18 些細なお願い
フィオナが大人として具体的にどうなりたいのか。答えを出す必要がある。
しかしながら悩む前にやるべきことがある。それは体裁を整えることだ。
生活面での心配をする必要はなくなったが、王族に関係のないフィオナが若い男性王族の離宮に、突然やってきて住まわせてもらうというのは非常によろしくない事なのだ。
テリーサからの手紙に、フィオナは急いで返信を書いてノアとの婚約という体裁を整えるために動いてもらった。
色々と必要な儀式や根回しなどが足りていないが、書類上婚約者ということになるようにテリーサとやり取りをしながら契約を進めて、国王陛下の認証も受けることが出来た。
そしてさらに、ルイーザの貴族としての登録が死亡の偽装によって破棄されないように、カルデコット子爵家へと人身売買の件について脅しの手紙を送ったりとフィオナはあれこれ忙しく動き回っていた。
その間ルイーザは特に問題も起こすことは無く、静かに大人しく過ごしていた。
まだまだ遊びたい盛りの年頃のはずなのに、仕事が忙しいフィオナを気遣ってくれる。
ここがどこかの田舎貴族のお屋敷で、外に出れば自然の遊び場が広がっているなんて状況なら、好きに部屋を出て遊んでおいでといえるのだが、誰に会うかわからないこの場所では気軽にそういう事もできない。
……外にでてやんちゃをしたり、下町に降りてお買い物をしてみたりしたいと思うんです。
考えながらフィオナはチェス盤を見つめてムムムと悩んでいるルイーザを見つめた。
ベッドのシーツの上に直接チェス盤を置いているのでルイーザはうつむいていて束になった重たいまつげが伏せられている。
伏せられた瞳がふいに動いて、ちらりとフィオナの事を見上げた。
「フィオナ様? フィオナ様の番だよ」
「……こんな大人の遊びつまらないとは思わないですか」
考えて居たことをついふいに聞いてしまって、するとルイーザは予想外のフィオナの言葉に目を見開いて、それから少し悲しそうな顔をしながら問いかけた。
「フィオナ様はつまらないの?」
聞かれた言葉にフィオナはやってしまったと思いながら、駒を動かして、笑みを浮かべた。
とても静かに過ごしてくれているルイーザだがやはり不安や寂しさはあるらしく、こうして夕食が終わった後に、フィオナに一緒に何かをしてほしいとお願いしてくる。
それはとてもささやかなお願いが多い、おしゃべりがしたいとか、チェスがしたいとか、そういう些細なお願いごとだ。
時間も暇もない状況ではあるが、そんなものを断るような大人にフィオナはなりたくないし、チェスは別に楽しいのだ。
けれども、こんな些細な願いだけではなく、もっとたくさんのやりたいことをやらせてあげられるような大人になりたい。
フィオナは、持っている魔法が判明して以来、とても大切にされてきた。
病気にかからないように、お屋敷の外には基本的に出られないし、黒魔法を使うためだけの魔力なので魔法道具を使って他の魔法を使うこともさせてもらえない。
人に騙されないように関わってよい人以外とは極力話もしないように、する必要がないように、育てられてきた。
そのたびに反骨精神たっぷりにフィオナはあれをしたいこれをしたいと沢山望んだ。
そんな鬱屈とした少年期を過ごしていたので、子供とは自分のように山ほどのやりたいことと冒険心があふれ出ているはずで、ベッドで夜にチェスをするぐらいでは何も楽しくないと思う。
「……私は楽しいです。ただ、ルイーザが楽しくはないんじゃないかと思ったんです」
「どうして?」
「外に出て庭園を駆けまわったり、屋敷中の窓ガラスからどんな景色が見えるのか探検に出たいと、女の子でも男の子でもルイーザぐらいの歳の子は皆思ってるでしょう? だからこんな、大人の遊び退屈だろうと思うんです」
「……」
それをさせてあげられるようになりたいとフィオナは思っているし、子供とはそういう物であると思っていた。
しかしルイーザは、その通りだとは言わずに駒を動かして、から考えるように頬に手を添えて、フィオナを見上げてそれからくすりと笑う。
天使のような可愛いほほえみだった。
「ふふっ、フィオナ様、そんなことしたいなんて考えるのはよっぽどやんちゃな子だけだよ」
「そうなんですか?」
「うんっ、だって私、こうしておしゃべりしながらチェスするの好きだもの」
ルイーザはベッドの淵で足をぶらぶらと揺らして、えへへと笑った。
どうやら気を使っているようには見えないが、フィオナにとってはにわかには信じられない事実であり、もしかしてフィオナ自身が少々やんちゃでお子様な思考の持ち主なのかと一瞬考えた。
「次、フィオナ様の番だよ!」
「あ、はい。……ってあれ、随分劣勢です」
「そうだよ、考え事なんてしているから!」
「そうですね、真面目に取り組まなくては」
少し頬を膨らませて言う彼女にフィオナは考え事をやめて真剣にチェス盤をにらんだ。
ゲームをすることは好きだけれど、正直なところフィオナは強くない。
幼い柔軟な時期に、言葉遣いから洋服、髪の長さまですべてを強制され思考を奪われていたので当然ゲームなんてものもフィオナの世界には長らく存在していなかった。
ただ日々の多くの事を強制されて生きることへのストレスと戦いながら過ごしていたので常にピリピリしていた気がする。
しかしそんな記憶も遠い彼方の事だ。
大人になろうと決めて以来フィオナの人生は急速に変わっている。今までの停滞を取り戻すように、新しい状況のオンパレードだ。
少なくとも、年の離れた子供とこうして夜にチェスをして遊ぶような事態は決断をするときには想定していなかった。
これからきっとさらに事態は転換する。それでもこうして遊べる余力ぐらいは残しておきたいなとぽつりと思ったのだった。
 




