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その道の先に  作者: たけのこ派
第四部/クリスマス編
96/126

4-4/樋笠

にわかに冷え込んできた季節ですが、作中は輪をかけて冬真っ盛りです。ホワイトクリスマス万歳。

 日本星皇軍の管制塔は、基本的に午前9時が始業時間となっている。

 念のため断っておくと、ここでいう始業時間とは勤務の交代という意味だ。基本的に24時間体制の管制塔にあっては、朝9時から翌日の9時までが勤務における「一日」として設定されているらしい。

 いくら(ひな)びた施設に詰めているだけとはいえ、任務自体は言うなれば国境防衛のようなものだ。肩肘張る必要はないとはいえ、いたずらに(ないがし)ろにしていい類のものでもない。


 ……と、まあ。

 それっぽいことを言ってはみたものの、やる気があるかと問われれば紛れもなく否である。


 いつも通り朝6時に起床し、いつも通りに朝食を作って。そうこうしているうちに寝ぼけ(まなこ)の姉が起きてきて、二人揃って食卓を囲む——あれだけ鬱陶しいように思えていた「いつも通り」も、いざ無いとなれば欲してしまうのだから勝手なものだ。

 正直なところ、一晩挟めばそれで流れると思っていた。起きる頃には喧嘩していたことすら忘れ、二人でだらだらと朝食を摂るものだと、心の何処かで信じて止まなかった。


 結局。俺が家を出るまで、姉が起きてくることはなかった。


 布団に(くる)まる姉が何を思い、何を考えていたのか。それを考えることを許せるほど、俺の神経は図太くできてはいない。

 ただ無心で二人分の弁当を作り、行ってきますとだけ声を掛ける。それ以外の関わり方など、結局のところとんと判らなかった。

 怒ればいいのか、それとも謝れば良いのか。実の姉が相手だというのに、喧嘩の後始末すらまともにできていない。そんなことに苦慮(くりょ)する自分自身が、あまりにも滑稽で笑いそうになる。

 とまあ、そういうわけで。


「……はあ」


 出来損ないのピンチヒッターとして、急遽(きゅうきょ)登板することになった1日職業体験。

 そのスタートダッシュは、とても完璧とは言い難いコンディションでスタートすることになったのだ。


「ありゃ、お疲れ? 睡眠が足りないと夜がしんどいよ」


「……いえ。少し、気疲れがあるもので」


「マジ? 悩みとか?」


「そんなとこです」


 明らかに低いテンションで返したにも関わらず、目の前のその人はいくぶん大袈裟(おおげさ)に驚いている。

 学生の悩みかあ、などと言いながら頭を捻る姿は、さながら熱血新米教師のごとき様相だ。親身に相談に乗ってくれる先生の役が似合いすぎて、実際に教職にでも就いていたのではないかと勘繰(かんぐ)ってしまう。


「や、俺じゃ大した解決策も出せないけどさ、それでも無いよりマシだろうし。柱にでも向かって話すつもりで——ほら、柱の前だぞ! ってね」


「……いやあ、ははは」


 およそ愛想がいいとは言えない俺の返事にも、彼は笑みを浮かべて頷いている。きっと底抜けにいい人なんだろうな……実際に教師をやっていたら、生徒からも親からも人気が出ていることは想像に難くない。


 日本星皇軍第二本部所属、佐野(さの)満也(みつや)一等兵。今日一日、俺たちが世話になる管制塔の警備担当だ。


 時間は少し(さかのぼ)り、集合時間である午前9時のこと。集合場所に集まった俺たちを歓迎するかのように、管制塔から勢いよくやってきた人影が彼だった。

 職業体験先ではお世話になる指導員がつきものだが、その任を請け負ってくれるのが佐野隊員らしい。無論、管制塔に詰めている人間は彼だけではないが、今回に関しては彼が中心的な指導員となるようだ。


