かえって来た元公爵令嬢は静かに過ごしたい
前日譚の様な短編です。
虐待や直接的な描写はありませんが、少々グロイ表現があります。
確認はしましたが、作者が気付いていないおかしな点や矛盾があるかもしれません。
それでもよろしければ、暇つぶし楽しんでください。
「はい、依頼の確認終わりました。報酬はいつものように金庫所に送っておきますね。今回もお疲れ様でした、ポーラさん!」
「ジェナさんも、いつもありがとう。それじゃ、また。」
またお待ちしてます、と小さく手を振る彼女に、私もまた振り返し、冒険者ギルド・ドルトージ村支部を後にする。
依頼にあった冷えを改善する薬の材料の採取。ホノカ草にトポリの実は、村の近くにある森で採取できるが、それなりに奥にあるから危険だ。だが、この依頼主は定期的にこの依頼を出すし、報酬もそこそこ良いので、自信のあるこの村の冒険者にとって小遣い稼ぎにはちょうど良い依頼だ。
私もまた、そんなドルトージ村の冒険者の一人だ。
冒険者となって5年。
冒険者としてギルドに登録できる年齢である10歳になるとすぐに、その扉を叩き、この世界へと飛び込んだ。なかなか大変な毎日だが、充実した日々を送っている。
「世界と言えば……まさか、この世界に帰ってくるとは思わなかったよなぁ。」
帰って来たくなかった世界だが、ふとした瞬間に、しみじみと思う。
※
たまには振り返るのもいいだろう。
話すと絶対に頭のおかしい人物と言われるので、誰にも話した事は無い、私の秘密。
私には前世の記憶がある。
それも複数あり、某有名なアニメ映画の歌と被るが、前前前世までの記憶がある。目を覚ましても探す相手は居ないけれど。
最初は、一番古い記憶の前前前世の事を語ろう。
私は公爵家令嬢として生を受けた。名前はノア・フォーン・レダーソン。
レダーソン公爵家の長女で、身分だけを見れば、とても裕福で、恵まれた環境に生まれたと思う。
しかし、私は生まれた時から冷遇されていた。
「父」も「母」も、男の子しか求めていなかったからだ。
「次代のレダーソン公爵」と「愛する夫に似た男の子」を、それぞれ求めていた2人にとって、それ以外はいらないモノとされた。
生まれたばかりの赤子は、哀れに思った侍女が何とかして生かしてくれたのでギリギリだが生きていた状態だった。その侍女も私が自力で立てるようになる頃には、いつの間に消えていたけれど。
そんな中、ノアが生まれた翌年、「両親」待望の男の子、弟のサニアが生まれた。
サニアは愛された。名前は、「太陽の加護」を意味するものが使われた程、皆に愛された。
近付くことは許されなかったから遠目に見ただけだが、彼等のいる空間をとても羨ましく思った。温かそうなその場所に、私も入れて欲しかった。
けれど、自分で言うのもなんだが、聡かった私は自分が疎まれていることをしっかりと理解していた。それと同時に、私が生まれて6カ月たった後にだが、同じ年に生まれた王子の婚約者にと、王家にレダーソン家の血を混ぜるための道具として見られているとも。それ以外の価値が無いモノだと、理解していた。
サナーレン国建国から続く名家であるのに、なんとも欲深い者達だ。
今だからこそ思えるが、たった2歳、やっと立ち歩きが出来る様になった、それも栄養失調気味だった幼児に、王妃教育相当のものをやらせていたのは異常だった。何時間も姿勢をキープしたり、歩き方を覚えさせたり、ダンス、言語、経済……必要と思われるものは全てやらされ、間違えたり、出来なければ、鞭で叩かれたり、ご飯は取り上げられたりした。よく生きていたものだ。
全て、苦しいなんてものじゃなかった。言葉には言い表せ無いほどのものだった。それでも、当時の私はそれをやる事で、ただの道具でも愛されるモノになるかもしれないと、浅はかにも思っていたのだ。
努力して、努力して、努力して……私は、レナルド・ウォル・サナーレン王子の婚約者となった。5歳の時の事だ。
他の貴族令嬢の中で飛び抜けてマナーや教養などが良かった事、実家が公爵家で力があった事。それが決め手だったそうだ。
ただ、他の要素はマイナスと言って良い。
容姿自体は、まあ、彼に会う時には綺麗にはされていたけれど、5歳の女子にしては異常な程小柄で、体重も平均を下回っていた。それ以上に表情筋が仕事放棄していたのと、感情の無い目はどうにかしろと言われた程、死んでいた。作られた人形の方が表情があるとも言われたこともある。
無理もない。
社交の場以外で笑えば、笑うなと叩かれる。泣けばうるさいと、静かになるまで殴られる。かんしゃくを起こせば、外が吹雪だろうが何だろうが放り出される。他にもあったが、幼いながらに、感じる心を無くせばそんな事をされることは無くなるだろうと思ったのだ。それでも、ほんの少しだけ残った感情も有るには有った。まあ、しかし、結果として「人形令嬢」と呼ばれる事になったのだけれど。
