国立図書館事件(上)
主な登場人物
ロナード…漆黒の髪に紫色の双眸が特徴的な、傭兵業を生業として居た魔術師の青年。 落ち着いた雰囲気の、実年齢よりも大人びて見える美青年。 一七歳。
エルトシャン…オルゲン将軍の甥で、ルオン王国軍の第三治安部隊の副部隊長だったが、カタリナ王女から、新設された組織『ケルベロス』のリーダーを拝命する。 愛想が良く、柔和な物腰な好青年。 王国内で指折りの剣の使い手。 二一歳。
アルシェラ…ルオン王国の将軍オルゲンの娘。 白銀の髪と琥珀色の双眸が特徴的な、可愛らしい顔立ちとは異なり、じゃじゃ馬で我儘なお姫さま。 カタリナ王女の命を受け、新設される組織に渋々加わる事に。 一六歳。
オルゲン…ルオン王国のカタリナ王女の腹心で、『ルオンの双璧』と称される、幾多の戦場で活躍をして来た老将軍。 温和で義理堅い性格。 魔物の害に苦しむ民の救済の為に、魔物退治専門の組織『ケルベロス』を、カタリナ王女と共に立ち上げた人物。
セシア…ルオン王国の王女、カタリナの親衛隊の一員で、魔術に長けた女魔術師。 スタイル抜群で、人並み外れた妖艶な美女。
レックス…オルゲン侯爵家に仕えて居た騎士見習いの青年。 正義感が強く、喧嘩っ早い所がある。 屋敷の中で一番の剣の使い手と自負している。 一七歳。
カタリナ…ルオン王国の王女。 病床にある父王に代わり、数年前から政を行っているのだが、宰相ベオルフ一派の所為で、思う様に政策が出来ずにおり、王位を脅かされている。 自身は文武に長けた美女。 二二歳。
サムート…クラレス公国に住む、烏族の長の妹サラサに仕える、烏族の青年。 ロナードの事を気に掛けている主の為にロナード共にルオンへ赴く。 人当たりの良い、物腰の柔らかい青年。
シャーナ…南半球を中心に活動している傭兵で槍の扱いが得意。 口は悪いが、サバサバとした性格で面倒見の良い姉御肌。
デュート…元・トレジャーハンターの少年。 その経験をかわれ、ケルベロスに加わる。 飄々としていて掴みどころのない性格。 一七歳。
チェスター…エルトシャンの腹違いの兄で、治安部隊総監補佐をしている。 エルトシャンと違い武芸に疎い、頭脳派。 とてもプライドが高い。 二五歳。
ベオルフ…ルオン王国の宰相で、カタリナ王女に代わり、自身が王位に就こうと企んでいる。 相当な好き者で、自宅や別荘に、各地から集めた美少年美少女を囲って居ると言われている。
メイ…オルゲン侯爵家に仕えている騎士見習いの少女。 レックスとは幼馴染。 ボウガンの名手。 十七歳。
王都ルオンにある、オルゲン侯爵家の敷地内の地下室……。
「だ・か・ら、アタシはただ指定された所に行って、金を貰って『オルゲン将軍を始末して欲しい』って頼まれただけで、依頼主が何処の誰かなんて、知らないって言ってるだろ!」
オルゲン将軍の殺害を目論んだ、猫人族の女性は両手に手錠を掛けられ、逃げられぬ様に椅子の脚から延びた鎖の先に付いた足枷を足に付けられ、三方が分厚い壁に囲まれた、入り口は分厚い鉄の扉、窓は一切なく、ランプの明かりだけが頼りの、中央にテーブルが置かれ、向かい合う様に椅子が置かれただけの狭い空間の壁側の椅子に座り、取り調べをしている兵士達に向かって言った。
「そんな筈が無いだろう!」
取り調べをしている兵士は、バンと机を思い切り両手で叩くと、強い口調で言い返す。
「殺しの依頼なんてそんなモンだよ。 依頼主だって足が付いちゃ困るから、アタシみたいな流れ者を雇うんだよ。 わざわざ、自分が召し抱えてる奴に頼む様な真似はしないって!」
猫人族の女性は、思い切り顔を顰めながら、取り調べの兵士にそう力説する。
「その様な事、罷り通る訳が無い。 全く面識の無い奴に、そんな重大な事を頼むなど……」
取り調べの兵士は、『納得がいかない』と言った様子で言うと、猫人族の女性は特大の溜息を付き、
「これだからアンタたちみたいな、平和ボケした馬鹿な連中は困るよ。 もう少し、世間を知ってる奴はいないのかい?」
ウンザリした様な口調で言った。
「同感だね。 お屋敷勤めの兵士が、ここまで使えないとは思わなかったよ。 何だかんだ言って、何も進展が無いじゃないか」
不意に鉄の扉の向こう側から若い男の声がして、扉が音を立てながらゆっくりと開き、廊下の方から少し癖のある明るい茶色の髪、目尻が下がった明るい緑色の双眸で、右目の下に黒子、少し日に焼けた薄い赤銅色の肌、柔和な顔立ちをした青年が、ゆっくりと入って来た。
それを見て、取り調べをしていた兵士は椅子から立ち上がり、壁際に立ち、監視をしていた他の二人の兵士も、慌てて彼に向かって揃って敬礼をする。
少し遅れて、少し長めの癖の無いサラリとした、闇夜を想わせる深い漆黒の髪を有した、背丈は、一八〇センチはあると思われる長身、スラリとした手足に細身、黒い春物のロングコートと、黒色のジーンズと言う出で立ちで、紫水晶を丹念に磨き込んだ様な深い紫色の瞳の、眉目秀麗な青年が入って来た。
「おやアンタ達は……」
入って来た二人を見るなり、猫人族の女性はそう呟くと、不敵な笑みを浮かべた。
「毎回毎回、飽きもせず、同じ事をしてばかりだな。 全く」
ロナードはそう言うと、軽く溜息を付くと、テーブルを挟んで猫人族の女性の前に座った。
「こう言うのを、馬鹿の一つ覚えって言うんだよね」
エルトシャンは、苦笑いを浮かべ長ら言うと、兵士たちを片手で追い払う様な仕草をすると、中に居た兵士たちは慌てて部屋の中から出て行った。
「それで、アンタ達はどう言う手を使う気だい?」
猫人族の女性は不敵な笑みを浮かべながら、ロナード達に問い掛ける。
「君の、そういう態度が、何か知っているって誤解を与えてるんじゃないの?」
エルトシャンは苦笑いを浮かべながら、猫人族の女性にそう指摘すると、部屋の扉をゆっくりと閉めた。
「どうだろうねぇ」
猫人族の女性は不敵な笑みを浮かべながら、挑発する様な憎たらしい口調で言った。
「君の言う通り、そう言う物騒な事を傭兵やならず者などに声を掛けている人は、確かにいるけど、君が言った連中をちょっと絞めたら、その連中も、素性の判らない奴に雇われてしているらしいんだよね。 一人声掛けたら幾らってカンジで……」
エルトシャンは、落ち着き払った口調で、猫人族の女性に自分たちが調べた事を語る。
「へぇ」
猫人族の女性は不敵な笑みを浮かべたまま、興味津々の様子でそう言うと、チラリとロナードの方へと目を向ける。
「お前が何も知らないのは本当なのだろう。 実際、俺も傭兵時代にその様な依頼を幾度かされた事がある。 傭兵も暗殺者も金で雇われると言う点は一緒だからな」
その視線に気付いたロナードは、淡々とした口調で言った。
「ふぅん。 アタシの言い分を信じてくれるんだ」
猫人族の女性は、不敵な笑みを浮かべながら言うと、ニッコリと微笑んだ。
「だからって、無罪放免って訳にはいかないんだよ。 君が命を狙った相手が、相手だからね」
エルトシャンは苦笑いを浮かべながら、猫人族の女性に言うと、
「成程。 次にアタシが牢屋から出るのは、ギロチン台へ行く時って訳だね?」
猫人族の女性は、苦笑いを浮かべながら言うと、肩を竦める。
「今の所はね。 この国の将軍に手を出した訳だら無事には済まないよ。 シャーナさん」
エルトシャンは、苦笑いを浮かべたまま、猫人族の女性に説明する。
「そりゃ参ったねぇ……」
猫人族の女性は、両手で自分の頭を抱え、そう呟いてから、ふと何かに気付いた様子で徐に顔を上げ、
「って、何でアタシの名前をアンタが知ってるのさ? 名乗った覚えは無いよ?」
戸惑いの表情を浮かべ、エルトシャンにそう言った。
「僕たちを、ここの兵士と同じにしないでくれるかな? その気になれは、君がルオンへ来てから、何処で誰と会って、何をしていたかも分かるんだよ」
エルトシャンは不敵な笑みを浮かべ、驚いている様子の猫人族の女性『シャーナ』に言った。
「へぇ。 そりゃ凄い」
エルトシャンの言葉を聞いて、猫人族の女性はそう言うと、何処か挑発的な笑みを浮かべ、
「で、アタシの何を掴んだって言うんだい?」
エルトシャンに問い掛ける。
「僕の伯父オルゲン将軍は慈善事業にも熱心なんだ。 君が、自分の命を狙ったのは、里に居る孤児たちの為にお金が必要だったからと言う事を知って、伯父上は支援出来ないかと仰ってる」
エルトシャンは真剣な面持ちで、シャーナにそう語ると、
「いやでも、それはルオン国外の事で……。 しかも戦争中はエレンツ帝国側に与していた亜人の話だよ? 嘗て戦った相手の国の子供たちを支援するって言うのは、どうなのさ?」
思いがけぬ言葉に、シャーナは戸惑いを隠せない様子で、エルトシャンに言い返した。
「確かに我がルオン王国は嘗て、ランティアナの西側諸国と共に、ランティアナ大陸への侵攻を目論むエレンツ帝国と戦い、ここ王都ルオンは戦場となり、戦火に焼かれ、多大な被害を受けた」
エルトシャンは複雑な表情を浮かべ、重々しい口調でそう語った後、真っ直ぐシャーナを見据え、
「けどそれは、帝国の一部の権力者の都合によって起こされた戦争であって、帝国の植民地であるルエム王国の人たちは、戦争なんて望んでいなかった筈。 でも帝国に国をボロボロにされ、購う力も無い現地の人たちは、ただ従う他なかった」
真剣にそう語る。
「……」
シャーナは真剣に自分を見据え、熱心に語るエルトシャンを黙って見ている。
「悪いのは全て、武力で世界を支配しようと考えていた、当時のエレンツ帝国の皇帝とその側近たちで、帝国国民や植民地の人たちには罪は無い。 寧ろ被害者だと伯父上はお考えなんだよ」
エルトシャンは、自分を見極めようとしている様子のシャーナに、真剣な面持ちでそう続けた。
「話には聞いていたけど、ここまでお人好しな爺さんだとは思わなかったよ」
エルトシャンの話を聞き終わった後、暫くの沈黙の後、シャーナは軽く溜息を付いてから、呆れた様な表情を浮かべ、彼にそう言い返した。
「俺もそう思う」