『俺もこういうのは初めてだから、めちゃくちゃ緊張してんだけど——しかも今日の生徒さんはみんな、特例枠の実力者揃いだって聞いたからさ。正直俺が教えられることなんて、あってないようなもんだよね』


 対面していの一番にナハハと笑い、後ろ手でガシガシと頭を搔く彼。実力云々はともかくとして、その姿勢には初対面の相手にも例外なく好感を与えること請け合いの爽やかさがある。


 ……もっとも。こと俺に関しては、厳密に言えば初対面ではないわけだが。


 8月14日——博士に引き連れられてなし崩し的に星屑(ダスト)を討伐することになった、夏休みのとある1日。俺が捕獲した猿の星屑、あれを俺の元に誘導してくれた彼が佐野隊員だったのだ。

 俺の中では片隅に引っかかっていた程度の記憶だったのだが、どうやら向こうからするとそうでもなかったらしい。対面するや否や猛烈な勢いであの時の話を持ち出され、おかげで俺も思い出すことになった。


『普段どれだけ元気でも、実際に戦闘になったら(すく)んじゃうんだよね、俺。軍に入れば治るかと思ったんだけど、そう簡単にもいかなくて——だからあの時の雨宮くん、俺からすればめちゃめちゃカッコよく見えたんだよ。間近であの戦闘見れたの、たぶん一生忘れないんじゃないかな』


『はあ……』


 年上から敬意を向けられる経験などおよそ無かったが故に、まるで要領の得ない返事を返すことしかできない俺。

 いかんな、数時間前のことなのに今更恥ずかしくなってきた……こうやって後から反省とかするから挙動不審とか言われるんですよね。身に覚えがありすぎる。


 とにかく。そんな佐野隊員から、この業務に関する諸々の説明を受けたのが朝のことだ。


 管制塔の監視任務というと大仰(おおぎょう)な気もするが、内容的にはさほど多くない。職業体験用に調整してあるのかもしれないが、それにしてもやるべきことそのものは苦もなく覚えられるレベルだった。

 管制塔に勤務しているのは、基本的に1日あたり7〜8人。持ち回りとしては人数を三等分して8時間ずつ、翌日の9時になったら次のメンバーと交代する、という形がとられているらしい。現在は例の人員不足が発生しているため、人数としてはやや少ない6人となっている。

 実際に勤務している人間が2人やら3人やらで大丈夫なのか、と思わなくもないが、任務そのものは至って単純だ。(ゲート)の出入りを記録した監視カメラと睨めっこし、数時間に一度見回りする、雑に分けてしまえばその二種類で事足りる。

 日に何度か門を通じた輸送が行われることもあるが、逆に言えば大きな仕事はその程度しかない。勤務時間の大部分は雑談に費やされるというのだから、その長閑(のどか)さが(うかがい)い知れるというものだろう。

 それでは残りの面子はどうしているかというと、これも管制塔の内部には詰めている。勤務時間以外は談笑しているか、それとも夜勤に備えて仮眠をとるかの二択らしいが……ここまで自由だと、もはや宿舎と言っても過言ではないのかもしれない。


 もっとも。いくらユルい空気だからといって、緊張感がないということにはなり得ない。


 星屑出現の報が門の監視装置から入った場合、速やかに全員が臨戦態勢に入ることになる。仮眠している人間も問答無用で叩き起こされ、即時に討伐の構えが取られることになるわけだ。

 星皇軍に所属している以上、どれだけ(なま)けていようと最低限の訓練は受けている。そんな人間が一班程度の人数集まれば、よほどの星屑でない限りは簡単に討伐できる——誇張でもなんでもなく、それが日本星皇軍の威信というものらしい。


『では万が一、よほどの相手が現れた場合は?』


『そんな時のためにあるのが、このエマージェンシーモードってやつ。これを発動すると自動で軍部棟に連絡が行って、3分以内に本隊が到着することになってる。同時に内結界がロックされて、簡単に行き来ができないようになるんだけど……ま、そう簡単に発令されるもんでもないし、俺もまだ見たことないんだよね』


