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ハルノアシオト  作者: くにすらもに
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第五章 呼応

第五章 呼応




— ハ ル — 

 


 年季の入った暖簾を潜り店の外に出たところで酔っ払ったグループがくだを巻いていて、目が合った途端に嫌な予感がした。咄嗟の判断で踵を返すと、店の中へと戻った。


 背中を丸めて座り込んだままのジュンに気づかれないように、そっと近づいた。どう驚かそうか考えながらあと一歩のところまで近づくと、ジュンが手を挙げて振り返った。


 ジュンはひとりでいるより誰かと過ごしている方が好きなようだった。年齢問わず友人が多く、皆といる時でもよく電話がかかってきては、またご飯行こうよ、などと話していた。毎日がイベントのようで、それでも特定の誰かと特別仲が良いというわけではなさそうだった。


「では、今日の講義の内容をまとめて次回までに提出してください」

「え――」

「この課題出さなきゃ単位取れないってこと?」

「じゃあさ、この後皆で一緒にやらない?」


 あの頃は共通科目で、皆揃って講義を受けていた。なぜか揃いも揃って実家暮らしに興味津々で、両親が留守でちょうどいいからと家にやってくることになった。案の定、レイとジュンは事あるごとにふざけていて課題はまったく進まず、それを窘めるユキも結局流されてひとつも進んでいない様子だった。ナナセはいち早く課題を終わらせて我関せず、家の本棚に興味を示していた。読んでいいよ、と言うと、一度も開いた記憶のない分厚い本を手に取って読み始めていた。


 マコトと二人、構うことなくだらだらと進めていると、なんだか急に静かになった気がして顔を見合わせた。するとさっきまでレイと一緒になってふざけていたはずのジュンがいつの間にか真剣な表情で黙々と取り組んでいて、最終的に一番良い評価をもらったのはジュンだった。


 帰宅した母は、いつも静かな家に響き渡る賑やかな声に驚いたようだった。ひとりっ子で友達を連れてきたこともほとんどない我が子が大勢の友達に囲まれているのが余程嬉しかったようで、急な来客にも関わらず腕を振るってたくさんの料理を作ってくれた。中でも大好物の唐揚げは皆にも好評で、ジュンは部活終わりの高校生みたいに口いっぱいに頬張っていた。


「たくさん食べてくれて嬉しかったなー」


 母はその後も度々ジュンの話をしていた。


 ジュンはその笑顔と人との繋がりの多さから軽い印象を受けがちだが、ふざけているようでいて根は真面目で、人一倍気を遣ってくれる。状況を読んで相手に合わせたり喜ばせたりすることが身体に染みついているようだった。


 冷たい風を受けながら、ジュンと二人、当てもなく歩く。


「行きたいところは?」

「ない」

「あ、そう(笑)」


 こうして取り留めもない話をしながら、賑わいの残る夜の街を歩くのは、なんだかふわふわする。


「今日、何してたの?」

「お、聞いてくれるの?(笑)」


 出た、不敵な笑み。


「やっぱいいや」

「おーい(笑)」

「あはは」


 この話のテンポも、合わせてくれているんだろうな。


「マコトといたでしょ」

「えっ、何で分かったの?」

「まぁね」


 不敵な笑みでお返ししたつもりが、ジュンはもう興味がないようで携帯電話をいじっている。


「マコト、何してるんだろうね。電話してみる?」


 そう言いながらもう電話をかけ始めていて、相変わらずの切り替えの早さが可笑しかった。





— ナナセ — 

 


 襟足を冷え込んだ風が掠めていく。髪を切ったことを肌で感じながら、首を竦めて歩き出した。


 コーヒーショップ同様、特に会話を交わすこともなかったが、雑誌の内容にはあまり集中出来なかった。ハルの根元部分はブリーチを繰り返した後でカラーを入れるらしく、シャンプー台と鏡の前を何度も行き来していた。毎回あんなことをしていて、頭皮が痛くならないのだろうか。店員さんは一生懸命コミュニケーションを取ろうとしてくれていたようだが、話が嚙み合わないようでさほど盛り上がってはいないようだった。


