採用試験(上)
主な登場人物
ロナード…漆黒の髪に紫色の双眸が特徴的な、傭兵業を生業としていた魔術師の青年。 落ち着いた雰囲気の、実年齢よりも大人びて見える青年。 一七歳。
エルトシャン…オルゲン将軍の甥で、ルオン王国軍の第三治安部隊の副部隊長だったが、カタリナ王女から、新設された組織『ケルベロス』のリーダーを拝命する。 愛想が良く、柔和な物腰な好青年。 王国内で指折りの剣の使い手。 二一歳。
アルシェラ…ルオン王国の将軍オルゲンの娘。 白銀の髪と琥珀色の双眸が特徴的な、可愛らしい顔立ちとは異なり、じゃじゃ馬で我儘なお姫さま。 カタリナ王女の命を受け、新設される組織に渋々(しぶしぶ)加わる事に。 一六歳。
オルゲン…ルオン王国のカタリナ王女の腹心で、『ルオンの双璧』と称される、幾多の戦場で活躍をして来た老将軍。 温和で義理堅い性格。 魔物の害に苦しむ民の救済の為に、魔物退治専門の組織『ケルベロス』を、カタリナ王女と共に立ち上げた人物。
セシア…ルオン王国の王女カタリナの親衛隊一人で、魔術に長けた女魔術師。 スタイル抜群で、人並み外れた妖艶な美女。
レックス…オルゲン侯爵家に仕えている騎士見習いの青年。 正義感が強く、喧嘩っ早い所がある。 屋敷の中で一番の剣の使い手と自負している。 一七歳。
カタリナ…ルオン王国の王女。 病床に有る父王に代わり、数年前から政を行っているのだが、宰相ベオルフ一派の所為で、思う様に政策が出来ず、王位継承権を脅かされている。 自身は文武に長けた美女。 二二歳。
サムート…クラレス公国に住む、烏族の長の妹サラサに仕える、烏族の青年。 ロナードの事を気に掛けて居る主の為に、ロナード共にルオンへ赴く。 人当たりの良い、物腰の柔らかい青年。
ベオルフ…ルオン王国の宰相で、カタリナ王女に代わり、自身が王位に就こうと企んで居る。 相当な好き者で、自宅や別荘に、各地から集めた美少年美少女を囲って居ると言われている。
メイ…オルゲン侯爵家に仕えている騎士見習いの少女。 レックスとは幼馴染。 ボウガンの名手。 十七歳。
「あっんのぉ男ぉぉぉ……。 歓迎の宴以来、顔すら見せないじゃないっ! これじゃあ、アタシが幾ら可愛くたって、会えなきゃ意味無いじゃないの!」
アルシェラは、自分の部屋の鏡台の前に座り、侍女に朝の身支度の為、髪を梳かせながら、忌々し気に呟く。
(ロナード様に全く会えなくて、機嫌が悪いわね……)
アルシェラの髪を梳いている侍女は、心の中で呟くと、苦笑いを浮かべる。
その原因が何なのか、侍女たちは分かっているのだが、今朝は特に機嫌が悪く、アルシェラから八つ当たりを受けないか、侍女たちはビクビクしている。
「ロナード様は、近く行われる魔物退治をする組織の試験に臨まれるので、鍛練にお忙しいようです」
中年の小太り気味の侍女が、アルシェラの着る服をクローゼットから出しながら、落ち着いた口調で言う。
「試験?」
アルシェラは、鏡越しにその侍女の方を見ながら、そう言った。
「はい。 詳しい事は分かりませんが……」
中年の小太り気味の侍女が、落ち着いた口調で続ける。
「ふぅん……」
それを聞いたアルシェラは、少し考えた後、何やら思い付いた様子で、ニヤリと笑みを浮かべる。
それを見た若い侍女たちは、一抹の不安を覚えた。
「面白そうじゃない。 アタシも参加してみようかしら」
アルシェラは、ニッコリと笑みを浮かべながら言うと、
「と、とんでも御座いません! 天下のオルゲン家の姫様がそんな……」
それを聞いて、アルシェラの髪を梳いていた侍女がギョッとして、そう言った。
「アタシも参加して、護衛をロナードにさせれば試験の間、ずっと一緒に居られるじゃない?」
アルシェラはニッコリと笑みを浮かべ、侍女たちに言う。
「それは、そうですが……」
アルシェラの髪を梳いている侍女が、戸惑いの表情を浮かべながら言う。
「ねっ。 我ながら良い考えでしょ?」
アルシェラは、嬉しそうに声を弾ませながら言った。
(それは……ロナード様が迷惑なだけなのでは?)
(お嬢様が役に立つとは思えない……)
(お嬢様の所為でロナード様が試験に落ちたら、どうするつもりなのかしら……)
侍女たちは、一様に不安に満ちた表情を浮かべ、心の中で呟くが、それを声に出す者は誰一人いなかった。
「そ、それは一度、お館様にご相談なさった方が宜しいのではありませんか?」
アルシェラの髪を梳いている侍女が、戸惑いの表情を浮かべたまま、アルシェラに言った。
「大丈夫よ。 それにどうせ、お父様はお忙しいから、何時お会い出来るのか分からないじゃない?」
アルシェラはニッコリと笑みを浮かべ、物凄く無責任に、そして楽観的な口調で言った。
「で、ですが……」
別の若い侍女が戸惑いの表情を浮かべながら言うと、
「このアタシが良いって言ってるんだから、良いのよ!」
アルシェラはキッとその侍女を睨み付け、怒鳴り返したので、侍女たちはビクッと身を強張らせる。
「良い事? もし、お父様に言いつけたら許さないわよ!」
アルシェラは、部屋に居合わせた侍女たちに向かって、強い口調でそう言って脅す。
「しょ、承知致しました……」
「は、はい……」
侍女たちは、渋々と言った様子で、アルシェラにそう返事した。
ルオン高原はルオン王国の北部、マイル王国との国境付近にあり、古くから地下資源の宝庫で、この一帯の支配権を巡り、嘗てはルオンと北の隣国マイルが争った事もある。
また、起伏の激しい地形と、変化に富んだ自然が広がっている為、様々な動植物の宝庫でもあり、固有の動植物も数多く生息しているのだが、そう言った生き物を捕食する魔物たちのも数多くいる地域でもある。
草木が殆ど生えない岩地の地下では、鉱物資源が採掘されているが、そこから直ぐ南には、鬱蒼と草木が生い茂り、昼間でも薄暗い、広大な森林地帯が広がり、森の中には沼地や湿地なども点在し、毒虫や蛭、毒蛇や毒蛙などが生息し、猛獣や魔物も居るとても危険な場所だ。
カタリナ王女が新設する、魔物退治専門の組織『ケルベロス』の採用試験は、その森林地帯の一角で行われる。
受験の受付期間の間、高月給と好待遇に釣られて、国内外から腕に覚えがある者、現状の待遇に不満を持つ、現役の騎士たちなどが集まり、受付会場となっていた、ルオン王宮の前庭には連日、受験希望者が城の外にまで溢れ、長蛇の列が続いていた。
意気揚々と必要な受験手続を済ませた受験希望者たちの多くは、試験会場がこのルオン高原だと知ると、一様に顔を青くして尻込みし、受験を辞退すると言う状況であった。
当日、試験をボイコットする者も、多くいるであろう事も予想されている為、実際に会場へどの位の人間が集まるのか、全く予想出来ない。
主催者側の責任者の一人であるエルトシャンも、本当に人が集まるのかと、この数日、不安で眠れない日々を送っていた。
試験開始当日の朝、エルトシャンはルオン王国軍の兵士たちと共に現地入りをし、まず、魔物たちの襲撃から身を守る退避場を作る為、魔術師たちが結界を張り、安全を確保した後、運び込んだ天幕などを兵士達と共に張り、受験者の到着を待った。
午前中は全く受験者が来ず、このまま誰も来ないのかと思われた昼過ぎ頃から、チラホラと受験希望者が現れ始めた。
(マジで、これだけなのかよ?)
受験の希望用紙を提出する為、ルオン王宮へレックスが行った時は、数え切れない程の人たちが、城外まで溢れ、長蛇の列を作っていて、受付を済ませるのに一時間以上も掛ったのだが……。
その後も、受付会場である王宮の前を通る事があったが、やはり他の日も、彼が受付を行った日と同じ位、沢山の人が並んでいたのを見ていた事もあり、新組織に対する周囲の関心の高さを伺わせた。
そんな状況だったにも関わらず、実際に今日、試験会場へ来た受験者の数が、彼が思っていた以上に少ない事に驚いた。
同僚のメイから聞いた話では、千人以上の受験の希望があったらしいが……今ここに来ている受験者たちは、どう多く見積もっても、百人いるかいないかだ。
(本当にこんな数で良いのかよ?)
レックスは、受験者の数の少なさに驚きつつ、主催者側であるオルゲン将軍等を心配していた。
レックスがそんな事を思いながら、辺りを見回していると、エルトシャンが何処からか連れて来て、レックスが昨日まで護衛をしていた相手である、背の高い黒髪の青年ロナードの姿があった。
今日はお付のサムートとか言う従者は、一緒ではない様だ。
「よぉ。 オメェ。 本当に一人で受けるのな?」
レックスは、沢山の荷物を背負いつつ、先輩から借りた甲冑をガチャガチャと言わせながら、ロナードに歩み寄り、被っていた兜を外し、そう声を掛けた。
(相変わらず細せぇな……。 大丈夫か? コイツ)
レックスは改めて、ロナードが自分などよりも華奢な体付きをしているのを見て、心の中で呟いた。
「レックス? 何なんだ? その格好は。 戦争にでも行くのか?」
ロナードは、良くここまで運んで来たなと思う程、大量の荷物を背負い、重歩兵の様な重厚な装備のレックスを見て、驚きの表情を浮かべながら、そう言い返して来た。
意外にも、興味無さそうにしていたロナードが、自分の名前をしっかり憶えていたのには、レックスは驚いた。
(絶対、沼地に嵌ったら沈むぞ)
ロナードは、重そうな甲冑を纏い、とても動き難そうに、ガチャガチャと喧しく甲冑の音を立てているレックスを見ながら、心の中で呟いた。
(なーんか、えらい軽装だな。 コイツ、ハイキングか何かと勘違いしてんじゃね?)
