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その道の先に  作者: たけのこ派
第三部/夏休み編
92/126

EX-7/ファイル2

新章前の小休止。前回とはまた違った角度からお送りします。


No.1/『日本星皇軍 職員 個人情報リスト』より一部抜粋


※適合率は最新の測定結果に基づく。


[ゲスト状態では閲覧ができません。セキュリティレベル2以上のアカウントでアクセスしてください]



○坂本慎一(さかもと-しんいち)

・能力名:ヘルクレス座(身体能力強化型/土属性)


・適合率:168(現在値)

・役職:日本星皇軍第二本部所属 大佐

・年齢:35(2/10)


・略歴

能力の覚醒を経て、14歳で門を通過。「客人(マレビト)」として保護され、以後、速水家所属となる。

「八月革命」では中心的指導者として活躍し、新体制の樹立に貢献。

日本星皇軍第二本部大佐に就任以降は担当地区での保護活動・環境整備に尽力する一方で、日本星皇軍代表として英国を訪問。英国を本拠地とする星刻者組織との架け橋となり、以降の交換留学制度の確立に貢献した。(該当組織については別途資料を参照のこと)


・備考

職務態度に若干の問題あり。特に第一本部からの指示、命令に対してやや腰が重い傾向が見られる。今後改善が見られないようであれば、厳重注意以上の処置を視野に入れるべきと思われる。



:まったく、誰がこんな評定を書いたのやら……。仕事をまともにする坂本など、それこそ坂本ではないだろうに。

 そもそも、必要なところは針の一本見落とさない男だよ、アレは。天才とはそういうものだ。

 ……もっとも。天才といえど、化け物には及ばないわけだが、ね。



○流川響( るかわ-ひびき)

・能力名:さいだん座(特殊能力強化型/火属性)



・適合率:126

・役職:日本星皇軍第二本部所属 少佐

・年齢:24(11/22)


・略歴

能力の強制覚醒を経験し、3ヶ月間孤児として過ごす。

坂本慎一大佐の手によって第二本部に保護されたのち、星皇学院に編入。在学中から高い適合率と能力の習熟を記録。

卒業後、第二本部に所属するとともに、結界の維持管理、機能の発展に尽力。旧来の構造に大幅な更新を加え、日本星皇軍が現在採用している結界システムを完成させた。

昨年度付で日本星皇軍結界管理システム部特別顧問に就任。


・備考

日本星皇軍全体にもたらした功績を鑑み、総本部への異動が検討されていたが、本人の意思により第二本部での勤務を継続。

「第二本部の特殊な結界システムを管理するため」とのこと。



:彼女は極めて優秀な人材だよ。叶うのならば一人、どころか何人でも欲しいくらいだ。ここ10年間の星皇軍を総括したところで、こと結界に関してこれ以上の才能は望むべくもない。

 坂本も良い拾い物をしたものだ——珍しく仕事をしたかと思えば、こんな人材を拾ってくる。ここまで懐かれることも想定内だとすれば、随分と手の込んだ囲いようだが……いや、それも含めて才能か。天運まで手繰り寄せるとは、まったく羨ましい限りだよ。



○鬼島仁(きじま-じん)

・能力名:わし座(身体能力強化型/風属性)


・適合率:113

・役職:日本星皇軍第二本部所属 大尉

・年齢:28(6/17)


・略歴

能力の強制覚醒を経て、門に漂着。以後、「客人」として速水家の保護下で育つ。

当時最年少ながらも「八月革命」に参加、戦闘員としてその一翼を担う。

以降は第二本部に所属し、第一特別行動班の組織に携わるとともに、その長を担当。直接戦闘に特化した部隊の指揮・運用に高い適性を持つ。

また、第Ⅱ種特定状況臨時偵察群(409部隊)の組織にも参与。現在までに行われた本隊の作戦行動時にはいずれも中核的な役割を担い、任務の達成に貢献した。


・備考

戦闘に偏った性向を本人も理解しており、それに適した役職を所望している。適性に見合った役職に就いていることもあり、第二本部での継続した勤務を志向している模様。



:革命のときのちびっこが成長したものだ。こと戦闘に対する意欲だけ見れば、坂本にも食らいつける逸材になろうとは。

 動物的な本能の強さ、戦闘に対する天性のセンス、闘争への総合的な適性。いずれも一般的な観点から見れば、まさに天賦の才とでも呼ぶべき存在なのだろうが……惜しいな。全てを凌駕する才能としてはあと一歩、いや一歩半足りていない。

 もちろん、サンプルケースとしては大いに価値がある。アレには遠く及ばないが、これからも戦闘を重ねてもらいたい。資料はいくらあっても困るものではないのでね。



○雨宮葵(あめみや-あおい)

・能力名:——


・適合率:——

・役職:日本星皇軍第二本部所属 職員

・年齢:20(3/23)


・略歴

本年度7月9日付で、事務職員として登録。


・備考

特記すべき事項はなし



:……ふむ。警告と受け取っておこう。



○速水景(はやみ-けい)

・能力名:てんびん座(特殊能力強化型/風属性)


・適合率:78

・役職:日本星皇軍第一本部所属 大将

・年齢:35(11/22)


・略歴

速水家次期当主として出生。幼少期より当主としての才覚を見せ、「八月革命」においては坂本慎一大佐と共に解放軍の中心的な立ち位置を占める。

革命以後、旧体制の跡地を第二本部とし、第一本部を新たに設立。星皇学院の設置、各本部の整備など、今日に至るまで日本星皇軍の根幹となる事業を多く達成、組織の確立に多大なる貢献を果たす。

