ゴブリン退治(上)
主な登場人物
ロナード…漆黒の髪に紫色の双眸が特徴的な、傭兵業を生業として居た魔術師の青年。 落ち着いた雰囲気の、実年齢よりも大人びて見える美青年。 一七歳。
エルトシャン…オルゲン将軍の甥で、ルオン王国軍の第三治安部隊の副部隊長だったが、カタリナ王女から、新設された組織『ケルベロス』のリーダーを拝命する。 愛想が良く、柔和な物腰な好青年。 王国内で指折りの剣の使い手。 二一歳。
アルシェラ…ルオン王国の将軍オルゲンの娘。 白銀の髪と琥珀色の双眸が特徴的な、可愛らしい顔立ちとは異なり、じゃじゃ馬で我儘なお姫さま。 カタリナ王女の命を受け、新設される組織に渋々加わる事に。 一六歳。
オルゲン…ルオン王国のカタリナ王女の腹心で、『ルオンの双璧』と称される、幾多の戦場で活躍をして来た老将軍。 温和で義理堅い性格。 魔物の害に苦しむ民の救済の為に、魔物退治専門の組織『ケルベロス』を、カタリナ王女と共に立ち上げた人物。
セシア…ルオン王国の王女、カタリナの親衛隊の一員で、魔術に長けた女魔術師。 スタイル抜群で、人並み外れた妖艶な美女。
レックス…オルゲン侯爵家に仕えて居た騎士見習いの青年。 正義感が強く、喧嘩っ早い所が有る。 屋敷の中で一番の剣の使い手と自負している。 一七歳。
カタリナ…ルオン王国の王女。 病床にある父王に代わり、数年前から政を行って居るのだが、宰相ベオルフ一派の所為で、思う様に政策が出来ずにおり、王位を脅かされている。 自身は文武に長けた美女。 二二歳。
サムート…クラレス公国に住む、烏族の長の妹サラサに仕える、烏族の青年。 ロナードの事を気に掛けて居る主の為にロナード共にルオンへ赴く。 人当たりの良い、物腰の柔らかい青年。
シャーナ…南半球を中心に活動している傭兵で槍の扱いが得意。 口は悪いが、サバサバとした性格で面倒見の良い姉御肌。
デュート…元・トレジャーハンターの少年。 その経験をかわれ、ケルベロスに加わる。 飄々としていて掴みどころのない性格。 一七歳。
ベオルフ…ルオン王国の宰相で、カタリナ王女に代わり、自身が王位に就こうと企んで居る。 相当な好き者で、自宅や別荘に、各地から集めた美少年美少女を囲って居ると言われている。
メイ…オルゲン侯爵家に仕えている騎士見習いの少女。 レックスとは幼馴染。 ボウガンの名手。 十七歳
エルトシャンは、残りの自分の荷物を取りに、自宅であるバルフレア伯爵家へ戻っていた。
「エルト」
自宅のバルフレア家に戻り、長い廊下を通り抜け、自室へ入ろうとした時、不意に後方から声を掛けられた。
エルトシャンは徐に足を止め、振り返る。
そこには、白髪混じりの焦げ茶色の髪を後ろで一つに束ねた、色白で、頼りない体付きで、気弱そうな雰囲気の、壮年の男が立っていた。
「父上……」
エルトシャンは、妻の尻にすっかり敷かれ、妻の機嫌伺ばかりし、主の威厳などすっかり失墜し、屋敷内でも存在感の薄い父が、珍しく自分から声を掛けて来た事に驚いた。
父が、当主としての威厳を失ったのは、侍女であったエルトシャンの母親と不倫し、それが妻にバレてしまってからだ。
代々将軍を輩出してきた、名家の令嬢として育った義母のサフィーネは、とても自尊心が高く、格下の伯爵家に嫁いだ事に世間への引け目を感じていたし、伯爵である夫の事を見下していた。
長男のチェスターが生まれると、妻のサフィーネは息子にベッタリになり、夫のフェーブル事を全く構わなくなり、夫婦の間には冷たい隙間風が吹いていた。
妻に冷たくされ、寂しい想いをしていたフェーブルを優しく慰めてくれていたのが、エルトシャンの実母だったのだが、二人の関係を知り、彼女の腹に子供まで出来た事を知ると、とてもプライドの高いサフィーネは、侮辱されたと激怒。
サフィーネは、近くに置いてあった果物ナイフを手にし、エルトシャンの実母に襲い掛り、彼女に怪我をさせると言う、事件を起こしてしまう。
その時フェーブルは、妻の暴挙を止める訳でも、愛人を妻の暴挙から守る訳でも無く、ただ部屋の片隅で妻の怒りの矛先が自分に向かぬ様、子犬の様に怯え、その一部始終を見ていただけであったと言う。
彼の残念過ぎる行動を見た屋敷の使用人たちや、兵士たちの忠義が失墜した事は言うまでも無く、それ以降、サフィーネが頼りない夫に代わり、権威を振るう様になる。
フェーブルと不倫をした、侍女であったエルトシャンの実母は当然、屋敷から追放されてしまう。
しかしながら、妻子ある相手と不倫をし、その挙句にその子供を身籠ったエルトシャンの実母に対して世間の目は冷たく、屋敷から追放された後、実家に帰る事も出来ず、行く場を失った彼女は、街の外れにあるスラム街に辿り着き、そこで娼婦をしながら、幼いエルトシャンを育てていたのだが、流行病に掛り、命を落としてしまった。
エルトシャンの実母が屋敷を去った後も、彼女の事を気に掛けていたフェーブルは、彼女が自分との間に出来た幼い子を残し、流行病で命を落とした事を知り、周囲の反対を押し切り、エルトシャンを屋敷へ引き取った。
無論、愛人の子供を屋敷に置く事など、正妻のサフィーネが許す筈もなく、腹違いの兄や義母は勿論、屋敷に仕える使用人や兵士たちも、伯爵家に引き取られたエルトシャンの事を冷遇し、彼はとても肩身の狭い思いをして育って来た。
そんな彼の境遇を知ってか知らずか、実子の居ない伯父のオルゲン将軍だけが、我が子の様に彼の事を可愛がり、忙しい合間を縫って、剣術や馬術を熱心に教えた。
エルトシャンは伯父の熱意に応える為、必死に武芸の稽古に励み、そのお蔭で彼は、今の地位を手に入れる事が出来たと言う訳だ。
バルフレア家では、存在しないかの様に扱われて、己の存在意義を見出せずにいたエルトシャンは、己の存在意義と可能性を気付かせてくれた、伯父のオルゲン将軍にはとても感謝している。
「戻って来たのならば一言くらい、挨拶をして行きなさい」
フェーブルは複雑な表情を浮かべつつ、静かな口調でそう言って来た。
「僕が、居ようが居まいが、ここの屋敷に居る者たちにとっては、どうでも良い事でしょう?」
エルトシャンはニッコリと笑みを浮かべ、皮肉交じりに父に言い返すと、彼は沈痛な表情を浮かべ、
「その様な悲しい事を言うな。 お前に肩身の狭い想いをさせている事は、本当に済まないと思っている。 だが、私は一度たりとも、お前が居なくて良いなどと思った事は無い」
「父上……」
思いがけぬ父親の言葉に、エルトシャンは戸惑いの表情を浮かべる。
「あら。 居たの?」
一人の女性が、冷たくそう声を掛けて来た。
焦げ茶色の癖のある髪を肩に流し、ラメストーンを散りばめた、どキツイ赤いドレスに身を包んだ、顎と首の境が無い程肉付きの良い、土管の様な体型、厚塗りに加え、けばけばしい化粧を施して、キツイ香水の匂いをプンプンと漂わす、見るからに気の強そうな壮年の女性……。
若い女性でも、その様な衣装はしないだろうと思われる、年甲斐に無く、ド派手な格好をしているこの女性こそが、この屋敷の夫人で、オルゲン将軍の今は亡き妻の妹サフィーネである。
「貴方、何時までここを出入りするつもり? チェスターはもうすぐ所帯を持つのだから、貴方の様なのが出入りしていると迷惑だと、何故、分からないのかしら?」
義母のサフィーネは、大して暑くも無いのに、ピンクのファーが付いた、ド派手な扇子を口元に充てながら、意地の悪い表情を浮かべ、彼に向って思い切り毒を吐く。
義母の容赦ない言葉に、エルトシャンは困った様に苦笑いを浮かべる。
「サフィーネ。 何もその様に言わなくても……。 ここは、この子の家でもあるのだから……」
妻の容赦ない言葉に、フェーブルは戸惑いの表情を浮かべつつ、おずおずとした口調で、彼女にそう言うと、サフィーネは、紫色のアイシャドウをベタリと付けた目で、ジロリと彼を睨み付け、
「家ですって? 私は、この子を家族などと認めた覚えはありませんわ! 卑しい使用人の子供の分際で、今の今まで、ここに置いてもらえていたけでも有難く思ってもらわねば」
ドスの利いた低い声でそう言い返して来たので、フェーブルは彼女の有無も言わせぬ迫力に圧され、何も言い返せなくなる。
(やっぱり『気持ちだけ』……か……)
妻に圧倒され、何も言い返せなくなったフェーブルを見て、エルトシャンは冷たい視線を向けながら、心の中でそう呟いた。
「父上、そのお気持ちだけで十分です」
妻に何も言い返せず、バツの悪そうな表情を浮かべて居る父親に向かって、エルトシャンはニッコリと笑みを浮かべてそう言ってから、サフィーネに向かって、
「気が利かず申し訳ありません。 兄上やその奥方の為にも早く荷物を纏めて、今居る場所に落ち着きます」
ニッコリと笑みを浮かべたまま、そう言うと、彼は静かに自分の部屋の扉を開き、その中へと入ろうとした時、
「良い事? 今日中には出で行きなさいよ! この厄病神っ!」
サフィーネは忌々し気な表情を浮かべ、強い憎しみの籠った口調で、エルトシャンにそう言い放つと、彼は、物凄く痛そうな表情を一瞬浮かべるが、直ぐにニッコリと笑みを浮かべ、
「はい。 そうします」
静かにそう答えた。
背中越しにチラリと見た父親のフェーブルは、妻の、エルトシャンに対する暴言を止める事は出来ぬ様で、ただ済まなそうな顔をして、彼を見ているだけであった。
