発明馬鹿の幼なじみに意識してほしくてがんばる女の子の話
「ごめんね、エミリー……」
「もう怒ってないわよ。わざとじゃないんだし」
涙を浮かべた青い瞳が申し訳なさそうにわたしを見上げてくる。
わしゃわしゃと前髪をなでると、怒っていないとわかったのかリュカが笑った。前歯のない口がおかしくて、わたしもつられて笑った。わたしの前歯もないのだけれど。
「今日は失敗しちゃったけど、リュカはいつかみんなの役に立つものを作るとおもうわ」
「そうしたらエミリーもよろこんでくれる?」
「もちろん! だってリュカの発明はすごいもん!」
「ありがとうっ、ぼくがんばるよ!」
リュカは笑ってるほうがいい。
ヘンテコな発明をしているほうが、しょんぼりしてるよりずっといい。
リュカが笑っているとわたしも楽しくなるから。
++++++++++
わたしとリュカは生まれた時からの幼なじみだ。
彼は黒髪と青い瞳の、少し風変わりな男の子。
八百屋の息子ながら道具の仕組みに興味を持ち、様々なアイディアを形にするある意味賢い子だった。
六歳のとき、リュカは飴をはね上げ口に放りこむ装置を開発した。
高速発射の飴が彼の前歯を折るの見て尻込みするわたしを装置に座らせ、「改良型だから絶対大丈夫!」と太鼓判を押されわたしの前歯は宙を舞った。
あれが乳歯じゃなかったら、彼の母親にかわって唯一役に立った発明品の自動尻叩き機に座らせていたところだ。
ちなみに尻叩き機が役に立ったのは、彼へのおしおきと改良型で肩叩き機が作られたからだ。
それまで自己流で装置を開発していたリュカが魔術に興味を示したのは、たまたま街に立ち寄った魔術師を見てからだ。
魔術によって人形が手を触れずに踊る。
食い入るように見つめるリュカの姿に嫌な予感に襲われた。
魔術師が去るとリュカは目を輝かせて、「僕は魔術師になる!」と言い出した。
重病人を瞬時に治す秘薬を作るとか、人を豚に変える呪いをかけるとか、眉唾の噂がつきない魔術師に世間が抱く印象は、ぶっちゃけ胡散臭い、だった。
茨の道を歩き出したリュカは周囲の反対にも耳を貸さず、十三歳で《魔法都市》ゼイムへと旅立った。
ひそかに門前払いを期待していたけれど、心意気か才能を買われたのか、彼は無事魔術師に弟子入りをはたしたらしい。
筆不精のリュカがたまに送って来る手紙で近況を知る日々。
わたしはただ帰りを待つしかなかった。
居なくなってから四年。
前触れなくリュカが帰ってきた。
勤め先の花屋で水替えをしていると、「ただいま、エミリー」と聞き慣れない、でも覚えのある話し方の男性に声をかけられた。
「僕だよ、リュカだよ。さっきゼイムから戻ったんだ」
「リュカ……?」
久しぶりに見た幼なじみはひどい格好だった。
黒いローブに目深に下ろしたフード。ボサボサに絡まった長髪。旅の汚れか少し臭う不審者に、再会の涙は引っ込んだ。
「おかえりなさい、リュカ。あの……言い難いけど、少し臭いわよ」
「あっ、ごめん! 早く帰りたくて馬車を乗り継いだから、宿屋に泊まらなかったんだ。しばらくお風呂に入ってないから……」
あわてた様子で手でローブを払う。盛大にホコリが舞ってるから逆効果だ。
「とりあえず、話はお風呂の後で聞かせて」
店長に早退の許可を貰いリュカの実家へ向かうと、おじさんとおばさんも帰郷を知ってびっくりしていた。彼は誰よりも先にわたしに挨拶に来てくれたらしい。
おばさんは「小汚い身内がいると店の売り上げが落ちる」と言って、剃刀を持たせリュカを風呂場へ追いやった。
「エミリーちゃん、悪いけどあの子のことお願いできる? ちょうど店が忙しい時間帯なのよ」
「ええ、任せてください。きっちり耳の後ろも洗うように言っておきますから」
通されたリビングで待っていると、見違える姿の青年が出てきた。
元々リュカの顔立ちは整っていたけれど、十七歳になって可愛さよりも格好良さが勝っている。
女の子に見違える要素だった身長も、今やわたしの方が見下ろされる側だ。
短く切った黒髪が切れ長の目やシャープな顎のラインを露わにし、筋の浮いた首筋や目立つ喉仏が男の人っぽくてドキッとする。
澄んだ青い瞳が瞬いて「これでどうかな?」と顔を覗きこんできた。
見とれていたわたしは言葉につまり、「……シャツは替えた方がいいわね」と答えた。
リュカがおじさんから借りた真っ赤な薔薇のシャツは……絶望的に似合っていなかった。ローブの方がまだそれっぽい雰囲気が出ている。
