国立図書館事件(下)
主な登場人物
ロナード…漆黒の髪に紫色の双眸が特徴的な、傭兵業を生業として居た魔術師の青年。 落ち着いた雰囲気の、実年齢よりも大人びて見える美青年。 一七歳。
エルトシャン…オルゲン将軍の甥で、ルオン王国軍の第三治安部隊の副部隊長だったが、カタリナ王女から、新設された組織『ケルベロス』のリーダーを拝命する。 愛想が良く、柔和な物腰な好青年。 王国内で指折りの剣の使い手。 二一歳。
アルシェラ…ルオン王国の将軍オルゲンの娘。 白銀の髪と琥珀色の双眸が特徴的な、可愛らしい顔立ちとは異なり、じゃじゃ馬で我儘なお姫さま。 カタリナ王女の命を受け、新設される組織に渋々加わる事に。 一六歳。
オルゲン…ルオン王国のカタリナ王女の腹心で、『ルオンの双璧』と称される、幾多の戦場で活躍をして来た老将軍。 温和で義理堅い性格。 魔物の害に苦しむ民の救済の為に、魔物退治専門の組織『ケルベロス』を、カタリナ王女と共に立ち上げた人物。
セシア…ルオン王国の王女、カタリナの親衛隊の一員で、魔術に長けた女魔術師。 スタイル抜群で、人並み外れた妖艶な美女。
レックス…オルゲン侯爵家に仕えて居た騎士見習いの青年。 正義感が強く、喧嘩っ早い所が有る。 屋敷の中で一番の剣の使い手と自負している。 一七歳。
カタリナ…ルオン王国の王女。 病床にある父王に代わり、数年前から政を行っているのだが、宰相ベオルフ一派の所為で、思う様に政策が出来ずにおり、王位を脅かされている。 自身は文武に長けた美女。 二二歳。
サムート…クラレス公国に住む、烏族の長の妹サラサに仕える、烏族の青年。 ロナードの事を気に掛けている主の為にロナード共にルオンへ赴く。 人当たりの良い、物腰の柔らかい青年。
シャーナ…南半球を中心に活動している傭兵で槍の扱いが得意。 口は悪いが、サバサバとした性格で面倒見の良い姉御肌。
デュート…元・トレジャーハンターの少年。 その経験をかわれ、ケルベロスに加わる。 飄々としていて掴みどころのない性格。 一七歳。
チェスター…エルトシャンの腹違いの兄で、治安部隊総監補佐をして居る。 エルトシャンと違い武芸に疎い、頭脳派。 とてもプライドが高い。 二五歳。
ベオルフ…ルオン王国の宰相で、カタリナ王女に代わり、自身が王位に就こうと企んで居る。 相当な好き者で、自宅や別荘に、各地から集めた美少年美少女を囲って居ると言われている。
メイ…オルゲン侯爵家に仕えている騎士見習いの少女。 レックスとは幼馴染。 ボウガンの名手。 十七歳
「それにしても誰が、こんな恐ろしい事を考えているんだろうな……」
ロナード達と共に、図書館の地下から出て出来たレックスは、神妙な面持ちで、徐に呟いた。
「ホント、ロクな奴じゃ無いスね!」
デュートは、嫌悪に満ちた表情を浮かべ言うと、
「多かれ、少なかれ、現状に不満を持っている者は何処でも居る。 そんな奴等に、妙な事を吹き込む奴もな」
ロナードは、淡々とした口調で言った。
「って事は……。 地下の封印を解こうとしてる奴は、他の奴にそうする様に仕組まれてるだけって事か?」
レックスは、一階のフロアの廊下を頭の後ろに両腕を組みながら、トボトボと歩きながら、そう指摘すると、
「本当に悪い奴と言うのは大体、自分は安全な所に居て、危ない事は他人にさせるモノだろ?」
ロナードは、嫌悪に満ちた表情を浮かべ、吐き捨てる様な口調で言った。
「んまぁ、確かに。 そうかもな……」
頭の後ろに両腕を組んだまま、レックスは言い返す。
「あれ? これ何スかね?」
デュートは、ふと視線を自分の足元に落とした時、何か、紙切れの様なモノが落ちている事に気付き、そう言って身を屈め、それを拾い上げる。
掌程の大きさの、穴が一つ開けられていて、そこに赤いリボンの様な布切れが結び付けられている、丈夫な紙……。
どうやら、本の栞と思われる。
「何だ? この模様……」
レックスは、デュートが持っているしおりに、円形状に描かれている、文字にも見える、不思議な模様を見て呟く。
「……呪符?」
それを見たロナードは、俄かに眉を顰め呟く。
「じゅふ?」
デュートは小首を傾げ、そう言いながら、ロナードに拾った栞を差し出す。
「それ、何なんだよ?」
デュートが拾った栞を見て、レックスは戸惑いながらロナードに問い掛ける。
「魔術師が魔術を使う時に用いる、術式などが書かれた札の事だ。 さっき地下の封印を施している扉の前にも、似た様な模様が書かれた紙切れが貼ってあっただろう? これは、誰かを呪う専用の物だ」
ロナードはそう言いながら、注意深く、デュートから受け取った栞を見る。
「そう言われてみれば……。 あった様な……」
デュートは、ケルベロスが封じられていると言う扉の前にも形などは違ったが、確かに、この栞と似た様な模様が書かれた紙切れが沢山、扉の前に貼り付けられていた事を思い出し、神妙な面持ちで呟く。
「って言ってもよ。 これ、どう見ても栞だせ?」
レックスは小首を傾げながら、ロナードに言うと、
「……呪符を栞にして、誰かが持ち歩いていた……と言う事か?」
ロナードは、微かに眉を顰めながら呟く。
「でも、何の為にスか?」
デュートは不思議そうに言うと、ロナードは、真剣な面持ちで暫く考えた後、
「ここで俺達があれこれ思慮していても、仕方が無い。 落し物として一旦、ここの受付に預けよう。 持ち主が現れれば、これを持っていた理由も分かるかも知れない」
落ち着き払った口調で、デュート達にそうた。
「そうスね。 受付の人に持ち主の特徴や、名前とかを聞いてもらっておけば、後日、接触する事も出来るだろうし……」
デュートは、真剣な面持ちで言うと、ロナードは彼に拾った栞を返す。
「ここに封印されている奴と、何か関係があったりしねぇのか?」
レックスは徐に、ロナードに問い掛けると、
「それは俺も考えたが、何の札なのか分からないのに、そうだと決めつけるのは、どうかと思う」
彼は、複雑な表情を浮かべ、レックスに重々しい口調で言い返す。
「だったら、この模様を写して、これが何なのか詳しい人に聞いてみてはどうスか?」
デュートは、そう言うと、レックスの方を向き、
「レックス。 紙と鉛筆を借りて来てス」
名指しされ、レックスは不満そうにしつつも、仕方なさそうに、受付へ紙と鉛筆を借りに行った。
暫くして、レックスが紙と鉛筆を手に戻って来ると、デュートはそれを受け取り、自分達の近くのテーブルに紙と栞を置き、栞の図柄を見ながら、書き写そうとするのだが……。
「う~ん。 何か複雑過ぎて上手く書き写せないスね……。 ってかロナードが書けば良いスよ。 魔術師なんスから、こう言うの得意っしょ?」
デュートは上手く書けないので、困った様な表情を浮かべ両手で頭を抱え、そう唸っていたが、ふと、ロナードの存在を思い出し、黙ってその様子を見守っていた彼に苛立った口調で言うと、
「……俺が書くと、術が発動する可能性があるが……」
彼は、落ち着き払った口調で言うと、それを聞いた二人は焦り、
「そ、それ駄目だろ!」
「か、か、書かなくて良いス!」
レックスとデュートは顔を青くし、そう言って、ロナードが書く事を止めた。
(冗談で言ったのに……)
ロナードは、焦っている二人の様子を見ながら、戸惑いの表情を浮かべ心の中でそう呟いた。
「仕方が無いスね。 オレが書き写すしかないスか……」
デュートは、溜め息を付いてから言うと、再び栞の模様を書き写そうと試みていると、
「如何なさいました?」
不意に、図書館で働いている女性の司書が、にこやかに声を掛けて来た。
「あ。 いや……。 ちょっと、これを拾って、変わった模様だから何だろうと思って、書き写そうとしていただけス……」
デュートは苦笑いを浮かべながら、女性の司書にそう答えると、
「あら、これは……」
女性の司書は、デュートが拾った栞を見て呟く。
「これ、アンタのか?」
レックスは真剣な面持ちで、女性の司書に問い掛けると、
「あ、いいえ。 この栞は前に館長が頂いたとかで……。 希望される方に、無料で差し上げていた物です」
女性の司書は、にこやかに笑みを浮かべ、レックスにそう説明する。
「フォレスター館長が?」
デュートは戸惑いの表情を浮かべ、女性の司書に問い掛ける。
「ええ。 今は、別のデザインの物をお配りしていますが……。 何でも、それにお願い事を書いて、毎晩その栞を両手で包んで、一身に念じると願い事が叶う……とか何とか言われていました」
女性の司書は落ち着き払った口調で、戸惑っているデュートにそう説明すると、ロナードが真剣な面持ちで、
「もし余っているのなら、今まで配られた、その手の栞を全種類、貰えないだろうか」
女性の司書にそう言うと、それを聞いたレックスは、意地の悪い笑みを浮かべ、
「何だよオメェ。 そんな必死に願わなきゃなんねぇ様な、願い事でもあんのか?」
そう言ってロナードの事をからかうと、彼は、ジロリとレックスを睨み付け、
「この模様の意味を調べる為に、決まっているだろ」
「あ、そっか。 わりぃ。 わりぃ」
レックスは、苦笑いを浮かべながら、ロナードにそう言い返すと、彼は、呆れた様な表情を浮かべて、溜め息を付く。
「少し、お待ち下さいね」
女性司書はそう言うと、その栞を取りに行ってしまった。
「……館長に誰から貰ったのか、問い質す必要があるな」
ロナードは、栞を取りに向かった、女性の司書の背中を見送りつつ、両腕を胸の前に組み、神妙な面持ちで、レックス達に言った。
「もしかしてロナード。 フォレスター館長を疑っているスか?」
デュートは、戸惑いの表情を浮かべ、ロナードに問い掛けると、
「いや。 その可能性低いと思う。 もしフォレスター館長が犯人ならば、何故、オルゲン将軍に相談をする必要があるんだ? 義理堅い将軍の事だ。 相談すれば必ず、問題を解決しようと動く筈だ。 そうなれば、困るのは計画を企てている館長自身だ」
彼は、両腕を胸の前に組んだまま、淡々とした口調で、デュートにそう答えた。
「確かにそうだよな。 オレだったら、そんな面倒臭ぇ事しねぇし」
レックスは両腕を頭の後ろに組み、眠たそうに欠伸をしながら言った。
「そうスよね。 成功させたいのなら、誰にも知られない方が、色々と都合が良いだろうし……」
デュートも神妙な面持ちで、ロナードに言い返す。
「そう考えると、今回の事を計画したのはフォレスター館長の知り合いと言う人物で、館長は只、何も知らず利用されている……と見做すべきだと思うが……」
ロナードは両腕を胸の前に組んだまま、神妙な面持ちで、レックス達にそう語る。
「けどよ。 地下室の鍵を持ってるのは、フォレスター館長だけだせ? 封印されてるって言う扉の前の紙が破れるって事は、誰かが中に入って、それを破らなきゃなんねぇだろ?」
レックスは、腑に落ちないと言った様子で、ロナード達にそう指摘すると、
「いや。 例え、そこへ入る事が出来たとしても、どんな奴でも強引に札を破って、封印を解くと言う事は出来ない。 無理に引き破ろうとすれば、手に酷い火傷を負う事になる」
ロナードは淡々とした口調で、レックスの指摘にそう答える。
「じゃあフォレスター館長が、魔法使いとかだったら、封印を解く事が出来るって事スよね?」
デュートは真剣な面持ちで、ロナードに問い掛けると、
「だとしたら、同じ術師の俺が気付かない訳が無い」
彼は、淡々とした口調で言い返すと、
「話には、聞いた事はあったスけど、やっぱり魔術師同士は、同類かどうか分かるスか?」
デュートは、苦笑い混じりに言うと、
「大抵はな。 たまに術師だと察知されない様にしている奴もいるが……」