(やっぱり、ここには僕の居場所なんて無いんだ……)
エルトシャンは沈痛な表情を浮かべ、心の中でそう呟いた。
元は、婿養子としてオルゲン家へ来たものの、今や将軍として他国にも名の知れ渡っている、オルゲン将軍が築いた侯爵家の地位と遺産を奪う為、将軍の養女であるアルシェラと、腹違いの息子エルトシャンをどうにかして婚約させたいと、一時期は本気で考えていた貪欲な義母。
自らは努力をする事はせず、出世の為に伯父の権威を最大限に振り翳し、他者を屈服させる事を生き甲斐とし、そうする事が当然だと考え、プライドだけは人一倍高く、軍での地位の割には中身の伴わない腹違いの兄チェスター……。
そんな義母と腹違いの兄の暴走を止める事の出来ない、気の小さい父……。
彼等の間違いを正す事もせず、彼等の言いなりになり、ただ給与を貰っているだけの、忠誠心も何もない家臣。
こんな腐った一族など、一層の事滅んでしまえば良いと、エルトシャンは心底思った。
「何か、すげぇ田舎だな……」
レックスは、戸惑いの表情を浮かべつつ、そう呟く。
ロナード達は組織として始めて、外部から正式に魔物退治の依頼を受け、現場に赴いていた。
訪れた場所は、王都ルオンから東にある農村だ。
崩れ落ちない様に泥で固定しただけの、粗悪な素焼き煉瓦を積み重ね、その上に木の板で蓋をしただけの様な、粗末な家々が立ち並んでいる。
王都の様に道が舗装されている訳では無く、地面が剥き出しな通りの道は、雨の日は泥濘そうだ。
通りに面した畑には、子供の足跡の様なモノが沢山残っていて、酷く荒らされており、廃材を掻き集めて出来た様な簡素な造りの家畜小屋は幾つも壊され、その残骸が通りにまで散乱しており、家畜のものと思われる血溜まりが至る場所に残っており、何か大きな物を引き摺った跡もある。
昼間だと言うのに外には人っ子一人居らず、皆、家の中で息を殺している様で、恐ろしく静まり返っていた。
家々の壁には煤けた跡が残っており、真っ黒に焼けてしまっている家も幾つかある。
「酷いね……これ」
村の様子を見て、エルトシャンは沈痛な顔をして呟く。
「こんな真似をするのは、多分、ゴブリンだろうね……」
馬から降り、被害の様子を注意深く見ていたシャーナは、険しい表情を浮かべ言った。
「そうスね……」
デュートも神妙な面持ちで呟く。
「ゴブリンってのは、あれか? 前に森で出くわしたヤツ?」
レックスは小首を傾げ、ロナードにそう問い掛ける。
「そうだ」
ロナードは淡々とした口調で、レックスの問い掛けに答えた。
(あのちっこいのか)
レックスは、その時の事を思い出し、心の中で呟く。
「ゴブリンは小型の魔物だよ。 背丈は子供くらいなんだけど、とにかく気性が荒くて、縄張り意識も強いんだ。 獣と違って火を恐れないし、それなりの知能もある。 一匹では大した事無いんだけど、群れてこんな風に村や町を襲うんだよ」
シャーナは周囲を見回しながら、落ち着き払った口調でレックスに説明する。
「魔術は使えないが人間の様に武器を用いる。 何かと面倒な連中だ」
ロナードは、淡々とした口調でそう付け加える。
「まあ、魔物退治の初心者のアンタ達には、お誂え向けの相手だよ」
シャーナは何処か小馬鹿にした様な口調で、レックスとエルトシャンにそう言うと、肩を竦める。
「よ、良かった……。 この前みたいなのとまた、戦わなきゃなんねぇのかと思ってたぜ」
レックスは、この村人たちを困らせている魔物がそれ程、大した相手では無いと判り、安堵の表情を浮かべつつ、言った。
「ケルベロスの様なのが暴れたら、村一つ、そっくり無くなっている」
ロナードは辺りの様子を伺いつつ、淡々とした口調でそう言い返す。
「そうスよ。 そんなのだったら、オレ等だけで、どうにかなる訳ないスよ」
デュートも苦笑いを浮かべながら、レックスに言い返す。
「まずは、依頼主である村長の所へ行って、詳しい話を聞くのが先決だね」
シャーナは、落ち着き払った口調で言った。
「こんな小さな村じゃあ、宿屋なんて言う気の利いた所は無いみたいだしね」
エルトシャンは、ゲンナリした表情を浮かべ、そう呟く。
「アンタの好きな風呂も、無さそうだよ」
シャーナは意地の悪い表情を浮かべ、ロナードに言うと、
「風呂なんて贅沢な物だと言う事くらい分かっている。 都市部に住んで居る者以外は、近くの川や池などで体を洗うのが普通だからな」
彼は、ムッとした表情を浮かべ、シャーナに言い返すと、彼女は意地悪い顔をして、
「ま、アンタみたいに、毎日風呂に入る奴もそう居ないけどねぇ」
「ロナードは、綺麗好きなんスよ」
デュートは苦笑いを浮かべながら、シャーナにそう言い返す。
「ねえ。 誰か居るよ」
エルトシャンは、荒れ果てた畑の前で呆然としている、頭に布を巻き付けた、大柄な中年の男を見付けて、仲間たちに声を掛ける。
その男の足元には、斧と森から切り出して来たばかりと思われる薪が無造作に置かれている所を見る限り、どうやら樵の様だ。
「ちょっと良いか?」
レックスは、樵と思われる中年の男に歩み寄ると、声を掛ける。
樵と思われる男は、突然声を掛けられて驚いた様で、レックスを一通り見回した後で、彼の近くにロナード達が居る事に気付き、
「アンタ達は?」
戸惑いの表情を浮かべ、そう問い掛けて来た。
「オレ等は、魔物退治の依頼を受けて王都から来たんだ。 村長さんに会いてぇんだけど、何処の家か知らねぇか?」
レックスは簡潔にそう説明すると、樵と思われる男は、改めてレックスたちを見回した後、
「アンタたちがか?」
『信じられない』と言った様子で問い返す。
「そうだよ。 アタシ達はケルベロスって言うんだ。 この村の村長に、魔物退治の依頼を受けて来んだけど、詳しい話を聞きたくてね。 村長の家へ案内して貰いたいんだけどさ」
シャーナは淡々とした口調で、戸惑いの表情を浮かべている、樵と思われる男にそう言った。
「そりゃあ、構わねぇが……」
樵と思われる男は、戸惑いながらも答えた。
「ロナード。 行くよ」
少し離れた所で、真剣な面持ちで焼け落ちた家畜小屋の様子を見ていたロナードに、エルトシャンがそう声を掛けると、彼は、ゆっくりとした足取りでやって来た。
「何か、分かったかい?」
シャーナは真剣な面持ちで、ロナードに問い掛けると、
「炎の妖精がまだ興奮している所を見ると、明け方まで、魔物が村を襲っていた様だな……」
ロナードは、焼け残った家畜小屋の柱などを見ながら、淡々とした口調で言った。
「成程。 ゴブリンは夜行性だからねぇ。 今、奴等の住処へ行けば、奴等は揃って夢の中だろうね」
シャーナは、淡々とした口調で言うと、
「どうすんだ? 村長と会う前に、魔物の住処を突き止めんのか?」
レックスは真剣な面持ちで、ロナードに問い掛ける。
「そうだ! ロナードが、この前の火竜を奴等の住処で呼び出してさ、ブレスでバーベキューにしちゃえば良いスよ!」
デュートはポンと手を叩き、嬉々とした表情を浮かべ、そうロナードに言った。
「いや少し荒れそうだ。 強い風雨の中、知らない森の中に入るのは危険過ぎる。 日を改めた方が良いだろう」
ロナードは、落ち着き払った口調でそう言うと、エルトシャンは苦笑いを浮かべ、
「こんなに、天気が良いのに?」
「そうスよ。 すっごい快晴じゃないスか。 雨とか降る要素ゼロじゃないスか」
デュートも、青空が広がっている空を見上げながら、ロナードに言った。
「アンタたち人間には分からないだろうけど、間違いなく荒れるよ。 微かにだけど、遠くで雷の音がするからね」
両耳を忙しく動かしながら、シャーナも真剣な面持ちで、エルトシャン達にそう言った。
「全然、そんな感じじゃねぇけど?」
レックスは戸惑いの表情を浮かべ、上空を見回す。
「アタシら亜人は、雨の匂いとか、遠くの雷の音とかで、天気が悪くなるって判るけどさ、力のある魔術師は妖精が見えるし、連中と意思疎通が出来るからねぇ……。 アタシ等なんかより確実だよ。 ロナードが荒れるって言うんだ。 間違いないよ」
シャーナは苦笑いを浮かべながら、レックスたちにそう説明すると、
「この前から思ってたけど、君は、何時も妖精が見えるの?」
エルトシャンは戸惑いの表情を浮かべ、ロナードに問い掛けると、
「妖精は何処にでも居る訳じゃ無い。 こう言った自然の豊かな場所か、多くの魔力が集まっている場所だけだ。 街中には居ない。 だから何時もと言う訳じゃない」
ロナードは、淡々とした口調でそう語る。
「要は、妖精の居る所に行けば、見えるって事だね?」
シャーナは、苦笑いを浮かべながら言うと、
「簡単に言えば、そう言う事だ」
ロナードは、淡々とした口調でそう答えた。
「それって、生まれた時からスか?」
デュートは興味津々と言った様子で、ロナードに問い掛ける。
「そうだ。 その所為で周りからは、奇異な目を向けられる事もあったが……」
彼は、沈痛な表情を浮かべ、重々しい口調でそう語る。
幼い頃、自分が人とは違う能力がある事を知らなかったロナードは、妖精の事を周囲に話していたのだが、自分たちには見えないモノの事を語る彼に対し、家族以外の周りの大人たちは皆、彼に奇異な目を向けていた。
