4-5/巨塔
巨塔オ
その姿を、何と形容すればいいのだろう。
4本の折れ曲がった脚。やたらと肥大した鋏。太く長く、先端が鋭利に研ぎ澄まされた尻尾。
記号的な要素だけに着目するのならば、なるほど蠍と言えなくもない。
だが。それはあくまで、有り余る他の情報に目を瞑れば、の話だ。
脚も鋏も、あるいは特徴的な尾でさえも、その「本体」からちろりと生えたものでしかない。無言で聳え立つその「本体」こそ、その異様さをケタ違いに際立たせている。
まず、第一に。それは蠍などと言うには、あまりにも大きく。
——そして、それ以上に、“高かった”。
軽く人間の数倍はあろうかという全長と、しかしそれを完全に上回っていると確信できるだけの全高。適当に見積もっても10メートルはあろうかという高さは、塔が動いていると表現するのが何よりも近しい。やたらと太い電柱がゆらゆらと揺れていると言えば、そのサイズ感が多少は伝わるだろうか。
もっとも。その見てくれは、とても電柱などという可愛い枠に収まるものでもないのだが。
それを視界に入れた瞬間、一瞬思考が止まった最たる理由。それは唐突に出現したからでも、ましてやそのサイズ感に驚いたわけでもない。
ただ——ただ、単純に。
その在りようが、あまりにも常軌を逸していたからだ。
喩えるのなら、それはガラクタの山。人工物なのか天然素材なのか、それすらも分からない何かが堆く積み上がり、「本体」を覆い隠す外殻となっている。
ヤドカリであればまだ可愛げもあるが、このヤドの存在は本体を押し潰さんばかりに暴力的だ。頭から尻まで余す所なく外殻に覆われ、灰一色に染め上げられたそれを見れば、先史文明の遺産などと嘯かれても納得してしまいそうになる。ここにブラウン管のひとつでも混じっていようものなら、奇特な現代アートとして評価されていたに違いない。
今しがた俺が鋏と呼んだ部位も、果たしてそう呼ぶのが相応しいのか分からない。ゴテゴテと付着した外殻はその形状すらも変え、鉄塊のごとき厚みを持った盾へと変質させている。
生物というには無機質すぎ、さりとて機械というにはあまりにも生々しい。多脚戦車などという枠をとうに飛び越えたそれは、縮尺を弄くったハ○ルの動く城そのものだった。
無秩序極まりない「本体」に対して、4本の脚部はあまりにも頼りない。あれでは一歩踏み出すことすら難しい、どころか立っていることすらやっとのはずだ。
そもそも、だ。根本的な問題といえば、こいつはいつからここに居たのか。
ほんの一分前、このポイント02に行き着いた時点では、ここには確かに初瀬兵長しかいなかった。仮に背を向けた瞬間に現れたのだとしても、何かしらの予兆のようなものは存在して然るべきであるはずだ。
だというのに。気配の一端すらも見せないまま、こいつは既に立ち現れている。
「何が」、あるいは、「誰が」。一秒に満たない時間の中、無限にも等しい数の思考が生じて消える。
濁流のごとく荒れ狂うそれらは、泡となって意識の表層に浮上を試み——
「————逃げ」
そして。そのすべてが、一息のうちに弾け飛んだ。
思考を埋め尽くすアラートも、主人の意思に先んじて動く体も。
およそ俺を構成するものすべてが、力の限りに躱せと叫ぶ。
視界の隅で、巨塔が鋏を付き合わせるのが見えた。
人間の動きに例えるのなら、それは両の手で顔を覆うようなものか。
重なり合ったふたつの盾が、卓袱台顔負けの美しい真円を形作る。そこに浮かび上がるのは、人間の口のような不気味な文様だ。
「くそ」
間に合わない。
背筋に突き刺さる予感に対し、身体が決死の回避行動を実行に移す。
瞬間。開かれた「口」が、銃口さながらに火を噴いた。
