出会い
主な登場人物
ロナード…漆黒の髪に紫色の双眸が特徴的な、傭兵業を生業として居た魔術師の青年。 落ち着いた雰囲気の、実年齢よりも大人びて見える美青年。 一七歳。
エルトシャン…オルゲン将軍の甥で、新設された組織『ケルベロス』のリーダー。 愛想が良く、柔和な物腰な好青年。 王国内で指折りの剣の使い手。 二一歳。
アルシェラ…ルオン王国の将軍オルゲンの娘。 カタリナ王女の命を受け、新設される組織に渋々加わっているが……。 一六歳。
オルゲン将軍…ルオン王国のカタリナ王女の腹心で、『ルオンの双璧』と称される、幾多の戦場で活躍をして来た老将軍。 魔物退治専門の組織『ケルベロス』を、カタリナ王女と共に立ち上げた人物。
レックス…オルゲン侯爵家に仕えて居た騎士見習いの青年。 正義感が強く、喧嘩っ早い所がある。 一七歳。
カタリナ王女…ルオン王国の王女。 病床にある父王に代わり、数年前から政を行っているのだが、宰相ベオルフ一派の所為で、思う様に政策が出来ずにおり、王位を脅かされている。 自身は文武に長けた美女。 二二歳。
サムート…クラレス公国に住む、烏族の長の妹サラサに仕える、烏族の青年。 ロナードの事を気に掛けている主の為にルオンとクラレスを行き来している。 人当たりの良い、物腰の柔らかい青年。
メイ…オルゲン侯爵家に仕えている騎士見習いの少女。 レックスとは幼馴染。 ボウガンの名手。 十七歳。
その日の夕方、オルゲン将軍の娘である好奇心旺盛のアルシェラが、『客人に早く会いたい』とせがんだのか、客人を退屈させては失礼だと言う、執事長たちが判断したのか分からないが、ロナード達はオルゲン将軍が帰宅する前から、屋敷の応接間へと通され、先に娘のアルシェラと会い、共に将軍の帰りを待つと言う事となった。
「面倒臭いな。 オルゲン将軍はまだ、帰って来てないのだろう?。 少しは休ませろ」
リビングへ向かう途中、ロナードは物凄く不機嫌そうに、従者のサムートにそう愚痴った。
「主が戻るまで、私たちをただ部屋の中で待たせているのも、失礼だと先方は思ったのでしょう」
サムートは、苦笑いを浮かべながら、ロナードにそう言い返した。
「何をもって失礼かと判断するかは、人それぞれ……と言う事か」
ロナードは、特大の溜息を付いてから呟いた。
(大分、お疲れの様だね……)
ロナード達のやり取りを聞いて、エルトシャンは心の中で呟くと苦笑いを浮かべる。
(ちょっと列車に乗って遠くから来ただけなのに、オメェが疲れ過ぎなだけだろ)
ロナードのボヤキを聞いていたレックスは、心の中で呟いた。
「あ、来た。 来たぁ♪」
応接間の前の廊下で、ピンク色のフリルが付いたドレスに身を包んだ、銀髪の少女がソワソワと落ち着かない様子で立っているのが見え、ロナード達の姿を認めるなり、小さな子供の様に嬉しそうに声を弾ませ、そう言うと、急いでリビングの方へと入って行った。
(なーにやってるんだよ。 アルは。 小さな子供じゃあるまいし……。 恥ずかしいなぁ。 もう)
それを見たエルトシャンは、呆れた表情を浮かべながら、心の中で呟いた。
「あれは?」
それを見たロナードは、不思議そうな表情を浮かべ、エルトシャンに問い掛ける。
「あははは。 御免ね。 あの子がオルゲン将軍の娘のアルシェラだよ」
エルトシャンは、苦笑いを浮かべながら、ロナードに答えると、
「随分と幼いな。 一二、三歳くらいか?」
彼は、アルシェラを見た印象を、素直に口にした。
(えっ。 じゅ、一二、三歳……。 確かに、見えなくも無いけど……そこまでお子ちゃまに見られるとはね……。 参ったな)
アルシェラの実年齢を知っているエルトシャンは、ロナードの発言を聞いて、何だか情けなくなった。
アルシェラは、オルゲン将軍に甘やかされて育った為、自由奔放で、その場の雰囲気などお構いなしの言動と、貴族の令嬢らしからぬ振る舞いを平気でするので、彼女の所為でエルトシャンも随分と、社交界では恥をかかされている。
エルトシャンも、貴族の令嬢として、社交の場に出ても恥ずかしくない、最低限の礼節を身に付ける様にと、何度も彼女に言っているのだが、全く聞き入れて貰えずにいる。
その所為で恥をかくのは、アルシェラ自身では無く、父親のオルゲン将軍や、その身内にまで及ぶと言う事を彼女は分かっていない様だ。
部屋の前に立っていた兵士に、応接間の扉を開いてもらい、ロナード達は部屋の中に入ると、部屋の中央には会食用の白い清潔そうなテーブルクロスが掛けられた大きな円卓の上に、肉や魚介、果物や菓子など、様々(さまざま)な料理が並べられ、テーブルの周囲に人数分の椅子が配置されているのが、真っ先に目に飛び込んで来た。
「……余程、俺たちが食うと、思ってるのだろうな……」
目の前のテーブルの上に、食べ切れそうに無いほど並んでいる、沢山の料理を見て、ロナードはやや引き気味に呟いた。
(うーん……。 僕も流石にこんなに食べないかな。 ってか、ロナードの好き嫌いを確認して無い様な気がするけど……大丈夫なのかな?)
