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DRAGON SEED  作者: みーやん
第一章
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出会い

主な登場人物


ロナード…漆黒の髪に紫色の双眸(そうぼう)特徴(とくちょう)的な、傭兵(ようへい)業を生業(なりわい)として居た魔術(まじゅつ)師の青年。 落ち着いた雰囲気(ふんいき)の、実年齢(ねんれい)よりも大人びて見える美青年。 一七歳。


エルトシャン…オルゲン将軍(しょうぐん)(おい)で、新設(しんせつ)された組織『ケルベロス』のリーダー。 愛想(あいそう)が良く、柔和(にゅうわ)物腰(ものごし)な好青年。 王国内で(ゆび)()りの剣の使い手。 二一歳。


アルシェラ…ルオン王国の将軍(しょうぐん)オルゲンの娘。 カタリナ王女の命を受け、新設(しんせつ)される組織に渋々加わっているが……。 一六歳。


オルゲン将軍…ルオン王国のカタリナ王女の腹心(ふくしん)で、『ルオンの双璧(そうへき)』と(しょう)される、幾多(いくた)戦場(せんじょう)活躍(かつやく)をして来た(ろう)将軍(しょうぐん)。 魔物(まもの)退治専門(せんもん)の組織『ケルベロス』を、カタリナ王女と共に立ち上げた人物。


レックス…オルゲン侯爵家(こうしゃくけ)に仕えて居た騎士(きし)見習(みなら)いの青年。 正義感(せいぎかん)が強く、喧嘩(けんか)っ早い所がある。 一七歳。


カタリナ王女…ルオン王国の王女。 病床(びょうしょう)にある父王に代わり、数年前から(まつりごと)を行っているのだが、宰相(さいしょう)ベオルフ一派の所為(せい)で、思う様に政策(せいさく)出来(でき)ずにおり、王位(おうい)(おびや)かされている。 自身は文武(ぶんぶ)に長けた美女。 二二歳。


サムート…クラレス公国(こうこく)に住む、(からす)(ぞく)(おさ)の妹サラサに(つか)える、(からす)族の青年。 ロナードの事を気に掛けている(あるじ)(ため)にルオンとクラレスを行き来している。 人当(ひとあ)たりの良い、物腰(ものごし)(やわ)らかい青年。


メイ…オルゲン侯爵家(こうしゃくけ)(つか)えている騎士(きし)見習(みなら)いの少女。 レックスとは幼馴染(おさななじみ)。 ボウガンの名手(めいしゅ)。 十七歳。

 北半球のほぼ中央に位置(いち)する、世界最大の大陸『ランティアナ』。

 この大陸の南西に、『ルオン王国』と言う国がある。

 この国は、南半球の国々との海上交易の拠点(きょてん)として、古くから交易(こうえき)で栄えて来た国であり、屈強(くっきょう)な竜騎士団を(よう)する、軍事大国でもあった。

 しかし一五年程前、南半球の東にある、『アルバスタ』大陸全土を統治する、『エレンツ帝国』の侵略を受け、焦土と化した。

 その後、ランティアナ大陸の西側諸国の連合軍により、帝国軍を(かろ)うじて撤退(てったい)させる事に成功し、戦火で焼け落ちた都市は復興が成されはしたが……。

 その裏で地方では、先の戦いの徴兵の際、多くの若者を戦で失い、(わず)かに残っていた若者たちも、この数年の不作の所為(せい)で生活が困窮(こんきゅう)し、田畑を手放し、職を求め、都市(とし)部へと出て行った為、地方の労力不足に拍車(はくしゃ)が掛る悪循環に陥っていた。

 それに加え、エレンツ帝国が本土から持ち込み、放ったと言われる凶暴な魔物が群れを成し、小さな村や町を襲い、耕した田畑を踏み荒らし、精魂込めて育てた家畜を盗み、村人を惨殺(ざんさつ)し、破壊(はかい)の限りを尽くすと言う被害も深刻さを増していた。

 都市部では、仕事を求める者や、魔物から逃げて来た者が詰め掛け、人が溢れ、慢性的な住宅不足、雇用不足に(おちい)り、都市の外れには大規模な貧民街まで現れ、そこが犯罪者の温床となり、治安が悪化している……。

 他にも、問題が山積している中、ルオン国王が病床に()せってしまう。

 娘であるカタリナ王女が、国王の代理を務め(まつりごと)に携わる様になると、(かね)てから王位を狙っている、宰相(さいしょう)ベオルフの一派と王女一派との王位争いが水面下で激しさを増し、ルオン王国は混迷(こんめい)の一途を辿っていた。

 そんな中、カタリナ王女は、年を追う(ごと)に酷くなる魔物の被害に懸念を示し、人々の安全と生活を守る(ため)、魔物退治専門の組織、『ケルベロス』の創立を決意する。

 王女の腹心であるオルゲン将軍も賛同し、創立の準備は着々と進められていた。


 ルオンの街の中央に、威圧的な黒塗(くろぬ)りの巨大な|建物がある。

 それが、ルオンの王族が住まうルオン王宮である。

 エレンツ帝国軍の侵略を受けた際、ルオンの街は多大な被害を受け、ルオン王宮も焼け落ちてしまい、再建されたのが、優美さなど全く感じさせぬ、要塞(ようさい)の様な王宮が作られた。

 現在、病床に有る国王に代わり、国政を行っているのは、二二歳になる国王の一人娘カタリナ・フォン・イリーナ・ルオン王女である。

 カタリナ王女は、太陽の日差しの様な、癖の無い見事な金色の長髪と、ルオンの海を想わせる深い紺碧色の双眸、肌の色は陶器の様に白く滑らかなで、女性にしては背が高く、武芸を(たしな)む事もあり、スラリ引き()まった体付きの、眉目秀麗(びもくしゅうれい)な美女である。

 しかしながら、その美しい容姿とは違い、非常にプライドが高く、勝ち気で、女ながらに武芸にもけており、他者に甘える事が出来ない、気難しい性格であるが(ゆえ)、適齢期を過ぎても結婚の『け』の字どころか、恋人すらいない。

 おまけに、美しいドレスを身に(まと)い、(きら)めく宝石を付けて着飾る事が嫌いで、貴族の子弟たちがする様な格好を好む(ため)、女性らしい、柔らかな雰囲気などは微塵(みじん)も無く、抜身の刃の様に鋭く、硬質で冷たく、近づき難い印象を他者に与える事が多い。

 その日、カタリナ王女は、腹心あるオルゲン将軍の娘アルシェラを『お茶会』と称して、王宮の自室に呼び付けていた。

 アルシェラは、太陽の光を受けて(きら)めく小川を想わせる見事な長い銀髪に、磨き上げた琥珀の様な大きな瞳を有し、色白で中肉中背、年は一五歳のまだあどけなさが残る少女である。

 アルシェラは、カタリナ王女の様に美人と言う訳では無く、大きな瞳が印象的な、小顔でとても可愛らしい顔立ちをしている。

 ただ、ゴシックロリータファッションが大好きで、大きなリボンを頭に付けたり、フリルがふんだんにあしらわれた、かなりイタイ格好をしている(ため)、実年齢よりも幼い印を周囲に与えている。

 天下のオルゲン将軍の一人娘と言う事で、周囲からは甘やかされて育った所為(せい)で、かなり我儘(わがまま)で、同年代の貴族の子女たちとは違い、貴族の若者たちが(たしな)む様な、狩りや乗馬、模擬戦などを観戦する事が大好きな、じゃじゃ馬娘である。

 カタリナ王女の部屋は、三階建の王宮の最上階にあり、部屋の出入り口には、重厚な(かし)で出来た大きな扉があり、その前には(いか)つい顔をした騎士たちが、入り口の左右に立っている。

「殿下に本日、お茶のお誘いを受けて参りましたぁ。 アルシェラ・フォン・オルゲンですぅ」

扉の前にいた、(いか)つい顔をした兵士たちを前に、おずおずとした口調で彼女は言った。

「お伺いしております。 殿下は中でお待ちです。 どうぞ」

兵士はそう言うと、左右から重厚(じゅうこう)な扉を開いた。

 アルシェラは扉が開いてしまうのを待って、部屋の中へと足を()み入れた。

 部屋の中は落ち着いた雰囲気で、置かれている調度品は、どれも繊細な彫刻が施され、いたる所に銀細工があしらわれ、何度も丁寧に磨き上げられ、光沢を放っている。

 床には、如何(いか)にも高そうな分厚い、複雑な模様の赤い絨毯(じゅうたん)が隙間なく敷かれている。

 部屋の中央には、大理石で出て来たテーブルが置かれ、座り心地の良さそうな本革のソファーが、テーブルを囲む様に配置されており、白いテーブルクロスが敷かれたテーブルの上には、お茶会を楽しむ(ため)の焼き菓子(かし)が置かれたトレイ、美しいデザインのティカップが置かれており、部屋の中は、甘いお菓子の香りで満たされていた。