近年においては、本部の隔てなく有事の際に行動することを理念とし、第Ⅱ種特定状況臨時偵察群(409部隊)をはじめとした各組織の設立を主導。各本部の人材を統合し、本部間におけるより緊密な連携を志向している。


・備考

旧体制における硬直した支配形態への反省から、速水家現当主ではありつつも、家や派閥といった要素には極力中庸を保つことを信条とする。



:いつまでもひとつところに囚われているという意味では、私も彼も似たようなものだ。魂の奥底まで刻み付けられてしまったものがその先の在り方まで決定してしまう、あまりにも虚しい生き方だとは思うがね。……もちろん、人のことを言えた義理ではないのは重々承知だが。

 私と同列視されることなど、彼は死ぬほど嫌な顔をするだろうが……いや、それはそれで一見の価値はあるか。なんにせよ、くだらない人生だよ。お互い、もう少し命を有効に使う方法を考えたいものだ。



●四郷忍(しごう-しのぶ)

・能力名:——(測定不能のため)


・適合率:43

・肩書き:日本星皇軍本部 特別顧問

・年齢:——


・主な経歴

特記すべき事項はなし


・備考

特記すべき事項はなし




:……ああ、まだ残っていたのか。消すように言っておいたはずだが。

 四郷の名前が日本星皇軍にあって、いい顔をする人間はいないだろう? やれ旧世代の残党だの何だのと、石を投げられるのにもいい加減疲れたのでね。無用の混乱を避けるためにも、私の名前はなるべくデータに残さない方が良いと進言しておこう。

 別段、隠すような裏があるわけでもない。少なくとも、これに関してはまぎれもない本心で、心の底から思っていることだ。自分の血を誇る人間はどこにでもいるのだから、自分の血を忌々しく思っている人間がいても不思議はないだろう?

 四郷の名など、本来ならば存在すら消えてしまった方がいい。不恰好な墓標にするくらいならば、ね。もっともそんなことをすれば、また誰かが同じ過ちを繰り返すだけなのだろうが。

 ——いやはや、まったく。本当にくだらない呪いだよ、四郷というやつは。



# # #



No.2/結界について:『日本星皇軍第二本部 流川響少佐による特別講義』より一部抜粋


※本記録は講義内容を書籍の形にまとめたものであり、実際の講義内容とは異なる部分があります。ご了承ください。



『——さて。ほとんどの方は初めまして、になるでしょうか。

 流川響、普段はあちらの軍本部で事務仕事をしているものです。一応の肩書きは少佐ということになっていますが、別段格式張った対応をする必要はありません。年齢も皆さんとさして変わりはありませんから、気安い対応をしていただければ。

 今回は特別講義ということで、結界のお話をしにきたわけですが……このあたりの知識は、人によってばらけているものだと思います。というわけで一番基礎の部分——そもそも結界とは何か、というところから説明させていただきます。知っている方には退屈に感じるかもしれませんが、知識の確認だとお思いください。

 

 では、早速本題に入りましょう。まずはあやふやな言葉について、語義を確定させるところから。

 『結界』というものが何なのか。端的に表現するのならば、それは「仕切り」ということになります。

 私たちが一般的に過ごしているこの世界と、異なるルールが敷かれた空間を人為的に作り出す。部屋というよりは、ひとつの「家」と言った方がイメージしやすいでしょう。この家の壁、家の内部と外部を隔てるものが結界であり、そこに出入りするための玄関口が(ゲート)ということになります。

 家と表現した通り、結界は基本的には動かせません。消すか維持させるか、基本的にはその二択だけです。結界の恩恵を遠隔でも受けられる方法は一応存在しますが、例えば動き回る対象に付随させて結界を展開し続ける……なんて芸当は困難を極めます。よくて人間ひとり、それも量産が不可能なほどに高度な術者とデバイスの存在が不可欠でしょう。


 さて。それでは結界の肝である、「異なるルール」という点に移ります。

 先ほどから何度か触れていますが、結界とは「家」のようなものです。家には必然的に家庭があり、そこには何らかのルールが存在します。

 例えば、食事の時にはテレビを点けない。例えば、夕食は家族全員で揃って食べる。そんなふうに、自分の家にも他人の家にも、多かれ少なかれ「そこでしか通用しないルール」が存在します。結界とは、その独自ルールを相手に押し付ける空間だと考えてください。

 ルールに制限はあるのか、という質問をよくされますが、理論上は一切存在しません。「立ち入った瞬間に敵が全員即死する」なんて物騒な結界も、もちろん構築することは可能です。

 ……ええ、皆さんの想像通りです。当然ながら、それは理論上の話に過ぎません。現実的には、もう少し面倒な制約が課されることになるでしょう。 


 まず第一に、結界の敷設に伴うマナの消費があります。結界の内部空間や対象にどのように働きかけるか、どの程度の範囲を対象とするか、術者は限りなく自由に決定できますが、そこには当然ながら個人のマナの限界値という問題が存在しています。

 より高度な、より広範囲な結界を作ろうとすれば、相応の出費が求められるでしょう。先ほどの条件で構築しようものなら、マナが空っぽになるのは自明の理です。仮に結界を完成させたとしても、敷設する前に術者は命を失うでしょうね。当然、そうなってしまえば元も子もありません。


 第二の条件として、結界は敷設だけでなく維持にもマナを消費します。結界を扱う上では、むしろこちらの方が本題と言ってもいいでしょう。

 設置した「だけ」の結界であれば、どれだけ強力なものでもすぐに消えてしまう。本来ありえない空間を世界に縫い止めておく為には、必然的にその燃料を供給し続ける必要があります。結界内部の人間からマナを吸い上げる、というやり方もありますが、それで術者の負担がゼロになるわけではありません。

