採用試験(下)
主な登場人物
ロナード…漆黒の髪に紫色の双眸が特徴的な、傭兵業を生業としていた魔術師の青年。 落ち着いた雰囲気の、実年齢よりも大人びて見える青年。 一七歳。
エルトシャン…オルゲン将軍の甥で、ルオン王国軍の第三治安部隊の副部隊長だったが、カタリナ王女から、新設された組織『ケルベロス』のリーダーを拝命する。 愛想が良く、柔和な物腰な好青年。 王国内で指折りの剣の使い手。 二一歳。
アルシェラ…ルオン王国の将軍オルゲンの娘。 白銀の髪と琥珀色の双眸が特徴的な、可愛らしい顔立ちとは異なり、じゃじゃ馬で我儘なお姫さま。 カタリナ王女の命を受け、新設される組織に渋々(しぶしぶ)加わる事に。 一六歳。
オルゲン…ルオン王国のカタリナ王女の腹心で、『ルオンの双璧』と称される、幾多の戦場で活躍をして来た老将軍。 温和で義理堅い性格。 魔物の害に苦しむ民の救済の為に、魔物退治専門の組織『ケルベロス』を、カタリナ王女と共に立ち上げた人物。
セシア…ルオン王国の王女カタリナの親衛隊一人で、魔術に長けた女魔術師。 スタイル抜群で、人並み外れた妖艶な美女。
レックス…オルゲン侯爵家に仕えている騎士見習いの青年。 正義感が強く、喧嘩っ早い所がある。 屋敷の中で一番の剣の使い手と自負している。 一七歳。
カタリナ…ルオン王国の王女。 病床に有る父王に代わり、数年前から政を行っているのだが、宰相ベオルフ一派の所為で、思う様に政策が出来ず、王位継承権を脅かされている。 自身は文武に長けた美女。 二二歳。
サムート…クラレス公国に住む、烏族の長の妹サラサに仕える、烏族の青年。 ロナードの事を気に掛けて居る主の為に、ロナード共にルオンへ赴く。 人当たりの良い、物腰の柔らかい青年。
ベオルフ…ルオン王国の宰相で、カタリナ王女に代わり、自身が王位に就こうと企んで居る。 相当な好き者で、自宅や別荘に、各地から集めた美少年美少女を囲って居ると言われている。
メイ…オルゲン侯爵家に仕えている騎士見習いの少女。 レックスとは幼馴染。 ボウガンの名手。 十七歳。
「あー。 マジ有り得ないしぃ……」
アルシェラは不満に満ちた表情を浮かべつつ、木の枝を集める。
「文句言うなよ。 火を起こさねぇと、なんにも出来ねぇんだからよ」
レックスはそう言いながら、せっせと枯葉や木の枝を集めている。
「ロナードだってそんな料理上手くないのに、何で食事の用意なのよぉ!」
アルシェラは、とても不満に満ちた表情を浮かべ、そうぼやいた。
「オレや姫を一人にするのは、危ねぇからじゃね?」
レックスは、素っ気ない口調でアルシェラにそう答えると、彼女はムッとした表情を浮かべ、
「ってかレックス。 さっきからロナードの肩ばっか持ってない?」
「別に、そう言うつもりはねぇよ」
レックスは、困った様な表情を浮かべつつ、アルシェラに言い返した。
「そう?」
アルシェラがそう言っていると、不意に背後からガサガサと茂みから音がしたので、二人は表情を険しくして振り返る。
「聞いた事のある声がすると思えば」
「や~っと、見付けたぜ」
中肉中背、艶のない金色の長髪の中年の男と、白髪混じりの無精髭を生やした細身の男がそう言って、ニヤニヤと不敵な笑みを浮かべ、立っていた。
「オメェ等、この前の……」
レックスは相手の姿を確認するなり、表情を険しくし、持っていた薪を足元に投げ捨て、慌てて両腰に下げていた剣の柄に手を掛ける。
「マジうざ!」
アルシェラは表情を険しくしてそう言うと、持っていた木の枝を男たちに向かって投げ付けた。
「おっと。 危ねぇな」
中肉中背、艶のない金色の長髪の中年の男は、アルシェラが投げ付けた木の枝を避けると、不敵な笑みを浮かべながら言った。
「そんな態度を取って良いのかよ? 見た所、お前たち二人だけみてぇだか?」
小太り気味の、河童の様な禿げ頭の中年の男が、そう言いながら、遅れて姿を現した。
「ロナードが居なくたって、アンタ達くらい追い払えるわよ!」
アルシェラはそう言うと、腰に下げていたホルダーから銃を引き抜いた。
「へぇ。 随分と威勢が良いじゃねぇか」
「だったら、追い払ってみろよ!」
中肉中背、艶のない金色の長髪の中年の男と、白髪混じりの無精髭を生やした細身の男が、不敵な笑みを浮かべながらそう言うと、一斉にレックスとアルシェラに向かって来た。
「姫。 オレの後ろから離れんな!」
レックスは両手に剣を手にし、アルシェラを背で庇う様にして、自分たちに向かって来る男たちと対峙する。
「そんなへっぴり腰で、人が切れるのかよ?」
中肉中背、艶のない金色の長髪の中年の男がそう言うと、持っていたナイフをレックスに投げ付けて来た。
レックスは、飛んで来たナイフを叩き落としたが、次の瞬間、
「レックス!」
アルシェラの声に、レックスはハッとした。
飛んで来たナイフに気を取られている間に、もう一人の白髪混じりの無精髭を生やした細身の男が、間合いに入って来ており、レックスは慌てて後ろに飛び退く。
脇腹辺りに、男が繰り出した剣の刃が掠めた。
「チッ。 反射神経だけは良いみてぇだな」
レックスに致命傷を負わせ損ねた、白髪混じりの無精髭を生やした細身の男は、悔しそうに舌打ちしつつ言った。
「離れなさいよ! オッサン!」
アルシェラはそう言って、銃のトリガーを引くが、白髪混じりの無精髭を生やした細身の男は、完全に軌道を読まれており、軽々と避けられ、銃声だけが虚しく辺りに響く。
(避けられた!)
アルシェラは、銃弾が相手に当たらなかった事に対し、苛立った様子で、心の中で呟いた。
「随分と物騒な物、持ってるじゃねぇか。 お嬢ちゃん」
中肉中背、艶のない金色の長髪の中年の男は、不敵な笑みを浮かべながら、アルシェラに言うと、彼女は慌てて、その男に銃口を向け、身構える。
「そんな物、人に向けちゃいけねぇって、かーちゃんから、言われなかったのか? ん?」
白髪混じりの無精髭を生やした細身の男も、当たらないと思っているのか、小馬鹿にした様な口調で、アルシェラに言う。
「オメェ、そんな物を持ってりゃあ、大丈夫だとか思ってたんだろ?」
小太り気味の、河童の様な禿げ頭の中年の男は、不敵な笑みを浮かべながら、アルシェラに言うと、
「如何にも、素人が考えそうな事だよなぁ? 当たらなきゃ意味ねぇだろ」
中肉中背、艶のない金色の長髪の中年の男が、馬鹿にした様に笑いながら言った。
「五月蠅いわね!」
アルシェラはそう言って、中肉中背、艶のない金色の長髪の中年の男に向かって、トリガーを引く。
「おっと。 危ないねぇ」
男は、完全にアルシェラが何処を狙っているのか分かっていたらしく、軽々と避けると、彼女に向かってそう言うと、馬鹿にした様にケタケタと笑う。
「何よ! 一々避けないでよね! 大人しくしてなさいよ!」
避けられた事に、アルシェラは腹を立てて、中肉中背、艶のない金色の長髪の中年の男に言うと、彼女の言葉を聞いて、男たちは一斉に声を上げて笑う。
「馬鹿だねぇ。 そんな物を構えられて、大人しく突っ立ってる奴なんていねぇだろうが」
中肉中背、艶のない金色の長髪の中年の男は、完全に馬鹿にした口調で、アルシェラにそう言うと、声を上げて笑った。
(畜生。 オレが姫から離れるのを待ってやがる)
レックスは、自分たちと微妙な間合いを取りながら、攻撃の機会を伺っている男たちの様子を見て、心の中で呟く。
「あっち行って!」
アルシェラはそう言って、まだ銃の引き金を引くが、中肉中背、艶のない金色の長髪の中年の男の頬を掠めただけで、虚しく銃声が響き渡る。
「惜しかったな――」
白髪混じりの無精髭を生やした細身の男が、馬鹿にした様にケラケラと笑いながら、アルシェラにそう言って挑発する。
アルシェラが怒って、白髪混じりの無精髭を生やした細身の男に銃口を向けた途端、彼女の足元の地面から、蔦や木の根が飛び出して来て、彼女に襲い掛って来た。
「きゃあっ!」
アルシェラは突然の事に驚き悲鳴を上げるが、一瞬の内に木の根が彼女の足に絡まり付き、彼女は枯葉が降り積もった地面へ引き摺り倒され、引き摺り倒された弾みに、彼女が手にしていた銃が少し離れた地面の上に落ち、降り積もった枯葉の中に埋まって、何処にあるのか分からなくなってしまった。
「姫っ!」
アルシェラの悲鳴を聞いて、レックスが振り返った途端、白髪混じりの無精髭を生やした細身の男が、持っていた剣を振り翳し、背後から彼を切り付けた。
「ぐあっ!」
背中を切り付けられたレックスは、痛みに顔を歪め、二、三歩ほど、後ろによろめいた。
「口ほどにもねぇな」
中肉中背、艶のない金色の長髪の中年の男はそう言うと、間髪置かずに、思い切りレックスの腹を蹴飛ばした。
レックスは後ろにスッ転ぶ様にして、枯葉が降り積もった地面の上に倒れ込んだ。
「レックス!」
それを見たアルシェラは、焦りの表情を浮かべ、悲鳴に近い声を上げる。
「こんなモンか? ん?」
小太り気味の、河童の様な禿げ頭の中年の男が、倒れているレックスに向かって、不敵な笑みを浮かべながら言った。
「畜生……っ」
レックスは、悔しそうに表情を歪めて、そう呟くと、地面に両手を付き、立ち上がろうとするが、中肉中背、艶のない金色の長髪の中年の男が、彼の脇腹を思い切り蹴飛ばした。
「レックス!」
それを見たアルシェラは、悲鳴を上げる。
「生意気な口を叩いて割に、大した事ねぇじゃねぇかよ」
白髪混じりの無精髭を生やした細身の男がそう言って、仰向けになったレックスの土手っ腹に踵落としを見舞う。
「がっ……」