やがて、周囲から『変な子供』と言うレッテルを張られる様になり、同年代の子供たちからは、『嘘つき』と言われる様になり、心無い虐めを受ける様になる。
元々ロナードは病弱だったので、あまり人前に出る事が無かったのだが、公の場に出ると、決まって周囲の者から、奇異な目で自分が見られている事に気付くと、彼は更に部屋に閉じ籠りがちになってしまう。
心の拠り所だったのは、自分と同じ魔術師である母親と、何時も病弱な自分を気遣ってくれる、五つ年上の優しい兄、そして時折、未亡人になってしまった母を気に掛けて、家へ訪れて来る母の従兄妹である、ラシャとサラサたち……。
父親は、愛する妻の生き写しの彼の事を、とても可愛がっていたと聞いているが、ロナードが物心が付く前に戦死してしまい、どんな人であったのか、彼は写真と、他人から語られる記憶の中でしか知らない。
優しかった五つ年上の兄も、不慮の事故で亡くなり、母親も『血の粛清』の際の混乱の最中、殺害され、ロナードは幼くして、天涯孤独の身となってしまった。
色々な大人が、幼くして身寄りを失った彼に手を差し伸べてくれたが、その多くは、彼の力を利用しようと企む、悪意ある大人たちだった。
幼い故に、人を疑う事を知らなかった彼は、自分に手を差し伸べてくれた相手が、自分を利用する事だけしか考えていなかった事を知り、その幼く純粋だった心は、酷く傷付いた。
その後も、何度も何度も、信じては裏切られ……と言う事が続いた。
やがて、彼自身も己が生きる為、他人を騙し、命を奪う様になっていった……。
「ロナード?」
ロナードが、悲しそうな表情を浮かべ、押し黙って居る事に気付き、レックスは小首を傾げながら、そう声を掛ける。
「えっ。 あ、ああ……済まない……。 何か言ったか?」
レックスに声を掛けられ、ロナードはハッとして、慌ててそう問い返す。
「何をしてるんだい? 村長の家に行くよ」
シャーナは淡々とした口調で、ロナードに声を掛けると、樵と思われる村の男と共に、村の奥へと歩き出した。
ロナード達は、樵と思われる男に案内され、村長の屋敷に到着した。
応対に出た使用人に事情を話すと、彼等は応接間へと通された。
流石に農村と言う事だけあって、屋敷と言っても、王都にある貴族たちの屋敷とは違い、無駄に広い敷地を有しているが、屋敷と言うには小さく、外装も内装も実に地味で、質素だ。
建物自体もかなり古く、レンガでは無く、切り出した石を組み合わせて作られている。
石畳の上に緑色の絨毯が敷かれ、客人をもてなす為、部屋の中央には、大木をくり抜いて作られたと思われる、大きなテーブルの周りにソファーが配置されており、ロナードたちは、思い思いに、ソファーに座ったりして、この屋敷の主の到着を待っていた。
「そんなに、田舎が珍しいのかい?」
シャーナは道中ずっと、小さな子供の様に目を輝かせ、周囲の景色を見ており、村に到着した後も、物珍しそうに村の中を見回しているレックスに、そう声を掛ける。
窓の外は、ロナードとシャーナが言った通り、雨が降り出していた。
「ぶっちゃけオレ、王都の周りの事しか知らなくてよ。 こんな遠くまで来たの初めてなんだ」
窓際に立ち、外を眺めていたレックスは、気恥ずかしそうにしながら、シャーナにそう答えた。
「王都は、お金さえあれば生活に必要な物は大抵、手に入るから、こんな田舎の様に火を起こす薪を手に入れる為に森へ出掛けたり、畑で野菜を作ったり、近くの川へ魚を捕りにを行く必要は無いからね」
エルトシャンは、苦笑いを浮かべながら、そう言った。
「そうなんだよな。 普通に暮らしてて、王都から出る理由ってのがねぇんだよ。 たまに、お館様に付いて、近くの森へ狩に同行する事はあったけどよ……」
レックスは、苦笑いを浮かべたまま、そう語る。
「アタシには、アンタが都会育ちなのを、自慢してる様に聞こえるんだけど?」
シャーナは意地悪い笑みを浮かべ、レックスに言うと、
「そう言うつもりはねぇけど、知らねぇ所に来るとさ、何か、気分が上がらねぇか?」
レックスは、苦笑いを浮かべつつ言うが、その声は弾んで居る。
「遊びに来た訳では、無いぞ」
ロナードは、呆れた表情を浮かべ、浮かれているレックスに、そう釘を刺す。
そんな事を話していると、廊下の方から部屋の入り口の扉が開き、くの字型に腰が曲がった杖をついた、小柄な白髪の老人が、使用人に手を取られながら、ヨロヨロと危なっかしい足取りでやって来た。
「お待たせしましたな」
そう言いながら、使用人に手を引かれ、テーブルを挟んでロナード達の向かいに置かれた一人掛けのソファーに、ゆっくりと腰を下ろした。
「急な訪問に関わらず、応対して頂き感謝します。 ご老人。 僕たちは、魔物退治の命令を受けて来ました、カタリナ殿下直属の組織ケロベロスの者です」
二人掛けのソファーに座っていたエルトシャンは徐に立ち上がり、好感の持てる雰囲気を醸し出し、にこやかに笑みを浮かべ、穏やかな口調でそう挨拶した。
「あ、これが、殿下からの命令書です」
エルトシャンは懐から封筒を取り出すと、村長に差し出した。
世の中には、この様に語って、村長や村人を騙し、魔物退治をする対価として、村長や村人たちに接待を強要し、散々飲み食いした挙句、翌朝、金目の物と一緒に姿を消す詐欺師たちもいる。
その様な誤解を受けぬ為、エルトシャンはわざわざ命令書を見せたのだ。
命令書はルオン王家の紋章入りの特殊な高級な紙を用い、カタリナ王女の直筆のサインと捺印もある。
ここまで手の込んだ事をする輩はなかなか居ないし、その様な事をしてバレれば公文章偽装の罪に問われる。
「わざわざ、この様な田舎にまで足を運んで下さり感謝します。 儂がこの村の村長ですじゃ」
小柄な白髪の老人は、エルトシャンたちが正規の手続きを踏んでここに来たのだと理解し、穏やかな口調でそう言いながら、ソファーの脇に杖を置く。
「早速ですが村長さん。 現状はどうなっていますか?」
エルトシャンは真剣な面持ちで、村長に問い掛ける。
「ご覧の通りの有様ですじゃ。 魔物たちは家畜を狙って村を襲います。 獣の様に火を嫌がるかと思い、村の周囲に篝火を置いてみたのですが、逆にそれを使って家に火を付けられてしまい……。 どうして良いものか、ホトホト困っております」
村長は沈痛な表情を浮かべ、重々しい口調で語る。
「魔物は、獣とは違い火を恐れない。 村への侵入を防ぐには、結界を張るのが確実だ」
片足を組み、エルトシャンの隣に座っていたロナードは、淡々とした口調で言った。
「まあ、結界は無難な線だけど……。 だからと言って、村の外に出れば魔物が居ると言う状況は、奴等の巣を叩かない限り、変わらないよ」
窓際に立っていたシャーナは、両腕を胸の前に組み、淡々とした口調でそう指摘する。
「まずは結界を張り、村の者の安全を確保する事が先決だ。 村の者を守りながら魔物と戦うのは、この人数では無理だからな」
ロナードは淡々とした口調で、シャーナにそう言い返すと、
「そう言う事かい。 そう言う考えなら、りょーかいだよ。 横槍を入れる様な事して悪かったね」
彼女は、肩を竦めながら、ロナードに言った。
「いや、言いたい事は分かっている。 簡素な結界を張っただけで魔物を退治しなかった場合、その所為で後々、色々と問題が起きている事を指摘したかったのだろう?」
ロナードは、落ち着き払った口調で、シャーナにそう言うと、
「流石に元・傭兵だったアンタは、その辺の問題はちゃんと分かってるね? 教会と同じ事をする様なら意味が無いって、アタシは言いたかっただけさ」
シャーナは、苦笑い混じりにロナードに言った。
「殿下は、国民の救済を第一に考えておられる。 完全に魔物を駆除する事は、難しいかも知れないけど、状況に応じて最良の対処をする様にと、殿下から命じられているから、その辺りは心配ないよ」
ロナードの隣に座っていたエルトシャンは、落ち着いた口調でシャーナにそう説明する。
それを聞いて、別のソファーに座っていたデュートは、両手を頭の後ろに組み、『えーっ。面倒臭いスよ』などと、嫌そうな顔をして言っている。
「そう言って下さると助かります。 ですが魔物の数が多く、とてもあなた方だけでは対処出来るとは思えません。 出来れば、軍隊を呼んで頂けると助かるのですが」
村長は遠慮気味に、エルトシャン達に向かって言うと、レックスは不敵な笑みを浮かべ、
「心配ねぇよ。 オレたちは少数精鋭だからよ」
「魔物と戦った経験の無い、使えない奴等が沢山いても意味ないだろ? 怪我人を無駄に増やすだけだし、大勢が村に滞在すれば、アンタ達の村の負担もその分だけ大きくなるよ」
シャーナは肩を竦め、苦笑い混じりにそう指摘する。
「成程……。 それは困りますな……。 ご覧の通り、貧しい村ですから……」
村長は、沈痛な表情を浮かべそう語ると、エルトシャンはニッコリと笑みを浮かべ、
「村に負担にならない範囲で、僕たちが滞在している間の寝る場所と食事を用意して頂ければ十分です」
「ええっ! 可愛い女の子は?」
デュートは不満そうな顔をして、エルトシャンにそう言うと、彼の近くに居たたシャーナが、キッと睨み付け、『黙りな』と言うと、デュートの頭を思い切りド突き上げた。
シャーナに思い切り頭をド突かれた彼は、ソファーに座った格好のまま気絶してしまった……。
