4-3/距離
前回のあらすじ
星皇軍未曾有のピンチ、ついでに俊のクリスマスもピンチ。約束リカバーの発動が待たれます。
人気喫茶クラニアに本日閉店のボードがかかるのは、午後10時を回った頃のことだ。
夕方から夜にかけては学生の姿が多いが、閉店時間近くになると大人の割合も多く見るようになる。軍部での仕事終わりなのか、星皇軍の制服に身を包んだ人々を目にすることも少なくない。マナーの悪い大人がまったくいないのは、ひとえに店主の人徳によるものだろう。
客として来たのならば閉店時に出れば良いが——というより、退店してもらわないと困る——バイトとはいえ店員である以上、そうも言っていられない。閉店後の店仕舞いも含めて仕事、そこまでやって初めてのお給金なのである。金、金、金! 生徒として恥ずかしくないのか!
あまりに夜半まで仕事をしていては翌日に差し障るが、金曜日であればその心配もない。土日は降谷が部活を抱えていることも相まって、基本的には俺が残って片付けをするのが一週間のルーティーンとなっている。
……の、だが。
本日に限っては、どうもそういうわけにいかないらしい。
「ほら、予定ある人は帰った帰った。明日は丸一日大変なんでしょ? しっかり寝ないとお仕事もできないぞー」
「や、お前も部活あるだろ。どのみち後は片付けだけなんだから、お前こそ先に——」
「はい、口答えなし。つべこべ言わず帰ってあげること。今帰らないと実力行使に出るからね? ……言っておくけど、泣かせたら怖いよ?」
「その発言が既に怖いんだよなあ……」
いつになく強気の降谷にぐいぐいと迫られ、どうしたものかと調子が狂ってしまう。泣くのか、お前……まるで想像つかんな……。
いくら例の仕事について伝えてあるとはいえ、ここまで特別扱いしてもらわずとも良いのだが。むしろ特段の配慮などされても、申し訳なさの方が勝るというものだ。
気を使ってくれるのはもちろんありがたい話だが、降谷とて朝から動かなければならないのは変わらない。それがよくわからない軍の任務か、由緒正しい剣道部の朝練か、という話なのである。キツさ的にはどう考えても朝練の方が上なんだよなあ……。
「寝不足の人に警備なんて任せらんないでしょ。あたしだって先輩預けるんだから、きちんとコンディション整えた人じゃなきゃ信頼できないよ」
「……ま、一理あるな」
どちらかと言えば、むしろ俺が樋笠に預かってもらう立場なわけだが。喉元どころか口先まで、八割型飛び出していたその言葉をぐっと飲み込む。
いくら間に合わせの警備とはいえ、唐突に入った樋笠の予定変更に誰よりも驚いているのは降谷のはずだ。言いたい文句のひとつもあれば、心配や恐れはその何倍もあることだろう。
それを全て飲み込み、ただ頑張ってこいとケツを叩いてくれる。それが如何に有難いことかは、いかな俺といえど理解しているつもりだ。
「でしょ? さ、可及的速やかに荷物まとめて出ること。はい、出撃準備!」
「やめろ押すな一人で歩ける」
いつか言った気がする台詞を繰り返すものの、俺をぐいぐいと押す降谷の手は止まることがない。店の奥へ奥へと押し込まれるうち、気付けばバックヤードにまで身体が押しやられていた。
「すまないね、前日にまで仕事をさせて」
「いえ……唐突な予定でしたから。むしろ明日のぶん、どこかで埋め合わせします」
「まさかまさか。しかしすごいなあ、公務かあ……授業中に軍から呼び出されるとか、全男子学生の夢だよねこれ」
「……そんないいもんでもないですよ。要は職員室みたいなもんです」
裏にいた店長に頭を下げれば、些か想定外のコメントが飛んでくる。ああ、この人そっち側なのか……一日で同じコメント繰り返すことになるとは思わなかったな……。
いつものようにだらだら帰宅準備を進めたいところではあるが、はよ帰れと釘を刺された手前そうも言っていられない。いつまでもこうして駄弁っていれば、降谷に倍プッシュでどやされてしまうことは自明の理だ。
「じゃ、お疲れ様でした」