レックスは思わず声を上げ、苦痛に満ちた表情を浮かべ、何度も激しく咳き込んだ。
「ガキが粋がるから、こうなるんだよ!」
小太り気味の、河童の様な禿げ頭の中年の男がそう言って、レックスの肩を思い切り踏み付けた後、頭を蹴飛ばした。
その後も、三人の男たちはレックスを蹴飛ばすなどの暴行を加え、レックスはどうする事も出来ず、ただ両手で自分の頭を庇い、身を丸めて、必死に耐え続けた。
「止めなさいよ!」
見かねたアルシェラが、激怒しながら、男たちに向かって叫んだ。
「だったらオメェが、ボコられるか?」
小太り気味の、河童の様な禿げ頭の中年の男が、不敵な笑みを浮かべながら彼女に言うと、その言葉を聞いて、アルシェラは忽ち顔を青くした。
「小娘のくせに、オレたちに生意気な口を叩くと、どう言う事になるか教えてやろうぜ」
白髪混じりの無精髭を生やした細身の男が、下品なに笑みを浮かべながら、仲間の二人に向かって言った。
「そうだな」
中肉中背、艶のない金色の長髪の中年の男も、下品な笑みを浮かべながら、そう応じた。
「止めろっ! 姫に手ぇ出すなっ!」
レックスは、悲鳴に近い声で、男たちに向かって必死に叫ぶが、白髪混じりの無精髭を生やした細身の男が、彼の頭を押さえつけ、レックスの背の上に馬乗りになった。
「テメーは、この小娘がおれ達に犯されるのを見てな」
小太り気味の、河童の様な禿げ頭の中年の男は、下品な笑みを浮かべながら、レックスにそう言うと、アルシェラに絡まり付いていた蔦や木の根が、無理やり彼女の体を地面の上に縛り付ける。
「そんな事をして、ただで済まないんだから!」
アルシェラは、キッと男達を睨みながら叫ぶ。
「まだ、そんな口を叩けるのかよ!。 生意気な小娘だ!」
中肉中背、艶のない金色の長髪の中年の男は、不愉快さを顕わにして言うと、アルシェラの上に馬乗りになり、彼女の頬を思いっきり掌でぶった。
ぶたれたアルシェラは、痛みに両眼に涙を溜めつつも、気丈に艶のない金髪の長髪の男を睨む。
「オメェ、自分が置かれてる状況が分ってんのか? あ?」
中肉中背、艶のない金色の長髪の中年の男は、アルシェラの反抗的な態度に苛立った様子で叫ぶと、彼女の顔を何度も掌でぶつと、彼女は『痛い』『痛い』と泣き叫ぶ。
そして、口の端が切れたのか、微かに彼女の口元に血が滲んだ。
「止めろ!」
見かねたレックスが、悲痛に満ちた声で叫ぶ。
「『止めて下さい。 お願いします』って言えよ。 そうすりゃあ、ぶつのを止めてやるよ」
中肉中背、艶のない金色の長髪の中年の男は、アルシェラの上に馬乗りになったまま、勝ち誇った様な笑みを浮かべレックスに向かって言うと、彼は悔しそうな表情を浮かべ、その男を睨み付ける。
「オメェもだよ」
中肉中背、艶のない金色の長髪の中年の男は、馬乗りになったまま、アルシェラを見下ろしながら、不敵な笑みを浮かべながら言った。
「ふざけないで! アンタ達なんてお父様に言い付けて、即ギロチン台で、その首落としてやるんだから!」
アルシェラは、忌々し気に男を睨み付けながら言い返した。
(なに言ってんだよ! んな事言っても、コイツ等は姫の親が誰なのか分からねぇんだから、ビビる訳ねぇだろ! 煽ってどーすんだよ!)
アルシェラの発言を聞いて、レックスは心の中で叫んだ。
「おい。 ナイフを貸せ」
中肉中背、艶のない金色の長髪の中年の男は、反抗的なアルシェラの態度を見て、苛立った様子で、小太り気味の、河童の様な禿げ頭の中年の男に向かって言った。
「おいおい。 殺したりするなよ? 楽しんでねぇんだからよ」
その男は、苦笑いを浮かべつつ、持っていたナイフを中肉中背、艶のない金色の長髪の中年の男に手渡した。
「自分の置かれている状況を、分らせてやるよ!」
中肉中背、艶のない金色の長髪の中年の男が下品な笑みを浮かべ、持っていたナイフで、アルシェラの衣服を乱暴に切り裂きはめた。
「嫌っ!」
アルシェラはそう言って必死に抵抗するが、手足に絡んでいる木の根の所為で、自由に動く事が出来ない。
「止めろ! 止めろーーっ!」
それを見たレックスは、背中の上に乗っていた白髪混じりの無精髭を生やした細身の男を振り落とし、慌てて立ち上がりアルシェラを助けようとするが、行く手を阻んだ小太り気味の、河童の様な禿げ頭の中年の男に、思い切り殴り飛ばされ、地面の上に倒れ込んだ。
切り裂かれた衣服の間から、アルシェラの肌が顕わになると、中肉中背、艶のない金色の長髪の中年の男が、下品な笑みを浮かべ、
「それじゃあ、お先に頂くぜ」
仲間の男たちの方へ振り返り、そう言った途端、何処からか投げナイフが飛んで来て、その男の首に深々と突き刺さり、アルシェラの上に馬乗りになっていたその男は絶命し、そのまま力なく横へゴロンと転がった。
それを見た他の二人は慌てて、投げナイフが飛んできた方を見る。
「下衆がっ!」
何時の間に現れたのかロナードがそう言うと、自分の近くにいた小太り気味の、河童の様な禿げ頭の中年の男に向かって、鞘から引き抜いた剣を思い切り振り下ろした。
「ひやあああっ!」
小太り気味の、河童の様な禿げ頭の中年の男は、慌てふためき、悲鳴を上げながら、尻餅を付く様な格好で地面の上に座り込むと、その頭上をロナードが振り下ろした剣が掠めたが、彼は間髪置かず、その男の顔面を靴底で思い切り蹴飛ばすと、男は白目を剥いて気絶した。
「この野郎!」
それを見た白髪混じりの無精髭を生やした細身の男が怒りを顕わにし、剣を手にロナードの側面から切り掛かったが、ロナードは慌てる事無く、振り向き様に剣を振り上げた。
男が手にしていた剣は、景気の良い音を上げて宙に舞い、驚き戸惑い、その場に立ち尽くしていた男を、ロナードは容赦なく叩き切った。
右肩から左脇腹に掛けて、切り付けられた白髪混じりの無精髭を生やした細身の男は、血飛沫を上げ、後ろのめりになって、枯葉が降り積もった地面の上に力なく倒れた。
ロナードは、慣れた手付きで剣に付いた血糊を振り落とすと剣を鞘に納め、その様子を呆然と見ていたレックスの方へ歩み寄り、
「立てるか?」
そう声を掛けると、地面の上に片膝を付け、身を屈めながら、レックスに手を差し出した。
「あ、ああ……」
レックスは戸惑いながらも、差し出されたロナードの手を取ると、彼はその細身とは反して、自分も立ち上がりながら、力強くレックスを引っ張る様にして彼を立ち上がらせた。
「わりぃ……」
レックスは、バツの悪そうな表情を浮かべながら、自分たちを助けてくれたロナードにそう言った。
「随分と、酷くやられたみたいだな」
男たちに散々蹴られ、鼻血を出し、口元に血を滲ませているレックスの顔を見て、ロナードは苦笑混じりに言った。
術師であった小太り気味の、河童の様な禿げ頭の中年の男が気絶したからか、アルシェラの体に巻き付いていた木の根などがフッと消え、体の自由を取り戻したアルシェラは、半ば放心し、ゆっくりと身を起こした。
「大丈夫か?」
ロナードは、ゆっくりとした足取りでアルシェラの下へと歩み寄り、彼女の前に身を屈め、そっと彼女の肩に手を添え問い掛けると、アルシェラはホッとしたのか両目から大粒の涙を流しながら、声を上げ、ロナードに抱き付いた。
「ふえぇぇっ。 ロナードぉ。 怖かった……怖かったよぉ」
アルシェラは泣きじゃくりながら、声を震わせそう言うと、ロナードの胸元に顔を埋め、更に激しく泣き出した。
ロナードは何も言わず、自分が着ていたジャケットを脱ぎ、彼女の背にそれを掛けてやると、気の毒そうな表情を浮かべながら、泣きじゃくっているアルシェラの頭を片手で優しく撫でた。
「うえーん」
アルシェラは大声を上げ、ロナードに抱き付いたまま、泣き続けた。
「……らしくないね……」
両腕を自分の胸の前に組み、ロナードに殺された、二人の男の遺体が入った遺体袋を兵士たちが運ぶ様子を見ながら、エルトシャンはロナードにそう言った。
「済まない……」
簡易椅子に座っていたロナードは俯き、沈痛な表情を浮かべながら、エルトシャンに言い返した。
「コイツをそんなに責めないでくれ。 オレ等を助けようとしただけなんだからよ」
少し離れた所で簡易椅子に座り、兵士に手当てをして貰いながらレックスは、バツの悪そうな表情を浮かべ、エルトシャンに言った。
「そうかも知れないけど、死者を出すのは感心しないよ。 受験者同士の殺生は駄目だって言ったよね?」
エルトシャンは、淡々とした口調で言うと、溜め息を付く。
「けどよ『止めろ』つて言って、聞く様な奴等じゃなかったんだぜ。 だから、オレも姫も酷い目に遭わされたんだろ。 最悪、こっちが死んでたかも知れねぇんだからよ」
レックスは真剣な面持ちで、エルトシャンにそう言って、ロナードを擁護する。
「そうよ。 ロナードが助けてくれなかったら、アタシ、大変な事になっていたわ」
着替えを済ませたアルシェラが、そう言いながら天幕の中から出て来た。
まだ自分が危うく強姦されそうになったショックを引き摺っているのではないかと思われたが、意外とケロッとしており、大丈夫そうだ。
(良かった。 俺が思っていたよりも、精神的ダメージは少なそうだな)
現れたアルシェラの姿を見て、ロナードは心の中でそう呟くと、安堵する。
「大体の事情は、アルシェラ様から伺いました」
アルシェラから事情を聞いていたセシアが、遅れて現れると落ち着き払った口調で言った。
(セシアに何て説明したんだ? アルシェラ……)
セシアの言葉を聞いて、ロナードは一抹の不安を覚え、心の中で呟いた。
(セシアにちゃんと説明出来たのかよ?)
