妨害
主な登場人物
ロナード…漆黒の髪に紫色の双眸が特徴的な、傭兵業を生業としていた魔術師の青年。 落ち着いた雰囲気の、実年齢よりも大人びて見える青年。 一七歳。
エルトシャン…オルゲン将軍の甥で、ルオン王国軍の第三治安部隊の副部隊長だったが、カタリナ王女から、新設された組織『ケルベロス』のリーダーを拝命する。 愛想が良く、柔和な物腰な好青年。 王国内で指折りの剣の使い手。 二一歳。
アルシェラ…ルオン王国の将軍オルゲンの娘。 白銀の髪と琥珀色の双眸が特徴的な、可愛らしい顔立ちとは異なり、じゃじゃ馬で我儘なお姫さま。 カタリナ王女の命を受け、新設される組織に渋々(しぶしぶ)加わる事に。 一六歳。
オルゲン…ルオン王国のカタリナ王女の腹心で、『ルオンの双璧』と称される、幾多の戦場で活躍をして来た老将軍。 温和で義理堅い性格。 魔物の害に苦しむ民の救済の為に、魔物退治専門の組織『ケルベロス』を、カタリナ王女と共に立ち上げた人物。
セシア…ルオン王国の王女カタリナの親衛隊一人で、魔術に長けた女魔術師。 スタイル抜群で、人並み外れた妖艶な美女。
レックス…オルゲン侯爵家に仕えている騎士見習いの青年。 正義感が強く、喧嘩っ早い所がある。 屋敷の中で一番の剣の使い手と自負している。 一七歳。
カタリナ…ルオン王国の王女。 病床に有る父王に代わり、数年前から政を行っているのだが、宰相ベオルフ一派の所為で、思う様に政策が出来ず、王位継承権を脅かされている。 自身は文武に長けた美女。 二二歳。
サムート…クラレス公国に住む、烏族の長の妹サラサに仕える、烏族の青年。 ロナードの事を気に掛けて居る主の為に、ロナード共にルオンへ赴く。 人当たりの良い、物腰の柔らかい青年。
ベオルフ…ルオン王国の宰相で、カタリナ王女に代わり、自身が王位に就こうと企んで居る。 相当な好き者で、自宅や別荘に、各地から集めた美少年美少女を囲って居ると言われている。
メイ…オルゲン侯爵家に仕えている騎士見習いの少女。 レックスとは幼馴染。 ボウガンの名手。 十七歳。
ルオン王国の王女直々に魔物退治を専門とする、新しい組織を新設するに当たり、人員を募集し、採用の合否を決する為、北のマイル王国との国境に近い、ルオン高原にある森の中で、受験者たちは魔物退治をしながら、一週間のサバイバルを敢行していた。
その受験者の一人レックス・リーヴェは、自身のミスで魔物から逃げる際に、食料などの一式が入ったナップサックを紛失してしまい、三日間、飲まず食わずで、フラフラになっていたところ、試験官のセシアに半ば強引に、リタイアをさせられてしまった。
彼は、最後まで試験をやり遂げる事が出来なかったと言う失意の中、セシアに引き摺られ、試験の運営本部がある天幕群まで連れて来られた。
(どんな顔をして、お館様たちに会えって言うんだよ……)
レックスは沈痛な表情を浮かべ、俯き、その場に力なくヘタリ込み、心の中で呟いていると、
「遅かったな」
不意に、聞き覚えのある若者の声がしたので、レックスは驚いて顔を上げた。
何故か自分の目の前には、まだ試験を受けている筈のロナードがいて、何処か安堵した様な表情を浮かべて彼を見下ろしていた。
「ロナード……どうして……。 まさかお前もリタイアしたのか?」
レックスは戸惑いの表情を浮かべ、ロナードに問い掛けると、彼は不思議そうな顔を浮かべ、
「いや。 俺は試験の中止を聞いて、他の受験者たちと一緒に昨日からここに居るが」
ロナードは、落ち着き払った口調でそう答えると、レックスは狐に抓まれた様な表情を浮かべ、
「へっ?」
「リタイアする者が続出した事に加えて、受験者と試験官との間で、不正なやり取りもあったらしく、急遽、昨日の朝に試験の中止が決定したんだが、お前の様に試験官が所在を掴めない奴も多くて……。 それで今、試験官たちが手分けをして受験者たちを探しているところだ」
ロナードは、事情を知らされていないレックスに、簡潔に説明した。
「マジか」
レックスは、何処か拍子抜けした様子で呟いた。
そんな事になっているとも知らずに、父の為に死んでも意地を通そうとしていた自分が、何だか馬鹿らしく思えて来た……。
「何にしても、無事で何よりだ」
ロナードは安堵した表情を浮かべ、レックスに言った。
(何だよコイツ。 オレの事を心配してたのかよ。 意外と良い奴じゃねぇか)
ロナードの言動に、レックスは心の中でそう呟いた。
「既にリタイアした者たちを除くと、今、戻って来たのは半分くらいってトコかな……。 明日、元気に皆ここへ戻って来てくれるのなら良いケド……」
エルトシャンは、試験会場である森の方へ目を向けながら、そう言ってやって来た。
「全員は難しいだろうな。 ここへ戻る途中、幾つか受験者と思われる死体を見たからな」
ロナードは淡々とした口調で、エルトシャンに言った。
彼の言う通り、レックスもこの三日程、森の中を一人で彷徨っている時に、何人か受験者と思われる獣に食い荒らされた形跡のある新しい遺体を見付け、明日は我が身ではないかと、肝を冷やした事を記憶している。
「組織の好待遇、高報酬に目が眩んだ、身の程知らずが沢山居たって事だね」
エルトシャンは完全に他人事の様な口調で、肩を竦めながら言った。
「そもそも魔物の巣窟の様な場所で、試験を行う事自体が無謀だったんだ。 行えば死人が出る事くらい、直ぐに予見出来ただろうに」
ロナードは、溜め息混じりに言うと、
「今のルオンの役人なんて、金とコネでその地位に就いた様な、中身の伴わない連中が殆どだからね……。 まあ王国軍も大差ないケド。 そこまで考えてた人が、どの位いた事やら……」
エルトシャンは肩を竦めながら、皮肉たっぷりに言った。
「それより『受験者と試験官との間で、不正なやり取りがあった』ってのは、どう言う事だよ? まさか、姫に手ぇ出した奴を始末しちまったって事が、他の奴等に知れて、顰蹙をかってるとかじゃあねぇだろうな?」
レックスは不安そうな表情を浮かべ、エルトシャンは問い掛けると、その言葉を聞いたロナードは表情を曇らせる。
「そう言う事じゃないよ。 第一あれは殆ど事故の様なモノでしょ?」
エルトシャンは苦笑いを浮かべながら、レックスにそう答えると、
「それじゃあ、なんだよ?」
彼は真剣な面持ちで、エルトシャンに問い掛ける。
「試験官の中に魔物に付け損ねたタグを持っていて、それを受験者に一つ幾らで売り物にして、その金を自分の懐に収めてたのが何人かいてね。 それを購入した受験者が更に、別の受験者に高値で売るってカンジで……。 一度も魔物を倒して無いのに、合格出来るだけのタグを持ってるって人が居る状況になっちゃって……」
エルトシャンは、困り果てた様な表情を浮かべながら、レックス達に理由を話すと、
「何だよそれ! 真面目に試験してる奴が馬鹿みてぇじゃねぇかよ!」
話を聞いたレックスは、不満に満ちた表情を浮かべ、強い口調でそう批判した。
「だから試験を中止して、別の日に改めて試験を行うか、全く別の方法で人員を選出するかを、今、話し合ってるって訳だよ」
エルトシャンは、溜息混じりにレックスに言うと、
「成程」
ロナードは、落ち着き払った口調で呟く。
「そもそも、この組織を立ち上げる事を反対している輩も少なくなくてね……。 ほら、魔物退治って、イシュタル教会の専門分野的な雰囲気が強いでしょ? 教会と繋がりが深い諸侯たちは、教会の怒りをかって、後ろ盾を失っては困るからね。 作って欲しくないんだと思うよ」
エルトシャンは、ロナード達に何故、この様な事が起きたのかを説明した。
(諸侯らの採決をしてないのか? それとも、可決はしたが、不満とする連中の中に力のある奴が多いのか……)
エルトシャンの説明を聞いて、ロナードは神妙な面持ちで心の中で呟いた。
「つまり、試験官の中に、組織の新設を阻止したい輩の息が掛った奴が居て、邪魔をしていると言う事か」