レックスの方も、ロナードの格好を見て、その様に思っていた。
彼の言う通り、ロナードは黒色のトータルネックの上から、黒い革製のジャケットを羽織り、黒色のジーンズに、黒色のブーツ、腰には少し大きめのポシェット、数本の短剣が刺さった剣ベルトを撒き、剣をぶら下げているだけの、何だかそのまま買い物に行っても良さそうな格好だ。
多くの受験者が、魔物たちの爪や牙を警戒し、強固な鎧や小手など装備している中、彼の格好は、鎧が歩いている様な格好のレックスと同じ位、目立っていた。
「予備の鎧、貸してやろうか?」
レックスは心配になって思わず、ロナードにそう声を掛けてしまった程だった。
「余計な世話だ。 体に合っていない重い鎧など、森の中を移動するのに邪魔になるだけだ。 そんな重装備では、魔物の攻撃を避ける事も出来ないし、移動するだけで疲れるぞ」
ロナードは、ムッとした表情を浮かべ、淡々とした口調で、レックスにそう言い返した。
どうやらロナードは、レックスとは違い、相手の攻撃を防ぐのでは無く、避けると言う事が大前提の様だ。
「だからって、そりゃねぇだろ? オメェ、ぶっちゃけ魔物と戦った事なんてねぇんだろ?」
レックスは、呆れた表情を浮かべロナードに言うと、彼の発言にカチンときたロナードは、
「お前と一緒にするな! 騎士見習い!」
自分の指先をレックスの鼻先に突き付けながら、そう怒鳴り返した。
「んなっ……」
何だかロナードに、騎士見習いである事を馬鹿にされている様に思えたレックスは、眉を釣上らせ、何か言い返そうとした時、
「時間になりましたので、これで試験の受け付けは終了します。 簡単に試験の説明をしますので、受験者の皆さんは、天幕前にお集まり下さい」
兵士が、周囲にいる受験者たちに向かって叫ぶのが聞こえた。
「時間だ」
ロナードはそう言うと、緊張している様子も無く、足取り軽く、説明を受ける為にエルトシャン達がいる天幕の方へと足を運んだ。
「あ、おい。 ちょっと待てよ!」
レックスはそう言って、さっさと先に行こうとするロナードにそう声を掛け、足を一歩踏み出した瞬間バランスを崩し、派手な音を立てながら、前のめりになって扱け、身に付けている甲冑が重いので、そのままひっくり返った亀の様に動けなくなってしまった。
「お―――い。 助けてくれ―――っ!」
レックスは、自分の方へ振り返る事も無く、どんどん遠ざかって行くロナードの背中に向かって、助けを求め叫ぶ。
だが、レックスの叫びも虚しく、ロナードは足を止める事も、彼の方へ振り返る事も無く、スタスタと行ってしまった……。
どう考えても、レックスが躓いて扱けた際に、彼が身に付けていた甲冑の金属同士がぶつかり合う、賑々しい音が聞こえているだろうし、助けを求めるレックスの叫び声も聞こえている筈である。
レックスは完全に、ロナードから無視されてしまったのだ。
その後、彼の事態に気付いて、駆け付けた兵士たち数人掛りで、レックスは無事に起き上がる事に成功したが、彼のあまりの馬鹿過ぎる格好を見た兵士たちにこっ酷く叱られ、予備にリュックに入れてあった鉄の胸当てと鎖帷子以外の防具は全て没収され、他にも、山の様に持って来た荷物の中で、兵士たちに不要と判断された物は悉く取り上げられてしまった……。
(何だよ。 アイツ等、オレに死ねって言うのかよ……)
来た時とは違い、すっかり萎んでしまった、無駄に大きなリュックを背にしたレックスは、泣きそうな顔になりながら、トボトボとした足取りで、心の中でそう呟きながら、エルトシャン達がいる受付の天幕の方へと向かった。
「ほれ!」
最後にやって来たレックスに、何かが入った赤いナップサックを、兵士がそう言って、乱暴に突き付けて来た。
レックスはそれが何であるのか理解出来ぬまま、戸惑いの表情を浮かべつつ、不意に差し出された赤いナップサックを受け取った。
「今、赤いナップサックが配られたと思うが、今から言う物があるか、各々確認をして下さい」
兵士の一人が、集まった受験者たちにそう呼び掛けると、受験者たちは言われた通り、渡された赤いナップサックの中の物の確認を始めた。
「まず、この信号弾ですが、要救助の場合またはリタイアを希望する場合のみに使って下さい。 信号弾を発見した人たちは、速やかに救助に向かって下さい。 無視した場合、減点とします」
兵士は徐に、赤い筒状の物を取り出すと、受験者たちに説明すると、話を聞いた受験者たちの間から、不満の声が漏れる。
「次に三日分の携帯食、水、蝋燭、マッチ、地図、包帯等の応急措置用品……全部ありますか? 無い方は挙手をお願いします」
兵士は赤いナップサックからそれらを取り出しながら、受験者たちにそう問い掛けると、彼等の間からポツポツと、気の抜けた返事が来る。
「続いて合格の条件ですが、一週間以内に我々が予めタグを付けた魔物を倒し、タグを回収し、一週間後の夕刻までに、ここへ戻って来て下さい。 一人五個が合格のラインとします。 地図にもここの場所を記してあります。 あと、活動範囲も限られています。 危険なので侵入を禁止しているエリアもあるので、地図を見て確認をしておいて下さい」
兵士は落ち着き払った口調で、参加者たちに説明する。
「つーか、タグを付けた魔物が、エリア外にいたらどーすんだよ?」
レックスは徐に、説明をしていた兵士に問い掛けると、
「タグを付けている魔物は、結界内しか活動出来ません。 貴方たちも腕に付けているバングルを外さない限り、結界の外へは出られません。 ただ、タグを付けていない魔物や獣は、出入りが自由です。 間違って倒しても、得点には加算されないので注意して下さい」
兵士は落ち着き払った口調で、レックスの問い掛けにそう答えると、
「えーっ」
「何だよそれ」
「頑張り損じゃん」
他の受験者たちは、嫌そうな表情を浮かべながら、口々にそう言い返した。
「他の受験者、監視の兵士たち一般人などに危害を加えたり、殺害する事は駄目です。 即失格とします。 魔物に襲われ、死亡した場合も勿論失格です。 死亡した場合、自己の判断ミスと見做して失格とします。 此方は何の保証もしません。 なので、死なない様にして下さい」
兵士は落ち着き払った口調でそう付け加えた。
「マジか―っ」
「ヤバイじゃん」
「こっわー」
それを聞いて、参加者たちは頭を抱えたり、戦々恐々と言った様子で、口々にそう呟く。
「後は特に自由です。 兎に角、一週間ここで生き延び、期限内にタグを一人五個集めれば良いので、受験者同士が組んでもらっても構いません」
兵士は、様々な反応を示す参加者たちを横目に、そう言った。
「そうか! その手があったぜ!」
話を聞いたレックスは、ポンと手を叩き、嬉々とした表情を浮かべて呟いた。
確かに一人で、この様な場所で魔物を倒しながら野宿をするなど、無理な話だが、誰かと一緒であれば、そのハードルも少しは下がる筈だ。
早速レックスは辺りを見回し、自分と組む相手を物色し始めた。
「詳しい事は、先程配った用紙に書いてある。 あとは各自で目を通して置く様に。 字が読めない者は説明するので声を掛けて下さい。 以上です。 解散」
兵士が解散を宣言すると、受験者たちは直ぐに、思い思いの場所へと散って行き始めた。
「なーな。 オレと組まねぇか?」
「なあ。 アンタは一人か?」
レックスは、そんな事を言いながら、自分の近くにいた受験者たちを片っ端から声を掛けて行くのだが、皆、彼の事を無視して、森の中へと消えて行った……。
暫くして、誰もいなくなってしまい、レックスも仕方なく、森の方へと歩き出しながら、
「んだよ! どいつもこいつもよ! 折角、模擬戦で負けなしのこのオレが、組んでやるって言ってるのによ。 無視しやがって!」
などと、ブツブツと文句を言っていた。
自分と組む相手を探していたレックスだが、悉く断られ、仕方なく一人で、試験エリアとなる森の中へと踏み込んだ。
鬱蒼と草木が生い茂り、昼間でも薄暗い、不気味な空気が漂う森の中を、レックスは不安に満ちた表情を浮かべ、辺りを見回しながら、ゆっくりと歩を進めて行く……。
ガサガサガサッと茂みが音を立てる音が背後から聞こえたので、レックスはビクッと身を強張らせ、両腰に下げていた剣の柄に手を掛け、慌てて振り返ると、街の中では見た事も無い、オレンジ色の大きな嘴を持った、赤や青と言った派手な姿の鳥が、大きく翼を羽ばたかせて、何処かへと飛んで行ってしまったのを見て、レックスは自分の額に薄らと浮かんだ汗を片手で拭いつつ、
「何だ鳥かよ……。 驚かすんじゃねぇよ……」
魔物では無い事に安堵しつつ、そう呟いた。
その後も、森の至る場所から、ギャーギューギャーと言う雄鶏を絞め殺した様な奇妙な声や、ギリギリ―ギリギリーと鳴く虫の声、風に揺れ木の枝がぶつかり合い、激しく葉を揺らす音など、街の中ではまず耳にする事の無い、様々な音が聞こえて来る度、レックスは青い顔をして立ち止まって、ビクビクと身を強張らせ、辺りを見回すと言う事を繰り返した。
これだけ歩き回っても誰とも合わないし、それどころか全く人の気配が無いので、本当に他の受験者がこの森の中にいるのかとさえ、レックスは思ってしまった。
そんな風に、何となく歩き回っていると、不意に木の根に躓き、前のめりになって倒れそうになった所、ゴワゴワとした感触の何かに、思い切りぶつかった。
「なんだぁ?」
レックスはそう言いながら、ゆっくりと自分がぶつかった物を見ると、それは、左右に大きな牙、頭部に角を生やした、焦げ茶色のゴワゴワとした毛を生やした豚……いや、猪と言うべきだろうか。
背丈はレックスほどあり、横幅など、彼を三人……いや、四人並べた位はあるだろうか……兎に角、街の中では見た事も無い、とても大きな獣が居たのだ。
「うわあああっ!」