「はーい。あ、ひと足早いけどメリークリスマース」
ちゃっちゃかと荷物をまとめ、転がり出るようにして店を後にする。去り際にかけられたマスターからの言葉に、そういえばと明日入るはずだった予定を思い出した。
「……あー……」
降谷にメリクリ言い忘れたな、などと、苦し紛れの現実逃避をしても、脳裏に現れ出た問題が消えて無くなるわけではない。
そもそも、だ。消えて無くなるも何も、今日一日頭を占めていたことから逃れられるはずがないわけで。
クリスマスイヴなどという、およそ俺とは無縁のイベント。よりにもよってそんな日に予定がバッティングするなど、およそ超能力者でもなければ予見することは不可能だ。
警備の話を受諾した以上、水無坂に黙っているのは筋が通らない。もちろん隠し立てしていてもすぐにバレるのだから、無為といえば無為なのだろうが……それでも俺自身で話さなければ、あまりにも不義理というものだろう。
と、いうわけで。軍部棟から戻った俺は、そのまま水無坂を捕まえて話題を振ったわけであるが——
『そうですか。わかりました』
はい。そういうことですね。
以前の冷たさを彷彿とさせるような——無論、今も氷のように冷たいのは変わっていないのだが——無機質極まりない声と表情。そこからこんな言葉が出てきたとなれば、背筋が凍るのも仕方がないというものだ。
機密事項はともかく、なるべく事の顛末をありのままに伝えようとはしたのだが……いくら手を尽くして説明したところで、俺が予定を作ってしまったのは事実なのだからどうしようもない。むしろ余計な言葉を重ねるほどに、より一層言い訳くさくなってしまうだろう。
聡明な水無坂のこと、俺の考えなど明言するまでもなく理解しているはずだ。諸々の事情を余すことなく飲み込んでいる彼女だからこそ、返ってきたのはたった一言の返事だったというわけである。たぶん。
……いや、うん。今思い出してもめちゃくちゃ怖いというか、なんならちょっと死を覚悟した。
あれだけ脂汗出たのは久々というか、なんならカインよりも怖かったまである。そもそもカイン戦は別に怖くなかったんだよなあ……恐れを知らない獣が初めて恐怖する描写、個人的には結構ツボなんですよね。問題はその対象が俺自身である点だ。
「……っと。すみません」
店の裏手からぐるりと回り、さて帰途に着こうかという段になって。
考え事をしながら歩いていたせいか、通行人とあわや鉢合わせしそうになる。
こんな夜半にもなって、道を歩く人などそうそういないと思っていたのだが……考えてみれば、今日は追い出されたおかげで一時間ほど帰宅時間が早い。いつもの感覚で気にも留めなかったが、それだけ違えば都合も変わってくるというものだ。
「すみません、ではありません。いえ、謝るのは人として当然ですが」
——しかし。
だからと言って、ここまで変わるとは聞いていない。
「……なんで居るんだ」
「人待ちです。もっとも、想定の数倍早く待ち人が来たので、驚いているところではありますが」
いつも通りの明晰な回答が、もこもこしたマフラーに埋められた口元から発せられる。
手袋にマフラーに、なんなら耳当てまで。完全防備クラスの防寒対策が取られた上半身に対して、その足元は殊更に心許ないものだ。
深夜10時過ぎの路上で、あろうことか制服のまま立っている水無坂。どれだけ寒かろうがミニスカを貫くあたり、女子高生のプライドというものはとんでもなく強靭なものらしい。
「まさか——」
「ずっと居た、わけがないでしょう。降谷さんから連絡を入れてもらっただけです」
俺の驚きも想定済みだというように、水無坂は手に持った携帯を澄まし顔で見せつける。そんなことを聞きたいのではなく……いや、それも確かに重要ではあるのだが。
しかし、だ。こんな仕込みをかましてくるとは、降谷も降谷で大概である。
「帰ってやれ」などとやけに含みのある言い方をしていたが、まさかこんな裏があるとは思っていなかった。昼間といいやたらと仲良いなあんたら……そろそろテレパシーとか使えるようになるんじゃない?