盾からガトリングガンのごとき勢いで射出されるのは、数十、数百にも及ぶ「針」。クナイ程度の大きさのそれが、止めどない嵐となってこちらを襲う。
空を裂き、樹を抉り、地に突き刺さる。たった今まで己が立っていた場所を破壊する旋風は、まさしく暴虐と呼ぶにふさわしい。
直感でわかる。あの嵐に一度でも捕まれば、その瞬間にゲームオーバーだ。
無論、一発でも当たれば削り殺されることは確定なのだから、もとより捕まってやるつもりもない。だが、どこかそれとは違う点で、俺の中の何かが訴えかけている。
——あの針に触れるな。面倒なことになる。
「っ——」
5秒、10秒。未だ止む気配のない掃射が、白銀の世界を我が物顔で荒らし回る。
僅かでも足を止めれば、その瞬間に蜂の巣にされることは確定だ。それが理解できるからこそ、不安定な足場の中を全力で駆け抜ける他にない。
降りしきる雪と舞い上がる土塊が、回避ルートの視認を一層困難にさせる。あまりにも明白な脅威であるがゆえに、他人の安否にまで気を回す余裕などあるはずもない。
だが。この男であれば、気など回すまでもなく無事に決まっている。
「——いくぞ」
「任せて」
わざわざ呼吸を合わせる必要もない。意思疎通なしでも完璧にやってのける、それが樋笠拓海という人間なのだ。
前だけを見て吼えると同時、視界の隅に駆け出す樋笠の姿が映り込む。
足を止めることのできない戦闘であれば、とっくの前に経験済みだ。要求される連携はあのときと同じ、であれば何を恐れる必要もない。
“蠍”の正面から右側面へ回った俺と、鏡写しのごとき動きで左方向へと舵を切った樋笠。即席の挟撃は、しかし樋笠の技術によって完璧なタイミングを伴ったものへと昇華される。
“蠍”との距離、時間に換算して残り3秒。揺らめく樋笠の手元に現れる木刀は、彼の神器である仕込み刀に他ならない。
「神器抜刀」
人造神器展開、盾モードから盾剣モードへ。引き抜いた短剣をくるりと反転させ、そのままの勢いで一気に斧モードへと移行する。
狙うは歪極まりない本体、ではなくそれを支える細い四脚だ。どれだけの硬さがあるのか知らんが、こちらとしては全力の攻撃をぶつける以外にない。
接敵する。特に防御が薄い関節部を目掛け、一直線に刃を振り抜き——
「俊!」
がちゃり、と。
およそ生物から鳴るはずのない音が、警告よりも早く感覚に突き刺さった。
悪趣味なオブジェのごとく、山のように聳え立つ蠍の「本体」。ガラクタに覆われたその“下”から、腕のような部位が見え隠れしている。
外殻の下から伸びてきた不気味な腕、その先に付いているものは確かに掌だ。しかしその指先は、明らかに何かを発射するための砲身として形作られている。
「わお」
なるほど。どうやら、認識を改める必要があるようだ。
その砲身はさながら、迷彩に隠れて機会を伺う狙撃兵か。先程の機銃掃射のカラクリも、外装まみれの盾の下に砲塔が隠されていたのだと考えれば説明がつく。
歪な電柱などと表現したが、そのあり方は言うなれば戦艦だ。無数の砲門を備えた姿は、歩く固定砲台とでもいうべき矛盾に満ちている。
弾劾でもするかのごとく、まっすぐ俺に向けられた4本の指。それらが火を噴くまで、猶予はあと数秒もない。
迎撃、間に合わない。回避、間に合わない。この斧を盾に再変形させて防御するとしても、それだけの時間が確保できるのか。
加速する思考と相反するがごとく、やけに粘ついた時間の中。
構えられた砲身は何の躊躇いもなく、さも当然のように「針」を撃ち出し——
「……まったく。やんちゃが過ぎる」
だが。
その針が、この身を貫くことはなく。
俺の眼前に展開された、半透明の薄い膜。
バリアのようなそれは円形に広がり、降り注ぐはずだった針を半ばで受け止めていた。
