4-1/始点
笑っている、と。
そう言われて、内心で首を捻った。
だってそうだろう。この状況、この環境、どう見積もったところで笑える要素などあるはずがない。
どれだけ包み隠した言い方をしようが、眼前に広がっているのは紛れもない地獄絵図だ。そしてそれを作り出したのが自分自身であることも、これ以上ないくらいに理解している。
もちろん、損な役回りをしている自覚くらいはある。こんなことでしか解決を図れない、己の至らなさに対して自嘲の笑いが零れていると言うのなら、納得はまあできなくもない。
しかし、だ。それにしたって、そんな眼をするのはあまりにご無体ではないだろうか。
それなりに考えて、それなりに苦悩した。これが最上の手段だと言うつもりは毛頭ないが、決断を先送りにして最悪の状況を招くよりは万倍マシだと言い切れる。
そんな選択をした人間に対して、労わるどころかこの仕打ちとは。世界を救った英雄が周囲から拒絶される、という筋書きは食あたりになるレベルでありきたりだが、どうやら今はそれと似たような状況らしい。
理解のできない、人でなしを見るような視線。突き刺さるそれから逃れるようにして、姿見に映る自分の顔に目を向ける。
そもそも。当人を差し置いてその発言とは、勝手に決めるなと文句のひとつでもつけたくなるというものだ。
自分が今どんな表情をしているかなど、言うまでもなく自分が一番理解している。笑っているなどと、冗談でもそんな暴言を吐かれる謂れはない。
ほら、この通り。イメージしているものと寸分違わぬ、面白みのない仏頂面そのものではないか。
笑いなど何処に求めようもなく、あるのはただどうしようもない義務感のみ。
凝り固まって動かしようもない、巌のように険しい表情が——
# # #
あーあ。ま、結局こうなるか。
……無情なもんだ。知らないままなら、岐路に立つことも無かっただろうに。
# # #
食事というものは、およそ無限の可能性を持つものだ。
行為単体で見れば、そこにはおよそ栄養の補給という無機質な意味合いしかない。しかし、他の様々な要素と組み合わせることで、その可能性は千にも万にも膨れ上がる。
例えば、食事の内容そのものに対して。より良い食材を使えばより良いものが作れるだろうし、自分より良い腕の人間を頼るという手もある。手間暇をかければ美味しくなるというが、別段その手間を払うのが自分でなければならない決まりはない。
関連する要素を挙げるのならば、食べる環境も大いに食事を左右する。どれだけ食事そのものが美味でも、廃墟の中で一人寂しく食べるのでは如何ともしがたい。暖かみのある食卓と信頼できる人、これだけあれば普通の飯が何倍にも美味になるものなのだ。
しかし、だ。その可能性が、時として牙を剥く場合もある。
自分が理想とする食事の条件が、周囲のそれと同一のものとは限らない。共同体の中に居ながら静かな食事を志向するのならば、それなりの対価を払う必要が出てくるだろう。
環境の選定であったり、周囲から向けられる視線であったり。限られた手段をうまくやりくりしたところで、根本的に選択肢不足になることは避けようもない。それこそ月末の献立のようになってきたが、そのへんを深掘りするとこちらの傷になるのでやめておく。
——まあ。つらつらと語ったが、結局何が言いたいかというと。
「……さっむ……」
はい。つまり、こういうことですね。
多くの生徒にとって、大抵は待ちに待った昼食の時間。しかし俺にとって、それは面倒かつ余計な手間を強いられる時間に他ならない。
そもそも、だ。友人関係のない人間にとって、昼休みほど恐ろしいものはない。
遡れば5月。星皇学院に転入して来た時点で、俺の人間関係はイマイチ振るわなかった。
焦る必要もなし、気の合うやつを一人か二人でもじっくりと見つけていけばいいだろう——その時は呑気にそんなことを考えていたが、どうやらそれは間違いだったようで。
転入から一週間後のカイン騒動、そして6月末にあった星皇祭予選での大立ち回り。二つの事件を経た頃には、教室内での俺の立ち位置はやたらと微妙なものになっていた。
ただでさえよくわからん、無愛想を絵に描いたような対応しかしない奴。そんな人間が定期的に戦果だけ持って帰ってくるのだから、そりゃ不審者扱いもされるというものだろう。当然といえば当然というか、俺だってそんな奴がいたら関わりたくないというか……いかんな、自分で言ってて普通に傷つくわこれ。