レックスも、アルシェラの方を見ながら、とても心配そうな表情を浮かべ、心の中で呟いた。
「問題があったのは殺された男たちの方で、貴方には非は無いとアルシェラ様は仰っていますわ」
セシアは落ち着き払った口調で、ロナードにそう声を掛ける。
「そうかも知れないけど、受験者同士の殺し合いはルール違反だよ」
エルトシャンは淡々とした口調で、セシアに言い返すと、
「そうかも知れませんが、あの男たちは、アルシェラ様に強姦をしようとしていた不届き者です。 この場合、正当防衛だと思いますし、殺されても文句は言えないのではなくって?」
セシアは落ち着き払った口調で、エルトシャンに言うと、
「強姦……」
エルトシャンはそう呟くと、物凄く怖い顔をして、スクッと簡易椅子から立ち上がると、徐に生き残った小太り気味の河童の様な禿げ頭の中年の男がいる、天幕の方へと向かって行った。
それを見たロナードは、エルトシャンの纏う雰囲気から何か嫌な予感を覚えた様で、顔を引き攣らせながら彼を見送る……。
「エルトシャン様、急にどうしたんだよ?」
修羅の様な顔をしていたエルトシャンを見て、レックスは戸惑いの表情を浮かべ、徐にセシアに問い掛けると、
「その内、嫌でも分かりますわ」
彼女は落ち着き払った口調で、レックスの問い掛けに答えた。
暫くして、小太り気味の河童の様な禿げ頭の中年の男が、悲鳴を上げ、天幕の中から外へと逃げ出して来た。
そして、直ぐ後にエルトシャンは怒りに満ちた叫び声を上げながら、抜身の剣を手にし、天幕の中から勢い良く飛び出して来て、小太り気味の河童の様な禿げ頭の中年の男を執拗に追い駆け始めた。
「た、助けてくれ! 殺されるっ!」
小太り気味の河童の様な禿げ頭の中年の男は、慌てふためきながら、そう叫びながら彼等の前を通り過ぎて行き、周囲に助けを求める。
「この腐れ外道! 往生際が悪いよ!」
エルトシャンは鬼の形相でそう叫びつつ、小太り気味の河童の様な禿げ頭の中年の男を追って、彼等の前を通り過ぎて行った……。
ロナードやレックスは、怒り狂っているエルトシャンを見て、呆然としており、アルシェラはその様子が可笑しいのか、声を上げて笑う。
「ロナードの事、言えねぇじゃねかよ……」
レックスは、小太り気味の河童の様な禿げ頭の中年の男を追いかけ回すエルトシャンを見ながら、ボソリと呟いた。
「事情が事情なだけに、貴方にこれ以上の咎られるとは思えませんわ。 そう悲観する必要はありませんわ」
セシアは落ち着き払った口調で、複雑な面持ちのロナードに言った。
「……いや……。 アレは、止めなくて良いのか?」
ロナードは、エルトシャンの方を指差しながら、戸惑いの表情を浮かべ、セシアに問い掛ける。
「好きにさせておきましょう。 アルシェラ様も厳罰を望んでいらっしゃいますし、彼を裁判に掛けたところで道、長くは無い命ですわ」
セシアは苦笑いを浮かべつつも、落ち着き払った口調で、ロナードに言い返した。
「まあ、貴族の子女に暴行と強姦未遂を働いたのだ。 ギロチン台行きは確実だろうて」
白髪混じりの焦げ茶色の短髪、眼光鋭い深い緑色の双眸、白髪混じりの立派な顎鬚を持ち、肩幅が大きく、ガッチリとした体付き、温和そうな風貌の初老の男が、落ち着いた口調でそう言いながら、テーブルを挟んで、ロナードの向かいの席に腰を下ろした。
ロナードは無言のまま、軽く会釈をした。
「お、お館様っ!」
レックスはそう言うと、慌てて座っていた簡易椅子から立ち上がり、深々とその初老の男に向かって頭を垂れた。
(お館様が、態々来てるなんて……)
レックスは頭を下げだたまま、チラリと初老の男を見ながら、心の中で呟いた。
「お父様っ♪」
アルシェラは嬉しそうな表情を浮かべ、そう言ってその初老の男に手を振ると、彼はニッコリと笑みを浮かべ、彼女に手を振り返した。
「お早いお着きでしたわね。 オルゲン将軍」
セシアは落ち着き払った口調で、レックスが『お館様』と呼んだ初老の男に、そう声を掛ける。
「人手が足りないと聞いてな。 仕事を早めに切り上げて来たのだ」
オルゲン将軍は、穏やかな口調でセシアにそう答えてから、ロナードの方へと目を向け、
「アルシェラの危ない所を助けてくれたそうだの? 父親として、お礼を言わせて貰う」
穏やかな口調でロナードにそう言うと、ニッコリと笑みを浮かべた。
「礼には及ばない」
ロナードは、淡々とした口調で返す。
「そなたは、怪我などはしとらんかね?」
オルゲン将軍は、優しい口調でロナードに問い掛ける。
「問題ない」
ロナードは、素っ気ない口調で答えると、
「其方には、嫌な事をさせてしまったの……。 済まぬ」
オルゲン将軍は申し訳なさそうにそう言うと、テーブルの上で無造作に組んでいたロナードの両手を、そっと優しく包んだ。
レックスはその時、ロナードが人を殺してしまった事に、強い罪悪感を抱いており、その手が微かに震えている事に気が付いた……。
多分、これまでもロナードは傭兵と言う仕事柄、幾つも命のやり取りをして来た筈で、その中には自分の意図とせず、命を奪ってしまった事もあるだろう。
それでもやはり、慣れる事は無いのだと、ロナードを見ていてレックスは思った。
「顔色が悪い。 天幕で休んで行きなさい」
オルゲン将軍は、優しい口調でロナードの背中をさすりながら言うと、彼は頷き返した。
「セシア。 休める場所へ頼めるかの?」
オルゲン将軍は落ち着いた口調で、近くにいたセシアに声を掛ける。
「はい」
セシアはそう言うと、ロナードに歩み寄り、彼の側に身を屈めると、
「参りましょう」
優しい口調で声を掛けると、ロナードは頷き返し、椅子から立ち上がろうとした途端、足元から崩れる様に大きくよろめいて、彼はとっさに、椅子の背を掴む。
「大丈夫か?」
オルゲン将軍は慌てて椅子から立ち上がり、ロナードの背に手を添えつつ声を掛ける。
「大丈夫……。 少し……眩暈がしただけだ」
ロナードはそう言うと、オルゲン将軍に支えられる様にして、ゆっくりと立ち上がった。
「この数日、立て続けに魔術を用いた所為かも知れないですわ。 兎に角、休んで下さい」
セシアは、オルゲン将軍に代わり、ロナードを支えながら優しい口調でそう言うと、彼は頷き返し、彼女に促され、近くの天幕の中へと消えて行った……。
「大丈夫なの?」
流石のアルシェラも、心配そうな表情を浮かべ、ロナードが入って行った天幕の方へと目を向け、そう言った。
「疲れも溜まっていたのかも知れん」
オルゲン将軍も、心配そうな表情を浮かべながら言うと、
「レックス」
徐に、レックスにそう声を掛ける。
「は、はいっ!」
レックスは慌てて背筋をピンと伸ばし、返事をする。
「側でロナードの護衛を」
オルゲン将軍がそう言うと、レックスは頷き返し、急いでロナードが居る天幕の方へと駆け出した。
「それで、試験はどうするのかね? 続けるつもりか?」
翌日、オルゲン将軍は、回復したロナードに問い掛けると、彼は真剣な面持ちで頷き返し、
「タグを集めていないどころか大きくマイナスだ。 残りで挽回したい」
真剣な面持ちで、オルゲン将軍に言った。
「そんなに焦る必要は無い。 寧ろ、アルシェラを襲った輩を手早く始末した点は流石だ。 例え、其方が害さずとも、この事が明るみになれば、どの道ギロチン台は避けられぬ。 其方のした事は、人として当然の反応だ」