 これも当然と言えば当然ですが、豪華な「家」は維持費もそれに見合ったものを要求されます。財布を空にして豪邸を建てたところで、今度は莫大な維持管理費が襲いかかってくる、というわけです。不特定多数の人柱でも用意しておかない限り、長期の維持は現実的ではないでしょう。……もっとも、そこまで行くとはっきり言って本末転倒ですが。


 そして、第三の条件として——言うまでもなく、これが一番重要な点ですが——術者の技量という問題があります。

 そもそも、結界というものはあまりにも複雑です。一番簡単な設定の結界でさえ、かなりの習熟を要します。増してそこにあれやこれやと条件を付加させるのなら、学生では構築することすら不可能です。

 長期にわたる努力と、それ以上の才能。二つが噛み合って初めて、十全に機能する結界を作り出し、維持することができます。といっても十二宮(ゾディアック)でもない限り、やれることはたかが知れているでしょう。

 そうですね、先ほどの例であれば……「即死させる」ことはできずとも、「行動を鈍くさせる」ことくらいはできるかもしれません。数秒だけでも「行動の停止」まで至ることができれば、レベルとしては免許皆伝です。

 もっとも、この例はあくまで素人を相手にした場合です。この辺りは幻術に対する耐性にも通ずるものがありますが、結界が相手に対して完璧に作用する確率はまずないと思ってください。個々人の体質や熟練度は千差万別とはいえ、手練れであれば対処法のひとつやふたつは心得ていても不思議ではありません。


 と、まあ。ここまで血なまぐさい話ばかりしてきましたが、本来結界というものは攻撃に使うものではありません。

 ここからは、皆さんにとっても身近な話……すなわち、この日本星皇軍を取り囲んでいる結界について、話を移したいと思います。


 大結界と小結界。皆さんは第二本部(このばしょ)に初めて足を踏み入れたとき、ふたつの結界を通過しています。外結界と内結界と、皆さんにとってはそう表現した方が身近でしょうか。

 こうして二層構造となっている結界は、何を隠そうこの第二本部のみです。他の本部においては、私たちのいう内結界、つまり識別型の小結界しか存在していません。

 こう言うと、第二本部だけ特別なシステムを採用しているのかと問われることがままありますが……正確には、むしろ逆です。第二本部での試行錯誤を経て、より洗練された運用がなされているのが他本部というわけです。


 これは皆さんもご存知のことかもしれませんが、最初に存在していたのは——つまり、旧体制の時点でこの世界を定義づけていたのは、外結界ただ一本でした。日本星皇軍が確立し、結界が整備される十年と少し前まで、内と外とを分ける仕切りはたったひとつだったのです。

 『星の力』を持つものを通し、持たないものは通さない。もっとも単純な「進入禁止」の結界は、しかし想像を絶するほどに強力かつ長続きするものでした。術者もなしにこれだけの長期間存在し続ける結界の維持運用技術は、未だ星皇軍でも例を見ません。

 どれだけ少なく見積もっても数百年。恐らくはこの世界が成立した当時から、ずっと機能し続けている最古の結界です。自分たちを守っているものの技術が分からない、などと言わなければならないのは業腹(ごうはら)ですが、ロストテクノロジーの類であることは疑いようもないでしょう。

 この結界に手を加えることは、旧体制の間は禁忌とされていました。下手に触って壊そうものなら取り返しのつかないことになりますから、当然と言えば当然ですが……しかしながら、ここには二つほど問題が存在していたのです。


 まずひとつ目が、識別能力の限界について。これは有名な話ですが、外結界には星刻者と星屑(ダスト)とを識別できる機能はありません。持続力、それから(ゲート)の手広さの代償として、なるべく単純な機能にする必要があったわけです。これに関しては、別個で対策が講じられているのですが……このあたりに関しては、実際に管制塔にでも出向いていただく方が理解しやすいでしょう。


 それからふたつ目。影響力としては、こちらの方が遥かに大きいのですが——敷設されてからこのかた、この外結界は一方通行でした。外から侵入することはできても、内側から外へと出ることはできなかったのです。

 旧体制が行なっていた施策は、どこかの授業で既に受けているのではないでしょうか。……ええ、その通りです。

 なぜ旧支配者たちは、能力者の選別と口減らしを行なっていたのか。()()()()()()()()()()()()()()()()()ことが、その最たる理由です。

 外部に流出させるという手段が取れない以上、一方的に増える人口は止めようがない。であれば、不要な存在を切り捨てていくしかない——倫理的な問題はさておくとして、為政者としてこの方法は合理的でした。旧体制が長期に渡って支配を続けられたのには、こうした避けようのない問題もあった、というわけです。


 この前提条件をひっくり返した天才が現れたのは、十余年前の話です。()は——本人は過度に持ち上げられるのを嫌うので、この言い方で通しますが——この結界に課せられた制約を独力で解明し、一方通行というシステムを攻略するばかりでなく、二重の結界による防御策を提唱しました。

 革命の実行から、星皇軍の設立まで。坂本大佐と速水大将という両雄の陰に隠れがちですが、()の天才は日本星皇軍という組織の根幹に深く関わっています。

 現在は星皇軍全体の顧問という立ち位置に収まっていますが、初期は研究部を牽引する存在でした。例えば封星弾の開発といったように、現在の星皇軍の基礎の何割かを作り上げた人物と言っても過言ではありません。……本筋から脱線してしまうので、触れるのはこのあたりにしておきますが。