「来たかアルシェラ」

奥の一人掛けのソファーに足を組んで座っていた、美しい金髪を有した、貴族の子弟たちがする服装の若い女性が、部屋に入って来たアルシェラにそう声を掛けて来た。

 彼女こそが、この部屋の(あるじ)であるカタリナ王女である。

 父オルゲン将軍と一緒に彼女の私室に来た事は何度かあるが、この様に一人で訪れるのは初めてかも知れない。

 何かあれば、庇い立てしてくれる父が居ないので、アルシェラは何時も以上に緊張していた。

「本日はお招き頂き、有難(ありがと)うございますぅ。 殿下ぁ」

アルシェラは、着ていたドレスの裾を掴み、深々と頭を垂れながら、カタリナ王女に挨拶をすると、

「堅苦しい挨拶は良い。 まあ、座れ」

カタリナ王女は苦笑いを浮かべながら、アルシェラにそう言って、ソファーに座る様に勧めると、彼女は軽く会釈(えしゃく)をすると、テーブルを挟んでカタリナ王女の向かいのソファーに腰を下ろした。

「今日はぁ、何のご用件ですかぁ?」

アルシェラは、カタリナ王女に無邪気に問い掛ける。

「アルシェラ。 オルゲンと私が、新しい組織の創設を行っている事は知っているだろう?」

カタリナ王女は、真剣な面持ちで、アルシェラに問い掛ける。

「えっ、あ、はぁい。 (くわ)しくは知りませんケドぉ……」

アルシェラは、戸惑いの表情を浮かべつつ、カタリナ王女にそう答えた。

(つーか、興味ないしぃ)

アルシェラは、心の中でそう(つぶや)くと、紅茶が注がれたカップを口に運ぶ。

「その組織のリーダーをエルトシャンにする事にした」

カタリナ王女は、真剣な面持ちでアルシェラに言うと、

「そうなんですねぇ」

アルシェラは、どうでも良さそうな口調で答えると、

「他人事の様に言うが、これで良い結果を出せば、いよいよオルゲン家の家督(かとく)をエルトシャンに取られるぞ。 お前はそれでも良いのか?」

カタリナ王女は思い切り眉を(ひそ)め、真剣な面持ちでアルシェラに問い掛ける。

「それはぁ……嫌ですけどぉ……」

アルシェラは、戸惑いの表情を浮かべながら答える。

「そう思うのなら、お前もその組織で手柄(てがら)を立てろ。 それが出来なけければ、オルゲンが勧める相手と結婚する他なくなるぞ」

カタリナ王女は、真剣な表情と重々しい口調で語る。

 カタリナ王女の言葉を聞いて、アルシェラは思わず顔を青くする。

(そんなの冗談じゃないわよ! アタシは好きな人と()()げるって決めてんだから、勝手に相手を決められて(たま)るかっつ~の!)

アルシェラは、ワナワナとテーブルの下で拳を震わせながら、心の中でそう呟く。

「お前にもチャンスをやる。 エルトシャンの下でお前も手柄(てがら)を立ててみせろ。 そうすればオルゲンや私は勿論(もちろん)、周囲の者もお前の事を認めざる得なくなる」

カタリナ王女は、真剣な面持ちで語る。

(そんな簡単に言わないで! アンタじゃ無いのよ!)

アルシェラは、ゲンナリした表情を浮かべ、心の中で叫ぶ。

「アタシはぁ。 カタリナ様の様に文に長けている訳ではないのでぇ……それはちょっと厳しいかなぁって思いますぅ」

アルシェラは困惑を隠せない様子で、おずおずとそう答えると、

「まだ何もしとらんだろうが!」

カタリナ王女は、アルシェラの物言いが気に入らなかったのか、声を荒らげて言い返す。

「それはぁ……そうですけどぉ……」

カタリナ王女に凄まれ、アルシェラはビクビクし、口籠(くちごも)らせながら答える。

「そうやって直ぐに、『アタシには無理です』と言うのは、お前の悪い癖だ。 やってみなければ、分からぬではないか」

カタリナ王女は自分を落ち着かせる(ため)、一口、紅茶を飲んで『ふう。』と溜息を付いてから、真剣な面持ちで言った。

「でもぉ……」

アルシェラは、自信なさそうな表情を浮かべ言うと、カタリナ王女は溜息を付き、

「お前はあと三年もすれば成人なのだぞ? お前自身の将来の(ため)にも、今やらなくて、何時(いつ)するんだ?」

落ち着き払った口調で、アルシェラにそう説くと、

「だったらぁ。 成してから頑張りますぅ」

だが、アルシェラは『迷惑以外の何ものでも無い』と言った様子で、(すが)る様に上目遣(うわめづか)いをしながら、消え入りそうな声でカタリナ王女に言った。

 アルシェラの何処(どこ)までも後ろ向きで、やる気の無い態度に、カタリナ王女は(あき)れ、

「それでは遅いと、言っているのだ!」

バンと勢い良くテーブルを両手で叩いてから、強い口調で、ビクッと身を強張(こわば)らせたアルシェラを叱りつけた。

「えっ、でもぉ……。 心の準備と言うかぁ……」

アルシェラはそれでも、嫌そうな様子で、ゴニョゴニョとその様な事を(つぶや)いているので、カタリナ王女はイラッとして、勢い良く立ち上がり、

(くど)いぞ! この話は(すで)に、お前の父であるオルゲンとも付いている! (あきら)めろ!」

強い口調でアルシェラに言うと、彼女の迫力(はくりょく)()され、アルシェラは身を縮こまらせつつ、

「そんなぁ……。 お父様も了承してるなんてぇ……。 エルトと競争とか無理ですよぉ」

困り果てた様子で、呟く。

「そう言う事だ。 承諾してくれたオルゲンの顔に泥を()らぬ様、せいぜい励む事だな」

カタリナ王女は、両腕を自分の胸の前に組み、ソファーに腰を下ろしながら、冷たくアルシェラにそう言い放った。

「そ、そんなぁ……。 無理ですよぉ。 絶対ぃ」

アルシェラは愕然(がくぜん)とした表情を浮かべ、力なく呟いた。

「話は以上だ。 下がって良いぞ」

カタリナ王女は、淡々(たんたん)とした口調でそう言うと、アルシェラの退席を(うなが)す様に、片手で追い払う様な仕草(しぐさ)をする。

 カタリナ王女の態度を見て、アルシェラは仕方(しかた)なくソファーから立ち上がり、部屋を後にしたのだが、彼女のその心中は実に複雑であった。

(マジ最悪。 何でアタシがそんな面倒臭さい事、やんなきゃなんないワケ? 有り得ないし。 アタシはオルゲン侯爵令嬢よ? こんなの絶対に可笑(おか)しいわよ)

アルシェラは不満に満ちた表情を浮かべ、心の中で呟く。


 時を同じくして、ルオン王国から見て東、大陸を南北に縦断する、世界最高峰の山々が連なるランティアナ大山脈を隔(へだ)ててある、ルオン王国の自治領地クラレス公国内に、『烏族(からすぞく)』と呼ばれる、(からす)の羽を背に生やした人種たちの里があり、そこへ一人の若者が、とある人物の迎えに来ていた。

 烏族の里は、人間たちの侵入を(こば)む様に、ランティアナ大山脈の中腹辺りの、切り立った(がけ)の上の台地にあり、山脈から突き出た巨岩を刳り抜いて作られた、族長一族の住まいである、巨大な居城が里を訪れた者たちの目を()く。

 彼等は、人間たちが用いる言語とは異なる言葉を喋り、非常に優れた機織(はたお)り技術を持っており、ここで生み出される織物を主軸に、古くから人間たちと交易を行い、財を成し、生活して来た(ため)、排他的な他の亜人(あじん)たちとは違い、比較的、人間に友好的な種族だ。

 ここに訪れたのは、ルオン王国の将軍でカタリナ王女の腹心でもある、オルゲン侯爵の(おい)のエルトシャン・フォン・バルフレアだ。

 彼は、この大陸に住む人間たちに良く見られる、少し癖のある明るい茶色の髪、目尻が下がった明るい緑色の双眸、少し日に焼けた薄い赤銅色の肌を有している。

 背はこの大陸に住む男性の平均的な背丈で、ガッチリとしているが無駄な筋肉が付いておらず、シャープな体付きの、女性ウケの良さそうな柔和(にゅうわ)な顔立ちをした青年だ。

 彼が通訳を(ともな)烏族(からすぞく)の里を(おとず)れるのは初めてでは無く、この半年の間、彼の伯父(おじ)であるオルゲン将軍やカタリナ王女の書簡(しょかん)を手に仕事の合間を()って、足蹴(あしげ)()く通っていた。