ロナードは、真剣な面持ちで語る。
「んで、オメェ的には、どんな可能性を考えてんだ?」
レックスは討論するのも、話を聞くのもが面倒になって来た様で、ロナードに問い掛けると、
「そうだな……。 一番考えられる事は、魔術師が、フォレスター館長に操作術を掛けて、地下の鍵を館長に開けさせ、中に入って封印を解こうとしている可能性だ」
彼は、自分の顎の下に片手を添え、神妙な面持ちで語ると、
「操作術?」
デュートは小首を傾げ、ロナードに問い掛ける。
「催眠術みたいなものだ」
ロナードは、事務的な口調で答える。
「成程な。 フォレスター館長が訳が分かんねぇ内に、地下室への鍵を開けさせるから、館長は何にも覚えてねぇって訳か……」
レックスは、真剣な面持ちで呟くと、デュートも神妙な面持ちで、
「確かにそれなら、犯人は館長に自分の顔も知られる心配も無いって事スよね……」
「あくまで、可能性の一つではある……」
ロナードは、真剣な面持ちでそう言っていると、
「お待たせしました」
女性の司書がそう言いながら、例の栞を持って来た。
「あ、有難うス……」
デュートは、ニッコリと笑みを浮かべて、そう言いながら、女性の司書から、栞を受け取ろうとすると、
「あ、あの……」
女性の司書は顔を赤らめ、モジモジ、ソワソワとしながら、
「宜しければ、貴方のお名前と、ご住所を教えて頂けませんか?」
甘える様な声で、ロナードに上目遣いをしながら、そう言うと、レックスとデュートは、揃って面白く無い様な表情を浮かべ、白い目をロナードに向ける。
「何故?」
ロナードは、キョトンとした表情を浮かべ、女性の司書に問い返すと、彼女は焦りの表情を浮かべながら、
「えっと……。 その、それは……お手紙で新刊のご紹介などをしたいと思いまして……」
とっさに思い付いたと思われる、尤もらしい事をロナードに言うと、
「本は好きだが、俺は図書館に頻繁に通える程暇じゃない。 こう見えて、結構忙しいんだ」
彼は物凄く真面目に、女性の司書にそう答えると、彼女は、物凄く残念そうな表情を浮かべて、俯く。
「馬鹿スねぇロナード。 彼女は気があるんスよ」
デュートは呆れた表情を浮かべ、ロナードに言うと、彼は物凄く迷惑そうな顔をして、
「そんな事分かっている。 例え図書館の司書でも、ここで一度も本を借りた事の無い奴の名前や住所を聞くなど、不自然過ぎるだろ? 人が折角、傷付かない様に断ろうとしたのに……」
(何だ。 ちゃんと分かってたスか。 オレはてっきり、鈍感なだけかと思ってたスよ)
ロナードの言葉を聞いて、デュートは心の中で呟く。
「何だよ。 だったら間に合ってますってハッキリ言えよ。 その方がスッキリするべ?」
レックスは、ムッとした表情を浮かべ、ロナードに言うと、
「お前は……何でそう野暮なんだ?」
彼は、呆れた表情を浮かべ、レックスに言い返す。
「あ、あの。 ご迷惑な事を言って、済みませんでした。 お気遣い有難うございました」
女性の司書は俯き、涙声でそう言うと、持っていた栞を、側に居たデュートに半ば押し付ける様に渡すと、逃げ出す様にその場から走り去って行った。
「あ~あ~。 ホント、レックスってさ、見た目通りに無神経スね」
走り去る女性の司書を見ながら、デュートは呆れた表情を浮かべ、レックスに言った。
「何だよ。 オレは只、回り諄い事を言うより、その方がスッキリすると思ってだな……」
ムッとした表情を浮かべ、デュートに言い返すと、
「自分が逆の立場だったら、そんなハッキリ言われたら、傷付くとは、思わないスか?」
彼は、呆れた表情を浮かべ、レックスに問い掛ける。
「そりゃあ……。 まあ、ショックだけどよ。 そんなの一時の事だろ? 三日もすりゃあ、ふっ切れるって」
彼は、ポリポリと鼻の頭を掻きながら、苦笑混じりに、デュートにそう答えた。
「やれやれス……。 世の中、レックスみたいに神経が図太い奴ばかりじゃ無いスよ? 少しはさぁ、気を遣ってあげなよ」
デュートは、『はあ』と溜息を付いてから、呆れた表情を浮かべ、レックスに言った。
「こんな野暮天に何を言っても、無駄だと思うが」
ロナードは、両腕を胸の前に組み、冷ややかな口調で、デュートに言った。
オルゲン将軍の依頼を受け、ロナード達が国立図書館へ調査に行った翌日の朝、何時も通りに剣の稽古をしようと、レックスは庭に足を運んだ。
何時もは、自分よりも先にエルトシャンが庭へ来ている筈なのだが、今日はどう言う訳か、彼の姿が無い。
(ずっと張り切ってたからなあ……。 疲れて寝坊でもしたかな?)
そう思いつつ、何処かへ出掛ける用意をしていたセシアに、彼が起きて来ないの理由を問い掛けたのだが、彼女も知らないらしく、当惑した顔をしている。
「ロナード様を起こしに行くついでに、エルトシャン様の様子も見に行ってくれないかしら?」
セシアは心配そうな表情を浮かべ、レックスにそう言うと、彼は彼女に言われるまでも無く、そうしようと思っていたので、二人の様子を見に二階へと足を運んだ。
まずは、夢の中であろうロナードを先に叩き起こそうと、二階への階段に足を掛けた時、上から階段を誰かがノロノロと降りてくる足音がしたので、レックスは徐に顔を上げると、ロナードが眠そうな顔をしつつも、珍しく自力で起きて来ていた。
「おう! 今日はちゃんと起きられたか」
レックスは片手を上げ、ロナードに向かってそう言うと、
「まあな……」
彼は、ぼーとした表情で、力なくそう返して来た。
「オメェが折角頑張って起きたのにな。 今日はよ、エルトシャン様が起きて来ねぇんだ」
レックスは、苦笑い混じりにロナードにそう言うと、彼は意外そうな表情を浮かべ、
「エルトシャンが? 具合でも悪いんじゃないのか?」
「オメェもそう思うよな?」
レックスは、苦笑いを浮かべながら、ロナードにそう言った。
エルトシャンは、レックスなどとは違い、一三歳くらいの時から、ルオン王国軍の騎士団寮で生活しており、厳格な世界で身を置いて来た為、規則正しい生活が身についており、時間や決まり事は、しっかり守る。
ヘラヘラしているのは、相手に余計な警戒心を与えない為で、レックスやロナードの様に、アバウトな性格はしていない。
そんな彼が、何の理由も無く稽古に遅れるなど、これまで一度も無かったので当然、彼の身に何かあったのだと、ロナードも思った訳である。
「少なくとも、時間や決まり事には、俺たちよりもずっと厳格だ」
ロナードは、淡々とした口調でそう言った。
二人は揃って、エルトシャンの部屋へと向かい、ロナードが徐に彼の部屋の扉をノックする。
「エルトシャン。 起きているか?」
ロナードは、ノックをしながら、部屋の中に居るであろう彼にそう声を掛けるが、返事が無い。
二人は不思議そうな顔をして、互いの顔を見合わせる。
「お~い。 エルトシャンさま~っ?」
レックスはそう言いながら、ゆっくりと部屋の扉を少し開けた瞬間、後ろに居たロナードがとっさにガッと彼の肩を掴み、
「離れろ!」
強い口調でそう言うと、戸惑うレックスに有無も言わせず、強引に彼を後ろへ押し除けると、勢い良く部屋の扉を開いた。
その瞬間、レックスには部屋の中から何とも言い難い、ドス黒く重々しい空気が噴き出して来た様に思えた。
ロナードはその、何とも言い難い嫌な空気が蔓延している部屋の中へ、果敢に踏み込むと、エルトシャンの姿を探し始めた。
「エルトシャン!」
自分達の部屋と同じく、窓際に置かれた古びた木製のベッドの上に、エルトシャンの姿を認めたが、その顔は血の気が無く真っ白で、力なくグッタリしているのを見て、ロナードは焦りの表情を浮かべ、彼の名を叫ぶ。
グッタリと力なくベッドの上に横たわって居るエルトシャンの額には昨日、国立図書館の女性の司書が、フォレスター館長が知り合いから貰ったと言う、不思議な模様が描かれた栞が、張り付いていた。
「どうしましたの?」
ロナードの叫び声を聞いて、セシアがシャーナを伴って部屋に駆け込んで来た。
そして、ベッドの上に横たわっているエルトシャンを見るなり、
「何だよこれ!」
シャーナが、戸惑いの表情を浮かべ、驚きの声を上げる。
「この紙、エルトシャン様の生気を吸ってるわ!」
セシアは表情を険しくし、エルトシャンの額に張り付いている栞を指差しながら、そう言った。
ロナードは苦々しい表情を浮かべ、エルトシャンを見下ろしていたが、意を決した様な顔付きになると、彼の額に張り付いている国立図書館で貰った栞を剥がそうと手を伸ばす。
「ちょっ……」
それを見て、セシアがギョッとした表情を浮かべ、その場に固まってしまった。
すると、まるで静電気が思い切り起きた時の様に、バチバチッと言う音がして、栞を引き剥がそうとするロナードの掌と、栞の間に小さな火花が幾つも見えた。
「つっ!」
ロナードは顔を顰めるが、歯を食いしばり、力任せにしおりをエルトシャンの額から剥ぎ取った。
「何て無茶な事を!」
それを見たセシアが、顔を青くしてロナードに向かってそう叫ぶが、栞が握られているロナードの手からは、血が滴り落ちているのを見て、彼女は慌てて自分が持っていたハンカチを取り出して、それで彼の手を覆った。
「大丈夫かい?」
それを見て、心配したシャーナが、ロナードに声を掛ける。
「早く、この栞を燃やせ!」
ロナードは、近くに居たレックスにそう言うと、彼はとっさに、部屋の中央に配置されたテーブルの上に置かれていた、カンテラの側にあるマッチの箱の中から、マッチを取り出して擦り、火を付けると、栞に火を付けた。
それを見たシャーナがとっさに、近くに置いてあった小皿をレックスに差し出すと、ロナードは急いでその栞を小皿の上に投げ捨てると、栞は何故か青白い炎を上げ、赤黒い煙を出しながら、消えてなくなっていった……。
「な、何なんだよ……。 これ……」
一部始終を見ていたレックスは、普通の紙か燃える時とは異なる様子に、戸惑いの情を浮かべ、思わず声を震わせながら、そう呟く。
「う、うん……」
それまで、殆ど昏睡状態の様になっていたエルトシャンが、不意に声を上げ、目を開けた。
「エルトシャン様!」
それを見て、レックスが嬉々とした表情を浮かべ、彼に抱き付いた。
「ええっ! ち、ちょっと何?」
エルトシャンは、身を起こそうとしていた所を、いきなり自分に抱き付いて来たレックスに戸惑う。
「ああ。 良かった! マジで焦ったよ」
シャーナは安堵の表情を浮かべ、戸惑っているエルトシャンに向かってそう言った。
「えっ。 何? 何でシャーナやセシアが、僕の部屋に居るの?」
エルトシャンは、レックス以外にも、セシアやシャーナが部屋に居たので、物凄く驚き、目を丸くして、二人に問い掛ける。
このシェアハウスのルールとして、基本的に異性の部屋に立ち入る事は禁止だ。
ロナード達は、事情を全く呑み込めていないエルトシャンに、何があったのかを説明すると、彼等から話を聞き終えたエルトシャンは、恐ろしくなったのか、顔を青くして暫くの間、呆然としていた。
「大事にならずに済んで何よりだけど、何でそんな物騒な物をアンタが持ってたんだい?」
シャーナは、不思議そうにエルトシャンにそう問い掛けると、
「昨日、デュートからその栞を預かってて……。 でも、セシアに調べてもらおうと思ってたんだけど、結局、帰りが遅かったから、僕が持ったまま、そこのテーブルに置いて寝たんだ」
エルトシャンは、神妙な面持ちでそう説明する。
「こういう術的なモノは、アンタが持ってなきゃだ駄目だろ? ロナード」
シャーナは呆れた表情を浮かべ、ロナードにそう言うと、彼は申し訳なさそうな表情を浮かべ、
「俺の思慮が及ばないばかりに、こんな目に遭わせて済まなかった。エルトシャン……」