レックスは青い顔をして、声を上げ、慌てて後退りをしたが、彼がぶつかったその獣は、朽ちた倒木に生えたキノコを食べていた様で、食事の邪魔をされてとても気が立っており、鼻息荒く、血走った目でギロリと彼を見据えていた。
ルオンの街の中で生まれ育ち、殆ど街の外に出た事の無いレックスは、馬やヤギなどは見た事があるが、豚や牛などは、肉として売られている状態でしか見た事が無く、それらが生きて動いている所すら見た事が無い。
幼い頃に母に連れられ、見世物小屋の芸人たちが連れて来た、飼い慣らされた熊やライオンは見た事があったが、こんな間近で、野生動物を見た事が無かった。
レックスは、見るからに凶暴そうな大きな獣を前にして、顔から血の気が失せ、恐怖に足が竦んでしまい、そこから動けなくなってしまっていた。
暫くレックスを睨み付けていた獣は、彼を敵と見做し、額の大きな角を彼の方へ向け、勢い良く、立ち尽くしている彼に向って突進して来た。
「うぎゃ―――っ!」
それを見たレックスは思わず悲鳴を上げ、持っていた荷物を放り出し、大慌てて逃げ出した。
「いきなり何なんだよ! ぶつかった事は謝るから、こっち来んな―――っ!」
レックスは半泣きになりながら、我武者羅に森の中を全力疾走しつつ、自分を追掛けて来る、猪の様な大きな獣に向かって叫んでいると、不意に頭上からパンパンと乾いた銃声がして、彼を追い駆けて来ていた、猪の様な大きな獣の動きがピタッと止まった。
そして、血走った目で辺りを見回していると、木の上で何か大きな物が動く様な音がした瞬間、その獣は鼻息荒く、その木の幹に向かってその大きな体を突進させた。
突進を受けた大きな木は大きく揺れ、生い茂っていた葉が激しく擦れ合う音と共に、葉に付着していたと思われる水滴が、雨の様にバサーッと降って来て、それらと一緒に人が落ちて来た。
木の上から落ちて来たのは、フリルをふんだんに使った、ピンクの縁取りがされた、黒色のゴシックロリータ風のワンピースに、黒色のロングブーツと言う、とても森の中でサバイバルをするとは思えない様な格好をした、背中まである銀色の長い髪に、団栗の様な琥珀色の大きな瞳、鼻筋の通った小さな鼻、陶器の様な白く滑らかな肌の、中肉中背、可愛らしい顔立ちの、年の頃は一五歳くらいの、銃を手にした少女だった。
「いったぁ……」
少女はそう言いながら、危機感の無い様子で、片手で自分のお尻を摩っているが、猪の様な大きな獣は、自分の前に降って来た少女に一撃見舞おうと、額にある大きな角を振り翳す。
「きゃー――ッ!」
それに気付いた少女は思わず声を上げ、両腕で自分の頭を庇う様にして、その場に蹲る。
「姫っ! あぶねぇ!」
レックスもとっさに声を上げだが、怖いと言う気持ちの方が勝り、動く事が出来ずにいた。
哀れ、目の前のアルシェラは、獣の角に串刺しにされるかと思われたその時、猪の様な大きな獣の悲鳴が上がり、バキバキバキッと木の折れる様な音が遅れて背後から響いて来た。
驚いたレックスは振り返ると、彼の背後には立っていた幾つもの木々が、根元の辺りから、何かに押し潰されたように折れていて、何か大きな物が地面の上に落ちたのか、地面の上に降り積もっていた木の葉が勢い良く舞っていた。
「大丈夫か?」
レックスの直ぐ横で、聞いた事のある若い男の声がしたので、彼はそちらへ目を向けると、何処から現れたのかロナードが、折れた木々がある方を見たまま、呆然とした様子で地面の上にヘタリ込んでいたアルシェラに声を掛けていた。
「おまっ……ロナード? 何時の間に?」
レックスは、いきなり湧いて出て来た様な彼に驚いて、思わずそう声を掛けてから、ふと、自分たちを襲おうとしていた猪の様な大きな獣の姿が無い事に気付くと、戸惑いの表情を浮かべ、忙しくキョロキョロ辺りを見回していると、ロナードがスッとレックスの背後を指差したので、彼はロナードが指差す方へと目を向けると、折れて倒れた木々の上に、黒い大きな塊がある事に気が付いた。
「ふぁ? ええっ? えっ? えっ? どーなんてんだ?」
レックスは、どうして猪の様な大きな獣が、そんな所に転がって動かなくなっているのか、全く理解出来ず、まるで狐に抓まれた様な間抜けな顔をし、間抜けな声を上げる。
「何か良く分かんなかったけどぉ。 彼が来た途端に、グワーって言うかぁ? ザワーって言うかぁ? 兎に角、凄い勢いで風が吹いて、アタシを襲おうとした獣が、ピューンって言うかポーン? んまあ、すっごい勢いであそこまで飛んで行っちゃったの」
一部始終を見ていたのか、アルシェラが必死に説明してくれるのだが、何せ『グワー』など『ピューン』などと擬音語が多くて、話を聞いたレックスはキョトンとする。
何だか、凄く興奮しているアルシェラの様子を見る限り、ロナードが来た時に何か凄い事が起きて、彼女を串刺しにしようとしていた猪の様な大きな獣が、何故かは分からないが、あそこまで飛んで行ってしまったと言う事なのだろう。
良く分からないが……。
多分……。
「しん……だのか? アレ」
レックスは戸惑いの表情を浮かべつつ、ロナードに問い掛けると、
「気絶しているだけだ。 ヤツが意識を取り戻す前に、ここから離れた方が良い」
彼は、落ち着き払った口調で、レックスの問い掛けにそう答えた。
「えっ。 あ、でもよ、やっつけてタグを手に入れた方が良くね?」
レックスはふとタグの事を思い出し、ロナードに言うと、
「……ある訳ないだろ?」
彼は、呆れた表情を浮かべて、淡々とした口調で言うと、レックスは『へっ?』と言う様な表情を浮かべる。
「ツノイノシシよ。 お父様たちと狩へ行った時、森の中で何度か見た事あるわ。 ベーコンとかで食べた事ないの? それよ。 魔物じゃないしぃ」
キョトンとしているレックスに向かって、アルシェラが言った。
「へっ? ツノイノシシ? あのベーコンの?」
レックスは驚き戸惑い、『信じられない』と言った様子で、間抜けな声を上げながら、アルシェラに問い掛ける。
「そっ」
アルシェラはそう言いながら、持っていた銃を腰から下げていたホルダーに終う。
「何だよ……」
レックスは、拍子抜けした様子で呟くと、
「お前、獣と魔物の区別もつかないのに、この試験に参加しているのか?」
ロナードは呆れた表情を浮かべ、レックスに問い掛けると、彼はムッとした表情を浮かべ、
「っせーな! ちょっと焦っただけだよ!」
そう強い口調でそう言い返したが、実はロナードの言う通り、これまで魔物と会った事など一度も無いし、魔物の知識も全く無いのである。
ただ、レックスはその事を知られて、馬鹿にされるのが嫌だったので、粋がってそう言い返したのだ。
「……そう言う事にしておこうか」
まるで、レックスの心中を見透かしている様な視線を向けつつ、ロナードは、冷めた口調でそう言ってから、
「兎に角、次からはこんなヘマをしない様に、気を付けるんだな」
レックスとアルシェラにそう言い残し、踵を返し、その場から立ち去ろうとした。
「ちょっと、待ってぇ!」
アルシェラは、立ち去ろうとしたロナードの腕を掴みそう言うと、彼は足を止め、五月蠅そうな表情を浮かべ、
「何だ?」
「ねぇ。 さっきのって、魔術でしょ?」
アルシェラは、好奇心に満ちた表情を浮かべ、目を輝かせながら、ロナードに問い掛ける。
(えっ……)
アルシェラの言葉を聞いたレックスは驚き、徐にロナードの方を見る。
この世界では、魔術を使えるのは『亜人』と呼ばれる人種と、亜人と人間の間に生まれた混血児、そして混血児の血を引く人間だけで、普通の人間は魔術を使う事が出来ない。
ただ魔術師たちは、自分が魔術師である事をあまり公にする事は無く、その事を簸た隠し、普通の人間として生活している事が殆どだ。
そうしなければ周囲から、差別や偏見に晒され、人々から酷い仕打ちを受けるからだ。
何故、その様な事が起きるかと言うと、嘗て亜人たちが、魔力を持たない人間たちを奴隷とし、虐げて来た過去があり、魔術師=悪者と言う考えが、未だに、多くの人間たちの間に根強く残っているからである。
亜人と人間との隔たりが埋まる事無く、多くの亜人が人間たちを忌み嫌うのも、地域によっては未だに、人間と亜人がいがみ合っているのも、亜人が人間を、人間が亜人を、支配し、隷属させ、虐げ、争い、傷付け合った過去があるからだ。
故に、人間の国であれば亜人は冷遇されるが、亜人の国や里では逆に人間が冷遇され、その混血児などは、当人同士よりも更に酷い差別に遭う事も珍しくないのだ。
だから、本当に相手の事を想うのならば、アルシェラの様な問い掛けをロナードにするべきでは無いのだが、そう言った知識は勿論、天下のオルゲン家の姫であるが故に、他者に配慮をする必要のない彼女は、ド直球にロナードにそう投げ掛けたのだ。
案の定、ロナードは一瞬、物凄く傷付いた様な顔をしたが、直ぐに無表情になり、
「それが何か?」
ロナードは、物凄く淡々とした口調で、アルシェラに切り返した。
レックスは、ロナードがアルシェラの問い掛けに、自分が魔術師である事をあっさりと認め、淡々(たんたん)と答えた事に、少し驚いた。
恐らく、隠していても、何れは分かるだろうと思ったからだろうが……。
その顔は、アルシェラや自分に薄気味悪がられ、心無い言葉を浴びせられ、避けられても構わない覚悟をした様な、そんな雰囲気だった。
ロナードが魔術師だと知り、レックスは驚き戸惑ったが、それ以上に好奇心が勝っていた。
見世物小屋で、自称『魔術師』と名乗る人物が、手から炎を出したり、別の自称『魔女』と言う女性が、池の表面を凍らせると言ったモノは見た事があるが、あんな大きな獣を吹き飛ばす魔術など見た事が無く、一体どうやったのか、レックスは凄く興味があった。
「すっっつご――い! ねぇ、もう一度見せてぇ?」
アルシェラは小さな子供の様に目をキラキラさせ、上目遣いをしながら、甘える様な声でロナードに言う。
正直、レックスも同じ様な事を思っていた。