 ようやくハルを巻くことが出来て、ほっと息をついた。白い息はわずかな余韻を残して暗がりの空へと消えていく。曇っていたはずなのにこんなにも冷え込むなんて、雪でも降るのかもしれない。


 ポケットに手を入れると、携帯電話に触れてその存在を思い出す。点滅していたので開いてみるとマコトからの着信が残っていた。ちょうど美容院に入った直後くらいの時間だったから、随分と放置してしまったようだ。歩きながらかけ直すが、出ない。風に当たる手が耐えられなくなり、電話を切ると握りしめたまま再びポケットに手を突っ込んだ。


 少し歩きたい気分になり、帰り道とは別の道を選んだ。橋の上に差しかかると一段と強く風が吹き付け、巻き上がるような風から顔を背けるように足早に歩く。目の前を雪がちらついた気がして立ち止まると、橋の右手の方は視界が悪くいつもなら見えるはずの街の灯りがどこにも見当たらない。少し不気味さを覚えて反対側に目を向けると、遠くの空では星が瞬いているのが見えた。真上の空を見上げてみると、どんなに目を凝らしても星ひとつ見えず、分厚い雲が敷き詰められているだけのようだ。

商店街は早々と店を閉め、無機質なシャッターが冷たく続いている。日中とはまったく別の街を歩いているようで、不思議な気分になる。


「ひとりで街を歩くのが苦手でさ」


 ぽろっとそう零したすぐ後に、ほら方向音痴だから、とごまかしていたことを思い出す。


 随分前に、この商店街をハルと二人で歩いたことがあった。あれこれ買い物を済ませ、昔ながらのこぢんまりとした本屋の前を通りがかると、店の前に出されていたワゴンに並べられた文庫本に目を奪われ、立ち止まった。


 二人で歩いていれば声をかけられるようなことはなかった。ただ、すれ違う人はあからさまにハルに気を取られ、しばらくじっと見ている人もいれば、何やら浮かれた声を出している人もいた。それでもハルは誰かと一緒にいれば安心するのか、周りの声は気にならないようだった。


 隣にいないことに気がついて辺りを見渡すと、少し先で声をかけられているハルの姿があった。知り合いではなさそうだが徐々に距離を詰めてくる人達に明らかに困惑した様子を見て、慌てて駆け寄るとハルの腕を掴んでその場から離れた。どうしてそんな強引な行動をとったのかは分からない。ただその時はそうした方がいいような気がした。


 腕を掴んだまましばらく歩いていたらしく、はっと我に返り立ち止まって振り返ると、ハルはじっとこっちを見ていた。その目の奥の意図が読み取れず、なぜか頭が真っ白になった。目を離すことも尋ねることも出来ない時間が、ものすごく長く感じられた。


 変なことを思い出してしまったと、ふと我に返る。そこへちょうど電話がかかってきた。ひとりでいると余計なことばかり思い出してしまいそうで、マコトの誘いに乗った。


 電話は苦手だがマコトの電話には出るようにしている。マコトの行動はすべて、そこに足りないものを補うようだった。どういうわけか必要としている時に連絡をくれるし、隣に誰もいないことに気づく前に寄り添ってくれる。無理をしたり自分を犠牲にしたりしているわけでもなく、導かれるように自然と動いているのだろう。本人でさえも気づいていない小さな綻びを、気づかないうちにマコトが繕ってくれているようだった。


「安くて早くて野菜も摂れるなんて、最高でしょ」


 食の細いマコトは、そう言っていつもかき揚げうどんを注文していた。マコトは常に先のことを考え、皆のことを考えている。麺が伸びてしまう心配をするわけでもなく、携帯電話を触りながら皆が来るのを待つ。注文するついでに食堂のおばちゃんと軽く冗談を言い合い、何人かの顔見知りに挨拶を交わしながらやって来るジュンはたいてい最後だ。ジュンが席に着くとマコトは手を合わせ、いただきまーす、と小さな声で言ってから食べ始める。そして誰よりも早く食べ終えると、席を立つこともせずそのまま、皆が食べ終わるまで携帯電話を片手に会話を盛り上げる。ジュンとレイは喋ってはふざけていてなかなか食べ終わらないが、その話を拾って広げては楽しそうに、ははっ、と大きな口を開けて笑うマコトの隣はとても居心地が良かった。