そう言って、エルトシャンに向かって深々と頭を下げた。
「えあっ? そ、そんな思い詰めた顔して謝らなくても……」
エルトシャンは物凄く素直に、自分の非をロナードが認め、自分に謝罪した事に戸惑いながら、彼にそう言った。
「しかし……」
ロナードは、戸惑いの表情を浮かべ、エルトシャンを見る。
「これをどうするか、ちゃんと相談しなかった僕も悪いし、まさか、こんな事になるとは誰も思っても無かったんだから。 それに君は自分の身を顧みず、ちゃんと僕の事を助けてくれたじゃないか。 それで、お相子だよ」
エルトシャンは、苦笑いを浮かべながら、沈痛な表情を浮かべているロナードに、優しくそう言った。
「エルトシャン……」
ロナードは悲しい様な、情けない様な、物凄く複雑な表情を浮かべ、エルトシャンを見る。
その表情が、子犬がどうして良いか分からぬ時の表情に似ていたので、何だかロナードの事を可愛いなと、エルトシャンは思ってしまい、クスッと思わず笑ってしまい、
「君さ、何時もは猫の様にツンと澄ましてるのに、今みたいに、子犬の様に可愛い顔をする時もあるんだね」
クスクスと笑いながら、ロナードにそう言ってからかうと、ポンポンと自分の前に身を屈めている彼の頭を撫でると、彼は『可愛い』と言われ、気恥ずしくなったのか、忽ち顔を真っ赤にする。
確かに、何時もは妙に落ち着いていて、大人びた雰囲気の彼だが、この様な表情を浮かべているとレックスと同い年の青年に見える。
「ほらほら。 そんな風にロナードをからかってないで、皆を集めて、この事態を話し合うべきなんじゃないのかい?」
シャーナは、ロナードの反応を面白そうに見ながらも、エルトシャン達に向かってそう言った。
「ロナード様も、早く傷の手当てを」
セシアは、ロナードの手にハンカチを添え、真剣な面持ちでそう言った。
今朝のエルトシャンの一件を聞いて、皆が一階にある食堂に集まると、
「何にしても、エルトシャン様も貴方も、この程度で済んで何よりですわ。 無茶な真似はなさらないで下さい。 心臓に悪いですわよ」
セシアは呆れた表情を浮かべ、何処か向う見ずなロナードに、そう言って釘を刺す。
「この栞、やっぱヤバい物なのか?」
レックスは、テーブルの上に並べられた、図書館で貰った栞へ目を向け、セシアにそう問い掛けると、彼女は一つずつ指差しながら、
「これは、人の邪念を吸い蓄積する札よ。 こちらは、印刷が擦れている所為で役は立たないでけど、人の生気を所定の場所に飛ばす物よ」
落ち着き払った口調で、レックスたちにそう説明する。
彼女の説明を聞いて、レックスとエルトシャンは思わずゾッとして、恐怖に顔を引き攣らせる。
「これらは全て版画の要領で、土台となる板にインクを塗り、紙に写した物で、誰にでも大量に作る事が出来ますわ。 少し魔術の知識がある者が、何らかの方法で原版を手に入れ、面白半分で印刷したとも考えられますけれど……」
セシアは落ち着き払った口調で、ロナード達にそう説明すると、
「俺は、その様には考えていない。 何故ならば……」
ロナードは真剣な面持ちで、セシアに、国立図書館の地下に閉じ込められている、ケルベロスの事を話す。
「その様な物が閉じ込められているのは、由々しき事だね」
話を聞いて、シャーナは表情を険しくし、そう呟く。
「ああ。 しかも封印の札の一部が破られている。 何者かが、封印を解こうとしているのは明らかだ」
ロナードは、真剣な面持ちで、セシア達にそう語る。
「君は、この札を使って何者かが、ケルベロスの封印を解こうとしている……と考えている訳だね?」
エルトシャンも、神妙な面持ちと、重々しい口調でロナードに問い掛けると、
「そうだ。 この栞を使った方法ならば、術師自身に大した魔力が無くとも、封印を解く事が可能になる」
ロナードは真剣な面持ちと、重々しい口調で、エルトシャン達に自分の考えを言うと、
「確かに……」
セシアは、自分の顎の下に片手を添え、険しい面持ちでそう呟く。
「あのさ……。 僕の様にこの栞を持っている人達は、どうなるの?」
エルトシャンは戸惑いの表情を浮かべ、おずおずとした口調で、セシアに問い掛ける。
「……配られた札が正常に発動すれば、貴方自身の身に起きた事と、同じ事が起きると思って良いですわ」
セシアは、エルトシャンを真っ直ぐに見上げ、落ち着き払った口調でそう言うと、それを聞いて彼は、顔を青くする。
「それで、死ぬって事はねぇのか?」
レックスは、恐怖に顔を引き攣らせつつ、恐る恐る、セシアにそう問い掛けると、ロナードは複雑な表情を浮かべる。
「こう言った札は呪詛に使われる事が多いの。 呪詛の目的は、相手を呪い、苦しめながら殺す事……」
セシアは、淡々とした口調で、レックスにそう言い返すと、エルトシャンは自分の身に起きた事なので、あまりの事に、頭の中が真っ白になって、その場に固まってしまった。
「こ、こんな紙切れで……人を殺せるって言うのかよ?」
レックスは、『信じられない』と言った様子で、青い顔をして、そう呟く。
「驚くのも無理は無いわね。 でも呪詛に於いて、媒体となるモノはさほど重要では無いのよ。 込める念の強さ、魔力の強さが重要なの」
セシアは苦笑いを浮かべながらも、動揺しているレックス達にそう説明した。
「人の怨念などは時に、魔術を超える強い力を発揮する事がある。 『お守り』と言ったモノも、ある意味似た様なモノだ」
ロナードは、淡々とした口調でそう言うと、それを聞いたデュートは、戸惑いの表情を浮かべつつ、
「それって、魔力の無い人間たちでも、誰かを呪い殺す事が出来る……と言う事スよね?」
「……知識かあれば理論上は可能ね。 でも呪詛の類は、その術の大小に関わらず、用いる対価を支払う必要があるの。 もし、それを用意をせずに行った場合は、自分自身にもその術が降り掛かる事になるわ」
セシアは複雑な面持ちで、デュート達にそう語ると、それを聞いた彼女たちは、戸惑いの表情を浮かべる。
「じゃあ生贄や人柱とかは、術を使う対価として用意されてるって事?」
話を聞いてエルトシャンは、戸惑いの表情を浮かべつつ、セシアにそう問い掛けると、
「その通りですわ。 用いる術が大きければ大きい程、その対価も大きくなると言う事よ」
セシアは淡々とした口調で、エルトシャンにそう言い返した。
「何か……おっかねぇな……」
セシアの話を聞いて、レックスはすっかり怖くなり、青い顔をして、そう呟く。
「セシアの話を総合すると、この札を作った人は、呪詛の知識がある術師……と言う事になるよね? 少なくとも素人では無いって事だ」
神妙な面持ちで、話を聞いていたシャーナは、重々しい口調でそう指摘した。
「そうね。 回りくどいやり方ですけれど、この方法ならば足が付きにくいのは確かだわ」
セシアは、落ち着き払った口調で、シャーナにそう答えてから、
「それに、犯人が一人だとは考えにくいわね。 少なくとも、複数の術師が関わっている筈」
セシアは、神妙な面持ちと、重々しい口調で、レックス達にそう語ると、同じ術師であるロナードも、神妙な面持ちで静かに頷き返す。
「私やロナード様が推測している事が事実だとしたら、その目的は分からないけれど、今回の事は単なる悪戯などでは無く、明確な目的をもってケルベロスを復活させようと、組織的に暗躍している輩がいる……と言う事になりますわね」
セシアは真剣な面持ちと、重々しい口調でそう語るのを聞いて、エルトシャンとレックスは、緊張した表情を浮かべ、ゴクリと息を飲む。
「何にしても、この様な重大な事を殿下に知らせない訳にはいきませんわね。 急ぎ伝え、その対処を仰ぐべきだわ」
セシアは、真剣な面持ちで、ロナード達にそう言った。
「殿下への連絡は君に任せるよ。 僕は、今朝僕に起きた様な事が、これ以上起きない様に伯父上の協力を仰いで、図書館で配られた栞の回収を試みるよ」
エルトシャンは、真剣な面持ちでそう言うと、セシアも真剣な面持ちで頷き返し、
「分かったわ。 他の人たちは殿下の指示が下るまで、ここで待機をして。」
セシアは、真剣な面持ちでロナード達にそう言うと、彼等も真剣な面持ちで頷き返す。
その翌日、ロナードたちは再び、国立図書館に居た。
セシアを介し、一連の報告を受けたカタリナ王女は、ケルベロスの封印を強化したところで、足元に弾薬がある様な情況には変わりなく、何時、封印が解けるか分からぬ物を懐に抱えているよりも、排除した方が良いと判断し、ロナードたちにケルベロス討伐命令を下した。
ロナード達は、図書館から無関係の人間を外へ出すと、フォレスター館長に閉館させ、王女が手配したと言う応援の部隊を待っていた。
「全く。 伯父上も面倒な事を押し付けてくれたものだ」
面倒臭そうにそう言いながら数人の兵士を引き連れ、焦げ茶色の短髪に、少し釣上り気味の緑色の双眸、年の頃は二十代前半と思われる、高そうな銀色に光る鎧に身を包んだ青年が、ゆっくりとした足取りで歩いて来る。
騎士である割に体付きが貧弱で、肌の色も白く、とても強そうには見えず、鎧に着られている感が半端なかった。
「あ、兄上……」
その人物を見たエルトシャンは、戸惑いの表情を浮かべ、何処かビクビクしている。
「な~んか、無駄に偉そうなのが来たねぇ……」
シャーナは、いけ好かない様な表情を浮かべ、ポツリとそう呟いた。
「誰スか?」
デュートも、偉そうに現れたその男を見ながら、戸惑いの表情を浮かべ、そう呟く。
「んなっ……。 チェスター様?」
応援の兵士たちを引き連れ、姿を現した焦げ茶色の短髪に、少し釣上り気味の緑色の双眸の人物を見て、レックスは戸惑いの表情を浮かべ、そう言った。
「応援を遣すと聞いていたが……。 エルトシャンの部隊の者など役に立つものか。 こんな見るからに大したこと無さそうな連中を……。 殿下も何を考えて居られるのか……」
エルトシャンが『兄上』と呼び、レックスが『チェスター様』と言った人物は、自分たちよりも先に来ていたレックス達を一通り見回してから、呆れた様な顔をして、肩を竦めながら馬鹿にした様な口調で、レックス達に向かってそう言った。
「んなっ!」
彼の言動に、シャーナはカチンと来て、思わず食って掛かろうとするが、エルトシャンが慌てて、彼女に抱き付き、体を張ってそれを止めに入る。
「何すんだい! エルトシャン!」
エルトシャンの行動に、シャーナは戸惑いの表情を浮かべ、そう言った。
「駄目だよシャーナ。 子供の喧嘩じゃないんだよ! この人に手を出したら君だけじゃ無く、組織の他の皆にも迷惑が掛る。 兄上は、こう言う事には物凄く五月蠅いんだ。 発足して直ぐに解体なんて、君も笑えないだろう?」
エルトシャンは焦りの表情を浮かべながら、必死にシャーナにそう訴える。
「うぐっ……」
エルトシャンにそう言われて、シャーナは悔しそうな表情を浮かべつつも、チェスターに食って掛る事を止める。
自分の注意を聞いて、大人しくなったシャーナを見て、エルトシャンはホッとした表情を浮かべる。
自分の部下が、兄に手を出したと義母が知れば、後で、怒り狂った義母が自分や組織の者に何をして来るか、分かったモノでは無い。
「貴様らは己の分を弁え、私の為に誠心誠意尽くしたまえ」
チェスターは両腕を胸の前に組むと、不敵な笑みを浮かべ、完全にエルトシャンやシャーナたちの事を見下した様な口調でそう言うと、彼の連れの兵士たちも、
「くれぐれも、失礼の無い様にな」
シャーナたちを馬鹿にした様な表情を浮かべて、彼らを見ながらそう言った。
(くそぉっ! 調子に乗りやがって! エルトシャン様がいなきゃ、オレがブッ飛ばしてやんのにっ!)