ロナードは思い切り眉を顰め、言うと、
「そう言う事。 他にもまあ、不正をした理由は色々とあるかも知れないけど、試験官たちは多方面から、急遽集めたってカンジだからね」
エルトシャンは肩を竦めながら、他人事の様に、淡々とした口調で言った。
「……だろうな。 試験を始める前、試験官の中に明らかにやる気のない奴も居たからな」
ロナードは、試験が始まる前の周囲の雰囲気を思い出しながら、淡々とした口調で言った。
「仮に、採用する人間が決まったとしても、本当にこの国の現状を憂いて、魔物退治をしようって思ってる人なんて本当に数える程度だと思うし、組織を内側から潰そうと、殿下と対立している派閥から送り込まれる人も居るかも知れない」
エルトシャンは、複雑な表情を浮かべつつそう語ると、ロナードは両腕を自分の胸の前に組み、
「あの女、受験者の事はちゃんと調べてあると、偉そうに言っていたが、試験官にまでは目が向かなかった様だな」
淡々とした口調で言った。
「セシアの事か? 確かにんな事言ってたな」
レックスは、戸惑いの表情を浮かべつつ、ロナードに言う。
「その点は否定出来ないね。 明らかに人手不足だったからね」
エルトシャンは苦笑いを浮かべながら言うと、肩を竦める。
「……何故、そんなに焦って作ろうとした? もう少し時間を掛けてじっくりと、取り掛かれば良かったものを」
ロナードは、不思議そうな表情を浮かべつつ言うと、
「単純に、それだけ殿下や伯父上が厳しい立場にあるって事じゃないかな? 実際やり方は汚いけれど宰相の方を殿下よりも世間は評価しているからね。 宰相の力は無視出来ないよ」
エルトシャンは苦笑いを浮かべながら、自分の見解を口にした。
「ベオルフ宰相か……」
ロナードはそう呟くと、苦々しい表情を浮かべる。
「宰相は、昔から色々と黒い噂の絶えない人だけど、噂を噂のままにしておけるだけの実力はあるからね。 伯父上も色々と苦戦しているみたい」
エルトシャンは苦笑いを浮かべたまま、何処か他人事の様な口調で言う。
「ルオン内の権力争いになど興味は無い。 そう言う面倒な事は関わりたくないんだが」
ロナードは物凄く他人事の様に、淡々とした口調で言って退けた。
「んなっ……」
彼の無責任な発言に、レックスは不愉快さを覚え、何か言い返そうとしたが……。
「まあ、大半の人はそうだろうね。 自分たちの生活を保障してくれるのならば、国王が誰になろうと大した問題では無いからね。 それが面倒であればある程、関わる事を避けるものだよ」
エルトシャンはサラリと、他人事の様に言うので、それを聞いてレックスは驚いたが、ロナードはこれと言った反応を示す事も無く、
「そう言う事だ。 興味半分で余計な事に首を突っ込んで、自分の首が回らなくなっては、元も子もないからな」
淡々とした口調で言った。
「オメェ、すげぇシビアな?」
レックスは苦笑いを浮かべながら、ロナードにそう言うと、
「理想や綺麗ごとは、当の昔にゴミ箱に捨てて来た。 それで腹が膨れる訳でもないしな」
彼は、淡々とした口調でそう言い放った。
「君の様に、明るい未来を無邪気に思い描ける程、彼はピュアじゃないって事だよ」
エルトシャンは苦笑いを浮かべながら、レックスに向かって言うと、それを聞いたロナードはムッとした表情を浮かべ、
「……ピュアじゃ無くて悪かったな」
「別に悪いとは言って無いよ。 少なくとも、無責任に綺麗ごとや理想ばかり並び立てる輩よりも、信用出来ると僕は思うよ。 少なくとも誰かよりはね」
エルトシャンはに苦笑いを浮かべたまま、ロナードにそう言い返すと、チラリと彼の背後へと目を向けると、アルシェラが此方へやって来ていた。
「お待たせぇ。 さっき殿下からの伝令でぇ、王都へ引き上げる事になったらしいわよ。 だから明日の朝、ここから引き上げるってぇ」
アルシェラは無邪気に、エルトシャンとロナードに向かって、そう言って来た。
「それより、組織の人選はどうするって?」
エルトシャンは落ち着き払った口調で、アルシェラに問い掛けると、
「しらな~い」
アルシェラはどうでも良いのか、無責任にそう言い放ってから、
「何にしても良かったじゃん。 これでこんな、虫とか訳わかんないのがウジャウジャいる様な所にいる必要なくなった訳だしぃ」
嬉しそうに声を弾ませながら言った。
「まあな……。 正直、雨やら泥やらで気持ち悪いから、早く風呂に入りたいとは思う」
ロナードは軽く溜息を付いてから、淡々とした口調で言った。
「確かに。 オレも風呂に入って、ちゃんとしたベッドで寝てぇ……」
レックスも疲れを隠せない様子で、そう呟いた。
「全くですわ」
セシアが片手で自分の髪を払いながら、そう言ってやって来た。
「王都に引き上げるって聞いたけど、再試験はするの?」
エルトシャンは徐に、セシアにそう問い掛けると、
「それは無いと思いますわ。 もう一度試験を行うには、時間も予算も人員も足り無いもの。 だから書類選考や推薦、今までの試験の様子などを踏まえての人選になるんじゃないかしら」
セシアは、淡々とした口調でそう答えた。
「それは、どの位で終わる予定だ?」
ロナードは真剣な面持ちで、セシアに問い掛けると、
「そうですわね……二週間くらいかしら……」
彼女は、両腕を自分の胸の前に組んで暫く考えた後、そう答えた。
「二週間・……」
セシアの言葉を聞いて、ロナードはゲンナリとした表情を浮かべた。
(二週間……その間、五月蠅いアルシェラを何とかして、顔を突き合わせない様にしなければならないのか……最悪だな)
ロナードは心の中で呟くと、チラリとエルトシャンの傍らに居たアルシェラの方へと目を向け、その視線に気付いた彼女は、ニッコリと無邪気な笑みを浮かべる。
(クラレスに戻ろうにも、列車での移動で殆どの時間を費やしてしまう……。 里には三日滞在出来るかどうかか……。 金と時間と労力の無駄遣いだな)
ロナードは、アルシェラから視線を逸らすと、真剣な面持ちでその様な事を考えていた。
「夕食の準備が出来ましたら、また声をお掛け致しますわ。 もう暫くお待ち下さい」
セシアは、ロナード達にそう言い残すと、その場から立ち去って行った。
「明日引き上げるって、まだ見付かってねぇ奴もいるんだろ?」
レックスは、試験会場である森の方へ目を向けながら、エルトシャン達に問い掛けると、
「そうだけど、全員見付け出すのに何日掛るか分からないでしょ? 持って来た食料だって限りがある。 そもそも試験は明日までなんだし。 明日中に来なかったら、どちらにしろアウト。そこまで此方が責任は負わないと分かっていて挑んだんだから、自己責任だよ」
エルトシャンは淡々とした口調で、戸惑うレックスに言い返す。
「そう言う事だ。 合流出来ただけ良かったと思う他ないだろう」
ロナードは素っ気ない口調で言うと、レックスは複雑な表情を浮かべ、
(もしかして、セシアの奴……それを知ってオレを助けに……)
心の中でそう呟くと、彼の脳裏にふと、人を見下す様に不敵な笑みを浮かべる、セシアの顔が浮かんだ途端、自分に散々な物言いをした事を思い出し、
(んな訳ねぇか)
レックスはそう思って、先程、自分の中に浮かんだ事を否定した。
翌日、試験会場から撤退が決定し、ロナードたちは、馬車で王都へ帰路についた。
その馬車には、アルシェラを含め、エルトシャン、そしてロナードが乗り合わせ、オルゲン将軍はまだ見付からない受験者の捜索の為、自身が連れて来た兵士達と共に現場に残る事になった。
「不正をした試験官たちは、あの後何か話したのか? 不正をした理由とか誰の指図だとか」
ロナードは、自分と向かい合う様に座っていたエルトシャンにそう問い掛ける。
「全員では無いけど、魔物にタグを付け損なったので、どうにかして処理をしなければならないと思い、この方法を思い付いたってさ。 中には、始めからタグを受験者たちに売ろうと思って持っていたと証言した者もいたよ」