「これ以上、学生に戦わせる訳にはいかない。……星皇軍を舐めてもらっては困る」
研ぎ澄まされた中にも、どこか呆れたような声音が入り混じる。
勝手に突撃し、あまつさえ危機に陥っている俺たちを諌めるように。背後から聞こえる初瀬兵長の声は、聴くものを安心させるだけの力強さに満ち溢ちていた。
「兵長——」
「二人は退却を。ここからは、軍人の仕事です」
鋭い踏み込みは、言葉すらも置き去りにするかのごとく。
蠍の正面に立つ兵長が、引き下がる俺たちと入れ替わりに突撃する。
殊更に前のめりなその姿勢は、対象を引きつけることも兼ねてのものか。構えられた二刀の神器が煌めくと同時、すべての照準が兵長の方を向く。
一斉に撃ち出される針の数々は、絨毯爆撃と呼ぶにふさわしい密度を誇るものだ。あんなものに正面からぶち当たれば、穴どころか細切れになるに違いない。
「木偶の坊が」
しかし。狂ったように連射される針は、ただのひとつも兵長に届くことはない。
豪雨から身を守る笠のように、兵長の頭上に浮かび上がる半透明のバリア——俺たちを守ったものと同じそれは、兵長の能力に由来するものか。
押し寄せる針はすべてバリアに突き刺さるものの、そこで完全に威力を殺されておしまいだ。浮揚する円形の不思議物質は、さながらダーツのごとく無数の針を吸い寄せる。
「——せァ!」
瞬く間に距離を詰めた兵長が、鬼気迫る表情で神器を振り抜く。外殻に鋭い刀傷を入れられた蠍が、驚いたように身を震わせた。
見てくれは堅固な防壁に見えても、その強度はガラクタそのものらしい。斬撃のひとつで破壊可能だというのであれば、自ずと攻略の糸口も見えてくる。
どれだけ強力な射撃であっても、懐に入り込まれれば相対的に効果は薄くなる。ましてや、その相手に完全な防御を取られているとなれば、切り刻まれるのは時間の問題だ。
二刀の軌跡が描かれるたび、装甲に罅が入っていく。外装がボロ切れのように切り裂かれ、詳細不明の残骸が面白いようにボロボロとこぼれ落ちる。
もちろん“蠍”の側も、一方的に切り刻まれるのを良しとするはずがない。射撃が効かないとなれば、死に物狂いで抵抗してくることは目に見えている。
だが。分かっている攻撃なら、いくらでも対処のしようはあるというものだ。
眼前の巨塔が“蠍”であることを、何よりも雄弁に証明するそれ——太く長い尾がしなり、正面に立つ兵長を真横から串刺しにせんと振るわれる。兵長のバリアがいくら強力でも、あれを受けきるには不安が残ると言わざるを得ない。
「樋笠」
「ああ、わかってる!」
声のした方向を見ることなく、掌を地面へと叩きつける。
集中しろ。狙いが僅かでもズレれば、その瞬間に目論見はご破算だ。樋笠が必ず仕事を全うする以上、俺にミスがあるなど許されない。
直接斬れないというのなら、間接的に邪魔をするまでだ。的確な嫌がらせがどれほど効果を発揮するか、カイン戦で嫌という程思い知っている。
「ぶち当たれ——」
四脚に支えられ、浮き上がった“蠍”の身体——の、直下にある地面。予兆のように泡立ったそこが、次の瞬間盛大に水柱を吹き上げる。
単純極まりない水鉄砲も、勢いと質量が備われば話は別だ。それそのものを決定打とすることはできずとも、次の一手を確実なものにすることはできる。
無防備な腹部を叩かれた“蠍”が、不意打ちに耐えきれず大きくバランスを崩す。兵長へと一直線に向かっていた尻尾は、しかしその余波を受けてあらぬ方向へと突き進んでいく。
それが大きな隙であることなど、わざわざ明言するまでもない。
「斬れ」
「もちろん」
力強いその宣言は、紛れもない有言実行の証たるものだ。