とにかく。初動をミスった俺に、その後の人間関係を修正する機会は訪れず。
気付けば12月も半ばを過ぎ、俺はからっ風が吹く中での一人飯を強いられている、というわけである。
星皇学院の昼休みは自由度が高く、5限目に間に合うのなら食事は何処で取ってもいいことになっている。
オーソドックスな教室という選択のみならず、弁当を持って学校内を行き来しても基本的にはお咎めなしだ。もっとも、さすがにこの季節ともなれば、大多数は空調が効く室内での食事を選択しているのだが。
別段何を気にすることもなく、俺も教室で飯を食えばいいだけの話ではある。ある、のだが……いやまあその、なんというか、ね? 多少の環境を犠牲にしても、一人でゆっくり飯を食いたい欲望が勝つというか……。
お前たちの昼飯って醜くないか? いや全くその通りです。そのうち作られた歴史がどうとか言い出しそうだな……タイトルロゴ背負ってキックする準備でもしておいたほうがいいかもしれない。
「……冷える」
今日は風が騒がしいな、などと。吹き付ける寒風に耐え、渡り廊下を歩いて目的地へと向かう。
教室を出てしばらく歩けば、見えてくるのは中庭だ。木枯らしに負けることなく、ここでも数組の生徒たち——特に女子——が食事を取っている。
「中庭のベンチで昼食を囲む」という理想のシチュエーションを実行に移すためならば、多少の寒さは必要経費ということなのだろうか。JK根性というものはおよそ男に理解できるものではないが、その中でもこれは飛び抜けているというか……もちろん、他人のことを言えた義理ではないのは百も承知だが。
「よっこいせ、と」
やたら爺くさい掛け声とともに、最近お気に入りの昼食スポットに腰を下ろす。
陽当たりが良く風を通さない、おまけに座れても二人か三人。中庭にほど近いこの位置は、まさしく穴場と呼ぶに相応しい好位置だ。
おまけというべきか定かではないが、中庭を一望できることも相まって食事中の暇つぶしにも困らない。ステーションバーならぬ中庭バー、まさしく生の映画を観ているようなモンである。中庭って英語で何て言うんだったかな……。
「いただきます」
いくら間に合わせのパンとはいえ、礼儀を疎かにして良いはずもない。一人静かに手を合わせ、気持ち厳かに袋に手を付ける。
姉がこちらに来てから、俺の昼食は基本的に弁当だ。昼は俊くんのお弁当じゃなきゃやだ、などというワガママをつき通すアレに逆らうことなく、毎朝ついでに自分の飯も作ってきているのだが……いかに飯炊き係とはいえ、たまには休暇も貰わねばやっていられない。
分けても昨日は学校のあと、バイトでクタクタになって帰宅した身空である。多少は寝過ごすのも良かろう、とベッドにいることを選択し、今朝は弁当を見送ったというわけだ。
ちなみにあの駄姉は当然弁当があるものと思っていたらしく、出勤時間ギリギリに起きて泣きベソを掻いていた。自業自得といえばその通りだが、当然朝飯を食う時間など何処にあるはずもない。
まあ、弁当を作るとなれば必然的に朝飯も済ませるし、その過程で目覚まし係を兼任することに異存はないが……なんだろうな、この気持ちは。
二十歳を超えたいい大人が本気で泣く光景、なんというか見るに耐えないものがあった。こうやって甘やかすからダメなんだよなあ……。
「お、美味い」
もっちゃもっちゃと惣菜パンを口に運べば、慣れない感覚が五感に流れ込んでくる。
普段食べるのは食パンくらいのものだが、たまに他のパンをこうして食べるのも悪くない。学校の隅で食べている、といういい感じの非日常感も相まって、感覚的には悪くない新鮮さだ。
口を動かす傍ら、中庭の人影に目を向ける。どうやら彼女たちもパンらしく、購買で買ったと思しきそれを交換しあっていた。
うんうん、いいなあこの光景。心温まる素朴さがあるというか、今にしかない青春の輝きというか……。
ご覧ください、このような厳しい環境下でも、エモの波動は確かに息づいているのです。この輝きを守っていくことが、我々男子学生の使命ではないでしょうか。世界って美しいんだなあ……。
「——あれ、雨宮くん? 何してるのそんなとこで」
「見ないほうが良いですよ。どうせろくなことを考えていませんから」
……うん、まあ気付くとは思ってたけどね? にしたってその扱いは酷くない?