そんな訳で、こんな相手を婚約者に持ってしまったレナルド王子は「人形が私の婚約者だなんて」と言って気味悪がり、政略結婚でもあったから愛を囁く、なんて事も社交の場以外では無かったし、会うのも必要最低限だった。
そんな日々を過ごし、17歳になった年の事だ。
「ノア、君があんな事をする人だったなんて……。」
「ぇ……?」
王家主催の夜会に出席し、一通りの挨拶を済ませた後に、険しい顔をしたレナルド王子が一人の令嬢を連れて私の前に現れた。
その娘の事は知っていた。
カノン・エレイ・ハーネン。ハーネン男爵家の娘で、同じ貴族学園に通っている者で……レナルドが愛している女性だ。
別に、その事に目くじらを立てる気は無かった。初めから彼とは愛の無い関係で、私は「両親」の道具としていたから、このまま道具として結婚して、後々噂のカノン嬢を側妃として迎えるのだろうな、くらいに思うだけだった。彼からの寵愛は彼女だけで、私はお飾り王妃になるんだろう、と。
だけれど、この発想によって何もしなかった、何も言わなかったのが悪かったのだろう。
「とぼける気か?君がカノンへ悪質な嫌がらせをしていると、証言があったんだ!」
「嫌がらせ、なんてそんな……。」
「僕の愛がカノンにあると知って、嫉妬にかられて行ったようだな。まさか、君が僕にそんな感情を持っていたとは思わなかったけれど……なんて、醜い。」
何の事か分からなかった。次々と上げられる罪状は、私には身に覚えのないものばかりだったのだから。
感情は希薄でも、さすがに戸惑いはする。
「……カノン嬢は、私が行ったと断言なさるのは、なぜなのです?」
「ぁ、それは、その、ノア様が別の教室なのに、私の席のある教室から出る姿を何度も見たのです。その姿を見た後、必ず、私のノートやカバンなどが壊されていたり、やぶかれて、いたり、して……。」
「身に覚えがございません。どなたかと勘違いをなされているのでは?」
「ノア!カノンが嘘を吐いているというのか!!」
「ですが、殿下……、」
本当に身に覚えが無かったのだ。
だいたい、私は王妃教育で城に招かれる事も多く、公欠する事が多々あった。課題も多く出されるから、そんな事をする暇が無い。仮に学園に居たとしても、学園にも家にも居場所が無かったから、時間がある時は人目の付かない庭や林に居る事が多かった。それに何といっても、カノン嬢の事は噂には聞いていたが、会うのは今日が初めてなのだ。一体、誰がそんな事をしたのか、とんと分からなかった。
しかし、悪い事は続くもので……会話は会場の隅の方で行われていたのだけれど、様子がおかしい事に気付いた人たちが注目し、騒ぎに気付いて不審に思った「両親」に「弟」、それにサナーレン王と王妃がその輪に入って来た時だった。
「ノア・フォーン・レダーソン!!私は、君との婚約の破棄を陛下へ願い出る!!君の様な者が国母になるなど、国の為にならない!!」
そう、彼から告げられた。
その言葉に周りはシン、と静まりかえった。
そんな中でちらりと見た「親」の顔には「使えない道具が」と、蔑んだものが読み取れた。
もう、「家」にも入れない。ゴミ捨て場に捨てられるんだろうか?手を煩わせるなと言われるかも、なんて、思って、私は、
「では、要らない道具は処分いたします。ごきげんよう、殿下。お幸せに。」
自分に魔法を使い、昔見た人形の処分方法の様に、圧縮して、死んだ。
控えめに言って、ヨロシクナイ人生だった。
今、あの時の事で唯一思うのは、会場に居た関係の無い皆様には申し訳なかった。トラウマになっていない事を願ってます。
※
次は、前前世の事を語ろう。
私は森に捨てられた孤児だった。生まれてそんなに経っていなかったらしい私を拾い、育ててくれたのは女性の魔法使いだった。
彼女は気紛れで私を拾ったが、泣きも喚きもしない不気味な赤子にポーラ、「星の贈り物」という意味を持つ名前を与え、大事に慈しみ、育ててくれた。そんな彼女を私は母と慕い、森の中ですくすくと健康に育っていった。
そんなある日。確か私が4歳になったくらいの頃だ。
母は定期的に近くの村へ薬を卸しに行くのだが、母特製の薬を贔屓の薬屋に届け、ついでに買い物を済ませて帰って来ると、母は私にお土産だと言って、白に近い緑の髪を持った女の子の人形を買って来てくれた。
母はきっと喜ぶだろうと思い買って来たのだが、最悪な事に、その可愛らしい人形を見て私は前世の、人形の様だった人生を思い出した。
「わたッ、ワ、たくしは、ぉにんぎょ、じゃない、ッおにんぎょうじゃない!!ノアは、のあ?だれ?わたく、し……っちがう!わたしはポーラだッ!!ノアなんかじゃないッ!!」
「ポーラっ?どうしたんだい?!ポーラッ!!」