オルゲン将軍は落ち着いた口調で、ロナードに言い返した。
「そうだとても、ルールは守るべきだった」
ロナードは複雑な表情を浮かべ、重々しい口調で言うと、
「確かに其方の言う通り、ルールを守る事は大切だ。 だが、何事にも例外があるのもまた事実。 状況に応じて瞬時に最良の判断を下し、行動に移せる。 それが儂等が其方に求めている事だ」
オルゲン将軍は落ち着き払った口調で、ロナードにそう言う。
「まあ兎に角、あんな切られて当然な事をしたクズたちの事を、君が何時までも気にする必要は無いと思うよ」
エルトシャンも、穏やかな口調でロナードに言った。
「そうよ。 このアタシに手を出そうなんて、身の程知らずも何とかってヤツよ」
アルシェラも真剣な面持ちで、ロナードに言うと、
「『甚だしい』ね」
エルトシャンはサラッと、アルシェラにそう補足をすると、
「そう。 それ!」
アルシェラはポンと手を叩き、真剣な面持ちで言った。
(その位の言葉ちゃんと覚えてろよ。 聞いてるこっちが恥ずかしいぜ)
アルシェラの言動を見て、レックスはゲンナリとした表情を浮かべ、心の中で呟いた。
「レックスも行くのか?」
不意にオルゲン将軍に声を掛けられ、レックスはハッとして、
「えっ。 あ、はい」
問い掛けられた意図がイマイチ理解出来ぬまま、慌ててそう返すと、
「まあ君は、自分から受験を志願した身だからね。 ここで試験を止める理由も無いか……」
エルトシャンは、片手を自分の顎の下に添えつつ、『納得』と言った様子で呟いた。
「まあ、合格してぇし……」
レックスは、複雑な表情を浮かべつつ、片手で頭を掻きながら、エルトシャンに言った。
「君はどうするの? アル」
エルトシャンは最後に、アルシェラに問い掛けた。
「そんなの続けるに決まってるわ! アンタに負けてられないんだから! アタシは!」
アルシェラは偉そうに、両腕を自分の胸の前に組み、『当然』と言わんばかりにそう言った。
「ふむ……。 意気込みはかうが、そなたはもう止めた方が良くないかの?」
オルゲン将軍は苦笑いを浮かべながら、アルシェラに言うと、
「何でそんな事言うの? お父様」
アルシェラは、不満そうな表情を浮かべ、口を尖らせ、強い口調でオルゲン将軍に言い返した。
「大体さ、殿下や伯父上に無断で参加してる時点で、かなり問題だと思うよ。 それに君が参加して何になるって言うの?」
エルトシャンは、アルシェラに落ち着き払った口調でそう指摘すると、オルゲン将軍もうんうんと何度も頷く。
「はぁ? 言ってる意味、分かんないし! そんな事言ってアタシの邪魔しないでくれる? エルト」
アルシェラは、ムッとした表情を浮かべ、半ば喧嘩腰に言い返す。
「……じゃあ、ロナードやレックスの邪魔になるから、止めなさいって言えば分かる?」
彼女の態度に、エルトシャンは深々と溜息を付いてから、真剣な面持ちでそう言い放った。
「酷いっ!」
エルトシャンにハッキリと言われ、アルシェラは悲しそうな顔を浮かべ、そう言ってから、
「アタシ、ロナードの邪魔なんてした事なんて無いわよねぇ?」
ロナードに助けを求める様に、上目遣いをしながら、彼に問い掛ける。
「もう十分してるじゃない。 君の所為で、一緒にいたレックスは昨日ボコボコにされて、ロナードは本来、殺さなくても良い人を殺しちゃった訳でしょ? 完全に二人の足を引っ張ってるよ。 二人に文句を言われて当然だって、分かってる?」
エルトシャンは、なかなか引き下がろうとしないアルシェラにウンザリしつつも、落ち着き払った口調でそう指摘した。
「うっ……。 えっと……それはぁ……」
エルトシャンに痛い所を突かれ、アルシェラは返答を窮する。
(流石はエルトシャン様。 オレ等が姫に言いにくい事も、ハッキリ言ってくれるぜ)
アルシェラ相手でも臆する事無く、容赦なく自分の意見を言うエルトシャンを見て、レックスは心の中で呟くと、心の中で拍手を送った。
「そうじゃ無くても、世間知らずで自分では何も出来ない君が、二人の役に立てるとは到底思えないよ」
エルトシャンは真剣な面持ちで、トドメの一言をアルシェラに言った。
「うえ~ん。 エルト酷いーっ」
アルシェラは少しは自覚がある様だが、引き下がる気は無いのか、泣き真似をしながら、助けを求める様に、ロナードとレックスに視線を送った。
「そうやって、自分の我が儘を相手に押し付けるのは止めなよ。 二人だって都合があるんだよ? 君の所為で二人が試験に落ちたらどうする気なの?」
アルシェラの態度を見て、エルトシャンは呆れ果てた表情を浮かべ、言った。
「その時は、アタシが合格にする様にカタリナ様に言うしぃ!」
アルシェラは、ムッとした表情を浮かべながら、エルトシャンに言い返した。
(いや。 それ、不正だろ……)
ロナードは、思わず心の中でアルシェラにそう突っ込んだ。
「流石にそれは、どうかと思うがの……」
アルシェラの発言に、オルゲン将軍は苦笑いを浮かべながら言った。
「……君にそんな事をして貰ってまで合格して、二人が喜ぶと君は本気で思っているの?」
彼女の言葉を聞いて、エルトシャンは呆れた表情を浮かべ、深々と溜息を付いてから、アルシェラに問い掛けた。
「合格するんだから、別に良いでしょ?」
アルシェラは『何がいけないの?』と言う様な顔をして、強い口調でエルトシャンに言い返した。
「……だから君は、『空気読めない』って言われるんだよ。君、自分が二人の努力とかプライドとかを踏み躙るって分かってる?」
エルトシャンは業とらしく、特大の溜息を付いてから、自分の額に片手を添えて、何処か疲れた様な、ゲンナリした口調で彼女に言った。
「そんなつもりは無いのにぃ。 酷いーっ」
アルシェラはムッとした表情を浮かべ、泣き出しそうな顔をして、エルトシャンに言い返す。
「僕に指摘されるまで、酷い事をしようとしてたのは誰だよ」
エルトシャンは力なく溜息を付いてから、呆れた様子でアルシェラにそう言ってから、徐に二人のやり取りを黙って見守っていたもロナードとレックスに向かって、
「アルが納得するまで説明してたら日が暮れちゃうから、彼女を置いて、二人だけで会場に戻って良いよ。 君たちは、こんな事に時間を割いてる場合じゃないでしょ?」
落ち着き払った口調で言った。
レックスは、どうするべきか困惑していたが、ロナードは、スッと座っていた簡易椅子から立ち上がると、
「悪いが、そうさせてもらう」
淡々とした口調で、エルトシャンにそう言うと、テーブルの上に置いてあった自分の剣を手に取った。
「そんなぁ。 ロナードぉ。 本当にアタシを置いて行く気なのぉ?」
ロナードの言動に、アルシェラは、泣き出しそうな表情を浮かべ、甘える様な口調で問い掛ける。
「悪いが、アンタに付き合っている場合では無いんだ。 俺にも譲れない事情があるからな」
ロナードは、剣を自分の剣ベルトに装備しながら、何処か突き放す様な淡々とした口調で、彼女に言い返してから、物凄く複雑な表情を浮かべ、
「それに、また、アンタを助ける為に誰かを殺してしまったら、今度こそ洒落にならない」
重々しい口調で付け加えた。
「言ってる意味、分かんな~い」
アルシェラは思い切り顔を顰め、首を傾げながら、ロナードに言い返す。
(一発、殴ってやろうか! 誰の所為でこんな事になっていると……!)