それを見ていたロナードが顔を引き攣らせ、デュートを一撃で沈めてしまったシャーナに対してドン引きしている。
「本当にその様な事で、宜しいのですか?」
エルトシャンの言葉に、村長は戸惑いの表情を浮かべ、ロナード達に問い返すと、
「心配しなくてもアタシ等は給与制だからね。 アンタたちからの報酬が無くても、問題ないよ」
シャーナは苦笑いを浮かべたまま、戸惑って居る村長にそう言うと、それを聞いて村長は、物凄く安堵した様子で、
「そう言う事でしたら、大変助かります」
シャーナにそう言い返すのを聞いて、レックスは苦笑いを浮かべ、
「何かスゲェ、金取られるって思ってたのか?。 爺ちゃん」
「まあイシュタル教会なら、法外な金額を毟り取られるからねぇ……。 村長さんも相当な覚悟をして、アタシ等に依頼をしたんだろうね」
シャーナは、苦笑いを浮かべながら、レックスにそう説明する。
「お恥ずかしい限りですじゃ」
村長は苦笑いを浮かべ、そう言った。
「別に恥ずかしい事では無いよ。 心配するのは当然だよ。 イシュタル教会に魔物退治を依頼したばかりに、高額な報酬を払う為に、村の娘たちが借金の形に売られたり、借金苦で村長が自殺したり、借金から逃れる為に村人が全員逃げ出して廃村になってしまったり……。 色々と問題が起きているのは事実だからね」
エルトシャンは、複雑な表情を浮かべ、重々しい口調で言うと、それを聞いて、レックスは表情を引き攣らせ、
「それ、笑えねぇな……」
「……そもそも、イシュタル教会の魔物退治は、信者を増やす為や教会の力を知らしめる為に無償でしていた。 それが現・教皇の代の辺りになってから、金稼ぎを目的としたビジネスになってしまったんだ」
ロナードは、これと言った表情を浮かべる訳でも無く、淡々とした口調で説明した。
「まぁ、信者たちからチマチマお布施を集めるより、そっちの方が余程、儲かるって気が付いたんだろうね。 結界をテキトーに張って、その辺の雑魚をちょっと倒せば、それで金が貰えるんだからさ。 安い金でその尻拭いをさせられるのは何時も、アタシら傭兵って訳さ」
シャーナは皮肉たっぷりに、肩を竦めながら言った。
「それって、詐欺じゃね?」
レックスは戸惑いの表情を浮かべ、シャーナに言うと、
「『神様』なんて言う、本当に居るかも分からないモノを信じろと言ってる時点で、詐欺と大差ないだろ? それなのに、まんまと騙されて、そんな訳のわからないモノに縋ろうとする奴が居る方が、アタシは理解出来ないケドね」
彼女は、物凄く皮肉を込めて、レックスにそう言い返した。
「皆が皆、お前の様に強い心を持ち合わせている訳じゃ無い。 誰だって、その時々によって大小様々な不安や悩みを抱いて生きている。 自分の心の中に渦巻いている、言い知れぬ不安や悩みから解放されたい。 報われない現状から救われたい……。 己が犯した罪を許してもらいたい……。 そう思ってしまう者は、この世の中には沢山居る」
ロナードは、複雑な表情を浮かべ、重々しい口調でそう語った。
「ロナード……」
ロナードの言葉を聞いて、エルトシャンは沈痛な表情を浮かべ、彼を見る。
「まさかアンタの口から、そんな言葉を聞くとはね。 アンタは、アタシと同じ無神教かと思ったんだけどねぇ」
シャーナは苦笑いを浮かべ、ロナードにそう言うと、
「正確には、信仰心が『あった』と言うべきだろうな……。 今は、神様なんて居ないと思っている」
彼は、複雑な表情を浮かべ、重々しい口調で答えた。
「どう言う事?」
エルトシャンが不思議そうに、ロナードに問い掛ける。
「……お前たちは『血の粛清』は……知っているか?」
ロナードは徐に、真剣な面持ちと、重々しい口調で仲間たちにそう問い掛けて来た。
彼のその言葉を聞いて、レックスとエルトシャンの表情が強張った。
『血の粛清』と言うのは、今から一二年ほど前に起きた、ルオン王国軍が飛び領地クラレス公国の首都マケドニアへ侵攻し、市民を一方的に斬殺した事件である。
事の発端は、クラレス公国の大公が民主政治への移行を推し進めていた事が、原因であると言われている。
その大公の政策に対し、主国であるルオン王国国王と宰相ベオルフが、民主政治への移行を即座に中止する様に再三に渡り、大公に強く迫っていた。
その後、大公は、ルオン王国の海岸部から侵攻して来た、エレンツ帝国軍の侵略を阻止するため、奇襲を仕掛け、ルオン海で戦死した。
だがその後も、大公夫人らがその遺志を引き継ぎ政策は続けられていたが、ルオン国王は遂に自分たちの命令を聞かず、勝手な政策を行っている大公夫人を、主国であるルオン王国への謀反人として逮捕する事を決定する。
その事実を知ったクラレス公国の民たちは怒り狂い、ルオン国王を非難するデモを断行。
それを止めるべき立場である、クラレス公国軍の兵士たちまでもデモに加わり、収拾がつかない事態となり、遂にデモ隊は主国であるルオン王国へ向かって行進を始めた。
事態を重く見たルオン国王は、クラレス公国の民の暴動を鎮圧すると言う名目で、王国軍を公国へ差し向けた。
ルオン王国軍は、市民を守ろうとしたクラレス公国軍と隣国のマイル王国の国境近くで交戦状態となり、その間に、別ルートから、ルオン国王の要請を受け援軍として進軍していた、イシュタル教会の聖騎士団たちが首都へ雪崩込み、彼等は多くの市民を粛清の名の下、虐殺した。
首都マケドニアは火の海と化し、壊滅的な被害を受け、多くの市民と共に大公夫人も死亡。
この事件が世間に明るみになると、ルオン国内外からルオン国王と、それに従い派兵した指揮官に対し、強い非難が集中した。
この事件が起きた当初、ルオン国王の命を受け、クラレス公国へ派兵されたルオン王国軍の指揮を執っていたのは、オルゲン将軍だと言われていた。
実際に、オルゲン将軍は私兵を率いクラレス公国に居たので、その疑惑を払拭する事が出来ず、将軍は、一連の事件の責任を取る様な形で、将軍の地位と爵位をルオン国王に返還。
それに伴い、治めていた領土、財産の殆どが没収され、将軍は王都を離れる事を余儀なくされ、東のランティアナ山脈の麓にある、ミストと言う辺境の村に隠居する事となった。
その後、ルオン国王は、『血の粛清』の一件でオルゲン将軍に全ての罪を擦り付け、自らは責任逃れをした事が明るみになると、国内外からオルゲン将軍の時以上に強い非難を受ける事となる。
元々、小心者のルオン国王は、非難を受け続ける事に耐えられなくなり、やがて心が病んで病床に伏してしまう。
その後、病床の国王に代わり、娘のカタリナ王女が政に携わる様になると、『血の粛清』でのオルゲン将軍の疑いが晴らされ、王女の腹心として目出度く再起を果たしたのだが……。
『血の粛清』の疑念が晴れた今でも、世の中には『王女がオルゲン将軍を、腹心として迎えたいが為に、無罪にしたのだ』と、考える者がルオン国内にも一定数存在している。
加えて、当時、甚大な被害を受けたクラレスの人々からは、疑いが晴れた今でも、オルゲン将軍は目の敵にされ、その命を狙われている。
実際、オルゲン将軍や娘のアルシェラが、クラレス人から襲撃されると言う事件が何度か起きている為、元・家臣であるレックスや、オルゲン将軍を伯父に持つエルトシャンは、どうしても『クラレス公国』と言う言葉に過敏に反応してしまい、相手がクラレス公国の出身者と知ると、将軍の命を狙っているのではないかと思って、身構えてしまうのだ。
「オメェ、まさか……。 この組織に入ったのは、お館様を殺す為じゃねぇだろうな?」
レックスは表情を険しくし、唸る様な声で、ロナードに向かって言った。
「流石にそれは無いよ……」
シャーナは肩を竦めながら、実にあっさりと、俄かに湧いた疑惑を否定した。
「何で、そんな事が言えるんスか?」
デュートは不満そうな表情を浮かべ、シャーナに問い掛ける。
「もし、アンタが言う様な理由でルオンへ来たのなら、この子程の腕があれば、何時でも将軍を殺せてる筈だろ? 魔術をぶっ放せば終わりなんだから。 違うかい?」
シャーナは真剣な面持ちで、そう指摘すると、
「いやいや……。 そもそも、ロナードを誘ったのは伯父上だよ」
エルトシャンは苦笑いを浮かべながら、そう言った。
「オルゲン将軍は当時クラレスに居たばかりに、ルオン国王が保身の為に、濡れ衣を着せられた事くらい、俺は知っているぞ。 将軍がずっとクラレスへの派兵を反対していた事も、派兵を知って、大公夫人と子供を助ける為にクラレスに来ていた事も」
ロナードは、落ち着き払った口調でそう語ると、
「いやでも……。 国王様がやった事には怒ってるんだろ? 国王様に反感を抱いてる奴がよ、カタリナ殿下の直下の組織に居るのは、色々とマズイんじゃねぇのか?」
レックスは戸惑いの表情を浮かべ、片手で頭を掻きながら言い返す。
「精神の病んで、棺桶に片足を突っ込んでいる様なボケ老人を今更どうこうしようなど、思ってはいない。 己の寿命が尽きるまで、己のやった事の罪の重さに苛まれながら、死んで行くと良い」
ロナードは冷ややかな口調で、そう言い放つと、
「かなり酷い事言うね? アンタ」
シャーナは苦笑いを浮かべながら、ロナードに言い返す。
「お前たちが、血の粛清の生き残りである俺の事を警戒する気持も理解出来る。 だから、俺が少しでも怪しいと思った時は遠慮なく斬ればいい」