エルトシャンも、何時も以上に張り切った様子の食事を見て、心の中で呟くと、苦笑いを浮かべた。
「一生懸命、用意して下さったのですから、出来る限り食べましょう」
サムートも、苦笑いを浮かべながら、ロナードに言った。
既に奥の席には先程、この部屋の前の廊下でウロウロしていたアルシェラが座っており、その事にロナード達が気付くと、満面の笑みを浮かべ、ヒラヒラと手を振って来た。
(ああもう!。 そう言う恥ずかしい事は止めてよね!)
アルシェラの幼い振る舞いを見て、エルトシャンは苛立ちを覚え、心の中で呟いた。
異常にテンションの高い彼女に、ロナードは一瞬、どうして良いのか分からなくなり、その場に固まってしまったが、直ぐにペコリと軽く会釈を返した。
「随分と、愛嬌のある方ですね」
アルシェラの行動を見て、サムートは苦笑いを浮かべながら、側に居たロナードにそう耳打ちすると、彼は、ゲンナリとした表情を浮かべた。
「改めて紹介するよ。 こちらは、オルゲン将軍のご息女アルシェラ嬢。 アル。 こちらは、クラレス公国、クレーエ伯爵の身内のロナード殿だよ」
エルトシャンは軽く咳払いをしてから、落ち着き払った口調で双方を紹介する。
(うわぁ。 すっっっごいイケメン♥ エルトと同い年くらいかなぁ? ちょー好み♥)
アルシェラは、ロナードを見るなり、心の中でそう呟くと熱い視線を彼に送る。
「アルシェラよ。 宜しくぅ」
アルシェラはニコニコと微笑みながら、猫なで声でそう言うと、チラチラと上目遣いでロナードの事を見る。
(だ・か・らっ! そう言う稚拙な挨拶じゃなくて、もっとちゃんとした挨拶をしなって! 君、一応、伯父上の代理として居るんじゃないの? そこ分かってる? 分かってないよね? 絶対)
エルトシャンはアルシェラの言動を見て、心の中でそう呟くと、人知れず、額に青筋を浮かべる。
「貴女と会う事が出来て嬉しく思っている。 暫くオルゲン家に滞在し、世話になる予定だ。 その間、宜しく頼む」
ロナードは、落ち着き払った様子で、淡々とした口調で、アルシェラに言った。
アルシェラに対し、ニコリともしないロナードに、侍女や兵士たちはレックスが初めに抱いた印象と同様に、無愛想だと思った。
(ああもう! ロナードからも挨拶、適当にされたじゃん! 絶対、真面に取り合う必要のない相手だと判断されたよ)
ロナードの物凄く冷めた反応と、適当な挨拶に、エルトシャンは心の中でそう呟くと、とても泣きたい気持ちになってきた。
それでも、イケメンに目が無いアルシェラは、ロナードが自分に対して挨拶を省いた事など気にしていない(適当にされたと気付いていない?)のか、とても眉目秀麗な上、ある程度の身分がある相手なので、気にしていない様だ。
それに加えて、お屋敷で大勢を招いて宴を催すと言う事は、年に何度かあるが、この様な形でオルゲン家に客人が来る事など滅多にないので、アルシェラは何時になくご機嫌だ。
妙なテンションの彼女に、ロナードはもうこの時点で、既について行けてない様だ……。
「綺麗な黒髪ね。 アタシ、初めて見たわ♥」
アルシェラはニッコリと笑みを浮かべ、ロナードにそう言うと、その言葉を聞いて彼は一瞬、表情を強張らせた。
(ロナードが一番、触れて欲しくなさそうな事を……よりによって褒めるなんて……)
ロナードが、怒りと不快感が入り混じった目で、アルシェラを見ているので、エルトシャンは心の中で呟いた。
居合わせた執事や侍女たちも、この相手の感情を逆なでしかねない発言を聞いて焦り、一瞬にして、辺りに冷たく張り詰めた空気が漂う……。