 話を戻しましょう。彼によって提唱された二重の結界、それこそが私たちが小結界、内結界などと呼んでいるものです。

 外結界が持っていた識別機能をさらに強化し、認証した星刻者のみが通れるようにする。定期的なマナの維持管理こそ必要になるものの、星屑の侵入という大きな問題点を回避できる画期的な策でした。

 第二本部、つまり旧体制が存在したこの場所で試験運用されたこのシステムを、総本部をはじめとした後発の他本部で実用化する。その際意図的に排除された機能が、プロトタイプである此処に残っている、というわけです。

 この第二本部にある門——外結界のマザーゲートのみあらゆる門にアクセスできるのは、その最たる例と言えるでしょう。機能を拡張するのではなくその逆、転移できる門の数と範囲を限定することで、マナの消費を抑えているのです。消費マナの都合上、回数制限が付きまとう外結界の転移に比べれば、使い勝手は格段に良くなっていると言えます。


 残る問題点としては、やはり腕の立つ術者——結界師の存在が必要不可欠である点でしょうか。いくら最適化されているとはいえ、各本部を覆うだけの結界を維持管理するには、それなり以上の精鋭でなければ務まりません。

 どの本部も数人で結界の維持管理を持ち回していますが、このやり方自体が術者に負担をかけることは言うまでもありません。より負担の少ない、効率的な方法論の確立が急務であると言えるでしょう。

 幸いにして、近年では結界周りの技術革新も著しいものがあります。私もおかげさまで、随分と楽ができるようになりました。あともうしばらくもすれば、外結界と同じレベルの技術にたどり着くことができるでしょう。


 ……さて。いささか丸投げ気味の終わり方ですが、私から皆さんに伝えることは以上です。

 結界という専門性の高い分野ですが、その実態はこの日本星皇軍とも密接に関係するものです。もう少し知りたい、興味を持ったという方が、彼の研究者のように技術革新をもたらすことを期待しています。


 質疑応答などありましたら、気軽に挙手をお願いします。

 ……はい、それではそこの貴方。稲葉さん、でしたか? 質問をどうぞ——』



# # #



No.3/interlude-β:月下



 才能というのは、(けだ)し残酷なものだ。

 才能に満ち溢れた人間なら、ただひたすらに先を目指せば足りる。いくら天才ゆえの苦悩があるといえど、それは持って生まれたからこそ許されるものだ。生まれ持ったものをどう活用するか、それだけに頭を悩ませていればいい。

 同列に並べるつもりもないが、その逆もまた然りだ。最初からまるで才能がない人間であれば、あれこれと思い悩む必要もない。天才というあまりにも高い壁を前にして、自ずと身の程を知るようになる。


 だから。一番割りを食うのは、きっと中途半端に()()()()()()()人間だ。


 十二宮(ゾディアック)。それは紛れもない才能、奇跡とも呼べるほどの確率を勝ち得た証。

 そんな一握りの「天才」に、何の因果かこの身は選ばれた——選ばれて、しまったのだから。

 他人と比べて恵まれた環境にいることなど、他ならぬ自分が誰よりも承知している。嫡子(ちゃくし)として生まれ、何不自由のない教育を受け、そして天賦(てんぷ)の才をも授けられたのだ。これ以上のものを望むのなら、今に罰を受けることだろう。


 で、あるのなら。この環境に、前もって決定づけられた要因に、何ひとつ欠陥がないのであれば——。

 それは、適合できない(使いこなせない)自分自身が、何よりも劣っていることの証明に他ならない。


 能力を我がものとするため、ひたすらに鍛錬に励んだ。知識を、武技を、およそ力になりうるすべてのものを、片端からこの身に叩き込んでいった。

 能力が覚醒する以前から、鍛錬を怠ったことなど一日としてない。目が覚めてから床に就くまで、およそ使いうる限りすべての時間を投資し、少しでも相応しい器としてあれるよう研鑽(けんさん)を重ねたつもりだった。

 どれだけ積み重ねたところで、達成感などあるはずもない。辛さも苦しさもとうに飛び越え、ただ義務感のみで朝から晩まで動き続ける。意味のないその勤勉さを、周囲の人間は嫡子のあるべき姿だと褒め称えた。 

 才能のない人間でさえ努力をするのだから、才能を与えられた己が手を抜いていい道理などない。努力をしたから報われるのではない、積み重ねのないものには壇上に立つ資格すらないのだ——それが本心なのか虚飾なのかは、とっくの昔に分からなくなっていた。

 階段を登り続けた。それ以外の選択肢など存在せず、もとより許されていない。

 ただ、それだけが己にとっての正義だったから。階段の先に光がなくとも、立ち止まることはそれ以上の「悪」だと知っていたから、ただ毎日足を動かしていた、


 そうして。本当に、何の変哲も無いあの日に。

 本物の「天才」が、目の前に現れたのだ。


 その男は、()から迷い込んできたと語った。客人(マレビト)として保護され、帰る見込みがないと知って、己の能力を鍛え上げることを選んだらしい。

 何も誇ることはない、平凡な人生だったと公言していた。ただ少しばかり喧嘩に慣れた、腕っ節が強いだけの素人だと、稽古を受ける初日にそう告げた。



 ——何の冗談だと、思った。



 例えるならば、それは乾いた土に染み込む水のように。一を見ただけで十を吸収するどころか、「その先」まで難なくたどり着いてしまうその才能を、天才と呼ばずして何と呼ぼう。