ロナードは落ち着き払った口調で、レックス達にそう言うと、
「んな事言われてもよ……」
レックスは戸惑いの表情を浮かべ、困惑気味に言い返すと、思わず、チラリとエルトシャンの方へと目を向けると、彼もどう答えて良いのか困って居る様であった。
(つーか。 オレなんて、コイツを斬れる程の腕はねぇしなぁ……)
レックスは、ロナードを見つめたまま、困惑した表情を浮かべ、心の中で呟く。
「まあ、この組織に入る前に身辺調査はされてる筈だから、本当に危険な奴なら、採用されないと思うケドね」
シャーナは肩を竦めながら、そう指摘する。
「確かにっス……」
シャーナの指摘に、デュートは神妙な面持ちで、呟く。
「一つ確認なんだけどよ。 カタリナ殿下もお館様も、オメェがどう言う奴か、ちゃんと知ってるんだよな?」
レックスは真剣な面持ちで、ロナードにそう問い掛けると、
「当然だろう。 さっきもエルトシャンが言ったが、俺をこの組織に誘ったのは、その二人だぞ?」
彼は、落ち着き払った口調で、サラリと言って退けた。
「んじゃ、何か考えがあって、お二人はコイツを組織に入れたんだろうから、オレ等らコイツの事をとやかく言っても、仕方のねぇ事じゃねぇのか?」
レックスは神妙な面持ちで言うと、シャーナは苦笑いを浮かべながら、
「そりゃ、そうだわね」
「実際にオルゲン将軍を襲撃したお前が、俺にとやかく言える義理じゃないだろ。 俺に言わせれば、お前の方が余程、危ない奴だと思うが」
ロナードは、シャーナに向かって淡々とした口調で言い返すと、
「確かに」
エルトシャンが、苦笑いを浮かべながら言うと、
「それを言われちゃあ、返す言葉も無いよ」
シャーナも苦笑いを浮かべ言うと、肩を竦める。
「えっ。 シャーナさん、オルゲン将軍を襲撃したんスか……」
デュートが表情を強張らせ、戸惑いながら問い掛けると、
「昔の話さ。 今は利害が一致してるから、そんな真似はしないよ」
シャーナは苦笑いを浮かべたまま、デュートにそう答えた。
「何だかんだて、オメェが一番信用ならねぇじゃねぇかよ」
レックスは、苦笑いを浮かべながらシャーナに言うと、彼女は『あははは』と笑って誤魔化した。
(いや、それ以前に俺がクラレス出身って知った時点で、『血の粛清』の生き残りの可能性を考えてなかったのか。 コイツは)
ロナードは、レックスを見ながら、呆れた表情を浮かべ、心の中で呟いた。
だが、『レックスだから』と言う、謎の理由でロナードは直ぐに納得した。
(んん? 何か……焦げ臭い様な……)
ロナード達とは別の部屋で就寝していたシャーナは、少し開けていた窓から、風に乗って、何かが焼ける匂いと共に、遠くでパチパチと、木の枝が幾つも折れる様な音が聞こえるので、徐にベッドから出て近くの窓際へ行き、外の様子を見た途端、その表情を険しくした。
いつの間にか雨は止んでおり、夜空には月が出ていた。
遠くで火の手が上がり、人々の悲鳴や叫び声も微かに聞こえて来る……。
彼女等が滞在している村長の屋敷は、村の中心から外れにある為、ただの火事ならば、ここまで広がる事は無いだろうと、シャーナが思っていると、誰かがバタバタと階段を駆け上がり、自分がいる部屋の方へと足音が近づいて来て、何度も何度も、激しく扉を叩く音がして、
「大変です! 村に魔物が!」
村長の娘の声が、廊下から響いて来た。
「何だって!」
その言葉を聞いて、シャーナは慌てて、ベッドの側の壁に立て掛けていた槍を手に取ると、急いで部屋の外へと駆け出した。
隣の部屋からも、村長の娘の叫び声を聞いて、レックス達が飛び出して来ていた。
「村が、魔物に襲われてるって……」
エルトシャンは、部屋から飛び出して来たシャーナを見るなり、戸惑いの表情を浮かべながら、そう言った。
「その様だね……。 今夜は新月だから、もしかしたら……とは思ってたけどね……」
シャーナは、苦々しい表情を浮かべ、呟く。
「どう言う意味スか?」
デュートは戸惑いの表情を浮かべ、シャーナに問い掛けると、
「詳しい理由は知らないが、魔物は新月と満月になると凄く獰猛になる。 昔から、月の満ち欠けは魔力に影響すると言われている。それと関係があるのかも知れないな」
慌てる様子も無く、部屋から出て来たロナードが、落ち着き払った口調で説明する。
「アタシたち『亜人』や一部の魔術師なんかも満月の時、本来以上の能力を発揮するとも言われてるよ。 特に『狼人族』は、そうらしいね」
シャーナが真剣な面持ちで語ると、それを聞いたエルトシャンはニッコリと笑みを浮かべ、
「じゃあ、僕たちはロナードとシャーナに、期待って事で」
「いやいや……。 今日は新月だよ?」
シャーナは苦笑いを浮かべ、言い返した。
「魔術師の間では、新月は本来の力が発揮出来ない、体内の魔力が枯渇し易い日だから、魔術の使用は避けた方が良い日と言われている」
ロナードが他人事の様な口調で言うと、
「え。 ロナード、大丈夫なの?」
エルトシャンは、戸惑いの表情を浮かべ、問い掛ける。
「調子は良いとは言い難いが、何とかするしかないだろ」
ロナードは、ふぅと軽く溜息を付いてから、落ち着いた口調で答える。
「だね。 まあ、『狼人族』みたく、全く変化が出来ないって訳じゃないから、何とかなるだろ」
シャーナも、苦笑いを浮かべながら答える。
「いや、それを早く言ってよ。 そうしたら今日着くのを避けたのに」
エルトシャンが、困った様な表情を浮かべながら言うと、
「魔物の被害に村の人たちが苦しんでいると知っていて、自分たちの体調を優先する方が可笑しいだろ」
ロナードが、呆れた表情を浮かべながら答えると、
「ロナードの言う通りさ。 新月だからって、ゴブリン如きに負けたりはしないよ」
シャーナも、苦笑いを浮かべながら言った。
「兎に角、魔物を追い払う事が先決だ。 行くぞ」
ロナードが真剣な面持ちで、仲間たちに向かってそう言うと、他の者たちも真剣な面持ちで頷き返すと、急いで階段を駆け下り、村長の屋敷の玄関まで来た時、
「あれ? そう言えばレックスは何処スか?」
デュートは、レックスがいない事に気付き、周囲を見回しながら他の者に問い掛けると、
「要らないだろ」
ロナードが物凄く冷めた口調で、デュートにそう返すと、
「んだと! コラ!」
遅れて来たレックスが声を荒らげ言うと、ロナードの尻を思い切り蹴飛ばすと、彼は危うく、前のめりになって扱けそうになる。
「何だ。 逃げたわけじゃないのかい」
遅れてやって来たレックスを見て、シャーナが、冷ややかな口調で彼に言うと、
「出しゃばら無くても良いのに……」
ロナードは、蹴られた尻を片手で摩りながら、ムッとした顔をして呟く。
「ちょっと小便に行ってただけだつーの! オレだって男だ! やる時はやるぞ!」
レックスは剣を握り締め、気合十分の様子でロナード達に強い口調でそう言うが、その口調とは裏腹に、足が震えている。
「……足、震えてるよ」
エルトシャンが苦笑いを浮かべながら、レックスの足元を指差しながら、意地悪く彼に言うと、
「わざわざ言うな……」
ロナードが、気の毒そうな視線をレックスにむけつつ、エルトシャンに言い返した。
「き、気のせいだ! ぜ、全然、怖くねぇぞ! オレは!」
レックスは不安そうな顔をしているくせに、気丈にそう言い張るので、四人は思わず苦笑いを浮かべたが、それ以上何も言わなかった。
ロナード達が村の広場に駆け付けると、家々から火の手が上がり、炎で赤々と照らされながら、火の粉が舞う中を村人たちは悲鳴を上げ、逃げ惑っていた。
(うわ~。 マジでヤバそうだな~。 どうやって、やり過ごそう……。 どっか隠れる所ないかな)
デュートは村の状況を見て、ゲンナリした表情を浮かべ心の中で呟いていると、彼の少し前に立っていたロナードの様子が変だ。
ロナードは、村の状況を目の当たりにして、金縛りに遭った様にその歩みを止め、呆然とした様子で立ちつくしている。
彼の脳裏に、幼い頃の記憶が蘇って来る……。
不気味に赤く輝く満月の夜、煌々と燃え盛る不気味な青い炎の渦の中で、悲鳴を上げ逃げ惑う人々を黒い鎧を着た悪魔たちが、虫けらの様に躊躇も無く斬り殺し、街の至る所に、炎で崩れ落ちた瓦礫と、惨殺された人々の無残な亡骸が転がってた……。
やっとの思いで、母の姿を見付けだした時、母親は彼の目の前で、何者かにその体を貫かれ、長く美しい黒髪を振り乱しながら、床に倒れ込んだ。
床の上に敷いてあった薄い緑色の絨毯は、みるみる母が流す血の色に染まり、その上に力無く倒れていた母は、顔だけを上げ、彼の方を見て手を伸ばし、逃げる様に呟きながら絶命した。
「うわあああっ!」
ロナードは突然、両手で頭を抱えながら悲鳴を上げると、その場に両膝を付き、蹲ってしまった。
「ロナード?」
「どうしたの?」
その声を聞いて、先行していたシャーナとエルトシャンが驚いて、揃って振り返る。
ロナードは顔面蒼白で、小さな子供の様に体をガタガタと震わせ、大きく見開いた紫色の双眸から、止め止めと無く涙が溢れている。
「ええっ! ちょっ、どーしたんスか?」
デュートも焦りの表情を浮かべ、ロナードに駆け寄り、声を掛ける。
(傭兵をしていたなら、こんな光景、何度も見ている筈だろうに……。 どうしちゃったんだ?)