 いつものカラオケ店に着くと、マコトが外のベンチに座っていた。


「どうしたの?」


 明らかに寒そうに震えているマコトは、待ってましたとばかりに立ち上がると近づいてきて、背中に手を回してきた。


「とにかく入ろう」


 マコトの表情には一瞬どこか困惑した様子が見て取れたような気がした。促されるままに部屋の扉を開けると、いきなりレイとユキが飛びついてきた。楽しそうにはしゃぐ二人の姿を見たマコトが、安堵した表情を見せた。事情は分からないが、どうやら役に立てたようだ。





— マコト — 

 


「今日は朝まで歌おー!」

「イェーイ!」


 ナナセと目を合わせた。レイとユキはマイクを離さず上機嫌だ。悪いけど付き合ってやって、といったニュアンスを表情で伝えると、ナナセは察してくれたようで小さく頷いた。


「サプライズ? 今日、誕生日だったっけ?(笑)」


 二人に抱きつかれると、ナナセはそう言っておどけてみせた。普段はクールだが、その場の空気を瞬時に読み取って必要な役割に徹してくれる。それが完璧とは言えないところもまた、ナナセらしかった。


 ナナセは常にひとりで行動していて、人を寄せつけない雰囲気をあえて出しているように感じていた。余計な人間関係は必要ないと思っているようにも見えた。


 そんなナナセにジュンが適度に声をかけ、講義後に一緒に帰ったり学食に行ったりするうちに、自然と一緒にいる時間が増えていった。ひとりでいる時は気を張っているように見えるが、皆といる時は笑顔も見られるようになった。本当は他人とどう接していいのか分からないだけで、あまり干渉しないこの距離感を心地良く感じているように見えた。


「皆いつもメニュー変わらないよね」


 学食に集まる時は、それぞれ選ぶメニューもテーブルに座る位置もいつも決まっていた。かき揚げうどんを持って真ん中の席に座ると、ササミチーズカツ定食を持ったナナセが右隣の端の席に腰掛ける。


「結局これを選んじゃうんだよねー」


 その向かいにデミオムライスを持ったハルが座る。


「これ美味しいんだよ! ユキ、食べてみる?」

「いいって、レイ(笑) これはあげないからね!」


 その隣に鯖味噌定食のユキ、トマト煮込みハンバーグ定食のレイが続けてやってくる。


「おばちゃん、今日は大きいカツにしてくれたー!」


 その向かい、つまり左隣に大盛りカツカレーを持ったジュンが最後に腰を下ろす。


「え、さらに?」

「いつも大盛りなのに?」

「さすがジュン」

「ほら、カレーは飲み物って言うし」

「いや、カツは関係ないでしょ(笑)」


 左側のレイとジュンの賑やかさに、正面のユキが優しく宥めつつも結局参加して、それを右側のナナセとハルが穏やかに見守る。真ん中からそれを眺めて笑いながら昼食をとるのが定番だった。


「あの目にじっと見られると、何も言い返せなくなる」


 いつかの別れ際、ナナセが呟いたことがあった。ハルの背中を見つめながら、かろうじて聞き取れるくらいの小さな声で。


 そう感じているのはナナセだけではない。一見ふわりとした雰囲気を纏うハルだが、その瞳の奥には何とも言い表せない独特な力が潜んでいて、それが発動するとなぜだか簡単には抗うことができない。人が嫌がることを言ってくるわけではないが、目を逸らすことが出来なくなり何も考えられなくなる。それは初対面の時から感じていた、何とも言えない力だ。