 教えるのは一日だけでよかった。十日あれば、基礎を完全にものにした。一月も経つ頃には、誰にも超えられない高みへと翔け上がってしまっていた。

 自分が一分一秒を惜しんで手に入れた技術(わざ)を、あの男は何の苦労もなく、片手間に再現してみせた。自分よりもよほど完成度の高い動きを披露しておいて、「やってみたらできた」などと(のたま)うのだから、こちらとしてはたまったものではない。

 凡人が積み上げてきたものなど、天才の前には何の役にも立ちはしない。刹那のうちに己を抜き去っていったその姿を前にして、自分の存在意義が揺らぐのを如実に感じ取る。

 天才とはあまりにも遠い壁だと、身を以て思い知らされた。

 寝る間も、それどころか呼吸の間すらも惜しんで階段を上ったところで、その差は一向に縮まらない。むしろ一日が過ぎるごとに、倍々ゲームのような無情さで突き放されていく。

 遠ざかる背中は、己が凡才であると悟るには十分過ぎる。なぜ十二宮(そしつ)を授かったのが彼でなく己だったのか、考えたことがなかったわけではない。



 だが、立ち止まることは「悪」だ。



 天才(ほんもの)を目の当たりにした。だから歩みを止めるのか?

 凡才(にせもの)であることなど、最初から理解していた。だから無意味な歩みだと断じるのか?

 ——否。断じて否だ。その判断を許容してしまえば、この身は形を保てない。

 一度でも足を止めたら、もう二度と走り出せなくなってしまう。それは今まで積み重ねてきたものを、人生(すべて)を捨て去ることにも等しい。

 足元に広がるのは、これまで踏みしめてきた階段のすべて。その段差、一歩一歩を無為にしないために、選択できる生き方などたった一つしか存在しない。

 重ねたものだけがこの生の意味であるのならば、それを捨て去る判断をするには些かばかり遅すぎた。

 己が己として在り続けるために。奈落へと続く階段に従うことだけが、この身に許された選択(せいぎ)だったのだから。



 月が出ていたことだけは、今でも鮮明に覚えている。

 満月が照り映えているわけでもなく、三日月が印象的なわけでもない。何の名前も与えられていない、余り物のような形をした月が、居心地悪そうに天で輝いていた。

 一度息を吐けば、白く染まった息が外界に出力される。この季節、しかも時計がてっぺんを回ってから外に出ることなど、普通に考えれば阿呆としか言いようがない。


 だが。そんなものを理由にして日課を見送るなど、それこそ特大の阿呆がすることだ。


 誰も彼もが寝静まり、草木も眠る丑三つ時。何の感慨も抱くことなく、ただ前の日と同じようにして屋敷の中庭へと向かう。

 剣を振ることに、特段何かの喜びがあるわけではなかった。得意なわけでも才能があるわけでもない、他のすべてと同じ義務感の産物だ。

 ただ、強いて言うのならば。何も考えずとも身体が動くのは、決して悪いものではなかったから。

 どれだけ頭が疲弊していようと、身体が勝手に動いてくれる。それは一日の終わりにやる日課としては、それなりに効率が良かったのだ。

 だから。前の日の、あるいはその前の日の行動をなぞるようにして、その日も定位置へと足を運んだ。


「——こんばんわ。いい夜ですね」


 だが。その日、そこには先約が入っていた。

 

 縁側に腰掛け、月を見上げるその姿。こちらへと視線を向けた拍子に、美しい黒髪が一房(ひとふさ)はらりと垂れる。

 気取った格好でないにも関わらず、その様はあまりにも美しい絵になっていて。銀光に照らされた姿に心奪われ、咄嗟に言葉が出なくなった。


「……そっちの方が年上だろ。敬語はなしでいい」


「あれ、そうだっけ? ……ふふ。それじゃ、お言葉に甘えさせてもらおうかな」


 言うなり砕けた口調は、それまでの神秘的な雰囲気とは似ても似つかない。

 殊更に切り替わったその有様は、取り繕っていたものが剥がれ落ちたというに相応しい。今ひとつ締まらない顔で首を傾げ、彼女は人懐っこく笑う。

 

「……悪いが、しばらくここを使わせてもらう。静かな月見がお望みなら、他の場所に移ることを勧めておく」


「んーん、別にだいじょぶ。すぐに戻るつもりだったし——え、今から何かするの? ここで?」


「素振りを多少。見ていて楽しいものでもないぞ」


 しかし、だ。いくら予想外の先客が居たからといって、それがやるべきことを放棄する理由にはならない。

 目を丸くする彼女の前で、いつものように袋から得物を取り出す。何の変哲も無い木刀が、冷え冷えとした空気を纏って姿を見せる。

 一度構えれば、自然と雑念は滅却されていく。頭の芯の奥深く、冷え切った空気がたちまちのうちに突き刺さる。


「…………」


 ほう、と小さく息を吐く。いかばかりの間も無く、身体が勝手に滑り出していた。

 気の遠くなるほど繰り返された一連の動作は、もはや意識する必要すらない。一日前の、一週間前の、一月前の動きを寸分違わず再演する、そこにあるのはどこまでも純粋な行為だけだ。

 思考は必要ない。この身体そのものをひとつの得物として、ただ要求される動作を繰り返す。

 より効率よく、より無駄なく動きを彫琢(ちょうたく)する。それだけが己にできる、凡才に許された全てだった。

 1セットが終わる頃には、あれだけ冷え切っていた身体が嘘のように火照っている。時計は持っておらずとも、それなりの時間が経過していることは肌感覚でわかろうというものだ。


「……おおー」


 だというのに。この寒天の中、どうして彼女は未だ中庭(ここ)にいるというのか。

 無邪気にぱちぱちと手を叩くその瞳は、どこまでも純真な色に(きら)めいている。興味津々としか言いようのない表情のどこにも、「すぐに戻る」という言葉と一致する要素は見当たらない。