ロナードも頷きながら、淡々とした口調で言うと、それを聞いてエルトシャンは苦笑いを浮かべる。
「伯父上は先の戦争で大切な物を沢山失った。 だから自分と同じ様に、戦争で大事な物を失い、傷付いている子供たちの事を放って置く事は、出来ないんだと思う」
エルトシャンは沈痛な表情を浮かべ、伏し目がちでそう言った。
「成程ね」
シャーナは、複雑な表情を浮かべているエルトシャンを見ながら、何処か納得した様子で呟いた。
「でも、大変なのは何もルエム王国だけじゃない。 このルオン王国も多くの人たちが、エレンツ帝国が持ち込んだ魔物の被害に苦しんでいる。 それを解決する組織を伯父上は立ち上げようとしているのだけど、敵対勢力の妨害などもあって、優秀な人材がなかなか集まらないと言うのが現状なんだ」
エルトシャンは伏し目がちなまま、重々しい口調でシャーナに語る。
「それで、このアタシの腕を見込んで、その組織に入らないかって事かい?」
シャーナは、エルトシャンの意図を理解したのか、不敵な笑みを浮かべながら、何処か上から目線で言った。
「流石に察しが良いね」
シャーナの言動を見て、エルトシャンは苦笑いを浮かべながら言うと、
「君の言う通り、魔物を相手にする以上、僕たち人間だけでは限界があるからね。 君たち亜人の力を是非とも借りたいんだ」
真剣な表情を浮かべ、そう付け加えた。
「……まあ、考えて置いてやるよ」
シャーナは、真剣な面持ちで何やら暫く思慮した後、両腕を自分の胸の前に組み、偉そうな口調でエルトシャンにそう返した。
「お前は、俺たちの依頼を断れば、断頭台行だと言うのを分かっているのか? お前が自身の命を惜しいと思った時点で選択肢など存在しない」
ロナードは、冷ややかな口調でシャーナに言った。
「ロナード……。 言い方……」
エルトシャンは、苦笑いを浮かべながらロナードに言ってから、シャーナの方へ向き、
「僕は、強要するのは好きじゃないんだけど、まあ……要はロナードの言う通りだね。 そうで無くても、ベオルフ宰相の手の者じゃないかと思われているんだから、助かる見込みは無いと思うよ」
エルトシャンは、苦笑いを浮かべながら、シャーナにそう言うと、
「やれやれ……。 揃って優しそうな顔して、残酷なことを迫るねぇ……。 アンタたちは」
シャーナは、軽く溜息を付くと、ボリボリと片手で頭を掻きながら、そう呟いた。
閑静な住宅地が立ち並ぶ一角に、青色の屋根、赤レンガの外壁に蔦が絡み付いた、その外観からして、元は、一階は食堂兼酒場、二階が宿屋だったと思われる、古い店舗を改装したと思われる建物の前に、トランクを片手にロナードは居た。
この建物に、カタリナ王女肝いりの、魔物退治専門の組織のメンバー達が今日、集結すると言う。
彼は一抹の不安を抱きつつも、建物の入り口に立ち、玄関の扉をノックすると中から若い女の声で中に入って来るよう返事があったで、戸惑いつつも扉を開け、徐に建物の中へと足を踏み入れた。
明りが点いていない薄暗い内部は思った通り、一階部分は酒場だった様で、歩くと音を立てて軋む板張りの床の上には、カウンターテーブルや大きな丸テーブルが、そのまま置かれていた。
「こんにちは。 また会いましたわね。 ロナード様」
カウンターテーブルの前の椅子に座り、昼間だと言うのに酒瓶を開け、グラスに注がれた赤ワインを口に運びながら、若い女が妖艶な笑みを浮かべながら、そう声を掛けて来た。
新設される組織の採用試験の際、試験官を務め、カタリナ王女の親衛隊だと言う、セシアと名乗ったていた女は、妖艶な笑みを浮かべながら、やって来たロナードを見ている。
「そうだな……」
ロナードは、何処か警戒した様子で、自分に微笑み掛けるセシアに問い掛けた。
「そう警戒なさらずとも……。 取って食べたりはしないと、前にも申し上げた筈です。 これから、仲間として仲良くしていきましょう」
彼女は、穏やかな口調で言うと、ニッコリと笑みを浮かべた。
『仲良く』と言われたが、ロナードはどうもこの『セシア』と言う女が、何となく苦手であった。
「他の人たちは、随分とのんびり屋さんの様ですわね。 暇潰しに、皆が集まるまで、ご一緒に如何でして?」
セシアはそう言って手に持っていた、ワインが入ったグラスを掲げて、彼に酒に付き合う様に誘う。
(初っ端から、酒の匂いをプンプンさせるなど、不謹慎だろ)
ロナードは、心の中で呟いてから、
「遠慮する」
彼は、片手で遮る様な仕草をしながら、セシアに言い返す。
「心配しなくても、酔い潰れた同僚に、手を出したりはしませんわよ?」
セシアはクスクスと笑いながら、相変わらず、自分の事を警戒している彼に言った。
「信用ならないな」
彼は相変わらず警戒した様子で、セシアにそう言い返すと、彼女が居る場所から少し離れた部屋の壁際にあるカウチソファーの側にトランクを置くと、カウチソファーの上に腰を下ろし、徐に片足を組み、暇潰しに馬車の中で読んでいて降りる際、手に持ったままだった、分厚い古びた本を開ける。
彼のその様子を、セシアは目を細めて微笑みを浮かべ、赤ワインが入ったグラスを時折傾けながら、静かに見守っている。
ロナードはその視線に気付いていたが、敢えて気付かない振りをしていると、玄関の扉が勢い良く開け放たれる音共に、バタバタと中に入って来る足音がしたので、彼は『何事か』と警戒し、表情を険しくし、徐に本から顔を上げる。
「やべぇ。遅くなっちまった。」
一八〇センチ近い長身で、ガッチリとした、筋肉質な体付き、ちょっと目尻が吊り上った青色の双眸、短く切り揃えられた青色の短髪、両耳には、金色のリングピアス、良く日に焼けた赤銅色の肌を有した、年の頃は、一六、七歳と思われる青年が呟く。
薄手の茶色のジャケット、白の丸首のTシャツ、紺色のジーンズに、茶色の皮のブーツと言う出で立ちと、目付きが悪い事に加え、彼が纏う雰囲気などから、その辺の柄の悪いチンピラと言った印象を与える青年が息を切らせ、駆け込んで来た。
(何だ。 レックスか)
ロナードは、駆け込んで来た相手を確認すると、拍子抜けした様子で心の中で呟くと、再び本へと視線を落とす。
相変わらず、落ち着きのない子ね。」
セシアはその青年を見るなり、呆れた表情を浮かべながら言った。
「あれ? 来てるの、お前等だけなのか?」
レックスは一頻り室内を見回してから、戸惑いの表情を浮かべ、先に来ていた二人に問い掛ける。
「その様ね」
セシアは、淡々とした口調で言うと、ワインを口に運ぶ。
「待っていれば、その内集まるだろ」
荷物を手に、何処へ落ち着いたら良いのか分からずに、入り口付近で立ち尽くしているレックスに、ロナードは、落ち着き払った口調で言った。
「空いているわよ。 ここ」
セシアは穏やかな口調で、レックスに言うと、自分の隣の空いている椅子の上に片手を置く。
「ん、ああ……」
レックスは、荷物を部屋の隅に置くと、流石に、採用試験の一件もあるので気が引けて、ロナードとセシアの間にある椅子に腰を下ろした。
二人は、レックスが席に着いた事を認めると、そのまま口を噤み、ロナードは読書の続きを、セシアはワインをまた飲み始めてしまった。
レックスは暫く、二人の様子を見ていたが、あまりに沈黙が長いので、耐えきれなくなり、
「な、なあ、二人は何時からここに来てんだ?」
徐に、二人にそう問い掛けると、
「私は、一時間くらい前から……。 ロナード様は、貴方とそう変わらない位に来たわ」
セシアが、ワイングラスを優雅に傾けながら、淡々とした口調でそう答えた。
「随分と早くから、来てんだな?」
レックスは、苦笑い混じりにセシアに言うと、
「前の仕事柄、人より早く来て、現場の下見を一通りしないと、落ち着かない性分なの」
彼女は苦笑い混じりに、レックスにそう答える。
「へぇ。 やっぱ、王女の親衛隊ともなると、色々と大変なんだな」
レックスは、感心した様子で言うと、
「そうね。 殿下よりも先に現場に到着して、まずは可笑しな点は無いか、一頻り見て回るのよ。 その習慣が身に沁み付いていてつい、この中を全て確認してしまったわ。 これは、その時に地下室から見付けたの」
セシアは苦笑い混じりにそう語ると、ワインボトルを手にする。
「だからって、飲まなくてもよ……」
レックスは呆れた表情を浮かべ、セシアに言っていると、玄関の扉が開く音がして、
「遅くなり、申し訳ないス!」
不意に、玄関から若い男の声がしたので、三人は一斉にそちらの方へと目を向けた。
「はあ……。 やっぱ、何度聞いてもここかぁ……。 おっ!」
再び、若い女の声が玄関の方から聞こえて来た。
「なんだよ! 人居るじゃないか! 何時の間に来てたんだい? アタシがさっき来た時は、スッカラカンだったのにさ」
髪はオレンジ色のショートカット、猫の目の様に大きな緑色の双眸、全身に何かの模様の様な、文字の様な不思議な刺青のある、猫の耳の様な形をした耳に、銀色のリングピアスをし、猫の尻尾の様なモノを生やし、体にピッタリとした黒いサーコートに身を包み、首元に黒いスカーフを巻いた、活発そうな小柄な女性が、こちらへ駆け込んで来るなり、一同を見回し、そう言って来た。
(あれ? コイツ何処かで……)
レックスは思わず、思い切り顔を顰めながら心の中で呟きつつ、マジマジと亜人の女性を見る。
「やっぱ、ここで良かったんじゃないスか。 シャーナさん」
亜人の女性にそう言いながら姿を現したのは、長めの黄緑色の髪で、前髪の一部を赤色に染めた、緑色の双眸に、良く日に焼けた赤銅色の肌、背丈はロナードやレックスよりも頭一つ分ほど低く、ヒョロッとした頼りなさそうな体付き、何処かチャラそうな雰囲気の少年だ。
髪を染めている事もそうだが、その服装も、太股の所に大きなポケットが付いた、ダボッとした青いジーンズを腰の辺りまで下げて履いて、ド派手な柄のトランクスが見え隠れしており、胸元が大きく開いた派手な柄のTシャツの上に、白いパーカーの裾を腕まくり、自分で空けたのか、獣の牙の様な形のピアスが耳たぶを貫通していて、それが、とても痛そうに見える。