偶然とはいえ、前世の私と似た髪色に髪型で、人形だったのが刺激になったんだろう。ガタガタと体を震わせ、髪を振り乱し、目をかっ開いて、涙なのか汗なのか、とにかくいろんな汁を垂れ流していた。
感情らしい感情を、母から与えられた事も尋常じゃない反応になった要因の一つだろう。前世で泥の様に堆積していた怒りや悲しみ、憎しみなどが大波となって押し寄せ、私を飲み込もうとした。飲み込まれなかったのは、母の存在があったからだろう。
温かな母に抱きしめられ、縋りついて、泣いて、喚いて、叫んで……いつの間にか泣き疲れて眠っていた。そして、起きた後は前世の記憶をすっかり思い出し、落ち着いたので、母に何があったのかを洗いざらい話した。
母は私が泣き叫んでいた時の内容で、さすがに異世界だとは思わなかったみたいだけれど、おおよそを把握して、私の話を信じてくれた。
なんでも、前世の記憶を持った者はたまに生まれてくるんだそうだ。そして、そういう人達の大半は前世で何かしら魂に強く刻まれる事柄があり、生まれ変わった時に前世の、魂に刻まれる程の事に関連したことが起こると思い出すんだとか。思い出すまでは忘れていても、魂に深く刻まれる為、癒えない限り、忘れられないという事も話してくれた。
「記憶持ちは、前世の事で振り回される者が多い。ポーラは異世界の事だけれど……なにか、したいことはあるかい?」
「……わたしは、今はただ、おかあさんといたい。」
「そうかい。じゃあ、お前が何かしたい事を見つけるまで、ゆっくりでいい、私と一緒に暮らそう。」
「うん……っ。」
無条件で愛されるというのはこういう事なんだと、この母から教わった。
それと、私がただの幼児じゃないという事から、この時からこの世界の事を教わった。
まず、母の事。
母は人ではなく、自然発生で生まれる存在だった。強いて言うなら精霊に近い存在らしい。だからこめかみ辺りにフードの穴が開いていて、そこから薄ぼんやりと輝く、時折ツタの葉のようなものが浮かぶ角っぽいのが生えていたのかと、納得した。
この存在達は「魔法使い」と呼ばれ、姿形は様々で女性型も男性型も、稀にだが両性も居るという。何から発生するかで、魔法使いは何が出来るのか変わるそうだ。母は薬草の群生から生じたので「薬草の魔法使い」と呼ばれ、様々な薬草を生み出せる。それを活用して、「魔女の薬」として村に卸していたのだ。
余談だが、「薬草の魔法使い」と呼ばれはするが、個体を指す名では無い。似たように発生した者も、総じてそう呼ばれるのだとか。なので、私に名前を付けて欲しいと言われた。なんでも古い呪いだそうで、お互いの結びつきを少し強くするものでもあるそうだ。そう言われると、大好きな母の為に良い名前を贈りたくなる。3日ほどかけて考えた結果、「ハヴェラ」という名前を母へ贈った。母も嬉しそうに受け取ってくれた。前世で「癒し」を意味する「ハヴノ」と、「幸い」を意味する「エライオ」を合わせた名前だ。この世界でも近い言葉があるそうで、それぞれ「導き」と「光」を意味すると聞いて、母に似合う名前を贈れて嬉しかった。
話は戻して、次は魔法に関する事。さきほどの呪いも関係する。
魔法を扱えるのは、母のような存在達だけだそうだ。自然発生で生まれるが、強いて言えば親は世界で、世界から生まれるから扱えるらしい。本能的に使用できるから、詳しく説明はできないと言われたが、原理としてはそうらしい。
では、一般の人間はどうしているのかと言うと、魔法ではなく呪いを使って生活している。
これが多種多様で、天気予報や占いという呪いの一般的イメージのものから、火おこしに水の浄化、物の修理と、そんなことまで!?というほど沢山だ。
呪いは一般人でも使うが、もっと専門的に扱う人達が居る。細かい分類はあるが、総じてその人達は呪い師と呼ばれる。
公爵令嬢だった世界では魔法を扱うのが普通だったし、母も扱うのが魔法だったから、前世と大した違いは無い世界だと思っていたのだけれど……結構違うものだ。
こうして将来の事も考えて、薬作りは簡単な物から、呪いも教えられるというのでそれぞれ教えてもらい、前世の傷を癒しながらゆっくりと、母の棲む森で生活した。
母と生活する森に近い村の人達は、魔法使いである母と良き隣人として付き合っていた。私も「薬草の魔法使いの愛弟子」として、よくして貰った。母と私が作った薬を、母が仲間との集まりやなんかで卸しに行けない時に、私が卸しに行くようになると、そんな時は、こっそりお駄賃に飴や調味料を多めにもらったりと、親切にしてもらった。
前世を夢に見る事も無くなるほど、とても、穏やかな毎日だった。
しかし、ある年の事だ。
その日は、母が集会でおらず、代わりに村へ卸しに行った。