アルシェラの言動に、ロナードはイラッとして、思わず心の中でそう叫んだが、グッと抑える。
「君の所為で、試験に落ちたらホントに洒落にならないもんね」
エルトシャンは、意地悪くそう言うと、ニッコリと笑みを浮かべると、アルシェラはジロリと彼を睨み付ける。
「戻るぞ。 レックス」
ロナードは落ち着き払った口調で、レックスにそう声を掛けた。
「えっ。 あ。 お、おおう」
不意にそう言われ、レックスは一瞬戸惑ったが、彼にそう返事をすると、直ぐに自分の二本の剣を手に取り、簡易椅子から立ち上がり、ロナードの下へと駆け寄った。
その様子をアルシェラは、物凄く不満そうな顔をして睨んでいる。
「気にしないで。 僕が君たちを追いかけない様に見張ってるから」
アルシェラの視線に気付き、困っていたレックスに、エルトシャンは苦笑いを浮かべながらそう言って、彼等を試験会場へ向かう様に促した。
アルシェラを置いて試験を再開したロナードとレックスは、霧雨が降りしきる薄暗く、肌寒い森の中を黙々と歩いていた。
「なあ。 本当に姫を置いて来て良かったのか?」
レックスは戸惑いの表情を浮かべながら、一度も後ろの天幕の方を振り返る事無く、スタスタと自分の前を行くロナードに声を掛けた。
「あんなのを連れていたら、合格するよりも先に失格になるぞ。 今回だって見方によっては黒なんだからな」
ロナードは不意に足を止め、レックスの方へと振り返ると、真剣な面持ちで言った。
「それは……。 そうだけどよ……」
レックスは困った様な表情を浮かべ、口籠らせながら呟く。
「変に同情して本来の目的を見失うな」
ロナードは真剣な面持ちと、強い口調でレックスに言った。
「お、おう……」
レックスは、自分を真っ直ぐ見据えるロナードの、強い意志の籠った眼光に圧倒されて、戸惑いつつもそう言い返すと、彼は踵を返し、また黙々と森の中を歩き始めた。
水分を含んだ枯葉は重たく、しかも良く滑り、水はけが悪くぬかるんでいる場所もあり、天気の良かった最初の二日間に比べ、足元が悪い森の中を移動するだけでも、かなりの体力を要した。
雨の所為なのか、魔物の活動が鈍くなっているのか、それとも殺気立っているロナードの気配に警戒しているのか、二時間近く魔物を探して森の中を歩き回ったが、一向に見付からない。
その間にも雨脚は強くなってきて、濃い霧まで出て来はじめた。
「これでは埒が開かないな……」
ロナードは不意に足を止め、雨が降りしきる空を見上げ、流石に歩き続けた所為で息を弾ませ、ベッタリと張り付いた前髪から額を伝い、頬を流れ顎へと流れる雨粒を手で拭いながら呟いた。
「何処かで雨宿りして、火ぃ起こそうぜ」
雨に打たれ続けた所為で、体はすっかり冷え切ってしまい、靴の中も水が入って歩きにくくなってしまっているので、レックスはこれ以上歩き続ける事は厳しいと思い、ロナードにそう提案した。
「そうだな……」
ロナードも同意を示したが、そうは言っても、森の中では雨を凌げそうな場所も無い。
「って言っても、ここじゃ何にもねぇよな……」
レックスは辺りを見回しながら、困った様子で呟いた。
「もう少しだけ歩いて、何処か雨宿りが出来そうな場所を探そう」
此処では雨宿りは無理と判断したロナードは、レックスに言った。
「だな」
レックスは直ぐには休めないと分かると、ドッと疲れを感じたが、軽く溜息を付いてから、ロナードに言い返した。
やがて二人とも、雨で足場が悪い中、長く歩いていた所為で、足も棒の様になり、次第に重く感じられる様になってきて、日は傾きだし、ますます森の中は暗くなって来た……。
(今日は完全に、無駄に時間と体力を使っただけだったな……)
レックスはそんな事を思いながら歩いていると、不意にロナードが足を止め、表情を険しくして辺りを忙しく見回し始めた。
(おいおい……。 まさか魔物じゃねぇだろうな……)
ロナードの様子を見ながら、レックスはゲンナリした表情を浮かべながら、心の中で呟いた。
日が暮れ始めたので、夜行性の魔物が、活動を始めだしたのかも知れない。
ガサガサと茂みを掻き分け、二人の前に現れたのは、ライオンの様な鬣を生やした、血の色をした大きな人間の顔と耳、大きな口には鋭い牙が三列並び、ライオンの体に、蠍の尾に似た尻尾を生やした、目の色は青みがかった灰色、大きさは雄のライオン程ある。
(マジか! ツイてねぇぜ……)
レックスは目の前に現れた、如何にも獰猛そうな魔物を一目見て、絶望に近い感情と共に、心の中で呟いた。
彼らの前に現れたのは『マンティコア』と呼ばれている魔物で、人間を好んで食すと言われており、口の中に並んだ三列の鋭い牙と強靭な顎で、人間の頭蓋骨を簡単に噛み砕く事が出来る。
その動きは、鹿の様に素早く、蠍の様な尻尾から、針金の様に太くて鋭い毒針を連射する事が出来、その毒針は象でも三十分もしない内に絶命すると言われている。
万が一、マンティコアに出くわしたら、『形振り構わず逃げるべし』と言うのが、一般常識となっている程で、目が合ったら奴の餌になる事を覚悟した方が良いとまで言われている。
そんな最悪な魔物と鉢合わせてしまい、レックスは恐怖のあまり、足が竦んで動けなくなってしまった。
「伏せろっ!」
ロナードの叫び声と共に、レックスはドンと背中を思い切り押され、勢い良く、湿った枯葉が降り積もった、地面の上にスッ転んだ。
「何しやがっ……」
レックスは徐に頭を上げ、自分を突き飛ばしたロナードにそう文句を言おうとした時、ガッと彼に頭を掴まれ、思い切り地面へ押さえつけられた。
間髪置かず、針金の様に鋭い針が風を切る音共に、レックス達の頭上を掠めていった。
(あ、危ねぇ……)
それに気付いたレックスは、焦りの表情を浮かべ、心の中で呟いた。
毒針攻撃が止んだ途端、ロナードは素早く立ち上がると、マンティコアに掌を向けた。
すると、ブワッと物凄い勢いの風が巻き起こったと思った瞬間、マンティコアが後ろにひっくり返った。
「逃げるぞ!」
ロナードはレックスの腕を掴み、彼を立ち上がらせながら、強い口調で言った。
レックスは、ロナードに言われるがまま、自分たちが歩いて来た方向へ、一目散に走り出した。
雨に泥濘、時に足を滑らせ、落ち葉の下に隠れていた水溜りに思い切り足を突っ込もうとも、前を走るロナードの靴の裏から跳ねた泥が顔に付こうと、お構いなしに、レックスは必死に自分の前を走るロナードの後に続いて走り続けた。
けれど、地面の上に降り積もり湿った落ち葉を強く踏みしめる音と、水溜りの水が勢い良く飛沫を上げる音、そして獣独特の息使いが、ずっと後ろから聞こえて来ていて、マンティコアが自分たちの後を追い駆けて来ている事が嫌と言う程、彼の背中越しに伝わって来た。
「伏せろっ!」
ロナードの叫び声を聞いて、レックスは訳の分からぬまま、言われた通りに身を伏せた。
次の瞬間、バリバリバリっと言う、遠くで落雷があった様な轟音と共に、電気の帯が彼の頭上を掠めていった。
「ひーっ。 ●@△*◇#っ!」
レックスは恐怖のあまり、両手で自分の耳を塞ぎ、身を伏せたまま、もはや言語と言うよりも悲鳴と言って良い様な訳の分からぬ事を叫んでいた。
遠くで落雷があった時の様な音が止んだ途端、辺りは水を打った様に静まり返った……。
レックスは恐る恐る顔を上げ、後ろを振り返ると、電気の帯が通り抜けたのか、柱の様に乱立していた木々がなぎ倒され、木が焦げる独特の臭いと共に白い煙が上がっていて、地面は大きく抉れ、地面に降り積もっていた無数の落ち葉は燃えながら、ヒラヒラと舞っている。
そして、少し離れた場所に、真っ黒になった四足の獣と思われる物が肉が焼き焦げる臭いを放ちつつ、全身から白い煙を上げながら横たわっていた。
恐らく、この黒い大きな塊は、彼等を執拗に追い駆けていたマンティコアに、先程の電気の帯が直撃した、なれの果てと思われるが……。
だが、獰猛極まりないマンティコアを一瞬で丸焦げにしてしまった、凄まじいエネルギーを持った電気の帯は、一体何処から出て来たのだろうか……。
レックスはそんな事を思いつつ、徐にロナードの方へと目を向けると、彼の背後に何か、とても大きなモノがいる事に気が付いた。
全身は光沢のある濃いエメラルドグリーン、尾羽近くの羽の色は黒、腹部が鮮やかな赤、黄色い曲がった嘴、美しく長い飾り羽を持った、悠に三メートルはあろうかと言うほど巨大な、これまで見た事も無い不思議な鳥……。
「ひ――っ! たすたすたすたす……」
レックスは新手の魔物と思い、すっかり腰が抜け、半泣きになり、情けない声を上げると、ヘタリ込んだままの格好で、地面を這う様にして物凄い勢いで後退りをした。
「落ち着けレックス。 これは味方だ」
ロナードは、自分の後ろに立っている、謎の生き物を見てすっかり混乱し、アタフタしているレックスに向かって、落ち着き払った口調でそう声を掛ける。
「へっ?」
ロナードの言葉を聞いて、動転していたレックスは、キョトンとした表情を浮かべ、間抜けた声を上げる。
「俺が召喚した幻獣だ」
ロナードは、落ち着き払った口調で、レックスにそう説明するが、
「げんじゅ? しょかん?」
レックスはロナードの言う事が理解出来ず、困惑を隠せない様子で呟く。
「俺の命令が無い限り、お前を襲う様な事はしない」