「明日のことなら、申し訳なかった。……責は甘んじて受ける」
「意外ですね、真っ当な反省があなたの口から聞けるとは。何か悪いものでも食べましたか?」
「……つまみ食いを少し……」
こいつ、厨房での俺の悪行をこうも簡単に……。違うんです、つい魔が差しただけで……。
完全に隠匿したはずの秘密を瞬く間に暴き立てるあたり、恐ろしい女なことこの上ない。頭も切れるし美人だし、見てくれは完全に美人スパイのそれである。獲物が投げナイフなのも相まって、それっぽさとしては相当なものだ。
「自爆しておいて何を言っているんですか。——ほら、行きますよ」
「……何処へ?」
「この状況で予想を外す方が難しいと思いますが。それとも、怖いもの見たさで答えてみますか?」
交わす言葉もそこそこに、スタスタと先に立って歩き始める水無坂。足取りといいその口ぶりといい、目的地があることを隠そうともしない。
冬の夜、人もまばらな道、そして前を歩く冬服装備の女子高生。当事者がするコメントではないが、とんでもなく絵になる光景だ。一枚撮って適当に編集を加えれば、それだけでなんかいい感じになることは想像に難くない。
どうしようもない俺とはいえ、この状況が何を意味しているか分からないほどに朴念仁ではない。ロマンスの波動を感じられるくらいには、一般的な心というものが備わっている。
……いや、寒くない? 家帰っちゃ駄目?
だが。いかにロマンチックな空気を理解したところで、それとこれとは別という話になるだけだ。
降谷にも早く帰れと言われた手前、予定を控えている身で夜遊びなどするわけにはいかない。肉体的にも精神的にも疲れている中、更にこのクソ寒い中を行脚するのはどうにも気が重くなる。
もちろん。責は受けると言った手前、どれだけ言い訳を連ねたところで虚しい響きにしかならないのだが。
「その……申し訳ない。謝ってどうにかなるもんでもないが、すまんかった」
「それが分かっているのなら、謝罪も無意味だと理解できるはずですが。こんなことにわざわざ怒っていても、かえって馬鹿らしくなるだけでしょう?」
「それは……いや、しかしだな」
何を言いたいかなんて、自分が誰よりも分かっている。
バツが悪い——結局のところ、突き詰めてしまえばそれだけのこと。たったそれだけの幼稚な感情だからこそ、彼女に顔を合わせるのが忍びないのだ。
いくら不可抗力とはいえ、事実そのものはどうあっても変わらない。だからこそ、申し訳なさにも似た行き場のない感情だけが、こうして歩く中でも積み重なっていく。
「はあ。あのですね」
だが。下らない俺の葛藤を前に、呆れたような溜め息をひとつ吐いて。
幼子に言い含めるかのごとき表情で、水無坂はこちらに向き直る。
「何を勘違いしているのか知りませんが、これが唯一無二の機会だとは一言も言っていません。明日のことだって、言ってしまえば無数のイベントのひとつでしかありませんから。もっとも、そうなるかどうかは、私の一存では決められませんが——」
吐き出された息が、街灯の光を受けて白く輝く。
雪が降っていないのが不思議なほどの、およそ完璧すぎるロケーションの中。俺の瞳を真っ直ぐに見上げ、彼女は自信たっぷりにそう告げる。
「少なくとも、私は最後にするつもりはありません。今回は心構えのための予行演習と、そう考えればいいのです。簡単でしょう?」
その口元に浮かぶのは、もはや安心感すら覚える笑みだ。
挑戦的で真っ直ぐな、水無坂という人間の芯そのもの。にやりと笑うその表情が、彼女がどんな人物なのかをこの上なく端的に知らせてくれる。
「予行なら、俺はどうすりゃいいんだ。エスコートのひとつでもするべきなのか?」
「そういったものは自発的に行うべきでしょう。自覚があるのは結構ですが、事前に確認をとる人間が何処に居ますか」
「居て悪かったな」
そして、安心させたかと思えばすぐこれだ。