アルシェラは蝶よ花よと育てられ、世間知らずな為、黒髪が忌み嫌われているとは知らなかったのだろうが、ロナードはそんな事など分かる筈も無いので、彼女の先程の挑発、或いは侮辱とも取れる一言で、物凄く心象が悪くなったに違いない。
そんな事とは知らず、アルシェラはヘラヘラと笑っており、それが余計に相手を挑発している様にも見えた。
エルトシャンは今すぐにでも、アルシェラを土下座させ、ロナードに謝らせたい衝動に駆られたが、そうする事は余計に彼を差別し、傷つける事になるかも知れないと思い、グっと堪えた。
(何だ。 このすっげぇ温度差)
同行しているレックスも、アルシェラとロナードの間に、真夏と冬くらいの温度差がある事を感じ、戸惑いの表情を浮かべ、心の中で呟いた。
「た、旅芸人一座を呼んでおりますので、お館様がお戻りになられるまでの間、ごゆるりとお楽しみ下さい」
何とか場の空気を変えようと執事長が焦りの表情を浮かべつつ言うと、ロナード達に席に着くように促した後、パンパンと手を叩く。
すると、目隠しの為にされていた間仕切りの後ろから、奇抜な格好をした道化師が現れた。
「ほ、ほ、ほ、本日は、この様な場にお招き頂き……こ、こ、こ、光栄でふ」
ルオン国内では、その名を知らぬ人は居ないと言われる程の名家、オルゲン侯爵家に突然呼ばれ、道化師はかなり緊張している様で、緊張で声を震わせ、直立不動で体はガチガチになっている。
「で、では、まずは……この私、道化師の曲芸をお楽しみ下ひゃい」
相変わらず緊張している様子で、道化師の格好をした男は時折、声を裏返し、呂律が回らない状態でそう言うと、ぎこちなくペコッと頭を下げる。
その後、他のメンバー達も緊張しているのか、聞くに堪えない滅茶苦茶なバックミュージックを背に、道化師は大きなボールに乗り、バランスを取りながら、逆立ちや片足立ち、ジャグリングなどを披露する筈であったのだろうが、片足立ちはバランスを崩しボールの上から転落、逆立ちも失敗し、ボールの上から落ちて床に背中を強打、ジャグリング用のマラカスは掴み損ね、床の上に音を立てて全て転がってしまうと言う散々(さんざん)な事に……。
(えっと……これはウケ狙いなのかな? それともガチなやつ?)
エルトシャンは道化師たちの様子を見て、心の中で呟き、戸惑いの表情を浮かべながら呟く。
当人としては、不本意極まりない結果であっただろうが、道化師と言うだけあって、態と失敗しているのだと勘違いしたアルシェラや一緒にいた侍女たちは大爆笑。
始めは、道化師に気の毒そうな視線を向けていたロナードも、彼の余りに悲惨な状況に思わず噴き出して声を潜めて笑ってしまい、彼の側にいたサムートもクスクスと笑い、不安そうに見守っていたエルトシャンも可笑しさのあまり、腹を抱えて大爆笑した。
「あははは。 あー可笑しい」
アルシェラは涙が出るほど可笑しかったのか、そう言いながら、手の甲で目元の涙を拭う。
その後も、緊張のあまり、ナイフ投げをする芸人が手を滑らせ、ナイフが自分の靴に刺さったり、小型の猿が言う事を聞かず、怒って調教師の顔を引っ掻き、部屋の中を大暴走。
それには、居合わせた侍女たちが悲鳴を上げて逃げ惑い、彼女たちの声が一層、猿を興奮させる事となる。
すっかり興奮した猿は、周囲の者たちを威嚇し、部屋の中を駆け回り、レックスの頭を踏み付け、テーブルの上にあったバナナを強奪し、捕まえようとする調教師たちを更に威嚇。
自分と目が合ったロナードに飛び掛ろうとしたところ、ロナードは軽々と猿の攻撃を避けながら、素早く猿の首根っこを掴み、見事に猿を捕獲。
それには思わず、その場に居た誰もが感嘆の声を上げ、手を叩いて称賛した。