彼を見た瞬間、ロナードとレックスは、ドン引きした。
「ちゃんと、案内書には地図を載せてあったでしょう?」
セシアは呆れた表情を浮かべ、駆け込んで来た亜人の女性に言った。
「書いてあったけど、ここど~見ても、酒場ってカンジだったからさ。 シェアハウスだとは思わなくて。 それらしい建物を探して、後ろにいるこのデュートと、ずっとこの辺をウロウロしてたのさ」
亜人の女性は、苦笑いを浮かべながら、二人が遅れてやって来た理由を語った。
「それは、大変でしたわね」
セシアは苦笑しながら、彼女に言い返した。
「まあ兎に角、見付かって良かったよ。 アタシゃてっきりさ、アタシが亜人だから、からかわれてるのかと思っちまったよ」
亜人の女性は、安堵の表情を浮かべた後、ケタケタと笑いながら言った。
「少なくともカタリナ様は、その様な差別をなさる御方では無くってよ」
セシアは、苦笑いを浮かべたまま、亜人の女性に言い返した。
「そりゃ良かった。 折角あり付けた好条件の仕事なのに、『亜人』だからって、抓み出されちゃあ、堪らないからね」
亜人の女性は苦笑混じりに言うと、空いている椅子は沢山あるのに、何故かロナードの横に腰を下ろす。
「あ――オメェ、この前の!」
レックスは、何処かで会った事があると思い、必死に自分の記憶を引っ張り出していたのだが、思い出した途端、思わず彼女の事を指差しながら、叫んでいた。
彼女は、狩に出掛けたオルゲン将軍の命を狙い襲撃して来たのだが、敢え無くロナードに返り討ちにされ、その後、オルゲン家の兵士たちに捕縛され、屋敷の地下牢に投獄された様だが、それから彼女がどうなったのか、レックスは知らなかった。
ここに居ると言う事は大方、槍の腕を見込まれ、オルゲン将軍にでも懐柔されて、この組織に入る事になったのだろう。
「この前はど~も。 アタシはシャーナって言うんだ。 アンタの名前、ちゃんと聞いて無かったねぇ。 黒髪のイケメンくん」
戸惑った顔をして、自分を見ているロナードに向かって、ニカッと笑みを浮かべ、亜人の女性はそう声を掛けた。
「ロナード……」
ロナードは、淡々とした口調で彼女に言った。
「ふ~ん。 でもそれってさ、名前じゃなくない? 『ロナード』ってさ普通、母親が自分の子供に対して使う言葉でしょ? アタシら亜人の言葉で、『私の坊や』とか『可愛い子』って意味だよ?」
シャーナは、苦笑い混じりにそう言うと、それを聞いて可笑しかったのか、デュートが小馬鹿にした様な顔をして、片手で自分の口元を抑え、吹き出すのを堪える。
「知っている」
ロナードは、ムッとした表情を浮かべ、淡々とした口調で、シャーナに言い返した。
「ロナード様は、幼くしてご家族を亡くされているの。 だから……」
セシアは複雑な表情を浮かべ、シャーナに事情を語ると、彼女は物凄くバツの悪そうな表情を浮かべ、
「ご、御免よ! 本当に御免! アタシ、そんな事情だとは知らなくて……。 軽く、からかうつもりで……。 悪意はなかったんだ」
慌てて、座っていたソファーから立ち上がり、アタフタしながら、ロナードにそう言って謝罪する。
「あ~あ~。 シャーナさん。 端からやっちまったスねぇ? すげぇカンジ悪いスよ?」
デュートは苦笑いを浮かべながら、シャーナに向かって言った。
「分かっている。 亜人は大体、この名前を馬鹿にするか、からかうからな……」
ロナードは、然して気にしている様子も無く、淡々とした口調で、かなり反省している様子の彼女に言い返した。
「マジで御免……」
シャーナは、叱られた猫の様に、シュンと耳を下げ、申し訳なさそうにロナードに言った。
「気にしていない」
ロナードは、淡々とした口調でシャーナに言い返すと、本の方へと目を向ける。
「はあ……端っからやっちまったよ……。 アタシさぁ、何時もこんなカンジなんだよねぇ……。 ホラ、アタシ亜人だからさ。 なかなか向こうから声かけてくれないからさぁ。 仲良くなろうと思って、自分から声を掛けるのは良いけどさぁ、墓穴掘ってばっかで……」
シャーナは、ガックリと肩を落とし、ロナードの横にストンと力なく座ると、意気消沈と言った様子で呟く。
(別に聞いてねぇのに、良く喋るな……)
レックスは、シャーナの方を見ながら、半ば呆気にとられつつ、心の中で呟いた。
(前から思っていたが、五月蠅い奴だ)
ロナードは、心の中でそう呟きながら、本に目を落としたまま、シャーナの話を完全に聞き流している。
「これで、全員スか?」
デュートは、シャーナの愚痴を適当に聞き流しつつ、部屋の中を軽く見回してから、ロナード達にそう問い掛ける。
「いや……あと二人は遅れて来るぜ。 姫が学校から戻ったら来るってよ」
荷物を解きながら、レックスがそう答えると、
「アルシェラ様……ね……。 別に居なくても良いのではなくって?」
セシアは、どーでも良さそうな口調で言うと、
「俺もそう思うが、そう言う訳にもいかないんだろう?」
セシアの言動に、ロナードは内心は『同感だ』と思いつつ、溜め息混じりに彼女に言い返した。
「居ても居なくても、大差は無いと思いますけれど……」
セシアは、苦笑い混じりにそう言うと、レックスも物凄く不安そうな表情を浮かべ、深々と溜息を付いた。
「なに? 何か、問題でもあるんスか?」
三人の様子を見て、デュートは戸惑い気味に問い掛ける。
「オルゲン将軍の娘が加わる予定ですけれど、それがチョット……。 色々と問題が……」
セシアは渋い表情を浮かべ、歯切れ悪く言うと、
「戦闘経験はほぼ無い事に加え、人格的にも難ありだ。 彼女には、彼女なりの事情があるのだろうが、正直、邪魔にしかならないだろう」
ロナードは、困った様な表情を浮かべ、デュートにそう説明すると、特大の溜息を付く。
「あの性格だから、オルゲン将軍も随分と手を焼いていらっしゃる様ですわ」
セシアは苦笑いを浮かべつつ、気の毒そうに言うと、
「成程。 俺たちは体よく、その馬鹿娘の子守りにされた訳か」
ロナードは呆れた表情を浮かべ、溜め息混じりにそう指摘する。
「流石のエルトシャン様も、お館様とカタリナ様に言わちゃ、『嫌です』とは、言えねぇもんな?」
レックスは肩を竦めながら、苦笑い混じりに、二人に言い返した。
「まあ貴方が居るだけ、まだマシだけど……。 私も貴方と立場的には、あまり変わらないのよね……。 本当に妙な役を押し付けられたものだわ」
セシアは、溜め息混じりにロナードに言うと、酒瓶を手に取り、空になったワイングラスに、ワインを注ぐ。
「それで昼間から、自棄酒を飲んでいるのかい?」
シャーナは、呆れた表情を浮かべ、セシアに言うと、
「これは偶然、この中を物色していたら見付けたから飲んでいるだけよ。 こんな所に、ずっと置きっ放しにされていたから、あまり、良い状態ではないけれど。 折角見つけたのだから、飲んであげないとワインが可哀想でしょう?」
彼女は、苦笑いを浮かべながら、シャーナに言い返した。
「オレは、オメェにとやかく言う気もねぇし、言える立場でもねぇけど、初っ端からそう言う態度はあまり良くは思わねぇと思うぜ」
レックスは、呆れた様な口調で、セシアに言った。
「真面目過ぎよ。 皆」
セシアは、ワイングラスに注がれたワインを眺めながら、苦笑い混じりに言った。
「……アンタがいい加減過ぎるだけだ。 渋々と加わったと言う雰囲気が滲み出ているぞ」
ロナードが呆れた表情を浮かべ、セシアに言い返す。
「単なる顔合わせなんだから、そんなに畏まる必要は無いよ」
不意に若い男の声がしたので、一同が振り返ってみると、少し癖のある、明るい茶色の髪、目尻が下がった明るい緑色の双眸で、右目の下に黒子があり、少し日に焼けた薄い赤銅色の肌、レックスと同じ位の背の高さだが、横幅は一回り小さく、無駄な筋肉が付いておらずシャープな体付き、女性ウケの良さそうな、柔和な顔立ちをした青年が、苦笑い交じりにロナードに言った。
何時もは、ルオン王国軍の軍服に身を包んでいるのだが、今は、白色のスエットの上にカーディガンを羽織っており、紺色のジーンズ、茶色の革靴と言う出で立ちなので、レックスは一瞬、彼が誰なのか分からなかった。
「エルトシャン様……」
セシアは彼を見て、戸惑いの表情を浮かべ呟いた。
「やあ。 久しぶり」
エルトシャンはニッコリと笑みを浮かべ、片手を上げて、セシアに気さくに挨拶をする。
「……随分と、遅い到着だな……」
ロナードは淡々とした口調で、エルトシャンに言うと、
「御免。 ごめん。 そんなに僕の事が恋しかったの? ロナード」
彼はヘラヘラと笑いながらロナードに答えると、彼の前に歩み寄り、ニッコリと笑みを浮かべる。
「別に」
ロナードは思い切りそっぽを向き、冷ややかな口調で答えると、
「も――。 素直じゃないなぁ。 君は。 ま、そう言う所も可愛いけど」
エルトシャンは、ヘラヘラと笑いながら言うと、片手でクシャクシャとロナードの頭を撫でる。
「止めろ」
ロナードは、自分の頭を撫でるエルトシャンの手を払いつつ、物凄く嫌そうな顔をして言った。
「ご機嫌斜めだね? 何かお気に召さない事でもあった?」
エルトシャンは苦笑いを浮かべながら、ロナードに問い掛けると、
「人を待たせて置いて、アンタが緊張感なく、ヘラヘラと笑いながら現れたから腹が立っただけだ。 リーダーのアンタがそんなのでどうするんだ?」
ロナードは、ムッとした表情を浮かべ、淡々とした口調でエルトシャンに言い返すと、
「だから御免て。 アルを迎えに学校に行ったら、あの子、補習を受ける為に居残りしなくちゃならなくなったらしくて……。 そんな事、僕は知らなくてさ。 結構待ったんだけど、終わる気配無いからこっちに来たって訳だよ」
彼は、申し訳なさそうに、遅れた理由を説明すると、
「何の補習ですの?」
セシアはワインを一口飲んでから、エルトシャンに問い掛ける。
「アルの友達の話だと、定期試験の点が悪かったらしくて、その補習だって。 しかも、一教科じゃないから、まだ時間が掛るだろうって言われてね……」
彼は、苦笑いを浮かべながら語ると、