不器用なりの提案をバッサリと斬り捨てられ、やるせない気持ちでひとり呟く。報連相は大事って教えられたでしょうが……イニシアチブ取るだのコンセンサスが大事だの、とにかくアクティブに動くことが求められてるんですよね。いや知らんけど。
「前から言いたかったのですが。貴方、馬鹿なことを考えているときはすぐに顔に出ますよ」
「馬鹿なことじゃない。いいか、俺はこれからのグローバルな社会に対応するためにだな……」
適当にろくろをぐるぐると回したものの、水無坂からは冷たい視線しか返ってこない。おかしいな……こういうときは男性からそれっぽい話題振るのがマストって聞いたんだが。なんか間違えたかもしれない。
商業区の端から中心部へ、進むほどに人の数は増していく。いくら10時過ぎとはいえ、駅の方にはそれなり以上の人影が認められるらしい。
「そこ段差だぞ」
「……見ればわかります」
とはいえ、だ。その数は、平時と比べても明らかに少ないことが見て取れる。
普段なら聞こえてくるはずの声も、屯している連中の様子も、何処となく活気が足りていない。その理由をしばらく考えた末、なんてことはない単純な結論に行き当たった。
「……なんか暗いな」
「ええ、イルミネーションが大体的に点くのは明日だけですから。わざわざ今日、真っ暗なツリーを見にくる人なんて、余程の物好きか暇人だけです」
何を分かりきったことを、と。そう言わんばかりの横顔を、疎らに灯る光が照らし出す。
明日になれば一転、ここら一帯は通行規制がかかるほどの騒ぎになると聞いている。今がことさらに閑散としているのは、言うなれば弓の弦を引き絞っているようなものだ。
イルミネーションが煌びやかに燃え盛り、道はカップルやらなんやらでごった返す。その盛り上がりたるや、祭りと言っても過言ではない——魚見がそう語っていたことを、今更のようになって思い出す。
嵐の前の静けさ。目の前で屹立するツリーの暗さは、ある意味12月23日という日の象徴だ。
「暇人ではない、はずなんだがな」
「物好きではあるでしょう? そうでなければ、わざわざこんな場所にまで足を運んでいないはずです」
「言うて八割くらいはお前が引っ張ってきたからだろ……」
それっぽい話ふうにまとめられてたまるか。騙されんぞ。
ツリーの前でどちらからともなく立ち止まり、二人揃って息を吐き出す。やけに幻想的なその光景は、きっと見間違いなんかではないのだろう。
向き合うことはなく、腰を下ろすこともない。お互いの顔ひとつまともに見ることなく、ただ言葉が応酬のように行き交うのみ。
真っ暗なツリーにまで足を運んで、その前でする話がこれだ。せっかくバイトを早上がりしたというのに、これではプラマイゼロどころかマイナスではないか。
「いいのか?」
「何がですか?」
出てくるはずの言葉を促そうにも、戻ってくるのはトボけた返答だけ。
およそ彼女らしからぬその口ぶりに、どのような感情が篭められているのか。それをなんとなく理解できるからこそ、口を噤んで次の言葉をじっと待つ。
「言ったでしょう、最後にするつもりはないと。これでは風情も何もないでしょう? だから、まだ言いません」
「……さいですか。強情なこって」
それなら、一体なんのために来たのやら。
ただ暗いだけの大木を見上げ、せり上がってきた言葉を呑み下す。隣との距離は一定に保たれ、それ以上踏み込まれることは決してない。
「——せっかくの予定が潰れたんです。この程度のワガママくらい、許されてもいいとは思いますが」
「……読心術でも習ってたのか」
「淑女の嗜みです。案外役に立ちますよ?」
一瞬一瞬を大事に、などと。
何度聞いたかもわからないほどに使い古された文言は、本来ならば限りある学生時代を謳歌しているものたちに捧げられるべきだ。俺のような人間からすれば、もっとも縁遠い言葉であることなど疑いようもない。
……だというのに、まったく。
「寒くないか」
「……いえ」
まったく——本当に、どうしようもない。