狙い通りにたたらを踏んだ“蠍”と、一瞬にしてその下へと飛び込む樋笠。俺がこの状況を作り上げると信じ切っていたのか、その動きには一切の迷いがない。
獰猛さと高貴さを兼ね備えたその剣は、まさしく狼というに相応しい。振るわれる白刃は光跡とともに、情け容赦なく外装を切り刻んでいく。
「謗帝勁縺吶k——!!!」
“蠍”が、吠えた。
目の前の小さな存在に、予想外の打撃を受けたことがよほど癇に障ったのか。明らかにこれまでとは違う様子に、警戒が一段階引き上げられたことを肌で感じ取る。
空気を震わせる奇っ怪な咆哮とともに、剥がれ落ちた無数のガラクタが光り輝く。二割ほど剥ぎ取られた外装の下から見え隠れする「本体」が、明らかな敵意をこちらへと向けている。
さあ、どう出る。
攻撃が苛烈になるとすれば、それは認識の変化が起こったときを置いて他にはない。
取るに足らない有象無象から、排除すべき「敵」へ。本気となった獣を前にして、次に何が来るのかと身を構え——
「——離れろ!」
瞬間。
輝くガラクタが、爆発した。
切り裂かれ、地に散乱するガラクタの山。原理も仕組みも一切不明のまま、それらすべてが立て続けに爆発する。
雪化粧を施された地のすべてが、一瞬にして地雷原へと姿を変える。未だ“蠍”に付着したままの外装が暴発する様子は一切見えないのだから、まったくもってその機能は不可思議という他にない。
腹の底に響く爆発音が、束の間生じたアドバンテージを吹き飛ばす。“蠍”の周囲に落ちた大量のガラクタは、密着していた二人をもろともに巻き込んで盛大に爆発する。
「ギリギリセーフ、かな。ありがとう俊、助かった」
「……退却しろと言ったはずですがね、私は」
無論。この二人が、その程度で斃れるはずもなく。
ところどころが剥がれ落ち、「本体」を部分的に晒す“蠍”。聳え立つ塔の正面に、爆発を切り抜けた樋笠と兵長が並び立つ。
仕切り直しと言わんばかりに、再度得物を構える軍人と学生。あの至近距離から無傷で生還しているあたり、さすがの技量という他にない。
「……で、なんですか、アレ」
「星屑でしょう。おそらくはB上位、ことによってはAの下位か……もっともそうなると、どうやって出てきたのかが問題となるわけですが」
舞い上がった大量の雪が落ち着くまでは、もう少し時間が必要になるらしい。
一転して静けさに包まれた戦場の中、警戒を解かないままに言葉を交わす。歯切れの悪い答えしか返ってこないあたり、兵長にとってもよほど予想外の相手なのか。
仮に星屑であれば、門を通過した瞬間に警報が発令されるはずだ。いくらだらけているとはいえ、勤務中の正規隊員たちがそれを見落とすとはとても思えない。
あるいは外からではなく、「中」から……すなわち、ここにいた星刻者が星屑へと変生した可能性もある。だがそれにしても、何らかの予兆は発生して然るべきだろう。そもそも、今にも星屑に変貌しそうな様態の者を、星皇軍が捨ておく筈がない。
「初瀬から管制塔へ。緊急事態発生、出動要請を——管制塔、応答願う」
「何か」が。俺の知り得ないところで、「何か」が起こっている。
通信機に呼びかける兵長の声色が、次第に険を含んだものへと変わっていく。どのようなトラブルが生じているのか、端から聞いているだけでもある程度理解できてしまう。
「ダメですか?」
「ええ、繋がりません。……この状況、思ったよりも複雑なようです」
樋笠の問いかけに、兵長は通信を断念して腰元に手を伸ばす。取り出されたのは単発式の、やたらと年季が入った拳銃だ。
未だ動きのない正面を警戒しつつも、銃口を天に向けて引き金を引く兵長。そこから放たれた弾が、尾を引きながら天へと登っていく。
「この天気です、信号弾がどこまで役に立つかも分からない。あなた方二人には、ここから管制塔までの伝令を頼みたい」