だが猿は、受け取りに来た調教師に牙を剥き、威嚇し続けていたのだが、再びロナードと目が合うと、何故か大人しくなり、どう言う訳か彼の膝の上で行儀良く座り、器用にバナナの皮を剥き、それを健気に彼に差し出すと言う、忠義心を見せた。
それには、調教師は酷くショックを受けている様だった。
もはや、ロナードと猿の間には、ボス猿と子分と言う構図が出来上がってしまった様だった。
こうして、やる事なす事、ガタガタの芸人一座だったのだが、それがかえって面白く、部屋の中から笑い声が絶えなかった。
(まあ、彼が楽しめたのなら、細かい事はこの際、良いかな)
などと、テーブルを挟んで向かいの席に座っていた、ロナードが声を上げて笑うのを堪えているのか、片手で口元を抑え、肩を震わせているのを見て、エルトシャンは思うのであった。
「あ~。 今日は本当に楽しかった」
ロナード達を歓迎する宴が終わると、アルシェラは自分の部屋に戻り、満足そうに笑みを浮かべながら言った。
「それはよう御座いましたね。 姫様」
彼女付の若い侍女がそう言いながら、ソファーに座った彼女の頭の飾りなどを手早く外す。
「うん」
アルシェラは、満面の笑みを浮かべたまま返事を返した。
(姫様、本当にご機嫌ね)
侍女は、何時になく上機嫌なアルシェラを見て、心の中で呟く。
何時も我儘で、自分の気に入らない事があると、侍女たちに当たり散らかすのだが、今日はその心配はなさそうだ。
「ロナードって、ホント、イケメンよねぇ……」
アルシェラは、小さな子供の様にソファーに座ったまま、両脚を前後にプラプラさせながら、ほぅと溜息を付いてから、ウットリした表情を浮かべながら言う。
(確かに。 エルトシャン様以来の凄いイケメンだったわ……)
宴の席には居合わせなかったが、ロナードが馬車から降りて来たのを見ていた彼女は、心の中で素直にアルシェラの言葉に賛同した。
「エルトもイケメンだけど、また違ったタイプのイケメンなのよねぇ」
アルシェラは自分の頬に片手を添え、溜め息混じりに呟く。
「左様で御座いますね」
侍女は、アルシェラの結んでいる髪を梳きながら、穏やかな口調で返す。
最初こそ、ロナードを見て『不吉』だの何だのと騒いでいた侍女たちだが、彼の落ち着いた、何とも言えない雰囲気にすっかり心奪われていた。
「お父様は何も言わなかったけれど、彼ってもしかして、アタシの婚約者候補かな?」
アルシェラは、ニヤニヤしながら言うと、
「さあ。 その様な事は伺っておりませんが……」
侍女は落ち着いた口調で返す。
「そうだと良いな~。 顔なんてモロにタイプだし。 エルトと違って、アタシの話をちゃんと聞いてくれて、良い感じだった。 エルトより年下って聞いたけど、全然そんなカンジしなくて、落ち着きがあって凄く大人なカンジ」
アルシェラは両方の掌を合わせ、頬を微かに紅潮させ、ニコニコと笑みを浮かべながら言う。
「とても、紳士的な方なのですね?」
侍女は、穏やかな笑みを浮かべつつ、優しい口調で問い掛けると、
「そう」
アルシェラは、嬉しそうに答えた。
「明日も朝から彼と顔を合わせて一緒に朝食だなんて、考えるだけでもテンション上がるわぁ~。 はわぁ~。 どんな格好にしよう。 明日が楽しみ♪」
アルシェラは、忙しく足をパタパタさせながら、本当に嬉しそうに言う。
「そう仰るのでしたら、そろそろお休み下さいませ。 夜更かしは美容の大敵ですよ」
侍女は、アルシェラの結っていた髪を梳き終ると、そう言った。
「そうね。 朝からキュートなアタシを見せて、ロナードをメロメロにしなきゃだし!」
アルシェラは、ニマニマと笑みを浮かべ、声を弾ませながら言う。
翌朝……。
(どーして、この人が此処に居るの?)