「ゼイムはどうだったの? 魔術は使えるようになったの?」
「それが……僕の魔力量は少ないらしくて、思ったほどに習得できなかったんだ。あきらめきれずに修行をつんだけど、生来の魔力量は努力では補えなくて」
「そうだったの……それは残念ね」
「魔術師になることは諦めて帰ろうかと思ったんだけど、兄弟子が励ましてくれて。師匠も“お前には人にない才能がある、類いまれなる発想と魔術を組み合わせれば最強の何かを創り出せるやもしれん”、なんて言ってくれてね」
「なんて(馬鹿な)こと言ってくれてんの? さすがあなたの師匠と兄弟子ね」
「そうなんだよ。“新しい道を切り開くお前を導くことは誰にもできん。一度故郷に戻って研究に専念してはどうか”、と師匠に独り立ちをすすめられたんだよ。だからこの街で店を出そうと思ってるんだ」
「それ、聞こえはいいけど厄介払いじゃない? 弟子を公言していいか聞いた? ちゃんと三回聞いた?」
「”機械と魔術を組み合わせるのは新しい分野だからお前が祖となるのだ“、とは言われたけど?」
「……あっそう」
こうして魔術をかじった幼なじみは、手のつけられない発明馬鹿になって帰ってきた。
あれから一年。
意外なことにリュカの店は繁盛している。
ゼイムの修行で得るものがあったらしく、彼は自作の自動肩叩き機を改良し、肩もみ機能もつけて売り出した。
期間限定で街の公衆浴場に置いたら「手もみ感が半端ない!」とまたたく間に人気をはくし、噂を聞きつけた領主からも注文が舞い込む始末。数台売ると充分な資金ができたらしく、リュカは新たな装置の発明に没頭するようになった。
お金儲けより趣味に走るのがなんとも彼らしい。
肩叩き機はリュカの魔術を潤滑油に作動する。定期的な調整が必要になるため、彼には継続して収入が入る。お金に困ったときだけ肩叩き機を売るため品薄になり、価値と価格はうなぎのぼり。
この販売手法がゼイム仕込みなら、リュカは相当やり手だ。
噂を聞きつけ類似品が出回ったりもしたらしいが、リュカの評判はゆるがなかった。
熱狂的に支持される理由は、叩く強さともみ心地のほかに、魔術で“おもいやり”が加えられているからなんだって。
……魔術ってデタラメだ。ほんっとに胡散臭い。
+++++++++++++++
花を梱包して配達の準備をしていると、水やりのじょうろを手にした店長が店の奥へ駆け込んできた。
満面の笑みでわたしを手招きする。
「エミリー! そんなのはいいから表へ来てごらんなさい! また愛しの発明家くんが来てるわよっ」
「やめてください店長。リュカとはそんな関係じゃありません」
「またまた~! ただの幼なじみって言ってるけど、彼が来るの何回目? 背は高いし顔は良いし、あなたとお似合いじゃない~」
ひやかしの視線を背中でさえぎって店先に出ると、バケツの花に囲まれリュカが所在無げに立っていた。
「リュカ、今日はどうしたの? うちの花を買いに来てくれたの?」
「仕事の邪魔をしてごめん、きみに聞きたいことがあるんだ。きみは音楽と香りならどっちが好きかなと思って」
「音楽と香り……?」
質問の意図が読めない。
後ろで聞き耳を立てていたらしい店長が、「週末に広場で音楽会があるらしいわ。私も行ってみたいものよね。最近はお洒落な瓶の香水も流行ってるらしいしねぇ」と大きな独り言を言っている。
「わたしは音楽よりも香りの方が好きよ。とくにお花はいい香りだわ」
「香りだね。ありがとう、エミリー」
満足そうにうなずきながらリュカは花の一本も買うことなく去って行った。
唖然とした顔の店長に肩をすくめてみせる。
ほら、言った通りでしょう。
デートのお誘い? プレゼントの探り? 色めいた前フリであるはずがない。
期待するだけ悲しくなる。この一年、成長したわたしたちの関係は変わることがなかった。
リュカは筋金入りの発明馬鹿だ。
彼が開店した当初、若い女性たちが外見目当てに押しかけた。しかし一週間もすると潮が引くように居なくなった。「やっぱり男は中身が大事よね~」とのこと。
少し話したらわかるらしい、リュカの性格。
そんな表面しか見ない女性たちにはわかってほしくない、リュカの性格。
今日も聞こえる爆発音。
あー……なんで今日は仕事休みなんだろう。
田舎のご近所さんってこういうとき厄介だ。トラブルが起これば何かと駆けつけないといけない。
自動肩叩き機の売り上げが真っ先につぎ込まれたのは、リュカ専用の発明小屋だった。