 人に頼ることが苦手なナナセと、人に頼ることへの抵抗がないハル。そんなふたりは自然とどこかですれ違ってしまったのかもしれない。


 皆でいる時は心の底から笑っていられる。皆もそう感じていると思えた。それはナナセとハルも一緒だ。だからこそ誰もがふたりのことをあまり話題にはしてこなかった。今のままでも十分楽しいからと、無意識のうちに遠ざけていたのだろうか。必要以上に茶化すことも、必要以上に気を遣うこともなかった。ふたりに尋ねたからといって関係がそれ以上悪くなるとも思わなかったし、かといって冗談半分に尋ねるようなことでもないような気がしていた。でもそれがもしかしたら、拗れてしまったものを元に戻す機会を奪ってしまっていたのかもしれない。


 ナナセがハスキーな低音を響かせている。


 皆で歌う時には特にルールはなく、思い思いに曲を入れて、歌いたい人が歌う。十八番を必ず自ら入れる人もいれば、勝手に入れられたリクエストに応えたり、同じ系統の曲が続くこともあれば、盛り上がった直後にしっとりとした曲が入っていたり、歌の途中で誰かが一緒に歌いだしたり、踊ってみたり、ふざけてみたり。


 今もナナセが歌謡曲を情緒たっぷりに歌い上げた後に、ユキがヒップホップを歌い始めた。きっとこの後、レイが洋楽を歌って踊りだす。


 照明はたいてい、部屋に入るとすぐに小さい照明を残して暗く落としてしまう。最初は外からの視線を避けるためだった気がするが、いつしかそれが当たり前になっていた。


 着信が入った。わざと照明を全灯にして部屋を出ると、三人の声が背中に飛んできた。扉を閉めて小窓に顔を近づけ中を覗くと、レイもまた部屋の中から顔を近づけてふざけた顔をしていた。





— ジュン — 

 


「今、ハルと一緒にいるんだけどさ……」

「一緒に来て。皆いるから」


 電話が切れた。どうして今日は皆、揃いも揃って話を聞いてくれないんだろう。


 ハルの顔を見ると、不満げな視線を向けていた。


「えーっと、何話してたんだっけ?」

「それよりマコト、何だって?」

「あ、皆とカラオケしてるらしいからさ、行こうよ」

「カラオケかぁ」


 ハルが頭の後ろに両手を回し、天を仰いだ。マコトがああ言うからには、何としてでもハルを連れて行った方が良さそうだ。


「行きたいところは?」

「ない」

「はい、決定」


 レイも歌が上手いが、その優しい声とは対照的にハルは芯があって伸びる声をしていた。ハルもとても上手なのに普段はあまり歌わないようで、最初は皆の前で歌うのを恥ずかしがっていたが、こうして食事終わりに何度かカラオケに行くうちに少しずつ抵抗がなくなってきたようだった。高く響かせるハルの歌声に、レイがさらに上から重ねて、それはもう美しいハーモニーに思わず他の四人で聴き惚れてしまうことがしょっちゅうだった。


 久しぶりに聴けるかなぁ、と胸を躍らせる。ひとりで歩いていた時とは違い、通りかかる店から漏れ聴こえる音楽が心地良い。店の中にいる客がハルに気づいてそわそわとしている。ハルにとってはこれが日常茶飯事なのかと思うと、何とも言いようのない気持ちになる。


 こうしてハルとふたり並んでのんびりと、夜の街を歩くのは初めてかもしれない。看板や照明などの街の灯りに照らされるたび、ハルの髪が色とりどりに染まる。思わず見惚れてしまっていたようで、訝しげな視線を向けられてしまった。


「いやぁ、綺麗に染まってるなぁと思ってさ」

「あ、分かる? 今日染め直してきたんだ」


 街の灯りを背に一本中へと入ると、古びた店が並んだ小さな通りは看板の灯りもすでに落とされていて、所々に心許ない街灯が立っているだけだ。ふっと風も和らいで、さっきまで余程明るく賑やかなところを歩いていたことに気づかされる。嬉しそうに自分の髪をつまんで街灯の淡い光に翳すような仕草をしてみせるハルに、そこまでは気がつかなかった、とは言い出せなかった。