酷く取り乱しているロナードを見て、デュートは戸惑いの表情を浮かべ、心の中で呟いた。
「ロナード! どうしたの?」
エルトシャンはロナードの下に駆け寄り、地面に片膝を付き、震えているロナードの肩を掴み、戸惑いつつも声を掛ける。
「いや……だ……。 かあ……さ……」
ロナードはすっかり取り乱し、両手で頭を抱えたまま、涙を流しながらそう呟いている。
「な、なんなんだよ? どうしちまったんだよ……」
ロナードの異常な取り乱しようを見て、最後に来ていたレックスも、戸惑いながら呟く。
「何だか分らないけど……。 この取り乱し様は尋常じゃないよ」
ロナードの様子を見て、エルトシャンが戸惑いの表情を浮かべたまま言った。
ロナードの瞳孔は大きく開かれ、虚空の一点を見つめたままで、その顔からは血の気が失せ、その体は恐怖のせいか緊張して硬直しているのに、小刻みに体は震えていて、浅く荒々しく呼吸を繰り返し、完全に仲間の事は視界に入っていないし、その声も届いて無い様であった。
四人は急ぎ、延焼の心配が無さそうな村長の屋敷の方へロナードを連れて行くと、彼の体を建物の壁に凭れ掛けさせる。
「ゴブリンたちの注意はアタシ等が惹き付けるから、隙を見てロナードを連れて、屋敷の中へ逃げるんだよ」
シャーナは、レックスとデュートに言ってから、
「悪いけど手を貸しとくれ。 アタシ一人じゃ、ちと厳しいからね」
エルトシャンに向かってそう言うと、彼は頷き返すと、二人は踵を返し、魔物たちの方へと駆け出すと、様子がおかしい事に気付いた、村長の娘が駆け出して来て、
「どうしました?」
「分らねぇけど……。 何か、すげぇ取り乱して……」
レックスは、青い顔で俯いたまま、大量の冷や汗を流し、とても苦しそうに、肩で呼吸を繰り返しているロナードを不安そうに見下ろしながら、村長の娘にそう言った。
「水、持って来て貰えるスか?」
デュートは周囲の様子に注意しながら、心配そうな顔をして、ロナードを見下ろしている村長の娘に、落ち着き払った口調で言うと、彼女は頷き返し、水を取りに屋敷の中に戻った。
「兎に角、ゆっくり呼吸をしろ」
レックスは、ロナードの背中を摩り、優しく声を掛けつつ、周囲の様子を伺う。
暫くして、村長の娘が、急いで水が入ったグラスを持って戻って来ると、レックスはそれを受け取り、ロナードの体を支えながら、片手にグラスを持ち、それをロナードの口元に近付け、
「水だ。 ゆっくり飲めよ」
優しくそう声を掛けると、幾分か呼吸が整って来たロナードは頷き返し、レックスに差し出されたグラスを両手で掴み、ゆっくりと水を飲み始めた。
グラス内の水をロナードが全て飲み干した事を確認し、レックスは彼の背中を摩りながら、
「大丈夫か?」
優しくそう声を掛けると、ロナードは疲れた顔をしていたが、落ち着きを取り戻した様で、頷き返した後、
「悪い……。 心配を掛けた……」
申し訳なさそうに、レックスにそう言った。
「もうチョット、休んだ方が良いスよ」
デュートも、安堵の表情を浮かべながら、優しい口調でロナードに言った。
「おめぇ一体どうしたよ? 何処か体の調子が悪いんじゃねぇのか?」
レックスが心配そうに、ロナードに問い掛ける。
「夜、火事を見ると何時もこうなんだ……。 昔は、焚火を見ただけでもこうなっていた。 幼い頃のトラウマだと医者は言っていた」
落ち着きを取り戻したロナードは、レックスの問い掛けに、そう答えた。
「トラウマ……」
レックスは、戸惑いの表情を浮かべながら呟く。
(何時も空かした顔をしるけど、案外、脆い所があるんだな……コイツ)
デュートは、ロナードを見ながら、心の中でそう呟いた。
彼の言う『幼い頃のトラウマ』とは、ルオン軍がクラレスの首都に火を放ち、街に住まう市民たちを虐殺した『血の粛清』の時の事だろうか……。
あの事件から、十数年は経っているだろうに、その時の事を思い出すと、あんなに酷く取り乱す程、当時まだ幼かったロナードの心に、深い傷となって残っている言う事だろうか……。
レックス達が、そんな事を思慮していると、彼等が物凄く、神妙な面持ちをしていたからか、
「これは、俺自身が乗り超えなければならない事だ」
ロナードは複雑な表情を浮かべ、重々しい口調でレックスに言うと、デュートは、彼が落ち着いたと判断すると、スクッと立ち上がり、一緒に居たレックスに向かって、
「ロナードの事、頼んだスよ。 レックス」
「えあ? オメェどうすんだよ?」
デュートに不意にそう言われ、レックスは戸惑いの表情を浮かべ問い返す。
「まさか……。 二人の応援に行くつもりなのか?」
ロナードも戸惑いの表情を浮かべ、デュートに問い掛ける。
「二人じゃあ大変だから、おれがロナードの穴埋めをするスよ」
彼はニッコリと笑みを浮かべ、戸惑いの表情を浮かべ、自分を見上げているレックスに言ってから、『本当は気が進まないけど』と、心の中で付け加えた。
「デュート……」
ロナードは心配そうな表情を浮かべ、デュートにそう声を掛けると、
「あ。 ロナードの穴埋めとか、ちょっと大きく出過ぎたスか?」
彼は、何時もの調子でヘラヘラと笑いながら、ロナードにそう言い返す。
「無理をするな」
ロナードは、心配そうな表情を浮かべたまま、デュートに言うと、
「大丈夫スよ。 ロナード。 皆に少しは良い所を見せないと」
片手で止めようとしたレックスを制し、落ち着き払った口調でそう言うと、戸惑って居る彼等を尻目に、デュートは何時もと違い、キリリと表情を引き締め、シャーナ達の援護へ向かった。
「手伝うスよ」
デュートはそう言いながら、シャーナ達の周囲に集っていたゴブリン達を持って居た大きなブーメランを投げ付けて倒し、彼女たちと合流する。
「ロナードは、大丈夫なの?」
エルトシャンは、ゴブリン達を切り倒しながら、彼に落ち着いた口調で問い掛ける。
「レックスに任せて来たから、大丈夫スよ」
デュートはニッと笑みを浮かべ、エルトシャンにそう答えると、自分に襲い掛かって来たゴブリンの攻撃をヒラリと避ける。
(うわぁ……。 ガチなヤツじゃん。 おれもロナードの側に残ってた方が良かったかなぁ……)
デュートは、興奮し、血走った眼をしたゴブリン達を見回しながら、心の中でそう呟くと、自分らしからぬ行動をした事にかなり後悔した。
そんなやり取りをしていた彼等に向かって、物凄い勢いで緑色の風の刃が向かってきたので、とっさの事に反応が出来ずにいると、彼等の目の前に、額に大きなルビーの様な宝石を付けた、大きな黒い瞳を持つ、全身が緑色の蜥蜴の様な大きな生き物が現れると、その額から赤い光を発し、彼等の前に虹色に輝く光の壁が現れて、彼等に向かって来ていた、緑色の風の刃を弾き返した。
「ぎえっ」
弾き返された緑色の風の刃が直撃したのか、何かが、短い断末魔を上げて倒れ込む。
見ると、人間の子供くらいの背丈、肌の色は艶の無い褐色、血の様に赤い双眸は猫の目に似ていて、大きく裂けた口からは、黄ばんだ鋭い犬歯が並んでいるのが見え、両耳の先は尖り、鼻は絵本に出て来る魔女の様に異常に高く鷲鼻で、艶の無い灰色の長い髪、黒いマントをした、不気味で醜悪な姿をした魔物が、地面の上に転がっていた。
「だ、ダークエルフ!」
それを見たシャーナが、表情を険しくして、呟いた。
『ダークエルフ』は、背格好がゴブリンと似ているので、間違われる事が多いが、彼等とは違い、素早い身のこなしと、魔術を得意とする。
ゴブリンなどより、遥かに性質の悪い魔物だ。
「一匹居ると言う事は、近くに仲間が居る筈ス!」
デュートは、表情を険しくして、エルトシャンたちに警戒を呼び掛ける。
「オレも加勢するぜ!」
遅れて、調子を取り戻したロナードを引き連れてやって来ていたレックスがそう言って、シャーナ達と合流しようとした時、スッと彼の背後に、影の様な何か黒いモノが蠢いたのを見て、
「レックス! 後ろっス!」
デュートは思わず、気付かずにシャーナたちの方へと駆け寄る、レックスに向かって叫んだ。
「えっ?」
レックスは、デュートの叫び声に驚いて足を止め、振り返る。
レックスは、突然自分の足元から何かが飛び出して来た事に驚き、反応できず立ち尽くしていると、誰かが、素早く彼と影との間にスッと割って入り、レックスに踊り掛って来た影から肩の辺りをナイフで切り付けられながらも、その胴体を剣で叩き斬った。
「ボサっとしないで!」
レックスの窮地を助けたのは、意外にもエルトシャンで、呆然と立ち尽くして居る彼に、表情を険しくして、怒鳴り付けた。
エルトシャンに怒鳴られ、レックスはハッとして、自分の足元から少し離れた地面の上を見ると、自分に襲い掛かろうとしたダークエルフが、うつ伏せになって血を流し、絶命していた。
レックスが、動揺を隠せない様子でいると、彼の前に背を向けて立っていたエルトシャンの体が、大きく揺らぐ。
「マズっ……。 コイツ……。 刃に毒を……」
エルトシャンは、斬り付けられた肩に手を添えながら、表情を歪め、片膝を地面に付ける様にして、その場に崩れる。
「エルトシャン様!」
それを見たレックスは、慌ててエルトシャンの肩を掴み、その場に倒れ込みそうになった彼の体を抱き支える。
「エルトシャン!」
デュートも青い顔をして、焦った様子で彼の側へ駆け寄る。
既に毒が回り始めて、手が痺れ感覚が無くなったのか、剣がエルトシャンの手から滑り、地面に音を立てて落ちた。
「どうかしたのか?」
異変を察知したロナードがそう言いながら、遅れてレックス達の下に駆け寄って来る。
「エルトシャン様が、オレを庇って……」
レックスは青い顔をし、泣きそうな表情を浮かべ、駆け寄って来たロナードに言うと、
「毒か!」
エルトシャンの様子と、地面の上に倒れていたダークエルフの手元に転がるナイフの刃先が、ドス黒く変色して、何かを塗りたくっているのを見て、ロナードは表情を険しくして、とっさにそう呟いた。
「僕の事よりも、魔物を……。 村の人たちを助けないと……」
レックスに支えられながら、エルトシャンは体に毒が回り出したのか、顔から血の気が失せ、額や背中から大量の冷や汗を流しながらも、歯を食いしばり、ロナードに向かって言った。
「分っている! だが今はお前の事の方が先だ!」
ロナードは、真剣な面持ちでそう言うと、自分の服の裾を裂き、エルトシャンが負傷した傷から上部、丁度、肩の関節辺りをきつく縛り上げる。
エルトシャンは、ロナードに肩を強く縛られたせいか、一瞬、表情を歪める。
「俺が援護をする。 エルトシャンを連れて、急いで村長の屋敷へ戻るぞ!」
ロナードは、強い口調でレックスにそう言うと、彼は頷き返し、
「立てるか?」
レックスは、エルトシャンの肩に腕を回しながら、彼に声を掛ける。
「何とか……」
エルトシャンはそう言うと、レックスに支えられながら、ゆっくりと立ち上がる。
「早く行くス!」
デュートは、自分たちに詰め寄って来ているゴブリン達を見回しながら、ブーメランを手にゴブリン達と対峙しながら、背中越しに、レックス達に向かって叫ぶ。
「ここから離れようぜ」
レックスはそう言うと、村長の屋敷の方へとエルトシャンを連れ、移動しようとすると、彼らの目の前に、別のダークエルフが、不気味な笑みを浮かべ立ち塞がる。
「この野郎! 退きやがれ!」
レックスは恐怖で顔を引き攣らせ、小刻みに震える手で、腰に下げていた剣を引き抜き、自分たちの前に立ち塞がる、ダークエルフに向かって叫ぶ。
「雑魚がっ! 退けっ!」
ロナードの叫び声と共に緑色の風の刃が飛んで来て、レックスの前に立ち塞がっていたダークエルフを勢い良く吹き飛ばした。
ダークエルフは、ゴム人形の様に魔物特有の紫色の血を撒き散らしながら、二、三度地面の上をバウンドして、数メートル後方に力なく転がる。
その様子をレックスとエルトシャンが呆然と見ている中、ロナードは忙しく辺りを見回しながら、
「急げ!」
レックスに向かって叫ぶと、彼の叫び声にレックスはハッとし、エルトシャンを抱え、村長の屋敷へと急いだ。
「様ぁ無いよね……」
エルトシャンは、苦しそうに息を切らせつつ、苦笑いを浮かべながら言った。
「そんな事を気にしている場合か!」
ロナードは、レックス達を襲う魔物がいないか辺りを警戒しつつ、強い口調でエルトシャンにそう叱り付ける。
(くそっ! 俺がもたついていた所為で……)
ロナードは、周囲を見回しながら、苦々しい表情を浮かべ、心の中で呟く。
「僕が死んだら……。 誰か……悲しんでくれるのかな……」
エルトシャンは、ヘラヘラと笑いながらも、かなり笑えない事を言うので、
「何言ってんだよ! 死ぬとか、冗談でも言うもんじゃねぇぞ!」
レックスは表情を険しくし、エルトシャンに言い返す。
「レックスの言う通りだ。 俺が必ず助ける」
近くに居たロナードも、真剣な面持ちでエルトシャンに言うと、彼はニッコリと笑みを浮かべ、
「ありが……とう……」
そう言うと、急にガックリと力が抜けたので、彼を支えていたレックスは焦り、
「エルトシャン様? 冗談だよな? なあ? おい。 何とか言えよ!」
戸惑いの表情を浮かべ、そう声を掛け、彼の体を何度か揺さぶる。
「落ち着けレックス。 気を失っただけだ。 早く屋敷の中に運び込むぞ」
ロナードは、焦っているレックスにそう声を掛けると、彼は頷き返した。
レックスがエルトシャンを屋敷の中に運び込んでいる傍らで、入り口の扉近くの壁に、ロナードはダンと勢い良く、自分の拳を叩きつけた。
(何やってるんだ! 俺が一番しっかりしなければならないのに!)