「……初っ端の遅刻の理由がそれって、残念過ぎだろ。 そのお姫様……」
シャーナは、呆れた表情を浮かべ、溜め息混じりに言った。
「そう言う事だからさ、彼女が来るまでゆたっりと待っとこ? あ、何なら、今から部屋割りでも決める? 決めちゃう感じ?」
エルトシャンは、苦笑いを浮かべながら、集まった仲間たちに言う。
「ホント……救えないな……。 アルシェラは」
「だな。 話を聞いてるこっちが恥ずかしいぜ」
ロナードとレックスが、特大の溜息を付きながら、ゲンナリとした表情を浮かべ、そう呟いた。
すっかり日が傾き、窓から差し込んだ夕日に照らされ、部屋の中が赤く色づき始めた頃……。
「遅れちゃって御免なさぁ~い。 帰ろうと思ったらぁ先生に捕まっちゃってぇ。 補習授業受けてたのぉ。 直ぐに終わらせようと思ったんだけどぉ、何か、全然分かんなくてぇ。 てへへへ」
フリルをふんだんに使ったピンクの縁取りがされた、黒色のゴシックロリータ風のワンピースに、黒色のロングブーツと言う格好をした、アルシェラが、まるで友人との待ち合わせに遅れた時の様な感じで、ヘラヘラと笑いながらやって来た。
「……そう言う、恥ずかしい事を堂々と言わないでくれる? アル。 まあ、皆もう君の頭が残念だって事は知ってるけど」
エルトシャンが、ゲンナリした表情を浮かべ、彼女に言い返す。
「はぁ? なに勝手にそう言うキャラ設定してんの? エルト。 有り得ないんですけどぉ」
アルシェラは、怒りに満ちた表情を浮かべ、ドスの利いた低い声でエルトシャンにそう言い返すと、
「キャラ設定も何も……。 事実だから仕方ないでしょ……」
彼は、特大の溜息を付いて、アルシェラに言った。
「オルゲン将軍……こんな馬鹿な娘を持って、さぞ苦労なさっておられるのね……」
セシアは、業とらしく自分の目元を拭う様な仕草をしつつ言うと、
「天下のオルゲン家も、こんなのが跡取りだと、お先真っ暗だな……」
ロナードも、呆れた表情を浮かべ、ボソリとそう呟いた。
「あ、アタシがアルシェラ・フォン・オルゲンよ。 宜しくぅ」
アルシェラは、ロナード達のボヤキなど聞こえていないのか、自分の胸元に片手を添え、実に軽い口調で、その場に居た面々に向かって言うと、ニッコリと笑みを浮かべ、片手をヒラヒラと振る。
「……この子もかい……」
「マジ有り得ねぇス……」
それを聞いて、シャーナとデュートが、ゲンナリした表情を浮かべ、ボソッと呟いた。
「アタシたちぃ。 これから一緒の組織の仲間だから、仲良くしましょ」
アルシェラは緊張感なく、ヘラヘラと笑いながら、その場に居た面々に向かって言った。
「いや、仲良しサークルじゃないからね? 仕事の仲間だよ。 この人たち」
エルトシャンは、戸惑いの表情を浮かべつつ、軽いノリのアルシェラに言った。
「魔物退治を専門とする組織って聞いてるけどさ、この中で、魔物退治の経験者って、どの位いる訳? アンタも魔物退治の経験あんの?」
シャーナは徐に、アルシェラにそう問い掛けると、
「アタシは侯爵家の姫よ? そんな野蛮な事する訳無いでしょ」
アルシェラは、自分の胸元に片手を添え、苦笑いを浮かべながら、何処かシャーナを小馬鹿にした様な口調で答えた。
「この前、ゴブリンに散々追い掛け回されて、スッ扱けて、全身泥塗れになってたけどね」
エルトシャンが肩を竦めながら、ポツリとそう言うと、ロナードもウンウンと頷く。
「五月蠅いわね! エルトは黙ってて!」
アルシェラはジロリと彼を睨み付け、強い口調で怒鳴り付ける。
「この人、要るスか? 居なくても良くないスか?」
デュートは、『理解不能』と言った様子で、一同に思わず問い掛けると、
「それを言うな……」
ロナードは、自分の額に片手を添え、ゲンナリとした表情を浮かべつつ言った。
「何よ! こう見えてもアタシ魔術は使えるしぃ! 銃だって使えますけどぉ!」
アルシェラはムッとして、強い口調でデュートに言い返す。
「……本当に、焼け石に水程度だかな……」
ロナードが、ボソリとそう言うと、
「ちょっとぉ! 自分がすこ~し人より魔術が使えるからってぇ、偉そうに言わないでくれるぅ? アタシだってその気になればぁ、直ぐに貴方くらいになれるんだからぁ!」
アルシェラは、ムッとした表情を浮かべたまま、強い口調で言う。
「僕としては、『その気になれば』が何時来るのか、是非とも知りたい所だけどね」
エルトシャンは、額に青筋を浮かべつつも、ニコニコと笑みを浮かべながら、アルシェラに言った。
「何にしても、こんな実戦経験すら無いお姫さまが、魔物退治をする組織に加わるたぁ、世も末だね……」
シャーナは、ゲンナリした表情を浮かべ、ボソリと呟いた。
(同感だ)
ロナードは、心の中で呟いた。
「アル。 頼むから、僕等に迷惑を掛けない様にしてよね」
エルトシャンは、苦笑いを浮かべながら、アルシェラに言った。
(だよなぁ……。 試験の時も色々とやらかしてくれたもんな……)
レックスも、複雑な表情を浮かべ、心の中で呟く。
「何それ! アタシが何時、エルトたちに迷惑を掛けたって言うのよ!」
アルシェラはムッとした表情を浮かべ、強い口調でエルトシャンに言い返す。
「試験の時に、ロナードとレックスに散々迷惑かけたし、この前の狩の時だって、僕たちが助けに来なかったら、間違いなくゴブリンたちの夕食になってたよ?」
エルトシャンは苦笑いを浮かべながら、アルシェラに言い返すと、彼女はジロリと彼を睨む。
「……諦めろ。 エルトシャン。 コイツは鶏と一緒だ」
ロナードは、淡々とした口調で言った。
「全く。 魔物退治未経験者って言うだけでなく、見るからに、頭の弱そうな娘にアンタ達は何を望んでんのさ? アタシ等を馬鹿にするのも大概にして欲しいね!」
シャーナは、不愉快そうな表情を浮かべ、強い口調でエルトシャンに言い返してから、
「王女の親衛隊をしてる、エリートさんのアンタは、どー思ってるのさ?」
セシアに問い掛けると、
「……カタリナ様がアルシェラ様を組織に加えた事には、何か考えがあっての事でしょう。 私はその采配に従いますわ」
彼女は、落ち着き払った口調で、シャーナに言い返すと、彼女は拍子抜けした様子で、ポリポリと自分の鼻の頭を掻く。
「不満は尤もだけど、この子は日中学校へ行ってるから、実際はそんなに現場に出て来ないと思うよ」
エルトシャンは、落ち着き払った口調で、シャーナたちに言い返す。
「んじゃ、この子は見習いって事かい?」
シャーナは真剣な面持ちで、エルトシャンに問い掛ける。
「んまぁ……そんな所かな……。 だから、長い目で見て欲しいな」
エルトシャンは、苦笑いを浮かべながら答える。
「暫くは、それで試してみると良い。 もし、それでも腑に落ちないのなら、改めて話し合えば済む話だ。 まだ何もやって無いのだから、結論を出すのは時期早々だろう」
黙って話を聞いていたロナードが、落ち着き払った口調で、色々(いろいろ)と文句ばかり言っているシャーナに言った。
「んまぁ……それもそうだね。 要らない気もするけど、アンタがそう言うなら、仕方ないねぇ」
ロナードの指摘を受け、シャーナはポリポリと鼻の頭を掻きながら言った。
「有難う」
エルトシャンは、ホッとした表情を浮かべ、シャーナ達に言うと、
「頑張ってねぇ~。 エルトぉ」
アルシェラは完全に他人事の様に、ニッコリと笑みを浮かべ、無責任に言い放った。
「頑張るのは、アンタだ!」
「頑張るのは、君なの!」
アルシェラの能天気ぶりに、ロナードとエルトシャンが思わず、声を揃え、強い口調で彼女に言い返した。
二人が口を揃えて同じ事を言ったので、周囲に物凄く微妙な空気が漂い、ロナードとエルトシャンも思わず、互いの顔を見合わせる。
「と、兎に角、君もメンバーの一人なんだから、それ相応の振る舞いが求められる事を理解してくれなきゃ困るよ。 同じ組織に与している僕達まで、君と同レベルに思わちゃあ、迷惑以外の何ものでも無いからね」
エルトシャンは、真剣な表情を浮かべながら、アルシェラにそう言って釘を刺した。
「それは言えてますわ。 もっと、しっかりして頂かないと。」
セシアは、ワイングラスを口に運びながら、何処か意地の悪い笑みを浮かべ、アルシェラに言った。
「五月蠅いわね! 偉そうにこのアタシに指図しないで!」
アルシェラはムッとした表情を浮かべ、強い口調で、セシアに言い返すと、
「だ・か・ら、そういう所が駄目だって言ってるでしょ? 僕等は、君の事を想って言ってるんだから、その位、聞き入れる度量を持とうよ。 逆切れするなんて見苦しい」
エルトシャンは、困った様な表情を浮かべながら、アルシェラにそう諭す。
「馬鹿に付ける薬は無いと言うが……。 本当だな」
それを聞いて、ロナードが溜め息混じりにボソリと呟いた。
「やれやれ。 先が思いやられるねぇ……。 大丈夫かい? この組織」
シャーナも、ゲンナリした表情を浮かべ、溜め息混じりに呟いた。
血の様に赤く不気味な輝きを放つ、満月の夜、街中に逃げ惑う人々の悲鳴が響き渡り、木材が焼き焦げる臭いと、煤けた臭いが立ち込め、充満する煙に息苦しさを覚えつつ、辺り一面に散乱する瓦礫と、無残に斬殺され、息絶え、通りに転がる沢山の人たちの屍の上を乗り越え、必死にその幼子は走り続けた。
狼の形をした、無数の青い炎が街中を駆け回り、その炎に焼き出され人々を何処からやって来たのか分からない、青い鎧を身に纏い、武器を手にした兵士たちが、手当たり次第、目についた人たちを無慈悲に殺していく……。
彼が見慣れた、多くの人たちで活気づき、赤レンガで舗装された通り、白壁で統一され、綺麗に整備された街並みは今、多くの建物が崩れ落ち、その姿は一変していた。
何処をどう通って来たのか、自分が何処へ向かっているのか……何が何だか、幼い彼には分からなかった。
例え、この惨状から逃れる事が出来たとしても、もう、彼を温かく包み込んでくれる母も、雨風を凌ぎ、安眠を与えてくれる家も無い。
けれど、彼の本能が告げていた。
『生き抜かねば』と……。