エルトシャンは、複雑な表情を浮かべつつ、ロナードの問い掛けにそう答えた。
「要は、作業後に付け損なったタグを回収して無かったのが、問題だったと言う事か」
ロナードは淡々とした口調で、問題点を指摘する。
「こっちとしては、タグは全て付け終えているとばかり思っていたからね。 誰もその様な考えに至らなかったのが、そもそもの間違いだったんだよ」
沈痛な表情を浮かべ、重々しい口調でエルトシャンはそう答えた。
「世の中の皆が皆、公明正大に生きている訳じゃない。 良からぬ事を考える輩が、必ず一定数は居ると言う事を念頭に置いてなくては駄目だ」
ロナードは呆れた表情を浮かべながら、エルトシャンに言い返す。
「そうだよね。 そこは僕もカタリナ様も間抜けだったと思うよ」
エルトシャンは苦々しい表情を浮かべ、ロナードに語る。
「エルトを責めるの、その位にしてあげてよ。 ロナードぉ。 初めてだったんだから、仕方がないじゃない」
エルトシャンが落ち込んでいる様子を見て、アルシェラは気の毒そうな顔をして、自分の隣に座っているロナードに言った。
「別に責めている訳じゃない。 何処に問題があったのか、反省会をしているだけだ」
ロナードは、落ち着き払った口調でアルシェラに言い返す。
「確かに僕は凹んでるけど、それは自分の考えの甘さに対してで、ロナードの所為じゃないよ」
エルトシャンは、苦笑いを浮かべながら、アルシェラに言う。
「アンタみたいに、何も顧みずに、ヘラヘラ笑っていられる様な立場では無いからな。 エルトシャンも俺も」
ロナードは、冷ややかな口調でアルシェラに言うと、
「んなっ!」
アルシェラは怒りの形相でそう言うと、勢い良く座席から立ち上がった時、馬車が急停車し、車体が大きく揺れたので、立って居た彼女は大きくバランスを崩して、転びそうになったところを側にいたエルトシャンが慌てて抱き止め、
「大丈夫?」
真剣な面持ちで、そうアルシェラに声を掛けると、彼女は不満そうな顔をして、
「急に何なのよ!」
強い口調でそう口走ると、不意に掛っていた黒いカーテンを片手で払い、小窓から外を見ようとした時、
「伏せて!」
何かを察知したエルトシャンはそう叫ぶと、側に居たアルシェラを力任せに、自分の方へと引き寄せると、彼女を抱きしめたまま、急いで身を屈めた。
彼の叫び声を聞いて、居合わせたロナードも素早く反応し、揃って身を屈めた次の瞬間、馬車に取り付けられていた小窓の硝子が音を立てて割れると同時に、外から勢い良く弓矢が数本、中に飛び込んで来た。
「な、なにぃ?」
自分が居る場所とは反対側、ロナードの頭上を掠めて、馬車の壁に突き刺さった弓矢を見ながら、戸惑いの表情を浮かべアルシェラはそう呟くと、好奇心の強い彼女は頭を上げて小窓から、外の様子を見ようとするので、
「だから危ないって!」
側に居たエルトシャンはそう言って、小窓から顔を覗かせようとしていたアルシェラの頭を、思い切り押え付けた。
「何者から、襲撃を受けている」
ロナードは、真剣な面持ちでアルシェラに簡潔にそう説明すると、彼女は驚きの表情を浮かべ、
「えっ。 何で? どうしてアタシ達が襲われるのぉ?」
「……理由は、アンタの父親に聞けば分かるだろ」
ロナードは身を低くしたまま、弓矢でガラスが割れ、外から風が吹き込み、掛けてあるカーテンが捲れている隙間から、外の様子を伺いつつ、落ち着き払った口調でアルシェラに言ってから、
「見た限り、何処かの兵士の様だ」
一瞬、窓から外を見た事をエルトシャンに言うと、
「宰相が放った兵士だろうね。大方、僕等を人質にでもして、伯父上を隠居させ、カタリナ殿下に王位継承の辞退を迫る気なんだよ」
エルトシャンは落ち着き払った口調で、ロナードにそう説明する。
「成程。 とても分かり易い手口だな」
ロナードは慌てる事も無く、落ち着き払った口調で言い返した。
「ちょっとぉ。 何で誰も助けに来ない訳?」
アルシェラは戸惑いの表情を浮かべつつ、ロナード達に向かって言うと、
「もう皆、逃げちゃったか、殺されたんじゃないの?」
エルトシャンは、苦笑いを浮かべながらアルシェラに言うと、
「若しくは、敵へ寝返ったか……」
ロナードが、淡々とした口調で言い返すと、
「変な事言わないで! そんな事する訳ないわよ」
アルシェラは不愉快さを顕わにして、ロナードに言った。
「一昔前までならば考えられない事だけど、最近はどうだろうね?」
エルトシャンは肩を竦め、皮肉たっぷりに言うと、
「エルトまで何言ってるのよ! 主君とその家族を守るのが騎士の役目でしょ! その為に高いお給料をあげてるんだから!」
アルシェラはムッとした表情を浮かべ、強い口調でエルトシャンに言い返すと、
「理想と現実は違うと言う事だ。 そう言うアンタは、他人を守る為に自分の命を捨てる事が出来るのか?」
ロナードは淡々とした口調で、憤っているアルシェラにそう問い掛けると、彼女は困った様な表情を浮かべ、返す言葉を失ってしまう。
「……要は、そう言う事だ」
返答を窮しているアルシェラを見て、ロナードは淡々とした口調で言うと、彼女は助けを求める様な視線をエルトシャンに向ける。
「まあ、自分の所の家臣を信じたい君の気持ちは分かるけど、今の弛みきったオルゲン家の兵士たちに、そこまでの事を望むのは無理と言うモノだよ。 ロナードの言う通り、残念ながら皆、僕等を置いてさっさと逃げたと考えるのが自然だろうね」
エルトシャンは苦笑いを浮かべながら、アルシェラに言うと、
「それって、レックスもって事なのぉ?」
エルトシャンの言葉を聞いて、ショックを隠せない様子のアルシェラは、戸惑いの表情を浮かべ、彼に問い掛ける。
「レックスねぇ……もう殺されてるか、気絶して延びてるんじゃない?」
エルトシャンは苦笑いを浮かべながら、アルシェラにそう答えると、
「同感だ。 あの五月蠅いのが静かな理由は、その位しか思いつかないな」
ロナードは、淡々とした口調で言った。
ロナード達の言う通り、御者の隣に座っていたレックスは、馬車が急停車した際に座席から転げ落ち、その弾みに暫くの間、気を失っていた。
「いってぇ……」
俯せになって倒れていたレックスは、呻き声を上げながら微か目を開くと、少し離れた所に自分が乗っていた馬車が、数十人の武装した兵士に取り囲まれているのが見えた。
(何か、やべぇカンジだぞ)
御者と共に、馬車の前の座席に居た所為で、急に止まった弾みに、離れた茂みの中へ転がったお蔭で、誰もレックスの事には気付いていない様であった。
きっと馬車の中に居るロナード達は、馬車が急に止まり、いきなり外から攻撃を受けているので、パニックになっているに違いない。
『助けねば』と思うが、自分一人で数十人を相手をする事は厳しい……。
自分の他に、誰か味方はいないのかと、敵兵士に気付かれぬ様、俯せた格好のまま、レックスは辺りを見回す。
自分から少し離れた所に、護衛をしていた兵士が負傷し、地面の上に倒れているのが見えた。
生存している護衛の兵士たちは、数では敵わないと思ったのか、武器を捨て、両手を上げ、降伏しているのが見えた。
(マジかよ……)
主君の娘を守る事を放棄し、己の保身に走った、オルゲン侯爵家の兵士たちを見て、レックスは深い絶望感を抱いた。
「お前たちは既に包囲されている! 大人しく中から出て来い!」
突如、襲撃して来た兵士たちの中の一人が、馬車の中に居る、ロナードたちに向かってそう叫ぶのが聞こえた。
(確かに、袋の鼠だけどよ……)
レックスは心の中で呟きながら、馬車の方へ注視する。
このまま、ロナード達が相手の要求に応じなければ、馬車に火を掛けられ、馬車の中に閉じ込められたまま、丸焼きにされる可能性がある。
だからと言って、大人しく外へ出て行こうとすれば、扉を開けた瞬間、射殺されるかも知れない。
そう言う危機的状況にも関わらず、オルゲン侯爵家の兵士たちは、主の娘たちを助ける様子は無さそうだ。
(どうする気だよ?)