ロナードは、落ち着き払った口調で言うと、レックスは戸惑いの表情を浮かべつつ、ロナードの後ろに立っている、見た事も無い巨大で不思議な鳥を見上げる。
レックスの視線に気付いたその鳥は、静かに彼を見つめ返して来たので、レックスは一瞬焦ったが、彼を見つめるその大きな黒い瞳は、とても穏やかで、敵意や殺意など微塵も感じさせなかった。
「ケツァール。 もう下がって大丈夫だ」
ロナードは、その巨大な鳥の体を優しく撫でながら、穏やかな口調でそう言うと、その巨大な鳥は無数の光の粒となって、フッとその場から消えてしまった。
レックスは、手の込んだマジックを見せられた様な、お化けを見た時の様な……何だかとても、フワフワとした落ち付かない気持で、ポカーンと口を半開きにし、目を一点に凝視したまま、暫くの間、巨大な美しい鳥が立っていた場所を見つめていた。
傍から見ると、とても間抜けな顔であったに違いない……。
「大丈夫か?」
ヘタリ込んだまま、呆然としているレックスに、ロナードは戸惑いながら声を掛けると、彼はハッと我に返り、慌てた様子でロナードを見上げた。
(もしかしてコイツ、オレなんかよりずっと、すげぇ奴なんじゃ……)
戸惑った様子で、自分を見下ろしているロナードを見ながら、レックスは心の中で呟いた。
今まで、色んな芸人一座の出し物を見て来たが、今日ほど、度肝を抜かれた経験は無く、手品など比べ物にならない程、凄い物を見たのではないかと、レックスは感じていた。
そんなレックスを余所に、ロナードはガサゴソと黒焦げになって絶命しているマンティコアの亡骸を漁っていたが、何かを見付けると、嬉しそうな、何処かホッとした様な顔をして戻って来て、
「タグ、あったぞ」
ロナードはそう言って、炭で真っ黒になった手に握り絞めている、タグを彼に見せた。
電撃を受けた所為か、タグは奇妙な方向に曲がってしまっていたが、鎖に三つも連なっていた。
「やったぜ!」
レックスは、先程の衝撃はどこへやら……嬉々とした表情を浮かべ、腰が抜けていたのが嘘だったかの様に、スクッ立ち上がり、
「うほほ――っ! これでタグが六つ!」
一人は確実に合格出来る数が集まり、レックスは嬉々とした声を上げ、嬉しさのあまり、ロナードに抱き付いた。
気が付けば、何時の間にか、あれだけ激しく降っていた雨も止んでいた……。
日がすっかり傾いた頃、ロナード達は運良く洞窟を見付け、そこで一晩を明かす事にした。
「何か、今日は色々あったけどよ。 結果オ―ライじゃね?」
レックスは嬉しそうに、タグを自分の目の前に翳しながら言った。
だが、ロナードが何も言って来ないので、レックスはキョトンとした表情を浮かべ、彼の方へと目を向ける。
雨の中での移動で疲れたのか、ロナードは長身な身体をくの字に曲げて、地面の上に横たわり、小さな寝息を立てて眠っていた。
「何だよ。 もう寝たのかよ」
レックスは、先程まで起きていたのに、自分が少し目を離した隙に眠ってしまったロナードに拍子抜けした様子でそう呟いた時、何処からかバラの香りに似た、甘い香りが漂って来た。
「レックス」
そして不意に、至近距離から聞き覚えのある、若い女の声がしたので、彼はビクッと身を強張らせ、慌てて声がした方を見上げた。
すると、何時の間にそこに居たのか、セシアが両腕を胸の前に組んで、自分の側に立っていた。
(何時の間にそこに居たんだ? 。全然、気が付かなかったぜ)
レックスは、戸惑いの表情を浮かべながら、心の中で呟いた。
「その様子では、私が来た事にも、気付いていなかった様ですわね?」
セシアは、レックスが焦っているのを見て、淡々とした口調で彼に言った。
「な、何だよ……」
レックスは戸惑いの表情を浮かべつつ言うと、セシアを見る。
「私がその気になれば、貴方、今の間に死んでますわよ?」
セシアは呆れた表情を浮かべながら、レックスに言うと、
「なっ……」
彼は思いがけぬセシアの言葉に、表情を強張らせ、警戒の色を浮かべる。
「その程度で良く、魔物退治をしようなどと思いましたわね?。貴方、ロナード様がいなければ、初日で死んでますわよ?」
セシアは馬鹿にした様な口調で、自分を睨んでいるレックスに言った。
「う、五月蠅せぇなっ! んな事を言いに態々来たのかよ! つーか、オメェが来た事も気付かず、呑気に寝てるコイツはどーなんだよ?」
レックスは、ムッとした表情を浮かべ、眠って居るロナードを指差しながら、強い口調でセシアに言い返すと、
「ロナード様は、ちゃんと私に気付きましたわよ。 でも、現れた相手が私だと分かって、油断した様ですわね」
セシアは、軽く溜息を付いてから、眠って居るロナードを静かに見据えつつ、落ち着き払った口調で、そう答えた。
「まさかオメェが、ロナードを眠らせたって言うのかよ?」
セシアの言葉を聞いて、レックスは戸惑いの表情を浮かべつつ、セシアに問い掛ける。
「ええ。 相当、疲れていたのでしよう。 ご覧の通りグッスリですわ。 貴方が騒いだ程度では起きないでしょうね。 可哀想に。 体力馬鹿のペースに合わせるのはさぞ大変でしょう」
セシアは、淡々とした口調で言った。
「何が目的だ!」
セシアの言葉を聞いて、レックスは表情を険しくし、彼女に向かってそう叫ぶと、自分の足元に置いていた剣を手に取り、立ち上がり、身構える。
自分に対し、警戒心剥き出しのレックスを見て、セシアは特大の溜息を付き、肩を竦めてから、
「目的……と言う程の事でもありませんわ。 ただ貴方が今、その手に持っているタグを自分の手柄とするつもりでいるのか……。 それを確かめたかっただけですわ」
両腕を胸の前に組んだまま、洞窟の壁に身を凭れ掛けながら、落ち着き払った口調で言った。
「どう言う意味だよ?」
レックスは思い切り眉間に皺を寄せ、セシアに問い掛ける。
「貴方がそのタグを手にする事が出来たのは偏に、ロナード様のお蔭でしょう? 何もしていない貴方が、それを持っている権利がありまして?」
セシアは、レックスが片手に握りしめたままのタグを指差しながら、淡々とした口調で言った。
「そ、それは……」
彼女の鋭い指摘に、レックスは自分が握りしめているタグへ目を向けながら、苦々しい表情を浮かべ、そう呟く。
「貴方も知っての通り、他の受験者とは少し事情は違いますけれど、ロナード様も貴方たちと同様、私達に試されている身。 本来、そのタグを持つべきなのはロナード様なのではなくって?」
セシアは淡々とした口調で、バツの悪そうな顔をして、自分を見ているレックスに言った。
「それはそうかも知れねぇけど、ロナード本人が『要らない』っていてるんだぜ? だったら貰わなくてどうするよ?」
レックスは困惑した表情を浮かべ、時折口籠らせつつ、セシアに言い返すと、彼女は溜息を付くと、物凄く呆れた表情を浮かべ、
「……貴方は馬鹿でして? 『要らない』と言ったのは、自分ならば残りの日数内で、必要数を揃えられる自信があるからで、本当に必要無い訳ではありませんわよ」
「そ、そうだったのかよ……」
セシアの言葉を聞いて、レックスは戸惑いを隠せない様子で言った。
「大体、自分は大した努力もせずに、他人が得たタグで合格しようと言う、貴方のその性根が気に入りませんわ。 他の受験者たちと同様に、貴方にもそれ相応の努力と、組織に加わるに相応しいと言う実力を示してもらわなければ、フェアではありませんわ」
セシアは、鋭くレックスの方を睨みながら、強い口調で言った。
「んな事言われても……。 コイツと一緒に居たんじゃ、正直、オレの出番なんてねぇぜ?」
セシアの批判に、レックスは戸惑いの表情を浮かべつつ、彼女に言い返すと、
「ならば、ロナード様と行動を共にする事を止めなさい」
彼女は淡々とした口調で、そう言い放って来た。
「はあ? 何言ってんだよ! ロナードと一緒に行動しろって言ったのは、オメェじゃねぇかよ」
レックスは、驚きの表情を浮かべ、口を尖らせながら彼女に言い返した。
「それは、アルシェラ様とロナード様が万が一の事にならない様、監視する為だと申し上げた筈ですわ。 アルシェラ様がいない今、貴方がロナード様と行動を共にしなければならない理由は無いでしょう?」
セシアは淡々とした口調で、納得いかない様子のレックスにそう説明する。
「んな勝手な!」
彼女の言葉を聞いて、レックスはムッとした表情を浮かべ、強い口調で言い返す。
「ロナード様には、私の方から事情を説明しますわ。 ですから何も気にせず、貴方は残りの時間内で自分の実力を存分に発揮なさい」
セシアは、落ち着き払った口調で、レックスに言った。
(ぞ、『存分に発揮しなさい』って、んな無茶苦茶な! ロナード無しとかぜってぇ無理だろ! この女、オレを殺してぇんじゃねぇのか?)
彼女の言葉を聞いて、レックスは戸惑いの表情を浮かべながら、心の中でそう呟くと、チラリと彼女の方へ目を向ける。
「貴方自身の甘えを無くさない限り、竜騎士だった貴方のお父様を超える事なんて、これから先も無理よ」
セシアは、戸惑っている様子のレックスに、淡々とした口調で言い放つと、彼女に自分が一番気にしている事をズバリと言われ、
「んな……」
思わず言い返そうとしたが、彼女に睨まれ、返す言葉を失い俯いた。
(何なんだよ。 この女っ! 人が一番気にしている事を、ズゲズゲと!)