「ですが——」
「戦える、はナシです。君たちが学生であるように、我々にも役割とその責任がある。……頼めますね?」
それが超自然的な偶然が引き起こしたものにせよ、それとも誰かが仕組んだ罠にせよ。覚悟を決めた兵長の表情に、言い返すことなどできはしない。
日本星皇軍の誇りと、大人としての責任。すべてを背負い、子供である俺たちを戦場から逃がそうとするその眼は、言うなれば殿を務める武将のそれだ。
本隊との連絡は取れず、他の兵士は学生二人。戦えるかどうかではなく、戦うべきは己一人だけ——その責務を全うするのが己の使命だと、彼はきっとそう言って憚らないのだろう。
……だが。彼には一つだけ、見落としているものがある。
「兵長。申し出は大変ありがたいのですが——」
飛来するそれは、全てを言い終わることすら許さない。
「伏せろ」
未だ不明瞭な視界の中、空気を割いてこちらに飛来するガラクタの一片。言うまでもなく外装の一部であるそれは、偶然とは言い難いほどの精度でこちらへと飛来し、そのまま頭上で爆発する。
「……どうやら、目をつけられてしまったようで。進むにせよ退くにせよ、簡単にはやらせてもらえないようです」
散開と同時、間髪入れずに第二のガラクタが飛来する。頭上で爆発する即席の爆弾は、樋笠の言葉が真実であることを雄弁に証明するものだ。
ここまで相手をタコ殴りにしておいて、そのままトンズラできるほど生半な相手ではない。言葉にすればたったそれだけ、あまりにも明々白々にすぎる理由だ。
「大きな一発で動きを止め、その隙に我々二人は離脱する。その方針が、現状取れる最善策かと」
「……仕方ない。では、出来うる限りの最速で決着を。あまり前には出すぎないように」
構え直す樋笠の口調は、この状況下でも一切ブレることがない。凪いだ水面のような冷静さに、兵長は苦渋の決断とも言うべき表情で顔を顰める。
樋笠の言い分も、兵長の心情も、どちらも理解できる程度には筋が通っている。自身と俺とを戦力としてカウントする樋笠の戦力分析も、この状況ではむしろ適切と言えるものだ。兵長もそれを理解しているからこそ、悩みつつも即断を下している。
目的地たる“蠍”——星屑まで、直線距離で言えば20メートルもない。だがこの足場の悪さ、そして地雷のごとく散らばった数々のガラクタが、接敵を恐ろしく困難にさせる。
三者三様に間合いを測り、次の一手を見定める中。正面に居座る“蠍”が、予兆のように身体を震わせた。
——獣と、人。相反する両者が、しかしまったくの同時に動き出す。
ガラクタの外装を突き破り、新たに生えてくる二本の腕。巨塔から生やされた計四本の腕を見れば、もはや蠍と形容できるのかどうかすらも怪しくなってくる。
元あった二本の腕はまだ人間的な特徴を残していたが、追加された二本はより無骨なものだ。見るからに撃つことに特化したと思しきそれらは、いっそロケットランチャーとでも形容した方がよほど当てはまっている。
情け容赦のかけらもなく、二対の砲塔がこちらに向けられる。明らかに今までとは違う形状を見た瞬間、予感が電光のように全身を駆け巡った。
「決めに行くぞ」
「ああ。下は任せて」
発射されたそれらは、もはや「針」と呼ぶことすらも烏滸がましい。
今までとは桁違いのサイズ感は、さながらミサイルとでも呼ぶべきか。大木の幹ほどもある「針」が四本、空を裂きながら迫り来る。
——足を止めるな。突き進め。
恐れることなく、一歩を前へ。こちらをめがけて一直線に落ちてくるミサイルに対し、怯えることなく突き進む。
「上、頼むよ」
「了解」
突破する。俺に課された役目があるのなら、それを十全に果たすまでのこと。