 樋笠の疑問に答える佐野隊員の口ぶりには、およそ(よど)みというものが全くない。いざという時は迷いなく使えるよう、相応以上の訓練を積んでいるのだろう。

 だが。よくよく考えずとも、その説明がどこかおかしいことくらいはわかる。


『……そのシステム、一番危険なのは管制塔(ここ)にいる俺たちってことになりません? ヤバい相手と一緒に閉じ込められるってことですよね、それ』


『そのヤバい相手が万一にも結界を突破したら大変だからね、こうせざるを得なかったのさ。ロックとは言っても、一定時間接触し続ければ突破は可能だから、絶対の防壁ってわけでもない。第一、完全に遮断なんかしてしまったら、応援がこちらに来ることも不可能になってしまうだろう?』


 疑問を投げかける俺に対し、すらすらと回答を口にしたのは佐野隊員——ではなく。

 その隣に当然のごとく居座り、得意げな顔で口を開くその人(ソレ)だった。


『エマージェンシーモードなんて大それた名前を付けてはいるけど、要は自動で隔壁(シャッター)が降りる警報みたいなものだ。異常があれば管理者に連絡が行くし、シャッターを突破しようと思うならそれなりの手間を踏むしかない。防衛のためなら、多少は飲み込まなきゃならない不便さもあるってことだね』


『こんな俺でも星皇軍の端くれだし、本隊が到着するまでに戦う覚悟くらいはある。……ま、相手がマジでヤバいヤツなら、俺なんか一捻りだろうけどさ』


 もちろん、君たちをそんな目に遭わせることはないから安心してくれ。そう言い切った佐野隊員の目には、確かな覚悟が宿っている。

 実力も階級も関係なく、一兵卒として命を捧げられる覚悟。それは取りも直さず、人を守る側に立つ者の矜持(きょうじ)そのものだ。

 日本星皇軍の一員、その肩書きに見合うだけの自覚と誇り。上層部があのザマなせいで忘れそうになるが、第二本部(ここ)も立派な星皇軍の“本部”なのだ。一般の兵士に至るまで、彼らの中にはプロフェッショナルとしての意識が徹底して息づいている。


 ……まあ。忘れそうになる一番の原因が、目の前で茶を(すす)っていたわけだが。


『念のために言っておくけど、ぼくは戦力として数えないように。ぼくたち研究職は真っ先に逃げるのが仕事だからね』


『なら、なんでわざわざ前線に出てきたんだ』


『そりゃもちろん、特例措置であるきみたちのお目付け役、って名目で……いや失敬。()()()()()、申請を出したら許可が下りてね。()()()()()()()ではあるんだけど、せっかくだから来てみたんだよ。——ところで雨宮くん、新作の人造神器を持ってきたんだけど、実地訓練する気はあるかな』


 とまあ、こういうわけだ。これで大体の動機が理解できるんだからタチが悪いんだよなあ……。

 8時57分に集合場所に着いた俺、白い息を吐きながら到着を待っていた樋笠。束の間抱いた申し訳なさも、その隣で何故かスタンバイしていた博士と魚見(それら)を見た瞬間に吹っ飛んでしまった。

 確かに3組のローテに分割して警備を回す関係上、学生側も3人に揃えたほうがいいというのは理解できる。分けても今日は正規の隊員が6人、俺たち3人を分割すればちょうど3人ずつで収まる数だ。


 しかし。それにしたって、当日まで追加の人員を知らせないというのはあんまりではなかろうか。


 魚見本人も知らされたのは昨晩らしく、朝から疲れ切った顔で佇んでいた。星皇祭の警備とは真逆のテンションだが、こいつに関しては巻き込まれているほうが似合うのだから不思議なものである。