レックスは自分の足元に目を落としたまま、不満に満ちた表情を浮かべ、心の中で呟く。
「まず周囲の人間に、自分自身を認めて貰う為には、この試験を意地でも合格しなくてはね」
セシアは複雑な表情を浮かべ、俯き、黙り込んでいるレックスに、淡々とした口調ながらもズバリと言い放った。
(畜生っ! 言ってくれるぜ!)
彼女の言葉を聞いて、レックスはムッとした表情を浮かべ、心の中でそう呟くと、セシアをキッと睨み付ける。
「わあったよ! やりゃ良いんだろ? やりゃあ!」
レックスは半ば自棄糞気味に、強い口調でセシアにそう言い放った。
後で、死ぬほど後悔する事になるのだが、もう後の祭りであった……。
「う……ん……」
ロナードは、微かに差し込んで来る日差しの眩しさに思い切り顔を顰めつつ、ゆっくりと目を開いた。
(あれ……。 俺、何時の間に眠ったんだ?)
ロナードは、ボンヤリとした表情を浮かべつつ、心の中で呟くと、昨日、眠ってしまう前の事を思い出した時、ふとセシアの顔が浮かんだ途端、胸騒ぎを覚えた。
「レックス!」
ロナードはそう叫びながら、勢い良く身を起こし、慌てて辺りを見回した。
何故か、持って来た覚えも無い毛布が、肩の上から足元へ滑り落ちた。
「おはようございます」
目を覚ましたロナードに、焚火の前に腰を下ろして、火の番をしていたサムートが、落ち着いた口調で、そう声を掛けて来た。
「サムート……。 お前また……」
ロナードは、戸惑いの表情を浮かべ、何食わぬ顔をして、自分の足元に座り、穏やかな表情を浮かべ、自分を見ている彼に恨めしそうに呟く。
「レックスでしたら、朝早く一人で行ってしまいましたよ」
サムートは、落ち着き払った口調で、戸惑っているロナードにそう答えた。
「お前、アイツに何か言ったのか?」
サムートの話を聞いて、ロナードは俄かに表情を険しくし、唸る様な低い声で問い掛ける。
「言ったのは私では無く、セシア殿です」
サムートは、自分を睨むロナードに対し、落ち着き払った口調でそう答えた。
セシアは昨夜突然、自分たちの前に姿を現し、ロナードと目が合うと、軽く会釈をして顔を上げた直後、ニッコリと笑みを浮かべながら、いきなり魔術を見舞って来た。
突然の事に反応が出来なかったロナードは、強烈な睡魔に見舞われ、フッと意識が遠退き、その後の事は何も覚えておらず、朝を迎え、目を覚ました……。
影の向きや、日の高さなどを見る限り、昼近くまで熟睡してしまっていた様だ……。
「あの女っ……」
ロナードは、苦々しい表情を浮かべ呟く。
「レックスは貴方から貰ったタグで、試験を合格しようと考えていた事をセシア殿に咎められ、残りの期間を一人で過ごす事にした様です」
サムートは落ち着き払った口調で言うと、鍋で沸かしていた湯に、持っていた紙袋の中から、乾燥した葉っぱの様な物を入れる。
「正気か?」
サムートの話を聞いて、ロナードは戸惑い表情を浮かべ、思わずそう言った。
「私もそう思いますが、彼が一晩考えて決めた事ですし、試験官でも無い私が、彼にとやかく言える立場では無いと思い、黙って送り出すしか無かったのですが……」
サムートは、複雑な表情を浮かべつつ、ロナードにそう答えた。
「何故、俺を起こさなかった?」
ロナードは、不満そうな表情を浮かべ、自分を起こさなかったサムートに問い掛ける。
「この試験に関して私はあくまで、若様を見守る立場ですし、セシア殿にも強く止められたからです」
サムートは、落ち着き払った口調でロナードに言うと、足元に置いてあった木で出て来たコップに鍋の中に入っている液体を注ぐ。
「レックスも、何を考えてるんだ……」
サムートの話を聞いて、ロナードは複雑な表情を浮かべ呟くと、軽く溜息を付いた。
「セシア殿に、あの様な物言いをされては、引くに引けなくなったのでしょう……」
サムートは、気の毒そうな表情を浮かべつつ言った。
「アイツは、他の受験者へのハンデの為に、俺に付けていたのでは無かったのか?」
ロナードは、意味不明と言った表情で呟く。
「そうだったのでしょうが、このままでは、レックスが何もせずに試験に合格してしまう事になるので、変更したのでは? 彼女としては、もう少しレックスが戦闘に加わるものと思っていたのかも知れませんね」
サムートは落ち着き払った口調で言うと、ロナードに鍋から注いだ液体が入った、木のコップを差し出した。
差し出されたコップから、紅茶の良い香りが漂って来た。
(だからと言って、アイツもアイツだ。 死ぬ気か?)
ロナードは心の中で呟きながら、サムートから差し出された木のコップを受け取ると、複雑な表情を浮かべる。
「あのヘタレが、最終日までにタグを手に入れる事が出来ると思うか?」
ロナードは徐にサムートに問い掛けると、
「無理でしょうね。 彼が相手にするには、ここの魔物はレベルが高過ぎます」
サムートは何の躊躇いも無く、淡々とした口調でそう即答した。
「俺もそう思う。 アイツを一人にするなど、腹を空かせた狼の群れの中に、兎を一匹放り込むに等しい事だ。 その様な事を態々させるセシアの意図が理解出来ない……。 死人を出すだけだぞ」
ロナードは、思い切り眉間に皺を寄せ呟く。
「お言葉ですが、既に受験者の中には己の力量を見誤り、魔物に挑んで命を落とした者も随分と出ています。 今更、一人増えても大差はないと、セシア殿は思ったのかも知れません」
サムートは淡々とした口調で、ロナードにそう語る。
「そうだとしても、一人は無理だと分かっている奴を嗾けるのは、明らかに犯罪だぞ」
ロナードは、嫌悪に満ちた表情を浮かべながら言い返すと、
「同感です。 ですが幾らセシア殿から嗾けられたとは言え、最終的には、レックス自身が判断した事です。 ですが我々が今ここでとやかく言っても、仕方のない事と思われます」
サムートは、セシアがした事に対し、不信感は抱きつつも、何処か諦めた様な口調で言った。
「そうだな……」
ロナードは軽く溜息を付いて、サムートに言うと、彼が淹れた紅茶を口にした。
(急いでアイツを見付け出して、加勢したとしても、アイツの為にはならないだろうしな……)
ロナードは心の中で呟くと、洞窟の外に広がる鬱蒼とした森の方へとめを向ける。
「……これからどうするよ? オレ」
レックスは、先程まで自分が居た洞窟の方へ目を向けながら呟く。
洞窟の中には、セシアの魔術を食らってまだロナードが眠っている。
ロナードは眠っていたので、昨晩のセシアとのやり取りなど知らないので、今戻れば、何事も無かった様にロナードと共にいる事も出来る。
だが戻ればまた、ロナードの力に頼ってしまうだろう……。
(確かに、ロナードと一緒に居りゃあ、楽に合格出来る。 けど、そじゃあいけねぇンだ……。 親父と同じ場所に立つ為には、自分でそこまで辿り着かねぇと意味がねぇ)
レックスは複雑な表情を浮かべつつ、洞窟の方を見つめながら、心の中で呟く。
オルゲン侯爵家の兵士たちからは、英雄と称えられる、レヴァール大公の部下として、その名を轟かせた父親を何かと引き合いに出される事が多かった。
レックスはずっと、周囲の期待に応えようとしていたが、自分が思う様な実績を上げる事が出来ずにいた。
加えて、朝稽古の遅刻は当たり前、短気で堪え性の無い性格の為、喧嘩早く、問題ばかり起こす自分の事を、何時の間にか周りの兵士たちからは、『父親の面汚し』と言われる様になっていた。
何が、いけないのだろうか……。
もしかすると、自分は騎士に向いてないのではないのか……。
壁にぶつかる度に、レックスは何度も思って来た。
けれど、これ以上、父親を引き合いに出され、馬鹿にされ続ける訳にはいかない。
何より、祖国を守る為に誇り高く戦場に散った父親の名誉の為、自分を『父親の面汚し』と言った連中に、自分の事を認めさせる為にも、自分の力でこの試験を合格しなければ!。
「何も言わねぇでわりぃな。 ロナード。 最終日に会おうぜ」
レックスは、穏やかな口調で洞窟の方へ向かって言うと、フッと笑みを浮かべる。
そして踵を返し、意を決して森の中を進み始めた。
とは言え、考え無に魔物に戦いを挑むのは自殺行為だ。
まず、確実に残りの日数を、自分一人の力で生き残る事を最優先するべきだろう。
ロナード曰く、魔物を倒し、タグを手に入れる事よりも寧ろ、其方の方が大変かも知れないとの事だ。
魔物に対しては誰だって注意をするが、皆が皆、山野草やキノコに関しての知識がある訳では無いので、口にした物が毒を含んでいて、死なないまでも、試験を続行出来なくなる者が、かなり出るのではないだろうかと言うのだ。
確かに、食用のキノコと、それと良く似た毒キノコを素人が見分ける事は非常に困難で、普段、生活を送っている時でも、毒キノコと知らず、食べて死んだという話は耳にする。
この森の中で、キノコはそこら中に生えており、食料が尽きた時、獣を仕留めてその肉を食べるより、足元に生えているキノコを食べた方が、手っ取り早いと思う輩も少なく無い筈だ。