 特産品である織物を買い付けに来る商人でもないのに、何度も何度も里へ訪れる彼に対して、里の烏族たちは、『何をしに来ているのだろうか』と、不思議そうに彼の事を何時(いつ)も見ている。

 エルトシャンが初めてこの里に訪れた時は、自分たち人間とは異なる容姿と、自分たち人間と異なる言語を喋る烏族に戸惑い、異世界に放り込まれた感覚であったが、今は、自分を物珍しそうに見る彼等の視線にもすっかり慣れ、慣れた足取りで一族の(おさ)が住まう居城へ向かうと、何時(いつ)もの様に、まず先に、この里の長である烏王への挨拶を済ませ、目的の人物に会う(ため)、居城の奥にある中庭へと足を運んだ。

 中庭は、どうやって作られたか分からないが、岩の天井がドーム型に()りかれ、居城内で唯一、日差しは勿論(もちろん)、風雨が入る構造になっており、堅い岩盤の上に何処(どこ)からか土を運び込み、草木を植えた、見事な庭園があり、標高の高い岩盤の上にあり、草木が生えにくい里で数少ない、緑が生い(しげ)っている場所でもある。

 エルトシャンが会いたい相手は、この場所が気に入っている様で、この里へ訪れた時は大抵、ここに居る事が多い。

 小鳥たちが(さえず)り、吹き込んでくる風が優しく草木を揺らす中、石で作られた白いベンチの上にその人物は腰を下ろし、暖かな日差しを身に受けながら、静かに本を読んでいた。

 その(かたわ)らには、何時(いつ)もの様に背中に大きな(からす)の翼を生やした、黒に近い青紫色の髪を後ろで一つに束ねた、濃い緑色の双眸に、ごく薄い赤銅色の肌、スラリと背が高く、黒のチェニックの上から黒色のサーコートに同色のズボン、黒色のブーツと言う出で立ち、見た目は、二十代前半と思われる、温和そうな雰囲気の烏族(からすぞく)の青年が、静かに(たたず)んでいた。

 彼は、エルトシャンが来た事に気付くと、(おもむろ)にベンチに座り本を読んでいた人物に向かって、

「若様。 エルトシャン様です」

穏やかな口調でそう声を掛けると、その人物はゆっくりと本から顔を上げ、エルトシャンの方へと目を向けた。

 少し長めの、癖の無いサラリとした、闇夜(を想わせる深い漆黒(しっこく)の髪、背丈は、一八〇センチはあると思われる長身で、スラリとした細身で、白のシャツの上に黒い春物のロングコートと黒色のジーンズと言う出で立ち、エルトシャンよりも年少の青年。

 大陸の南部に位置する、ルオン王国に住まう者は強い日差しを受ける為、日焼けをして、肌の色は赤銅色なのだが、この若者は日焼けなど無縁そうな、ごく薄い赤銅色の肌で、鼻筋がスッと通った、オペラ座に出て来る女優の様に眉目秀麗(びもくしゅうれい)だ。

 何より、アメジストを丹念に磨き込んだ様な深い紫色の双眸がとても印象的で、髪の色やその出で立ちの所為(せい)かは分からないが、とても落ち着いた雰囲気で、実年齢よりも大人びて見える。

 初めて彼と面会した時、その容姿に加えて、その辺の人間とは異なる、不思議な空気を(まと)った彼を前に、エルトシャンは圧倒され、言葉を失い、(しばら)く彼に見惚(みほ)れてしまった程だ。

 この世界では、髪の色や瞳の色などが黒に近い程魔力が強いとされ、実際、(かつ)て世界の半分以上を支配していた、亜人(あじん)たちの国『魔法帝国』の皇帝一族や主だった貴族は皆、黒髪であったと言われている。

 ただ、この大陸では『魔法帝国』の末期に各地で反乱を起こした、魔力を持たない人間たちの末裔(まつえい)が人口の八割以上を占めているため、当時の亜人(あじん)たちによる弾圧(だんあつ)差別(さべつ)彷彿(ほうふつ)させてしまうのか、黒髪は()み嫌われている。

 それにも関わらず、彼が髪の色を変えずにいるのは、彼なりの(こだわ)りや、(ほこ)りがあるのだろう。

相変(あいか)わらず、ニコリともしてくれないなぁ……)

エルトシャンは心の中でそう呟くと、ニッコリと笑みを浮かべ、彼に向って頭を()れた。

「……本当に来たな」

彼は、その綺麗な容姿(ようし)とは異なり、かなり険のある物言いをする青年で、彼のウンザリした様子を見て、エルトシャンは思わず苦笑いを浮かべ、

勿論(もちろん)だよ。 ウチに来てくれる約束でしょ?」

彼にそう答えると、彼は何処(どこ)(あきら)めた様子で軽く溜息を付くと、手にしていた分厚い本をゆっくりと閉じ、ベンチの上に置くと、

「迎えなど来なくても、一人で行けるのに」

嫌そうな表情を浮かべ、エルトシャンにそう言い返した。

 彼自身が言う様に、一人で列車に乗り、ルオン王国まで来る事は出来るだろうが、本当に彼が伯父(おじ)との約束を守ってくれると言う保証は何処(どこ)にも無いし、彼の護衛(多分、要らないだろうが)の意味合いも込めて、念の(ため)にエルトシャンが迎えに来た訳だ。

「呼んでおいて迎えに行かないなんて、そんな失礼な事は出来ないよ」

エルトシャンは、目の前の相手があからさまに嫌そうにしているのを見て、苦笑いを浮かべたまま、彼に言い返す。

「ラシャからは何か、言われなかったか?」

漆黒(しっこく)の髪の青年は、渋々(しぶしぶ)と言った様子で、座っていた石のベンチから立ち上がり、エルトシャンに問い掛けた。

 『ラシャ』と言うのは、この烏族(からすぞく)の里を統治している長(王)の名で、烏族の王なので『(からす)(おう)』と世間では呼ばれており、里の者たちも『烏王』の事を『(おさ)』または『王』と言っており、名で呼ぶ事は(ほとん)ど無い。

 なのでエルトシャンも、この漆黒(しっこく)の髪の青年に会うまでは、『烏王』の名前は知らなかった。

「いいや。 特には何も。 何度も御目通しをして、烏王さまのご意向は伺っているからね。 (あえ)えて言わなきゃならない事なんて無かったんだと思うよ」

エルトシャンは、落ち着き払った口調で、漆黒の髪の青年の問い掛けにそう答えた。

「そうか。 では行こうか」

彼は、エルトシャンに言うと、ベンチの上に置いて居た分厚い本を手に取る。

「うん」

エルトシャンは穏やかな口調で、返事をした。

「若様……」

漆黒の髪の青年の側にいた烏族(からすぞく)の青年が、複雑な表情を浮かべ彼を見る。

「お前にも世話になったな。 サムート」

漆黒の髪の青年は、少し寂しそうな表情を浮かべつつ、彼に声を掛けると、

「いえ若様。 ルオンまでは私も同行致します。 ですので、そのお言葉はまだ少し、早いように思われます」

『サムート』と呼ばれた烏族の青年は、真剣な面持ちでそう答えると、漆黒の髪の青年は一瞬、面食らった様な表情を浮かべてから、やがて物凄く嫌そうな顔をして、

「聞いてないぞ」

「今、申し上げました」

サムートは淡々(たんたん)とした口調でそう返し、ニッコリと笑みを浮かべると、漆黒の髪の青年は、片手を自分の額に添え、ゲンナリとした表情を浮かべ、

「ラシャは何時(いつ)まで、(おれ)の事を子ども(あつか)いする気だ」

(おさ)は貴方の事が可愛(かわい)くて、仕方がないのですよ」

サムートは、苦笑混じりに漆黒の髪の青年に言った。

「それが迷惑だと言っているんだ」

漆黒の髪の青年は、物凄く嫌そうな表情を浮かべ言うと、特大の溜息を付いた。

()(かく)、若様が嫌でも長の命令ですので、御一緒致します。 そのつもりでいて下さい」

嫌そうにして居る漆黒(の髪の青年に向かって、サムートは淡々(たんたん)とした口調で彼に言った。

「……勝手にしろ。」

彼は、軽く溜息(ためいき)を付いてから、何処か(あきら)めた様子で、サムートに返した。

(やっと、彼をルオンへ連れて行く事が出来る……。)