一度使ってしまった以上、水流で体勢を崩す作戦は効果が薄い。別の方向性から手札を切らなければ、手痛い反撃を貰ってしまうだろう。
もちろん。そのための手札は、既にこの手元に揃っている。
「使わせてもらうぞ、博士」
テストなし、ぶっつけ本番での戦闘。それを可能にする人間を差し置いて、誰が博士と名乗れるものか。
朝の時点で博士から託されていた、第三の人造神器「碧落」。戯れに名付けられたそれのトリガーを引くや、大筒めいた発射口からアンカーが射出される。
一直線に突き進み、“蠍”の外装へと突き刺さるアンカー。それを終点とするのならば、始点たる銃口との間をつなぐのは強靭な鋼線だ。
多段式変形銃「碧落」——その第一形態は、言うなればワイヤーガン。確実に対象へと食らいつくアンカーが、360度の立体起動を可能にする。
「よっと」
身体を引っ張るどころか、気を抜けば腕ごと持っていかれそうなワイヤーの巻き取り機能。その強烈さに逆らうことなく、むしろ力に変えて地面を蹴り飛ばす。
聳え立つ塔の上方、アンカーを突き刺した“蠍”の「本体」。待っていればワイヤーが確実に連れて行ってくれるだろうが、あいにくとそこまで時間は残されていない。
彼我の距離は残り半分、対して飛来するミサイルは直上にまで迫っている。「このままでは間に合わない」、そんなことはバカにもわかる単純な理屈だ。
であれば。今以上の出力を以って、相手に肉薄する以外にない。
「せえ、の——」
水流、射出。ケタ違いの推力を得た身体が浮き上がり、ロケットのように目標へと猛進する。
たった1秒、その半分すら必要ない。敵も味方も、どころか己の意識すら置き去りにして飛んだ身体は、あっという間に「本体」の上空に浮かんでいた。
「抜刀」
空中に放り出されたまま、振り子さながらの動きで強引に姿勢を制御する。
再度斧に変じたもう一本の神器は、さながら先ほどのリベンジマッチだ。足を斬ることは叶わなかったが、「本体」を袈裟斬りにしてやるのもそう捨てたものではないだろう。
刹那すら永遠に感じられるほどに、濃密な時間が流れていく。土壇場の抵抗とも言うべきなのか、“蠍”の尻尾から何かが発射されるのが見えた。
「行け——!」
無論。苦し紛れの一撃が届くほど、日本星皇軍は甘くない。
俺の頭上に広がったバリアが、“蠍”の最後っ屁を完璧に受け止める。滞空する俺と地を駆ける樋笠、両者の身を完璧に守りきっているのは、言うまでもなく兵長の能力だ。
「獲った」
斧による天からの一撃、そして地を這う樋笠の一閃。鮮やかなほどの挟撃が、一糸乱れずに牙を剥く。
切り落とされる外装も、その下に隠された「本体」さえも。“蠍”の本体を構成するもの、その全てが諸共に裁断される。
——そうなる、はずだったのだ。
「な——!?」
「……っ!」
爆発。閃光。一拍遅れてやってくる爆風と振動が、俺と樋笠とを彼方まで吹き飛ばす。
「っぐ、あ……がはっ」
勢い良く地に叩きつけられ、なおも勢いを殺しきれずにゴロゴロと地を転がる。
周回遅れの有様を呈する思考が、纏まりを持つ前に弾けて消える。気を失わずに済んだのは、全身がそれを超えるだけの痛みを訴えていたからだ。
何が起こったかなど、考えるまでもない。あの状況、完全に詰んでいたあの局面で、向こうが取り得た選択肢はひとつしかないのだから。
“蠍”がもっとも簡単に使える武器——つまり、外殻。全身に未だ付着していた全てを、奴は自爆覚悟で全て爆発させたのだ。
口の何処かを切ったのか、吐き捨てた唾は朱色に染まっている。奇跡的に五体満足な状態を保ってはいるが、体内は何がどうなっているか分かったものではない。
決して侮っていたわけではない。だが、本来獣でしかないはずの星屑では、自爆戦法など辿り着くはずがないのもまた事実だ。