「すごいね、今の。素振りってより演武じゃない? こう、しゅしゅって感じで」


「どっちだろうと変わらん。誰に見せるものでもなし、素振りと同じだ」


 冷たい外気の中、汗を拭う片手間に口を開く。ほえー、と気の抜けた返事をする彼女は、わかっているのかいないのかいまいち釈然としない。

 ……そもそも。自分が知っている限り、彼女はこうして人と関わる人間ではなかったはずだ。

 屋敷の奥に閉じこもって——否、彼女は自分自身の意思で、己の幽閉を望んだと聞いていた。誰も傷付けないように、誰にも触れることのないように、あえてその選択をしたのだと。

 嫡子である自分ですら、彼女について知っていることはそう多くない。詳細不明、かつ制御不能の能力に苦しめられていたことしか知らず、顔を見たことすら数度しかなかった。


 ——しかし。今の彼女の表情は、以前に見たそれとは似ても似つかない。


 世界を諦め、他者と触れ合うことに怯えていた(かつ)ての彼女。記憶の中にある顔と目の前のアホ面をいくら照らし合わせたところで、その感情は影も形もない。


「……もう、いいのか」


 だから。何が彼女をそこまで変えたのか、純然たる疑問を抱いて。

 我知らず、あまりにも抽象的な質問をしてしまった。


「ほえ? 何が?」


「……いや、何でもない。忘れろ」


「えー、気になるよ。なになに? キミに関係あること?」


 格好の餌を与えてしまったと、そう後悔してももう遅い。ずずいと迫ってくる彼女を前に、知らず苦虫を噛み潰したような声が漏れる。

 感情が希薄だったのならば、短期間でここまで変わるはずがない。きっと、彼女の本質はこちらなのだ。

 ずっと抑圧され、感情を押し殺すしかなかった。その選択をした理由が制御できない能力(もの)にあるのなら、その原因を克服したというだけの話。


 ——羨ましい、と。そう思ってしまった。


 己を苦しめる能力を克服し、そこから生じた苦しみを飛び越える。それは取りも直さず、この身に課せられた最終目標に他ならない。

 未だ成し得ることのなく、そしてそれはこの先も変わることなどない。自分が終ぞ至れない終着点に、目の前の彼女は到達しているのだから。


「うーん……もしかしたら、キミの考えていることとは違うかもしれないけど」


 そう前置きしたのは、彼女なりに思うところがあったからなのか。

 こちらに身を乗り出したまま、彼女は考え込むように(おとがい)に指を当てる。


「優しい人に助けてもらって、このヘンな力と——『星の力』、だっけ?——折り合いをつけられるようになったってだけ。自分の力なら制御できないはずがないんだ、ってハッパかけられて……めちゃくちゃな気もするけど、信じてくれる人がいたから頑張れた、って感じだね、うん」

 

 だから、本当に私は何もしてないんだよ——そう締め括った彼女の瞳が、確かな意思を孕んで揺れる。

 呆れたような声色は、その無軌道さに振り回されたが故のことか。しかしそれを語る瞳の奥には、紛れもない親愛の情が宿っていた。


「……そうか。参考程度にはしておく」


 なんと答えるべきかもわからず、ぶっきらぼうにそう返す。

 こんなものを尋ねたところで、何が変わるわけでもない。参考などと(のたま)ったところで、彼女と自分とでは前提条件からして異なっている。

 そして、それ以上に。彼女にわざわざ気を遣わせたという、その事実が何よりも腹立たしい。

 己の感情ひとつ管理できない凡俗な人間に、何を成し得ることができようか。彼女を使()()()自分が未熟であることを証明するなど、人間として下の下もいいところだ。

 

「うん、参考にして。……ふふ」


 だから、だろうか。

 彼女の口元に浮かんだその笑みを、はじめ認識できなかったのは。


「……何が面白い」


「んー、別にぃ? ……ただ、私も、信じる側になれたんだなあって。ちょっと感動しちゃった」


 冴え冴えとした空気と、降り注ぐ月光を身に浴びて。

 彼女は、心の底から楽しそうに頬を緩める。


「さっきの“素振り”、本当に凄かったから。あんなもの見せられたら、()()()()なっちゃうでしょう? 見せるものじゃないって言ってたし、キミのファン一号の座は貰ったかな」


「……そんなもの」


 一文の得にもならんぞ、と。言いかけた言葉は、しかし冬の空気の中に溶けていく。

 何を言いかけたのか、何に躊躇したのか、自分でもさっぱりわからない。気の迷いに流されているうち、気付けば彼女は立ち上がっていた。


「それじゃ、私はお先に失礼させてもらおうかな。明日も観に来るから、もし会いたくなっても安心だね」


「……好きにすればいい。どうせ明日も、この時間に此処にいる」


「うん、好きにしまーす——なんたってキミのファンだからね、ふふ。じゃ、おやすみなさい」


 大した感慨もなく、特筆すべき別れの言葉もなく。ただひらひらと手を振って、彼女は奥へと消えていく。

 ……いや。そもそも、彼女にとって、そんなものは土台必要無いのだ。

 明日も此処に来ると、さも当然のように宣言したのと同様に。明日もこの場に自分が立っていることを、露ほども疑っていないのだから。

 (よこしま)な打算など、そこには一切差し挟まる余地などない。あるのはただ、どこまでも無邪気で純粋な感情のみ。


 ……ああ、なるほど。それは、確かに——。


「…………」


 木刀を構える。たったそれだけで、身体はスイッチを入れたように動き出す。

 満月でも三日月でもない、中途半端な月の下。

 ほのかに残る温もりを、飜る剣筋が切り裂いた。



# # #



No.4/interlude-Ω:無題(編集済)