エルトシャンは、感慨(かんがい)深い表情を浮かべ、心の中で呟いた。

 初めて、この漆黒の髪の青年に会う(ため)烏族(からすぞく)たちの里へ向かった時、里へ立ち入る事すら許されなかった。

 その(ため)、何日も近くの森の中で寝まりをり返し、見張りの烏族たちに対し、根気強く交渉(こうしょう)を続ける事をエルトシャンは余儀(よぎ)なくされた。

 その後、運良く、烏族(からすぞく)たちの織物を買い付けに来た商人が、エルトシャンの事情を聞い、烏族たちに話を通してくれたお蔭で、何とか里へ入る事が許された。

 仲介を買って出てくれた商人には、彼の伯父(おじ)であるオルゲン将軍から、お礼の金が贈られたであろうし、仲介を買って出た商人自身も、それを当てにしていた節もあったが、兎に角、当初の予定からは大幅に遅れてしまったが、烏族(からすぞく)の里に入る事は出来た。

 だが残念ながら、何日待ってもエルトシャンは、目的の相手に会う事は出来ず、騎士としての務めもあるので仕方なく、伯父(おじ)であるオルゲン将軍とカタリナ王女の親書(しんしょ)を、世話係のサムートに(たく)し、一旦、ルオン王国へ戻り、事情を伯父(おじ)に報告した。

 その後も、三回、四回と里へ足を運んだが、里の中には入れても、(がん)として居城には入れて(もら)えなかった。

 前もって聞いていた話では、エルトシャンの伯父(おじ)であるオルゲン将軍と烏王(からすおう)は旧知の仲で、それ程、関係は悪くないと聞かされていた。

 聞いていた事とは随分(ずいぶん)と違う反応を(しめ)烏族(からすぞく)たちに、エルトシャンはかなり困惑し、自分に何か落ち度があったのではないかと思っていた。

 だが、それは杞憂(きゆう)であった事を、エルトシャンは後で知る事となる。

 彼が居城に立ち入る事が出来なかったのは、彼に落ち度があった訳でも、烏王がオルゲン将軍の事を嫌っていた訳でも無く、会おうとしていた相手が、とても人とは会える様な情況では無かったのだ。

 今、エルトシャンの目の前に居る、この黒髪の青年『ロナード』は一年ほど前まで、烏王たち烏族(からすぞく)とも疎遠(そえん)で、マイル王国やカナン王国などと言った、クラレス公国から見て北西にある国々を転々としながら、一人で傭兵(ようへい)として(たくま)しく生きていたのだと言う。

 ただ、傭兵と言う(おのれ)の実力が全ての血も涙も無い、(だま)し合い、殺合う事が日常(にちじょう)茶飯事(さはんじ)の非常にシビア過ぎる世界は、彼の心を確実に(むしば)み続けた。

 やがて彼は心が()んでしまい、今までの自分の行いを()いて、自殺未遂をしてしまったのだ。

 事態を重く見た烏王は直ぐに、部下に命じて彼を里へ連れて来させ、自分の居城(きょじょう)療養(りょうよう)させていた所に、エルトシャンはやって来たのだった。

 鬱病(うつびょう)(わずら)っていたロナードは、周囲にすっかり心を閉ざしてしまい、食事もあまり取らず、貸し与えられた部屋に引き(こも)り、昼間は誰と話す訳でも無く、ただ抜け(がら)の様にベッドの上に腰かけたまま、そこに居るだけで、夜は悪夢に(うな)され、眠れぬ日々を過ごしていたと言う。

 何がそこまで彼を追い詰めたのか、エルトシャンには分からないが、とても(つら)い日々を過ごしていたのだと言う事だけは、エルトシャンにも理解出来た。

 そんな、生きる目的を見失い、どん底の中にいた彼を救ったのは、烏王の妹『サラサ』の献身的(けんしんてき)看護(かんご)と、エルトシャンが届けたオルゲン将軍の手紙のお蔭なのだと、サムートはエルトシャンに(うれ)しそうに語った。

 エルトシャンは、オルゲン将軍がロナードに()てて、どの様な事を書いたのかは知らないが、彼は何度か将軍との手紙のやり取りをしていく中で、自分の人生の方向性を見付けた様であった。


「ける……何だって?」

一八〇センチ近い長身(ちょうしん)で、ガッチリとした、筋肉質な体付き、ちょっと目尻(めじり)()り上った青色の双眸(そうぼう)、短く切られた青色の短髪(たんぱつ)、両耳には金色のリングピアス、良く日に焼けた赤銅色の肌を有した、年の頃は一六、七歳と思われる、オルゲン侯爵家(こうしゃくけ)の兵士たちが着る、胸元に白い糸で、(たて)を背に剣と(やり)が交わった紋章(もんしょう)刺繍(ししゅう)された、紺色のサーコートに身を包んだ青年が、テーブルを(はさ)んで向かいに座っている相手に問い返す。

「だから! ケルベロスだってば!」

肩までの長さに切り(そろ)えた、(くせ)のある茶色の髪を左右に分けて結び、(どん)(ぐり)の様に大きな緑色の双眸(そうぼう)を有した、あまり高くない団子(だんご)(はな)、鼻の周囲に雀斑(そばかす)のある、オルゲン家の兵士たちが身に付けるサーコートを着た、美人では無いのだが、愛嬌(あいきょう)のある小柄(こがら)な少女が、口を尖らせながら彼にそう言い返す。

「んで、その組織が何だって言うんだよ?」

ちょっと目尻が吊り上った青色の短髪の青年は、五月蠅(うるさ)そうな顔をして、右の小指で自分の耳の穴を穿(ほじく)りながら、彼女に(さら)に問い掛ける。

「アンタ、先輩(せんぱい)たちから何も聞いてないの?」

(くせ)のある茶色の髪を左右に分けて結んでいる少女は、(あき)れた顔をして彼に言い返した。

「あん? その組織がなんなんだよ?」

ちょっと目尻(めじり)()り上った青色の短髪(たんぱつ)の青年は、ムッとした表情を浮かべ、目の前の(くせ)のある茶色の髪を左右に分けて結んでいる少女に問い掛けると、彼女は真剣な面持ちで、

「エルトシャン様、その新しく出来る組織の責任者に、王女さまから直々に任命(されたって話よ?」

「なっ……。 マジか!」

彼女の話を聞いて、ちょっと目尻が吊り上った青色の短髪の青年は、(おどろ)きのあまり大声を張り上げそう叫んだ。

 彼の叫び声を聞いて、近くで食事を取っていた兵士たちが(おどろ)いて、一斉(いっせい)に彼の方へと目を向ける。

 だが、叫んだ人物が、ちょっと目尻が吊り上った青色の短髪(たんぱつ)の青年だと分かると、『何だレックスか』『人騒(ひとさわ)がせな(やつ)だ』などと兵士たちは言って、直ぐに何事も無かったのか様に食事を再開した。

「マジもマジよ。 この話を知らないの、アンタだけなんじゃなかって位、お屋敷の人たちの間では、この話題で持ちっ切りよ?」

癖(のある茶色の髪を左右に分けて結んでいる少女は、ちょっと目尻が吊り上った青色の短髪の青年『レックス』にそう言うと、意地の悪い笑みを浮かべ、馬鹿にする。

「すげぇな」

レックスは素直に、感嘆(かんたん)の言葉を口にした。

「先輩たちから聞いた話だと、今よりずっと給料も良いみたいだし、何より、王女さま直轄(ちょっかつ)の組織だから、エリートコース確定(かくてい)だよ? アンタも試験、受けてみたら?」

髪を左右に分けて結んでいる少女は、キラキラと目を(かがや)かせながら、レックスに言った。

「んなトントン拍子(びょうし)に出世出来りゃあ、オレやオメェもとっくの昔に、騎士見習いじゃなくなってんだろ」

レックスは(あき)れた顔をして、髪を左右に分けて結んでいる少女に言い返す。

「それはそうかも知れないけど、受けるだけ受けてみたら? アンタ、剣の(うで)だけはこの屋敷じゃ(だれ)も敵わないじゃん」

髪を左右に分けて結んでいる少女は、物凄(ものすご)く楽天的に語る。

「んまぁなぁ」

レックスは、満更(まんざら)でも無い様子で答える。

「受けるだけならタダじゃん」

髪を左右に分けて結んでいる少女はニッコリと笑みを浮かべて言うと、(ふところ)から一枚の用紙を取り出して、テーブルの上に置いた。

「って、用意が良いな。 オメェ……」

それを見たレックスは、ちょっと(あき)れ気味に、髪を左右に分けて結んでいる少女に言った。

「年齢や業種、国籍(こくせき)を問わずってあるし、申し込んでみようよ」

髪を左右に分けて結んでいる少女は、戸惑(とまど)っているレックスに目を輝かせながら言うと、

「んまぁ……。 受けるだけならタダだし?」

彼は、髪を左右に分けて結んでいる少女に(おだ)てられ、ちょっとその気になっている様で、ゴニョゴニョと口籠(くちごも)らせつつ言った。

「そうそう」

髪を左右に分けて結んでいる少女は、ニコニコと笑みを浮かべ、そう言って何度も(うなず)いて見せる。

「んで、試験って何すんだ? 模擬戦(もぎせん)でもして、優勝すれば良いのか?」

すっかり乗せられたレックスは、髪を左右に分けて結んでいる少女に問い掛ける。

「ここに書いている限りでは、ルオン高原で一週間、魔物退治をして、合格に必要な数だけタグを集める、実戦を()ねたサバイバルをするらしいわよ」

髪を左右に分けて結んでいる少女は、一通り用紙に書かれている内容に目を通してから、レックスに説明すると、

「なっ……なにぃ―――っ! この試験の主催者(しゅさいしゃ)頭可笑(おか)しいんじゃねぇのか? ルオン高原って言やあ、魔物たちの住処(すみか)じゃねぇかよ! んな所に一週間も居て、生き残れる(やつ)なんていねぇぞ!」