レックスは、不安そうな表情を浮かべながら、ロナード達が乗っている馬車の方を見つめる。
そうこうしている間に、敵兵たちが馬車へ近付き、馬車のドアノブを掴み、外から扉を開けて、中に居るロナード達を無理矢理に外へ引き摺り出そうとしている。
その時、ドゴッと言う轟音と共に、いきなり馬車の扉と共に近くにいた兵士たちが、数メートル後ろへ勢い良く吹っ飛んだ。
それには敵兵たちは勿論、降伏の意志を示し、遠巻きに様子を見ていた、オルゲン侯爵家の兵士たちも一様に驚き、戸惑う。
突然の事に、何が起きたのか理解出来ずに、敵兵が浮足立っている間に、エルトシャン、ロナード、アルシェラの順に馬車の中から飛び出して来て、アルシェラを守りながら、二人は近くにいた敵兵たちを片っ端から問答無用で次々と叩き切っていく……。
「怯むな! 放て!」
それを少し離れた場所でそれを見た敵の指揮官が、仲間の兵士たちにそう叫び、片手で合図を送ると、遠巻きに馬車を取り囲んでいた弓兵たちが、一斉にロナード達に向かって弓矢を放った。
放たれた弓矢は、雨の様に互いの背を向け合い、一カ所に固まっていたロナードたちの頭上に降り注いだ。
これでは一溜りも無いだろうと思われたその時、ロナードが徐に片手を掲げると、自分たちの頭上を守る様に、半円形を描く様にして、光沢のある薄い緑色の壁の様なモノが現れ、その上に降り注ぐ無数の矢が、グラスを指で弾いた時の様な音を立てながら弾き飛ばされ、虚しく地面の上に散らばった。
「なっ……」
それを見た敵の指揮官は、驚愕の表情を浮かべ、呟いた。
他の敵兵やオルゲン侯爵家の兵士たちも、一様に驚きと動揺の表情を浮かべ、その場に立ち尽くしている。
「ご無事ですかっ!」
そこへ、先行していたセシアが物凄い勢いで馬を走らせつつ、そう叫びながら、自分と一緒に先行していたオルゲン家の兵士たちを引き連れ、戻って来た。
「チッ」
それを見た敵の指揮官が、苦々しい表情を浮かべ、舌打ちする。
「何をしているの! 早く反撃なさい!」
セシアは、浮足立つ敵兵たちを魔術で薙ぎ倒しながら、ロナード達が敵兵たちに襲われている様を傍観していた、オルゲン侯爵家の兵士たちに向かって叫ぶと、彼等は慌てて、自ら地面の上に投げ捨てた武器を拾った。
それを見たレックスは急いで立ち上がり、武器を手にロナード達の下へと駆け出した。
「若様」
不意に頭上から、耳馴染みの若い男の声がしたが、アルシェラとエルトシャンは驚いて、慌てて頭上を見上げた。
「若様。 お怪我は御座いませんか?」
ロナード達の前に降り立ったサムートは、真剣な面持ちで、ロナードに問い掛ける。
「見ての通りだ」
ロナードは落ち着いた口調で、サムートの問い掛けにそう答える。
「セシアを呼んで来たのは、君?」
エルトシャンは、鋭く尖った石の礫を魔術で繰り出し、敵兵たちを次々と倒していくセシアを目で追いながら、サムートに問い掛けると、彼は頷き返し、
「ええ。 若様が乗られている馬車にオルゲン侯爵家の者では無い、見慣れぬ不審な兵士たちが接近しているのが空の上から見えましたので、急ぎ、呼び戻しました」
落ち着き払った口調で、そう答えた。
「ナイスな判断だね」
エルトシャンはそう言って、サムートを称賛すると、彼はこれと言った表情を浮かべず、
「恐縮です」
淡々とした口調で言った。
「ざっと見た所、どうにか出来そうな数だが、他に伏兵は?」
ロナードは、武器を手に自分たちを取り囲む敵兵たちを見回し、落ち着き払った口調でサムートに問い掛ける。
「私が空から見下ろした限り、敵は、ここに居るので全てと思われます」
サムートは、敵兵たちの動きに注意しつつ、ロナードを背で庇う様にしながら、落ち着き払った口調で答えた。
「パッと見、三〇いるかいないかって所だね。 何とかなるんでしょ?」
エルトシャンは、自分たちの前に立ち塞がる敵兵たちを見回しながら、不敵な笑みを浮かべて、そう言った。
「そうだな」
ロナードは淡々とした口調で言うと、腰に下げていた剣を手にする。
「あれ?。 お得意の魔術は使わないの?」
それを見たエルトシャンは、意外そうな表情を浮かべ、ロナードに問い掛ける。
「その辺の雑魚を蹴散らせば良いのだろう?」
ロナードは、淡々とした口調で言った。
「それはそうだけと、怪我しないでよ?」
ロナードの発言を聞いて、エルトシャンは苦笑いを浮かべながら、何処か小馬鹿にした様な口調で彼に言うと、彼はムッとした表情を浮かべる。
「ご心配なく。 危ない時は私がお助けしますので」
サムートが自分の胸元に片手を添え、落ち着き払った口調で、エルトシャンに言った。
「アル。 僕の側から離れないで」
エルトシャンは、背でアルシェラを庇いつつ、背中越しに真剣な面持ちで彼女に言った。
「う、うん」
アルシェラは、不安そうな表情を浮かべつつ、頷き返す。
「掛れっ!」
敵の指揮官がそう叫ぶと、ロナード達を取り囲んでいた敵兵たちが、一斉に襲い掛かって来た。
「皆!。 馬車を背にして戦うんだ!」
エルトシャンは、近くにいたロナード達に向かって叫びながら、自分に剣を振り下ろして来た敵兵の攻撃を避け、剣で胴払いをして切り倒し、返り討ちにする。
「お見事」
それを見たサムートが、エルトシャンにそう声を掛ける。
「まあね」
エルトシャンは、自慢げに片手で自分の鼻を擦りながらそう言っている後ろで、ロナードが自分に向かって来る敵兵たちを何の躊躇いも無く、バッサバッサと虫けらの様に、次々と切り倒していっている事に気付いたエルトシャンは、
(何か、僕よりも仕事をしてる様な……)
心の中でそう呟くと、苦笑いを浮かべる。
「?」
エルトシャンの視線に気付いたアルシェラは、小首を傾げつつ後ろを振り返った。
自分の背後で無数の敵兵たちが、苦しそうに呻き声を上げ、地面の上に倒れているので驚いた。
「ひいいっ!」
「ば、化け物だ」
敵兵たちは、ロナードの大立ち回りに、揃って情けない声を上げ、思わず後退りしている。
「若様。 やり過ぎです……」
サムートが片手を自分の額に当て、ゲンナリとした表情を浮かべ、ロナードに向かって呟いた。
「揃いに揃ってこの程度か。 ルオンの兵士も落ちたものだな」
ロナードは、手にしていた剣を軽く払い、剣に付いて来た血糊を落としながら、淡々とした口調で言った。
(人間も魔物も、自分に向かって来る奴は容赦なしかよ)
ロナード達の下へ駆け寄っていたレックスは、ロナードの呟きを聞いて、心の中でそう呟いたが、倒れている敵兵が呻き声を上げたので、驚き、改めて良く見て見ると、敵兵たちは血を流して倒れてはいるが、全員生きている。
(どう言う事だよ?)