「馬鹿馬鹿しい。 魔術は見せ物じゃない」
ロナードは冷たく言うと、アルシェラの手を振り払った。
「そんなぁ。 ケチぃ」
アルシェラはプウと両頬を膨らませ、ムッとした表情を浮かべながら、ロナードにそう言ったが、彼は彼女の事を無視して、その場から立ち去ろうとすると、
「待って! 待ちなさいよぉ! まだ話があるんだから!」
アルシェラはそう言って、慌ててロナードの服の裾を掴んだ。
「何だ?」
ロナードは、五月蠅そうな表情を浮かべ、自分の服の裾を掴んでいるアルシェラに言った。
「良かったらぁ、このアタシの護衛に任命しても良いわよぉ?」
アルシェラはニッコリと笑みを浮かべ、ロナードに言うと、
「……笑えない冗談だ」
彼は思い切り顔を顰め、冷ややかな口調で、アルシェラにそう言い放った。
「冗談なんかじゃ無いわよ。 本気で言ってるの!」
彼女はムッとした表情を浮かべ、ロナードに言う。
「本気だったら、もっと質が悪いな」
ロナードはそう言いながら、アルシェラが掴んでいる自分の服の裾を引っ張って、何とかして彼女の手から離そうとするのだが、彼女は裾をギュッと握りしめたまま離そうとしない。
「大体、アンタと組んで、俺に何のメリットがあるんだ? アンタに足を引っ張られる事は目に見えている」
ロナードは、迷惑極まりないと言った様子で、淡々とした口調でアルシェラに言う。
「そんな事ないわ! こう見えてアタシ銃を使うの得意だしぃ、それにアタシも少しだけ、魔術使えるのよ」
アルシェラは、ロナードの腕を掴んで、何処か得意気にそう言い返すと、彼女の思わぬ発言に、彼は面食らう。
「アンタが魔術をか?」
ロナードは、戸惑いの表情を浮かべつつ、アルシェラに問い掛けると、彼女はニコニコと笑いながら、何度も頷いて見せる。
(それ程、魔力を感じないが……)
ロナードは、ニコニコと笑みを浮かべ、自分を見ているアルシェラを見ながら、心の中で呟いた。
「そっ♥ ロナードが怪我をした時、アタシが優しく治療してあげるわよ? だからアタシと組みましょ?」
アルシェラは、ニコニコと笑みを浮かべながら、猫なで声でロナードにそう言っていると、背後からガサガサっと、茂みを掻き分ける様な音がしたので、三人はハッとして物音がした方へと目を向ける。
「困りますわね。 アルシェラ様」
背中まである波打つ桜色の髪、豊満な胸、程好く括れた腰、肉厚で丸みのある尻、スラリとした手足、ルビーの様に美しく輝く紅蓮の双眸が印象的な、浮世離れした美し過ぎる顔立ち、陶器の様に白く滑らかな肌の妖艶な女性がアルシェラに向かって言った。
「げっ。 セシア……」
彼女の姿を見るなり、アルシェラは、物凄く嫌な物を見付けた様な表情を浮かべて呟いた。
一方ロナードは、自分の腰に下げている剣の柄に手を掛け、突如自分たちの前に現れたセシアと呼ばれた、紅蓮の双眸を持つ美女を警戒している。
その事に気付いた彼女は、ニッコリと笑みを浮かべながら、
「お久しぶりですわね。 ユリアス様」
穏やかな口調で、怖い顔をして自分を睨んでいるロナードにそう声を掛けた。
「……俺は、その様な名では無いが」
ロナードは、剣の柄に手を掛け、彼女の事を警戒したまま言い返した。
「あら。 失礼」
セシアは、ニッコリと笑みを浮かべたまま、自分の事を警戒しているロナードに言った。
「貴様の様な輩が、俺たちに何の用だ?」
ロナードは、剣の柄に手を掛けたまま、セシアに問い掛ける。
「その様な物言いをされるのは心外ですけれど、どうかそんなに警戒なさらないで下さいな。 取って食べたりはしませんわよ?」
セシアは、ロナードの言動に対し、苦笑いを浮かべながら言い返した。
「それを俺が、素直に鵜呑みするとでも?」
ロナードは、相変わらず剣の柄に手を掛けたまま、警戒した様子で彼女に言う。
「まさか貴方の口から、その様な言葉を聞く日が来るなんて、とても残念ですわ。 昔はとても素直で凄く可愛らしかったのに。 何処でどう罷り間違って、その様になられたのかしら?」
セシアは肩を竦め、苦笑い混じりにロナードに言った。
二人の間に、気まずい空気が漂い始め、レックスは戸惑いの表情を浮かべ、互いに牽制し合っている様子の二人を見比べる。
「ちょっとセシア! アタシの邪魔をしないで!」
そんな空気を打ち破る様に、アルシェラがムッとした表情を浮かべ、強い口調でセシアに言った。
「そうでしたわ」
セシアは、本来の目的を思い出したのかそう呟くと、ふうと溜息を付いてから、
「アルシェラ様。 我々に何の断りも無く、試験に参加されるなど、何を考えておられますの?」
表情を険しくし、強い口調でアルシェラに向かって言った。
「五月蠅いわね! アタシが何処で何をしようと、アタシの勝手でしょ!」
アルシェラは、ムッとした表情を浮かべ、強い口調でセシアに言い返した。
「呆れた。 魔物など見た事も無い、素人の貴方が、無断で試験に参加する事で、オルゲン将軍やカタリナ殿下、他の受験者たちに迷惑を掛けるとは考えませんの?」
セシアは、呆れ果てた表情を浮かべ、アルシェラに言うと、
「そりゃあ魔物とは会った事無いけど、狩はお父様と良く行ってるしぃ。 必要なタグを集めて合格すれば良いんだから、そんなに難しい事じゃないでしょ?」
彼女は、五月蠅そうな表情を浮かべたまま、セシアに言い返し、
(ホント、一々五月蠅いわね!)
セシアを見つめたまま、心の中でそう呟いた。
「その様に偉そうに言うのでしたら、誰かに頼らず、ご自身お一人の力でやっては如何でして?」
セシアは、アルシェラの物言いが物凄く気に入らない様で、不愉快そうな顔をし、強い口調で彼女に言った。
「冗談がキツイし! 大体、誰かと組んだら駄目だとか、そんなルールは無いでしょ?」
アルシェラは、五月蠅そうな表情を浮かべ、自分にイチャモンを付けるセシアに言い返す。
「普段はお馬鹿なのに、こう言う事には頗るお脳の回転と舌の動きが、宜しい様ですわね?」
セシアは、呆れた表情を浮かべてから、アルシェラの事を完全に馬鹿にした口調で言うと、
「ひどいーっ。 ロナード。 アタシを慰めてぇ」
セシアに馬鹿にされ、アルシェラは一瞬だけ表情を険しくしたが、直ぐに側に居たロナードに擦り寄りながら、猫なで声でそう言った。
「あ~あ~。 何か面倒臭せぇ事になって来たぜ……」
二人のやり取りを見ていたレックスは、欠伸をしながらボソリと呟いた。
「……もう行っても良いか?」
セシアとアルシェラの間に挟まれていたロナードは、物凄く冷めた口調で、自分を挟んで睨み合っている二人に、そう問い掛ける。
「駄目だし!」
「お待ちになって!」
アルシェラとセシア、二人同時に腕を掴まれ、呼び止められると、ロナードはウンザリした表情を浮かべる。
セシアは、特大の溜息を付いてから、アルシェラに向かって、
「……残念ながら、カタリナ様やオルゲン将軍は、私とは考えが異なる様でして、素人の貴女をお一人で、この様な場所に置いている事を非常に心配しておられます。 それで……」
とても不本意そうにそう語っていると、ロナードが何かを察した様に、物凄く嫌そうな顔をして、
「断る」
と、不意にセシアに言うと、彼女はキョトンとした顔をして、
「……私はまだ何も、申し上げていませんわよ?」
戸惑いながら、ロナードに言い返す。
「聞かなくとも、話の流れから察するに、試験の間、コイツの面倒を俺が見ろとでも言うつもりなのだろう?」
ロナードは、アルシェラを指差しながら、物凄く嫌そうな表情を浮かべ、セシアにそう言い返すと、彼女は驚いた表情を浮かべてから、
「あら。 良く分かりましたわね。 何処かの姫様と違って聡いですわね」
ニッコリと笑みを浮かべ、ロナードにそう言い返すと、彼女の言動に彼はカチンと来る。
「一言余計よっ!」
セシアが自分をチラリと見たので、アルシェラはムッとした表情を浮かべながら、強い口調で彼女に言い返す。
「貴方が断りたいと言う気持ちは、私も良く分かりますわ」
セシアはフウと溜息を付いてから、気の毒そうな表情を浮かべ、ロナードにそう切り出し、
「ですが、貴方は他の受験者に比べて魔物退治の経験も豊富ですし、加えて魔術も使え、剣の腕も立ちます。 貴方ならば今日明日中にでもタグを集めてしまうでしょう。 他の受験者よりも遥かに抜き出ています。 貴方には少し、ハンデを付けるべきと言うのが、本部……カタリナ様の考えと言う訳ですの」
淡々とした口調で、ロナードにそう説明を付け加えた。
「それで、そのハンデと言うのが、コイツ……と言う訳か?」
ロナードは、迷惑極まりないと言った様子でセシアに言うと、徐にアルシェラの方を指差す。
「そうですわ」
セシアは何食わぬ顔をして。サラッロナードに答えた。
「アタシの何処が、ハンデなのよぉ!」
二人のやり取りを聞いて、アルシェラは物凄く不満に満ちた表情を浮かべて、プクッと頬を膨らませ、言い返す。
「……見たまんまだろ」
ロナードか、冷ややかな口調で言うと、レックスも頷きながら、
「だな」
苦笑いを浮かべながら呟いた。
「それとレックス。 貴方もよ」
セシアは、落ち着き払った口調で、レックスに向かって言うと、
「へっ?」
レックスは驚き、戸惑いの表情を浮かべ呟いた。
「コレもか?」
ロナードは、物凄く嫌そうな表情を浮かべ、レックスを指差しながら、セシアに言った。
「ってオイ! 人のこと指差して『コレ』とか言うな! 『コレ』とか!」
ロナードの言動に、レックスはカチンと来て声を荒らげながら、彼にそう抗議すると、
「つーか、何でオレの名前、知ってんだよ? オレ、アンタなんか知らないぜ?」
不思議そうな表情を浮かべ、セシアに問い掛ける。
「今回の受験者の事を調べる事が私の仕事でしてよ。 今、ここに参加している方たちの事で、私が知らない事など、何もありませんわ」
セシアは何処か自慢気に、レックスに向かって言い返し、長い自分の髪を片手で払う。