レックスは(おどろ)きのあまりバンとテーブルを叩き、身を乗り出し、大声を上げながら、髪を左右に分けて結んでいる少女に向かって言った。

「でも、そう書いてあるもん」

髪を左右に分けて結んでいる少女は、レックスが大声で叫ぶので、自分の両耳を手で(ふさ)ぎながら、五月蠅(うるさ)そうな顔をして彼に言い返すので、彼は思わず彼女から、その用紙を(なか)ば奪い取る様にして手に取り、自身の目で内容を確認(かくにん)する。

「マジか……。 こんなん受ける奴とか居るのかよ……。 (だれ)も来ねぇんじゃねぇのか?」

用紙の内容を確認し、髪を左右に分けて結んでいる少女が、(うそ)など言っていない事が分かった途端(とたん)、ゲンナリとした表情を浮かべ、力なく椅子(いす)に座りながら(つぶや)いた。

「だったら、参加しただけで合格じゃないの? 現場へ行った者勝ちって事でしょ?」

髪を左右に分けて結んでいる少女は、ふとそう言うと、それを聞いたレックスはビクッと反応し、

「おお!。 確かにそうだな!。 流石(さすが)だぜ。 メイ」

嬉々(きき)とした表情を浮かべ、身を乗り出し、そう言い出した。

(つまりこれは、度胸(どきょう)(だめ)しって事か)

レックスは、心の中でそう(つぶや)く。

「行くだけ行ってみたらどう? もしかすると、単なる度胸試しかも知れないよ? 行っただけで合格出来るなら、ラッキーじゃない?」

髪を左右に分けて結んでいる少女『メイ』も、嬉々とした表情を浮かべ、声を(はず)ませてそう返し、単純(たんじゅん)な彼を(あお)った。

「そうだな♪。 いっちょ参加してみるか!」

実に楽観的な思考の彼は、自分の都合(つごう)の良い様に解釈(かいしゃく)し、実に軽い気持ちで、試験の参加(さんか)を口にした。

 「頑張(がんば)ってね~。レックス」

メイは、ヒラヒラと片手を()り、ヘラヘラと笑いながら言った。

(うふふふ。 この調子で色んな人達を参加させれば、紹介料ガッポリじゃん。 頭良い♥。 アタシ)

メイは、一人でニヤニヤと笑いながら、心の中で(つぶや)いた。


「長らくのご乗車、お(つか)れ様でした。 間もなく当列車は、終点のルオン駅に到着致します。 繰り返します。 間もなく当列車は、終点のルオンに到着致(とうちゃくいた)します」

車両の両側に座席が整然(せいぜん)と並び、様々な容姿(ようし)の人々が座っている中、中年の車掌(しゃしょう)が中央の通路をゆっくりと歩きながら、乗客たちにそう告げ行く。

 車掌が通り過ぎると、それまで静かに座席に座っていた乗客たちが、一斉に荷物を(まと)めようと、慌ただしく動き始めた。

「は――。 やっと、ルオンに着くね」

慌ただしく荷物を(まと)める乗客たちを尻目に、エルトシャンは、自分と向かい合った座席に座っていた、連れの二人にそう声を掛けた。

 エルトシャンの(なな)め前に座っていたロナードは、列車に()られている事に加え、窓から差し込んで来る早春の暖かな日差しを受け、小一時間ほど前から睡魔(すいま)に負け、車窓(しゃそう)(ふち)(ひじ)を付ける様に(ほお)(づえ)をつく格好で、随分(ずいぶん)と気持ち良さそうな顔をして、夢の世界へ旅立ってしまっている。

 出来る事ならば、もう少し眠らせてやりたい所だが、そうもいかないなとエルトシャンが思っていると、ロナードの(となり)に座っていたサムートが、優しく彼の肩を揺らし、

「若様。 起きて下さい」

穏やかな口調で、眠って居たロナードに声を掛けながら起こす。

「ん……」

彼は(かす)かに(まゆ)(ひそ)めつつ(つぶや)くと、静かに目を開けた。

「もう直ぐ、到着するそうですよ」

サムートは、穏やかな口調でロナードに声を掛けるが、彼はまだ眠いのか、(しばら)くの間、窓を(はさ)んで眼前(がんぜん)に大小様々な建物が、林の様に立ち並んでいる街の風景をボンヤリと眺めていた。

「ルオンへは、どの位振りなの?」

エルトシャンは、やっと住み慣れた故郷(こきょう)のルオンへ帰って来られた事に安堵(あんど)しつつ、穏(やかな口調で、車窓(しゃそう)から外を眺めているロナードに問い掛けた。

(おさな)い頃、何度か来た事があるらしいが、その記憶が無いし、仕事でも来た事が無い」

ロナードは、(ほお)(づえ)を着いたまま、ぼんやりと外の景色を眺めながら、エルトシャンの問い掛けに、そう答えた。

「そうなんだ。 じゃあ、(ほとん)ど初めてと言う事だね?」

それを聞いたエルトシャンは、穏やかな口調で言うと、ロナードは(うなず)きながら、

「そうだな」

と返すと、サムートが気恥(きは)ずかしそうな表情を浮かべつつ、

()ずかしながら、実は(わたし)も始めて来ました」

エルトシャンにそう告げると、彼はホッとした様な顔をして、

「迎えに行って正解だったね。 ルオンは、大陸でも指折りの大きな街だし、日中、大通りは特に人通りも(はげ)しいから、二人だけでは迷子(まいご)になっていたかも知れないよ」

二人に向かって言った。

野郎(やろう)二人が街中(まちなか)で、両手に大荷物を抱えて迷子とか、冗談(じょうだん)抜きで笑えないな」

エルトシャンの言葉を聞いたロナードは、苦笑いを浮かべながら言うと、サムートも(うなず)きながら、

「そうですね。 エルトシャン様がいて下さって助かりました」

素直に、迎えに来てくれたエルトシャンに礼を述べた。

(あらかじ)め、連絡は入れておいたから迎えの馬車が来ている(はず)だよ。 着いて直ぐに降りると、駅の構内(こうない)が混み合って身動きが取れなくなるから、(ほか)の人が降りてしまってから、降りた方が良いね」

エルトシャン落ち着き払った口調で、連れの二人にそう説明すると、

「分かりました」

サムートがそう答えている間に、列車はどんどん街の中を進み、何処(どこ)車窓(しゃそう)が開けているのか、(かす)かに(しお)の香りが車内に(ただよ)い、遠くから船の汽笛(きてき)の音が聞こえて来る。

 三人を乗せた列車はやがて、少しずつ速度を落とし始め、赤い屋根に茶色いレンガ造りの、大きな時計台が付いた建物の中へと吸い込まれ、この列車の到着を待つ、多くの人たちがいるホームに到着した。

 ホームで列車の到着を待っていた人の多さにも(おどろ)きだが、到着した列車の中から、何処(どこ)にこれ程の人が乗っていたのかと思うくらいに、ゾロゾロと(あり)の行列の様に人がホームへ出て行くのを見て、ロナードとサムートは(おどろ)いた。

 彼等の前の通路通り過ぎて行く乗客たちは実に様々で、一人では抱えきれない程、多くの荷物を車掌(しゃしょう)に手伝って(もら)いながら、荷物を引き()る様にして出て行く腰の曲がった白髪(しらが)老婆(ろうば)、荷物らしい荷物(にもつ)も持たず、ポケットに両手を突っ込み、身一つで通り過ぎて行く若者、小さな子供と(はぐ)れぬ様、自分たちの前に子供を歩かせ、両手に大きな荷物抱えた若い夫婦。

 そう言った人たちが、次から次へとロナード達の前の通路を切れ目なく、通り過ぎて行く。

 一〇分くらい待っただろうか……。

 人の流れが一段落したので、ロナードとサムートはエルトシャンに(うなが)され、頭の上にある(あみ)を張っただけの荷物置きの上から、大きなトランクを(いく)つか下ろし、三人で手分けをしてそれを持ち、ゆっくりとした足取りで、久しぶりに揺れない地面の上に降り立った。

