の令嬢をわざわざ婚約者にするだなんて、リスクが大きすぎます。
フィオナがどういう子だとしても、相談もなしにそんなことを決めてしまった時点で警戒されて当然なのに、囲ったくせにフィオナの為に出て来ることもない。
話を聞きたいことは山ほどあるのに、相変わらず行方知れずだ。
おのずとフィオナの方に圧力をかけるほかなくなっている。
手に負えない自由奔放さがマーシアの派閥に悪い影響を与えなければいいと思うが、それはただの願いに過ぎず、彼の行動を制止することは誰にもできない。
「ヴェロニカの有能な駒を引っ張ってきたくせに変わらず姿を見せない……ノアはフィオナ・アシュトンの魔法を知っているのか?」
「どうでしょうか。人の魔法に頓着しないように見えるので、もしかしたら知らない可能性もあります」
「……そうかもな、はぁ、頭が痛い」
マーシアは眉間に深く皺を刻んで、こめかみをトントンと叩く。ただでさえ仕事量の多い王妃という立場で、貴族女性を纏める派閥の旗頭であるのに自分の息子にひっかきまわされては堪らないだろう。
しかし、彼がマーシアの切り札だという事をメーベルは知っている。
そして、その彼が連れてきたフィオナもまたそうなる可能性を秘めている。
「しかしここまで拮抗していた状態が動くとなると、これは好機だ。うまくいけばヴェロニカを出し抜けるかもしれないな」
「……果たしてそれほどの魔法をフィオナが持っているでしょうか、とてもそんな大それた力を持っているようには感じませんでした」
「さあ、わからんぞ。育った環境によって自己認識というのは大きく変わる、ヴェロニカが彼女自身の力を認識させないようにしていたのならば普通らしいことにも説明がつく」
「黒魔法ということまでは調べがついていますけれど、大抵の黒魔法持ちは多少相手の気分を悪くさせる程度の魔法しか持っていません。いくらヴェロニカ様がメルヴィン第二王子の婚約者に選んだからといっても精々、些細な人の綻びを作る程度の力かと思いますが……」
あまりにフィオナに期待するマーシアに、メーベルはあまり期待して当てが外れても嫌だったので常識的な範疇の事を口にした。
白魔法も黒魔法も人間に直接関与することが出来るからこそ、与える力はさほど強くないのが一般的だ。
それにそんなものが誰でも使える世界だったら、きっとバランスが保てない。
だからこそ白黒の色付き魔法は小細工として使える程度のシロモノであってほしいと思う。
しかしそうではないのならば、使い手がどんな人物かそれはとても重要なことだ。
「それでも使い方によっては、人から権力を奪う事や事故を誘発することが出来る。彼女も自分の力がそういう使い方を出来ることを知っているだろう、私はそんな彼女の本音が知りたい」
考えつつもマーシアはそう口にした。
メーベルも同意見だ。そしてその力が規格外のシロモノであったならばその時は……。
予め話し合っていたことを思い浮かべて、すこしフィオナが可哀想になった。
あんなに普通の子であるのに、そんな風に思惑を向けられるような力を持ったというだけで、とても苦労しているし、これからもすることになるだろうと思う。
しかし人生に完璧な平穏などない。どれもこれも誰もかれも波乱万丈だ。
程度が違うだけで自分だけでは解決が難しい問題に直面することがある。
その時にする選択の基準を、メーベルは常により多くの人が出来る限りの幸せを享受できるようなものにするべきだという基準を持っている。
果たしてフィオナはどうだろうか。