メイは、兵士たちの稽古場にロナードの姿を見付けると、戸惑いの表情を浮かべ、心の中で呟いた。
「よぉ。 メイ。 遅かったな」
レックスはタオルで汗を拭いつつ、遅れて来たメイに片手を上げながら、そう言って歩み寄って来た。
「お嬢様が、何時も以上に朝の支度に気合を入れた所為でね……」
メイはアルシェラの専属護衛の一人で、アルシェラの起床と共に彼女の部屋の前に立っていたのだが、朝支度に彼女が手間取った所為で、護衛をしてイる彼女も遅くなり、ゲンナリとした表情を浮かべながら答えた。
「ふぅん」
レックスは、どうでも良さそうな口調で返す。
「ってか、何でロナード様がここに? お嬢様は学校へ行かれるから、もう朝食を取りにに行かれたのに……」
メイは、戸惑いの表情を浮かべつつ、レックスに問い掛ける。
「良く知らねぇけど、今日から屋敷に滞在してる間、感覚を取り戻す為に、朝、夕、オレたちの稽古に加わるんだとよ」
レックスは、チラリとロナードの方へと向けつつ、然して興味の無さそうな口調で答えた。
「えええっ!」
それを聞いたメイは、焦りの表情を浮かべつつ、思わず声を上げる。
(そんな事したら、お嬢様と朝食を一緒に取れないじゃない……。 今頃、絶対に怒ってる筈!)
メイは、焦りの表情を浮かべたまま、心の中で呟く。
アルシェラは何時も、侍女が起こしてもなかなか起きないのに、今日はスッとベッドから起きると、終始ご機嫌の様子で、何時も以上に着飾り、意気込んで、スキップでもしそうな勢いで朝食を取りに食堂へ向かったのだ。
「次」
不意にロナードの声が周囲に響く。
「えっ……」
「なっ……」
それを聞いて、メイとレックスは思わず、彼がいる方へと目を向けた。
メイが来た時に、ロナードと手合わせを始めた筈の先輩兵士が、呻き声を上げながら、地面の上に這いつくばっているではないか!。
(ちょ、ちょっと待って! 何で先輩がレックスと話してたあの僅かな時間で、こんなにボコボコになってるの? 手心を加えたとしても、これはちょっと可笑しくない?)
それを見たメイは、呆然とした表情を浮かべ、見事なまでにボコボコにされ、土埃塗れになって地面の上に転がっている先輩兵士を見ながら、心の中で呟く。
「へぇ……。 ちったぁ、やるじゃん」
レックスは、不敵な笑みを浮かべながら、ロナードに言った。
(いやいやいや……『ちったぁ』って所じゃないわよ! 全く息が上がって無いわよ?)
メイは、先輩兵士はボコボコになっているのに、ロナードは実に涼しい顔をして佇んでいるのを見て、心の中で呟く。
「……お前は、少しは骨があるんだろうな?」
ロナードは、声を掛けて来たレックスの方へ振り返りつつ、挑発するかの様に不敵な笑みを浮かべながら言った。
「けっ! 先輩をボコした位で、いい気になってんじゃねぇぞ。 オレは、このお屋敷での模擬戦で負けなしなんだからな」
レックスは、不敵な笑みを浮かべながら言うと、稽古用の木の剣を二本手にし、徐に身構えた。
「ふぅん?」
ロナードは、不敵な笑みを浮かべ返す。
(馬鹿っ! 自分でハードル上げて、どーすんのよ!)
メイは、妙に自信満々(じしんまんまん)のレックスの言動に、心の中で叫ぶ。
「その賺した顔を泣き面にしてやんよ」
レックスは、不敵な笑みを浮かべながらロナードに言う。
「御託は良い。 掛って来い」
ロナードは、落ち着いた口調でそう返すと、素早く身構えた。
(えっ……。 この構えって……。)
メイは、ロナードが身構えた姿を見て、戸惑いの表情を浮かべ、心の中で呟く。
「へぇ。 オレと同じ流派かよ! 面白れぇ」
レックスは、不敵な笑みを浮かべ、ロナードに言う。
(レックスと流派が同じってどう言う事? だってこの流派は……ルオンの竜騎士団にしか伝わらないモノの筈なんじゃ……)
メイは、ロナードを見つめ、戸惑いの表情を浮かべたまま、心の中で呟く。
そう。
レックスの死んだ父親はオルゲン将軍の部下で、その好で幼少期からレックスは、オルゲン将軍の下で、甥であるエルトシャンたちと共に、その剣術を習っていた。
だから、レックスやエルトシャンが今は解体してしまった、ルオン竜騎士団の流儀を会得しているのは当然だ。
だが、異国人であるロナードが何故、門外不悉のルオン竜騎士団の流儀を……。
(って同じ流派だからある程度、手の内は分かってる筈なのに、何でこんなに一方的にレックスがやられてるの?)