ロナードは、壁に拳を叩きつけたまま、苦々しい表情を浮かべながら心の中で呟く。
「お、おい……」
レックスは驚いた顔をして、壁に自分の拳を叩きつけ、思い詰めた表情を浮かべているロナードに声を掛ける。
「先に入っていろ」
ロナードは、思い詰めた表情を浮かべたまま、淡々とした口調でレックスに言った。
レックスは戸惑いの表情を浮かべたまま、ロナードに何と声を掛けて良いのか分からず、エルトシャンを抱え、屋敷の中へ入った。
中央にテーブルと椅子、部屋の隅にベッドと荷物を収納するクローゼット、換気の為に大きめに作られた、外に面した窓、田舎の屋敷や宿屋では良くある簡素な造りの客室。
その客室のベッドの上で、ロナードが調合した解毒剤が効いて、一命を取り留めたエルトシャンは小さな寝息を立て、シャーナがこの部屋に入って来た事にも気付かずに、ぐっすりと眠っている。
その傍らには、一晩中、エルトシャンの介抱をしていたロナードが、睡魔に見舞われ、椅子に座ったまま、うつ伏の状態で、エルトシャン胸元を枕代わりにして眠っていた。
エルトシャンは毒のせいでまだ少し熱があり、その手は少し熱かったが、様子を見に行った一時間前よりも、随分と顔色も良くなり、熱も少し下がり始めた様だ。
シャーナは、椅子に座ったまま、寝入ってしまったロナードが風邪をひかぬ様、別のベッドから毛布を持って来て、彼の肩にそっと掛けてやった。
ベッドの横に置いてある小さなテーブルの上に、氷水が入った小さな桶があり、シャーナは、エルトシャンの額の上に置かれたまま、すっかり温くなったタオルを手に取ると、氷水の入った桶にそれを浸し、しっかり絞って水気を切り、そっと、彼の額の上に乗せる。
すると、額に乗せたタオルが冷たかったらしく、エルトシャンは微かに眉を顰めて、ゆっくりと目を開けた。
「悪かったね。 起こしちまって」
シャーナは、苦笑いを浮かべながら、済まなそうにエルトシャンに言った。
「シャーナ? えっ、あ……」
エルトシャンは寝惚けている様で、自分の身にどう言う事が起きて、寝ていた自分の側にシャーナが何故居るのか理解出来ていないらしく、戸惑いの表情を浮かべ、呟く。
そして、エルトシャンはふと、自分の胸元に何か重いモノが乗っている事に気付き、其方へ目を向けると、綺麗な顔立ちをした黒髪の若者が、自分の方へ顔を向け、椅子に座った状態で俯せになり、小さな寝息を立てて眠っていた。
「ロナード?」
自分の直ぐ側に、ロナードの顔がある事に驚いて、エルトシャンが素っ頓狂な声を上げると、
「う、うーん……」
眠っていたロナードが顔を顰め、徐にその目を開いた。
紫水晶を丹念に磨き込んだ様な、吸込まれそうな程、綺麗な深い紫色の瞳と目が合った途端に、エルトシャンは思わずドキッとし、体を硬直させ、顔を引き攣らせる。
「ん。 ああ……。 エルトシャン……。 気が付いたのか」
ロナードは顔を真っ赤にし、目を点にして固まって居るエルトシャンに気付いていないのか、眠そうに手の甲で目を擦りつつ、そう言った。
(これは……。 どう言う事なんだろう……。 何でロナードが僕に添い寝してるの?)
エルトシャンは、動転している自分を落ち着かせようと、心の中でそう呟きながら、こうなる前の事を思い出そうとするが、どう頑張っても思い出せないので、更に焦る。
「気分はどうだい?」
エルトシャンが混乱しているなど知らず、シャーナがそう問い掛けると、
「えっ。 あ。 ちょ、ちょっと体が熱い……かな……」
彼は、慌てふためきながら、シャーナにそう返すと、
「そりゃ毒の所為だろうね。 仕方が無いよ。 もう少し寝てた方が良いね」
彼女は、落ち着き払った口調で言うと、エルトシャンは『へっ?』と言う様な表情を浮かべる。
そして、ふとロナードの方を見ると、彼は椅子に座ったまま、またウトウトとしている。
「ロナード。 エルトシャンの介抱を代わるよ。 アンタは、ちゃんとベッドに入って寝な」
シャーナはロナードの肩を叩き、彼を起こしながら、落ち着き払った口調で言うと、
「ん。 ああ……。 頼む……。 もう、限界だ……」
ロナードは半分眠っている様な状態で、シャーナに力なくそう言うと、フラフラと危なっかしい足取りで、近くの空いているベッドの上に靴を履いたまま、身を投げ出すと、一分もしない内に熟睡してしまった。
「全く……」
ロナードの様子を見てシャーナは、呆れた表情を浮かべ、そう呟いてから、ロナードが先程まで座っていた椅子に腰を下ろす。
「まあ、アンタが意識を取り戻したと知れば、レックスも安心するだろうさ。 自分を庇って、アンタが毒刃を受けた事に負い目を感じている様だからねぇ……」
シャーナは、未だに事態が呑み込めず、戸惑って居るエルトシャンに向かって、落ち着き払った口調で言った。
彼女の話を聞いて、エルトシャンは自分の身に起きた事を初めて理解した。
(そうか……。 僕は、レックスを庇って……)
安堵した表情を浮かべ、心の中でそう呟いてから、直ぐに真剣な表情を浮かべシャーナに、
「魔物は……どうなったの?」
「魔物は、ロナードが奮闘してくれたお蔭で、何とか退ける事が出来たよ。 村は、酷い有様だけど、死人が出なかった事が幸いだね」
シャーナは、足を組みながら、落ち着いた口調でそう語る。
「そっか……。 他の二人も無事なんだね?」
エルトシャンは、安堵の表情を浮かべながら問い掛ける。
「心配いらないよ」
シャーナは、そう言って頷き返す。
「御免……」
エルトシャンは、沈痛な表情を浮かべ、シャーナに言うと、
「何故、謝るんだい?」
彼女は、戸惑いの表情を浮かべながら、エルトシャンに問い掛ける。
「だって、みんなに迷惑を掛けたから……」
エルトシャンは、申し訳無そうに言うと、
「そんな事かい。 アンタはさ、いくら剣の腕が立つって言ったって、魔物退治も魔術に関しても、素人だから仕方がないさ。 アンタの出来る範囲で仕事をしてくれれば良いんだよ」
シャーナは、気落ちしているエルトシャンに、穏やかな笑みを浮かべ、優しい口調で言った。
「シャーナ……」
彼女に思いがけず、優しい言葉を掛けられ、エルトシャンは戸惑いの表情を浮かべる。
「何だい?」
鳩が豆鉄砲を食らった様な顔をして、自分を見ているエルトシャンに、シャーナは思い切り眉を顰め、問い掛ける。
「いや……。 君から、こんな優しい言葉を掛けられるとは、思って無かったものだから……」
エルトシャンは、苦笑いを浮かべながら、シャーナに言うと、彼女はムッとした表情を浮かべ、
「……アンタね! アタシの事を何だと思ってんだい? 怪我をして落ち込んでるアンタに、何時もの調子で毒を吐くとでも思ってたのかい?」
「いや……。 そう言う訳じゃないけど……。 何か……ね……」
エルトシャンは、苦笑いを浮かべつつ、シャーナに言い返すと、彼女はムッとした表情を浮かべたまま、
「兎に角、怪我人は大人しく寝てな!」
そう言うと、エルトシャンの額に軽くデコピンを見舞うと、徐に立ち上がり、
「ちょっくら他の二人に、アンタが意識を取り戻した事を伝えて来るよ」
ホッとした様な口調でそう言うと、部屋から立ち去って行った。
「どうだったスか?」
戻って来たシャーナに、デュートがエルトシャンの事を問い掛ける。
デュートとレックスは、村長の屋敷の一階にある広間で、村長や集まった村人たちと共に、これからの事を話し合っていた。
「意識を取り戻したし、熱も下がりだしたみたいだよ。 あの様子だともう、命の危険を心配する必要も無いだろうね」
シャーナの言葉を聞いて、デュートとレックスは、揃って安堵の表情を浮かべる。
「良かったスね。 レックス。 一時はどうなるかと思ったスけど……」
デュートは、ホッとした様子で、レックスに言った。
「ああ。 ホントに良かったぜ」
レックスも、安堵の表情を浮かべながら、言った。
「あれ? ロナードは?」
デュートは、ロナードが一緒では無いので、シャーナに問い掛けると、
「流石に魔物を殆ど一人で蹴散らした後、一晩中エルトシャンを介抱したのはキツかったみたいだねぇ……。 疲れ果てて、死んだ様に眠っちまったよ」
彼女は二階の方を見ながら、そう答えた。
「そっか……。 オレ、結局また、何にも役に立てなかったな……」
レックスは、沈痛な表情を浮かべ、力なく呟くと、
「アンタはまだ駆け出しだからね。 仕方ないよ。 アタシも駆け出しの頃は、そうだったからねぇ。 最初から上手くいく事の方が珍しいよ。 そう気にしなさんな」
シャーナは肩を竦めながら、複雑な表情を浮かべているレックスに、そう言った。
「そうス。 元気出すスよ。 そんな顔、レックスらしくないスよ」
デュートもニッと笑い、ポンポンとレックスの背中を軽く叩きながら、優しい口調で言ってから、
「んで、話は変わるスけど、明日にでも、オレ等で魔物の住処を確認する事になったスよ。 本格的に叩くのは、セシア達が応援に来てからの方が良いだろうけど……。 差し当たりス」
デュートが、真剣な面持ちで、村人たちと話し合った内容をシャーナに報告する。
「了解したよ。 流石にロナードに手酷くやられたから、やたら滅多に攻めて来る様な真似はしないと思いたいけどねぇ……」