 ちなみにその魚見であるが、勤務が始まってすぐに仮眠室に向かった。2時間ほど経過しても起きてこないあたり、どうやら夜まで本格的な睡眠を取る構えらしい。

 厳正なるくじ引きの結果、警備のローテは樋笠、俺、魚見の順となっている。深夜1時から、草木も眠る丑三つ時が魚見の担当時間だと考えれば、仮眠を取るのは至極真っ当な選択肢だ。なんならその選択に至るまでの判断が速すぎて、日頃からこういった仕事に慣れているのではないかという疑いさえ持ってしまう。


「疲れてるなら、仕事までは奥に引っ込んでて良いよ。ただ、仮眠はきちんとベッドで取ること。OK?」


「……お言葉に甘えて。失礼します」


 現在時刻は11時半、区分としては樋笠の勤務時間に当たる。その樋笠も数分前に隊員と見回りに出たため、今管制塔にいる学生組は俺ひとりだ。

 業務内容の説明も終わった以上、いくら初体験の仕事とはいえ手持ち無沙汰になるのは避けようもない。佐野隊員の言葉に従って談話スペースに引っ込めば、そこでは博士と数人の隊員がやたらと和やかな空気で(くつろ)いでいた。


「雨宮くん、みかん食べる? 小ぶりだけど美味しいよこれ」


「…………実家か?」


「似たようなもんだよ。ほら座った座った」


 ええ……なんだこれ……。

 一段高くなっている談話スペース——何故か畳完備——と、そこに設置されたコタツ&ミカン。奥に入った瞬間に見えるその光景は、さながら正月のごとき堕落(だらく)っぷりを呈している。

 コタツを囲んで談笑する隊員たち、そしてその中心で騒ぐ博士。これ完全に親戚の寄り合いなんだよな……来てから2時間かそこらのはずなのに、いったいこの馴染みようは何なのか。何がお目付役だこの野郎。


「いやあ、毎度ながら研究顧問の差し入れには助けられてばかりです。聞けばこの炬燵(こたつ)も、元は顧問の発案だとか」


「一日中辺鄙(へんぴ)な場所に詰めてるんだから、環境くらいは良くないとやってられないだろう? 次はそのへんにテレビでも置こうかと思ってるから、期待して待っていてくれ」


「私物化すぎる……」


 苦り切った俺のコメントも、博士はどこ吹く風と笑って受け流す。これで良いのか日本星皇軍第二本部……監視役の隊員が揃いも揃ってコタツでぬくぬくしているとか、もし問題視されたらたまったものではない。

 博士の隣にいる彼は、初瀬(はせ)兵長という方らしい。一応この中で最も位の高い人ではあるのだが、こうもコタツに取り込まれていてはそれも形無しである。もしここにアルコールでもあれば、二人揃って昼間から一杯やっていたに違いない。


「どうなりますかね、天気」


「昼からは雪らしい。それも視界に影響が出るレベルで降るとの話だ。……各員、十分に備えるように」


 窓の外、低く立ち込めた冬の曇天(どんてん)。隊員の一人が口にした懸念(けねん)に、初瀬兵長が手短に返す。

 このままいけば、俺の勤務時間はドンピシャで雪景色を見ることになるだろう。見るだけならば風情がある光景だが、仕事の上では降雪などデバフそのものだ。雨男どころか雪男だよなそれ……自発的に水とか出せるし、いっそ全部ひっくるめて水男とか名乗ったほうがいいかもしれない。


「……あー、あったか……」


 ダメだ、早速コタツで寝そう。これも警備……仕事のうち……寝ちゃダメだ、寝ちゃダメだ……。

 

# # #


 大丈夫、ギリギリ寝てない。きっとセーフ判定のはず。


「よっこいしょ——っと」


 いくらか凝り固まった身体をほぐし、一大決心をするがごとき勢いで立ち上がる。

 時刻は4時半。年の瀬ともなればもうすっかり日が傾く時間だが、残念ながらそうも言っていられない。


「お、おかえり。どう? 疲れ取れた?」


「……ま、多少は」


「はは、そりゃよかった。んじゃ引き継ぎだ」


 名残惜しくもコタツから抜け出し、モニタが居並ぶ管制塔のメインルームへと足を運ぶ。

 モニタ越しに見える映像、窓から見える景色、そのどちらも真っ白に染まっている。宵闇が迫り来るほどに目立つ雪の白さ、風流人ならこれだけで歌のひとつでも詠めそうなものだが、あいにくと俺にそんな余裕などない。