リュカは実家を出て少し離れた空き地に家を建てた。相次ぐ爆発と異臭騒ぎによって、早々に追い出されたともいう。
といっても我が家とも近所なので、爆発音とか噴き出す白煙黒煙がわたしの部屋からよく見える。
おじさんとおばさんはもう息子の様子を見に行く気もないらしく、お客さんと喋っている。ご近所さんも慣れたもので誰も騒がない。
うちの母親だけが「エミリー、様子を見てきてあげたら?」と刺しかけの刺繍から目も上げずに言った。
小さいころからいつもこうだ。
近所に年の近い子どもがわたしたちふたりだけだったから、姉弟みたいに扱われる。
尻ぬぐいには慣れているけれど……わたしはリュカの姉じゃない。
リュカの家に着くと窓は割れていなかった。よし。
斜めにずれた扉をガタガタゆすると鍵はかかっておらず、開けるとぶわっと煙が出迎えた。
「リュカ、いるんでしょう? 今度は何をやったの? 怒るから出てきなさい!」
鼻をつまんで中に入ると室内は白くかすんでいて視界が悪い。
床にはガラクタにまじり、陶器の破片が散らばっている。
踏まないよう気をつけて部屋を横切り、窓を開けた。
新鮮な風に煙は薄らいだが、部屋には誰もいなかった。
床には黒いローブが脱ぎ捨てられている。
彼は服をおいてどこに行ったのだろう?
「リュカ……?」
さすがに返事もないと心配になってくる。
あたりに視線を走らせるも倒れている姿もなく、いったん小屋の外に出た。
爆発音がしただけで彼は外にいたのかもしれない。
「リュカ? どこにいるの!?」
太陽に目を細め、周囲を見渡しても人影はない。
もう一度小屋に戻ろうとしたとき、足元に落ちたわたしの影が不自然に蠢いた。
影の輪郭が波打つように揺れ、にゅうっともうひとつの人型を作り出す。
短い髪をした長身のシルエット。
顔の口に当たる部分に三日月の切れこみが入ったその影が、親しげに片手を上げて喋った。
「やあ、エミリー。研究に失敗しちゃったよ」
「……いやあぁぁぁぁぁっ!!!」
驚きと気持ち悪さのあまり、わたしは叫び声を上げて影の顔らしき部分を踏みつけていた。
聞こえた声と同時にパクパク動いていた三日月の切れこみを踏みにじると、靴に伝わる感触は硬い地面だったけれど、怪物にはダメージがあったようだ。
うえぇっと呻いて、影は逃れるように右側に伸びて避けた。
「ひどいよ……泥の味がする」
「…………その声、リュカなの?」
ぺっぺっと何かを吐き出すそぶりをした影は、聞き覚えのある声で「そう、僕だよ」と答えた。
ふたたび叫びださなかった自分を褒めてあげたい。
「――あなたの説明がいまいちよくわからないんだけど、つまり分不相応に強力な魔術の道具だったけど、お金にあかせて買って、やっぱり扱いきれずに道具が爆発しちゃったってこと?」
「ほぼ合ってはいるけれど……その言い方なんだか悪意がない?」
「あら、心配して様子を見に来てあげたわたしを死ぬほど驚かせて、迷惑かけてるあなたはどうなの? わたしに悪意でもあるわけ?」
「まさか!! 僕はエミリーのことが大好きだよ」
はぁ……リュカはこういうところが変に素直なのだ。
十八歳にもなって、臆面もなく異性に好きだと言えるなんて。
普通は照れや恥ずかしさで口に出せない言葉。
軽く言えてしまう「好き」は子ども時代の延長だ。
わたしたちはただの幼なじみだと、リュカの変わらない態度がいっている。
「……で、どうやったら元の姿に戻れるの?」
「さっきの爆発で道具が壊れたからね。強い魔術といっても要の器がなければ魔力は消滅する。時間が経てば自然と元に戻れるはずだよ」
「それって長いの? あなたの姿が見えなかったら……いえ、この姿を見てもだけど、おじさんたちが心配するわよ」
「研究に夢中になると、二、三日は小屋にこもることもあるし、少しぐらいなら誤魔化せるよ。たぶんそれぐらいで僕も元の姿に戻れると思うんだけど。あぁ……滅多に手に入れられない貴重な道具だったんだけどなぁ……」
顔は見えないがガッカリと肩を落とした影の幅が細くなる。
自分の今の姿より、壊れた道具を惜しむリュカにあきれはてる。
「一体何をしようと思って買った道具だったの?」
「壊れたのは呪いの壺だよ。所有しているとだんだん精神がおかしくなって、壺を片時も離さなくなり、ついには壺に入ろうとして、頭からかぶって窒息死するんだけど」
「やだっ、そんな気持ち悪い壺買わないでよね!!」