遠目から営みを優しく見守る、中庭の妖精こと雨宮俊。そんな俺の視線に気づいたのか、ベンチにいた彼女たちが視線を向ける。
こちらに気付いてにこやかに手を振る降谷と、冷静な表情のまま辛辣なコメントを浴びせてくる水無坂。三者三様ならぬ二者二様とでも言うべき趣だが、にしてもここまで好対照だと笑いさえ込み上げてきてしまう。
正反対の性質を持った相手の方が信頼関係を築きやすいとも聞くが、いつの間に二人で昼食を食べるまでになったのやら。ほんと距離縮まったわねえアンタたち……あたしゃ感動で泣きそうだよ。
最初から継続して働きかけていた降谷のみならず、水無坂の側もこの半年ほどで着実に歩み寄っている。不器用ながらも他者との距離感を意識し始めたのは、それまで見えていなかったものに意識が向くようになったが故のことだ。
いくら過去を振り切ったからといって、次の日から都合よく変わるなんてことはできやしない。それでも一歩一歩、手探りで暗闇に踏み出していく、それを尊いと言わずしてなんと言おうか。
「いや、何と言うか——“良い”もんだと思ってな」
「…………うっわ…………」
うわって何だうわって。いつものキレた罵倒を何処に置いてきたんだお前は。
嘘偽りのない感情を吐き出せば、水無坂は見たこともないような表情をこちらに送ってくる。星皇祭の時ですらそんな顔しなかっただろお前、キャラきちんと守れ。
おかしい、こんなはずでは。過去最高レベルのドン引きを引き出せたのは良いが、内容がこれではいまいち消化不良感が否めない。なんか負けた気がするな……や、別に何を戦ってるわけでもないんだが。
「雨宮くんもご飯? せっかくだし、一緒にどう?」
「……寒くないか、そっち。風めっちゃ吹いてるだろ」
「壊れた蛇口のような貴方が寒がりとは、また面白い冗談ですね。温水でも出せば良いのでは?」
「温水が出ても蛇口は冷えるんだよ。配水管が凍ったらどうするつもりだ」
「この程度で壊れる配水管なら必要ありません。傷くらい自分で直してください」
何だその暴論は。めちゃくちゃ言うな。
ようやく調子が出てきたのか、豪快にコメントを打ち返してくる水無坂。やっぱこれだな、と軽い感動を覚える一方で、一気に増えた消費カロリーに目眩も覚えてしまう。
そも温水が云々と言うが、俺の能力に温度調整機能などという便利なものは備わっていない。正真正銘の冷水専用蛇口、それが雨宮俊の能力なのだ。せめてもうちょっと応用性とかさあ……いつまで散水ホースなんですか俺。打ち水が必要な季節はだいぶ前に終わりましたけど。
「おおー、確かにあったかいねえこっち。良い感じの穴場はっけーん」
そして、俺たちの様子を眺める降谷も手慣れたものだ。
にこやかに馬鹿二人のやり取りを見守っていたかと思えば、そそくさと移動して座り込んでしまう。あまりにスムーズすぎて気付かなかったレベルだぞ……我々の扱いを完全に心得てますねあなた。これは水無坂がオチるのもやむなしだ。
いくら渋々といった顔をしようが、降谷の決定に逆らえるはずもない。ちょうど一人分空いているスペースをポンポンと叩かれ、仏頂面の水無坂が続いて腰を下ろす。
「よいしょ——あ、綾乃ちゃん、それ取って」
「……どれですか。あなたの“それ”にはダンプカーまで含まれるのですから、きちんと名称を言っていただかないと」
数分前までは俺一人だった空間に、普通とは到底言い難いレベルの花がふたつ。一気に華やいだ空間にあって、しかし俺は変わらずもっちゃもっちゃとパンを口に運ぶだけだ。
JKとむさい男ひとり、口を開く比率が一方に偏るのは言うまでもない。増してや俺は一人で飯を食っていたのだから、会話に参加しなくなるのは自明の理というものだろう。
時折飛んでくる会話を捕球し、適当な方向へと打ち返すだけ。それがラリー前提のものか、一撃で勝負を決めにくるスマッシュなのかはともかく、やること自体はそうそう変わらない。
もとより俺は脇役、彼女らの食事を盛り立てるためだけの存在だ。誰が見ようとモブとして処理される、その他大勢の背景として存在を許されているに過ぎない。
「——ところで貴方、今週の土曜日は空いていますか」
だからこそ。
唐突に打ち込まれたその言葉に、咄嗟に反応することもできずに詰まってしまった。
「……は?」