「……これ、ずっと降ってるんでしょうか」


「多分ね。ま、荷物の大部分は昼に来たし、そうやることもないと思うよ」


「だと良いですけどね……」


 椅子から立ち上がり、ぐっと伸びをする佐野隊員。途中に見回りだの何だのを挟んだとはいえ、朝から今まで勤務し続ければ疲れが溜まるのは当然だ。


「大丈夫大丈夫、荷物が来ても大してやることないし。もし何かあっても兵長がいるし、俺に比べりゃずっと安全だよ」


 あっけらかんと笑う佐野隊員の言葉通り、5時からの当番には初瀬兵長が割り当てられている。だからどうというわけでもないのだが、やはり階級という差があると違って見えるらしい。

 ちなみにここで荷物と呼んでいるのは、1日に何度か行き来する輸送車両のことである。基本的に自給自足を旨としているこの星皇軍——および地下街——においても、一部の物は外から輸入しているらしく、それを運ぶ足が門の外から入ってくるのだ。

 内容物の検問と道の安全確保、そして内結界を通した敷地内部への運び込み。こればかりは手順を踏むだけあって多少複雑……というか、きちんと国境警備隊じみたことをやるのはこの業務くらいと言っていい。

 昼間の荷物が来た時に見学がてら同伴したが、この時は隊員全員、平時のだらけきった空気感が嘘のようにテキパキと働いていた。無論、だらだらとやっている間に星屑でも出てこられたらたまらないので、当然といえば当然ではあるのだが。


「そういえば、兵長は何処に? 今さっき外に出られたようですが」


「ああ、その件なんだけど——お、ちょうどいいタイミングで」


 その先に続くと思しき言葉が、現れた人影によって遮られる。佐野隊員の視線の先にあるのは、お手洗いから出てきた樋笠の姿だ。


「俊、お疲れ様。……何かありましたか?」


「ああ、兵長からの依頼というか、そんな感じのがね。雨宮くんに巡回を頼む予定だったけど、この雪だから二人で回ったほうがいいんじゃないか、って話が出てさ。ちょっとばかし時間超過になるかもだけど、せっかくだから学生同士組む方向性でってことで……頼んでもいいかな、樋笠くん?」


「ええ、もちろん。巡回ルートは昼間と同じですか?」


「いや、今回は逆順だ。ポイント02で兵長が待ってるって話だから、まずはそこまで行く感じでお願いしたい」


 良いも悪いも、樋笠(こいつ)が断るはずもなかろうて。そんなことを考える俺を置き去りにして、話がトントン拍子で進んでいく。

 どうやら巡回の任をこなすにあたって、樋笠と二人で一巡してこいということらしい。確かに悪天候だし、そのうち夜になるし、それ以上に俺一人であの道は迷えと言っているようなもんだが……男二人でホワイトクリスマス、どうにも釈然としない気持ちになるのは何故なのか。


「ってわけで、雨宮くん。ちょい早いけど、まずは巡回からってことで……問題なさそう? カイロとか持った?」


「大丈夫です」


 まあ、これも仕事であるのだから致し方ない。

 日の入りまで30分かそこら、速攻で巡回を終える理由が見つかってしまった。動機がなんであるにせよ、仕事のやる気が出るのはいいことだろう。

 やってやりますよ、ええ、もちろん。やる気があると聞かれればそれはもう。


「…………やっぱあるなら貰えますか、カイロ」


# # #


「さっむ。無理」


 というわけで、巡回開始。慈悲はない。


「カイロ、こっちにもあるけど使うかな。一応余分に貰ってきたけど」


「有り難い……」


 ポケットからカイロを取り出す樋笠は、さながら救貧事業でもしているかのような慈愛に満ち溢れている。ありがたや樋笠大明神……そろそろ本当に御利益発生してそうだな。

 いくら着込んだところで学院のジャージである以上、根本的な防寒対策は望むべくもない。一応ウインドブレーカーも羽織ってはいるが、それがどこまで足しになるかは怪しいところだ。