「ハルはさぁ」

「ん?」

「どうして金髪にしてるの?」


 こうして歩いているだけでも目を惹いてしまうのに――。ずっとどこかで引っかかっていたことが、ふと口を衝いた。意味なんてないよ、と軽くあしらわれる気もしていたし、本当に意味がないのかもしれないとも思っていた。ただなんとなく、今日なら尋ねても受け入れてくれるような気がした。


 少しの間、ハルの靴とアスファルトとの間で小さな石のかけらが擦れる音だけが響いた。普段なら落ち着かない間だったと思う。それでも不思議と、答えを待つわけでも、気を揉むわけでもなかった。ハルも同じように、返答に困っているというわけでもなさそうだった。


「なんかさぁ」

「うん」

「どうせなら、いっそのことって感じかな」

「あー」

「似合うでしょ、金髪」

「うん」


 そう言うとハルはまた満足そうに自分の髪をつまみ上げて街灯に翳した。夜に浮かんだハルの髪は、透き通るようでとても綺麗だった。





— レ イ — 

 


 部屋に戻ったマコトは、せっかく落とした照明を再び全灯にして何食わぬ顔をして座った。


「んもー」


 ユキが文句を言いながら、再び照明を落とす。


「どうかした?」

「ん、何でもない」


 そう言いながらマコトは、意味深な表情で微笑んでいる。


 さっき小窓から見えたマコトの携帯電話の画面には、〈ジュン〉と表示されていた。きっとまた何か考えているんだろう。


 ナナセが入って来た時は驚いた。いつの間に呼んだんだろうとも思ったが、それ以上にこういうところにわざわざ参加するタイプではないナナセが来たことが驚きだった。


 ナナセにしては珍しくアップテンポな最新曲を歌っている。ここ最近街でもよく流れていて、イントロなしで入るサビのフレーズが耳に残る曲だ。マコトもマイクを持って一緒に歌い始めた。


「ちょっとごめん」


 カラオケ店はどこも似たような造りだ。テーブルとソファの間隔は狭く、こうして席を立ちたい時は誰かの前を通っていかないと外へ出ることが出来ない。一番奥に座った者の宿命だ。どうしても遮ってしまう形になってしまい、人一倍大きい身体をなるべく小さくして通る。マコトに背中を軽く叩かれ、わざとらしく顔を近づけてsorryと耳元で囁くと、鬱陶しそうに笑って追い払われた。


 部屋の外に出ると、息を吐いて大きく伸びをした。扉の横の壁にもたれかかり、少しの間携帯電話をいじっていると、歌い終わったナナセが空いたグラスを片手に部屋から出てきた。軽く目くばせをすると、ナナセは正面の通路を歩いて行った。


 部屋から出ると、正面と左右に通路が伸びている。確か、正面の通路の先に受付とドリンクバー、右の通路を行った先にトイレがあったはずだ。すべての通路が繋がっているはずだから、間違えてもいつか辿り着くだろう。そう安易に考えて、鼻歌交じりに足取り軽く右の通路を進む。二つ目の角を曲がったところで出会い頭に人にぶつかりそうになった。


「ジュン!」

「レイ! ご機嫌だね」


 手を組んで腕を交差させたりハグしたりと、まるで海外ドラマに出てくる若者同士のような挨拶を適当に交わして、まったく嚙み合わず笑い合った。打ち合わせなしのおふざけを瞬時に察知して面白がれるジュンは最高だ。肩を組んで、部屋へと案内しようと引き返す。


 部屋へと戻る最後の角を曲がったところで、思わず足を止めた。部屋から左へと伸びる通路を、マコトとユキがそそくさと歩いていく後ろ姿が見えたからだ。すぐさま身体を引いて戻る。


「あれ、見た?」

「うん、あれは何か企んでるね」

「ちょっと待ってみよう」


 見つからないように慎重に首を伸ばして確認する。身体を隠した状態で見えるのは、通路のちょうど真ん中あたりに位置する部屋の前までで、マコトとユキが隠れたであろう向こうの角までは見えない。おそらくあの部屋には今、誰もいないはずだ。そこへ何も知らずのこのこと戻ってくると踏んで、驚かそうとしているんだろう。向こうの角でも同じようにマコトとユキが首を伸ばしているのを想像するだけで笑いそうになり、ジュンに口を押さえつけられた。