レックスは忌々し気な表情を浮かべ、チェスターを見上げながら心の中でそう呟くと、ギリッと唇を噛む。
「な~んか、ヤな感じスね……」
チェスターと、彼が連れて来た兵士達の言動に、デュートは不愉快そうな顔をして、ボソリとそう言った。
ロナードは少し離れた所で、フォレスター館長と話し込んでいて、チェスターたちの到着に気付いていない。
「私は忙しい。 さっさと用事を済ませたいのだが」
チェスターは、周囲を見回しながら、偉そうにエルトシャン達にそう言うと、
「チェスター様が、そう仰っている」
「お前たち、現場に案内しろ」
チェスターの連れの兵士たちも、偉そうにレックス達にそう命じる。
「ロナード。 館長。 応援が来たよ」
シャーナが物凄く嫌そうな口調で、少し離れた所で話していた二人に声を掛けると、彼等は揃って振り返る。
「これはこれは……チェスター様」
フォレスター館長はチェスターを見るなり、愛想の良い笑みを浮かべ、平身低頭で彼の下へと擦り寄ると、
「治安部隊総監補佐である、貴方様が態々おいで下さるとは、恐悦至極でございます」
フォレスター館長は愛想笑いを浮かべ、チェスターにそう言うと、ペコペコと頭を下げる。
「けっ! ペコペコしやがって」
自分たちの時とは違い、平身低頭な態度のフォレスター館長を見て、不快な表情を浮かべ、レックスは思わず吐き捨てる様にそう呟いた。
だが、チェスターが興味を持ったのは、愛想笑いを浮かべ、自分に擦り寄って来たフォレスター館長では無く、彼の後ろから遅れてやって来た、この大陸では珍しい毛色のロナードであった。
「お前は?」
チェスターは、その辺の者達とは異質な空気を纏っているロナードに興味を持った様で、彼にそう声を掛ける。
「あ~。 えっと……。 彼は、僕と同じ組織の仲間のロナードです」
ロナードが何か、兄に至らぬ事を言っては堪らないと思ったエルトシャンが、慌てて愛想良く笑みを浮かべながら、兄のチェスターに彼の事を紹介すると、エルトシャンたちの仲間と聞いて、チェスターは信じられない様で、ロナードの事を物珍しそうにジロジロと見回しながら、
「お前の様な色男が、魔物退治をするとは世も末だな」
そう言うと、ロナードは自分の事をジロジロと見る、チェスターに不快そうな表情を浮かべ、
「誰だ? コイツは」
レックス達にそう問い掛けるので、彼の発言を聞いて、エルトシャンはギョッとし、チェスターの連れの兵士たちは、揃って表情を強張らせ、
「貴様っ! 『コイツ』とは何だ! コイツとはっ!」
「口の利き方を知らぬ無礼者めっ!」
怒りに顔を真っ赤にし、ロナードにそう怒鳴り付けるが、
「……だから、誰だと聞いている」
ロナードは、自分を怒鳴り付けて来た兵士たちに怯む様子も無く、淡々とした口調で彼等にそう言い返す。
「き、きっ、貴様! チェスター様をご存知ないのか?」
「何処の田舎者だ?」
ロナードの言動に、チェスターの連れの兵士たちは驚きを隠せない様子で、彼にそう言い返した。
「異国人の俺が知る訳ないだろ。 せいぜい、オルゲン将軍くらい有名になってから言え」
ロナードは、チェスターの連れの兵士たちの反応に、五月蠅そうな表情を浮かべ、冷ややかな口調で言い返した。
「その、オルゲン将軍の甥だぜ」
レックスは、苦笑いを浮かべながらつ、ロナードに言った。
「どうだ! 恐れ入ったか!」
「天下のオルゲン将軍の甥っ子さまだぞ!」
「今直ぐ土下座をして、己の無礼をチェスター様に詫びるがいい!」
チェスターの連れの兵士たちは、勝ち誇った様な顔をして、偉そうにロナードにそう言った。
当のチェスターも胸の前に両腕を組み、偉そうに踏ん反り返っている。
「凄いのはオルゲン将軍で、アンタじゃないだろ」
ロナードは、我が事の様に、偉そうにしている兵士とチェスターに向かって、冷ややかな口調で容赦ない一言を浴びせると、忽ちその場が凍り付いた。
兵士たちやチェスターは、怒りの形相でロナードを睨んでいるが、全くその通りなので、誰も言い返せずにいる。
エルトシャンはアタフタしているが、レックスは、チェスター自身と、その連れの兵士たちが、顔を真っ赤にして怒っている様子を見て、可笑しくなってブッと思わず噴き出した。
「ロナード。 ナイスっス!」
デュートも笑いながら、ロナードに向かってそう言うと、片方の親指をグッと立てる。
「応援だってさ」
不満に満ちた表情を浮かべ、シャーナがロナードにそう言うと、
「『応援』? 見学の間違いじゃないのか?」
シャーナの言葉に、ロナードは思い切り眉を顰め、彼女にそう言い返す。
「貴様っ! 我々(われわれ)を愚弄するか!」
「何処の馬の骨かも分からぬ奴が、生意気な!」
「無礼なその口、二度と叩けぬ様にしてくれようか!」
ロナードの言動に、チェスターの部下の兵士たちは怒り心頭と言った様子で、口調を荒らげて、彼にそう言いながら詰め寄り、その中の一人が怒りに任せて、ロナードに向かって思い切り拳を振り翳すと、彼は眉一つ動かさず、自分に向って振り下ろされた拳を軽々(かるがる)と片手で受け止める。
「んなっ……」
自分が振り下ろした拳を軽々と受け止めたたロナードに、兵士は驚きの表情を浮かべる。
「アンタたち。 喧嘩を売る相手は、良く見て決めた方が良いんじゃないかい? この子は、怒らせるとおっかないよ?」
シャーナは不敵な笑みを浮かべながら、兵士たちにそう忠告する。
「お、おい。 コイツ……目の色が……。 もしかしてコイツ、亜人じゃないのか?」
兵士たちの一人が、ロナードの瞳の色が紫色である事に気付くと、彼を指差したまま、戸惑いの表情を浮かべながら、仲間の兵士たちにそう言った。
「えっ……」
それを聞いて、ロナードに腕を掴まれていた兵士は忽ち青い顔をして、慌ててロナードの手から自分の手を引く。
その手は、くっきりとロナードが握りしめた手形が付いていた。
「お前は……何者だ?」
何処か警戒した様子で、チェスターはロナードにそう問い掛けると、
「その様な野暮な問い掛けに、答える必要性を感じない」
彼は、冷ややかな視線をチェスターに向け、淡々とした口調で彼にそう言い返した。
「貴様っ!」
ロナードの言動に、チェスターの連れの兵士の一人が怒って、ロナードに掴み掛ろうとすると、チェスターが片手でそれを制したので、それには、その兵士は勿論、他の兵士たちも驚き戸惑う。
ロナードとチェスターの間に何とも言い難い、冷たく張り詰めた空気が漂い始めた時、突如ズンと言う腹に響く様な、何か大きな岩でも落ちた様な音が幾度か、地下から響いて来た。
それには、その場に居合わせた誰もが驚き、戸惑う。
「な、何だ?」
レックスは、戸惑いの表情を浮かべ、辺りを見回す。
「地下で、何か大きな物が落ちた様な……。 そんな音だったね……」
エルトシャンも、戸惑いの表情を浮かべそう呟くと、彼の言葉を聞いて、ロナードはハッとする。
「館長! 急いで地下へ!」
ロナードは近くに居たフォレスター館長に向かって、焦りの表情を浮かべ、強い口調でそう言うと、彼の言わんとする事を理解したフォレスター館長は、表情を強張らせ頷き返す。
「なっ……。 何て事だ……。 貴重な本が……」
地下の貴重な書籍が並べられている、巨大な本棚が並んでいる部屋の扉を開けた、フォレスター館長は、愕然とする。
巨大な本棚が、まるでドミノ倒しでもしたかの様に倒れて、本棚に並べられていた本が、床の上に散乱している……。
「音の正体は、これだった様だな……」
倒れている巨大な本棚を見上げながら、チェスターが呟く。
「でも、どうして?」
エルトシャンが、戸惑いの表情を浮かべ呟く。
「誰が、こんなデカイのを倒したって言うんだよ?」
レックスは、倒れている巨大な本棚を見上げながら、己の胸に湧いた疑問を口にする。
「そうスよ。 どれだけ怪力なんスか?」
デュートも、床一面に散らかっている本を見ながら、そう言った。
彼らの言う通り、大人男性一人で倒せる様なものではない。
「何か居ます!」
居合わせた兵士が、部屋の奥に、何か黒くて大きいモノが蠢いている事に気付き、恐怖に顔を引き攣らせながら、その何かを指差しながら叫ぶ。
カンテラを持っていたフォレスター館長と、居合わせた兵士が、部屋の隅で蠢いているモノの方を照らす。
「何だ! コイツはっ!」
カンテラの明かりに照らされ、姿が顕わになったモノを一目見て、チェスターは驚愕の表情を浮かべて、悲鳴に近い声を上げる。
そこに居たのは、全身が真っ黒で、三つの狼の様な顔付きの犬の頭を持ち、首の周りには無数の蛇が蠢き、尻尾には大蛇……広い地下室に並ぶ、巨大な棚と同じ位、大きい……。
その生き物は、自分を照らすこちらの方へと振り返り、警戒しているのか、全身の毛を逆立て、身を低くし、唸り声を上げている。
どう見ても、友好的な生き物には思えない。
レックスが危険を察知し、とっさに剣を抜いてその謎の生き物と対峙するが、その迫力に圧倒され、全身から滝の様に冷や汗を流し、そのまま動けなくなってしまった。
「やはり、封印が……」
ロナードは、目の前にいる巨大で、獰猛そうな生き物を見据え、表情を険しくして呟く。
「あわわわ……」
チェスターが連れて来た兵は、目の前にいる巨大で獰猛そうな生き物を前にして、すっかり腰が抜けてしまい、情けない声を上げている。
「ま、ま、マジっスか……」
デュートも驚愕の表情を浮かべ、顔を青くしてそう呟き、立ち尽くす。
何度か魔物を見た事があるエルトシャンも、魔物とは異なる不気味な空気を纏った生き物に、顔を引き攣らせ、ゴクリと息を飲む。
「ガウッ!」
その瞬間、巨大な本棚から落ち、床に散っている本を蹴散らしながら、巨大な生き物はこちらへと突進して来た。
「ひいいいっ!」
「うわあああ!」
兵士たちは、揃って情けない声を上げ、慌てふためき、その場から逃げ出すが、シャーナは逃げ出す事をせず、槍を手にしてロナード達の前に仁王立ちしたまま、巨大な生き物と対峙する。
ロナードが徐に、掌を黒い巨大な生き物に向けると、何か緑色の風の塊の様なモノがゴオッと音を立てて現れると、それを見舞われた目の前の巨大な黒い生き物は、凄い勢いで周囲の本棚を吹き飛ばしながら、数メートル後ろに吹っ飛んだ。
「なっ……。 マジか……」
それを見たレックスは目を丸くし、驚きの表情を浮かべ、すっ飛んでしまった巨大な黒い生き物に見入っている。
「急いで扉を閉じるんだよ! コイツをここから出すんじゃないよ!」
シャーナが険しい表情を浮かべ、強い口調で、その場に居合わせた者たちに向かって叫ぶ。
彼女の叫び声に、皆、我に返る。
「そうだ! 外に出すな!」
我に返ったチェスターも、自分が連れて来た兵士たちにそう命じる。
兵士たちは恐怖に身を震わせながら、慌てて、部屋の外へと駆け出す。
「お前たちも急げ!」
ロナードは、目の前にいる生き物の動きに注意をしつつ、背中越しに、強い口調で自分の近くに居たレックス達に向かって叫ぶ。
「兄上! 早く!」
エルトシャンは険しい面持ちで、兵士たちと同様に、これまで見た事も無い、禍々しい空気を纏った巨大で凶悪そうな生物を前に、かなり動転している兄のチェスターにそう声を掛ける。
「ロナード達も早くっス!」
先に部屋から出たデュートは、中に残っているロナード達に向かって叫ぶ。
目の前の巨大な生き物の動きを警戒しつつ、ロナード、レックス、シャーナの順に部屋から、駆け出て来たのを確認すると、
「扉を閉めろ!」
チェスターが、連れて来た兵士たちに向かって叫ぶ。
すると、扉の左右に立って居た兵士たちが、気合に満ちた声を上げ、勢い良く扉を引き、入り口を閉ざす。
「出てくんな!」
レックスはそう言いながら、急いで扉に閂をし、フォレスター館長が慌てふためきながら、扉の鍵を掛ける。
「な……何だったんだ? あれは……」
チェスターは腰が抜けそうになりつつも、緊張と恐怖で忙しく鼓動を打っている自分の心臓の音を聞きながら、表情を険しくして、ロナードに問い掛ける。
「あれが……ケルベロス?」
エルトシャンは恐怖でまだ、自分の心臓がバクバクと忙しく音を立て、手足が震えている事を自覚しつつ、おずおずとロナードに問い掛ける。
「そうだ」
ロナードは、険しい表情を浮かべたまま、落ち着いた様子でエルトシャンにそう言い返す。
「で、殿下は……。 我々に『始末しろ』と仰られたが、あんな化け物を……どうやって倒せと言うのだ……」
