10 助言
いろいろな想定と違う事態にフィオナはやっぱりその日も一日中悩んだ、一日がそれだけで終わってしまうほど、テリーサの事や、話に合ったルイーザの事も悩みまくってしまった。
たしかにテリーサは昔からまっすぐな子だった、勉強にも熱心で両親もそんな彼女を判断が遅く変な魔法を持って生まれたフィオナよりも可愛がって育てていた。
良い意味で愛されて育った子なのだ。そんな子が、生まれた時からやっている両親の仕事を悪い事だと疑う機会など無かったのではないだろうか。
そしてさらにいえば、彼女はまっすぐなだけあって、愛とか恋とか……つまりは男性の肉欲を知るようなことは無かったように思う。今でもアシュトン伯爵家の血を守るために真面目に跡取り令嬢として配偶者を探している。
そんな子にわかれという方が酷だろう。
ルイーザも明日には連れていかれてしまう。酷い男の人の餌食になってしまう。
そうなったらフィオナのように可愛いドレスを夢に見ることもできない。選択肢は狭まって、自分で責任を負って自分の為に生きる楽しい大人になれないのだ。
そんなのってないだろう。フィオナがされて嫌だったことをされる子をまだ何とかできるかもしれないのに放置するのか。
そんな考えが浮かんで、フィオナは眠らなければならない時間になっても、眠れそうになくてホットミルクを飲んでいた。
するとノックの音が聞こえてきて、ダグラスだろうと思い適当に「どうぞ」と口にした。
扉がゆっくりと開いて、そこにいたのはノアだった。
「…………こんばんは。ノア」
思いもよらぬ人物にフィオナは一瞬、固まったがとりあえず挨拶をした。
すると、彼もなんだか自分から来たくせに驚いている様子で、変な顔をしていた。
「相手の確認ぐらいはしなよ。変な聖職者がいないとも限らないんだから、あと、鍵閉めな」
「はい、たしかに……そうですね」
指摘されて、素直に頷いた。鍵を閉める習慣などない、侍女がやってくれていたし、屋敷には変な男など出なかった。
けれどもここは、安全なお屋敷ではない。フィオナも女性としての意識は持っているけれど、危機感はまだまだ箱入りお嬢様なのだ。
……ノアでよかったです。……?……良かったんでしょうか?
彼の言葉に安心したのはいいけれど、彼だって一応は男の人だろう。
良かったと安心してしまうのはフィオナに危機感が足りないからか将又、フィオナがそれほど彼に気を許しているからなのか自分でもわからない。
「……っていうか、また陰気な顔して、実家の方で何かあった?」
問いかけつつも部屋の中へと入ってきて、適当にフィオナの隣に腰かけた。
つまりはベッドの淵に座った。
それにフィオナはすぐに、何かあってもおかしくないと理解したけれど、じっと見つめてみてもノアの瞳は、キラキラした紫色の宝石らしく輝いているだけでその真意を読み取ることが出来ない。
珍しい色味なので綺麗だなという気持ちが先行してしまい、困ったなと思ったのだった。
「いろいろ、ありました……私、昨日もデビュタント日みたいに簡単に卒業するつもりだったんです」
「……また、わかりにくい話の切り出し方だね」
「でも、想定外の事が多すぎて、目的を達成できません。きちんと向き合える状況になったのに理解が追い付かないんです」
「……」
「大人になるって、選択をするって、たくさんの物事が絡んでいて、それら全部を加味することはとても難しいんですね」
一から十まですべて話をするにしても、ノアには”仕事”の事は許されない事をしているとしか言ってはいない、それにやはり直接的に彼とその話をすることは憚られて、そこを抜きにして話をしても理解は難しいだろうと思う。
フィオナの言葉に、ノアは案の定、困った顔をした。それから当たり前のように言った。
「抽象的すぎて相談になってない。もっとわかりやすく話したら?」
「……」
「あ、急だね」
ノアの言葉に応えようとしたが、フィオナは言葉に詰まって、それからぽたぽた涙が出てきた。
手に持っていたミルクを口に含んでごまかしたけれど、感想のようにノアにそういわれて、ぐっと顔をしかめて涙をこらえる。
「……」
「……」
この涙がなんで出ているのかフィオナにもよくわからない、ただ、何かが明確な理由というよりは、ただ単に感情のキャパシティーを超えただけな気がする。
言葉通りにいろいろあったのだ。あの日、ノアの言葉を聞いてから心がとても忙しい、元から涙もろい方なので、むしろここまでよく持った方ではないだろうか。
涙が流れ落ちてフィオナは小さく鼻を啜った。
深く息をして、ぐっとコップを握る。
そんなフィオナを見ていてもノアは何も言わなかったし、何もしない。その態度にやっぱりここに居てくれたのが彼で助かったとふと思った。
「……っ、すみません。な、っ、泣き虫も卒業したいです」
「そうなんだ? 慰めた方がいい?」
「いえ、お、大人なので平気です」
「あはは、なにそれ。やっぱり変なこと言うね、君」
「お、大人なので」
「っ、くくっ」
涙をこらえながら受け答えをしていると、彼は泣いているフィオナを見ながら面白そうに笑っていて、やっぱり不思議な人だと思う。
気まずいとか、弱っているところを利用してやろうとかそういう気持ちがまったくないらしく、飄々として気ままだ。動じないその姿勢はとてもフィオナから見れば大人っぽい気がする。
こういう人間にフィオナもなりたいものである。
「……っ……ふう……」
「……あのさ、詳しい事は話したくない見たいだから、あの日みたいに的外れなこと言うと思うけど、とりあえず、いいんじゃない?」
……いいんじゃない……とは、何がいいんでしょうか?
フィオナが気持ちを落ち着けているとノアは、ぽつりと独り言のように言った。その言葉はなんだか優しい響きをしていた。
「フィオナはこの間大人になったばっかりで、いわば初心者でしょ。だったらうまく出来なくてもいいんじゃない」
「……」
「君はがんばってるよ。私が保証してあげる」
告げられた短い言葉がじんと心に刺さって、嬉しい。嬉しくてまた涙が出てきそうだった。
「だからそんなに悩んで、全部うまくやろうとしないで、やりたいようにやったら? おおむね君は善良だし間違えないでしょ?」
……やりたいように、やってもいいんでしょうか。ああでも……そうですね、あなたが言うなら多分間違いはない。
フィオナもノアが間違っているとは思わない、そんな彼がそう言ってくれるのだから、きっと間違いはないのかもしれない。
なにより、悩んでも悩んでもでなかった答えは、きっとそれだ。うまくいかなくとも誰かを傷つけることになっても後先を考えられていなくても、フィオナはやりたいことが出来た。
「それに、大人だって泣いてもいい、君は大人に夢見すぎ」
「……はい、そうかもしれません」
「でしょ。気張りすぎ、息抜きしなよ」
「はい、ノア」
甘く溶かすような優しい言葉ではない、けれども忌憚のないノアの言葉はフィオナの心に一番よく届く。
……ああ、もしかすると、ノアの事が好きかもしれません。
彼との結婚を考えるうえであまり視野に入れていなかった事項が急に浮上してきて、また悩み事が増えそうだった。
しかしそれでも芽生えた気持ちはうれしくて、しばらく時間も考えずに話をした。
それから眠たくなって彼は適当に帰っていった。それに今日はよく眠れそうだと考えたが、そういえば彼は、こんな時間に結局何をしに来たのだろうという謎だけが残ったのだった。
 