「本体」に付着したままの外装であれば爆発しない。俺たちにそう思い込ませた上で、こちらが一番被害を被るタイミングで手札を切ってきた。その高度な柔軟性、とても本能で動く獣のそれではない。
やはりこの星屑、今までとは明らかにレベルが違う。今まで疑念だったそれが、この攻防を経て確信へと変わる。
強さの次元が、あまりにも明確に異なっている。こちらの、俺たち人間の戦い方を知っている——
『——よかった、やっと繋がった……! 全員無事だね!?』
「……なんとか。で、何の用だ」
痛みに苛まれる中、それでも深化していく思考を堰き止めるように。
身体を起こすこともできないまま、ただぶっきらぼうな返事を返す。
唐突に繋がった通信は、偶然か、それとも必然か。かつてないほどに焦った博士の声が、事態の深刻さを深刻に表している。
『なんとか映像と通信を拾えたけど、これも長くは持たない。多分人為的な妨害が絡んでる——今動かせる、ありったけの戦力をそっちに向かわせた。救援部隊が合流したら、すぐに学生組は退却するんだ。いいね?』
途切れ途切れで耳に届くその声には、チューニングに失敗したラジオのごときノイズがかかっている。長くは持たない、という言葉は、決して誇張でもなんでもないのだろう。
しかし、だ。そんなことより、気にすべき点は山ほどある。
『待ってください。星屑一匹に戦力を集中させるのは危険です』
「同感だ。……こっちならこっちで、どうにかできる」
姿は見えずとも、通信越しに聞こえてくる樋笠の声。とりあえずの無事が確認できたことに安堵しつつ、息すらも整わない身体に鞭打って立ち上がる。
樋笠の言うことは正しい。更なるイレギュラーが起こらない保証がどこにもない現状、戦力はできる限り温存しておくべきだ。
今戦っているこいつの出現を、誰も捕捉できなかった。これが人為的に仕組まれたものだとすれば、それ以上の事態が起こらないと断定できる証拠は何ひとつない。
だが。そんな俺の主張を、想像力が足りないと嘲笑うかのように。
『いいや——今回の相手、戦力の逐次投入で勝てる相手じゃない。君たちを戦場から逃がすために、必要な戦力だと判断した』
ぞわり、と。
生暖かい風のように、背筋を撫でる感触があった。
「嫌な予感」。それは理屈も理論もない、ただの直感に基づいた感覚でしかない。
それでも。己のそれが何よりも信頼できると、誰よりも俺自身が理解している。
べきり、べきり。
解き放たれた何かが、殻を脱ぎ捨てて動き出す。
あえて言うのであれば、それはカインと相対した時の感覚に最も近しいか。だが、前方から漂う濃密な気配は、それすらも児戯と言わしめるほどに規格外だ。
その存在感の大きさが、どうしようもない不条理さが。姿は見えずとも、あらゆる感覚に突き刺さる。
『滝川玲の権限により、これよりエマージェンシーコールを発令する。対象は現在ポイント02で交戦中、特A級星屑“シャウラ”——可能な限りの戦力を動員し、最優先でこれを排除せよ』
遊びの欠片すら無い博士の声も、今はまるで頭に入らない。
巻き上がった粉塵が収まり、にわかに晴れ渡る視界の向こう。
——兵長の身体を、巨大な刃が刺し貫いていた。
第一ラウンド、終了。ボス戦は第二形態からが本番、古事記にもそう書いてある。
次回の更新についてですが、来週末の更新が難しくなりそうです。日曜に更新がなければお察しください。
投稿日は日曜固定のため、ゆるりとした心持ちでもう一週待っていただければ……と思います。
次回、ボス戦R2。死力を尽くせ。
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