「ふーん。 じゃあ、オレの大好物は?」
セシアの話を聞いて、レックスが面白半分に彼女に問い掛けると、
「ツノイノシシのベーコンですわ」
彼女は、自分の髪を片手で払いながら、余裕に満ちた笑みを浮かべ、そう即答した。
「おお! 当たってる! スゲェ!」
セシアの即答に、単純なレックスは嬉々とした表情を浮かべ言った。
「当然ですわ」
レックスの反応を見て、セシアは不敵な笑みを浮かべながら、そう言って自分の髪を片手で払う。
「その質問は、ベタ過ぎるだろ……」
レックスの反応に、ロナードは冷ややかな口調で言うと、アルシェラも頷きながら、
「そうよ」
「じゃあオメェ等、何か他に良い質問が思い付くのかよ?」
二人の指摘に、レックスはムッとした表情を浮かべ、二人にそう言い返すと、
「そんな事、急に言われて思い付く訳ないでしょ」
アルシェラは、困った様な表情を浮かべ、口を尖らせながら言い返した。
「まあコイツの好き嫌いなど、どうでも良い事だが、何故、アルシェラだけでなく、レックスまで俺に付けるのか、その理由を聞かせて貰おうか」
ロナードは淡々とした口調で、セシアに問い掛ける。
「そうですわね。 まずは単純に、年頃の若い男女二人きりと言うのは、色々とどうかと言う点ですわね」
セシアは、自分の髪を片手で払ってから、事務的な口調で言うと、
「それは、言われなくても分かる」
ロナードはムッとした表情を浮かべ、セシアに言うと、
「あらそう?」
彼女はチョット意外そうな表情を浮かべつつ、言い返した。
「えーっ。 アタシは別に構わないけどぉ?」
アルシェラはそう言うと、ロナードに向かってニッコリと微笑み掛ける。
以前から分かってはいたが、やはりアルシェラは、ロナードに気がある様だと、レックスは思った。
「悪いが、アンタみたいなお子様に欲情する様な、物好きでは無い」
ロナードは物凄く冷ややかな口調で、アルシェラに向かって言うと、彼女はカチンと来だが、
「またまた照れちゃってぇ。 ロナードったら素直じゃないわねぇ」
直ぐにニッコリと笑みを浮かべ、そう言い返すが、彼は完全にドン引している。
「アンタも令嬢である自分の立場を考えて、自ら軽々しく、男に声を掛ける様な真似は慎んだ方が良い。 何処でどんな噂を立てられるか、分かったモノでは無いからな」
ロナードは落ち着き払った口調で、アルシェラに言うと、
「そんな事、気にしなくても大丈夫よぉ」
アルシェラはニッコリと笑みを浮かべながら、楽観的な口調でロナードに言った。
「そう言う事だから一週間、仲良くやって下さいな。 期待していますわ」
セシアは、軽く溜息を付いてから、ロナードとアルシェラにそう言い残すと、クルリと踵を返し、その場から立ち去って行ってしまった。
「おい! ちょっと……」
ロナードは慌ててセシアを呼び止めようとしたが、彼女は彼の声など無視して、薄暗い森の中に溶け込む様に、スッと彼等の前から姿を消してしまった。
「やれやれ。 とんだ面倒事を押し付けられた……」
ロナードは、焚火の側に座り、ゲンナリとした表情を浮かべ、セシアが立ち去った後、気絶していたツノイノシシが意識を取り戻すと、自分たちに向かって来た為、止む無く倒して手に入れた肉を、食べ易い様に切り分け、更にその肉を木の棒に刺しながらそうぼやいた。
(明日中にはタグを全て集めて、集合場所の出発点に戻り、天幕の中で残りの時間をのんぴり過ごそうと思っていたのに……)
ロナードは、面白く無さそうな表情を浮かべ、ツノイノシシの肉を枝に刺しながら、心の中で呟く。
「そりゃこっちの台詞だぜ。 何で、お前の監視なんてしなきゃなんねぇんだよ」
レックスは、ムッとした表情を浮かべつつ、焚火に木の枝をくべる。
「五月蠅いわねぇ。 レックス。 大体、ロナードが居なきゃ、アタシたちだけで、ツノイノシシをやっつける事が出来る訳ないでしょ?」
アルシェラはレックスをジロリと睨み、強い口調でそう言うと、ロナードがしている事を、見様見真似でしているが、なかなか彼の様に肉が綺麗に突き刺さらない。
「ロナードって、器用ね」
アルシェラは、自分が四苦八苦している間に、三つ程、肉を枝に刺してしまったロナードに言った。
「……アンタが不器用過ぎるだけだ」
先程から、アルシェラは手にした同じ肉を、何度も突き刺そうとして失敗し、肉がボロボロになっているのを見て、ロナードは呆れた表情を浮かべながら言い返した。
「しかし、まあ、腹一杯に肉が食べられるのは、有難てぇ事だよな」
レックスはそう言いながら、焚火の周りに、ロナードが木に刺した肉を倒れない様に並べていく。
「大体、魔物退治の経験も、魔物に関する知識も無いのに、何で、この試験を受けたんだ? そんな事で受かると本気で思っていたのか?」
ロナードは、肉を枝に刺しながら、真剣な面持ちでレックスに問い掛ける。
「そりゃあまぁ。 話を聞いた時は厳しいかもなぁとは思ってたけどよ。 お前が、エルトシャン様から言われて、かーるく受けたのを見て、何かそんな難しい事じゃねぇのかなって……」
レックスは、複雑な表情を浮かべながら、ロナードにそう答えると、彼は思い切り顔を顰め、
「馬鹿か?」
「ばっ……」
ロナードに『馬鹿』と言われ、レックスはカチンと来て、表情を険しくしそう言い掛けたが、確かに、そう言われても仕方が無いかも知れないと、心の何処かで思っていた所もあり、溜息を付き、
「だよな……。 良く知りもしないで、こんな試験受けるなんて馬鹿かも知れねぇ……」
意気消沈と言った様子で呟いた。
「そうよぉ……」
アルシェラは馬鹿にした様な口調で言ってから、
「アンタが居なきゃ、ロナードと二人きりなのに」
ボソリとそう言った。
「セシアの話では、お前は無断で参加した様だが?」
ロナードは、先程のセシアの言葉を思い出しながら、溜め息混じりにアルシェラに言うと、
「え~っ。 そうだったっけ?」
アルシェラは、惚けた様な表情を浮かべ言い返すと、ロナードは、やり切れない気分になり、特大の溜息を付いてから、
「鶏か? コイツは」
思わず、こっそりと隣に座って真剣な顔をして肉を焼いていたレックスに、問い掛ける。
「姫は何時もこんなカンジだ。 細かい事を一々(いちいち)覚えねぇンだよ」
レックスは苦笑いを浮かべながら、ロナードに言い返した。
「『覚えない』ではなく、『覚えられない』んじゃないのか?」
ロナードは、ゲンナリとした表情を浮かべ、溜め息混じりにそう指摘すると、
「まあ、そうとも言うな」
レックスは苦笑いを浮かべたまま、ロナードにそう言い返した。
「……」
ロナードは、ゲンナリとした表情を浮かべたまま、両手で頭を抱え、再び特大の溜息を付いて、肩を落とした。
「つーか、オメェはなんで、この試験を受けたんだ? エルトシャン様の話じゃあ、試験受けなくても採用されるんだろ?」
レックスは、木の枝を刺した肉を裏返しながら、ロナードに問い掛ける。
「どうだろうか。 俺が、自分たちが思っていた程では無かったら、反故になる可能性はあると思う」
ロナードは複雑な表情を浮かべながら、そう答えた。
「それはそれで、凄げぇプレッシャーだな」
レックスは、気の毒そうな表情を浮かべつつ言うと、
「試されていると言う点では、俺もお前達も同じと言う事だな」
ロナードは、淡々とした口調で言うと、徐に木の枝に刺さって居る肉を裏返す。
「だな」
レックスは言い返すと、肉の焼け具合を確認する。
「ねぇ。 それはまだ焼けてないのぉ?」
アルシェラは、レックスが手にしている肉を指差しながら、無邪気にそう問い掛ける。
「ボサッとしてないで、自分の側にあるのも裏返したらどうなんだ? 焦げてるぞ」
ロナードは、自分は何もせず、ただ座っているだけのアルシェラに言った。
「えっ。 あ、いけな~い」
ロナードに指摘され、アルシェラはそう言って、何故か枝ではなく、肉の方を掴もうとすると、
「馬鹿! 何処を持ってるんだ! それじゃあ火傷をするだろ!」
ロナードは、強い口調でアルシェラにそう注意すると、彼女は肉が熱かったのか、慌てて手を離す。
「全く……」
その様子を見て、ロナードは呆れた表情を浮かべ、そう言ってから溜息を付いた。
その時、不意に背後からガサガサッと茂みが音を立てたので、ロナードとレックスはハッとし、揃って足元に置いていた武器を手にし、慌てて振り返った。
見ると、如何にも傭兵と言った雰囲気の柄の悪そうな男が三人、武器を手にし、ニヤニヤと笑いながら立っていた。
「随分と、美味そうなのを食ってるな?」
「オレたちにも分けてくれよ」
「へへへへっ……」
三人の男たちは、武器を手にしたまま、何か一腹ありそうに、ニヤニヤと笑いながら、ロナードたちに向かってそう言った。
「それが、人に物を分けて貰う態度か?」
ロナードは、剣の柄に手を掛けたまま、表情を険しくし、男たちに向かって言い返す。
「良いじゃない。 こんなに沢山あるんだしぃ」
危機感の無いアルシェラは、呑気な口調で男たちに警戒しているロナードに言った。
「何を勝手にっ!」
アルシェラの言動、ロナードは驚いて、慌てて彼女に言い返すが、
「いやぁ。 お嬢ちゃん優しいねぇ」
「へへへっ。 お言葉に甘えようぜ」
「ちょっくら御免よ」
三人の男たちは、下品な笑みを浮かべ、戸惑っているロナードを押し退け、アルシェラの方へそう言いながら、歩み寄る。
「ど~ぞ」
アルシェラは、ニコニコと笑いながら、三人の男たちを自分の側に座る様に勧める。
「アルシェラ!」
「ちょっ、姫!」
自分たちの意見も聞かず、如何にも怪しい雰囲気の男たちを迎え入れたアルシェラに、ロナードとレックスが焦り、揃って彼女に抗議をするが、彼等が何故怒っているのか理解出来ないアルシェラは、キョトンとした表情を浮かべている。
(くそっ! アルシェラを人質に取られた!)