チェスターは恐怖に顔を引き攣らせ、そう言っていると、自分でも気付かない内に、微かに手が震えている事に気付き、慌てて、震えが止まらない手を掴む。
チェスターは、これまでに何度かその立場上、軍の野外演習の一環として、兵士たちを率いて魔物退治へ赴いた経験はあるものの、実際に魔物たちと戦ったのは彼の部下の兵士たちであり、彼自身は安全な所から、ただ指示を出すだけで、こんな間近で魔物を見る事は一度も無かった。
何より、自分たちが先程目にした生き物は、今まで見て来たどんな魔物よりも大きく、しかも獰猛で、身の毛が弥立つ程、禍々しく、危険な空気を纏っていた。
(とても、我々だけで、どうこう出来る様な相手では無いぞ……。 一旦引き上げて、応援を要請するしかない)
チェスターは苦々しい表情を浮かべ、心の中でそう呟いていると、ガツン、ガツンと、自分たちの目の前にある、閉ざされた鉄の扉を打ち破ろうと、中にいる巨大な生き物が、扉に激しくぶつかる様な音が響いて来たので、彼の顔から、みるみる血の気が引く……。
「恐らく、俺ならば、倒せない相手では無い筈だ」
ロナードが、目の前の扉に注意を向けつつ、落ち着き払った口調でそう言った。
「なっ……。 それ、本気で言ってんのかよ?」
ロナードの言葉を聞いて、レックスは戸惑いの表情を浮かべ、彼に問い掛ける。
「いやいやいや……。 無理スよ。 流石に」
デュートも、思い切り自分の顔の前で片手を振りながら、ロナードに向かってそう力説する。
「けど、アタシ達なら何とかなると思ったから、王女さまは『始末しろ』って言ったんだろ?」
シャーナは苦笑いを浮かべ、肩を竦めると、及び腰のレックスにそう言い返した。
「マジかよ……」
レックスは、『信じられない』と言った様子で、呟く。
「この扉は何時まで持つか分からない……。 急いでここへ続く全ての扉を閉ざして、上へ出た方が良いのではないのか?」
チェスターは身の危険を感じて、焦りの表情を浮かべ、一緒にいた者たちに向かってそう言った。
「そうですね」
エルトシャンも恐怖に顔を引き攣らせつつ、チェスターにそう言って、頷き返す。
「ってお前。 こんな時に、なに呑気に落書きとかしてんだよ!」
レックスはふと、身を屈めチョークの様な物で、ロナードが扉の前の床の上に何か書いている事に気付くと、思わず彼に向って怒鳴る。
一見すると、四角や三角、丸などを組み合わせた、何かの模様にも思えるが、それは紛れも無く、魔法陣だとチェスターは判断し、忽ち表情を険しくした。
「馬鹿野郎! んなもん書いてる場合じゃ……」
レックスがそう言って、ロナードが床に書いていた模様の一部を靴底で消そうとするのを見て、
「消すんじゃないよ! これは魔法陣だ!」
シャーナは慌てて、レックスを後ろに押し飛ばし、強い口調で、後ろにスッ扱けた彼に向って怒鳴る。
「ま、魔法陣?」
レックスが戸惑いの表情を浮かべ、シャーナに問い掛けると、
「魔術師が、魔法を使う時に書く術式だよ」
シャーナは淡々とした口調で、レックスにそう答える。
その傍らで、ロナードは何やら不思議な言葉を口走ると、彼が床に書いて居た不思議な模様が緑色の光を放ち、勢い良く風が吹き出し、扉の向こう側から、化け物が今にも打ち破ろうとしていた扉の前に渦を巻きながら、化け物が出て来られない様、風の壁の様になって出口を塞いだ。
「おお! すげぇ!」
それを見て、レックスは嬉々とした声を上げる。
「魔法なんて初めて見たス」
デュートも、床から渦を巻いて巻き起こって居る風を見ながら、感嘆の声を漏らした。
「これで暫くは、出ては来られないだろう」
ロナードは、スクッと立ち上がると、静かにそう言った。
「ってかよ。 これがあれば、ずっと閉じ込められるんじゃねぇのか?」
レックスは徐に、近付けば弾き飛ばされそうな程、勢い良く吹き荒れている風の壁を見て、そう言った。
「それは不可能だよ」
シャーナが淡々とした口調で、そう言い返した。
「何でスか?」
デュートは不思議そうに、シャーナに問い掛けると、
「俺の魔力の底が尽けば、この術は消える」
ロナードは落ち着いた口調で、レックスの問い掛けにそう答えた。
「チッ。 使えんな」
ロナードの話を聞いて、チェスターが思わず舌打ちし、そう呟くと、
「だったら今直ぐ、アイツの餌になるか?」
ロナードはムッとした表情を浮かべ、チェスターに言い返すと、
「冗談では無い! なぜ私があんな化け物の餌などに!」
チェスターは恐怖に顔を引き攣らせながらも、強い口調でロナードにそう怒鳴り返す。
「だったら、アタシ等の邪魔にならない様に、大人しくしてな」
シャーナが、ロナードを庇う様に、チェスターとの間に割って入ると、淡々とした口調で、チェスターにそう凄むと、二人の間に険悪な空気が流れ始めたので、エルトシャンは慌てて、
「そんな事より、今の内に逃げましょう。 兄上」
チェスターの腕を掴み、彼にそう声を掛けるが、チェスターは荒っぽくエルトシャンの手を振り払い、
「卑しい使用人の子の分際で、正妻の子である私に馴れ馴れしく触れるな!」
不愉快さを顕わにし、強い口調でエルトシャンを怒鳴り付けた後、シャーナをキッと睨み付けると、
「獣風情が、この私に口を利こうとする事自体が、恐れ多い事だと知れ!」
チェスターは表情を険しくし、強い口調でシャーナにそう言い放った。
そんなやり取りを近くに居たデュートは、オロオロしている。
「アンタが何だろうと、ケルベロスから見れば俺達は皆、同じ肉塊に過ぎない。 死にたく無ければ、俺の指示に従え」
ロナードは、怒りを顕わにしているシャーナを見て、二人の間に割って入ると物凄く冷めた表情と、淡々とした口調でチェスターにそう言い放った。
「なっ……。 なんだと!」
ロナードの物言いに、チェスターは表情を険しくし、強い口調で彼に怒鳴り返す。
「その様に粋がるのならば、ケルベロスを倒す術の一つでも、持っているのだろうな?」
ロナードは淡々とした口調で、チェスターにそう問い掛けると、残念ながらその様な術を持たぬ彼は、悔しそうな表情を浮かべつつも、彼に何も言い返せなかった。
何も言い返せないチェスターの様子を見て、ロナードは『やれやれ』と言わんばかりに、軽く溜息を付き、肩を竦める。
「ここで、こんな奴と言い争っても何もならないよ。 さっさと上へ行こう」
シャーナは、悔しそうな顔をして唇を噛み、自分を睨んでいるチェスターを物動じ一つせずに、静かに見据えているロナードの肩に手を乗せると、静かにそう言って、彼を上の階へと通じる階段の方へと促す。
「よ、よし! これで最後だ!」
地下へ通じる扉を閉め終わると、兵士の一人が安堵の表情を浮かべそう呟くと、その場にヘタリ込む。
「うっしゃ! 応援を呼びに行こうぜ!」
レックスはそう言うと、図書館の出口へし駆け出し、徐に入り口の扉の取っ手を掴み、扉を開けようとするが、微動だにしない。
「あれ?」
レックスはそう言って、扉を押したり、引いたりしてみるが、鍵が掛っている様で、扉が開かない。
「馬鹿だな貴様は。 部外者が入って来ない様、鍵を掛けたのを忘れたのか?」
レックスの様子を見て、チェスターが馬鹿にした様な口調で、彼に向って言った。
「ちょっと、お待ち下さい」
フォレスター館長がそう言って、レックスの前の扉の側へと来ると、持っていた鍵束の中から、入り口の鍵を使い、扉の施錠を解除する。
「うしっ!」
鍵が開く音がしたのを聞いて、レックスは改めて、扉を開こうとした。
しかし、どう言う訳か……扉は石膏で固められている様に、全く動かない。
「えっ。 ちゃんと鍵は開けた筈ですが……」
レックスの様子を見て、フォレスター館長は、戸惑いの表情を浮かべ、そう呟く。
「退きな」
シャーナがそう言うと、レックスは素直に扉の前から退き、シャーナが力任せに扉を開こうとするが、やはりビクともしない……。
「他の出口は、駄目なの?」
その様子を見たエルトシャンが、フォレスター館長に向かって、声を掛ける。
「無駄だ。 結界を張り、外へは出られぬ様にしているからな」
不意に何処からか、男の声が響いて来た。
「誰だっ!」
チェスターは表情を険しくし、周囲を見回しながら叫ぶ。
「『誰だ』と問われて、姿を現すほど私は間抜けでは無いよ」
謎の男の声が、不気味に館内に響き渡る。
「扉が駄目なら、窓を割って……」
デュートがそう言うと、近くにあった椅子を抱え上げて、思い切り、ステンドグラスが嵌め込まれた窓に椅子を投げ付けるが、どう言う訳か、投げ付けた椅子は窓の前で弾かれて、ゴトンと音を立て虚しく床の上に転がる。
「そんな! どうなってんだよ?」
それを見たレックスは、戸惑いの表情を浮かべそう言うと、徐に近くの窓へ駆け寄り、施錠を外し、窓を開こうとするが、やはり、入り口の扉と同じ様に、微動だにしない。
「そ、総監補佐!」
「どうしましょう!」
レックスたちの行動を見て、チェスターが連れて来た兵士たちは、自分達が閉じ込められたと理解し、すっかり狼狽して、揃って情けない声を上げる。
チェスターは苦々しい表情を浮かべ、ギリリと唇を噛みしめ、
「貴様、何とかしろ! 貴様ならば、何とか出来るのだろう?」
まるで他人事の様に恐ろしく落ち着いた様子で、自分達の近くで佇んでいるロナードに向かって、そう怒鳴り付ける。
「結界を破ればケルベロスは外に出るぞ。 それでも良いのか?」
ロナードは落ち着き払った口調で、チェスターにそう言うとのを聞いて、
「つまり……。 ここでオレたちが、そのケルベロスとか言うのを倒さねぇと、外には出られねぇ……って事か」
レックスは忌々し気な表情を浮かべ、重々しい口調で呟く。
「ふざけるな! 何故この私まで、貴様等の様な俗物と一緒に危険な目に遭わなければいけないのだ! 冗談ではない! 今直ぐ、私をここから出すのだ!」
レックスの言葉を聞いて、チェスターは激怒してロナードに怒鳴り付けていると、床がミシミシと音を立て大きくせり上がり、崩れ落ちる瓦礫の下から、黒い巨大な塊が飛び出して来た。
目の前の化け物の、血の様な赤い双眸に睨まれた兵士は、
「あわわわわわ!」
情けない声を上げ、腰を抜かし、その場にヘタリ込む。
「……悪いが、時間切れだ」
ロナードは、現れたケルベロスに目を向けたまま、落ち着いた口調でチェスターに言うと、徐に自分の腰に下げている剣を手にし、身構える。
「あ~あ~。 出て来ちまったねぇ……」
シャーナは、ケロベロスを見上げながら、苦笑いを浮かべ、何処か他人事の様な口調で呟く。
「どうやら、僕等はここで年貢の納め時の様だね。 レックス」
自分たちを追って姿を現したケルベロスを見て、エルトシャンは恐怖に顔を引き攣らせ、小刻みに身を震わせ、震える声で、苦笑い混じりに近くにいたレックスにそう声を掛ける。
「馬鹿言ってんじゃねぇ!」
レックスは、恐怖で小刻みに震えている手で、腰に下げている双剣を抜きつつ、気丈にエルトシャンにそう言い返した。
「無茶だよ! レックス! 僕たちが敵う相手じゃない!」
エルトシャンは今直ぐにでも、逃げ出したい気持ちに駆られつつも、ありったけの勇気を振り絞り、気丈に剣を手に身構えるレックスに言った。
「オレの事は良いから、エルトシャンさまは兄貴を連れて逃げろ!」
レックスは小刻みに足を震わせつつも、ケルベロスに対峙したまま、背中越しにエルトシャンに叫ぶ。
「ククククッ。 誰一人、逃がしはせぬよ!」
そう言いながら、牛の頭蓋骨を頭に被った、黒いローブを着た男が、スッとレックスたちの前に、降り立った。
「何だ? テメェ……」
レックスは身構えたまま、自分たちの前に姿を現した、牛の頭蓋骨を頭に被った、黒いローブの男に向かって、警戒心に満ちた声で言った。
「貴様らは皆、一人残らず、このケルベロスの血肉となるのだ!」
牛の頭蓋骨を頭に被った、黒いローブの男は両腕を広げ、レックスに向かってそう叫ぶと、右手に持っていた杖を翳す。
「危ない! レックス!」
「レックスっ! 横へ飛べっ!」
それを見たデュートとロナードが、表情を険しくして、とっさに叫ぶ。
ロナード達の叫び声を聞いて、レックスはとっさに横へと飛ぶと、間髪置かずに、謎の黒い光線が床の上に転がった彼の上を掠めた。
謎の黒い光線を浴びた床の辺りは、酸を浴びた様にジシューッと言う音を立て、溶けている。
(マジか!)