いつもの薬屋の主人に薬を渡して代金を受け取った後、少なくなってきた生活雑貨や食べ物などを買って行こうと村の市場へ行こうとした。そこへ行く途中には村の集会に使う広場があるのだが、祭りでもないのになにやら騒がしかった。
「おばさん、これ何の騒ぎですか?」
「っポーラ、ここに居ちゃいけないっ!お逃げ!」
近寄っても人が壁になり、よく分からなかったので、ちょうど近くによく行くパン屋のおばさんが居たから尋ねたら、鬼気迫る表情で逃げろと言われた。
理由は分からなかった。分からなかったが、言われた通りにした方が良いと直感的に思い、去ろうとしたが……判断が遅かった。
「おいっ、そこの黒いフードを被ったお前!!そう、お前だ。ここに来い!」
「騎士様!この娘はっ、」
「黙れ!!私に逆らう気か!!」
実のところ、黒いフードは目立つ。と言うのも、細部や形状の違いはそれなりにあるが、黒いフードは魔法使いだけが被る物だからだ。私は例外的に、というか節約のためもあり、母の御下がりをずっと着ていたので、普段から黒いフードを被っていた。村の人達はそれを知っていたが、領主の命で来ていたらしい騎士は、そんな事は知らなかった。
とにかく、用があるのは魔法使いなのかもしれない。私は違うが、母に伝えることは出来る。村の人達は引き留めようとしていたけれど、そのせいで彼等に被害が出るのは本意では無い。だから、私は大人しく騎士の下へと行った。
「何用でございましょう?騎士様。」
「来たな、「毒沼の魔法使い」。ふん、己の力を過信してのこのことやってくるとは……。」
「毒沼の……?何の事でございましょう?」
確かに「毒沼の魔法使い」と呼ばれる魔法使いは居る。だが、彼が住むのはここから南へ行った先の小さな毒沼だ。なぜ、彼と勘違いされているのか?
「とぼけるな!貴様が領主様のお命を奪わんとした事に対する調べはついている!!おいっ。」
「ハッ!」
「え、ちょっ、やめ、」
騎士の部下の一人が私に近付き、あっという間に首と手を、抵抗むなしく、魔法使いを捕まえるための呪具で私は縛られてしまった。魔法使いの力を封じる呪具だから、別に私には効かない。けれど、非力な私に鍛えられた、しかも騎士を相手に成す術が無かった。
「騎士様!この娘は違います!!どうか、お調べ直しを、」
「えぇい、邪魔だ!!どけ!!」
「ああっ!」
「おばさん!!」
パン屋のおばさんが人をかき分けて助けようとしてくれたけれど、叩き倒されてしまった。民を護る立場にある者が、こんな事をして許されるのか!と、頭に血が上る。
「良いか、もう一度よく聞け!!領主様は大変お怒りである!!領主様のお命を奪おうとした「毒沼の魔法使い」はもちろんだが、この地に住まう、この魔法使いを抑えられなかった魔法使い共も捕縛しろとの命である!!逆らえば、逆らったものも捕らえる!!」
「……っ!」
上った血がザッと、ひいた。
何度も言うが、私は魔法使いじゃない。けれど、大好きな母は魔法使いだ。そして、「毒沼の魔法使い」以外にこの領地内に住むのは母だけだ。
何もしていない母や毒沼の彼を捕らえられないために、村の人達も捕まらないようにするにはどうすべきか。……やれる事は1つだけだ。
「……捕まってしまったか。失敗したなぁ。だが、一言言わせてもらうが、この地に居るのはボクだけだ。薬草のはボクが数年前に追い払ってね。あーぁ、あのバカ領主を殺して、この地すべてを毒沼にしてしまおうと思っていたのに……人間を見縊ったのが敗因か。」
「観念し居ったか、バケモノ。」
「これを使われちゃぁね。ほら、さっさとボクを連れてきなよ。抵抗しないであげるからさ。」
村の人達が何か言いそうになったのを目で制しながら、私は芝居をする。これでいいのだ。
調子に乗るなと一発殴られたが、その後はそれだけだ。そのまま馬に引きずられるようして連れて行かれた翌日、領主の館に着いた。そして、領主に会ったが……やっぱり、芝居をしてよかった。
「来たな、バケモノ。私を殺そうとするなど……やはり、貴様らは心の無いバケモノだな。陛下に言わなければならない!こんな者を国に住まわせるべきではないとな!!」
この領主凄くピンピンしてる。まあ、そりゃあそうだろう。
ぶっちゃけ毒沼の彼に遠くから毒殺するだけの力なんて無い。それに、毒沼と言うイメージだけなら恐ろしいと思うだろうが、彼自身は優しく、かなりののんびり屋だ。1つの質問に対しての返答が速くて30分後だ。目の前に居てだ。エントかと何度ツッコんだ事か。
しかしこの領主、恐らく、いや、確実に……昨年、代替わりしたばかりだが、前領主と違って「魔法使い排除派」だ。魔法使いはバケモノだ、蛮族だ、低能な奴らだ、なんて大真面目に主張する集団だが……こんな近くに居たとはなぁ。
「──と、いう事でだ、貴様は火刑に処する!!せいぜい、私を害そうとした事を悔いながら死ぬんだな!!ハハハハハハッ!!」