「精神に作用するってところに興味があって、壺自体が魔力を発して持ち主を操ってるんだと思うんだけど、思念か音か光か臭いか、人間の五感を刺激する何かを使ってると思うんだよ。これを応用して肩叩き機をより良く改良できないかなって……」
「どう応用する気よ? お客さんが無意識にあなたの肩叩き機に座りたくなるって?」
「そこはさすがに自由意志じゃないとまずいと思う。座った後に装置を頭にかぶるんだよ。想像してみて? 中で心地よい音楽が流れたり、良い香りで気持ちを落ち着かせたりしたら、ますますリラックス効果が高まるんじゃないかな」
「リュカこそ想像してごらんなさいっ、頭に壺かぶった人たちが肩叩き機に並んでる姿を! 悪夢よ! 公衆浴場は幼い子どもだって利用するんだから、壺かぶる前に少しは考えなさい!!」
「え、なんで僕がかぶったの知ってるんだい?」
「本当にかぶってるんじゃないわよっ、死にたいの!?」
花屋の二択はここにつながっていたらしい。
音楽は知らないけど、良い香りならお香でも焚けば代用できる。
現状に満足しない素晴らしい向上心だが、何もかもを装置に結びつけて発明しようとするリュカの思考回路は常人の域を外れている。
要するにただの発明馬鹿だ。
「わかったわよ、おばさんにはわたしから上手く言っておいてあげる。それであなたはどうするの? その姿、食事とか必要なら用意するけど……」
「ありがとう、やっぱりエミリーはやさしいね」
影は口らしき三日月の端をニッと釣り上げた。
いや笑われても。不気味としか思えないんだけど。
「詳しくは僕もわからないんだけど、身体が影に変化してから喉の渇きや空腹は感じないから、この姿の間は食事はいらないんだと思う」
「それならいいわ。ここにいてもわたしにできることはないみたいだし、一度帰るわね。また様子を見に来てあげるから」
「エミリー……それなんだけど……、僕を踏んだだろう? あれでエミリーの足と僕の影が接着しちゃって……」
言いづらそうにもじもじ輪郭を揺らし、「僕たち離れられなくなったみたいだ」と影が呟いた。
「おかえりなさいエミリー。リュカ君は大丈夫だったの?」
「いつもの爆発だったわ。心配しているのは母さんくらいよ。おじさんもおばさんも、普通にお店に出て接客してたし」
「あら、心配しているのはあなたじゃないの。そわそわして、何回も窓の外を見ていたわよ。自分で気づいてないのかしら?」
「ちがっ、……わたし夕食まで部屋で休むからっ」
耳が熱い。
クスクス笑う母をおいて階段を駆け上がる。何回ジャンプしてもダッシュしても引き離せなかったリュカは、しっかりわたしの影に擬態してついて来ていた。
部屋のベッドに腰かけると、わたしの影がゆらりと揺れて、短髪の見知った形を床に描く。
「……エミリー、いつも僕の様子を見に来てくれてありがとう」
「母さんに言われるからよ。生まれたときから家同士で交流があるでしょう? だから母さんはリュカのことも自分の息子みたいな感覚でいるのよね」
腕を組んで解説してあげると影もうなづく。
「本当におばさんはやさしいね。だからエミリーもやさしいんだね」
「そうよ……わたしはやさしい女よ」
やさしさだけじゃない。
たんなる幼なじみを、誰が貴重な休日をついやして世話しに行くものか。
額面通りに受け取らないで、裏の裏を読んでほしい。
影はキョロキョロと周囲を見回し、「部屋に入れてもらうのは久しぶりだ。……模様替えをしたの? 素敵になったね。あ、僕があげたウサギはまだかざってくれてるんだ」と嬉しそうに言った。
リュカの言うウサギのぬいぐるみは、ゼイムへ発つ前に彼がプレゼントしてくれたものだ。
わたしは生まれたときから一緒の彼が遠く離れることが理解できなくて、いつか帰ってくるという約束も信じられなくて、「もし行くのならリュカなんか知らない!」と一方的に絶交を告げた。
ひとり旅立つリュカに、おいて行かれた気がしてショックだった。
わたしが彼を必要としているように、彼もわたしを必要としていると思っていた。
彼の発明に怒ったり笑ったりしながら、ずっと一緒にいるものだと思っていたのに。
見送りの時間が来てもベッドから出ないわたしを母が引きずり出した。
泣き腫らした目でふてくされるわたしに、リュカはウサギのぬいぐるみを差し出した。
つぶらな黒い瞳をしたウサギは真っ白でふわふわの毛並みをしていた。思わず抱きしめたくなるウサギは彼が縫ったのだという。