そうで無くとも、この森には見た事も無い植物が沢山あって、『食べられるかも知れない』と思い、食べた物が有毒である可能性は十分にふるし、仕留めた獣の肉にも、毒が含まれている可能性もある。
ロナードの話を聞いて、キノコには手を出すまいと、レックスも思っているのだが、問題は空腹時にその誘惑に耐える事が出来るか……だ。
そうで無くても、どんな物が食べられるのか、都会暮らしのレックスには殆ど分からない……。
最悪、水で空腹空腹を凌ぐ事になる可能性もあるが、その飲み水を得るには水場へ赴かねばならない。
だが、水場には大抵、喉を潤しに来た小動物や草食動物を狙って、獰猛な獣や魔物が待ち構えている事も多く、うっかりしていると自分が餌にされかねない……。
飲み水を得る事すら、命懸けだ。
それ以前に、水場を見付ける事にも苦労しそうだ。
それでも、この時はまだ、ロナードが簡単に水場を見付けていたのを見ていたので、何とかなるだろうと、レックスは気楽に構えていたのだ。
(オレが、馬鹿だった……)
レックスは心の中で呟くと、特大の溜息を付いた。
三日前、魔物から逃れる時に、非常食や救援を求める信号弾、マッチなどが入ったナップサックを落としてしまい、水だけで何とか凌いで来たが、昨日の夕方、遂にその水も尽きてしまい、レックスは途方に暮れていた。
流石に三日も何も食べないと力も出ず、常に空腹感に苛まれ、腹の虫だけが忙しく鳴っている。
あまりの喉の渇きに、その辺の雨水が溜まった水溜りの水でも飲もうかと思ったが、ボウフラが何匹も水面で泳いでいるのを見て、飲む気が失せた。
それに、その辺の泥水や雨水を飲んだら腹を下し、酷い下痢に見舞われ、余計に体力を消耗し、動けなくなってしまうリスクの方が高いかも知れない……。
そう思って、今の今まで我慢して来たのだが……。
泥濘んだ足元に体力は奪われ、いつ魔物がと鉢合わせるか分からないと言う緊張が、彼の精神を追い詰めていく……。
リタイアしたくても、それすら出来ない状況……。
明日で試験は終わるが、それまでに体が持つかどうか……。
それ以前に、地図を紛失した所為で、集合場所がどの方向にあるのか、自分が何処にいるのかも分からない。
このままでは、森の中で遭難だ。
いや、もしかすると既に、遭難しているのかも知れない……。
「やべぇ。 何か、目の前が真っ白になってきた……」
レックスはそう呟くと、ペタンとその場に崩れる様にヘタリ込んでしまった。
直ぐに立ち上がろうとするが、空腹のあまり足に力が入らず、立ち上がる事が出来ない。
(マジでヤベェかも知れねぇ……)
レックスは、動かなくなった自分の足元を見つめながら、心の中で呟いた。
彼の遥か頭上で、鳥が鳴きながら通り過ぎて行くのが聞こえた。
何時もは、何処からか獣や虫の鳴く声が、昼夜を問わず聞こえて来るのに、なぜか今は、風が木々に茂った枝葉を揺らす音以外は何も聞こえず、恐ろしい位に静かだった……。
人が死ぬ瞬間は、こんな風に静かなのかも知れない……。
そんな事をレックスは思いながら、何処か諦めた様に静かに両目を閉じ、近くの木の幹に体を凭れ掛けた。
(お袋……。 御免な)
レックスは心の中で呟くと、彼の脳裏に何処か困った様な顔をしている、自分と面差しの良く似た、彼の母親の顔が浮かんだ。
新入りなのに、生意気な態度ばかり取る彼に、先輩兵士たちは一様に眉を顰め、態度の悪さを注意すれば反発し、短気な性格が災いして、問題ばかり起こしている事は、一人で暮らしている母親の耳にも入っている筈だ。
周りから問題児扱いされ、『父親の面汚し』と陰口を叩かれ、自分のそんな話を耳にした母がどんな顔をしているのかと思うと、レックスは情けなくなってくる……。
レックスは、そんな現状を変えたかった。
本当は父親の面汚しなどでは無く、誰もが羨む様な、立派な息子になりたかった……。
この試験に自分が合格すれば、少しは、自分に対する周りの見る目も変わるかも知れない。
そうすれば、亡くなった父親だって、もっと皆から評価され、慕われる様になる筈だ。
そう思って挑んだのに、現実はレックスが思っていた以上に厳しくて、残酷で……。
今回の事で、自分が今まで如何に、狭い世界の中でぬくぬくと生きて来たのかを、嫌と言う程、思い知らされた。
確かに、オルゲン侯爵家の兵士たちの中では、剣でレックスに敵う奴はいない。
けれど、それは本当に、本当に、極々小さな世界での話であって、こんな大自然の中では獣一匹、仕留める事も出来ない。
自分自身の腹も、満たす事の出来ない様なヘタレだったのだから、ホント、笑える。
平和の上に胡坐を掻いて、貴族に召し抱えられていると言う事に甘んじて、己自身を高める事を止めてしまった様な連中たちの中で、一番の剣の腕程度で、自分は何でこんなにも思い上がってたのだろうか……。
「無様ですわね」
不意に、頭の上から若い女の声が聞こえて来た。
レックスは、閉ざしていたゆっくりと目を開けると、セシアが物凄く冷ややかな目で、彼を静かに見下ろしていた。
何時もの彼ならば『何だと!』と、怒鳴り返すだろうが、全くその通りなので、彼女に言い返す事すら出来なかった。
「少しは、身の程が分かったかしら?」
セシアは、淡々とした口調でそう言うと、スッと彼に信号弾の入った筒を差し出した。
レックスは徐にセシアが差し出した、信号弾の入った筒を見た後、彼女の顔を見上げる。
「リタイアなさい。 そうすれば、助けて差し上げますわ」
彼女は、淡々とした口調で言った。
彼女が差し出すこの信号弾を使って、リタイアの意志を示せば、試験は不合格にはなるが、命は助かるし、水も食料にもありつけるだろう。
何より、こんな辛い想いからも解放される。
けれど……レックスは何故か、その筒を受け取る事を躊躇った。
それは、彼の心の何処かで、自分はこの程度の人間だと言う事を、認めたくないと言う気持ちがあったからだ。
「何をしているの? 早くなさい」
セシアは、自分が差し出した筒を受け取る事に躊躇しているレックスを見て、淡々とした口調で言った。
「オレは……。 オレが……リタイアしたら……親父がまた、皆に馬鹿にされちまう」
レックスは聞き取る事がやっとの様な、掠れた声で、力なくポツリと呟いた。
「そうかも知れないわね。 けれど今更、何を言っているのかしら?」
セシアは、半ば呆れた様な表情を浮かべながら、冷ややかな口調でレックスに言った。
「オレはずっと『親父の面汚し』って、周りの奴等から言われて来た……。 この試験を受けたのは、オレが合格すれば、誰もそんな事を言わなくなると思ったから……」
レックスは俯き、微かに肩を震わせながら、涙ぐんだ声でそう語った。
「そう……。 でも明日の試験終了を迎える前に、このままでは貴方は力尽きるわよ」
セシアは、これと言った表情を浮かべる事も無く、淡々とした口調で言い返す。
「そうかも知れねぇ……。 けど……。 これは受け取れねぇ……。 オレは、そんな事をする為に、ここへ来たんじゃねぇから……。 これ以上、オレの所為で親父やお袋が笑い者になるくれぇなら、死んだ方がマシだ」
レックスは複雑な表情を浮かべ、重々しい口調で言うと、
「……貴方が死んだ方がリタイアするよりも、もっと貴方の母親は笑われるんじゃないかしら? 『無謀な事に挑む息子を止めずに、死地へ追いやった馬鹿な母親』ってね」
セシアは、呆れた顔をして軽く溜息を付いてから、淡々とした口調でそう指摘した。
「ぐっ……」
セシアの鋭い指摘に、レックスは苦々しい表情を浮かべる。
「全く。 男ってどうして何時もこうなのかしら? こんな下らない事に拘って死んで、そうする事が本気で格好良いと思っているから、益々救えないわ。 ホント馬鹿よね」
セシアは、呆れた表情を浮かべながら言うと、レックスの手を掴み、無理矢理に筒を手に握らせた。
「馬鹿の事情なんて、私にはどうでも良い事だわ」
物凄く冷めた口調でそう言うと、指先からライターの様に炎を出すと、戸惑っているレックスを尻目に、信号弾の筒の先に火を付けた。
「な? な? なっ……なにしやがっ……」
それを見たレックスは、驚きのあまり目を丸くしてセシアに言うが、彼女は澄ました顔をして、彼に筒を握らせたまま、筒を上空へと向け、
「は~い。 一名、空腹で動けなくなり、リタイア――」
セシアは物凄く他人事の様に、冷めた口調でそう言うと、筒から勢い良く信号弾が上がり、花火が炸裂する時の様な音を立てながら、信号弾が生い茂る木々の遥か上に光を放った。
「ンな――――っ!」
レックスはショックのあまり、目を丸くしたまま呟くと、口をあんぐりと開けて、そのまま固まってしまった。
「はい。 救助完了。 集合場所に連行します」
セシアは、淡々とした口調でそう言うと、呆然としているレックスの首根っこを片手で掴むと、そのままズルズルと、彼を本部の天幕がある方向へと引っ張って行く。
(マジか――――っ!)
間抜けにセシアに引き摺られながら、レックスは心の中で絶叫した。