レックスは、ロナードが誰一人殺していない事に気付き、戸惑いの表情を浮かべ、彼の方を見る。
ロナードたちの下へ駆け付けたレックスが、徐に彼等に声を掛けようとした時、馬に乗ったセシアがやって来て、
「皆、無事でして?」
真剣な面持ちで、ロナード達に問い掛けた。
「どうにかね。 戻って来てくれて助かったよ。 セシア」
エルトシャンは、ホッとした表情を浮かべ、彼女に言い返した。
「あとは兵士たちに任せて、私たちは馬で急ぎ、この場から離脱しましょう。 この辺りは日が沈むと狂暴な魔物が多く出ますわ。 その前に最寄りの村か町に着きたいですから」
セシアは、真剣な面持ちで言った。
「おい。 ちょっと待ってよ。 『兵士たちに任せる』って、もし日暮れまでに近くの村に逃げ込めなかったら、残った連中はヤベェ事になるじゃねぇかよ」
不意に合流して来たレックスが、そう指摘すると、彼の声に驚いて皆、一斉に振り返った。
「レックス」
「無事だったか」
エルトシャンとロナードは、レックスの姿を確認するなり、そう呟いた。
「勝手に殺すなっての!」
レックスはムッとした表情を浮かべ、口を尖らせ、ロナード達に言い返す。
「そうだとしても、彼等はさっきまで襲われてる僕等を見捨てようとしてたんだよ? そんな連中を僕等が気に掛ける必要は無いでしょ?」
エルトシャンは呆れた表情を浮かべ、戸惑っているレックスに言い返すと、
「先に見限ったのはアイツ等だからな。 同じ事をされても文句は言えないだろ。 自業自得だ」
ロナードも淡々とした口調で、そう続けた。
「同感です。 主のお身内を見捨てるなど、騎士の風上にも置けません。 彼らは己のした事を恥じるべきです」
サムートも、憤りを隠せない様子で言った。
三人の言葉を聞いて、レックスは戸惑いの表情を浮かべつつ、徐にアルシェラの方を見ると、彼女は複雑な表情を浮かべている。
「アルの安全が第一だよ。 止む終えない」
エルトシャンは、真剣な面持ちでそう言った。
「エルトシャン様の言う通りだわ。 それとも、主君の娘を見捨てようとした薄情な兵士たちと共に、魔物に怯えながら野宿をしろと?。」
セシアは淡々とした口調で、レックスに問い掛けると、
「そんなの絶対に嫌よぉ!」
レックスの代わりに、アルシェラが思い切り嫌そうな顔をして、力一杯にそう言い放った。
「ならば決まりね。 急いで離脱するわよ」
アルシェラの発言を聞いたセシアが、淡々とした口調でロナード達に言うと、戸惑っているレックスを余所に、他の面々は頷き返した。
「セシア。 ここから最寄りの村か町へは、どの位掛る?」
ロナードは、何やら思慮している様子で、真剣な面持ちでセシアに問い掛けると、
「馬の脚で三時間……と言った所ですわね」
彼女は冷静にそう答えると、ロナードは思い切り眉間に皺を寄せ、片手を自分の口元に添えながら、更に何か考えている様子で、
「その次は?」
続けて、セシアに問い掛けた。
「更に一時間半……いいえ、二時間は掛るとみるべきね」
セシアは、チラリとアルシェラを見てから、そう答えた。
(今から五時間……。 全力で馬を走らせれば、日暮れまでには何とか間に合うか……)
ロナードは真剣な面持ちで、心の中で呟いてから、
「二番目に近い村か町へ行こう。 最寄りの集落には恐らく、襲撃を受けて俺たちが逃げ込んで来る事を想定して、兵士を配置している可能性がある」
徐に顔を上げ、セシアたちにそう提案した。
「確かに。 僕なら、しくじった事を想定して、近くの集落に兵士を配置するよ」
エルトシャンは真剣な面持ちで、自分の考えを述べると、
「んな事言ったら、その次の町にだって兵士を置いてるかも知れねェじゃねぇか」
レックスが不満そうな表情を浮かべつつ、そう言い返すと、
「そんな事言い出したらキリが無いでしょ?。 少なくとも、ここから一番近い集落よりは、配置されている兵士の数は少ないだろうし、相手もそんなに警戒していないと思うよ。 まあ、絶対とは言えないけど、でも『念の為』的な要素が強いと僕は思うから、ロナードの意見に賛成するよ」
エルトシャンは苦笑いを浮かべながら、レックスに言い返した。
「確かに……」
セシアは、自分の顎の下に手を添え、神妙な面持ちで呟く。
「けどよ、次の村までとなると、日没に間に合うか?」
レックスは不安そうな表情を浮かべつつ、そう指摘する。
「全力で馬を走らせる他ないだろ。」
ロナードは淡々とした口調で言うと、アルシェラは物凄く嫌そうな表情を浮かべ、
「え~っ。 そんな無茶振り止めてよぉ。お尻が痛くなっちゃう」
口を尖らせ、不満を口にする。
「そのくらい我慢しなよ。 少しでも、安心してベッドの上で寝られる方が良いでしょ?」
エルトシャンは、彼女の我儘に困った様な表情を浮かべつつ、そう言って彼女を説得する。
「それは、そうだけどぉ……」
アルシェラは、不満そうな表情を浮かべつつ呟くと、それ以上は何も言わなかった。
「殿は私が勤めますわ。 レックス。 貴方は先頭を行って頂戴」
セシアは、真剣な面持ちでレックスに言うと、
「おう。 任せろ」
レックスは真剣な面持ちで頷き返し、そう言ったが、
「いや、ちょっと待って。 二手に分かれた方が良いよ」
エルトシャンは不意に、その様な提案をしたので、皆、戸惑いの表情を浮かべ、彼の方を見る。
「えっ……。 けどよ、それじゃ万が一、敵に囲まれたら一溜りもねぇだろ?」
レックスは戸惑いの表情を浮かべつつ、エルトシャンに言い返すと、
「その辺はパワーバランスを考えて、僕はロナードはサムートと一緒に行くから、二人はアルシェラを守ってよ」
エルトシャンは、戸惑うレックスに言うと、ニッコリと笑みを浮かべる。
「全然パワーバランス、取れて無くね?」
レックスは、戸惑いの表情を浮かべて言い返すが、
「はい。 じゃあ決まり」
エルトシャンはニッコリと笑みを浮かべ、そう押し切ってしまったので、他の者たちは焦る。
「って訳だから、君たちが先に行ってよ。 僕たちは後から、君たちの後ろを追跡する、害虫を蹴散らしてあげるから」
周囲の反応などお構いなしに、エルトシャンはそう続ける。
「わ、分かったぜ……」
レックスは、エルトシャの意図が理解出来ないままであったが、ここで揉める場合では無いは思い、彼の意見に従う事にした。
何より、ロナードが何も言わないと言うのが気に掛る……。
「ねぇ、後ろを三人に任せて、良かったの?」
エルトシャンの提案に黙って従うセシアに、アルシェラが思わず問い掛ける。
「エルトシャン様は何かお考えがあるのでしょう。 そうで無ければ、この様な無茶振りはしてこないと思いますわ」
セシアは、心配そうな顔をしているアルシェラに言い返した。
「貴女がそう言うのなら……」
アルシェラは、エルトシャンの提案に不安を抱いている様ではあったが、セシアの意見に従う事にした。
「貴方も、人が悪いですね」
先に馬に乗り、現場から離脱したアルシェラ達を見送りながら、サムートはボソリと、エルトシャンに言った。
「何のこと?」
エルトシャンは態とらしく惚けた表情を浮かべて、サムートに言い返す。
「俺たちが、アルシェラ達を追跡する連中を蹴散らした後、別ルートから先回りして、待ち伏せている敵を始末していけば良い……そう言う事だろう?」
ロナードは、淡々とし口調でそう言いながら、アルシェラ達が使わなかった、道幅が狭く、足元も良くない谷の上を通る道の方へと目を向ける。
「分かってるじゃない。でもそれをアル達に言ったら、『危険だ』と止められるだろうと思って、僕は言わなかったんだよ。 それは君も同じでしょ?」
エルトシャンはニッコリと笑みを浮かべ、ロナードに言った。
(コイツは……本当に抜け目が無いな……)
ロナードは、ヘラヘラと笑って居るエルトシャンを見ながら、心の中で呟いた。
「でも僕たちが思ってる程、簡単じゃあ無さそうだけどね……。 本気で馬で行く気なの?」
エルトシャンは、自分たちが進もうとしている、谷の上にある道の方へと目を向けながら、ロナードに言った。
「私が居れば、どの様な悪路も関係ないでしょう」
サムートはニッコリと笑みを浮かべ、エルトシャンに言うと、彼は戸惑いの表情を浮かべ、
「君が、僕たち二人を抱えて飛ぶって事?」
「ええまあ、似た様な事です」
サムートは苦笑いを浮かべながら、エルトシャンに言い返すと、
「大丈夫なの? それ」
彼は、物凄く不安に満ちた表情を浮かべ、サムートにそう問い掛ける。
「ご心配なく。 正確には私が巨大な烏に変化して、お二人を背中に乗せるので」
サムートはニッコリと笑みを浮かべ、落ち着き払った口調で言うと、
「凄いね。 それ!」
話を聞いたエルトシャンは、小さな子供の様に目を輝かせ、興奮した様子で言った。
「高いのは、大丈夫なのか?」
ロナードは、心配そうにエルトシャンに問い掛けると、
「僕を見縊らないで欲しいね。 これでも小さい頃は、竜騎士になる為に飛竜に乗って訓練してたんだから」
彼は両手を自分の腰に添え、胸を逸らし、不敵な笑みを浮かべ、ちょっと自慢気にロナードに言い返した。
「……ならば問題ないな」
ロナードは、これと言った表情を浮かべず、淡々とした口調で言った。
(何だよ。 もう少し『凄いな』とか、言ってくれたって良いのに……)
ロナードの反応が思いの外薄かったので、エルトシャンは不満そうな表情を浮かべ、心の中で呟いた。
「そう言っている端から、追っ手ですよ」
サムートは徐に、追跡して来た敵兵を見ながら、落ち着いた口調でロナードたちに告げる。
ロナード達は、先に現場から離脱したアルシェラたちの後を追っていた敵兵たちを一頻り蹴散らしてから、予定通り、谷底の馬車などが通れる様に整備された道では無く、道幅が狭く、足場の悪い、谷の上を行く道へ、巨大な烏に変化したサムートの背に乗り移動した。
「思った通り、待ち伏せてるね」
崖沿いの悪路に岩陰に隠れ、アルシェラ達が谷底の道を来るのを待ち伏せている敵兵たちを、上空から見付けると、エルトシャンは呟いた。
「蹴散らすぞ」
ロナードはエルトシャンに言うと、敵兵に気付かれぬ様、少し離れた場所で結構な高さから、何の躊躇もなく、サムートの背中の上から飛び降りた。
「えっ。 あ、ちょっ……」
それを見てエルトシャンは焦り、そう言いながら慌てて、思い切り飛び降りたロナードの方を見下ろすが、彼は猫の様に全く危な気なく地面の上に着地する。
(全く……。 この高さから飛び降りようって言う神経もだけど、軽く着地しちゃう運動能力もどうかしてるよ)
その様子を見たエルトシャンは、呆れた表情を浮かべながら心の中で呟くと、危なくない高さまで降りたサムートの背中から飛び降り、先に降りたロナードの下へと駆け寄る。
そして二人は、相手が自分たちに気付いていいない隙に、思い切り背後から切り掛り、慌てふためく相手を崖下に蹴り落とした。
敵兵たちは情けない声を上げ、揃って崖下へと落ち、地面に体を強く叩き付け、絶命した。
不意に、絶命した兵士を静かに見下ろしていたロナードの脳裏に、“人殺し”と叫ぶ、少女の声が響いたので、彼はハッとする。
(何をしているんだ。 俺は……)
ロナードは、沈痛な表情を浮かべ、心の中で呟いた。
“パパを……パパを返してよ!”