母は死に際、必死な形相でありったけの声を振り絞り、呆然と立ち尽くしていた彼に『逃げて』と叫んだ。
普段は、とても穏やかで優しく、決して声を荒らげる事のない、悲痛な母の叫び声が、幼い彼の耳に残って離れない。
何時もは、春の日差しの様に暖かく優しく彼を見つめる母だが、最後に目を合わせた時、その目は無言で『何があっても、生き抜け』と、強く訴えていた。
彼は、紫水晶を丹念に磨き込んだ様な美しい双眸から、止め止めと無く流れ落ちる大粒の涙を小さな手の甲で拭いながら、唇を強く噛みしめ、本能の赴くままに街の外を目指した。
多くの者が炎と兵士の手から逃れる為、街を囲む城壁の外へ出ようと、東西南北にある門の前に、集まっていた。
けれど、人々がそこへ逃げて来る事は、街を襲った兵士たちもお見通しで、門から出ようとする者たちを待ち構えており、斬殺していた。
(ここは、駄目だ)
兵士に殺されていく人々を見て、幼い彼は本能的にそう判断した。
けれど、敵から街を守る為、四方を高い城壁に囲まれたこの街から出るには、どうしても城壁を越えねばならない……。
街の中に留まっていては何れ、狼の姿をした、青い炎に焼かれて死ぬか、兵士に殺されるかだ。
(何処か……。 何処か……。 外へ出られる所……)
彼は、心の中でそう呟きながら、踵を返し駆け出すと、出ようと思っていた門から遠ざかる。
建物を焼く炎の熱気が、幼い彼の体を容赦なく炙る。
闇夜に溶け込みそうな程、見事な黒髪は少し焼け焦げ、何度も涙を拭う小さな手の甲は、涙と、建物が燃え、舞い上がる灰と煤が付着して混じって、黒くなっている。
無論、両目の下や頬も、手の甲と同じ位に真っ黒で、喉の奥は、煙を吸ってイガイガ、ヒリヒリして、とても喉が渇いている。
(熱い……。 水……水が……飲みたい)
彼は息を切らせ、フラフラになりながらも、走る事だけは止めなかった。
多分……走る事を止めてしまったら……もう、二度とその場から動けなくなる……そんな気がしたからだ。
しかし、こんな混沌とした状況の中を当ても無く、逃げ惑う事は、幼い体には過酷だ。
彼の想いとは裏腹に、走っているつもりなのだが、その足はもう殆ど、歩いている速度と変わりなかった。
ドンと、彼は目の前に立つ『何か』とぶつかった。
その感触は、壁の様な硬さでも無く、立ち木でも無く……生暖かくて、柔らかな衣服を纏った人の様な肌触り……。
彼は、物凄く嫌な予感を感じつつも、恐る恐る、自分の目の前に立っているモノを見上げた。
そこには、癖のある焦げ茶色の髪を後ろで一つに束ねた、ポッチャリとした体形のあまり背の高くない、中年の女性が驚いた顔をして彼を見ていた。
「大丈夫かい?」
その女性は疲弊しきった彼に、そう声を掛けて来た。
相手が、街の人たちを斬殺して回っている兵士では無いと判ると、彼はホッとしたのと同時に気が抜けて、ヘナヘナとその場に座り込んでしまった。
その様子を見て、その女性は慌てて、近くにいた自分の夫を呼んだ。
暫くして、ガタイの良い茶色の短髪の上からタオルを巻いた、良く日に焼けた赤銅色の肌の、職人風の中年の男がやって来た。
彼等は、力なくヘタリ込んでしまった彼の事を心配して、持っていた水筒の水を分け与え、朦朧とする意識の中で、彼は水を夢中で飲み、その後、気を失ってしまった。
(また、『あの時』の夢だ……)
ロナードはふと目を覚ますと、心の中でそう呟き、特大の溜息を付いた。
どうやら随分と魘されていた様で、寝具も背中も汗でグッショリと濡れており、眠っていた筈なのに、ドッと疲労感が押し寄せて来る。
最悪な目覚めである。
このままでは、風邪をひいてしまうので、ロナードは重怠い体をゆっくりと起こし、汗まみれの服を脱ぎ、着替える事にした。
「お~い。 何時まで寝てんだ?」
そう言いながら、レックスがノックもせずに、いきなり扉を開け、部屋に入って来た。
「うお! わりぃ……」
入って来るなり、ふと見たロナードが服を脱いで上半身裸だったので、レックスは慌てて謝ると、急いで部屋から出た。
「ノック位しろ」
ロナードは呆れた表情を浮かべ、扉の向こう側にいると思われるレックスに言った。
「わりぃ。 てっきり寝てるかと思ってよ」
レックスは扉に背を向け、廊下の方を向いたまま、ロナードに言い返す。
ロナードは物凄く朝が弱く、誰かが起こしに来ない限り、昼近くまで眠っているのが普通だ。
サムートの話では、里に居た時から夜型人間で、早起きは苦手だったらしい。
今朝も、稽古の時間になっても、一向に庭へ下りてくる気配が無いので、ご立腹のエルトシャンに促され、レックスは起こしに来たのだ。
珍しく早く起きて来ても、暫くはボーとしている事が多く、目を離せば直ぐに、二度寝してしまう。
昼間も、本を読んでいるかと思えば、何時の間にか眠っている……。
暇があれば眠っているので、本当に猫の様な奴だと、レックスは呆れている。
「ほれ! 早く行くぞ」
レックスは、ぼーとした様子で剣を片手に、着替えを済ませて部屋から出て来たロナードにそう声を掛け、ベシベシと片手で彼の背中を叩く。
「あー。 やっと起きて来たね」
レックスの後ろから、トボトボとした足取りで階段を下りて来たロナードを見て、エルトシャンは苦笑い混じりに言った。
「先に、やってて良いのに……」
ロナードは、寝坊した事を反省している様子も無く、ボソリと言った。
「馬鹿かオメェ? 朝稽古をするのも仕事の内だろ」
レックスは、呆れた様な表情を浮かべ、ロナードに言い返す。
「何時から朝稽古が強制参加になったんだ? 俺は聞いてないぞ。 朝は苦手なんだ」
ロナードは、迷惑そうな表情を浮かべ、そう言ってごねると、
「オメェは吸血鬼か!」
レックスは呆れた顔をして言い返すと、ロナードの後頭部を軽く叩いた。
「僕だって早起きは嫌だよ。 君は半年以上、不規則な生活をしていたって聞いてるよ。 だから早く生活リズムを整えて貰わないと、これから一緒に仕事をする僕等も困るんだ」
エルトシャンは、呆れた表情を浮かべ、ロナードに言う。
(それな。 大体、夜遅くまで起きてんのが悪りぃ)
レックスは心の中で呟きながら、ロナードを見る。
シャーナ曰く、魔物は夜行性が多い為、傭兵をしていた頃はロナードも魔物の活動時間に合わせて夜型生活していたであろうから、長年に渡り染みついた習慣が抜けないのではないかとの事だ。
魔物退治を専門とする組織なのだから、その生活でも構わないのではないかと、彼女は言っているが、エルトシャンは、日を浴びない生活をするのは体に悪いと思っており、こうして毎回、ロナードを無理やり起こしていると言う訳だ。
朝方こそ、こんな風にボケっとしているが、その気になれば亜人であるシャーナと対等にやり合える程、身体能力が優れており、おまけに魔術も使え、魔物退治の経験も豊富なロナードは、間違いなく戦闘の要と言えよう。
そんな彼だからこそ、エルトシャンも色々と気に掛けいる様だが、当人からすれば、余計な世話である様だ。
当初の予想に反して、レックスよりもロナードの方が問題児である事に、エルトシャンは頭が痛いようだが、元・トレジャーハンターのデュートが言うには、ソロで傭兵をしている奴は大体、自己中心的で協調性に乏しいらしい。
それはそうだろう。
強さが全ての世界で、敢えて一人でいる事を選ぶ様な輩なのだから、自分に絶対の自信があるのは当然で、自分自身を生かす事が全てなのだから、周りなど構っている場合ではないだろう。
だが、エルトシャンやレックスはそうではない。
早い者は十代前半で、騎士見習いとして親元を離れ、寮での集団生活を余儀なくされる。
毎日、互いに気持ちよく生活をする為には、どうしても妥協や協調性が求められる。
共に競い合い、時には助け合い、支え合う。
それが当たり前の環境に長く居たエルトシャンから見れば、ロナードやシャーナはその和を乱す、問題児に思えてしまうのは仕方がないのかも知れない。
意外な所に、思いもしなかった落とし穴が存在する事をを知り、みんな戸惑っているというのが、共同生活を始めたばかりの彼らの現状だ。
それでも、エルトシャンと激しく衝突する事が無いのは、ロナードやシャーナが、ソロで傭兵をしていた割には、協調性があり、聞き訳が良いからだろうが、その内、どちらかが耐えかねて派手な喧嘩になるのではと、レックスはこっそり期待していて、その時は、エルトシャンの味方について、ドサクサに紛れて、ロナードの透かした顔にパンチを叩き込んでやろと思っていた。
数日後……。
「さてさて皆、お待ちかねの最初のお仕事だよ」
朝の稽古を終え、二日酔いで起きられないシャーナを除き、一同がリビングで朝食を取る為に集まった所、エルトシャンがニコニコと笑みを浮かべながら、そう言って来た。
「……別に、待ってはいないが……」
ロナードがボソリとそう呟くと、それを聞いたデュートが思わず、苦笑いを浮かべる。
「今朝、伯父上から、相談事を持ち掛けられたんだよね。 ちょっと悪いけどロナード、君さ、現場へ行ってくれる?」
エルトシャンは、ニコニコと笑いながらロナードに言うと、
「何処へ?」
彼は不思議そうな表情を浮かべ、エルトシャンに問い返す。
「国立図書館」
エルトシャンは、ニッコリと笑みを浮かべロナードに言うが、彼は困惑した様子で、
「……そう言われても、俺はこの街は初めてだ。 それが何処にあるか知らないぞ」
「それなら、レックスに道案内をさせるよ。 どうせ暇でしょ?」
エルトシャンはニッコリと笑みを浮かべ、レックスの断りなく、勝手にその様な事を言うので、
「なに勝手に人の事を暇人扱いしてんだよ! 自分が行けば良いじゃねぇかよ!」
レックスはムッとした表情を浮かべ、強い口調でエルトシャンに文句を言う。
「そう言うからには、それを断るだけの正当な理由があるの? レックス」
エルトシャンは、ニッコリと笑みを浮かべながらレックスに言い返すが、声はドスの利いた低い声で、彼を見るその目は決して笑っておらず、『良いから行け!』と無言で威圧して来ていた。