 右目が潰されたらしい。とても痛い。

 柔らかい何かを潰すような、べちゃりとした気味の悪い感覚。どうやら破裂したらしい右目(それ)が、生温かい飛沫(しぶき)となって顔面を覆う。


「……ああ」


 違和感を感じて視線を移すものの、そもそも視界が存在していないのだから見えるはずがない。いい加減に慣れたほうが何かと便利なのだが、視界を失う状況に慣れろというのもなかなかに酷な話だ。

 仕方がないので触れて確認すると、どうやら異常が生じたのは脇腹らしいことがわかった。何やら身体が軽いと思ったら、肉ごとゴッソリ持ってかれているらしい。

 硬いものに掌が触れる。こんなところから骨は出ないはずだから、多分色々と()じくれているのだろう。やたら鋭利に削れているものだから、これを抜き出せば武器にして振り回せそうだ。


「痛……」


 痛い。もちろん、とんでもなく痛い。

 別に無痛症というわけでもないし、どんな痛みにも耐える訓練を積んでいるわけでもない。何度経験しても痛いものは痛いし、ショック死していないのが不思議なくらいだ。

 ショック死が許される環境なら、とっくの前にそれを選んでいる。痛いと叫んで加減が貰えるのなら、喉を潰されようといくらでも叫ぶ覚悟はある。

 逃げ回ることも、叫ぶことも、随分前に試し尽くした。どうやら労力の無駄らしいと分かってからは、他のことにエネルギーを回すようになった。

 どうせ死なない。どうせ死ねない。どれだけ肉塊に近づいたところで、己の意思で命を絶つことは許されない。だったらその間、趣味のことでも考えていたほうがはるかに都合がいい。

 次は足だろうか、それでも手だろうか。激痛を訴える思考回路をオフにして、他のことに意識のリソースを回す。

 逃げ回っていた頃は面白がって足ばかり狙ってきたが、動かなくなってからはめっきり減った。親愛なる兄たちにとっては不満かもしれないが、さりとてそちらの思惑通りに動いてやる義理もない。


「……あ」


 ……いや、でも。きちんと玩具(オモチャ)にならなかったからといって、それ以外の権利まで剥奪されたらたまったものではないか。

 およそ望みなど無いに等しいが、しかしあの大書庫を使えなくなるのは勘弁願いたい。これだけストレス発散をしていても姑息な嫌がらせをしてくる、それが我が愛すべき家族たちなのだから。

 では、仕方がない。己が権利を守るために、孝行者の末弟であることにしよう。


「——が、う」


 タイミングよく上がってきた血塊を吐き出し、明後日の方向に足を向ける。

 五感がミキサーされていようと、意識が混濁していようと、この闘技場内であれば現在地は手に取るように分かる。それだけの経験を、他ならぬ彼らによって積み重ねられてきた。

 それらしい獲物として見えるよう、出口に向かってのたりのたりと歩いていく。背を向けた自分(それ)をあざ笑うかのように、程なくしてガツンとした衝撃が足元を揺らす。

 立っていられない。次の一歩を踏み出せない——そもそも、踏み出すための足がない。

 人間の足って何本だったっけ、などと下らない思考を巡らせる。当然一本足で立っていられるはずもなく、気付けば地面に倒れ伏していた。

 意識が遠のいていく。さすがに血を失いすぎたのか、それとも痛みのキャパを超えたのか、それすらも今の自分(それ)にとっては他人事だ。

 重要なことはたったひとつ。今夜の折檻(せっかん)は、これで終了だということ。

 意識を失った人間をいたぶっても、未来の主君様たちの楽しみにはならないらしい。それが美学によるものなのか、それとも反応がなくてつまらないということなのかは知らないが……いずれにせよ、終わるタイミングがはっきりしているのなら、いくらでも気の持ちようはある。

 どれだけの傷を貰えば意識が落ちるのか、最近は理解も深まってきた。おかげで自分のタイミングで終わらせられるのだから、経験さまさまということなのだろう。


 ……ああ、そうだ。目が覚めたら、温かい風呂に入りたい。


 あまりにもささやかな望みを抱く自分(それ)に、小さく苦笑を浮かべて。

 そうして——そうして。ようやく、今日の試練が終わる。



 次に目が覚めるときは、いつも変わらないベッドの上だ。

 右目は開くし、脇腹には肉がついている。足もきちんと二本揃っていて、その他諸々の数えきれない傷も跡形もない。

 違和感がないことに気付いていても、鏡の前で五体満足かどうかを確認してしまう。もちろん、仮に足りなかったところで、自分(それ)にはどうすることもできないのだが。

 回復系の能力というのは便利なもので、どんな傷であれ一瞬で直してしまう。こと外傷であれば、魔法にも等しい速度で治癒するのだから、()の人間たちからすればどんな宝よりも輝いて見えるに違いない。

 ……もっとも。さすがにあれほどの重症であれば、宮廷お勤めの能力者(いしゃ)を総動員せざるを得ないだろう。週一か週二で迷惑をかけているとなれば、いくら被害者とはいえ申し訳ない気持ちのひとつも湧いてくるというものだ。