「ああ……。 揺れないって良いですね」

ロナードの後ろから来ていたサムートが、何処(どこ)かホッとした様な顔をして(つぶや)いた。

 実はサムートは、列車に乗るのは今回が初めてで、クラレスの駅から列車に乗り込む(さい)、彼は物凄(ものすご)く不安そうな表情を浮かべていた。

 何度も列車に乗った事があるロナードは、何時(いつ)もは()まし顔のサムートが、そんな表情を浮かべている事が可笑(おか)しくて、思わず笑ってしまいそうになったのだが、自分の事を心配して、同行してくれる優しい彼を笑うのは失礼だと思い、笑う事を必死に(こら)えたのだ。

 列車に乗ってからもソワソワして、不安そうに辺りをキョロキョロと見回し、とても落ち着かない様であったし、夜、寝台(しんだい)車両(しゃりょう)へ移り、列車に(そな)え付けられている簡素(かんそ)な造りの二段ベッドで横になった時も、ベッドがあまり大きくない事に加え、マットが(かた)い上、揺れるのも落ち着かない様で、なかなか眠れなかった様だった。

 流石(さすが)に二日目からは、前日の緊張(きんちょう)寝不足(ねぶそく)も手伝って、ぐっすりと眠った様ではあったが……。

 何にしても、初めての体験ばかりで、今はまだロナードを送り届けていないので気を張っているのだろうが、見た目以上に(つか)れているに(ちが)いない。

 三人は、列車に乗り込もうとする人の流れに押し戻されぬ様にしながら、改札口を通り、駅の外に出た。

 駅を出て直ぐに、白い石造りの大きな噴水(ふんすい)が目に飛び込んで来て、その周囲に置かれている木のベンチには、迎(えを待つ人や、迎えに来た人たちなどが座り、ベンチとベンチの間には、そう言った人たちを相手に靴磨(くつみが)きや、ちょっとした小物(こもの)敷物(しきもの)の上に並べて売ろうとしている人がいて、駅舎の前には、簡単な軽食が食べられる屋台なども並び、客を呼び込む声などで(にぎ)わっていた。

 赤レンガで美しく舗装(ほそう)された道、通り沿いにひしめく様に立ち並ぶ店、様々な格好をした、様々な容姿(ようし)の人たちが通りに(あふ)れ、その間を()う様にして、馬車が行き交っている。

 クラレス公国の首都であるマケドニアの街も、古くから大陸の東西交易の中継地として栄えているとても大きな街で、こう言った光景はルオンと大差なかった。

 決定的にクラレスと(ちが)うのは、ルオンは港街(みなとまち)で、遠くから船の汽笛(きてき)の音が聞こえる事と、新鮮(しんせん)魚介類(ぎょかいるい)が店に並んでいるからか、(いそ)の香りが何処(どこ)からか(ただよ)って来る点だ。

 そして、船乗りたちが船の積み荷や、倉庫内で保管されている荷物を、(ねずみ)から守る為に連れて来たのがいついたのか、兎に角、街の(いた)る所に猫の姿を目にする。

 しかも、漁師が捕った魚のお(こぼ)れを食べているのか、どの猫も丸々と太っていて、人間が近付いても逃げようとしない。

 それどころか、(みずか)ら通りを行き交う人間に()()って、(えさ)催促(さいそく)をする強者(つわもの)までいる。

(おさ)が居たら、思い切り(まゆ)(ひそ)められていたでしょうね」

サムートがクスクスと笑いながら、ロナードに言うと、彼も可笑(おか)しそうに笑いながら、

(ちが)いない」

サムートにそう答えた。

 烏族(からすぞく)の長ラシャは、子供の頃に大きな猫に変化(へんげ)する能力を持つ、『猫人族(マオぞく)』の子供たちに(いじ)められ、自慢(じまん)の羽を(むし)られたと言う苦い過去があり、それ以来、猫を見ると、その時の屈辱(くつじょく)を思い出すらしく、猫が嫌いなのだ。

 そんなやり取りを二人がしていると、黒塗(くろぬ)りの大きな立派な馬車がやって来て、エルトシャンに(うなが)され二人はその馬車に乗り込み、エルトシャンの伯父(おじ)が住まう、オルゲン侯爵(こうしゃく)の屋敷へ向かった。


 オルゲン家の家紋(かもん)が入った、黒塗(くろぬ)りの立派な馬車が入り口の門を通り、屋敷(やしき)の入り口の前に横付けされ、長く何処(どこ)かへ行っていた、この屋敷の(あるじ)であるオルゲン将軍の(おい)のエルトシャンが降りて来たのを、レックスはメイと共に見ていると、エルトシャンに続いて降りて来た見知(みし)らぬ人物を見て、彼等(かれら)戸惑(とまど)った。

 二人はてっきり、屋敷(やしき)(あるじ)であるオルゲン|将軍か、将軍の娘のアルシェラが降りて来るとばかり思っていたのに、降りて来たのは、スラリと背の高い黒髪の人物と、背の高いエルトシャンとそう背丈の変わらぬ、黒に近い青紫色の髪を後ろで一つに束ねた、若い男だった。

(だれ)だ?」

レックスは思わず、見知らぬ異国人風の二人を見て、(おもむろ)に側にいたメイに問い掛けるが、

「さあ」

彼女も小首を(かし)げながら、そう返して来た。

「まあ。 黒髪なんて……」

「何て不吉なのかしら……」

近くに居た侍女(じじょ)たちは一様に(まゆ)(ひそ)め、小声でその様な事を(つぶや)いている。

 好奇心(こうきしん)旺盛(おうせい)なレックスは、エルトシャンが連れて来たのが(だれ)なのか気になり、

「エルトシャン様。 この何日か見掛けて無かったですけど、何処(どこ)に行ってたんですか?」

と声を掛け、エルトシャンの下へと()()り、彼が連れて来た相手の情報を得ようと(こころ)みた。

 父の代で子爵(ししゃく)の地位を(たまわ)っているものの騎士見習いのレックスが、上位貴族で騎士、しかも(あるじ)(おい)であるエルトシャンに対し、この様な(くだ)けた物言いをするのは、とても失礼な事なのだが、彼は気にする様子も無く、

「レックス」

エルトシャンは自分に()け寄り、声を掛けて来た彼を見て(つぶや)いてから、

丁度(ちょうど)良かった。 君、この人の護衛(ごえい)を頼めるかな?」

(おもむろ)にそう言って来たので、レックスは思いがけぬ事に(おどろ)き、

「へっ?」

と、間抜(まぬ)けな声を上げながら、エルトシャンの後ろに静かに(たたず)んでいた、背の高い黒髪の人物の方へと目を向けた。

(コイツ、女か?)

レックスは、そんな事を思いながら、マジマジと背の高い黒髪の人物を観察する。

(いや、そんなに見なくても……。 かなり失礼だよ。 レックス)

レックスの様子を見て、エルトシャンは苦笑いを浮かべながら、心の中で(つぶや)いた。

 背丈は、レックスより少し相手の方が高いだろうか。

 しかしながら体付きは、普段、筋肉ムキムキの武骨(ぶこつ)野郎(やろう)たちを見ている所為(せい)か、レックスには、華奢(きゃしゃ)に思えた。

 実際、レックスの方が相手よりも二回りは、横幅がある様に思えるし、腕もレックスの半分位の太さしか無さそうだ。

(女……だよな?。 背ぇ高けぇけど)

レックスがそう思ってしまう程、とても綺麗(きれい)な顔立ちをしており、特に印象的だったのが、紫水晶を丹念(たんねん)(みが)き込んだ様な深い紫色の双眸(そうぼう)で、あまりに綺麗(きれい)な紫なので、レックスは(しばら)くの間、見惚(みほ)れてしまっていた。

 だが、不意に相手と目が合うと、レックスは気恥(きは)ずかしくなって慌てて目を()らした。

「エルトシャン様。 こちらの方は?」

背の高いエルトシャンとそう背丈の変わらぬ、黒に近い青紫色の髪を後ろで一つに束ねた若い男が、現れたレックスを見て、(おもむろ)にエルトシャンに問い掛けた。

「騎士見習いをしているレックスだよ。 剣の腕は確かだから一応、護衛(ごえい)に付けるよ。 まあ、使い走りでも何でも、気軽に使って」

エルトシャンは落ち着いた口調で、レックスの事を紹介すると、

「そうですか。 (よろ)しくお願いします」

背の高いエルトシャンとそう背丈の変わらぬ、黒に近い青紫色の髪を後ろで一つに束ねた、若い男は愛想(あいそ)良く笑みを浮かべ、穏やかな口調でレックスにそう言うと、軽く頭を()れた。