(目が……笑って無いのが、怖いんだが……)
エルトシャンの表情を見て、ロナードは心の中でそう呟き、顔を引き攣らせる。
「べ、別にねぇけど……」
エルトシャンの無言の威圧に、レックスは目を泳がせながら、額に薄らと冷や汗を浮かべ、言い返した。
「だったら、つべこべ言わずに行こうか?」
エルトシャンは額に青筋を浮かべ、ニッコリと笑みを浮かべたまま、ピシャリと強い口調でレックスに言い放った。
「わぁったよ! 行けば良いんだろ? 行けば!」
レックスは、物凄く不満そうな表情を浮かべ、エルトシャンに言い返した。
「いや……。 当人の気が進まないのなら、無理に行かせなくても……」
ロナードは戸惑いの表情を浮かべ、エルトシャンに言った。
「レックスは半人前で、この組織にも見習いとして入ってるんだよ。 甘やかすと、当人の為にならないから、ビシバシ使ってあげないと……ね?」
エルトシャンは、ニッコリと笑みを浮かべつつも、ピシャリとロナードに言い放った。
「そ、そこまで言うのなら……」
ロナードは、エルトシャンの有無も言わさぬ雰囲気に圧倒され、戸惑いつつもそう答える他なかった。
デュートは、レックスに気の毒そうな表情を浮かべつつも、エルトシャンに何も言い返せずにいた。
「伯父上……もとい、オルゲン将軍の話では、フォレスター館長を尋ねれば、事情を説明してくれるそうだよ」
エルトシャンは、真剣な面持ちで、ロナードにそう説明すると、
「了解した」
ロナードも真剣な面持ちでエルトシャンに言って、頷き返す。
「レックスだけでは心許ないわ。 申し訳ないけれどデュート。 貴方も一緒に行ってもらえないかしら?」
セシアが、不安そうな表情を浮かべて言うと、デュートは戸惑いつつも、
「まあ、別に良いスけど……。 どうせ暇だから」
そう言い返すと、セシアは済まなさそうな表情を浮かべ、
「有難う。 本当は私が行くべきなのでしょうけれど、どうしても手の離せない仕事があるの」
「ってかお前、オレを何だと思ってんだ! 道案内くらい、ガキでも出来るだろうがよ!」
セシアの発言を聞いて、レックスは怒って、強い口調で彼女に抗議すると、
「貴方は何かと喧嘩早いですから。 貴方が引き起こした面倒事に、ロナード様が巻き込まれては堪りませんもの」
セシアは、淡々とした口調で、レックスに言い返すと、
「んなっ……」
彼女にそう言い返され、レックスは益々怒り、セシアに何か言い返そうとすると、デュートがとっさに彼の腕を掴み、
「良いから。 さっさと行って、用事を済ませるスよ」
苦笑いを浮かべ、レックスに言うと、側にいたロナードの腕も掴み、半ば強引に二人を引き摺る様にして、その場から離れていった。
「何だよ! デュート! アイツ等たちの言う事を大人しく聞いてたら、オレ等は何時も使い走りにされっぞ!」
シェアハウスの玄関の外まで来ると、デュートは歩みを止め、パッと二人の腕から手を離すと、尽かさず、レックスが強い口調で抗議した。
「そうは言うけどスね、レックス。 エルトシャンは一応、オレ等の上司な訳スから。 只でさえ、人が少ないんだから協力し合わなきゃ、組織として回らなくなるスよ?」
デュートは、『はあ』と溜息を付いてから、落ち着き払った口調で、レックスに言い返すと、彼の言う通りなので、彼はグッと言葉を飲み込み、黙ってしまった。
「デュートの言う通りだ」
ロナードは、両腕を頭の後ろに組み、ウンウンと頷きながら、淡々とした口調でレックスに言った。
(お前に言われたくねぇ)
レックスは、ムッとした表情を浮かべ、ロナードを見ながら心の中で呟いた。
「上から目線で命令されて、気に入らないのは分かるスけど、レックスも組織の一員なんだから、その辺は割り切らなきゃ駄目スよ? 大体、騎士見習いしてたなら、先輩たちからのパシリなんて何時もの事でしょ? 子供みたいな事言わないで欲しいス」
デュートは、子供っぽい駄々(だだ)をごねるレックスに、呆れた表情を浮かべ嗜める。
デュートは、見た目こそ奇抜だが、人並みに協調性も常識もある様だ。
「レックスと二人だけで大丈夫かと思っていたが、同行を引き受けてくれて助かった」
ロナードは、デュートに向かって、淡々とした口調で言うと、
「引き受けるに決まってるスよ。 二人は何処か抜けてるスからね! 危なっかしくて放っていられないスよ」
エデュートは苦笑いを浮かべ、ロナードに言い返すと、彼の発言を聞いて、レックスはカチンと来て、何か言い返してやろうとするが、それより先に、
「……解せない部分はあるが、一応、心遣いに感謝しておく」
ロナードがムッとした表情を浮かべつつ、淡々とした口調で、デュートに言い返した。
「本当に『一応』なんスね。 まあ手当たり次第、噛み付いて来るレックスよりは、マシだけどス」
ロナードの言動に、デュートは額に青筋を浮かべ、ニッコリと笑みを浮かべつつ、彼にそう言った。
「こんな阿呆と一緒にするな」
ロナードはレックスを指差しながら、ムッとした表情を浮かべ、デュートに言い返すと、
「んだと!」
レックスは怒って、ロナードに噛み付こうとすると、デュートが空かさず二人の間に割って入り、
「また、そうやって誰振り構わず噛み付こうとする! 一々、そう言う事に反応しないスよ! そんな事をしてたら、仕事が捗らないス」
ゲンナリした表情を浮かべ、レックスに言うと、彼は不満そうな表情を浮かべ、チッと舌打ちをしつつも、ロナードの胸ぐらを掴もうと伸ばし掛けた腕を引っ込める。
「全く。 付き合わされるこっちの身にもなって欲しいスよ」
デュートも、ゲンナリとした表情を浮かべ、レックスに言った。
「二人だけじゃあ、こんな調子だろうスからねぇ……。 オレがちゃんと付いて行ってあげるスから、サクサクと用事を済ませようス」
デュートは、軽く溜息を付くと、苦笑いを浮かべながら、ロナードとレックスに言った。
「子ども扱いされる事には癪だが、アンタの言う通り、こんな阿呆に長々と付き合うのも、馬鹿馬鹿しいのは確かだ」
ロナードは、淡々とした口調で言うと、それを聞いたレックスはカチンと来る。
「……だから、そうやって一々、レックスを煽る様な事を言わないスよ!」
デュートは、ウンザリした表情を浮かべて、ロナードに言い返した後で、すぐさまクルリと踵を返しレックスの方へ向き、
「ほらまた、そうやって、一々腹を立てないスよ!」
レックスの表情を見て、苦笑いを浮かべながら、彼に言って宥める。
(ホントにもう! この二人マジで反りが合わないスね……)
デュートは心の中でそう呟くと、溜息を付いた。
ロナード達は、エルトシャンから頼まれた用事を済ませる為、街の外れ、北側にある、国立図書館に到着した。
エレンツ帝国軍の侵略を受けた際、戦火を免れた、数少ない建物である。
青い三角屋根と白い壁、ステンドグラスの窓が特徴的な非常に美しい建物で、地上二階建て地下一階と言う造りだ。
一階部は、市民などに開放されており、誰でも閲覧可能な本が並び、二階は、ルオンの歴史書や古い資料など、重要な書類が保管され、本を守る為に、窓には分厚いカーテンがされ、日中でもうす暗く、許可が無いと一般人の立ち入りは、禁じられている。
地下は更に、重要な書物が保管されていると、言われている。
このランティアナ大陸の中でも、古い図書館の一つだ。
「立派な建物だな」
ロナードは目の前に聳え立つ、国立図書館を前にして、感嘆の声を漏らす。
「だろ? オメェならぜってぇ、一日中入り浸ってそうな場所だぜ」
レックスはニッと笑みを浮かべ、ロナードに言うと、入り口の観音開きの扉を開いた。
赤絨毯を敷き詰めた贅沢な空間に、本が収められた本棚が整然と並び、入り口を入って直ぐ右手に受付のカウンター、その向かいの広いスペースには、読書を楽しむ為のテーブルと座り心地の良さそうなイスが配され、壁際にはソファーまである。
(良いな。 ここ。 一日中居られそうだ)
それを見たロナードは、目を輝かせながら、心の中で呟いた。
「こんな所、オレは昼寝場所にしか使わないスけど」
デュートは苦笑いを浮かべながら、呟いた。
「おはようございます。 国立図書館へようこそ。ここへは、どの様なご用件でお見えですか?」
入り口を入って直ぐ、人の出入りを監視する為か、入り口の右側に受付カウンターの後に立っていた女性が、愛想良く笑みを浮かべ、穏やかな口調で、やって来たロナード達にそう問い掛けて来た。
「オルゲン将軍の紹介でここへ来た。 ここの館長と、お会い出来ないだろうか」
ロナードは落ち着き払った口調で、受付の女性に言うと、
「館長ですね? 暫く、そちらにお掛けになって、お待ち下さい」
彼女は、ニッコリと笑みを浮かべ、ロナードにそう言うと、カウンターの向かいの壁際に置かれている、ソファーに座って待っている様に促される。
「ちょっと、良い男じゃない」
「ホント。 イケメン❤」
「黒髪とかそそるわぁ」
一緒に居た、別の受付の女性たちが、ロナードの方をチラチラと見ながら、小声でそんな事を言っているのが、レックスに聞こえた。
(何で、オレらは眼中にねぇんだよ)
レックスは、心の中で呟くと、ムッとした表情を浮かべていると、
「何で、ロナードだけなんスか? オレ等は眼中に無いんスか?」
デュートが不満そうな表情を浮かべ、口を尖らせ、レックスが思っていた事を口にする。
三人は、受付の女性に言われた通り、カウンターの反対側の場所で館長を待つ事にした。
その場所は、テーブルや椅子、ソファーなどが配置されており、お茶や、談話などが出来る様な空間になっていた。
「そう言えばロナードって、ルオンへ来る前って何処に居たんスか? 何かこの国の人じゃない的な事を聞いたんスけど」
デュートは、近くの椅子に腰を下ろしながら、ロナードにそう問い掛ける。
(んまぁ、髪や目の色は、この大陸の奴じゃねぇわな)
レックスは、心の中でそう呟くと、チラリとロナードを見る。
そう言うレックスも祖父母が、海を挟んで南のイルネップ王国と言う、国土の大半が岩地と砂漠という地域からの移民だ。