手先の器用さは知っていたけれど、実用お笑い路線をゆくリュカにしてはめずらしい品。
「これ、エミリーにあげる。魔法って不思議なんだよ。魔術師になって僕の作った装置に魔術を取り入れられたら、もっとエミリーが喜ぶものを作れると思う。今はまだ、これだけしかプレゼントできないけど……」
「……わたしが喜ぶものって、ウサギだと思ったの? でも……ありがとう……」
「前にウサギを見かけたとき、かわいいって言ってたから」
手渡されたぬいぐるみは――ずしりと不自然に重い。
わたしの腕におさまったウサギの口元を指差し、リュカは発明家が自信作を披露するときのように、少し得意げに言った。
「前歯が鋭いから気をつけてね。カバーを外して尻尾を回すと人参の皮がむけるんだよ」
誰も可愛いぬいぐるみにそんな機能を求めていない。
もちろん前歯のカバーを外したこともない。
思い出のぬいぐるみをもらったのは五年前だ。
十八歳になったわたしの部屋は、以前リュカが遊びに来たことのある部屋じゃない。
そもそも異性を部屋に入れるのは想定外で、なにひとつ片づけてない。
物珍しげなリュカをとがめる前にしなければいけないことがある。
「……ねえ、リュカは影の形を自由に変えられるんでしょう? わたしから離れられなくても、あなたの足をうんと細く長く伸ばしたらどう? 窓からあなたの家に帰れるんじゃない?」
「僕も何度かきみから離れられるかためしたけど、一定の距離以上は無理みたいだ」
「一定の距離ってどのくらい?」
「ここからなら、部屋の扉くらいかな」
「じゃあ扉の外でしばらく待ってて」
大人しくぬぅっと伸びて扉の外に消えた影を見送り、わたしは散らかった部屋を超速で片づけた。
自室といえど日記の開きっぱなしはよくない。
下着も畳んだらすみやかに引き出しにしまわないと。
夕食を終えて、浴室の扉の外でリュカを待たせて入浴もすませた。
今日は日記やめておき、わたしは部屋でリュカとひそひそ話を楽しんでいた。
二人でゆっくり話すのは彼が街に戻ってきてからはじめてだ。
離れていた四年の歳月が、リュカの魔法都市での生活を聞いて少し埋まった気がする。
「それで、あなたと一緒に修行していたエルネスト君は故郷に帰ったの?」
「うん。彼も幼なじみの女の子がいるらしいよ。帰るのは五年ぶりだって言ってたから、僕より長いよね。忘れられてないか心配していたよ。今頃どうしてるかなぁ」
「きっと大丈夫よ。四年でも五年でも、幼なじみだったら忘れるはずないわ」
「そうだね。エミリーも僕のことを覚えていてくれた」
「リュカだってわたしのこと、忘れてなかったでしょう?」
ランプの明かりに立ち上がった影が足元に片膝をついた。
黒い指が絨毯の上のわたしの足に伸ばされ、本当に触れはしないけれど、爪先に重なる。
「毎日毎日、きみに会いたいと思っていたよ」
顔も見られない四年は長かった。
ウサギのぬいぐるみは何度「ばか」と「あいたい」を聞かされたことだろう。
リュカも同じ気持ちだったと知って、ならばなぜ離れたのかと嫌味のひとつも言いたくなる。
「得意の発明で空を飛ぶ装置を作って帰ってきたらよかったのに」
「うん、それは一度作ったんだけどね……崖から試験飛行したら着陸に失敗して骨折しちゃって。死んだらきみに会えなくなると思って開発を見送ったんだ」
――死ぬほどの発明馬鹿じゃなくて良かった。
彼が死んだらあきれることもできない。
あっけらかんと語るリュカに頭痛をこらえていると、部屋の外から母の声がした。
「エミリー? 今日はいつもより目が冴えているようね。明日の仕事に響かない?」
影はすぐさまわたしの形を真似て足元に潜む。
わたしの部屋は両親の寝室から離れている。母はリュカとの話し声が聞こえたわけではなく、ランプの明かりに様子を見に来たのだろう。
「明日も休みよ、ありがとう母さん。もう休むわ」
「おやすみなさい、良い夢を」
「おやすみなさい」
気配が遠ざかって、わたしも足元の影におやすみを告げる。
リュカと話すのが楽しくてつい時間を忘れてしまったが、いつもなら寝ている時間だ。
今夜は新月で、ランプを消すとカーテンを閉めた部屋の中は真っ暗になった。
鼻をつままれてもわからない闇の中で、わたしはベッドにもぐりこもうとして――悲鳴をあげかけた。
わたしの身体にあたたかい何かが触れていて、ソレがわたしの大きく開けた口を塞いだのだ。
「んんっ!! んん――っ!!