それを見たレックスは、驚愕の表情を浮かべ、心の中で悲鳴を上げる。
「まずは、貴様からだ!」
牛の頭蓋骨を頭に被った、黒いローブの男はそう叫ぶと、杖を翳し、先程と同じ黒い光を繰り出す。
「避けて!」
「レックス!」
それを見た、デュートとエルトシャンが、悲鳴に近い声を上げる。
もう駄目かと思った瞬間、レックスは横から強い衝撃を受け、勢い良く横へと転がった。
シャーナがとっさに、レックスを横へ突き飛ばし、襲い掛かって来た黒いローブを着た男を、槍で思い切り、叩き切ったのだ。
次の瞬間、牛の頭蓋骨がゴトリと床の上に転がり、レックスの前に立ち塞がっていた、黒いローブを着た男の体も、その場に力なく倒れる。
(マジか……)
レックスは、牛の頭蓋骨を被っていた黒いローブの男を、シャーナが容赦なくその首と胴を真っ二つにしてしまったので、顔を青くし、その容赦ない行動に背筋が凍り付いた。
だが、どう言う訳か、シャーナが首と胴を別にした、牛の頭蓋骨を被った黒いローブの男は、切断された所から一滴も血が流れていない……。
「なっ……。 どうなってるんだよ? コイツは!」
それを見たレックスは、戸惑いの表情を浮かべ、ゆっくりと立ち上がりながら、自分の目の前に転がっている、牛の頭蓋骨を被っていた、黒いローブを着た男を見下ろす。
「な、な、中身、無いスよ……」
デュートも中が空洞である事に、驚き戸惑い、声を震わせながらそう呟いた。
「やはり、本体は別に居る……と言う事か」
それを見たロナードは、牛の頭蓋骨を被っていた、黒いローブを着た男を見下ろしながら、淡々とした口調で、そう呟く。
「どう言う事?」
エルトシャンは、戸惑いの表情を浮かべつつ、ロナードの下へ歩み寄ると、彼に問い掛ける。
「コイツは只の木偶……人形だ。 コイツを操り、ケルベロスの封印を解いた奴は、別の場所に居ると言う事だ」
ロナードは床の上に転がって居る、牛の頭蓋骨を被っていた、黒いローブを着た男を指差しながら、落ち着いた口調でエルトシャンにそう説明する。
「別の場所って……。 一体何処にだよ?」
レックスは、戸惑いの表情を浮かべたまま、ロナードにそう問い掛ける。
「そうスよ」
デュートも、戸惑いの表情を浮かべながら、ロナードに言い返す。
「俺達の様子が分かると言う事は、このフロア内の何処かに居る事は、間違いないだろうが……」
ロナードは周囲を見回しながら、険しい面持ちで、レックス達にそう語る。
「おい! 呑気に話などしてないで、早くコレを何とかしろ!」
ケルベロスの攻撃を避けながら、チェスターが必死の形相でロナードに向かって叫ぶ。
「ギャアギャアと五月蠅い奴だな……。 俺たちが少しいないだけでコレか。 立派な鎧を身に纏っている割には、全く使えないな」
ロナードは、チェスターの身勝手さに対し、ウンザリしている様で物凄く冷たい口調で、そう毒づくのを聞いて、エルトシャンは苦笑する。
「アンタたちは手分けして、このフロアの中を片っ端から、何処かに隠れてる怪しい奴を探すんだよ。 見付けたら思い切りブチのめすんだ。 隠れてるって事は、接近戦はそんなに強くない筈だよ」
シャーナは落ち着き払った口調で、レックスとエルトシャンにそう言うと、助けを求めるチェスターの方へと、急いで駆け出す。
「って、言われてもよ……」
シャーナの背中を見送りながら、レックスは戸惑いの表情を浮かべ、そう呟く。
「兎に角、助かりたいのなら、二人に言われた通りの事をしよう」
エルトシャンも一抹の不安を覚えつつも、レックス達にそう言った。
「総監補佐! 埒が開きません!」
「一旦、撤退しましょう!」
チェスターの部下たちは、ケルベロスの足元などに、持っていたボウガンや銃などで攻撃を加えるが、効いている様では無いので、焦りの表情を浮かべ、彼に向って叫ぶ。
(何処にだ!)
チェスターは、苛立ちながら、心の中でそう呟く。
「ボサッとするんじゃないよ!」
不意にシャーナの声がして、チェスターは横に押し飛ばされ、床の上に転がる。
とっさに彼は身を起こし、『何をする!』と怒鳴ろうとした瞬間、彼の眼前に紅蓮の炎が掠めた。
もし、シャーナから横へ突き飛ばされねば今頃、丸焼きになっていた……チェスターはそう悟った途端、顔から血の気が失せた。
「総監補佐!」
「大丈夫ですか?」
部下の兵士たちが、慌てて駆け寄って来て、チェスターにそう声を掛ける。
「シャーナ……やれそうか?」
ロナードは真剣な面持ちで、シャーナに駆け寄りそう問い掛けると、
「……炎が、厄介だね」
シャーナは、ケルベロスの口元で揺らめく炎を静かに見据え、苦笑いを浮かべながらロナードにそう答える。
「分かった。 奴の炎は俺が何とかする。 お前は獣化して、奴を叩く事に専念しろ」
ロナードは落ち着き払った様子で、シャーナにそう言うと、
「任せな」
シャーナはそう言うと、フロア中に響き渡る程気合に満ちた声を上げると、体高が二メートル近くはあろうかと言う程、大きな猫へと姿を変えた。
「ええっ!」
「ま、マジかよ……」
それを見て、エルトシャンとレックスは戸惑いの表情を浮かべ、思わず、大きな猫に変化したシャーナに釘付けになる。
「ガチで猫だったんスね……。 シャーナって……」
デュートもショックを隠せない様で、呆然とそう呟く。
「な、何なんだ……。 コイツ……」
目の前で、シャーナが大きな猫に変化したので、チェスターは腰を抜かし、素っ頓狂な声を上げる。
その側で、ロナードは聞き慣れない言葉を口ずさんでおり、彼の足元に虹色の魔法陣が浮かび上がり、中から、額にルビーの様な真っ赤な宝石を付けた、全身が緑を基調とし、光の反射の加減や見る角度によって虹色に輝いて見える、人間の幼児くらいの大きさで、兎と言うより、犬のパピヨンの耳の様な大きな耳を有し、リスの様に大きな黒い双眸を持つ、蜥蜴の様な、兎の様な、けれども、鱗も毛も無い、全身がツルツルで、のっぺりとした感じの可愛らしい生き物が、勢い良く飛び出して来た。
その生き物は、額にあるルビーの様な真っ赤な宝石から虹色の光を放つと、シャーナやその周りにいた者たちは、虹色のカーテンの様な物に覆われた。
「炎を打ち消す! 行け! シャーナ!」
ロナードがそう叫ぶと、大きな猫に姿を変えたシャーナは、彼の声に応える様に身構えると、勢い良く床を蹴り、自分よりも大きなケルベロスへと向かって行く。
ケルベロスは、シャーナに向かって口から炎を吐くが、虹色の光がシャーナの全身を覆っており、炎を弾き返した。
(これならいける!)