ロナードは、男たちが何食わぬ顔をして、アルシェラの左右に座ったのを見て、苦々しい表情を浮かべ、心の中で呟く。
「オメェ等近けぇんだよ! 姫から離れろ!」
レックスも不快感を顕わにし、思わず立ち上がり、男たちに向かって怒鳴った。
「なあ、お嬢ちゃんよぉ。 アンタ余程の世間知らずなのか、それとも馬鹿なのかい?」
「そうだぜ。 知らない人を簡単に信じちゃいけねぇって、母ちゃんに教わらなかったか?」
焦っているロナード達を横目に、男と達はそう言うと、不敵な笑みを浮かべ、アルシェラに自分達が持っていた武器の刃先を彼女に突き付ける。
「姫!」
「そいつ等から、早く離れろ!」
それを見たレックスとロナードは、表情を険しくし、強い口調でアルシェラに向かって叫ぶが、刃物を突き付けられ、アルシェラは恐怖に顔を引き攣らせ、その場に固まってしまう。
「さーてガキ共。 両手を上げて立ちな」
中肉中背、艶のない金色の長髪の中年の男が、勝ち誇った表情を浮かべ、アルシェラを後ろから羽交い絞めにし、彼女の首元にナイフの刃を突き付けながら、ロナードとレックスに向かって言った。
二人は苦々しい表情を浮かべ、言われた通り、両手を上げ、静かに立ち上がる。
「オメェ等が持ってるタグは何処にある? 誰が持ってる?」
中肉中背、艶のない金色の長髪の中年の男は、勝ち誇った笑みを浮かべ、アルシェラにナイフの刃先を突き付けたまま、ロナード達に問い掛ける。
「コイツ等、人からタグを横取りするのが目的かよ!」
レックスは、苦々しい表情を浮かべ呟く。
「持っていない」
ロナードは、両手を上げたまま、落ち着き払った口調で言い返すと、
「んだと?」
「嘘を付くな!」
「オメェ等が、馬鹿デカイ猪の化け物をブッ倒したのを見てたんだぜ!」
三人の男たちは表情を険しくし、強い口調でロナードに言い返す。
「あれはツノイノシシだ。 魔物ではない」
ロナードは、落ち着き払った口調で、男たちに向かってそう説明するが、
「んな見え透いた嘘、信じると思うのかよ!」
白髪混じりの無精髭を生やした細身の男が、苛立った様子で、ロナードに向かって怒鳴る。
「兄ちゃん。 これが見えねぇのか?」
中肉中背、艶のない金色の長髪の中年の男は、アルシェラの首元にナイフを突きつけたまま、そう言って凄む。
「見えているが、無い物は出せない」
ロナードは、落ち着き払った口調で、中肉中背、艶のない金色の長髪の中年の男に言い返す。
「本当にねぇんだよ! 嘘だと思うなら、荷物でも何でも調べりゃ良いだろ!」
レックスは、苛立った口調で、男たちに向かって言う。
三人の男たちは、互いの顔を見合わせてから、何か思い付いた様な、物凄く悪い笑みを浮かべ、
「へぇじゃあ、このお嬢ちゃんをひん剥いても、出でこねぇのか?」
中肉中背、艶のない金色の長髪の中年の男が、下品な笑みを浮かべながら、レックスたちにそう言い返す。
「汚ねぇぞ!」
レックスは表情を険しくし、男たちに向かって怒鳴り返す。
「どうなんだよ?」
中肉中背、艶のない金色の長髪の中年の男は、アルシェラの首元にナイフを突き付けながら、真剣な面持ちで、ロナードに問い掛ける。
「その様な事を言われても、無い物は無い」
ロナードは、落ち着き払った口調で言い返す。
「そうかい。 綺麗な顔に似合わず、強情な兄ちゃんだな」
中肉中背、艶のない金色の長髪の中年の男は、ロナードに言ってから、
「お前等、コイツ等の荷物を探れ。 その後、野郎たちをひん剥いて調べろ」
仲間の二人の男たちに向かってそう言うと、二人は頷き返し、焚火の側に置いてあった、ロナード達の荷物の中をひっくり返し、タグが無いか調べ始めた。
「さて。 まずは上着を……」
中肉中背、艶のない金色の長髪の中年の男は、ニヤニヤと笑いながらそう言うと、アルシェラの上着に手を掛ける。
「姫!」
「いやぁっ!」
レックスが慌てて踏み出そうとし、アルシェラは悲鳴を上げ、抵抗しようとすると、中肉中背、艶のない金色の長髪の中年の男は、持っていたナイフをチラつかせ、
「オメェら! コイツが見えねぇのか! ええっ?」
物凄い剣幕で、レックス達に向かって凄むと、アルシェラの首元にナイフを突き付ける。
「助けて……」
アルシェラは両目に涙を浮かべ、声を震わせながら、レックス達に助けを求める。
「くそっ!」
アルシェラの首元にナイフを突きつけられているのを見て、レックスはどうする事も出来ず、悔しそうな表情を浮かべ呟く。
「ほらほらほら! 早く言わねぇと、このお嬢ちゃんがすっ裸になっちまうぜ?」
中肉中背、艶のない金色の長髪の中年の男は、ニヤニヤと笑いながら、アルシェラの服を無理矢理に脱がせようとする。
「やめろーっ!」
レックスは表情を険しくし、中肉中背、艶のない金色の長髪の中年の男に向かって叫ぶ。
「じゃあ、言う気になったか?」
中肉中背、艶のない金色の長髪の中年の男は、アルシェラから服を脱がせようとしていた手を止め、不敵な笑みを浮かべながら、レックスに問い掛ける。
「だから……本当にねぇんだよ……。」
レックスは、困り果てた様子で、中肉中背、艶のない金色の長髪の中年の男は表情を険しくし、
「オメェも強情だな! 良いぜ! コイツをすっ裸にしてやるよ!」
強い口調でそう言うと、嫌がるアルシェラから無理矢理に服を脱がせようとした時、フワリと何か、蛍の様な……けれど、蛍にしては大きい、緑色の不思議な光を放つ何かが、中肉中背、艶のない金色の長髪の中年の男に近付いた途端、アルシェラの胸元に手を掛けたまま、急にズルりと彼女に凭れ掛かる様にして、その場に崩れる様に倒れてしまった。
「?」
突然の出来事にレックスは驚き、アルシェラは慌てて、中肉中背、艶のない金色の長髪の中年の男から離れ、レックスの下へ駆け寄り、彼の後ろに隠れる。
「な、何だこれっ!」
「ひいいっ! こっちに来るな!」
ロナード達の荷物を物色していた他の二人の男たちの周囲にも、同じ様な緑色の不思議な光が幾つかフワフワと漂っており、得体の知れないそれを見て、男たちは焦り、そう喚いている。
レックスの側にイたロナードが、聞き慣れない言葉を口ずさむと、何処からか凄く甘い香りが漂って来て、それまでギャアギャアと言ってイた二人の男は突如、崩れる様にその場に倒れ込んで動かなくなってしまった。
「な、何だ?」
「どう……なってるの?」
それを見たレックスとアルシェラは、戸惑いの表情を浮かべ揃ってそう呟くが、緑色の不思議な光がスーッと自分たちの方へと飛んで来たので、二人は焦る。
“きゃはははは”
何処からか、幼い女の子たちの笑い声が聞こえて来たので、二人は驚き周囲を見渡すが、薄暗い森の中に、それらしき人物は見当たらない。
けれど、二人の耳にはハッキリと、女の子たちが楽しそうに笑う声が聞こえる。
その時、アルシェラの目の前に過ぎった緑色の不思議に光が、背中に蜻蛉の羽の様な物を生やした、光沢のある全身が緑色の幼女の姿をした、掌程の大きさの生き物である事に気付いた。
そう絵本などで良く出て来る、妖精の様な姿の生き物だったのだ。
「えっ……」
アルシェラは驚きのあまり目を丸くし、息を飲み、自分の目の前を過ぎったそれを目で追い駆けると、何時の間にか、ロナードの周囲にその緑色の光が沢山集まっていて、楽しそうな声を上げながら、彼の周囲を飛んでいるではないか。
「ちょっ、ちょ……ロナードっ!」
それを見たアルシェラは、焦りの表情を浮かべ、平然と立っているロナードの服の袖を引っ張りながら、慌てて声を掛ける。
「何なんだよ!。 それ!」
レックスも焦りの表情を浮かべ、緑色の不思議な光を放つ物を指差しながら呟く。
「落ち着け。 これは風の妖精シルフだ。 お前達に害を加える様な事はしない」
ロナードは、落ち着き払った口調で、焦っている二人に向かって言った。
「よ、妖精?」
「妖精ってあの、絵本とかに出て来るぅ?」
レックスとアルシェラは、戸惑いの表情を浮かべ、おずおずとロナードに問い掛ける。
「そうだ」
ロナードは、落ち着き払った口調でそう答える。
「う、嘘だろ。 妖精って絵本の中だけの、架空の生き物じゃねぇのか?」
レックスは、『信じられない』と言った様子で呟くと、何を思ったのか、ロナードがいきなり彼の頬を思い切り抓った。
「でっ!」
ロナードに頬を抓られたレックスは、思い切り顔を顰め、思わず声を上げてから、恨めしそうに自分の頬を抓ったロナードを睨み、
「いきなり何しやがるんだ!」
強い口調で言うと、ロナードは落ち着き払った口調で、
「夢でも見ているんじゃないかと言う顔をしていたからな」
「だからって、いきなり抓る事はねぇだろ!」
レックスは、ロナードから抓られた方の頬を摩りながら、強い口調で言い返す。
「これで、現実だと分かっただろう?」
ロナードは、頬を抓った事に対し、悪かったとは思っていない様で、淡々(たんたん)とした口調でレックスにそう言った。
「ったく。 オレを何だと思ってんだ!」
レックスは、ムッとした表情を浮かべながら呟く。
「でもどうして、妖精さんたちはぁ、アタシ達の事を助けてくれたのぉ?」
アルシェラは小首を傾げ、不思議そうに言うと、
「俺が、頼んだからだ」
ロナードが落ち着き払った口調でそう答えると、二人は驚き、目を丸くして彼の事を見る。
「ロナードって、妖精さんと喋れるのぉ?」
アルシェラは表情を輝かせ、興味津々と言った様子で、ロナードに問い掛ける。
「『喋れる』……とは少し違うが、意思の疎通は出来る」
ロナードは、淡々とした口調でそう答える。
「良く分かんないけどぉ、それって凄くない?」
アルシェラは、無邪気な笑みを浮かべながら言った。
「……それより、場所を移動しよう」
ロナードは、真剣な面持ちで、アルシェラ達に言うと、
「えっ。 何でぇ?」
アルシェラは、不思議そうな表情を浮かべ、ロナードに問い掛けると、
「ここで、このオッサンたちと一緒に一夜を明かす気か? 魔物以上に油断ならないぞ」
ロナードは、呆れた表情を浮かべ、アルシェラにそう言い返す。
「だな。 何されるか分からねぇから、落ち着いて寝ていられねぇぞ」
レックスも真剣な面持ちで、アルシェラに言うと、
「え~っ。 今から移動するのぉ? 面倒臭い~」
彼女は、物凄く嫌そうな表情を浮かべ、レックス達にそう言い返すと、
「ならば、このオッサン達と一緒に居ろ。 元はと言えば、こうなったのもアンタの所為だしな」
ロナードは男たちが物色し、地面の上に散っている自分の荷物を片付けながら、何処か突き放す様な冷ややかな口調で、アルシェラにそう言い放った。
「寝てる間に、さっきみたいに服ひん剥かれても良いのかよ?」
レックスは呆れた表情を浮かべ、アルシェラに言うと、彼女は慌てて、両手で自分の胸元を隠す様な仕草をして、
「嫌な事、思い出させないで!」
レックスに向かって言い返すと、
「だったら早くしろ。 コイツ等が目を覚ます前に、ずらかるぞ」
ロナードは自分の荷物を片付けながら、落ち着き払った口調でアルシェラに言った。
「つーか、今のうちにコイツ等から、タグを取っちまえば良くね?」
レックスはふと、思い付いた事を口にすると、ロナードは物凄く冷ややかな視線を向け、
「そうしたければ、すると良い。 後でしつこく追い駆けられても知らないからな」
「うっ……」
ロナードの指摘に、レックスはたじろぐ。
「レックス早くしさいよぉ!」
急いで自分のリュックを背負いながら、アルシェラが不満に満ちた表情を浮かべ、グズグズしているレックスに言った。
「レックス! そっち行ったわ!」
森の中で、張り詰めたアルシェラの叫び声が響く。
翌朝、朝食の準備をする為、アルシェラとレックスは、近くの沢まで水を汲みに行く途中で、運悪く魔物と鉢合わせてしまった。
全身が赤色で、腹部に黒色の縞模様の入った、巨大なスズメバチに似た魔物だ。
頭部から尻針の部分まで含めると、一五〇センチはあり、大きな羽音を立てながら、三〇センチ近くある尻針をレックスに向け、突進して来る。
「ひぃぃぃ! く、来るな―――っ!」
レックスは情けない声で、両手に持っている剣を我武者羅に振り回しながら叫ぶ。
「え―――いっ!」