話をしっかり聞いていなかったけれど、やっぱり処刑する気だった。しかも、今日中とか……冤罪被せるなんて、魔法使いからの彼への報復が楽しみだ。
魔法使い達は仲間意識が強い。それは魔法使いでは無いけれど、母の庇護下にある私にも適応されている。報復を決めた魔法使い達に加減は無い。一族郎党、酷い事になるだろう。私はそれを狙って連行されたのもある。
まあ、私はその光景を見れないけれど。
村の人達は無事かな?毒沼の彼も集会でいないだろうし、この事を知るのは最低でも後2日はかかるか。……母に被害が行かないようにと思ってしたけれど、悲しませてしまうだろうか?馬鹿な事を!と怒るだろうか?死ぬことに恐怖は無いが、その事を考えると、胸がギュウギュウと痛む。
十字になった木に磔にされ、下には油を掛けられた薪がたくさんある。
薪に火が点けられると、一気に薪が燃え上がる。空気が乾燥している日だから、よく燃える。
熱い。息がし難くなってくる。しばらくすると、足がなんだか熱いのに冷たいとも感じるようになった。
煤と煙で涙目になるけれど、苦しんでる姿はさらす気は無い。ニヤニヤしてる奴らに笑ってやる。
後悔が無いとは言わない。もっと母に恩返しをしたかった。母と楽しい事をしたかった。来年は母たちの集会に特別に参加できるよう取り計らってくれたそうだから、それも楽しみにしていた。……もっといたかった。
そんな事を考えていたからか、炎で溶けた皮膚や濁った目のせいで視界が悪いけれど、母が見えた気がする。口が開けにくい。幻でも良い。せめて、
「だぃ、すぎ、」
おかあさん。ありがとう。
この思いが、届けば良いと願って、ポーラは死んだ。
20歳になった年だった。
※
次は前世の事を語ろう。
魔法のある世界と、魔法の代わりに呪いがある世界に生まれ落ちたが、この時の私はそのどちらも無い世界の日本と言う島国に鈴藤家の長女・えなとして生まれた。
家族は芸術家の父と、8歳上の兄と2歳下の弟が居る。母は、弟を産んで退院した日の帰り、対向車線をはみ出して来た車とぶつかり、挟まれ、死んだ。弟は迎えに付いて行っていた私と運転席側の後部座席にいたのと、座席の間に入ったおかげで無事だったが……とても、悲しい出来事だった。
悲しかったが、生まれたばかりの弟がいたし、ぶっちゃけ家事はからっきしな父と兄……事故の衝撃で公爵令嬢時代とポーラの記憶が蘇っていた私は、何とかしないと家族が危ないと、奮い立った。
とにかく、葬式の間や、母を失った事で沈んでいた父と兄の世話、乳幼児の弟の世話を、知識はあるにしても2歳児である私はやった。……本当、ショックもあったのは分かるけれど、それでも、2歳ながらに危機感を抱かせるくらいには生活能力が低かったんだ。
しかし、暫くして「情けない父ですまない」と父は謝り、その後は残された私達子どもを不器用ながらにもしっかり育ててくれた。兄は、特に何も言わなかったが……たぶん、あれは重度のシスコンになっていた。買い物袋をよたよたしながら持って歩いていると、叫びながら来て「兄ちゃんが持つから!」とひったくる。交通量の多い場所では、確か6歳になるまで抱えて歩かれた。まあ、弟の方でも似た様な事をしていたから、ブラコンでもあったから安心、あんしん……きょうだい仲は良かった。これで万事オーケー。
初めはぎこちなかったし、洗濯物や掃除を増やす事の方が多かったが、それでも掃除や洗濯とか、いろいろな事を家族で分担してやるようになった。でも、家事、特に料理関係は鈴藤家の男性陣は本当に駄目だったから、そこは私がずっと頑張った……なんでわかめの味噌汁作っていたはずなのに、ヘドロの様になるんだろうね。
かなり貧しい訳でも無いが、裕福でも無い。けれど、家族みんなで、支え合って生きていた。
そんな中で、私は歌が好きになった。
令嬢の時も、ポーラの時も歌はあった。けれど、それは讃美歌や祝詞、ただ声を出すだけといったものだった。だから、この生で出会ったJ-popや洋楽、ラップに電子の歌姫のモノと、様々な歌に、私は魅了された。
そこで安直な発想だが、私は歌手になろうと考えた。
父は芸術家として、それなりに売れている人だった。けれど、やはり3人もの子供の養育費は馬鹿にならない。兄も父と同じような道に進んでいたから、画材などの出費もある。弟も、将来は彫刻家になりたいと言っていたから、この先出費は増える。
歌う事が好きだったし、もし歌手になって売れれば、収入が不安定な芸術家3人が安心して芸術活動できる資金も安定して手に入ると、考えたのだ。幸いと言うか、部活で声楽部に入っていたのだが、声楽で有名な高校から声がかかっていた。有名な歌手やグループの出身校としても有名だったのだ。そこで勉強して、技術を磨いていけば夢じゃないとも思った。