また随分と、虫のいい人間もいたものだ。
# # #
『お姉ちゃんは怒っています。どうしてかわかりますか』
で、帰ったらこれである。
何が何だか分からない? 安心してくれ、俺もだから。
「……帰るのが遅かったから?」
『ちがいます』
仕方なく付き合ってやれば、ブブーと気の抜けた音が響く。ああ間違いってことね……器用によくやるもんだ。
何をするでもなく水無坂と別れ、ようやっとの思いで部屋に到着したのが数分前のこと。結局バイトを早引けした意味があるのか謎なくらいの時間になってしまったが、そこはまあ許してやろうと思う。
えっちらおっちらと自宅に帰り着き、さあゆっくりしようと思った矢先。何やら布団の中でモゾモゾ動いている駄姉に、スフィンクスのごとく問いを出題されたのだ。
「……何? 新しい趣味?」
『ちがいます。お姉ちゃんが怒っている事を伝えるためです』
布団の中から目だけ出して様子を伺う駄姉の姿は、さながらチンアナゴのそれだ。
俺の言葉に対して布団の中に引っ込んだかと思えば、言葉の代わりに殴り書きされたスケッチブックが伸びてくる。お前とは口を利かん、という意思表示のつもりなのだろうか……なんだその古典的なコミュニケーション芸は。マスコット枠でも狙ってんのか。
『お姉ちゃんはとても怒っています。どはつてんです』
「怒髪天くらい漢字で書け」
『長彡←ここからわかんない』
いや微妙に違うし……。というか筆談で脇道に逸れるんじゃない。テンポが悪くてやってられんでしょうが。
こんな馬鹿な事をしていても、字だけは異様に達筆なのだから腹立たしい。不安定な中でよくそれだけ書けるもんだと、下手をすれば感心のひとつもしてしまいそうになる。
「で、何? 夕飯なら無いって言ったはずだぞ」
『ばんごはんは冷蔵庫にあったものを頂きました。タッパーは洗ってあります。ごちそうさまでした』
「ああそう、お粗末さま。じゃ風呂入ってくるから」
……ま、いいか。相手するのめんどくさいし、次だ次。
何やら話したいことがあるらしいが、生憎こちらはそこまでヒマではない。いい加減に疲れている上、明日に備えて早く寝なければならない身空なのだ。いくら姉とはいえ、バカに構っている余裕も尺もないのである。
「えい」
「ぐえ」
しかし。
背を向けた瞬間を待っていたかのように、投擲されたスケッチブックが俺の頭に突き刺さる。
「人の話は最後まで聞くこと。お姉ちゃん何度も言ってるでしょ?」
「喋れるなら最初からそうしろ——ああくそ、痛い」
美しい放物線を描き、俺の後頭部にその角を叩き込んだスケッチブック。その痛みに気を取られている間に、気付けば姉はベッドから這い出ていた。
「いい? 俊くん。年長者が怒ってたら、とりあえずでもいいから聞く姿勢を持ちなさい。ああいう連中は適当に流しておけば喜ぶんだから」
「だから今適当に流しただろ……」
「仮にもお姉ちゃんの話を適当に流すんじゃありません。はい、そこに座る」
先程までのチンアナゴもどきが嘘のように、やたらと高圧的な顔でふんすと唸る雨宮葵(20)。光の速さで翻される前言に、とんでもない理不尽さを感じながらも正座する。
コントに付き合わせたかと思えば文字通りの処世術を叩きこんでくるあたり、今日の無軌道さ加減は一段と凄まじい。また俺なんかやっちゃいました? ……そういや今日の弁当作ってないな。それか。
「俊くん、何でお姉ちゃんが怒ってるか分かる?」
「知らん……」
めんどくさい彼女のようなキレ方をする姉に、さてどうしたものかと頭を抱える。
こんな事をやってはいるが、この姉が怒る時は大抵真面目な話なのだ。キレるにしたってもう少しやり方があると思うのだが、この姉にそんな事を言って通じるはずもない。
「聞いたよ、明日のこと。……また危ないことするつもりなんでしょ?」
「危険じゃない、ただの職業体験だ。星皇祭でも似たようなことやっただろ」