アルシェラはそう言いながら、銃のトリガーを引き、辺りに乾いた銃声が響き、彼女が放った弾丸が勢い良く、巨大なスズメバチに似た魔物に飛んで行くが、僅かに羽を掠めただけであった。
巨大なスズメバチに似た魔物は、アルシェラの攻撃に怒りを顕わにし、体を上下に激しく揺らし始めた。
すると、マラカスの様な音が辺りに響き渡る。
「な、なに?」
アルシェラは、魔物の奇怪な行動に戸惑い呟いていると、彼女の背後から、徐々にブーンと言う蜂の羽音が複数、近付いて来ているのが聞こえた。
どうやら、先程の奇怪な行動は、音で仲間に自分の居場所を知らせる為だった様だ。
「やべぇぞ!」
レックスは、森の奥から別の巨大なスズメバチに似た魔物が数匹、近付いて来ているのを見て、焦りの表情を浮かべ呟く。
そして、近付いて来ている一匹の方から、何かキラッと光る物が、アルシェラ目掛けて飛び出したのを見たレックスは、
「姫っ! 伏せろ!」
とっさにアルシェラに向かって叫ぶと、彼の叫び声にハッとしたアルシェラは振り返り、自分に向かって、鋭く尖った針金の様な物が飛んで来ている事に気付いたが、その数の多さにどうする事も出来ず、立ち尽くす。
「姫―――っ!」
レックスは声を上げ、慌てて駆け出すが、間に合いそうにもない。
アルシェラの全身はサボテンの様に、巨大なスズメバチに似た魔物が放った毒針が刺さると思われた瞬間、無数の小さな金属が、大きな金属に当たる様な音がそんな音がした。
その音を聞いたアルシェラはハッとして、閉じていた目を開く。
彼女はてっきり、またしてもロナードが自分を助けてくれたのだと思い、とっさに『ロナード』と言い掛けて、ハッとした。
そこに居たのはロナードでは無く、別の人物だった。
背中に大きな烏の翼を生やした、黒に近い青紫色の髪を後ろで一つに束ね、濃い緑色の双眸に、ごく薄い赤銅色の肌、スラリと背が高く、黒のチェニックの上から黒色のサーコートに同色のズボン、黒色のブーツと言う出で立ち、見た目は、二十代前半と思われる、温和そうな雰囲気の青年が、静かに佇んでいた。
「お怪我は御座いませんか?」
その青年は、素手で魔物と対峙したまま、背中越しに、落ち着き払った口調で突然、自分の前に現れた彼に戸惑っているアルシェラに、そう問い掛けて来た。
「う、うん……」
アルシェラは戸惑いながらも、そう答えた。
「何処から仕掛けて来るか分りません。 油断はなさらないで下さい」
その青年は、アルシェラを背に庇いながら、彼女に声を掛ける。
「サムート? やっぱオメェも来てたのかよ」
レックスは、戸惑いの表情を浮かべ、アルシェラを助けた青年に問い掛ける。
ロナードが、オルゲン侯爵家の屋敷にの滞在していた間、何時も影の様に彼くっ付いていたので、心配症な彼の事であるから、もしかしたら、ロナードの事を心配してこの会場に来ているのではないかとは、思っていたのだが……。
「若様には、ここへは『来るな』と言われていたのですが、私の立場上、そう言う訳にもいかないものでして……。 止むを得ず」
サムートは、不本意そうな口調で、レックスの問い掛けにそう答えた。
「んな事だろうと思ったぜ」
レックスは、呆れた表情を浮かべ、サムートに言い返す。
「ここで私と出会った事は、若様にはくれぐれも秘密にして下さい。 叱責されますので」
サムートは、魔物と対峙したまま、落ち着き払った口調で、背中越しにレックスに言い終わるや否や、巨大なスズメバチに似た魔物が、尻針から太い針金の様な、鋭く尖った針をサムート達に向かって、無数に繰り出して来た。
焦るアルシェラを余所に、サムートは素早く片手で円を描く様な仕草をすると、突然、彼の前に半透明の緑色の光の壁が現れて、飛んで来た針がその光の壁にぶつかると、硝子に細い金属の針がぶつかった様な音を立て、魔物から繰り出された針は、地面の上にバラバラと落ちた。
「す、すげぇ……」
理屈は分からないが、それを見たレックスはそう呟いていると、突如、背後からか突風が吹き荒れたと思った次の瞬間、緑色の風の刃が飛んで来て、巨大なスズメバチに似た魔物の体が、胴体部分から真っ二つになり、地面の上に転がってしまった。
「んなっ……」
レックスは突然の事に理解出来ず、目を見張り、いきなり真っ二つになって、地面に転がった魔物の死骸に釘付けになる。
魔物たちの方も、突然の事に何が起きたのか理解出来ず、右往左往している。
その隙にサムートが、素早く片手を薙ぎ払う様な仕草をしたと思った次の瞬間、彼の近くにいた魔物はどう言う訳か、鋭利な刃物に切り裂かれたようにバラバラになって、ボトボトと地面の上に落ちた。
それに驚いた他の魔物が、慌てて反撃をしようと構えた時、レックスが背後から熱気を感じた瞬間、レックスの近くにいた魔物が突然火達磨になり、あっという間に炭化し、煙を上げながらドサッと地面の上に転がった。
「へっ?」
レックスは何が起きたのか理解出来ず、間抜けな声を上げ、炭と化した魔物へと目を向けている間に、サムートが残りの一匹を、先程と同じ要領でバラバラにしてしまった。
「凄い……」
それを見て、アルシェラが驚きのあまり目をひん剥いて、そう呟いた。
「二人とも無事か?」
不意に自分の背後から、聞き覚えのある若い男の声がしたので、レックスは振り返ると、何時の間にそこに来ていたのか、ロナードが片方の掌を魔物たちの方へ向けた格好で、息を弾ませながら立っていた。
「お、おう……」
レックスは、ロナードのいきなりの登場に戸惑いつつも、そう返事をした。
「どう言う事だ? サムート。 何故お前が此処に居る?」
ロナードは、驚いて立ち尽くしたままのレックスを挟む様にして、誰の目から見ても物凄く不機嫌そうな顔をして、ドスの利いた低い声でサムートに問い掛ける。
「申し訳ございません。 若様……。 手を出すつもりは無かったのですが……」
サムートは、申し訳なさそうにロナードに言うと、
「俺が問うているのは、そう言う事じゃない! 何故、ここに居るかと聞いている! お前は一体、何処まで俺を病人扱いすれば気が済むんだ?」
ロナードは苛立った様な強い口調で、サムートに向かって言った。
ロナードが相当腹を立てている事は、アルシェラもレックスも理解でき、二人は揃って戸惑いの表情を浮かべ、二人を見比べる。
「これは偏に、人間の国では何が起きるか分からぬ故、ルオンを滞在している間は、片時も若様から目を離すなと、我が王からの命令を受けての事でして……。 決して、若様の力量を軽んじている訳では……」
サムートは、焦りの表情を浮かべつつ、ロナードにそう弁明する。
「ラシャの奴……」
ロナードは、ゲンナリした表情を浮かべて、片手を自分の額に添えると、何処か疲れた様な口調で呟いた。
「それより若様。 その様に立て続けに術を用いられて、お体は大丈夫なのですか? あまり、ご無理はなさらない方が……」
サムートは心配そうな表情を浮かべ、ロナードに問い掛ける。
「問題ない。 お前も何時までも俺を病人扱いするな」
ロナードは、落ち着き払った口調でそう答える。
「はい……」
サムートはそう言い返したが、その顔はとても心配そうだ。
「……分かった。 自重はする」
ロナードは、サムートが心配で堪らないと言う顔をしているのを見て、軽く溜息を付くと、何処か五月蠅そうな口調で、彼にそう付け加えた。
「そうなさって下さい。 この様な場所で倒れられては、洒落になりません」
サムートは、心配そうな表情を浮かべたまま、ロナードにそう返してから、徐にアルシェラとレックスの方へと目を向け、
「お二人とも」
穏やかな口調で、そう二人に声を掛ける。
「えは?」
「な、なにぃ? いきなり」
急にサムートに声を掛けられ、レックスとアルシェラは、戸惑いの表情を浮かべ、彼に問い返す。
「あまり若様に無理をさせないで下さい。 あなた方が思うより、魔術の使用は体力を大きく削ります。 ご自分たちの力で解決する事を心掛けて頂けると助かります」
サムートは、真剣な面持ちで、戸惑って居る二人に言った。
「えっ。 あ、お、おう……」
レックスは、戸惑いつつもそう返事をした。
「レックス。 お二人は貴方の様に体力がある訳ではありません。 自分を基準で考えると忽ち、二人ともバテてしまいます。 体力のある貴方がしっかり、若様のフォローをして下さい。 お願いします」
サムートは、真剣な面持ちでそう言うと、レックスは戸惑いつつも、
「お、おう。 分かった」
「アルシェラ様も我儘ばかり言って、お二人を困らせないで下さいね」
サムートは更に、アルシェラにもそう言うと、彼女はムッとした表情を浮かべ、
「何よそれ。 変な言い掛かりは止めてくれない?」
強い口調でサムートにそう言い返すと、ロナードは溜息を付き、
「……自覚が無いんだな……」
ゲンナリとした表情を浮かべ呟いた。
「昨日、あれだけ散々な目に遭ったのに、懲りてねぇのかよ」
レックスは呆れた表情を浮かべ、アルシェラに言うと、彼女は物凄く不満そうな顔をして、
「酷いっ! アタシが何時、二人に迷惑を掛けたって言うのよぉ?」
自分の腰元に両手を添え、口を尖らせ、強い口調でレックスにそう言い返すので、彼はたじろぐのを見て、ロナードは肩を竦める。
「ねぇ。 何でサムートは、何処かに行っちゃったの?」
サムートと別れた後、少し遅い朝食を取りながら、アルシェラは不思議そうに、焚火を挟んで向かいに座っていたロナードに問い掛ける。
「アイツの参加は認められていないからな」
ロナードは非常食用の堅いパンを、塩コショウで味付けしただけの、ほぼ水の様な、具など殆ど入っていないスープに浸しながら、そう答えた。
(うえっ。 マズっ……。 ただのお湯じゃねぇかよ。 コレ)
これまで一度も自炊などした事の無いアルシェラが、粋がって作ったのだが、予想通りの残念な味に、レックスは心の中で呟いた。
それでも、マズイなどと言わず、ちゃんと食べようとするロナードは偉いと、レックスは思った。
「なにそれ。 じゃあ何で、あんな所にいたのよ?。 何の為のロナードの護衛なの?」
アルシェラは口を尖らせ、不満そうに言いながら、なかなか千切れないパンを、何とか千切ろうと、歯を食いしばる。
「王女やオルゲン将軍は、俺の実力を知りたいのに、俺がアイツの力を借りては、意味が無いだろう?」
ロナードは、淡々とした口調でそう答えた。
「だから、サムートはオレたちの邪魔にならない様に、何処かに行ったんだろ? オレ等の話、聞いてたのかよ?」
レックスも呆れた表情を浮かべつつ、アルシェラに言った。
「でも、良い家臣を持ってるのも、その人の実力の一つじゃない」
アルシェラは、不満そうな表情を浮かべつつ、レックスに言い返すと、
「家臣の力も自分の力の内と言いたいのか? 如何にも、貴族の姫君が考えそうな事だな」
ロナードは、何処か軽蔑にも似た眼差しをアルシェラに向け、物凄く冷ややかな口調で言った。
「そうよ。 だって、その家臣を使うのは、アタシたちな訳なんだしぃ」
アルシェラは『当然』と言わんばかりの様子で、ロナードに言い返す。
アルシェラの物言いには、レックスは少し癪に触った。
レックスたちは日夜、自分自身と主の命を守る為、必死に鍛錬をしていると言うのに、アルシェラは何の努力も無しに、その自分たちの力を自分の力として用いる事を、当然だと思っている。
それは可笑しいと、レックスは素直に思ってしまったのだ。
「……他者の力を用いるのならば、それ相応の器量を持たなければ、例え命令しても、相手が自分を従えるに相応しいと思っていなければ従う訳がない。 人の上に立って、人を使うと言うのは、そう言う事だ」
ロナードは落ち着き払った口調で、アルシェラにそう説く。
(おお! コイツ、すげぇ良いこと言うじゃねぇかよ! 愛想はねぇけど、姫よりも遥かに人として真面だぜ)
ロナードの言葉を聞いたレックスは、心の中でそう呟くと、素直に称賛した。
「そんな難しいこと言われてもアタシ、分かんないしぃ。 その話はもう止めてさあ、何か別の話をしない?」
アルシェラは、五月蠅そうな表情を浮かべ、自分の髪を片手で弄りながら、面倒臭そうな口調で、ロナードに言い返した。
(コイツ!)