それを見たシャーナは心の中で呟くと、果敢にケルベロスを攻め立てて、その様を遠巻きに見ていた兵士たちも連動して、様々な方向から攻撃を加える。
その間に、ロナードはケルベロスの周囲に、小石程度の大きさの、虹色に光る不思議なガラス玉の様な物を所々、床の上に撒いて回っている。
ケルベロスの周囲を一周し終わると、ロナードはシャーナに向かって、
「シャーナ戻れ! 術に巻き込まれるぞ!」
強い口調でそう叫ぶと、シャーナは素早くロナードの下へと戻って来ると、そのまま人型に戻った。
それを確認すると、ロナードは不思議な言葉を口ずさみ始め、彼が床の上に撒いたガラス玉の様な物が一斉に光り出し、ケルベロスの足元に虹色の魔法陣が浮かび上がると、光の柱がケルベロスを覆い、ケルベロスは動けなくなってしまった。
「むっ。 いかん!」
その様子を見て、何処からか男の声がし、黒いローブを着た者が何処からか飛び出して来て、呪文の詠唱をしているロナードに向かって、弓矢の様に勢い良く襲い掛った。
「危ない!」
それに気付いたエルトシャンが、思わず叫ぶ。
「そうはいかないよ!」
シャーナはそう叫ぶと、素早く背負っていた槍を手に取ると、ロナードに向かって来た、黒いローブを着た者の頭に向かって、勢い良く槍を突き出し串刺しにすると、そのまま思い切り床の上に叩き付けると、激しく積み木が床にぶつかった時の様な音を立て、倒れている黒いローブを着た者の背中を足で踏み付けた。
木で出来た人形が床の上に落ち、砕ける様な音が、黒いローブを着た者から響いた。
「また人形かい!」
生身の人間とは異なる感触と、聞こえた音で、シャーナは苛立った口調で呟く。
「シャーナ!」
レックスの叫び声を聞いて、シャーナはハッとすると、別の黒いローブを着た者が、四方から飛び掛って来る。
「させないよ!」
それに気付いたエルトシャンが、持っていた剣を振るい、その中の一体を思い切り叩き落とす。
シャーナもとっさに、槍で二体を叩き落とすが、一体取り逃がしてしまう。
「チッ。 マズった」
シャーナは、ロナードへ向かって行く、黒いローブを着た者を、忌々し気に見つめ、舌打ちをする。
「あぶねぇ!」
レックスはそう叫ぶと同時に、とっさに、自分の隣にいたデュートの大きなブーメランを手にすると、無我夢中で勢い良くそれを投げ付ける。
「お、おれのブーメラン……」
それを見て、デュートは戸惑いの表情を浮かべ、情けない声を上げる。
ブーメランは、黒いローブを着た者の背中に直撃し、何かが折れる様な音がして、床に木で出来た人形の様な、中身の無い音を立てながら、床の上に力なく崩れ落ち、動かなくなってしまった。
「ふう……。 間一髪だぜ……」
その様子を見て、レックスが安堵の表情を浮かべ、そう言って胸を撫で下ろす。
「済まない。 助かった」
ロナードはレックスの方へ向き、彼に向ってそう言うと、
「ンな事より、前、前っ!」
レックスは、焦りの表情を浮かべ、ケルベロスを指差しながら、ロナードにそう言い返す。
「早くしろ!」
チェスターは周囲に警戒しつつ、背中越しにロナードに怒鳴る。
ロナードは呼吸を整え、意識を集中させると、レックス達が聞いた事も無い、何かの呪文の様な、不思議な言葉を口ずさみ始めた。
ケルベロスを包んでいた虹色の光の柱が消え、その足元に見た事も無い、文字の様な不思議な模様が刻まれた、巨大な石の扉が現れ、それがゆっくりと開かれていき、ケルベロスの体は徐々に、そこへ吸い込まれていく……。
ケルベロスは必死に贖い続けるが、石の扉の向こうからの吸い込む力が強い様で、徐々にその姿が扉の奥へと消えて行き、やがて、完全にケルベロスの体が扉の中へと消えてしまうと、石の扉は音を立て閉まった。
先程まで、ロナードたちの目の前に居た筈の、ケルベロスの巨大な体は、完全になくなっていた。
「な、な、何が……起きたんだ?」
一部始終を間近に見ていたチェスターは、呆然とした様子で立ち尽くし、呟く。
「消えた?」
デュートも、自分の目を何度も手の甲で擦りながら、『信じられない』と言った様子で呟いていると、不意にロナードの体が大きく揺らぎ、糸が切れた操り人形の様に、その場に急に崩れ込んだ。
「ロナード!」
側に居たエルトシャンがとっさに、力なく崩れ込んだロナードの体を、慌てて抱き止めた。
エルトシャンがとっさに抱き止めたロナードは、額に大量の汗を掻いており、それが、床の上に滴り落ち、物凄く疲弊した様子で、何だかとても辛そうに見える。
「大丈夫かい?」
側に居たシャーナも、心配そうにロナードに声を掛ける。
「大丈夫だ……」
ロナードは力なくシャーナにそう答え、立ち上がろうとするが、どう見ても、貧血でも起きた様にフラフラなので、思わずシャーナは見かねて、エルトシャンとは反対側からロナードの体を支える。
「悪い……。 少し休めば……」
ロナードは疲れた様子で、シャーナに言うと、彼女はエルトシャンと共にロナードの体を支えながら、壁際へと移動すると、ゆっくりとロナードを床の上に座らせると、彼は壁に体を持たれ掛けながら、そのままズルズルと力なく、その場に蹲ってしまった。
「どうしたんだよ?」
その様子を見てレックスは慌てて駆け寄り、ロナードにそう問い掛ける。
「大丈夫スか?」
デュートも駆け付けて来て、心配そうな表情を浮かべ、ロナードに声を掛ける。
「恐らく、多くの魔力を一気に使っちまった所為で、体に大きな負担が掛ったんだよ。 一時的な、貧血みたいなものさ」
シャーナは、険しい面持ちでロナードを見つめたまま、レックスにそう答えた。
ロナードは、壁に体を持たれ掛けたまま、辛そうに両目を閉じ、力なくグッタリしている。
「大丈夫なの?」
エルトシャンも不安そうに、シャーナにそう問い掛ける。
「多分、ちょっと休めば、動ける様になると思うケドね……」
シャーナも、戸惑いの表情を浮かべつつ答えると、ロナードの様子を観察していたレックスは、
「ってかコイツ、思い切り寝てねぇか?」
戸惑いの表情を浮かべ、そう指摘していると、何処からか不気味な声が聞こえて来た。
「おのれ! 許さん! 許さんぞぉぉぉっ! 貴様らぁぁぁっ!」
フロア一帯に怒りに満ちた男の声が木霊し、何とも言い難い、憎悪に満ちた重苦しい空気と共に、異質な雰囲気が漂い始めた。
「な、何だ?」
レックスは、これまで感じた事の無い異様な空気に、妙な胸騒ぎを覚え、表情を引き攣らせて周囲を見回しながらそう呟いた。
突然、フロアの天井から吊るされてあった複数のシャンデリアが一斉に外れ、音を立てて床の上に崩れ、薄暗くなってしまった。
「仕掛けて来るよ!」
シャーナは素早く、背負っていた槍を手に取ると、表情を険しくし、周囲にいたレックス達に、そう警告する。
「そ、そんな事、言われても……」
急に明りを失い、暗さに目が慣れていないので、デュートは狼狽え、忙しく辺りを見回しながら、呟く。
表情を険しくし、攻撃を警戒し、辺りを見回していた彼の目の前を、シュッと何か影の様なモノが横切ったと思った次の瞬間、チェスターと共に応援に来ていた兵士の一人が、『ギャッ』と短い声を上げ、その場に前のめりで床の上に倒れた。
「近くに居るぞ!」
剣の柄に手を掛け、チェスターがそう叫んでいる横で、別の兵士がドタッと床の上に倒れた。
「狼狽えるんじゃないよ! 背後を取られない様、互いに背中合わせになりな!」
兵士たちが、背後から攻撃を受け倒れているのを見て、シャーナは表情を険しくしたまま、落ち着いた様子で、焦っているエルトシャンとレックスにそうアドバイスをする。
シャーナの言葉を聞いて、二人は、慌てて互いの背中を合わせ、武器を手に周囲を警戒する。
そうしている間にも、チェスターの連れ兵士がまた一人、床の上に倒れた。
皆が、倒れた兵士に気を取られていると、一瞬キラッと何か光ったかと思った後、ワイヤーの様な細い何かに引っ掛けた滑車が滑る様な音と共に、天井の三方向から、黒い外套に身を包んだ三体の子供の大きさ程の人形が凄い勢いで滑り降りて来て、エルトシャンやレックスの前をあっという間に横切ったのが、ステンドグラスの間から差し込んで来た日の光に照らされたので見えた。
だが見えた所で、そのあまりの速さに、二人は目で追うので精一杯で、その場から動く事は出来なかった。
二人の前を一瞬で通り過ぎた三体の人形は、彼等の後方の壁際に身を持たれ掛け、動けなくなって居るロナードの方へと滑り込んでいく……。
その手には、鋭利な刃物が、日の光を受けて冷たく反射している。
「ロナード!」
「避けて!」
その事に気付いたシャーナとデュートも、血相を変え、揃ってロナードに向って叫ぶが、魔力を使い果たして、彼はピクリともしない。
「ロナードっ!」
哀れロナードは、突進して来る人形たちに、体を一突きされると判断したレックスは悲鳴に近い声を上げ、その場にいた誰もが、その事を避けられないと思った時、シャーナが槍を突き出したその瞬間、彼女の槍から一筋の光が放たれ、バッと人形たちを、まるで鎌鼬の様に背後から真っ二つにしてしまった。
ロナードを襲撃しようとしていた人形たちは、次々と音を立てて、床の上に転がった。
「あ、あぶねぇ……」
間一髪のところで、ロナードが助かった事を知ると、レックスは額に薄らと滲んだ冷や汗を拭い、そう呟くと、安堵の表情を浮かべる。
「い、今の……何スか?」
デュートは目を丸くして、戸惑いの表情を浮かべ、シャーナに問い掛ける。
「お前も魔法使えんのか?」
レックスも戸惑いの表情を浮かべつつ、シャーナにそう問い掛ける。
「アタシの里に伝わる、槍技の一つだよ」
シャーナは落ち着き払った口調で、レックスにそう答えた。
「おのれ! 邪魔立てしおって!」
何処からか、怒りに満ちた男の声が響いて来る。
「操るモノが無ければ何も出来ないだろ! 悪足掻きもここまでだよ!」
シャーナは、槍の柄に手を掛けたまま、強い口調でそう言った。
「くくくっ。 果たしてそうかな?」
不気味に男の声が辺りに響くと、シュッと一瞬だけ、何か細い線が、レックス達の前を過ぎった。
「操れるのは、何も人形だけでは無いのだよ」
不気味に男の声が響くと、短剣を手にしていた方のデュート手が、彼の意志に関係なく勝手に動きだした。
「えっ……」
デュートは自分の意志とは関係なく、勝手に体が動き出したので、戸惑っていると……。
「なっ、何をする!」
不意に背後から、チェスターの悲鳴に近い声が響いた。
近くにいたレックスが驚き振り返ると、どう言う訳か、チェスターの連れである兵士が、彼に向って剣を振り下ろしており、チェスターは間一髪の所で、床の上に尻餅を付く様な形で避けていた。
(な、何だ?)