「それで、その星皇祭でも大変なことになった。違う?」
「そんなこと言ってたらキリがない。轢かれる可能性があるから外に出るなって言ってるようなもんだろ、それ」
「そんなことは言ってません。あのね俊くん、事故に巻き込まれるのは仕方ないとしても、自分から交差点に飛び込むことなんてない。そんな事をしなくても、あなたはあなたのままでいられる。それが私の仕事です」
いつになく真剣な口ぶりに当てられ、負けじと舌戦に応じてしまう。
正しく売り言葉に買い言葉の状況だが、別段明日の仕事に思い入れがあるわけでもない。
これだけやる気がない人間など、ピンチヒッターとしても落第点だろう。代わりがいるのなら、そして樋笠に恩義がないのなら、すぐにでも辞退していると言い切れる。
その程度の任務で、それほどに厄介な仕事だ。どれだけ取り繕っても、特級の貧乏くじであることは疑いようもない。
だというのに、どうしてこんなことに意固地になっているのか。我ながら言語化できないほどに曖昧で、この上なく不鮮明に過ぎる。
「別に好き好んで飛び込むわけじゃない。たった1日しか参加しないヤツが、そこまでのバイタリティに溢れてるわけがないだろ」
「だったら尚更、参加しなくてもいいでしょう? 実績なんて言ってるけど、学生に頼らなきゃならない軍なんて間違ってる。職業体験だとしても、やる気のある人間は他にいっぱいいるはずなんだから」
「文句なら軍に言ってくれ。向こうだってそれくらいのことは考えて、その上で俺を指名してる。軍に勤めてるんだからそれくらいわかるだろ」
「それとこれとは話が別です。雨宮葵は軍属の前に、あなたの姉です。弟が病院送りになるのを黙って見てられると思う?」
言葉を交わせば交わすほどに、理論立てた話からは遠のいていく。
ヒートアップする議論の中心。そこで存在を許されるのはただひとつ、剥き出しの身勝手な感情だけだ。
こんなものを論議したところで、何が変わるわけもない。既に決定したものをどれだけ争ったところで、それが覆るはずもないのだから。
——だから。意固地になっている理由なんざ、火を見るまでもなく明らかだ。
「姉として、弟を危険に晒すことは認められません。それがどれだけ合理的な理由でも」
「そうか。あんたの弟はそこまで弱くないんだがな」
「いいえ、まだ子供です。……雨宮俊は、まだ高校一年生なんだよ?」
保護者として、監督者として。
努めて厳然と振る舞おうとする彼女が、それでも隠しきれなかったその声。
悲しげにこぼすその表情に、言い返すことなどできるはずがない。
「…………風呂行く」
「俊くん——」
呼吸音さえ煩いほどの、病的なまでの静けさの中。
突き刺さるその声を振り切り、姉の顔に背を向ける。
伏せられたその瞳を直視することが、あまりにも恐ろしすぎた。
たった一瞬、それだけの時間でさえ、彼女の前にいることは耐え難い重責だった。
逃げるように身を隠し、風呂場の扉を後ろ手に閉める。勢いに任せて蛇口を捻れば、身も凍るような冷水が頭に降り注ぐ。
「…………はあ」
ああ、そうだ。こうして頭を冷やせば、こうなってしまった原因など容易に分かる。
中三の頃は毎日のようにしていたのに、今ではめっきりなくなっていた。あまりに久々すぎて、感情をどう処理すればいいのかもわからなくなっているらしい。
「——ケンカ、いつ以来だ」
姉弟。
断ち切ることのできない関係性が、意識をどうしようもなく掻き乱す。
# # #
「……僕も出るの? なんで?」
「そりゃ、三人一組のイベントだからね。いくら雨宮樋笠ペアが優秀とはいえ、彼ら二人じゃ通るものも通らないだろう?」
「だろう? って……」
や、さも当然ですみたいな顔して言われても……。完全に初耳なんだけど、それ。
「決めたの誰? 坂本さん?」
「あ、そうそうその通り。忘れるとこだったけど、その坂本さんから預かりもの。はいこれ」
あんまりにも唐突なその宣告に、原因と思しき誰かの顔が真っ先に浮かぶ。