「失礼、難しすぎる質問だったかもしれません。それではもう少し噛み砕いて——」
「いや、きちんと聞いてたが」
逆にこれ以上どう噛み砕くんだ。土曜日の定義から説明するつもりかお前は。
「それは良かった。それで、如何でしょう?」
こちらの動揺も意に介することなく、澄まし顔でそう繰り返す水無坂。口に物を入れたまま喋る、などという無作法こそ犯さないものの、その箸運びは一切乱れることもない。
しかし、だ。ゆえに一層、その言葉の意味が重くのしかかる。
今週の土曜日、つまり明日。
やたらと持って回った言い方も、その日付が持つ意味に考えを巡らせれば話は別だ。その日について何の感慨も抱かないほど、俺も高校生をやめてはいない。
半ばを過ぎた12月、先月の終わり頃からやけに活気付いてきた学生たち。これほど特異な環境下であろうとも、国民性に根付いたイベントというものは抗いがたい誘惑として機能している。
表側の世界でならば、今頃はイルミネーションが所構わず輝いていることだろう。こちらの世界でさえ、商業区はにわかに活気付いてきたのだから、その経済効果というのは馬鹿にできたものでもない。
「だってさ。どうする?」
助けを求めるように降谷を見ても、彼女はニヤニヤとこちらの出方を伺っているだけだ。こういう時だけ百点満点の女の子ムーブしおってからに……や、大体いつも満点の女子ではあるんだが。
これ以上ないほどにクールな表情と、青春を謳歌していますと言わんばかりにニヤけた表情。見事に対を成す両者に挟まれ、降って湧いた試練が回避不可のものとなって襲いかかる。
「……ちなみに、時間は?」
「夜です。商業区のイルミネーションが素晴らしいと教えていただいたので」
「うん、凄いんだよアレ。駅近くの広場にはおっきなツリーもあるし、ちょうど良いんじゃない?」
ですよねー。知ってた。
此の期に及んで何に期待したわけでもないのだが、こうして明言されるといよいよもって逃れようもない。むしろこちらから聞き返したことで、なあなあで済ませることができなくなってしまった。
……別に、だ。この通り尻込みしてはいるが、特段都合が悪い、というわけではない。
当然のごとく予定は白紙だし、入るとしてもバイトのシフトくらいのものだ。どうせ浮ついた客ばかり来るのだろうと、ある種の覚悟も決めていたつもりだった。
しかし——だからこそ。自分がその浮ついた客側に回るというのは、あまりに現実感がない。
生まれてこのかた16年間、そんなものとはおよそ縁のない生活を送ってきたせいか。無かったよな、縁……確か無かったはずだ。平凡極まりない人生ゆえに覚えてもいないが、多分無かったはず。
そんな人間に、踏むべき過程をすっ飛ばしてお誘いが入るとは。どうにも上手く行き過ぎているというか、ほいほい付いて行ったら壺でも売りつけられそうというか……よりにもよって水無坂にそんな疑念を抱くなど噴飯ものだが、こればかりはもうどうしようもない。
「……駄目、でしょうか」
「いや、そういうわけではなく……」
——ああもう、くそ。
不意に視線を外し、不安げに瞳を揺らす水無坂。その言葉に、うじうじと悩む自分の情けなさを思い知る。
どうせ真っ白の予定帳だ、何を書き入れてもバチは当たるまい。
それに、彼女とは最初から約束をしてあるのだ。
関係性を継続する。名前を持たない不確定なものが、別のステージに移り変わるだけの話。たったそれだけの行為に、何を躊躇うことがあろうか。
わかった、と。ただそれを口にするだけで、この時間は終わりを告げる。
馬鹿みたいに震えそうな声も、言葉にしてみればたった四文字だ。承諾ですらない事実確認に、時間を割き続けることもない。
口を開く。息を吸う。微かに残った迷いが、千々になって意識の彼方へ溶けていく。
踏ん切りのついた頭を象徴するかのように、思考回路はアクセルを踏み込み——
「——っ。……はい、雨宮です」
『ああ、俊? 悪いけど急用、坂本さんが呼んでる。司令室に今すぐ来て』
第四部、開幕。第三部が想像の数倍膨らんだので、コンパクトな展開を目指したいと思います。目標は十万字程度。
次回は来週、日曜夜に投稿予定です。リア充の花道を許すな。
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