「しぃっ、大声を出さないで。エミリー、僕だよ」
リュカの声だ。
必死で口を覆うものを引き剥がそうとしていたわたしは、抵抗をやめた。
それがわかったのかリュカは手を離した。
手……? 平面の影は触れなかったと思うけど……。
「リュカなの? あなた、身体があるの?」
「そうなんだ。影の僕と君が接着したとき、太陽の光があっただろう? 陽が落ちてもランプの光があって、ずっと影ができていたから気づかなかったんだけど……影も見えない暗闇になったら、人間に戻るみたいだ」
壺の魔力は光に左右されるのだろうか。
いきなりで驚いたけれど、彼の言うように二、三日で元に戻れるのか心配だったから、これはこれで良かったのかもしれない。
気を取り直して「おめでとう、リュカ」と言うと、困惑した声が返ってきた。
「それが……身体の感覚はあるんだけど、きみから離れようとしても離れられない」
「扉までの一定の距離は? 影を伸ばしたようにはできないの?」
「それよりも近く、たぶんきみの手が届く範囲よりも遠くへは行けない」
それから二人で立ち上がって、お互い反対方向に歩いてみようとした。
――リュカの言う通りだ。
どんなに踏ん張っても見えない力が後ろへ引き戻すように働いて、ある一定の距離から離れられない。
「ごめんエミリー……こんなことになるなんて、どうしたらいいのか……」
「離れられないんじゃ、一緒にいるしかないわ。二、三日経たないと魔力が消えないって言ったのはリュカでしょう? 時間以外の解決策ってあるの?」
わたしはベッドに腰を下ろし、力尽きて床に座り込んだらしいリュカの頭を撫でた。
短い髪に指を通す。サラリと指をすり抜ける髪は子どもの頃と違って硬く、流れた月日を実感させる。
それでも……なぐさめるのはやっぱりわたしの役目だわ。
懐かしさと独占欲に浸る余裕はリュカの台詞で打ち砕かれた。
「いずれ元には戻れると思うんだけど。……エミリー、僕はその……いま裸なんだよ」
思い出しました。
たしかに、小屋の床にローブが脱ぎ捨ててありました、ね……。
わたしは暗闇の中、衣装棚を必死であさることになる。
~~いや無理でしょ!?
リュカとわたしじゃ身長が違いすぎるし!
父さんに「リュカに着せたいので服を借してくれない?」って言ったら家族会議ものよ!?
ブラウスもスカートも論外。枕カバーも丈が足りずに不可。
絨毯はいくらなんでもかわいそうだし、結局彼に巻き付けるものはシーツくらいしかなかった。
「ありがとう。エミリーのおかげで、なんとかその、人間らしくなれたよ」
「どういたしまして。素っ裸は寒いもの」
人心地ついたらしいリュカが床に座り込もうとするのを止める。
「……待って。もう影じゃないんだし、床に寝てると身体が痛くなるわよ。わたしのベッドはけっこう広いから、一緒に寝たらいいわ」
リュカは動きを止めて黙ったままだった。
困っているのか遠慮しているのか。
光源のない暗闇で彼がどんな表情をしているか見えない。
――わたしの顔が真っ赤なことも見えないからいいけれど。
「……ありがとう。エミリーのやさしさにはいつも感謝しているけれど、今回は遠慮しておくよ」
「遠慮はいらないわよ。だってあなたが床に寝ていたら間違って踏みつけるかもしれないし」
「きみに踏まれても痛くないから大丈夫。きみは軽いから」
「わたしのシーツを床で汚したくないの。あなたがベッドに寝てくれたら、シーツも綺麗なままよ」
一瞬ピリッとした空気が走る。
少し、よくない言い方だっただろうか。
心臓がドキドキとうるさい。顔も身体も熱くて思考がうまく働かない。
ふたたび黙ったリュカは感情を排出するような長い溜息を吐いた。
「……エミリー、きみの気づかいは嬉しいけど、僕たちはもう子どもじゃない。きみと同じベッドには寝られないよ」
「どうして? わたしはリュカと同じベッドで寝られるわよ」
リュカは好きと言いながら、わたしには自分のことをどう思っているか聞き返さない。
ただの幼なじみだからどうでもいいの?