彼の祖父母の時代では、イルネップ王国は地下資源の利権を巡り、国内の貴族や富豪たちの間で大小の争い事が絶えず、酷く荒んでいたらしく、現状に耐えかね、一つの村や町規模で、新天地を求め、異国へ密出国する事が頻繁に行われていたらしい。
無論、国を見限り、秘密裏に離れた誰もが、レックスの祖父母たちの様に新天地に辿り着けたわけではないし、辿り着いた先々でも、先住者たちからの差別や病気、飢饉など、様々な困難に直面する事が殆どであった。
そんな困難を祖父母たちが乗り越え、この地に根を下ろし、父が騎士を志して一念発起して努力した結果、今のレックスがある訳である。
「隣国の、クラレス公国に居た」
ロナードも、近くの椅子に腰を下ろしつつも、あまり以前の事に触れられたくないのか、少し暗い表情を浮かべ、歯切れ悪く、デュートにそう答えた。
「へぇ。 じゃあ、ルオンへは列車スか?」
デュートは、そんなロナードの様子に気付いているのか、いないのか、呑気な口調で彼に問い掛ける。
「ああ。 そうだが」
ロナードは、これと言った表情を浮かべず、淡々とした口調で、デュートの問い掛けに答える。
「列車の旅かぁ……。 良いな。 オレは生まれてこの方、列車に乗った事が無くてよ……。 何時か、一等車両に乗って豪華に異国を旅してぇんだよな。 良くね?」
レックスは、まだ知らぬ列車での旅に想いを膨らませている様で、ウットリとした表情を浮かべながら、ロナードにそう語る。
「オレもっス。 でも……オレ等庶民には夢のまた夢スね……」
デュートも声を弾ませながら言っていたが、最後には、ショボンとした表情を浮かべる。
「長い間、ただ座っているだけだぞ? やる事が無くて、レックスなんて一時間も乗っていられないと思うが」
ロナードは、ゲンナリした表情を浮かべ、レックスに言い返すと、自分の夢を壊す様な発言に、彼はムッとする。
「でも、馬の背に長時間乗ってるよりは、遥かにマシでしょ?」
デュートは、苦笑混じりに言うと、レックスは嫌そうな表情を浮かべ、
「んな事したらケツの皮が破れて、痛くて椅子に座れなくなるぜ?」
「それは、そんなに馬に乗った事が無い奴がなる事だ」
ロナードは、呆れた表情を浮かべ、レックスに向かって言うと、
「オレたち騎士見習いは、そんな馬に乗らねぇって。 移動は基本的に自分の足だしよ。 給料安いし、その割に先輩たちに扱き使われて、結構大変なんだぜ」
彼は、『はあ』と溜息を付きながら、ロナードに言い返す。
「雨風が凌げて、安心して眠れる暖かい寝床があって、三食きちんと食えて、定期的に決まった金が手に入る……。 オレ等みたいな流れ者から見すりゃあ、贅沢な悩みスね」
デュートは、イラッとした様な眼差しを向け、冷ややかな口調でレックスに言い返すと、
「お前は、自分が如何に恵まれた環境にいるか、イマイチ分かっていない様だな?」
ロナードも、不満に満ちた表情を浮かべ、強い口調でレックスに言うと、彼は、バツの悪そうな表情を浮かべ、
「わりぃ。 そう言うつもりで、言った訳じゃねぇんだ……」
「そう言う事に、しとていやるか」
ロナードは、まだ何か言いたそうな顔をしていたが、軽く溜息を付くとそう言った。
「そう言えばロナードは元・傭兵だったらしいスね? どうして傭兵をしていたんスか? クレーエ伯の若様なら、そんな事をする必要は無いっしょ?」
デュートは純粋に、ロナードがなぜ傭兵なとどいう、己の実力が全ての、厳しい世界に身を置いていたのかが気になり、問い掛けた。
「ラシャの所に身を寄せたのは割と最近の話だ。 幼い頃に戦火に巻き込まれ、互いに連絡を取る術を持たなかったからな……。 俺は戦う事以外に、生きる方法を知らなかったし、周りの大人たちからも、他の生き方を教えて貰えなかった。 だから、傭兵をして食っていくしかなかったんだ」
ロナードは、複雑な表情を浮かべつつも、淡々とした口調で、デュートの問い掛けにそう答えた。
「成程ス……。 それは……気の毒な話スね……」
デュートは、気の毒そうな表情を浮かべ、ロナードに言うと、
「仕方が無い。 その時は、それしか道が無かったのだから……」
ロナードは淡々とした口調で、デュートに言い返した。
彼が発した言葉が、レックスの胸にズシリと重く響いた。
もしも自分が、ロナードと同じ立場だったら……彼と同じ様な事を果たして自分は、そんな風に割り切る事が出来ただろうか……。
自分の不遇を世の中や周りの人間の所為にして、現実を直視せず、受け止める事を拒んでいるのでは無いだろうか……。
普段、自分たちが当たり前の様に享受している事は、実は当たり前の事では無いのだ。
戦争、貧困、疫病、奴隷制……。
世の中には様々な理由で、現状を変えたくても、その術を持たず、与えられず、その選択を選ぶ他ない人たち、己の人生を己で決める事が叶わず、周囲に翻弄されて生きている人たちが、沢山にいる。
幼かったロナードもまた、自分自身の力では、どうする事も出来ない状況に、ただ翻弄され続けていたのだろう。
自分が今まで、何の不自由も無く育って来たのは、偏に竜騎士をしていた父親が残してくれていた貯金と、父亡き後、賢く立ち振る舞ってくれている母親のお蔭なのだと言う事を、レックスは改めて思い知った。
レックスの母親は、田舎の子爵の令嬢として育った為、家事もしたことが無く、庶民と大差ない身分で、女手一つでレックスを育てる事は、人並み以上の苦労があったに違いない。
母親は何時も明るく、笑顔を絶やす事が無かったので、幼かったレックスは、その笑顔の下で母がどんな苦労をしているかなど、考えもしなかった。
『母は偉大なり』
と言う言葉があるが、本当にそうだとレックスは思った。
「ああ。 あなた方ですか。 お待たせして申し訳ない」
ふと、自分たちに向かって何者かが声を掛けて来たので、レックスは声がした方へ振り返る。
白髪混じりの長い髪をオールバックにし、後ろで一つに束ね、黒縁の丸眼鏡を掛けた中肉中背。
丹念にハの字に整えられた口髭、白いワイシャツの上に、ベージュ色のベストを着ており、ベストと同色のスラックス、茶色の革靴を履き、両腕には服の裾が汚れぬ為か、黒い筒状の布を付けている。
如何にも司書と言った雰囲気の、知的で真面目そうな壮年の男性だ。
「アンタが、フォレスター館長スか?」
デュートは、徐に椅子から立ち上がると、自分たちに声を掛けて来た、その男性に問い掛ける。
「はい。 私がここの館長を務めております、フォレスターと申します」
その男性は、愛想の良い笑みを浮かべ、デュートの問い掛けに丁寧な口調でそう答えると、胸元に片手を添えて、軽く頭を垂れた。
「オルゲン将軍に、アンタに協力する様に言われて来た。 俺はロナードと言う」
ロナードは、座っていたソファーから立ち上がると、落ち着き払った口調で、フォレスター館長にそう名乗った。
「将軍に……。 では、例の件で?」
フォレスター館長はそう言うと、神妙な表情を浮かべ言うと、
「……詳しくは、聞いていないが……」
ロナードは、戸惑いの表情を浮かべつつ、フォレスター館長にそう言い返した。
「そうですか。 とにかく、こちらへ」
フォレスター館長は、ロナードに言うと、何処かへ案内するつもりのようだ。
彼等は、フォレスター館長が何処か怯えている様子なので、戸惑いの表情を浮かべつつも、付いて行く事にした。
フォレスター館長に案内され、ロナード達は付いて行くと、地下へと通じる階段の前に来た。
階段の前には、行く手を阻む様にパーテーションポールが置かれており、ポールに掛けられた薄い板には、『関係者以外、立ち入り禁止』と、黒い文字で書かれていた。
フォレスター館長は、そのポールを隅へ避けると、カンテラを手に階段を下り始めたので、ロナードは無言でその後に付いて行く……。
それを見てデュートとレックスも、その後をゆっくりとした足取りで続いた。
「あ、あの……。 オレ等、ここへ入っても良いんスか? 『関係者以外、立ち入り禁止』って、書いてあったスけど……」
暫く階段を下った後、デュートがずっと思っていた事を、先導するフォレスター館長に問い掛ける。
「ええ。 口で説明しても恐らく、理解して頂けないと思いますので……」
フォレスター館長は、カンテラの明かりを頼りに、ゆっくりと階段を下りながら、そう答えた。
「どう言う事スかね……」
デュートは、思い切り眉を顰め、渋い表情を浮かべ、後ろから来ているレックスに問い掛ける。
「んな事、オレに聞かれても分かる訳ねぇだろ」
レックスは、迷惑そうな表情を浮かべ、彼に言い返す。
先程から、フォレスター館長の後に続き、自分たちの前を行くロナードが、物凄く険しい表情を浮かべ、無言でいるのが気にはなるが……。
「元々は、治安部隊の方に相談をしたのですが、取り合って頂けず、どうして良いものかと悩んでいた所、オルゲン将軍と偶然、お会いする機会がありまして」
フォレスター館長は徐に、今回の経緯を語り始めた。
「それで、ご相談し、将軍にもお見せしたのですが、何なのか、お分かりにならなかった様でして……。 将軍は、分かりそうな方を後日、こちらへ遣わして下さると仰ったので恐らく、あなた方ならば何なのか、分かる物なのだと思います」
フォレスター館長は、落ち着いた口調で、何故ロナードがここへ行くように、エルトシャンに言われたのか、その理由をザックリと語ってくれた。
「って事は、オマケに付いて来たオレ等には、分かんねぇモノかも知れねぇって事だよな?」
レックスは小声で、自分の前を行くデュートに、そう声を掛ける。
「多分そうスね」
デュートは、扱けない様に足元に注意しつつ、レックスにそう答えた。
やがて、地下へと通じる階段が終わり、真っ暗な広い空間に出ると、先導していたフォレスター館長は、壁際に備えられた蝋燭立てにカンテラの火を移し、辺りを明るくしながら、先へと進む。
すると、目の前に重厚な、観音開きの鉄の扉が現れ、フォレスター館長は、徐に腰に下げていた鍵束の中から、一つの鍵を取り出し、その扉の鍵を開けると、力一杯、その扉を押す。