ロナードの脳裏に、悲痛に満ちた少女の声と共に、雪が降り積もった地面の上に夥しい血を流し、力なく倒れている男の側に両膝を付き、少女が怒りに身を震わせ、憎しみに満ちた目で彼を睨んでいる光景が甦る……。
もう無暗に人を殺さないと、心に決めたのに……。
(これで何人目だ? あれだけ悩み苦しんだのに、俺は何も……変わって無いじゃないか……)
ロナードは、悲痛な表情を浮かべ、心の中でそう呟くと、ギュッと唇を噛み、剣を持っていない左手を強く握り絞める。
「若様?」
ロナードが、崖下に落ちた敵兵を見下ろしたまま、物凄く思い詰めた表情を浮かべている事に気付いたサムートは、戸惑いの表情を浮かべ、おずおずと彼に声を掛ける。
「顔色が悪いよ。 大丈夫?」
エルトシャンも、ロナードの様子が可笑しい事に気付き、心配そうに声を掛ける。
「えっ……。 あ、ああ……」
二人に声を掛けられ、ロナードはハッとして、とっさにそう返事を返した。
「……確かに、自分たちにとって敵でも、人を殺める事は良い気分がしないよね……」
エルトシャンは、ロナードの胸中を察し、複雑な表情を浮かべそう言うと、ロナードはとても複雑な表情を浮かべる。
「若様……」
ロナードが、傭兵を生業としていた頃、自分が生きる為に他者を騙し、命を奪う事に対し、強い罪の意識に苛まれ、やがて心が病んで自殺未遂をし、その後も普通に生活出来る様になるまで、半年以上の時間を要した事を知っているサムートは、とても複雑な表情を浮かべる。
「僕は、自己満足の為にしている事だから。 でも君が、僕の我儘に付き合う必要は無いよ」
優しい口調で言ったので、ロナードは予想外の言葉に驚き、戸惑いの表情を浮かべ、彼を見る。
「試験の時、アル達を助ける為に受験者を殺してしまった時も、君は随分と自分を責めていたからね。 本当は人を殺す様な事はしたくはないんだろうって言うのは何となく、気付いていたよ」
エルトシャンは、落ち着いた口調でロナードにそう指摘すると、彼は、とてもバツの悪そうな表情を浮かべ、俯いた。
「そう思うのは、人としてとても普通な事だと思うよ。 人の命を取って置いて、何とも思わない人の方が可笑しいからね」
エルトシャンは、穏やかな口調でロナードに言うと、ニッコリと笑みを浮かべる。
そして、話題を変える為、アルシェラ達を待ち構えていた敵兵を見下ろしながら、
「なかなか、用意周到だね」
苦笑い混じりに、エルトシャンは言った。
「話には聞いていたが、本当に宰相と関係が悪いんだな」
ロナードも、絶命して動かなくなった、崖下に転がっている敵兵たちを見下ろしながら、淡々とし口調で言った。
「宰相は、次期ルオン国王の座を狙っているって専らの噂だからね。自分が王位に就くには、カタリナ殿下と、その腹心の伯父上が邪魔で仕方が無いんだよ」
エルトシャンは『やれやれ』と言った様子で、肩を竦めながらロナードにそう説明する。
「王女も、大人しく誰かに、王位を譲る様なタマでは無い様だしな……」
ロナードは、複雑な表情を浮かべながら言い返すと、
「そうだね。 伯父上と宰相は、そこまで関係が悪かった訳じゃないんだけど……。 殿下は宰相の事を昔から毛嫌いしているらしいんだ。 だから……ね」
エルトシャンは苦笑いを浮かべたまま、自分の見解を語った。
「水と油……ですね」
エルトシャンの話を聞いて、サムートは淡々とし口調で言うと、
「まあ、そんな所だよ。 伯父上に関わるのだから、君も気を付けた方が良いよ」
エルトシャンはそう言って、ロナードに注意を促すが、
「甥のアンタの方こそ、気を付けなくてはならないんじゃないのか?」
ロナードは、思い切り眉間に皺を寄せながら、エルトシャンに言い返した。
「僕は……。 まあ、何て言うか……。 僕は軍人だし、所詮は甥だからね。 それにアルシェラの方が捕まえた後も御し易いし、伯父上への精神的なダメージも大きいだろうからって言う考えが、向こうにあるから、あまり狙われた事は無いよ」
エルトシャンは時折、歯切れ悪く、苦笑いを浮かべて誤魔化しながら、ロナードにそう説明する。
「確かに。 アンタよりもアルシェラの方が、色んな意味でチョロそうだ」
ロナードは、かなり言いにくい事をズバッと言ったので、それを聞いたエルトシャンは苦笑いを浮かべる。
「若様……。 その発言は、あんまりかと思いますが……」
サムートは、ゲンナリとした表情を浮かべつつ、ロナードに言うが、彼は無視を決め込む。
「そう言う事だから、僕は従兄として、何時もこんな風にアルシェラに集る五月蠅いハエを追い払う係りって訳だよ。 彼女に何かあると此方にも被害が及ぶからね」
苦笑いを浮かべながら、ロナード達に向かって、エルトシャンは言った。
「大変だな」
ロナードは、本当に他人事の様に、エルトシャンに言うと、
「まあ、伯父上ほどではないけどね」
彼は、苦笑いを浮かべながら言うと、自分の剣を鞘に納めた。
「オルゲン将軍は見るからに、気苦労が絶えない様ですからね」
サムートは苦笑いを浮かべながら、そう言うと、
「そうだね。 騎士なんて名ばかりの給料泥棒の集まりたいな家臣に、平和ボケした王宮の騎士たちを纏めなきゃならないし、宰相一派の動きには注意しなきゃだし……。 娘は『あんなの』だし」
エルトシャンは、苦笑いを浮かべながら言った。
「また、こんな所に人が倒れてるぜ……」
レックスは、前方に人が倒れている事に気付き、それを指差しながら言った。
「また、ベオルフ宰相の所の兵士ね……」
セシアは、倒れている兵士の鎧に刻まれていた、帆船を背にした人魚の家紋を見て、淡々とした口調で呟く。
「何がどうなってるのぉ?」
アルシェラは、戸惑いの表情を浮かべつつ、セシアに問い掛ける。
セシアは、倒れている兵士の体を注意深く観察しつつ、兵士の背中の切傷を見て、
「こちらも、背中からバッサリと切り付けられているわ」
神妙な面持ちで言った。
「何か知らないけどぉ。 このアタシを襲う様な真似をするからぁ、天罰が下ったのよぉ。 きっと。 いい気味ぃ」
物凄く能天気なアルシェラは、ヘラヘラと笑いながら言った。
(ぜってぇ、ちげーだろ)
レックスは呆れた表情を浮かべつつ、心の中でそう呟くと、徐にチラリとセシアの方へと目を向けると、彼女は無言で頷き返した。
「どうやらエルトシャン様たちが、別ルートで先回りをし、待ち伏せていた敵を始末してくれている様ですわね」
レックスが勘付いた事をセシアが、落ち着き払った口調で言うと、
「どーやって? エルト達はアタシ達の後から来ていて、追っ手をやっつけてる筈でしょ?」
アルシェラは、戸惑いの表情を浮かべつつ、セシアにそう問い掛ける。
「恐らく、サムートに頼んで巨大な烏に変化させ、二人はその背に乗って、空から移動しているのでしょう。 そうで無ければ、こんなに早く私たちを追い抜き、先々で敵を始末する事など難しいですもの」
セシアは、落ち着き払った口調で、アルシェラにそう説明する。
「アイツ等、始めからそのつもりで、二手に分かれる事を提案したのか……」
レックスは、二人のとっさの判断力に感心し呟いた。
「流石はエルトね」
アルシェラは、そう言って素直に、エルトシャンの判断力を称賛すると、
「確かに提案者はエルトシャン様かも知れないですけれど、サムートが居なければ、こうも上手くはいかなかった筈だわ」
セシアは、落ち着き払った口調で、そう指摘すると、
「やっぱり、持つべきモノは優秀な家臣よねぇ……」
と、シミジミとした口調で言った。
(いくら家臣が優秀でも、仕える主君が馬鹿だと、その力を十分に発揮する事が出来ないと分かっていて、言っているのかしら?)