「あー……こっちだっけか」


「そこを曲がるとポイント04だね。今回は02が目標地点だから、こっちからの方が早いかな」


 既にルートを記憶したと思しき樋笠に引き連れられ、林道を先へと抜けていく。いくら整備された小径(こみち)といえど、森の中だけあってその道は一層暗い。

 星屑を誘い込む狩場として、人工的に整備されたこの区域。林と言うには入り組みすぎ、さりとて森と断言するにはいささか頼りないサイズ感のここが、俺たちが現在巡回している場所になっている。

 夏休みの時にも軽く道は通ったが、一帯を満遍(まんべん)なく歩くとなると小一時間はかかってしまう。巡回と称した暇つぶしならそれもいいかもしれないが、このクソ寒い中それをやるのはあまりにも無理がある。

 普段であれば自然の道といった雰囲気のこの場所も、雪の前ではガラリと表情を変えてしまう。この調子で夜通し降り続ければ、道を判別することすら危なくなるのではないかと思えるほどだ。


「そこ、足元気をつけて」


「……悪いな」


 悪天候も悪路もなんのその、樋笠は苦もなく道を進んでいく。視界の確保すら難しいこの天候の中、彼の足取りは恐ろしいほどに正確だ。

 いかなる状況下でも揺れることのない実力と、それに裏打ちされたかのような余裕。他者に気を回すその様子を見れば見るほどに、ひとつの疑問が脳裏に浮かび上がってくる。


「……なあ。前々から気になってたんだが」


「ん?」


「いや、そんな大層なものでもないんだが……」


 それは、この男と——樋笠拓海と関わる上で、必ず抱くと言ってもいい疑問。

 常に頭の片隅にありながら、今までついぞ尋ねる機会が訪れなかった。あるいは当たり前のものとなっていたが故に、意識から遠ざかっていたのかもしれない。

 だが。今であれば、その時間も取れる。

 

「——どうして、そこまで()()()で居られるんだ」


 言葉を選び、言葉に迷い。その結果出たものがこれなのだから、まったくもって不躾(ぶしつけ)にすぎる。


 それでも。どうしても、聞いておきたかったのだ。


 樋笠拓海という人間の核が——この素晴らしい人間を貫く、その坤軸(こんじく)が如何なる物なのか。

 何故彼がそこまで素晴らしい人間たれるのか、この機会を逃せば二度と聞き出せないような気がした。


「……いい人、か。そう在れているのかな、僕は」


 無神経極まりない俺の言葉にも、何か感じるところがあったのか。気持ち歩く速度を落とした樋笠は、ふとこちらに視線を向ける。

 それは質問でも、ましてや同意を求めるものでもない。本来なら聞くことなど許されないような、彼の内から出た自問自答だ。


「少なくとも、俺にはそう見えるが」


「そうかな……いや、そうか。君の目にそう映るのなら、きっとそれは正しいのだろうね」


 真っ白な息を吐いた樋笠が、こちらを向いたまま不意に笑う。

 その口ぶりに、嫌味なところなど何ひとつない。そこにある感情はむしろ真逆で、それでいて彼のような人種にはおよそ縁遠いと思えるような代物(しろもの)だった。


「……悪い。無粋だったな」


「いや、違うんだ。どこから話したものかと思ってね……もっとも、僕の身の上話なんて、取るに足らないものだと思うんだけど」


 顎に手をやって考え込みながらも、樋笠は一定のペースで歩き続ける。

 歩幅も速度も、その全てがすっかり元通り。そこに在る樋笠拓海は完璧で、片時もブレることなどない。


 ともすれば。たった今彼が零した(こぼ)揺らぎ——どこか安堵したようなその表情すら、冗談ではないかと思えてしまうほどに。

 