戸惑いの表情を浮かべ、レックスが見取れていると、エルトシャンが『後ろ!』と叫ぶ声がしたと同時に、ヒュッと何かが風を切る様な音がし、自分の右の肩甲骨辺りに強い痛みが走った。
レックスは、痛みが走る辺りを背中越しに見て見ると、どう言う訳か、短剣を手にしたデュートの手がチラリと見えた。
「何やってるだい! デュート!」
それを見ていたシャーナは、表情を険しくして、強い口調でデュートに向かって叫ぶ。
「な……何で……」
デュートは顔面蒼白になり、恐怖に顔を引き攣らせ、ガクガクと小刻みに身を震わせていた。
ふと、レックスが自分の足元を見ると、小さな血だまりが出来ていた。
レックスは、自分の身に何が起きたのか理解が出来ぬまま、フッと意識が遠退き、目の前が真っ白になって、ドタッとその場に倒れ込んだ。
「レックス!」
それを見たエルトシャンは焦り、悲鳴に近い叫び声を上げる。
「レックス!」
背後からデュートが振り下ろした短剣を受け、倒れたレックスを見て、シャーナが声を上げ、倒れた彼の元へと駆け寄る。
「レックス……。 そんな……おれが……」
デュートはそう呟くと、手にしていた短剣を思わず取り落し、呆然と立ち尽くす。
床の上にぶつかった短剣の柄の音が、辺りに響いた。
その一方で、チェスターは腰が抜け、床の上に尻餅を付く様な格好のまま動けなくなってところに、彼が連れて来た兵士が、武器を手に詰め寄って来ていた。
「何をやっているんだ!」
「武器を納めろ!」
他の兵士たちが、チェスターに襲い掛ろうとしている兵士に向かって叫ぶ。
「ち、違うんだ! 体が勝手に……」
チェスターに剣を振り翳している兵士は、すっかり動転し、顔を引き攣らせながら、他の兵士たちに向かって、必死に叫ぶ。
「や、止めろ!」
チェスターは、両手で自分の頭を覆いながら、青い顔をして悲鳴に近い声を上げる。
近くにいた兵士たちは、何が起きているのか理解出来ずに動けずにいたが、エルトシャンが駆け付け、とっさにチェスターの前に立つと、彼に剣を振り下ろそうとした兵士に向かって思い切り拳を突き出した。
エルトシャンが繰り出した拳を土手っ腹に喰らった兵士は、『グエッ』と言うカエルを踏み潰した様な声を上げ、気絶してその場に崩れ込んだ。
だが、どう言う訳か、気絶している筈の兵士の体が、まるで操り人形が起き上がる様に、人間の動きとしては奇妙な動きで起き上がって来た。
「なっ……。 どうなってる?」
それを見たチェスターは、驚愕の表情を浮かべそう呟くと、顔を引き攣らせ、腰を抜かしたまま後退りをする。
「どうやらコイツは、さっきの人形の様に操られているみたいだね。 だから、操ってる糸を切らない限り、例え死んだって、体だけは動き続けるよ」
シャーナは落ち着き払った様子で、すっかり動転しているチェスターに、何が起きているのかを説明した。
「つまり……。 デュートも同じ原理……と言う事か……」
意に反して、レックスを斬ってしまった事にすっかり動転し、血の気の失せた顔で、身を震わせつつも、その表情とは裏腹に、床の上に転がっている短剣を拾い上げ、自分に刃先を向けているデュートを見据えつつ、エルトシャンは落ち着き払った口調でそう呟いていると、背後に気配を感じ、彼はとっさに身の危険を感じ、横へと転がる様に避けると、緑色の風の刃が半秒遅れて飛んで来た。
「ロナードまで!」
エルトシャンは素早く身を起こしつつ、後ろを振り返ると、目を閉ざしたままの状態で、ロナードが立っていたのを見て、苦々しい表情を浮かべ呟く。
「えええっ! ちょ、ちょっ……アンタまでなに操られてんのさ!」
ロナードが、エルトシャンを背後から攻撃したのを見て、シャーナはすっかり動揺し、焦りの表情を浮かべつつ、彼に向って叫ぶ。
「ふふふ……。 さあどうする? コイツ等を止めぬと、お前等が死ぬぞ?」
面白可笑しそうに笑う、不気味な男の声が、辺りに響き渡る。
「汚い真似を……」
シャーナは、嫌悪に満ちた表情を浮かべ、操られている三人に注意を向けつつ、そう呟く。
「ロナード! 起きてよ!」
エルトシャンは、表情を険しくし、ロナードに向かって叫ぶが、彼はかなり深く眠っている様で、依然、両目を固く閉ざし、頭を擡げたままだ。
「ケルベロスを何処かへ追いやる事が出来ると言う事は、当然、その逆の事も出来る筈だろう?」
そう呟く、不気味な男の声が、辺りに響いた。
「チッ。 ロナードを使って、あの化け物を呼び出すつもりだね……」
不気味に響き渡る男の言葉を聞いて、シャーナは舌打ちし、忌々し気な表情を浮かべ、呟く。
「じょ、冗談ではない! 貴様っ! 今直ぐそいつを叩き切れ!」
シャーナの言葉を聞いて、腰が抜けて動けないチェスターは、恐怖に顔を引き攣らせながら、悲鳴に近い声で彼女に向かって、ロナードを叩き切る様に命じると、それを聞いたエルトシャンは、戸惑いの表情を浮かべる。
「その様な事をしたら、ロナードの命と体を媒体にして、ケルベロスよりも質の悪いのが出て来たらどうするのさ!」
シャーナが戸惑いの表情を浮かべ、強い口調でチェスターに言い返すと、
「例えロナードを殺しても、操られている以上、止める事は出来ないのでは……」
エルトシャンも、険しい表情を浮かべ、そう言った。
二人がそんな事を言っている間にも、ロナードはブツブツと聞き慣れない言葉を口ずさんでおり、彼の足元に、深紅の魔法陣が浮かび上がって来た。
その魔法陣からは、紅蓮の炎を舞い上がらせながら、真っ赤な鱗を持った蜥蜴に似た、頭に大きな角を左右に生やした、巨大な頭部がゆっくりと這い出てきた。
「あわわわわ……」
それを見て、チェスターはその何とも言えぬ圧倒的な存在感と、周囲の空気を一瞬で、汗ばむ程のとてつもない熱気を放つそれを前にして、声を震わせそう口走っていたが、やがて白目を剥き、蟹の様に口から泡を噴き、失禁し、気絶してしまった。
出て来たのは、燃え盛る紅蓮の炎を纏った、ホールの天井を突き破りそうな程に巨大なドラゴンが、ぶら下がっていたシャンデリアなどを次々と落としながら、魔法陣の下から、ゆっくりと這い出て来るではないか。
「はわわわ~っ!」
エルトシャンは、半泣きになりながら情けない声を上げ、恐怖のあまり腰が抜け、その場に尻餅を付く様な格好で、ヘタリ込んでしまった。
「んなっ……」
デュートに背後から切り付けられ、床に落ちていた自分の血を見て、失神していたレックスが意識を取り戻したのだが、その光景を見て、もう一度気絶したい気持ちになった。
「なんちゅーモンを飼ってるんだい! この子はっ!」
シャーナも現れた火竜を見て、目をひん剥いて、驚きの声を上げる。
“我ガ主ヲ操リ、好キ勝手ヲシテイル、愚カ者ハ誰ゾ?”
目の前に現れた、火竜のモノと思われる、唸る様な低い男の声が直接、片言の人間の言葉でレックス達の頭の中に響いて来た。
「そこまでよ」
突然、何処からか若い女の声が響いた。
「?」
エルトシャンは、戸惑いの表情を浮かべ、声がした方へと目を向ける。
背中まである波打つ桜色の髪、豊満な胸、程好く括れた腰、肉厚で丸みのある尻、スラリとした手足、ルビーの様に美しく輝く紅蓮の双眸が印象的な、浮世離れした美し過ぎる顔立ち、陶器の様に白く滑らかな肌の妖艶な女性が静かに佇んでいた。
「セシア?」
シャーナは何の前触れも無く、何の気配も無く、自分たちの前に現れた彼女を見て、戸惑いの表情を浮かべて呟く。
彼女は、ヒュッとロナードの側に突然現れると、持っていた短剣でまるで蜘蛛の糸でも斬るかの様に、空を何度か切り裂くと、ロナードは糸の切れた操り人形の様に、カクッと力なくその場に崩れる。
すると、紅蓮の炎を巻き上げていた魔法陣は消え、その中からゆっくりと出てこようとしていた炎を纏った緋色のドラゴンは、ズズズズ……と魔法陣の中へと吸い込まれる様に消えていく……。
「この女っ!」
そう叫びながら、黒いローブに身を包み、フードを深々と被り仮面をした者が、剣を片手にセシアに向かって真っすぐに飛び込んで来た。
「セシア!」
「危ないっ!」
それに気付いたシャーナとエルトシャンが、揃って声を上げた次の瞬間、目には見えない壁に思い切り弾かれ、勢い良く吹っ飛び、床の上に体を二転三転させた。
シャーナとエルトシャンは驚いて振り返ると、深く眠っていた筈のロナードが、どう言う訳か片手を突き出す格好で立っていた。
「済みません……」
セシアは、戸惑いの表情を浮かべつつ、ロナードに向かって言った。
「いや……。 こちらこそ、助かった……」
ロナードは、落ち着き払った口調でセシアにそう返すと、ゆっくりと立ち上がろうとしたが、急に目の前が真っ白になり、その場に倒れそうになる。
「無理をなさらないで!」
セシアは慌てて、その場に崩れ込みそうになったロナードを慌てて抱き止めると、強い口調で言った。
「悪い……」
ロナードは片手を額に添え、そう返すと、セシアに支えられながら、床の上にゆっくりと腰を下ろした。
「大丈夫かい?」
シャーナは、ロナードの下へと駆け寄りながら、そう声を掛ける。
セシアに背を支えられつつ、床の上に座っているロナードは顔色が悪く、辛そうであった。
「それより……」
ロナードは、辛そうな表情を浮かべつつも、自分が先程吹き飛ばした、黒いローブを着た人物の方を指差した。
「そうだ」
それを見たエルトシャンは、ハッとした表情を浮かべ振り返り、床に倒れている黒いローブを着た人物の方へと目を向ける。
そこには、仮面が外れ、黒いフード付のローブを着た、老人の様に皺くちゃな顔の、白髪の男が倒れており、既に絶命しているようであった。
「あ……。 体がちゃんと動く……。 良かったス……」
デュートは、カクンと力が抜ける感覚と共に、自分の体の感覚が戻ったのを感じ、自分の意志で手が動くかと、右の指を何度も動かしながら、そう呟いた。
相手の術師が絶命したと分かると、セシアはホッとした表情を浮かべてから、クルリとロナードの方へと振り返り、
「ロナード様っ! また無茶な事をして!」
怒りの形相と強い口調で怒鳴り付ける。
「そう怒鳴るな。 面倒なのは片付いたのだから」
ロナードは、五月蠅そうな表情を浮かべ、セシアにそう言うが、彼女は、物凄く不満に満ちた表情を浮かべ、
「そういう問題ではありませんわ! 貴方はご自分の力が、どれ程危険なものなのか分かっているの? 一歩間違えれば、この場にいた全員、黒焦げにしていた所でしたのよ!」
強い口調で、ロナードに言った。
「ホントだよ! 生きた心地がしなかったじゃないか!」
シャーナも怒りに満ちた形相で、ロナードに強い口調でそう訴える。
「マジ、小便ちびりそうだったスよ……」
デュートは、ゲンナリした表情を浮かべ、ロナードにそう言った。
「……済まない……」
ロナードは、沈痛な表情を浮かべ、力なくそう返した。
「ところで、あれはどーするんだい? アンタが呼び出したドラゴンを見てビビって、腰が抜けて、小便ちびってるみたいだけど……」
シャーナは、床の上に腰が抜けて座り込んだ格好のまま、気絶しているチェスターを指差しながら、ロナードたちに言うと、それを見たデュートが『あ、ホントだ』と呟いている。
「伯父の威を借りて、威張り散らす事しか能の無い者には相応しい姿ね」
セシアは気絶しているチェスターに、冷ややかな視線を向けながら、皮肉たっぷりにそう言った。
「しかし……。 コイツを片付ければ、他の仲間も出て来るかと思ったけど、流石に、そんな馬鹿では無いらしいねぇ」
シャーナは両耳を忙しく動かしながら、先程まで複数あった人の気配と物音が、まるで波が引く様にスッと消えてしまったので、苦笑い混じりにそう指摘した。
「確かに嫌な気配は無くなったけれど、まだ油断はしない方が良いわ」
セシアは両腕を胸の前に組み、渋い表情を浮かべつつ、シャーナにそう忠告する。
「総監補佐! しっかりして下さい!」
チェスターの連れの兵士が、気絶しているチェスターの肩を掴み、そう言いながら彼の体を揺らす。
「あ~あ~。 ガチで気絶してらぁ」
その様子を見て、レックスは苦笑い混じりにそう呟くと、
「兄が……見苦しい所を見せちゃって、御免ね」
エルトシャンは、恥ずかしそうにしながら、ロナード達にそう言ってから、苦笑いを浮かべる。
「な~んか、偉そうに言ってた割には大した事ないねぇ」
シャーナは、意地の悪い笑みを浮かべ、皮肉たっぷりにそう言った。
「軍の上層部なんて、そんなモノだろ」
ロナードは素っ気ない口調で、シャーナにそう言い返すと、立ち上がろうとするが、体がフラ付くのを見て、レックスが慌てて彼の腕を掴んで支える。
「悪い……」
ロナードは苦笑し、自分の体を支えてくれているレックスにそう言った。
「ったく。 自分で歩けなくなる様な事、するんじゃねぇよ」
レックスは、呆れた表情を浮かべ、ロナードに言った。
「そう言うお前もな」
ロナードは苦笑いを浮かべ、レックスに言い返す。
「御免ス。 レックス」
デュートは、申し訳なさそうに、レックスにそう言って謝る。
「気にすんなって」
レックスはニッと笑みを浮かべ、バツの悪そうな顔をしているデュートに言った。
「兎に角、ケルベロスは幻獣界へ送り返す事が出来たわ。 一応、任務は完了ね」
セシアは、軽く息を吐いてから、淡々とした口調で言うと、
「ったく。 初めての仕事にしちゃあ、ハードルが高過ぎだよ」
シャーナは苦笑いを浮かべながらそう言うと、肩を竦める。
「これから、こんな仕事ばっかなのか?」
レックスは、ゲンナリとした表情を浮かべ、呟く。
「僕、ちょっとケルベロスのリーダー、考え直そうかな……」
エルトシャンは、不安に満ちた表情を浮かべ、ポツリとそう言うと、
「もう後の祭りよ。 異動は受け付けなくってよ」
セシアは意地の悪い笑みを浮かべ、エルトシャンとレックスにそう言うと、二人は揃って、泣き出しそうな顔をした。