その事を話すと父も兄弟も、高校の事は良いとしても、初めは反対して、自分達の事を考えず、私の好きなような事をしろと言ってくれた。でも、説得を続けて、最後には私の好きな事だからと、夢を応援してくれた。兄は血の涙を流しそうなほど渋々だったけれど……。不安だからと、今からストーカー撃退法や道具を揃えなくて良い。
こうして、私は無事高校へ入学を果たした。
これから厳しい現実も見ることになるんだろうけれど、楽しさの方が勝っていた。夢を分かち合う友だちや、ライバルもできるんだろうと、ワクワクした。
入学式を終えて、興奮覚めぬ翌日、私は電車に揺られていた。電車通学も、ちょっと大人になったみたいだった。
車内は始発だった事もあって、そんなに人はいなかったけれど、同じ制服を着ている人もちらほら見えたので、私と同じ気持ちなのかな?声かけてみようかな?と思って、近くに居た同じ学校の子に話しかけようとした。
瞬間、ガガンッ!と衝撃があった後、車内が大きく傾いた。
歪な金属音に、突然の事による叫び、色んなものがぶつかる音、窓が割れる、電気がバチバチと鳴る音も聞こえる、いつの間にか目の前には砂利や田んぼの土が見えて──それ以降の記憶は無い。
恐らく、電車の脱線事故が起きた。うっすらとある記憶の光景では、天井にぶつかって、次の瞬間には身体のどこかが切られた感覚と土と砂利が見えた。その事から、私は車外に放り出されたんだろう。打ちどころが悪かったか首の骨が折れたかして死んだんだと思う。
平和な世界だからと油断したのが悪かったのだろうか。今生こそ長生きして、家族と楽しく暮らして、父達に私の子どもを見せたりしたかったのだけれど。
母が死んだ時も酷かったのに、あの3人は大丈夫だろうか。あの家族は、情の深い気質の人ばかりだ。できあい物でも、ご飯を食べているのか?掃除はできているか?体を壊していないか?……涙にくれて暮らしていないか。それだけが気がかりだ。
どうか、勝手に死んだ私のわがままな思いだが、笑ってくれている事を願う。
※
さて、今生。
またもや魔法のある世界に生まれたのだが……地図や文字、王様などを見聞きした事から、私は令嬢の時と同じ世界、同じ国に生まれた事が分かった。しかも、私の感覚では50年近く前になるのだが、この世界ではノアが死んでから20年くらいしか経っていない。げんなりする。
しかし、私はまたも孤児だ。国も同じだが、ドルトージ村は国の端も端。そして、かなりの辺境の地だ。余程の事が無い限り、王族や貴族連中は来ない。やったね!
でも、まぁ、少し不安に思う事がある。私は孤児なのは孤児なのだが、ちょっとだけ事情が違う。
私はいわゆる、日本に居た頃に聞いたファンタジーな話で似た様な例を挙げるなら「チェンジリング」、この世界では「妖精のいたずら」をされた子どもなのだ。孤児院の子どもが寝る部屋に居たはずの子どもが居らず、代わりに私が居たという訳だ。
「妖精のいたずら」は色々ある。好物の食べ物が無くなる、水の中で足を引っ張られる、森で迷うといったものが多いが、たまに距離の関係なく、どこかの赤子同士を勝手に交換してしまう事もあるのだ。それで、私はどこの家の子どもか分からないが、どこかに両親が居るし、探しているかもしれないのだ。15年経っても名乗り出てこないから、親は死んで居ないとか、探していないという可能性はあるが……油断はできない。
貴族だから髪色云々は無いけれど、私の髪色がノアと同じ白に近い緑色なのに加えて、最悪なことに容姿もだいぶ似ている。あの頃に比べたら鍛えられた体になっているし、話し方もだいぶ乱暴だが。けれど、もし、本当に限りなくゼロに近い確率だけれど、ノアを知る者に出会ったら、レダーソン家と関わりがあるんじゃないかと言われかねない。
それで王都に行く、なんてことになるのは絶対に嫌だ。心底嫌だ。
今生こそ、心穏やかにしわくちゃになるまで生きるんだ!
その為に、この国から出るための資金集めと実績を積んでいるのだ。お金はもう少しで目標額になるが、実績は後1年くらいはかかる。冒険者ギルドは国境を越えた組織だから他国でも活動は可能なのは可能だ。けれど、私はこの国以外を自由に放浪して、ギルドからもランクは低めでも自由裁量で動ける様な者にならないと、下手すると国に縛られる。
それは困る。ええ、大変困ります。
だから、ノアの頃に覚えた知識、ハヴェラ母さんから教わった知識、えなの頃に覚えた雑学なんかを、適度に活かして、縛られないようにしているのだ。
えなの頃に読んだ「普段は地味だけれど、実はかなり実力がある」というモノに近い。あの頃は「えー、ナイワー」なんて思っていたけれど、今は死活問題だ。そうも言ってられない。実力を必死に隠すのも大変なんだ。目立ちたくないでござる。
後1年、この調子でいけば大丈夫なはず。そうすれば、本当の自由が待っている……はず!