わたしは違う。リュカの特別になりたいと思っている。
木陰で並んで昼寝をしたあの頃の思い出は色あせないけれど――リュカも言ったではないか、わたしたちは子どもじゃないと。
彼は乗るだろうか。
臆病で、ずるいわたしの駆け引きに。
「……ぐっすりと?」
「ええ、ぐっすりと。ためしてみる?」
それじゃあためしてみよう――、いまから実験を始めるように言うと、リュカはわたしの横に腰を下ろした。
ぐっと沈んだベッドの分だけ、彼の方に上体が傾く。バランスを崩したわたしの身体をエスコートするように、リュカがやさしくベッドに横たえた。
「奥につめてくれない? 落ちないように、きみが壁際の方がいい。僕はこっちに寝るから」
「わたし、寝相はいいのよ」
寝相はいい方だったから、ベッドが狭いと思ったことはなかった。
なのに半分空いたスペースにリュカが入ってくると途端に狭く感じた。
小さい頃はわたしの方が背が高かったのに、今は彼の頭と足がベッドの枠にぶつかっているんじゃないかと思う。だってわたしの顔はたぶん、リュカの胸のあたりだ。
「っ……エミリー!?」
ほら、彼の胸はここだ。
すべすべしている。シーツはどこ? 肩からかけずに寒くないの?
「……エミリー」
胸から上に滑らせ、ゴツゴツとした鎖骨や肩をたどる。
自分の身体とは明らかに違う、張りつめた皮膚とかたい筋肉。
わ、顎が少しざらついてる。リュカも髭が生えるんだ。
でも指でそっとなぞった唇はやわらかくて、それが不思議で二回、三回と撫でると、指を置いたままの唇が動いた。
「……ぐっすり眠るんじゃなかったの?」
悪戯をしていた手をリュカが掴んだ。
引き離された手は「お行儀よくしなさい」というようにわたしの身体にそえられる。
ここで素直に引き下がっては仕掛けた意味がない。
わたしだって十八だ。年頃の友達と集まったら自然にそういう話題も出るし、友達の恋バナでちゃんと男女間のことを勉強しているのだから。
思いきってリュカとの距離を詰め、びくっとした彼の身体に腕を回す。
抱きつくようにすり寄り、自分の顔をリュカの胸にうずめると、熱く火照った頬と同じくらい彼の身体も熱かった。
競うようにドクドクと速い鼓動は、リュカも緊張しているからだろうか。
そうだったらいい。
ただの幼なじみとしてではなく、わたしのことを意識してほしい。
「……エミリー、こんなことをしちゃいけないんだよ」
「こんなことってどんなこと?」
「同じベッドに寝るとか、抱きつくとかだよ。男が勘違いするから」
「なにを勘違いするの?」
「きみの気持ちを」
「わたしの気持ちってなに? リュカはわたしのことを好きって言ってくれるけど、どんな意味なの? 好きって言うだけで、あなたはわたしに何も求めないじゃないの。二人で出かけようとか、手をつなごうとか、幼なじみとしてじゃなく、わたしと一緒にしたいことはないの?」
リュカとわたしの「好き」の意味は同じだろうか?