アルシェラの言動にロナードはカチンと来て、心の中でそう呟くと、彼女を無言で睨み付けた。
「そ、そんな事、姫は小せぇ頃から言われてるから、今更なんだろ?」
ロナードの反応を見て、レックスは苦笑いを浮かべながら、彼に言うと、
「『そんな難しい事』と、言っていた様な気がするが……」
ロナードは、不満そうな表情を浮かべつつ、レックスに言い返す。
「い、いや……なんつーか、理屈ぽいって言うか、哲学的な(?)言い方をされると、分からねぇって意味じゃねぇのかな?」
レックスは苦笑いを浮かべたまま、ロナードの不満に満ちた視線に焦りつつ、そう付け加えた。
「……」
ロナードは、不満そうな表情を浮かべつつも、それ以上の追及はして来なかったので、レックスはホッと胸を撫で下ろした。
(つーか何で、オレがロナードに言い訳しなきゃなんねぇんだよ?)
レックスは不満そうな表情を浮かべ、心の中で呟くと、チラリとアルシェラの方へと視線を向ける。
当のアルシェラは、レックスのは気持ちを知ってか、知らずか、呑気に欠伸をしている。
「ってかさぁ、ロナードってルオンに来る前って何してたのぉ? 何か野宿するのとか、魔物を見るのとかも慣れてるカンジじゃない?」
アルシェラは、ふと思った事を、何気にロナードに問い掛けた。
「……以前は、傭兵をしていた」
ロナードは、落ち着き払った口調で答えた。
(傭兵? 成程な。 どーりで何でも手際が良い訳だぜ)
ロナードの言葉を聞いて、レックスは色々と納得出来る点があり、思わず、心の中でそう呟いた。
「傭兵って、何歳くらいからやってんだ?」
レックスは、力任せに堅いパンを引き千切ると、口に放り込みながら、ロナードに問い掛ける。
「十一くらいからだ」
ロナードは、千切ったパンをスープに浸しながら、淡々とした口調で答えた。
「十一……」
レックスは呟きながら、自分がその位の年齢の頃、何をしていたのかを思い出してみた。
(その頃のオレって、メイとか近所の奴等と普通に、朝から夕方まで、親の手伝いもしねぇで、ムッチャ遊んでたぞ)
レックスは、当時の事を思い出しながら、心の中で呟いた。
レックスは、戦死した父親は竜騎士団に所属しており、名誉貴族の称号を持っていた為、母親と二人慎ましく暮らす分には困らないだけの蓄えがあったし、母親も働きに出ていたお蔭で、大した不自由もせずに少年時代を過ごす事が出来た。
自分がのうのうと遊んでいた時期に、ロナードは既に、自分自身を生かす為に、傭兵として働いていたと言うのだ。
家庭の事情で、親の手伝いをする為にあまり遊べず、早くから仕事を手伝っている子供は近所にもいたが、大人並みに仕事をしている奴がいた事には、驚きだった。
「じゃあ今回、新しい組織に入るのも、傭兵として雇われてって事なの?」
アルシェラは更に、己の好奇心に任せてロナードに問い掛ける。
「いや……。 色々あって、今は傭兵業からは身を引いている。 こうして実戦をするのも、かなり久しぶりだ」
ロナードは複雑な表情を浮かべつつ、少し歯切れ悪く、アルシェラにそう説明した。
「ふぅん」
アルシェラは、自分から尋ねた割には、どうでも良さそうな感じで言った。
「って言うかよ、オレ、やっぱ無理だわ」
レックスは思い切り顔を顰め、突然、呟いた。
「?」
ロナードは突然の事で、戸惑いの表情を浮かべ、レックスを見る。
「これ、どー頑張っても美味いとは思えねぇ。 わりぃけど食えねぇ」
レックスは、手にしていたスープを見ながら、二人に向かって真剣な面持ちでそう言った。
「酷い! アタシが初めて作った料理が、食べられないって言うのぉ?」
レックスの発言を聞いて、アルシェラはムッとした表情を浮かべ、強い口調で彼に言い返した。
「……アンタ、ちゃんと味見はしたのか?」
ロナードは、淡々とした口調で、アルシェラに問い掛ける。
「えーっと、して無い……かなぁ」
アルシェラはそう言い返すと『テヘ』と言いながら、ペロッと舌を出しておどける。
「……だろうな。 一度でも味見をしていれば、人に食べさせられる代物じゃないと、気付いているだろうからな」
ロナードは、軽く溜息を付いてから、淡々とした口調でアルシェラに言い返した。
「そんなぁ。 ロナードまで酷い~っ」
アルシェラは、ムッとした表情を浮かべ、口を尖らせ、ロナードに言い返す。
「ってか姫は食ったのかよ? 自分が作ったこの激不味スープをよ!」
レックスは、不満に満ちた表情を浮かべ、強い口調でアルシェラに問い掛けると、彼女はギクリと身を強張らせ、
「ま、まだだけどぉ……」
バッの悪そうな表情を浮かべ、目を泳がせながら、そう言い返す。
「作っている時点で、美味しくはないだろうとは思っていたが、余りに想像していた通りの味で、もはや驚くのを通り越して、絶望しかない」
ロナードは、スープを見つめながら、溜息混じりに言った。
「ってお前、絶望しながら食ってたのかよ……」
ロナードの発言を聞いて、レックスは戸惑いの表情を浮かべ、彼に問い掛ける。
「スープとしては絶望的だが、パンをふやかすには、丁度良い塩加減だからな。 スープとして味わう事は切り捨てた」
ロナードは、落ち着き払った口調で、レックスにそう語った。
「……お前、何気にすげぇ酷でぇ事言ってるぜ」
レックスは呆れた表情を浮かべ、ロナードに言った。
「事実だから、仕方が無い」
ロナードは、悪かったとは微塵も思っていない様で、淡々とした口調で言い放った。
「さ、流石はロナード。 アタシは最初から、スープしゃなくて、パンをふやかす水的なモノを作ってたのよぉ」
アルシェラは何を思ったのか、とっさにその様な事を言い出した。
「開き直りやがった」
アルシェラの発言を聞いて、レックスは呆れた表情を浮かべ呟く。
「……苦しい言い訳にしか、聞こえないな」
ロナードは、溜め息を付いてから、冷ややかな口調で呟いた。
「酷い。 そんなに気に入らないなら、食べなくて良いしぃ!」
アルシェラは、内心は物凄く腹が立っていたが、目元を潤ませながら、片手で涙を拭う様な仕草をしながら、ロナード達に向かって言った。
「そう言う訳にもいかないだろう。 嫌でもこれで腹を満たして貰わねば、食料に限りがあるのだから」
ロナードは、淡々とした口調でそう語ると、それを聞いたレックスは苦々しい表情を浮かべ、
「けどよ……」
「食える物があるだけ、有難いと思え」
ロナードは、淡々とした口調で、レックスに言い返す。
「つーか。 ぜってぇ、持たせてくれた食料けじゃ一週間もたねぇぜ? 食うもんが無くなったらどーすんだよ?」
レックスは不満そうな表情を浮かべながら、ロナードにそう語る。
「昨日みたいに、現地調達するしかないだろう」
ロナードは軽く溜息を付いてから、レックスに言い返すと、
「はあ? お前それ、マジで言ってんのか?」
レックスは思い切り顔を顰め、不満に満ちた表情を浮かべ、ロナードに言った。
「サバイバルと言っていただろう? 要は、魔物退治をすれば良いだけの試験では無いと言う事だ。 だから受験者が持ち込もうとしていた食料は全て、没収されたんだろう?」
ロナードは、落ち着き払った口調でそう指摘すると、
「マジか……」
レックスは、呆然とした様子で呟く。
「えーっ。 アタシ自信な~い」
アルシェラは、ゲンナリとした表情を浮かべ言った。
「そうか。 ならばリタイアすれば良い。 そうした事で、無断で参加したアンタが、どの様な評価を受ける事になるのか、俺は知らないが……」
ロナードは何処か突き放す様な、冷ややかな口調でアルシェラに言った。
「えーっ。 それは困るぅ」
アルシェラはムッとした表情を浮かべ、口を尖らせながら、ロナードに言い返した。
「それは、俺も同じだ」
ロナードは、溜息混じりに言った。
「ロナード、何とかしてぇ?」
アルシェラは、ロナードに上目遣いをしながら、甘え声で言うと、
「知るか」
ロナードは、素っ気ない口調で言うと、アルシェラはムッとして、
「ロナードって、なんか態度、冷たくない?」
「悪かったな」
ロナードはムッとした顔をして、素っ気なく言い返す。
「そんな風に言い返されたら、何も言えなくなるじゃない」
アルシェラは、ムッとした表情を浮かべながらロナードに言い返すと、
「別に俺は誰かに媚び諂う気はないし、無理をしてまで、人から好かれようとも思わない。 余計な世話だ」
ロナードは、物凄く五月蠅そうな表情を浮かべ、突き放す様な口調で、アルシェラに言い放った。
「そんな言い方はねぇだろ」
レックスは、呆れた表情を浮かべながらロナードに言うと、
「そう言うのを要らぬ世話と言うんだ。 人の事を心配するより、自分たちの事を心配した方が良んじゃないのか?」
ロナードは、淡々とした口調でレックスに言うと、彼はドキッとし、思わず顔を強張らせたが、直ぐに苦笑いを浮かべる。