願掛けや、御守り代わりに「ポーラ」と鈴藤の鈴から「ベル」を貰ってポーラ・ベルと名乗っているのだ。ハヴェラ母さん、父さん達……誠に勝手な娘ですが、お守りください……!!
「ポーラさーん!すみません、まってくださぁい!!」
「ジェナさん?どうしたんです?」
心の中で改めて決意を固めていると、ジェナさんが追いかけてきていた。なにか書類の不備でも見つかったのだろうか?普段の彼女から見られない慌てっぷりから、余程の事かもしれない。私は何をやらかしてしまったんだ。
「ゼヒッ、ゼヒッ、っはー……よかった、まだちかくにいて……。」
「大丈夫ですか?一体何事です?」
息も絶え絶えな彼女へヒエカ水、前世でいう所のスポドリに近い水を渡すと、一気に飲み干された。余程喉が渇いていたらしい。
「ありがとうございます、いきかえるぅ……。」
「いえ、どういたしまして。それで、私になにか?」
「あ!!そうです、そうなんです!!ポーラさん聞いても驚かないでくださいよ!!」
「え、ハイ。」
いつも良くしてくれる彼女だが、この時ばかりは話を聞かず、逃げれば良かった。
「なんとですね、ポーラさんに指名依頼が入ったんです!それも、この国の王さまからですよ!!」
「……はぁ、……おうさま。……ハァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!?????」
いつ建てたか分からないフラグさん。解体工事は受け付けてませんか?受け付けてない?
……。
ざまぁも、オレTUEEEEEEEEE!!もいらん!!!!私に平穏をください!!!!!!!!!!!!!
<無駄に長い、実はこんな人だったよ。一部紹介>
◆主人公
・前前前世
とある国の公爵家令嬢。ノア・フォーン・レダーソン
両親と一つ下の弟が居る。
自身を道具としてしか見ない家族とは冷え切った関係。婚約者とは政略結婚のため愛も何も無い。情は少なからずはあった。
人間関係も良好なものは無し。
それでも、ほんの一握り、いや、ひとつまみ程度の希望……努力すれば愛を与え、与えられる人にである。そんな夢を見ていた。
しかし、王族主催の夜会で婚約破棄に、身に覚えのない罪を被せられる。
ギリギリで保っていた精神がここで壊れ、自身に風魔法の圧縮を使い、自死。
享年17歳。
・前前世
森に捨てられた子ども。ポーラと名付けられる。
自然発生で生まれる魔法使いと呼ばれる存在の一人、薬草の魔法使いに拾われ、ズタボロの心を癒される。
魔法使いは母代わりであり、師匠。
記憶は、お土産の人形を見て思い出す。錯乱状態になるも、母のおかげでなんとか乗り越える。
母は彼女が前世の記憶持ち且つ、異世界の転生者と知る。
心おだやかに母を慕い、ゆっくり過ごしていた。が、杜撰な計略ではあったが、領主に捕まり、火炙りにより亡くなる。
享年20歳。
・前世
日本のとある地方に生まれる。鈴藤えな
両親と8歳上の兄と2つ下の弟が居た。弟が生まれた後、帰る途中で対向車線を飛び出してきた車と衝突事故が起き、不運にも助手席にいた母が亡くなる。以来、父親が男手ひとつで育てる。
実母の死は悲しんだ。しかし、前世の「母」の記憶もあり、悲しさも幾分か拭え、優しい家族のおかげで心の傷はほぼ完治した。
令嬢だった時と魔女の娘として過ごした時には無かった歌に魅せられる。お金で苦労を掛けているとも思っていたので、将来は歌手になり、恩返したいと思う。
念願かなって音楽学校の声楽科に進学できた。
が、しかし、入学式を行った日の翌日。乗った電車が脱線事故を起こし、帰らぬ人となる。
享年15歳。(数日したら16歳だった)
・今世
帰って来てしまった令嬢だった頃の世界アンド国。現在15歳。ポーラ・ベルと名乗る。
今生では、一応孤児。孤児院施設で育ち、身分関係無く就ける冒険者となる。
ランクは現在星4。
前世の影響もあり、ストレス解消に思いっきり歌う事が好き。
王家と貴族には絶対に関わりたくない。
え?昔死んだ公爵令嬢?知りませんねそんな方。やめろこっちくるな、くんなつってんだろ!!