 なんとか堪えたところでもう一度首を伸ばすと、驚きのあまり固まった。


「どうしたの?」

「……ナナセとハル」

「え?」


 ナナセがドリンク片手に扉を開け、ハルを迎え入れている。その雰囲気が今までとは打って変わって和やかに見えて、二人で顔を見合わせた。


 部屋の中へと姿が見えなくなると、ジュンとふたり、動揺を隠しきれず身体ごと通路に飛び出していた。扉が完全に閉まると、向こうの角でも同じようにマコトとユキが目を丸くして立ちすくんでいた。

 




— ユ キ — 

 


 レイが席を立って部屋を出ると、まもなくマコトとナナセの曲が終わり、飲み物を取りに行くと言ってナナセも部屋を出て行った。


「そろそろ、ジュンも来ると思うんだけどなー」


 マコトが携帯電話で時間を確かめる。


「じゃあ、あれやる?」

「いいね」


 さっとその場を片付け、マコトと二人で部屋を出る。レイはトイレに立ったはずだ。そちらとは反対の左側へと通路を進み、角を曲がったところで待機することにした。レイが戻ってきたときには部屋の中は空っぽで整然としていて、部屋を間違えたかと焦るはずだ。いたずら好きのマコトの本領発揮だ。にやにやと目を合わせ、様子を窺おうと見つからないよう慎重に部屋の方を覗き込んだ。


「え?」

「何?」

「ちょっと、あれ」


 マコトの後ろから覗き込むと、ナナセとハルが連れ立って部屋へ入っていくところだった。そのふたりの雰囲気が今までとはまるで違って穏やかに見えて、思わずマコトとふたり、通路に飛び出していた。扉が閉まると、向こうの角に立つレイとジュンの姿が現れた。ふたりも同じように、こっちを見ている。


 それぞれの顔を見合わせ、慌てて部屋とは反対方向へと駆け出した。部屋から見えないよう注意して正面の通路を通り越し、受付の前に四人で落ち合った。一旦落ち着いて状況を整理しようと、その日起こった各々の出来事を順番に話し始めた。


「じゃあ今日、ナナセとハル、一緒にいたんだ!」


 レイとふたり、驚きを隠せない。


「それをジュンが見かけたらしい」


 マコトは運転していて実際には見ていなかったようだ。


「でもふたりとも返信してこなくて、しばらくしたらハルから電話があって、ご飯行くことになってさ!」


ジュンが興奮した様子でまくし立てる。


「マコトは、ナナセを誘ったわけね」


 そう尋ねると、マコトは黙って頷いた。ジュンもマコトも、ふたりが一緒にいるところを見かけたことについて、本人たちとは話していないらしい。マコトから電話を受けたジュンは、ハルとここへ来たところでトイレに行くと言って入口のあたりで別れたそうだ。


「いったい、何があったんだろう」

「しばらく、ふたりで話しているところさえ見たことないのにね」


 ジュンはまだ興奮を抑えられず身体を揺らしている。


「いや、きっと今までも、そこまで仲が悪いわけじゃなかったんだと思う」


 マコトは冷静に、今までの様子を振り返って繋ぎ合わせているようだった。


「何が起きたのか、ものすごく気になる!」


 レイは今にもふたりの元へ駆け出しそうだ。


「ダメだよ、あからさまに問い詰めたらまた気まずくなっちゃうかもしれない」

「そっか」

「なるべく自然に」

「OK. Let′s go!」


 なぜか皆が小声で話していたことが可笑しかった。部屋へと繋がる正面の通路をそろそろと四人で歩く。最後尾から見ているとこの様子がもうすでに不自然で、思わず笑みが零れる。


 ナナセとハルはあの部屋でふたりきり、どこに座って、いったいどんな会話をしているんだろう。


 小窓に姿が映らないよう身体を屈め、息を潜めて扉に近づく。マコトが、部屋の扉を開けた。



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