投げ渡された滝川さんのスマホには、予想通り坂本さんからのボイスメッセージがひとつ。純度100パーセント、どころか1000パーセントの嫌な予感に当てられつつ、物は試しと再生ボタンを押してみる。
『あー、テステスっと……これでよし。では——日本星皇軍大佐、坂本慎一は、星皇学院一年生の魚見恭平くんを推薦する。対象日は来たる12月24日、つまり明日。出しうる限りの全力をもって任務に当たってもらいたい。以上! 頑張れ!』
えぇ……何その雑な仕事のフリは。なんかもう一周回って清々しさすらあるんだけど。
「……これだけ?」
「そう、これだけ。まあ第三本部じゃ人の目もあるし、あんまりペラペラ喋るわけにもいかないからね」
ぺらぺら、かぁ……ここまで情報量が少ないのは流石に予想外なんだけど……。
確かに、おいそれと僕の秘密を喋ることができないのは分かる。一ノ瀬一楓としてではなく、魚見恭平として推薦したのも、その辺りの事情を慮ってのことだろう。
「全力」という単語に含まれている意味も、一応は理解しているつもりだ。万が一の事態に備えてロックの解除を許可する、そういう旨だと考えて差し支えない。
要するに。基本的には学生として、ただし有事の際には最低限逃げられるように——この指令の中に込められている意図は、雑に解釈するとそんな感じらしい。適当極まりない内容からここまで読み解ける僕、割とすごいと思う。
「だけどさぁ……なんで僕?」
「そりゃまあ、あの二人がやりやすいようにっていうのもあると思うけど——今回の場合、ぼくも同行することになったからね。勝手知ったる人間のほうが、色々と融通も利くんだよ」
どういうことかと首を傾げれば、予想外の答えが返ってくる。え、それも初耳なんですけど……。
「仮にも上層部でしょ、研究顧問さん。詰めてなきゃダメなんじゃないの?」
「まさか。実際に作戦が動き出した以上、ぼくみたいな研究者がいても邪魔になるだけさ。本命までの準備を整えるからこその後方支援、それが指揮系統に介入するようになったらおしまいだ」
気持ち険を含んだ声音で問いかけても、滝川さんはどこ吹く風とばかりに涼しい顔をしたままだ。物は言いようってホントなんだなぁ……。
個人的興味のために動くなんてと思ったけど、よくよく考えなくても第二本部はそういう人間の集合体だ。響さんにばかり負担がいく構造、明らかに欠陥システムのそれだと思う。
「ぼくだって、何も遊びに行くわけじゃない。明日は管制塔も浮き足立つだろうし、どのみち通常営業として機能するだけの監視は必要だろう? 適材適所、やるべきことをやるべき場所で、ってことさ」
「……へーぇ……」
その割にはお茶請けとか用意してるんですけど、この人。自覚あるのかなぁ……遠足じゃないんだからさ。
「……日付変わるまで、あと二時間しかないんだけど」
「任務なんてそんなものだよ、励みたまえ若人。ってことで、明日は頑張っていこう。睡眠不足は厳禁だからね」
好き放題言い散らかした末、それじゃあと手を振って消えていく滝川さん。
ああ言いながら研究棟に戻るあたり、どの口で睡眠不足云々などと抜かせたのか不思議になってくる。今日だけでエナドリ何本飲む気なんだろう、あの人。
「……結局こうなるのかぁ……」
あーあ……今回は楽できると思ったのに。
軍相手に無茶な要求ばかりしていると、こういう時に体のいいパシリにされるらしい。まぁ、そう上手くはいかないよね……僕の薄っぺらい人生、だいたいこの一言に凝縮される気がする。
「……はぁ。さむ」
煌々と明かりが灯り続ける、軍部棟の下。
かじかんだ手に吐きかけた息が、僅かな温もりを残して溶けた。
心の距離は。
次回は来週、日曜夜に投稿します。クリスマスイヴのくせして男しかいないってマジ?
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