「そうだな……少し遠回りになるけど、僕の家のことから話そうか。お家自慢はあんまり得意じゃないけど、これが一番わかりやすいからね」


 多少は長話をしても許されるだろう、と。

 そう前置きした上で、樋笠はおもむろに口を開く。


此処(ここ)の出身って、前に聞いた気がしたが。実家が居住区にあるってことか?」


「半分は正解かな。こっちの世界に家がある、というのは間違ってはいないけれど……僕の家のルーツはもう少し古くてね。大本を辿(たど)っていけば、居住区なんて区分ができる前に(さかのぼ)る」


「……それは、つまり」


「ああ。分かりやすく言うのなら、君たちにとっては先住民ということになるね」


 その言葉の裏に潜むのは、己が生家に対する複雑な認識か。

 そもそも居住区などという呼称が生まれたのは、星皇軍が設立されてからのことだと聞いている。その前から存在する家となれば、少なくとも14年前の革命とやらを経験しているはずだ。


「星皇軍が、この世界を今の形に整えるまで——革命が起こる以前、この小さな世界に旧支配者が君臨していた時代。樋笠の家は代々、その旧支配者の一族に仕えていた。それもこの世界を維持するための、重要な“仕事”を任された上で」


 だが。

 浅薄(せんぱく)な予想を嘲笑うように、事実は俺の頭を飛び越えていく。


「君はもう知っているかもしれないけど、この世界にはかつて()()があった。結界の外に出ることはできず、()え続ける人間を許容できるだけの土地はない——だから旧支配者たちは、人口の方を減らすことにした」


「……無能力者狩り、か?」


「ああ。親世代には多産を奨励しておきながら、そのうちの九分九厘を占める無能力者を殺しつくす、徹底的な人口管理だよ。狂った政策のおかげで、この世界の人口は均衡を保ってきた——おぞましいほどの死体の山と、根深い純血主義を築き上げながらね。そして、その殺処分(しごと)を任されていたのが、僕たち樋笠の一族だった」


 降り積もる雪はしんしんと、ただ静かに白銀の世界を形作る。(おか)し難い静寂の中、存在を許されるのは樋笠の語りだけだ。


「もちろん、一人ずつ順番にギロチンで、なんて手間のかかるやり方じゃない。効率よく、コスパ良く処分するためのシステムは、かなり初期の段階で完成されていた。でも相手が人間である以上、予想外の反撃や脱走はあり得るだろう? だからそれに対応するために、樋笠(僕たち)は技を磨いてきたんだよ。獲物を逃さず、確実に処分するための殺人剣をね」


 そこに込められた心情がどのようなものか、生半(なまなか)に口にすることすらも(はばか)られる。

 確かに時代の中に存在しながらも、その存在を疎まれるもの。掃除屋として汚れ役を一手に引き受け、最後には闇に葬られる一族——俺の目の前にいるのは、歴史ドラマにいるような存在の末裔(まつえい)なのだ。


「いくら時代が変革されたからって、旧世代が自動的に淘汰(とうた)されるわけじゃない。うちも含めて、居住区の奥のほうにはいまだに純血主義が蔓延(はびこ)っているし、そこでは学院ができる前からの学校もいまだに存続してる。樋笠の嫡子(ちゃくし)として、本来なら僕もそっちに行くべきだったんだけど……どうにも、空気感が肌に合わなくてね。無理を通して星皇学院を選んだわけだから、色々と問題も出てくるわけだ」


「……それだけの価値が、この学院にあったと?」


 無粋極まる俺の質問に、樋笠は答えることなく前を向く。

 音も、視界も、感情さえも。すべてを消し去るカーテンの先にあるのは、目的地へと続く分岐点がある。


「樋笠は、人を殺しすぎた。一族の業をたった一代で精算しきれるなんて、そんなことは到底ありえないけど——でも、もし僕の次に世代が続くのなら、彼らはこの血に縛られることなく生きて欲しい。僕が“いい人”に見えているのなら、それが僕の生きる意味だよ」