心の傷はだいぶ癒されている。完治と言える程。だが、自分の死に関して、未だに軽く見ている節がある。自分が死んだ事で傷つく人が居る事は頭ではわかっているが、根本では理解できていない。
公爵令嬢時代から今世の冒険者に生まれ変わるまでの間は、主人公には約50年経っている感覚。
しかし、公爵令嬢時代の世界は他より時間の流れが遅いのか、他が速いのか……ともかく、元婚約者などからしたら約20年前の出来事。
◆薬草の魔法使い
自然発生で生まれる女性型の魔法使い。
薬草の群生地から発生したため、通称は『薬草の魔法使い』。
ある日、住処にしている森で捨て子だったポーラを、気紛れで拾い育てる。気紛れではあったが、得難い存在を、掌中の珠を得た。
ポーラに前世の記憶がある事を知る人物。
元々、個人を指す名を持たなかったが、後に、『ハヴェラ』と名乗る様になる。
20年、彼女にとっては瞬く間、しかし、輝いていた日は、悪意の火で消された。
今も彼女の目から火は消えない。
◆鈴藤治五郎
えなの実父。3児の父。
妻を事故で無くし、意気消沈していたが、まだ2歳で甘えたい盛りである筈のえながしっかり家事をしたり、兄の手伝い、葬式の手伝いなどしているのを見て、何をしていたのかと奮い立ち、生まれたばかりの息子や、残された子供を立派に育てると亡き妻に誓う。
厳しくも愛情深い人。天然入り親ばか。
それなりに売れている芸術家。メインは水彩画。手作りアクセサリーを売ってたりもしていた。
「そらシリーズ」と呼ばれる水彩画の作品がある。言葉通り、空が画面いっぱいに描かれており、そこに1人の女性が描かれているものだった。しかし、ある年から、そこに1人の少女が加わった。
長男・誠治と次男・康晴も芸術家として名を馳せている。
彼等は、これまた父の描く少女とよく似た者を作品に出している。
代表作は、兄は「讃美歌/油絵」。弟は「とある少女/彫像」
◇レナルド・ウォル・サナーレン
公爵令嬢時代の婚約者。サナーレン国の第一王位継承者。
ノアが年の割りに優秀だった事と、レダーソン家の強力な後ろ盾を得るため、ノアと政略結婚の婚約者となる。
しかし、当時既に人形のように感情の起伏が乏しかった彼女を気味悪がり、婚約者として振る舞いはしたが、極力会わないようにしていた。
16歳の頃に、男爵令嬢・カノンと出会い、愛らしい容姿と、コロコロ変わる表情に魅せられ、彼女と逢引するようになる。それを良く思わなかった者達が彼女へ嫌がらせをするのだが、首謀者を嫉妬にかられたノアがしたのだと罪を被せる。
それを信じたレナルドは、王家主催の夜会にて彼女へ罪を問うた。
この頃には多少なりともノアへの情はあった。なので、もし罪を認めれば水に流そうとも考えていた。
だが、結果は目の前で自殺。それも「では、要らない道具は処分いたします。ごきげんよう、殿下。お幸せに。」という言葉つき。
今でも、最後のその姿を覚えている。何も映らない、しかし、底知れない哀しみのこもった眼を。
真実を知ったのは、それから2年後。
もう、いや、これからもずっと、謝罪は届かない。
◇サニア・フェルリ・レダーソン
ノアの一つ違いの実弟。
生まれた時から3年程、姉が居る事を知らなかった。
ある日偶然、庭の片隅でノアと遭遇。綺麗な子どもだが、貧相な恰好をしていたので、庶民の子どもが迷い込み困っているのかと思う。そして、おやつに持っていた焼き菓子をあげた。その時に、微かに笑った顔に一目惚れする。が、その現場を使用人に見つかり、最終的に両親が彼女を罵倒したり殴ったりしたので、「自分が関わると彼女が酷い目に遭う」「実姉に惚れてしまった」などにより、ノアと関わる事は無くなった。ノア自身は、おやつをもらった記憶は抜け落ちているのだが、サニアは齢を重ねるごとに想いを募らせ……拗らせすぎた。
学園に入学し、姉の婚約者が男爵家の娘と逢引している所を見つけ、「ノアという婚約者が居るのに、最低だ」と思う気持ちと「このまま王子があの娘と結婚するとなったら、姉はどうなるか?」と考える。彼もまたノア同様優秀だったので、名ばかりの両親を追い落とす準備はできていた。後は、姉が自身の隣に居れば完璧だと思っていたところに、この光景を見たのだ。
だから、彼はあえて噂の否定をしなかった。
姉が婚約破棄されれば、例え公爵家とはいえ、次の縁談は難しい。その上、使用人まで彼女を冷遇している家だったので、縁談もすぐには来ない。ならば、次の縁談が来るその前に、レダーソン公爵家当主になろうと考えていた。
姉の婚約破棄を王子が言い、後は正式に破棄されるのを待つだけ。そう思ったら、姉は自死した。
どれだけ優秀でも、遠くから見るばかりで、彼女がどこまで追い込まれていたのか、理解していなかったのだ。
その後、彼は両親を隠居させ、レダーソン家の当主になる。病弱で、部屋にこもりっぱなしの公爵夫人を得たという噂がある。
白に近い、緑色の髪を持った精巧な人形に、彼は今日も愛おしそうに触れる。