二人並べてしまえば違いがわかるから、確かめるのが怖かった。
拒絶されたら二度と立ち直れない。
「ウサギのぬいぐるみをあなたがすぐに見つけたのは、どうしてかわかる? 一番目立つ場所にかざってあるからよ」
プレゼントされてからずっと特等席にかざってあるウサギ。
「ばか」と「あいたい」、その言葉よりもっともっと多く聞いているのは――面と向かってリュカには伝えられなかった言葉。
「あなたがくれたから大切にしているの。あなただからいつも様子を見に行っているの。ベッドに誘うのだって……リュカ、あなただからよ」
最後は声がふるえてしまった。
わたしの言葉を聞いていたリュカの身体が強張って、それからぎゅっと抱きしめられた。
すっぽりとわたしをおおう影が耳元で囁いた。
「……そんなこと言わないで。きみが僕のことを好きだって、うぬぼれそうになる」
「うぬぼれじゃないわ。わたし、リュカのことがっ、んっ……」
勇気を振り絞って口にしようとした言葉は、リュカにのみ込まれてしまった。
はじめての口づけは聞いていたよりずっと力強くて熱くて、いつ呼吸をしたらいいかわからなくてドキドキした。
離れた唇にはずむ息を整えていると、リュカがわたしの前髪をそっと払って額にキスをした。
「僕もエミリーのことが好きだよ。この街に帰って来てから、きみの声が聞けて、姿を見ることができる、それだけで嬉しかった。きみのそばでまた生活できる幸福にひたっていたんだ」
「……四年も放っておいてよく言えるわね」
「四年離れていたからだよ。毎日当たり前にきみと過ごしていた日常が、僕にとってどれほど貴重な時間か気づくことができた。きみと一緒にしたいことはたくさんあったけど、きみとの関係が壊れてしまうのが怖かったんだ……。きみに会いたくて何度も職場まで行ったくせに、なにも言えずに帰ってきたりね」
自嘲するような声音。
店長のひやかしもあながち的外れではなかったようだ。リュカのことを一番理解しているのはわたしだと思っていたけど……彼がこんな風に想ってくれていたとは知らなかった。
「ねえ、覚えてる? エミリーが最初にほめてくれたんだよ。僕の発明品を、きみがほめて笑ってくれたんだ。”すごいわリュカ!”って。僕は嬉しくて誇らしくて、きみの笑顔が眩しくて……。また見たい、ずっと見ていたいって、それが僕の原動力になった」
「じゃあどうして魔術師になるなんて発想になったの? あなたがゼイムに行っているあいだ、とても寂しかったのに……」
「機械の動力に魔力を組み合わせることを思いついて、それで魔術を学ぶには魔術師に師事するのが近道だと思ったから……」
「あなた結局ただの発明馬鹿なんじゃない。感動して聞いて損したわ」
頬の手をペシッと振り払うと、リュカが慌てた様子で弁明してきた。
「違うんだっ。新しいものを発明したらまた喜んでくれるんじゃないかと思ってっ……!」
「――じゃあずっと発明し続けてね、わたしが一番近くで見ているから」
リュカの手をつかまえて、頬に押し当てる。
「大好きよ、リュカ」
やっと言えた言葉に、リュカから同じ言葉が返る。
もう不安になったりしない。わたしと彼の「好き」は同じだから。
わたしが笑ったことが手のひらに伝わったのだろう。
もう一度リュカに抱きしめられて上から安堵の溜息が降ってきた。
リュカの指がやさしく頬をなぞり、それが気持ちよくて張り詰めていた緊張がほぐれる。
好きな人に触れてもらうのは気持ちがいい。
わたしが髪を撫でるとリュカが笑顔になるのは、こんな風に嬉しい気持ちになるからかな。
友達が「彼と一緒のベッドに寝るといいわ」とアドバイスをくれた理由がわかった。
安心したら、緊張がとけた反動で眠気が襲ってきた。
人肌のぬくもりに瞼が重くなってくる。
小さくあくびをすると、リュカがとまどったように腕をゆるめる。
「エミリー? ……え、寝ちゃうの?」
「……えぇ……」
今日は実験の失敗にはじまり、告白にキスにハグと、目まぐるしくおこったできごとにわたしの頭はいっぱいだ。
それにいつもは寝ている時間だし、部屋は暗いし、リュカはあたかかで気持ちいいし……。
「……ぐっすりねる……いった……じゃ……」
「えっ? この状態で!? まってエミリーっ……!」
リュカがなんだか焦っているようだけど、その声すら子守歌に聞こえる。
急速に襲ってきた睡魔にあらがいきれず、わたしはリュカの腕を枕に落ちた。
リュカが元に戻るまでの残り一晩、「明かりを消さないでくださいお願いします」という彼の懇願によりランプを灯したまま眠った。
母には不審がられたけど、「(リュカの)夢見が悪かったから」と言っておいた。実際は暗いと一睡もできないらしいが。
わたしは暗い方がよく眠れるけどと言うと、「うん……きみはぐっすり寝ていたよ」と影はいじけたように波打ちながら渦を巻いた。
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後日。
リュカがプレゼントをもって、週末の音楽会へ行こうと誘いにきてくれた。
改良型と称するふわふわの毛並みの黒いウサギのぬいぐるみを差し出し、彼は自信ありげに言った。
「耳を引っぱってみて。今度は踊りながら人参の皮をむいてみじん切りにできるよ」
いや、そういうのはもういいから。