年の所為か、なかなか扉が開かないのを見て、デュートとレックスが手を貸すと、その鉄の扉は鉄が軋む様な音を立てながら開いた。
その中は、天井に付きそうな程の、大きな本棚が整然と並んでいて、ロナード達は、フォレスター館長の先導の下、本棚の森の中を歩いて行く……。
「ここは、ルオン王国の創建以前からの書物などが保管されている、とても貴重な場所でして……。 外の空気が入ると、書物が湿気を吸い、カビなどが生えて痛んでしまうので、私も滅多に入らない場所なのです」
フォレスター館長は、ロナード達にそう語る。
「凄いス。 仕事とはいえ、そんな貴重な所に入れるなんて!」
デュートは、天井近くまで聳え立つ本棚に、整然と並べられている、古い本を見回しながら、興奮気味に言った。
「尤も、ここにある書物の多くが古代文字によって記されている為、読める者など、私を含め現在のルオン人の中には誰一人いませんが……。 考古学的に非常に価値がある物なので、こうして厳重に保管しているのです」
フォレスター館長は、苦笑混じりにそう語った。
「……この列は、魔道書専門なのか? 歴史を記した物ではなさそうだか」
ロナードは、自分たちが歩いている通路の左右に並んでいる本の背表紙を見ながら、フォレスター館長に問い掛ける。
「流石はロナード。 何の本なのか分かるスか?」
デュートは素直に、ロナードに向かって感嘆の言葉を掛ける。
「一応、魔術師だからな。 これが古代文字では無く、魔術文字だと言う事くらいは分かる」
ロナードは、淡々とした口調でそう答える。
「私も、流石にその位は分かりますよ」
フォレスター館長は、ロナードに妙な対抗心を持った様で、苦笑混じりにデュート達に言い返すので、それを聞いて、レックスは苦笑いを浮かべ、
(現役の魔術師と張り合って、どーすんだよ爺さん……)
心の中で、こっそりとそう毒を吐いた。
広い部屋の奥へと進んで行くと、やがて金属に何か大きな物が強くぶつかる様な、大きな音が奥の方から響いて来た。
「な、なにスか?」
フォレスター館長が持っているカンテラの明かりだけが頼りの、暗くて、ヒンヤリとした、不気味に静まり返った空間で、突如響き渡る音にデュートは怖くなり、恐怖に顔を引き攣らせ、青い顔をしてそう呟くと、思わず、自分の前を歩いていたロナードの腕にしがみ付く。
「何か……嫌な魔力が漏れ出ているな……」
ロナードは、不気味な音が響いて来る、奥の方を険しい表情を浮かべ、見据えながら呟いた。
彼の言う通り、音が響いて来る奥の方から、背筋が寒くなる様なヒンヤリとした、何となくだが、近付かない方が良さそうな、怪しく、危険な空気が漂っい来る。
肝試しにお化け屋敷や曰く付きの場所に踏み込んだ時の感覚に似ている。
ロナードはサクサクと歩みを進めるのに対し、レックスデュートは本能的に何か良く無い空気を察して居り、足取り重く、周囲に注意を払いながら、ゆっくりと歩みを進めて行くと、やがて、謎の扉の前に辿り着く。
「この最近、不気味な唸り声や物音が聞こえて来て、それで何処から声がするのか突き止めてみると、どうも、この中からの様で……」
フォレスター館長はそう言うと、徐に、持っていたカンテラを翳し、目の前を照らす。
この部屋の入口に備え付けられていた、鉄の扉と同じ位、分厚く、重そうな扉の前に三段も鉄製の閂が掛けられており、何か中に居るのか、外へ出ようと、頻りに鉄の扉に音を立ててぶつかっている。
幸い、分厚い鉄の扉と、堅固な三つの閂のお蔭で、中に居る何かは出ては来られない様だが、扉にぶつかる音からして、中には何か相当大きなモノがいる事は、間違いなさそうだ。
デュートはすっかり怯え、ロナードにしがみ付いている。
良く見ると、鉄の扉には何やら、文字の様な模様がビツシリと刻まれており、分厚い鉄の閂にも、同じ様な文字が並んでいる。
そして扉の前には、黄ばんでボロボロになった紙が幾つもあり、赤色で何か、文字の様なモノが書かれている。
素人のレックスたちの目から見ても、何かを封じている様に見えた。
「明りを借りても?」
ロナードは徐に側に立っていた、フォレスター館長にそう声を掛ける。
「ええ、はい」
フォレスター館長は、戸惑いの表情を浮かべつつ、ロナードに自分が手にしていたカンテラを手渡す。
ロナードは真剣な面持ちで、カンテラの明かりを頼りに、その扉の周囲を調べ始めた。
レックス達はその様子を少し離れた場所から見守り、トレジャーハンターだったデュートは、謎解きよりも恐怖心が勝るのか、恐怖に顔を引き攣らせながら、その様子を見ている。
やがて扉の前の床にも、文字が刻まれている事に気付いたロナードは、それをカンテラで照らしながら……。
「……何人も、この封印を解く事無かれ……。 ここに有るは、大いなる禍の元凶なり」
ロナードは、一緒に居たフォレスター館長が驚くほどスラスラと、そこに書かれていた文字を読み上げた。
「おお! スラスラと! 考古学者もびっくりス!」
デュートは、ロナードが難なく解読したのを見て、感嘆の声を上げる。
「ケル……ベロス……」
ロナードは眉間に皺を寄せつつ、そう呟いてから、徐に立ち上がり、幾つか引き千切られた様子の、扉の前に貼り付けられた紙を見て、
「誰かが、封印を解こうとしている?」
そう呟くと、表情を険しくする。
突如、分厚い扉の向こう側から、腹の奥が震え、背筋が凍りそうな程、殺気に満ちた、とても大きな獣の唸り声が響いて来た。
その声を聞いたレックスたちは肝を冷やして、恐怖のあまり、小刻みに身を震わせながら、その場から後退りしていると、フォレスター館長も戦々恐々とした様子で身を震わせ、
「私共を含め、利用者たちも気味が悪くて……。 どうにかならないかと思いまして、オルゲン将軍に、ご相談した言う次第です」
ロナードにそう語る。
「あ、あのさ……。 こ、この中には……何があるスか?」
デュートは恐る恐る、ロナードに問い掛けると、
「足元に書かれている事が本当ならば、ケルベロスが封印されているらしい」
ロナードは先程まで、自分が解読した、足元の文字が書かれている辺りを見下ろしながら、落ち着いた口調で答えた。
「それって何だよ? つーか、それ、オレ等の組織の名前だろ?」
レックスは小首を傾げ、ロナードに問い掛ける。
「ケルベロスは冥府……つまり、死後の世界の入り口を守る三つ首の巨大な犬で、性格はとても獰猛、死者では無い者が近付くと忽ち食い殺すらしい。 そんな危険なモノが外に放たれれば、幾多の命が奪われる事は確実だ。 それを憂いてここに封じられたのだろう」
ロナードはまるで他人事の様に、淡々とした口調で、レックスにそう説明した。
「そ、それって、絶対開けちゃいけないモノなんじゃあ……」
彼の話を聞いて、デュートは恐怖に顔を引き攣らせ、すっかり怯えた様子で、声を震わせロナードに言った。
「まあ、そうだな……」
ロナードは、本当に何処か他人事の様な口調で言い返すので、レックスは呆れた顔をして、
「『まあ、そうだな』って、お前、全く危機感ねぇじゃねぇかよ!」
「封印されて、出て来られない様な間抜けな奴を、必要以上に恐れるのもどうかと思うが」
ロナードは、落ち着いた口調で言いながら、鉄の扉に書かれている文字に目を向ける。
「この文を読んだ限りでは、この建物が造られた頃のルオンで夜な夜な現れては、通り魔的に街の人たちを食い散らかしていたらしい」
ロナードは、扉に書かれて居た文字を、淡々とした口調で読む。
当時のルオンの街は、その噂の所為で外部から人が寄り付かなくなり、交易は途絶え、多くの交易船が停泊している筈の港は、閑散としていた。
事態を重く見た当時のルオン国王が、高名な賢者に頼み、募った勇気あるルオンの騎士たちと共に、ケルベロスと三日三晩戦い続けた末、ここに封じる事に成功した。
ケルベロスによる被害者は甚大で、街の者たちは勿論、討伐に参加した多くの騎士たちの命が奪われ、封印される寸前には、高名な賢者もその牙に掛り、賢者諸共、この扉の奥に封じられた。
扉には、その犠牲になった人々の名が刻まれている。
そして最後に、『この様な危険極まりない生き物が、二度と世に出る事が無い様、切に願う』と、鉄の扉には、その様な言葉が刻まれて居た。
「マジでやべぇな……そいつ」
ロナードの解読を聞いたレックスは、青い顔をして、顔を引き攣らせながら呟く。
「それで、どうする気なんスか? ロナード」
デュートは、不安に満ちた表情を浮かべ、ロナードにそう問い掛ける。
「まあ……中に居るコイツをどうするか、場所が場所なだけに、俺たちだけで決めて良い事では無いのは確かだな。 一度、この件は持ち帰って、オルゲン将軍かカタリナ王女に相談し、どうするか指示を仰ぐのが、賢明だろう。 倒すにしてもそれ相応の準備も必要だ」
ロナードは、静かに分厚い鉄の扉の向こう側を見つめながら、落ち着き払った口調で言う。
「そうスよね……。 オレもそれが良いと思うス」
デュートも、神妙な面持ちで言った。
「ついでに、ここの封印を解こうとしている奴が誰なのか、調べた方が良いかもな」
ロナードは、引き千切られた札を見ながら、真剣な面持ちで言うと、
「えっ……」
レックスは、物凄く驚いた表情を浮かべ、思わず、彼の方を見た。
「そ、そんな、恐ろしい事を考えている者が、いるのですか?」
ロナードの言葉を聞いて、フォレスター館長は戸惑いの表情を浮かべ、彼に問い掛ける。
「そうで無ければ、幾ら古くなったとは言え、こんなに大量の札が、破られている筈が無い。 誰かが故意に封印を解こうとしているのは、明白だ」
ロナードは、引き破れている札を指差しながら、おこ口調でそう説明する。
「もし封印が解かれたら、大変な事になるんじゃねぇのか? 早くどうにかした方が良いぜ!」
レックスは、恐怖に表情を強張らせつつ、強い口調でロナードに言うと、
「私も、この事を治安部隊に再度、相談する事にします」
フォレスター館長は真剣な面持ちで、ロナードに言った。