(ふむ……。 先程(さきほど)の物言いと言い、あまり(かしこ)そうには思えませんが……)

サムートは、心の中で(つぶや)きながら、戸惑っている様子のレックスを見る。

 一方の背の高い黒髪の人物の方は、これと言った表情を浮かべず、ただ静かにレックスの事を見ていただけであった。

(何だよ。 愛想(あいそう)悪りぃな。 コイツ。)

背の高い黒髪の人物の方の態度を見て、レックスはムッとした表情を浮かべ、心の中で(つぶや)いた。

「レックス。 こちらは、クラレス公国のクレーエ伯爵(はくしゃく)の身内のロナード殿だよ。 こちらは従者(じゅうしゃ)のサムート」

エルトシャンは落ち着き払った口調で、二人の客人の事を紹介する。

(クレーエ伯爵(はくしゃく)……。 クレーエなんて聞いた事ねぇけど、まあ、お貴族様って事か)

レックスは、背の高い黒髪の人物を見ながら、心の中で呟く。

伯父(おじ)(うえ)の大事なお客様だから、くれぐれも失礼の無い様にね。 間違(まちが)っても、喧嘩(けんか)を売ったりしないでよ?」

エルトシャンは真剣な面持ちで、レックスに言うと、

「分かってますよ」

レックスは、ムッとした表情を浮かべ、エルトシャンに言い返す。

「伯父上はまだ、王宮から戻られていないらしい。 夕方には戻られる予定なだから、それまでの間、用意した部屋で(くつろ)いでて」

エルトシャンは、出迎えた執事(しつじ)に何やら耳打ちされた後、愛想(あいそ)良く笑みを浮かべながら、ロナードたちに向かって言った。

「ご案内します」

執事がロナードにそう言うと、二人は(だま)って彼に付いて行くので、エルトシャンから彼等の護衛(ごえい)を言い渡されたレックスは、慌てて彼等の後を付いて行く。

 二階に上がり、突き当りの奥の部屋に彼等は通されると、

「何か御用(ごよう)が有りましたら、お呼び下さい」

執事はそう言うと、従者(じゅうしゃ)のサムートに呼鈴を手渡し、軽く会釈(えしゃく)をして、部屋を後にした。

随分(ずいぶん)と立派なお部屋を用意して下さいましたね。 若様」

サムートは、部屋の中を見回しながら、ロナードに声を掛ける。

「ああ」

ロナードは、素っ気ない口調で短くそう答えると、(おもむろ)に、部屋の中央に置かれたテーブルの周囲に配置されていた、二人掛けのソファーに身を投げ出す様にして腰を下ろした。

(何だよコイツ。 野郎(やろう)かよ!)

ロナードが発した声を聞いて、レックスは心の中で(つぶや)くと、思わず彼の方へと目を向けた。

 レックスは内心、不思議な空気を(まと)った、異国人風の美人な彼に、ドキドキしていたのだ。

 だが、相手が男だと分かった途端(とたん)、レックスの胸の高鳴りは一瞬で止まった。

「若様。 お茶を()れましょうか?」

サムートは、テーブルの(となり)にティセットを発見し、穏やかな口調で、ロナードに問い掛ける。

「頼む」

彼はそう言いながら、座ったままの格好で、上半身だけをソファーの上に横にした。

(つか)れた……」

彼は、そう言いながら、ブーツを()いたままソファーの上に仰向(あおむ)けになる。

行儀(ぎょうぎ)()りぃな)

ロナードの行動を見たレックスは、心の中で(つぶや)いた。

「それはそうでしょう。 何日も列車に揺られていたのですから」

サムートは、紅茶を()れる準備をしながら、苦笑混じりに言い返した。

「会食とか……あるよな?」

ロナードは、ボンヤリと天井を眺めつつ、サムートに問い掛ける。

「さあ。 どうでしょうか」

サムートは、紅茶の茶葉が入った白い陶磁器(とうじき)(ふた)を開け、中身を確認しながら言った。

面倒(めんどう)だ。 このまま眠りたい」

ロナードは、両手で自分の顔を覆いながら、(つか)れた様子で(つぶや)く。

「そう言う訳にはいかないですよ。 先方は若様と会える事を、心待ちになさっていたのですから」

サムートは、苦笑いを浮かべ、ティカップにお湯を注ぎながら、そう返した。

(じい)さんと会って何を話せと言うんだ? 昔話をされても(おれ)は何も覚えて無いぞ」

ロナードは、嫌そうな表情を浮かべながら言うと、はあと溜息(ためいき)を付いた。

 レックスは、主君(しゅくん)であるオルゲン将軍を『爺さん』と言われ、ムッとし、思わずロナードを(にら)む。

「本当にお(つか)れの様ですね。 このところ本ばかり読まれて、あまり体を動かさなかったからですよ。 明日からでも、ここの兵士たちと一緒に剣の稽古(けいこ)でもなされてはどうですか?」

サムートは、お湯が入ったティポットに紅茶の茶葉をスプーンで(すく)って入れながら、穏やかな口調でそう提案する。

(おれ)の相手が務まる(やつ)が居るのならな」

ロナードは、あからさまに(だる)そうに言い返す。

(どんだけ自分の腕に自信があんだよ。 コイツ)

レックスは、ムッとした表情を浮かべ、心の中で(つぶや)いた。

「若様。 その様な態度を取られては、エルトシャン様やオルゲン将軍を困らせるだけですよ」

サムートは、困った様な表情を浮かべながら、彼に言い返した。

「分かっている」

ロナードは、()(いき)()じりに言い返す。

 そんな二人のやり取りをレックスは、入り口の扉近くの壁際(かべぎわ)に立ち、(だま)って聞いていると、不意にサムートが振り返って来て、

「レックス殿……でしたね?」

穏やかな口調でそう声を掛けて来た。

「えっ。 あ、お、はい……。」

レックスは急に声を掛けられ、慌(てて返事をすると、

「ふふふ。 面白(おもしろ)い返事をなさいますね」

レックスの反応が面白かったのか、サムートはクスクスと笑いながら言った。

「ちがっ……。これは別に……。」

レックスはそう言われて、(たちま)()ずかしくなり、顔を赤らめ、口調を強めて否定する。

「そう(かしこ)まらなくても良いですよ。 貴方も適当(てきとう)(くつろ)いで下さい。 そう畏まられては、こちらも寛げませんので」

サムートは、相変わらず可笑(おか)しそうにクスクスと笑いながら、レックスに言った。

「えっ。 あ、お、おう」

レックスは思いがけぬ言葉に戸惑いつつも、素直に揃えていた足を少し広げ、両腕を背後に回して組み、楽な姿勢を取った。

「ここの兵士は、そんな(みょう)な返事をするのか?」

ロナードも可笑(おか)しそうに笑いながら、レックスにそう言って来たので、彼は思わずムッとして、

「んな訳ねぇだろ!。 オメェ馬鹿じゃねぇのか?」

思い切り強い口調で怒鳴り返した。

 すると、背後で(とびら)が開く音がして……。

(ぼく)はさっき、『大事なお客様』と言った(はず)だよね? レックス」

エルシャンは部屋に入って来るなり、レックスにそう言うた。

 笑みを浮かべいるが、その目は決して笑っておらず、額に青筋(あおすじ)を浮かべ、表情筋を引き()らせている。

「あばばっ……。 そ、それは……」

レックスはエルトシャンの表情を見て、顔を青くして思わずそう(つぶや)くと、二、三歩後退(さんぽあとずさ)りをする。

 確かにレックスは剣術に()いて、この屋敷の兵士の中では負け知らずだ。

 ただし……(あるじ)(おい)で、治安部隊の副団長をしているエルトシャンには、勝った事は一度も無い。

御免(ごめん)ね。 アホで。 嫌なら別の者に替えようか?」

エルトシャンは、苦笑いを浮かべながら、ロナード達に謝ってから、そう問い掛けた。

(かま)わない」

ロナードは、ゆっくりと身を起こしながら、エルトシャンに答えた。

「そう。 君が良いなら、良いんだけど」

エルトシャンは、苦笑いを浮かべながら言った。

「それで、何か御用(ごよう)ですか?」

サムートは静かにティカップに紅茶を(そそ)ぎながら、エルトシャンに問い掛けた。

「今から、(れい)の組織へ書類を提出に行くんだけど、(いく)つか確認しておきたい事があって……」

エルトシャンは、手にしていた大きな封筒に入った用紙を取り出しながら言った。

「何か、不備(ふび)でもあったのか?」

ロナードは、戸惑いの表情を浮かべつつ、エルトシャンに問い掛けつつ身を起こす。

「いや、そう言う訳では無くて、今後の生活場所や試験を受けるかなど、そう言った事だよ」

エルトシャンは落ち着き払った口調で客人の二人にそうげると、二人は戸惑いの表情を浮かべつつ、(たが)いの顔を見合わせる。

「試験……ですか?」

サムートが戸惑いの表情を浮かべたまま言うと、

「うん。 一応、君は伯父(おじ)(うえ)推薦(すいせん)となるから、無理に受ける必要は無いんだけど……腕試(うでだめ)しにどうかと、伯父上たちが……ね」

エルトシャンは、苦笑いを浮かべながらロナードに言う。

(それは、若様の力量を試そうとしている……と言う事だろうか)