シャーナは、神妙な面持ちでそう言うと、レックスは複雑な表情を浮かべ、デュートは神妙な表情を浮かべながら頷いている。
「魔物の住処へは、アタシとデュートが行く。 レックス。 アンタはここに残って、エルトシャンの介抱の傍ら、ロナードの結界を張る手伝いをしな。 良いね?」
シャーナは、真剣な面持ちで、レックスにそう言うと、
「了解ス」
デュートは、ピンと背筋を伸ばし、真剣な面持ちで、シャーナにそう言い返す。
「お、おう」
一方のレックスは、自分が二人の足手纏いになると悟ったのか、何時もの様な不平不満をこぼさず、複雑な表情を浮かべ、素直にシャーナの指示に従う意思を示した。
「ヤバイと思ったら、直ぐに引き上げるよ。 アンタは心配せず、ロナード達とお留守番してな」
複雑な表情を浮かべているレックスに、シャーナはニッと笑みを浮かべそう言うと、気落ちしている様子の彼の背中をポンポンと、軽く掌で叩く。
「明日、朝一で伝書鳩を飛ばす事になってるス。 馬を飛ばせば、多分、明日の昼過ぎにはセシア達が来ると思うスよ。 それまでの我慢ス」
デュートが、真剣な面持ちでそう言うと、レックスは黙って頷く。
「そんな顔するんじゃないよ。 挽回すれば良いだけの事さ」
シャーナは、ニッと笑みを浮かべ、落ち込んでいるレックスにそう言って励ました。
翌日、デュートとシャーナは、案内役の樵を引き連れ、ゴブリン達の住処がある森へ、朝食を済ませると、すぐに出掛けて行った。
森へと向かう三人を、エルトシャンはベッドの上に身を起こしたまま、心配そうな顔をして、二階の窓から見送っていたので、隣に居たレックスが、
「大丈夫だって。 シャーナの腕前は良く知ってんだろ?。 んな簡単にやられる訳ねぇって。 デュートもそれなりに経験積んでるみてぇだしよ。 オレ等が心配する必要はねぇって」
心配そうな顔をしていたエルトシャンに、ニッと笑みを浮かべながら言うと、
「お前は、能天気で良いな」
エルトシャンの為に床の上に胡坐をかき、すり鉢を床の上に置き、擦り棒を手に散薬を作っているロナードは軽く溜息を付き、レックスに言うと、
「何だよ。 二人して辛気臭い顔してよ」
レックスがムッとして、ロナードに言い返す。
(シャーナたちの留守を狙って、魔物が襲撃して来なければ良いんだが……)
ロナードは、不安そうな表情を浮かべつつ、森の方を見て、心の中でそう呟いた。
エルトシャンも、ロナードと同じ様な事を心配していたのか、真剣な表情を浮かべ、
「レックス」
近くの椅子に腰を下ろしていたレックスに声を掛ける。
「何だよ?」
レックスは、問い返して来る。
「僕の事は良いから、ロナードと結界を張るのを急いだ方が、良いじゃないかな?」
エルトシャンは、真剣な面持ちで、レックスに言うと、
「心配しなくても、手筈通り、今日中には完成させる」
ロナードは、懸命に擦り棒で薬草を摺り潰しながら、エルトシャンに言い返した。
部屋の中に、草が摺り潰された時の匂いが漂う。
「いや、万が一の事態に備えて急いだ方が良いよ。 シャーナ達の留守を狙って、魔物たちがまた村を襲撃するかも知れない」
エルトシャンが、真剣な面持ちで、ロナードに言うと、
「心配性だな。 エルトシャン様は。 魔物がそんなに利口な訳ねぇだろ? 昨日ロナード一人に散々な目に遭わされたばかりだぜ?」
レックスは、苦笑いを浮かべながら、エルトシャンにそう言い返す。
「ゴブリンだけならばな。 だが、お前も知っている様に、魔物の中にはダークエルフも居る。 連中は狡猾だからな。 何時、何処で、村の様子を伺っているか分からない。 用心するに越した事は無い」
エルトシャンと同じ事を危惧していたロナードは、神妙な面持ちで言うと、
「おいおい。 そりゃちょっと、考え過ぎじゃねぇの?」
レックスは、戸惑いながら、ロナードに言った。
「シャーナ達が留守の間、村の人間を守れるのは僕たちだけだよ。 でも僕は怪我をしているし、多分、ロナードだって昨日の今日だから、そんなに無理が出来ない筈。 何かあってからでは遅すぎるよ。 結界を急いで張った方が良い。 せめてこの屋敷の周りだけでも。 村の人たちが逃げ込めるようにするべきだよ」
エルトシャンは相変わらず、真剣な面持ちでレックスに言うので、彼は深々と溜息を付き、
「わあったよ。 急げば良いんだろ?」
レックスは、面倒臭そうにそう言い返してから、ロナードに向かって、
「急いで作っちまおうぜ」
「ああ。 これを作り終えたらな……」
ロナードは、擦り棒を動かしながら、レックスに言い返した。
「ああっ! 畜生!。 堅てぇな!」
レックスは結界を張る準備の為、雨でぬかるんでいた所に、魔物たちが暴れまわって踏み固められ、乾いて硬くなった地面にスコップで懸命に穴を掘っている。
「食料の運び込み、済んだだべ」
村の男が、レックスと子供たちが掘った穴に、術式を書き込んだ石を埋めていたロナードに言うと、
「了解した」
ロナードはそう言うと、徐に周囲を見回し、作業の進み具合を確認する。
「何をやってるだ?」
その様子を見ていた、何も知らない村人が、不思議そうな顔をして、レックスに問い掛ける。
「結界を張るんだよ」
レックスはそう言うと、土まみれの手で鼻をこすると、土がベッタリと鼻や頬に付く。
ロナードは、ブツブツと何か言葉を呟きながら、石を埋めて言っていると、魔物に警戒して村の周囲を巡回していた村の若い男たちの一人が、血相を変えて駆け込んで来た。
「来た! 来ましたよ!」
その叫び声を聞いて、外にいた村人たちの表情が、俄かに険しくなる。
女性たちは、外で遊んでいた子供たちを連れ、大急ぎで村長の屋敷の中へと駆け込み、騒ぎを聞き付けた村の男達は、鍬や鎌などを手に、ゴブリン達の襲撃に備える。
「マジかよ……」
レックスは、恐怖に顔を引き攣らせながら、そう呟く。
「嫌な予感が、的中したな……」
ロナードは、苦々しい表情を浮かべ、結界を張る作業を急ぐ。
「間に合うのかよ?」
レックスが、表情を引き攣らせ、慌てた様子でロナードに声を掛ける。
「間に合わせる!」
ロナードは、真剣な面持ちでそう言い返すと、彼等の前にフッと何か、黒い影の様な物が過った。
「レックス!」
ロナードは、思わず叫ぶ。
レックスと共に魔物を迎え討とうと、村長の屋敷の外に農具を武器に集まっていた村の男たち数人が、短い断末魔を上げ、次々とその場に倒れ込む。
ロナードはとっさに、持っていた短剣を黒い影の様な何かに向かって投げ付けると、金属同士が、激しくぶつかる音共に、昨夜、ゴブリン達と共にこの村を襲撃した、ダークエルフの生き残りが、姿を顕わにする。
「ひいいっ!」
それを見て、村の男達が悲鳴を上げ、慌てて逃げ出す。
ダークエルフは、ニヤリと不気味な笑みを浮かべ、恐怖で足を震わせながらも、剣を抜き、身構えているレックスと対峙する。
「こんにゃろう!」
レックスは意を決し、へっぴり腰でダークエルフに向かって切り掛かるが、ダークエルフはヒョイっと、彼の攻撃を避けると、力強く地面を蹴り跳躍し、レックスの頭上を飛び越えると、後ろで結界を張る作業を続けていた、ロナードに襲い掛かる。
「ロナード! そっちに行ったよ!」
村人たちの騒ぎを聞き付け、レックス達の援護としようと駆け付けて来たエルトシャンは、ロナードに向かって叫ぶ。
「チッ!」
ロナードはとっさに、腰に下げて居た剣を抜き、襲い掛かって来たダークエルフの攻撃を剣で受け止める。
「ロナード! 後ろだ!」
レックスの叫び声を聞いて、ロナードはとっさに横へと転がると、彼の真後ろから、別のダークエルフが勢い良く、ナイフを振り上げるが、虚しく空を切る。
昨夜の戦いで、ロナードが一番厄介だと分ったらしく、その後も、二匹のダークエルフは連帯して、執拗なまでに、彼を攻め続ける。
「にゃろう! ロナードが狙いかよ!」
レックスはそう呟き、ロナードを助けに向かおうとするが、
「ご、ゴブリンだ!」
「ゴブリン達が来た!」
村人たちの叫び声を聞いて、慌てて振り返ると、森の方からかなりの数のゴブリン達が、武器を手に姿を現した。
「早いね……」
エルトシャンは困惑した表情を浮かべ、ダークエルフと、迫りつつあるゴブリン達の方を見比べながらそう呟く。
「くそっ! どうすりゃいいんだよ!」
レックスは、森の方から来るゴブリン達と、二匹掛かりで、ロナードを翻弄しているダークエルフ達とを見比べる。
ダークエルフ達は、ロナードが魔術を扱える事を昨晩の襲撃の時に見て知っているので、魔術を唱える暇すら与えぬ様、入れ替わり立ち替わり、ロナードを攻撃している。
元々、身のこなしが素早いダークエルフを同時に二匹も相手をするロナードは、彼等の攻撃を回避するのが一杯一杯で、とても結界を発動する言葉を紡ぐ余裕は無さそうだ。
(ヤバイ。 マジでこれは、やべぇぞ!)
レックスは、この状況を見て心の中で呟き、焦りの色を濃くする。
村長の屋根の上からは、シャーナたちに緊急事態を知らせる狼煙が上がっている……。
(お願いだから早く戻って来てよ! シャーナ、デュート!)
空へと立ち上る狼煙を見ながら、エルトシャンは心の中で叫んだ。