あひみての
詞書:後悔
魂さかる
後の心に
くらぶれば
いかに幼き
愛とかや知る
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公式企画「俳人・歌人になろう!2023」参加作品です。
▼小説家になろう 公式企画サイト
https://syosetu.com/event/haikutanka2023/
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魂さかる:魂が離れること、死ぬこと
権中納言敦忠
「逢ひ見ての のちの心に くらぶれば 昔はものを 思はざりけり」
この百人一首歌、誤解されやすいのでちょっと解説。
「知り合って恋をする前はなあーんにも想ってなかったんだなあ」という意味だと思ってませんか?
高校時代、私はそうだと信じ込んでました。
「逢ひ見て」という単語はもっと強くて、こんな訳になります。
「逢瀬を遂げてみた後の恋しい気持ちに比べたら、片想いで恋焦がれる段階の気持ちなんて、無いに等しいほどのものだったんだなあ」
この歌のお相手は内親王さまで、結婚する寸前に伊勢斎宮に決まってしまい引き裂かれました。(逢瀬経験者でも斎宮になれたんだ)
身分違いと言われてますが、というより、敦忠の父、藤原時平が道真公の左遷に関わって失脚し、権力の中枢が叔父の忠平に移ったからかと。
それを証拠に、相手の内親王さまは、伊勢に居られたのはたった2年。その後、復縁はなく、忠平の息子に嫁いでしまわれるのです。
敦忠からしたら従弟にNTRされたのか、もう冷めていたのか。
この敦忠が、「この人さえ生きていれば源博雅なんかに頼らなくてよかったのに」と大鏡に書かれたお方。
母がたの曽祖父が在原業平だそうで、そりゃ色男にもなる、、、うちのダンナとは正反対ですな。
自分の歌の話に戻りまして:
夫の生前、心を尽くしてくれる彼に私は散々甘えました。
甘えるのが愛に応える術だと思っていた。
手伝いたくても「お前は手を出すな」って言うんだもの。
でももっともっと手を出せば、夫の気付かないところで家事をパッパと片付けておけば、どれほど楽をさせてあげられたか。
自分の大人げない愛し方を、今さら悔やんでも、取り返しがつきません。