サムートは、(むずか)しそうな表情を浮かべながら、心の中で(つぶや)くと(おもむろ)にロナードの方へ目を向ける。

(よう)は、期待に沿えると言う事を試験に参加して、しっかりと(しめ)せと言う事だろう?」

ロナードは、面倒臭(めんどうくさ)そうに溜息(ためいき)を付いてから、エルトシャンに言うと、

「そう……とも(とら)える事は出来るけど、多分、そこまで深い意味は無いと思うよ。 君が本調子では無い事は伯父(おじ)(うえ)たちも知っているし。 (かん)を取り戻す(ため)にどうかと言う意味じゃないかな」

エルトシャンは思いがけぬロナードの返答に、苦笑いを浮かべながら答えた。

(コイツ、随分(ずいぶん)と性格が(ひね)くれてんな)

レックスは、(ひね)くれた(とら)え方をしたロナードに対して、その様な事を思いながら、彼の方へと目を向ける。

「まあ、暇潰(ひまつぶ)しにはなるか。 それで試験は何をしたら良いんだ?」

ロナードは、オルゲン将軍の真意など大して興味が無い様で、直ぐにエルトシャンに別の事を問い掛けた。

「ルオン高原で一週間の間に魔物を倒して、決められた数のタグを回収して、定められた場所に最終日に集合する……と言うモノだよ。 君なら簡単でしょ?」

エルトシャンは、用紙を見ながら、簡潔(かんけつ)に問い掛けに答えると、

「ふぅん」

彼は、どうでも良さそうな様子で一言、そう言っただけだった。

(『ふぅん』ってコイツ、ルオン高原がどういう所か分かってんのか?)

ロナードの反応を見て、レックスは心の中で呟いた。

「ルオン高原で一週間ですか……。 魔物の巣窟(そうくつ)の様な場所でとは、若様は兎も角、(ほか)の方たちには随分(ずいぶん)とハードルが高いと思われますが」

一方のサムートは、苦々しい表情を浮かべながら、あまり気乗(きの)りしない様子で言った。

「魔物退治は(つね)に生命の危険が(ともな)うリスクの高い職務だから、魔物退治が出来る実力の無い者を採用する訳にはいかないんだよ。 此方(こちら)は即戦力になる人材が欲しいからね」

エルトシャンは真剣な面持ちで、ロナードたちにそう説明すると、

(なる)(ほど)

ロナードは、その説明で納得出来た様で(つぶや)いた。

「しかしこれでは、余程(よほど)、腕に自信がある者か、高い給料に目が(くら)んだ(おろ)か者しか、試験には来ないと思うのですが」

サムートは、戸惑いの表情を浮かべながら、そう指摘した。

「それで良いんだよ。 中途半端(ちゅうとはんぱ)な気持ちの人が参加しても、此方(こちら)も迷惑だから」

エルトシャンはその指摘に、落ち着き払った口調で説明を付け加えた。

「確かに貴族に召し抱えられ、お屋敷勤めをしたり、国軍の兵士をしているよりは、好待遇(こうたいぐう)かも知れないが、だからと言って、仕事内容と報酬(ほうしゅう)がマッチしているとは言い(がた)いな」

ロナードは、淡々(たんたん)とした口調で言うと、

「そうですね。 一概(いちがい)に魔物退治と言っても、その内容はピンキリですから。 難易度に応じた報酬を与える必要があるのではないでしょうか」

サムートも、複雑な面持ちで言った。

「特に傭兵(ようへい)上がりは、報酬(ほうしゅう)=自分への評価(ひょうか)見做(みな)す節がある。 此方(こちら)が良いと思った相手でも、当人が思う様な評価が得られていないと感じた場合、遠慮(えんりょ)なく組織から出て行ってしまうぞ」

ロナードは、真剣な面持ちでエルトシャンに言うと、

「その点については、今、提示している金額が月々の基本給だと思って。 仕事の内容次第で、若干(じゃっかん)|は増える事があると思うよ」

エルトシャンは落ち着き払った口調で、すぐさまそう答えた。

「それは言われないと、用紙を見ただけでは分からないと思うぞ」

エルトシャンの話を聞いたロナードは、思い切り(まゆ)(ひそ)め、彼に言い返した。

「そうだよね。 追記(ついき)しておくよ」

ロナードの指摘を受けて、エルトシャンは落ち着き払った口調で返した。

如何(いか)にも王宮勤めの、お(かた)い連中が考えたと言った内容だな。 愛国心や忠誠心と言った精神論(せいしんろん)だけで、人が集まる訳が無いだろ」

ロナードは、王宮勤めの人間が好かないのか、嫌味混じりに言うと、

「だよねぇ……だから、宮廷勤めの連中は、こんなのしか作れないんだよ」

エルトシャンは肩を(すく)めながら、他人事(たにんごと)の様にそう言った。。

「あなた方が集めようとしている人たちの多くは、生きる為に(あるじ)を替え、諸国を渡り歩き、力とお金が全てと言う考えだと思います。 其方(そちら)が求める様な愛国心や忠誠心など持ち合わせていない可能性が高いのではないでしょうか。 (みな)が皆、貴方の様な高い理想や義理を持っている訳では無いと言うのを、お忘れ無きよう」

サムートは、真剣な面持ちと重々しい口調でエルトシャンにそう説くと、

(ぼく)は分かっているよ。 『僕は』ね。 けど、運営側もそうかと問われると、『それは分からない』としか言い様が無いよ」

エルトシャンは、苦笑いを浮かべたまま答える。

「アンタもなかなか難儀(なんぎ)だな」

ロナードは軽く溜息(ためいき)を付き、エルトシャンに言うと、彼は苦笑いを浮かべる。

「そう言う所は、若様がフォローなさるべきですね」

サムートは穏やかな口調でそう言いながら、(おもむろ)に紅茶が入ったティカップを、ロナードが座っている前のテーブルの上に置く。

「エルトシャンが体良くあしらわられているのに、宮廷なんたらとか言う肩書(かたが)きばかりの、無駄(むだ)にプライドの高い奴等(やつら)が、(おれ)の様な(やつ)の話をまともに取り合うと思うか?」

彼の言葉に、ロナードは軽く溜息(ためいき)を付いてから、ゲンナリした表情を浮かべながら言った。

「それは、若様次第ではないでしょうか」

サムートは苦笑いを浮かべながら答えた。

(ぼく)は君にそんな雑務をさせる気は無いけど……」

エルトシャンは、苦笑いを浮かべながらロナードに言うと、

当然(とうぜん)だ。 (おれ)は、自分に与えられた仕事以上の事をする気はないぞ」

彼は何処(どこ)か突き放す様な、淡々(たんたん)とした口調で、エルトシャンに言い返した。

(ケチ()せぇ事言うなよ)

彼の言動に、レックスは(あき)れた表情を浮かべ、心の中でそう(つぶや)くと、サムートが、まるでレックスの心中を見透(みす)かしたかの様に、

「エルトシャン様。 真に取らないで下さい。 今はこの様な事を仰っていますが、いざ、目の前で本当に困っている人を見て、放って置く様な方ではありません」

エルトシャンにそう言ったのを聞いて、彼は一瞬、自分に言われている様な気がして、ドキッとした。

「そう言う余計(よけい)な事は、言わなくて良い!」

ロナードは、五月蠅(うるさ)そうな表情を浮かべ、サムートに言った。

「そうですか?。 (わたし)は若様が『ケチ(くさ)い、度量(どりょう)の小さい(やつ)だ』と、エルトシャン様に思われては困ると思って、申し上げたのですが。」

だが彼は、悪かったとは思っていない様で、平然(へいぜん)とロナードに言い返した。

「そういう所が余計だと言っている。 そう思いたければ思えば良い。 上辺だけで人を判断する奴は所詮(しょせん)、その程度(ていど)の人間と言うだけの事だ」

彼の発言を聞いて、ロナードは何処(どこ)かイラッとした様子で、強い口調で言った。

(つーか、こんな軟弱(なんじゃく)そうな奴が試験に参加するなら、やっぱメイが言う通り、そんなに(きび)しくねぇんじゃねぇのか?)

レックスは、自分よりも遥かに細身で、頼り無さそうな体付きのロナードを見て、心の中で(つぶや)いた。

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