「……そうか」


 分岐を右に曲がれば、一気に視界が開放される。

 ポイント02の狩場、有事の際であれば星屑との主戦場になるであろう場所。学校のグラウンドほどのサイズがあるその場所は、今はただ白い静寂に包まれていた。


「どうも、お疲れ様です。……怪我なく辿り着けたようで何よりだ」


「お疲れ様です、兵長。お待たせしてすみません」


「いや、これも仕事ですから。では残り半分、行くとしましょうか」


 しかし。いかにしじまに満ちた世界とはいえ、先客というものは存在するわけで。

 幻想的な風景の中心で、俺たちの到着を待っていた初瀬兵長。寒さをものともせずに立つ偉丈夫(いじょうぶ)は、俺たちの姿を確認すると姿を翻す。


「超過勤務となってしまい申し訳ない。学生同士で道を回った方が、順路も覚えやすいかと思いまして。樋笠さんには後で、しっかり追加の手当てを出しておきます」


「いえ、まさか。代わりと言ってはなんですが、帰ったら暖かいコーヒーを一杯貰えると。……少し、身体が冷えてしまったので」


 こちらに視線を寄越しつつ、流れるように兵長と言葉を交わす樋笠。こういう古典的な手も使えるんだからなあ……この“いい人”、あまりにも怖すぎる。


「なあ、樋笠」


「うん?」


 弱々しい太陽は地平の向こうに沈み、残っているのはもはや残光の一片だけ。

 世界が夜の闇に沈む中、先を行く兵長には聞こえない程度の声で呼びかける。


「生きる意味、なんて言ってたが。……お前自身がやりたいことはないのか?」


「やりたいこと?」


「まあ、そうだ。……夢でも目標でも、なんでもいい」


 あまりにもクサいことを言っていると、そう考えられるだけの理性は残っている。多分明日の夜あたりに、自分の言葉を思い出して悶えるのだろう。

 だが。それでも、これだけは聞かなければならなかった。


 ——他者の期待に応えようとし続けて、雁字(がんじ)(がら)めになった奴を知っている。

 ——届かぬものに手を伸ばすため、己を磨り潰した人間を知っている。


 樋笠は強い。彼女と同じ状況になったとしても、それが宿命だと受け入れてやり遂げるのだろう。それをなし得るだけの能力と意志が、彼の身には備わっている。


 だとしても、それとこれとは別の話だ。


 彼女が味わった絶望を、彼が繰り返すことになるのなら——俺はそれを、どうにかして止めたいと思う。

 他でもない、彼の友人として。


「難しく考えなくても、適当でいい。5段重ねのアイスを食べたいとか、新しいシャーペンが欲しいとか、その程度のもんだ」


「うーん……アイスは遠慮したいかな、さすがに」


 くだらない軽口を叩けば、困ったようなレスポンスが飛んでくる。

 苦笑しながらも考え込むそぶりを見せるあたり、どうやら本気で検討するつもりなのか。いや、そんな仰々しいものでもないんだがな……。


「そうだな——でも、本当につまらないものでいいのなら、ひとつ見つかったよ」


「ほお。……で、内容は?」


「前々から、ずっと考えていたことではあるんだけど。……実は僕、まだ

































































































 






 ()()が、居た。










































 ふと作業を中断し、手元から部屋の床に視線を向けたとき——さも当然のように、最初から部屋に居たような顔をするゴキブリのごとき図太さで。


 その(バケモノ)は、そこに佇んでいた。


 音もなく、気配もなく。どこからともなく現れたのですらなく、それは既にそこに“居た”のだ。 


「逃げ————」


 手が(かじか)む。


 雪は、これから酷くなるらしい。

抗え。その身が果てるまで。


次回は来週、日曜夜に更新予定です。男祭り、開幕。


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