セシアは、アルシェラの方へ目を向けたまま、呆れた表情を浮かべつつ、心の中でそう呟いた。
陽がすっかり傾き、茜色から空が薄暗くなって来た頃、アルシェラ達は何とか予定通り、最寄りの村では無く、その次にある少し大きな町に到着した。
「もー最悪ぅ。 お尻と腰がいたぁ~い。」
アルシェラは、レックスに手を貸してもらいながら、ゆっくりと馬の背から降りると、うーんと背伸びをしながら、そうぼやいた。
「お疲れ様」
セシアは、穏やかな口調でアルシェラに言っていたが、前方から人が近付いて来る気配を感じると、セシアとレックスは、表情を険しくし、武器の柄に手を掛けながら振り返る。
「お待ち下さい。 私です。 サムートです」
二人の反応に、サムートは両手を上げながら、慌てた様子で言った。
「何だよ」
「驚かさないで」
辺りが薄暗くなり、遠目では顔の確認が難しくなってきたので、彼の言葉に拍子抜けし、レックスとセシアは呟くと、サムートは苦笑いを浮かべてから、
「お待ちしておりました。 宿は手配しておりますので、そちらへ案内致します」
一息置いてから、落ち着き払った口調で、アルシェラ達に向かって言った。
「その様な気まで遣わせて、悪かったわね」
セシアは申し訳なさそうに、サムートに言った。
「いいえ。 お二人がお疲れの様子でしたので、私の独断で宿を取らせてもらいました」
サムートは苦笑いを浮かべながら、セシアに簡潔に宿を取った理由を説明した。
「な~にぃ。 アタシよりも先に二人は休んでるのぉ? 有り得ないしぃ……」
話を聞いて居たアルシェラは、不満そうな表情を浮かべサムートに言うと、彼は物凄く困った様な表情を浮かべる。
「我々の為に、潜んで居た敵兵をやっつけてくれていたのですから、疲れて当然ですわ」
セシアは苦笑いを浮かべながら、アルシェラに言うと、
「そんな事くらいで疲れないでよぉ。 揃いに揃って情けないわねぇ。 フツー、か弱いアタシが休むのが先でしょ?」
彼女は軽く溜息を付いてそう言うと、偉そうに言った。
(相変わらずの物言いね。 周りを労わる心を持ち合わせていないのかしら)
アルシェラの物言いに、セシアは呆れた表情を浮かべ、心の中で毒づいた。
(何なんだ。 この人は。 自分を守る為に奮闘した二人に対して、感謝の一つも出来ないのか?)
アルシェラの、物凄く上から目線な台詞を聞いて、サムートは戸惑いの表情を浮かべつつ、心の中で呟いた。
どうやらアルシェラは、自分の父親が王女の腹心である為、自分も父親と同じくらい偉いと勘違いしてしまっているようで、周りに守られ、尽される事が当たり前だと思っている様だ。
サムートに案内され、一階は酒場、二階は宿屋になっている建物に到着し、一番奥の部屋の前に来た。
「アルシェラ様たちが、到着なさいました」
サムートは部屋に入る前に一言、中に居るロナード達に向かってそう声を掛けてから、ゆっくりと部屋の扉を開いた。
「ああ。 来たね」
エルトシャンは、サムート達が部屋に入って来るのを見ながら、彼等にそう声を掛けると、ソファーに座ったまま、背凭れに凭れ掛かる様な格好で、微かに寝息を立てて、眠ってしまっているロナードに毛布を掛ける。
「遅くなりましたわ」
最後に部屋に入ったセシアは扉を閉めながら、エルトシャンに向かって言った。
「済みません。 エルトシャン様。 お気を遣って頂いて……」
サムートは恐縮した様子で、眠ってしまったロナードに毛布を掛けたエルトシャンに言った。
「んもう! マジで寝てるぅ! 信じらんない!」
アルシェラは、自分の到着も待たずに、眠ってしまったロナードに対して腹を立て、口を尖らせて言った。
「さっきまて頑張って起きてたんだけど、流石に術師の彼には、ハードな事だったみたいだね」
エルトシャンは、すっかり寝入ってしまっているロナードを見ながら、苦笑い混じりに言った。
「お二人とも、お怪我などはなくって?」
セシアは、真剣な面持ちで、エルトシャンに問い掛ける。
「殆ど不意打ちばかりだったからね。 大丈夫だよ」
エルトシャンは穏やかな口調で、セシアの問い掛けにそう答えた。
「私の気が回らなかったばかりに、お二人には面倒な役回りをさせてしまい、大変申し訳ございませんでしたわ」
セシアは申し訳なさそうに、エルトシャンに言うと、
「気にしないで。僕も正直、ここまで上手くいくとは思ってなかったから」
彼は苦笑いを浮かべながら、セシアに言ってから、
「上手くいったのは、ロナードとサムートのお蔭だよ。 僕一人じゃあ、こんなに手際良くは出来ないからね。 流石だよ」
サムートとロナードへ目を向けながら、そう付け加えた。
「お役に立てて、何よりです」
サムートは恐縮した様子で、エルトシャンに言い返した。
「幸い、この町には兵士は配置されて無い様ですけれど、油断は禁物ですわね」
両腕を胸の前に組み、真剣な面持ちでセシアは言った。
「そうだね。 相手は僕たちの事を探しているに違いないから、不要な外出は避けるべきだね」
エルトシャンも真剣な面持ちで言うと、
「え――っ。 折角、退屈な森から離れたのにぃ」
アルシェラは、物凄く不満そうな表情を浮かべ、そうぼやいた。
「ご自分の置かれている状況を分かっていて、その様な事を仰っているのかしら? 狙われているのは他でもない、貴女なのよ?」
セシアは呆れた表情を浮かべてから、強い口調で、危機感の無さそうなアルシェラにそう言った。
「分かってるわよぉ。 でも、ご飯を食べるにはちょっと早いしぃ、ご飯を食べたらぁ、寝ちゃうって言うのも、何だかつまらないじゃない?」
アルシェラは、ムッとした表情を浮かべつつ、セシアに言い返すと、彼女は深々と溜息を付き、
「さっきまで、『お尻が痛ぁ~い』と、仰っていたのは何方でして?」
片手に額を添え、ゲンナリとした表情を浮かべ、アルシェラに言った。
「って言うか、君はそう言う元気があるんだろうけど、僕は早くご飯を食べて、早く眠りたいよ」
エルトシャンは、ゲンナリした表情を浮かべて、我儘ばかり言うアルシェラにそう言うと、足を投げ出す様にし、ソファーの上で眠っているロナードの隣に徐に座ると、勢い良く彼が座ったので、ソファーのクッションが思い切り弾んだので、ロナードは驚いて目を開けた。
「あ、御免」
エルトシャンはとっさに、目を覚ましてしまったロナードに、そう言って謝ると、彼はボンヤリした様な表情を浮かべ彼を見てから、何も言わずソファーの背に凭れ掛かり、また眠ってしまった。
「……相当、疲れてんな。 コイツ」
ロナードの様子を見て、レックスは苦笑いを浮かべながら呟いた。
「試験の疲れもあるでしょうが、それ以上に慣れない土地で、良く知らぬ方々と行動を共にする事は、私達が思っていた以上に、ロナード様に神経を使わせていたのかも知れませんわね」
セシアは、落ち着き払った口調で言った。
「誰かと違って、繊細そうだもんね」
エルトシャンは、チラリとアルシェラの方を見てから、意地の悪い笑みを浮かべながら言うと、
「何で、アタシを見て言ってんのよぉ! マジむかつく!」
彼女はムッとした表情を浮かべ、エルトシャンに言うと、彼は笑って誤魔化した。
「王都までは、あと二日の道のりですが、一本道ですので今日の様に待ち伏せされている可能性は十分に考えられますわ。 用心しながら進みましょう。」
セシアが、真剣な面持ちで仲間たちに向かって言うと、彼等は一様に真剣な面持ちで頷き返した。
翌日の朝、ロナードは暫くの間、ベッドの中で何度か寝返りを打った後、まだ寝惚けつつも、ゆっくりと身を起こした。
「あ、おはよう」
不意に、聞き慣れない若い男の声がしたので、ロナードは驚いて、声がした方へと振り返った。
「えっ。 なに? 寝惚けてるの? 君」
ロナードの反応を見て、隣のベッドの上に座り、自分の武器の手入れをしていたエルトシャンが、可笑しそうにクスクスと笑いながら言った。
「ロナード様。 顔を洗って来ては如何です?」
その様子を見たセシアは、呆れた表情を浮かべつつ、ベッドの上に座ったまま、ぼーとして居るロナードに言うと、持っていたタオルを彼に投げ渡した。