レックスが先に仕掛けたにも関わらず、ロナードに軽く往なされただけでなく、鋭い返し技を連続で真面にレックスが食らったのを見て、戸惑いの表情を浮かべ、心の中で呟いた。
(一撃はそんなに強くない……だけど……)
メイは、ロナードの動きを注意深く観察しながら、心の中でそう続ける。
見た感じ、一撃の重さはあまり無く、メイでも受け止められそうな威力だ。
(でも圧倒的に早い! 凄く動きも滑らかで、一回に繰り出される手数も多い。 レックスが完全に翻弄されてる!)
メイは、恐ろしい速さで繰り出されるロナードの剣を見て、心の中で呟くと、ゴクリと息を飲んだ。
確かに、一撃の重さはさほどないが、兎に角、剣の振りが恐ろしく早く、そして鋭さがある。
オルゲン家の騎士たちとは違い、気迫とはまた別の、殺気の様なモノが込められているに思える。
(こんなの勝負とかじゃないわ。 一方的に遊ばれてるだけよ!)
レックスが、ロナードから繰り出される剣の速さについていけず、手も足も出ず、ボコボコにされているのを見て、メイは心の中で呟く。
「剣の振りが一々大きい。 脇を絞めろ! 手首の柔軟性もない! 力だけで来るな!」
ロナードはそう言いながら、レックスの肩や腕、脇腹などに連続攻撃を見舞う。
「がっ!」
トドメに土手っ腹に一撃を見舞われ、レックスは思わず声を上げ、痛みに表情を歪めながら、その場に蹲った。
「あのレックスが、ボコボコだぜ」
「まあ、良い気味だけどな……」
「けど、ここまで一方的にやられてるなんて、エルトシャン様以来じゃね?」
その様子を見ていた先輩兵士たちは、口々にその様な事を言っているのが、メイの耳に届いた。
レックスは普段から、先輩兵士たちに対してもタメ口を叩き、生意気な態度を取っている所為で、あまり良く思われていない。
とは言え、実力で訴えても剣ではレックスに敵わないので、誰もそれを正す事が出来ず、ほぼ野放し状態なのだ。
(確かに、エルトシャン様も強いけど……。 それとは違う種類の強さだわ)
メイは、ロナードとレックスを見比べつつ、心の中で呟く。
「平和ボケした私兵など、こんなモノか」
ロナードは、拍子抜けした様子でそう言うと、
「テメェ! ちょっと強いからって調子に乗んなよ! テメェなんざ、実戦じゃあ震え上がって、何も出来ずに終わるに決まってら!」
レックスは、ムッとした表情を浮かべ、思い切りロナードを睨み付けながら、そう叫ぶと、
「お前と一緒にするな。 騎士見習い。 こんな殺気も伴わない、チャンバラごっこなどしても、実戦では何の役にも立たないぞ」
ロナードは、冷ややかにレックスを見下ろしつつ、淡々とした口調で返すと、稽古用の木の剣を近くにあった剣立てに片付けようと、彼に背を向けた。
「こんのぉ!」
レックスはカッとなって、思わず彼の背後から掴み掛ったが、ロナードはまるで背中に目があるかのように、ヒョイとそれを避けつつ、腰の辺りに隠し持っていた短剣を鞘を付けたままの状態で、思い切り彼の胸元を突いた。
(うまっ!)
お手本の様な彼の動きに、メイは思わず心の中で呟いた。
当然、短剣で思い切り胸を突かれたレックスは、両手で胸元を抑えつつ、呻き声を上げながら、思わずその場に蹲った。
「……これが殺し合いだったら、お前は今ので死んでいるぞ」
ロナードは、淡々とした口調でレックスに言うと、短剣を腰のベルトの辺りに終った。
レックスは胸の痛みを覚えつつも、ドッドッドッと忙しく自分の心臓が鳴っているのを感じ、背中に滝の様に冷や汗を流していた。
あまりに一瞬の事に、居合わせた誰もが圧倒され、シーンとその場が静まり返った。
レックスのした事は騎士を志す者として、褒められる事では無かったが、完全に背後から襲われたにも関わらず、冷静に返り討ちにしてしまったロナードに、メイやレックスを含め、その場に居合わせた兵士たちは経験の差を見せつけられる形となった。
この場に居合わせた誰一人、ロナードの寝首すら掻く事は出来ないのではないかと、思ってしまう位に……。