ロナードは、ボンヤリとセシアから渡されたタオルを暫くの間見ていたが、その内、睡魔に見舞われ、コロンとベッドの上に身を横たえてしまった。
「寝ないで下さいな!」
それを見て、セシアは強い口調で、二度寝しようとしているロナードに向かって叫ぶと、その様子を見て、エルトシャンはクスクスと笑ってから、
「まだ、眠り足りないみたいだね。」
可笑しそうに、セシアに向かって言った。
「ロナード様、起きて下さい!」
セシアはロナードの側へ歩み寄ると、彼の肩を掴み、そう言いながら彼の体を揺らす。
「眠らせてやれよ」
ロナードの二度寝を阻止しようとしているセシアに向かって、レックスは呆れた表情を浮かべ、そう言った。
「そう言う訳にもいきませんわ。 うかうかしていると、敵兵が私たちの居場所を突き止めるかも知れませんわ」
セシアは真剣な表情を浮かべ、生真面目にレックスに言い返した
「その時は、その時だよ」
エルシャンは、苦笑いを浮かべながら、何とかして、ロナードの目を覚まさせようとしているセシアに言った。
そこへ、外の様子を見に行っていたサムートが、部屋に戻って来て、
「皆さん、そろそろ朝食にしましょう。 外には追っ手らしき者はいませんでしたが、念の為、何時でも動ける様にしていた方が良いでしょう」
穏やかな口調で、部屋にいる仲間たちに向かって言うと、
「ねぇ。 ロナード様が起きないのよ。 どうにかならなくて?」
セシアは、困り果てた様子で、サムートにそう問い掛けると、
「若様は昔から、朝は弱いですからね……」
彼は、苦笑いを浮かべながら言った。
「そうか? 試験の時は普通に起きてたけどな」
レックスは、自分と行動を共にしていた時の事を思い出しながら、サムートに言い返すと、
「それは、気を張っていたからでしょう」
彼は、苦笑いを浮かべたまま、レックスに言ってから、部屋の中を見渡し、アルシェラの姿が無い事に気付くと、
「おや。 アルシェラ様は、如何なさいました?」
「……起こして来るわ。 あなた方はロナード様を起こして、先に下の食堂へ行って下さい」
セシアは『はあ』と溜息を付いてから、淡々とした口調でサムートに言うと、部屋から出て行った。
「やれやれ……。 無理に起こすと機嫌が悪いのですが……」
サムートは、目の前のベッドの上で小さな寝息を立て、眠ってしまっているロナードを見ながらそう呟くと、特大の溜息を付いた。
「あー。 マジ疲れた……」
レックスは言うと、椅子の背凭れに身を凭れ掛ける。
「お疲れ」
そう言いながら、メイが声を掛けて来ると、テーブルを挟んで向かいの席に腰を下ろした。
オルゲン侯爵家の兵士と使用人たちが利用する食堂には、夕食を取る為に、多くの兵士たちが集まり、思い思いの席に座り、夕食の時間を楽しんでいる。
先程戻って来て、騎士団の自室に荷物を置いたレックスは、一息つこうと食堂に来ていた。
「おう。 久しぶり」
レックスは片手を挙げ、一週間以上顔を合わせていなかったメイの顔を見て、何処かホッとした様な表情を浮かべつつ、そう返事を返した。
「試験、ど~だった?」
メイは、何時もの調子でニコニコと笑いながら、レックスに問い掛けると、彼は物凄く重々しい溜息を付くと、
「マジ地獄だった……。 何回死ぬかと思ったか分かんねぇ」
ゲンナリとした表情を浮かべ言い返した。
「そ、そうなんだ……」
レックスの反応に、メイは苦笑いを浮かべながら言ってから、
「で、試験の結果はどうなの?」
興味津々と言った様子で、レックスに問い掛けると、彼は、グラスに注がれたオレンジの果実を絞ったジュースを飲んでから、深々と溜息を付き、
「わかんねぇ。 色々トラブって、最終日前日に試験が中止になっちまったから……」
「えっ。 じゃあ再試験?」
レックスの話を聞いて、メイは戸惑いの表情を浮かべつつ、彼に問い掛けると、
「それも分かんねぇ 。オレには良く分からねぇ事情があるみてぇだし」
レックスは溜息混じりにそう言うと、複雑な表情を浮かべながらそう語る。
「そっか……何か良く分かんないけど、大変だったんだね」
レックスの疲弊具合や表情などから、かなり大変な目に遭って来た事は理解出来たので、メイは気の毒そうな表情を浮かべつつ、彼に言った。
「ああ。 レックス。探しましたよ」
不意に、背後から聞き覚えのある若い男の声がしたので、
「え、あ?」
こんな所に居る筈も無い人物に声を掛けられ、レックスは物凄く驚いて、間抜けな声を上げながら慌てて振り返った。
そこには、ロナードと共にクラレス公国から来た、烏族の青年サムートが静かに佇んでいた。
(コイツ何時の間に……。 全く気配がしなかったぜ)
レックスは、自分の背後に何時の間にかいたサムートに、戸惑いの表情を浮かべながら見る。
「この人って、クラレスからのお客様のお付の……」
メイは、『何故、この様な所に来たのだろう』と言う様な顔をして呟いた。
「若様から伝言です。 『疲れているだろうから、今日はこちらの事は構わず、ゆっくり休んでくれ。 また明日から頼む。』との事です」
レックスが驚いているのを余所に、サムートは落ち着き払った口調でそう告げて来た。
「えっ。 いや……。 お館様からも一応、護衛を言い渡されてんだけど……」
サムートの思いがけぬ言葉に、レックスは戸惑いの表情を浮かべながら言い返した。
「オルゲン将軍には、私からお話をしておきます。 ですから、若様のご好意を素直にお受けになられるべきだと思いますよ。 無理をしないで休んで下さい」
サムートは落ち着き払った口調で、困っている様子のレックスに言うと、ニッコリと笑みを浮かべた。
「は、はあ……」
サムートは穏やかに微笑みながらも、彼の話を飲む以外に無さそうな雰囲気に、レックスは戸惑いながらも、煮え切れていない様な、曖昧な返事を返した。
「あと私は明日には、我が主への報告も兼ねて、クラレスへ戻ろうと思っています。 ですから若様の事、宜しくお願いします」
サムートは、穏やかな笑みを浮かべながら、サラリと言ったが、レックスは驚きの表情を浮かべ、
「えっ……。 マジで?」
「はい。 若様から『もう帰って良いぞ』と仰られましたので」
サムートは苦笑いを浮かべながら、レックスにそう語った。
「我儘な奴だな」
レックスは、呆れた表情を浮かべつつ言い返す。
「多分……私たちの事を気遣って下さったのだと思います」
サムートは複雑な表情を浮かべ、ポツリと言って来たので、レックスは戸惑いの表情を浮かべ、
「気遣う?」
「ええ。 私の本来の主は烏王さまの妹君、サラサ様ですので、私が居ない間、サラサ様にご不便を強いているのではないかと、若様は思われたのでしょう」
サムートは複雑な表情を浮かべたまま、レックスにそう語ると、
「優しい」
サムートの話を聞いて、メイは感激した様子で、思わず呟いた。
「お優しいですよ。 若様は。 ただ不器用なので、なかなか相手に伝わらないと言うだけです」
サムートは、穏やかな笑みを浮かべ言った後、何処か憂いを含んだ表情を浮かべた。
(そりゃ、余所の国に若様を一人だけ置いて、国に帰るのは抵抗があるよな……)
サムートの様子を見たレックスは、心の中で呟くと、複雑な表情を浮かべる。
「そんなに、心配しなくたって大丈夫だって」
サムートの様子を見て、レックスはニッと笑みを浮かべ、彼に言った。
「大事な若様を異国の地に一人にするのは心配でしょうけれど、私たちが、若様が寂しい想いをなさらない様、出来る限りの事はしますよ」
メイも、愛想良く笑みを浮かべながら、穏やかな口調で、サムートに言った。
(コイツ、サムートに気に入られて、ロナードの警護に就こうとしてねぇか?)
レックスは心の中で呟きながら、何時も以上にサムートに対して親切心全開のメイを見る。
「宜しくお願いします」
サムートはレックス達に向かって言うと、深々(ふかぶか)と頭を下げた。
「はい♪」
メイが、ニッコリと笑みを浮かべ、快く返事を返すと、
(オメェに対してじゃねぇよ!)
レックスは、呆れた表情を浮かべながら、心の中で呟いた。