 いや、それは嘘か。


 簡素な病衣を脱ぎ捨て、用意されていた服に着替える。備え付けの時計が目に入った瞬間から、ボヤけた頭は一気に覚醒していた。

 「家族団欒(だんらん)」のための夕食時には、必ず大広間の決められた席についていなければならない——唯一絶対のルールに、いついかなる時でも例外などあるはずがない。定刻を一秒でも超過しようものなら、また肉塊に逆戻りすることは確定事項だ。

 雑念の一切を排除し、広大な宮殿内部を疾駆(しっく)する。能力が使えれば、などと儚い望みを持つこともほとんどなくなったが、こんな時は相変わらず奇跡に(すが)りたくなるのだからタチが悪い。

 もちろん。そんな都合の良い奇跡など、どこを探してもあるはずがないのだが。

 

「——忍穂(しほ)。1分以上の遅刻は厳禁だと、私は確かに言ったはずだが」


「申し訳ありません、父様。この罰はどうか、何なりと」


 息急き切って飛び込んだ大広間には、既に親愛なる家族が勢揃いしている。間に合わなかったと直感した時には、身体は無意識のうちに謝罪の体制を取っていた。

 兄たちからの折檻にはとっくに慣れたが、この父親に関しては幾ら相対しても慣れることなどない。気を抜けば揺れそうな声を押さえつけ、どこまでも従順な息子としての礼をとる。

 きょうだい、親戚、そして無数の使用人に至るまで。大広間を埋めるほどの「家族」たちの中に、味方と呼べるものは一人もいない。突き刺さる数々の視線を前にして、自分(それ)にできることはただ頭を下げることだけだ。


「いいや、お前のために割く時間などない。この件に関しては不問とする——どうした、早く席に着け。これ以上、私の手を煩わせるつもりか?」


「いいえ。寛大な処置、感謝いたします」


 口を(つぐ)み、身を縮め、己の椅子へと足早に向かう。血縁者の中で最も末端、親類縁者と使用人の境界線にある席に着くや否や、上座から厳かな声が響いてきた。


「それでは。今日一日、何事もなくこうして食卓を囲めることに感謝を。……さあ、いただくとしようか」


 父親の号令が下り、全員が一斉に食事に手をつける。物心ついた時から繰り返されてきた光景は、今日も何ひとつとして変わることなどない。

 当てつけのように豪勢な食事と、表面上は和やかな会話の応酬。どんな状況でこの食卓を囲んでも、感じることはいつも同じだ。


 ——今日も生き延びたという、無機質なカウントのような事実確認と。

 ——また死に損なったという、諦念にも似た僅かな落胆。


 明日も明後日も、どころか死を迎えるその日まで、感じることはきっと同じ。家族(かれら)がこの遊びに飽きるまで、この生は終わることなく繰り返される。


「いただきます」


 手を合わせ、食事を口に運ぶ。何を食べても砂の味しかしない食卓だが、本来なら頰が落ちるほどに美味なのだろう。

 ——温かい風呂は、どのみち朝方にしか入れない。それまでは大書庫に入って、昨日の作業の続きをしよう。

 未来に期待を持つことなど、到底許される行為ではない。でもせめて、今日が終わるまでの間くらいは。

 胃に栄養を流し込みながら、そんな虚しい指針を搔き抱いた。



 少なくとも待遇の面において、自分(それ)はある程度の自由を許されていた。

 夕食という唯一のルールを除けば、あとはいつどこで何をしていても自由なのだ。この宮殿から出ることこそ禁じられているが、わざわざ出ようと思わなければどうということはない。

 いくら一族の恥であろうと、腐っても尊い血ということなのか。使用人たちに寝首をかかれるようなことはなく、風呂も食事も過不足なく供給される。……あるいは寝首を掻く程の価値もない、ということなのかもしれないが。

 遊び感覚でこちらの命を弄ぶ血族たちには辟易するが、慣れてしまえば何も感じることはない。父親に対する恐れ以外は——


 ……いや。それすらも、()()()()いた方が角が立たないから、そう振る舞っているに過ぎないのだろう。


 そもそも元を辿れば、この命ですら気まぐれで生き長らえたものに過ぎない。生き恥だの晒し首などと言ったところで、父が方針を変えた瞬間に処分される程度の、蜉蝣(カゲロウ)にも劣る存在だ。

 至高の血族の中に混ざり込んだ、およそ有り得ない汚点。能力に適合したにも関わらず、発現すらできないほどの異常に低い適合率——その存在(バグ)を面白がった父によって、半ば道楽として生かされているだけ。

 いっそ無能力者であれば、「聖別」によって幼少のうちに処分されていたはずだ。大量にいた兄姉(きょうだい)がひとり、またひとりと消えていくさまに、次は自分だろうと多少は覚悟していたつもりだった。


 それが、どうだ。「劣ったもの」として、ゆえに「無条件の悪」として扱われることになるなど、歴代の血族を眺め回しても想定されていなかったに違いない。


 兄たちにとって、この命は鷹狩りのごとき娯楽用品だ。ただのサンドバッグだったものが、いつの頃からかより芸術点を高める方向性へとシフトしていった。

 足が飛ぶ。生かされる。腕が千切れる。生かされる。どんな傷を負おうとも治癒させられ、彼らはより一層ギリギリのラインを見極めて遊ぶようになる。

 自分の身体がどんな形をしているのか、経験則から理解するようになった。痛みが一番少ない箇所はどこか、意識を最も効果的に飛ばせる場所はどこか、限りなく適切に答えられる自信がある。

 狂ってしまうことができたら、何ら苦労はなかったのだろう。それが星屑(ダスト)へと向かう暴走であろうとも、適合率が上がるのであれば万々歳だ。


 だが。元から致命的にズレているものが、これ以上狂うことなどできやしない。


 至高の血族であることだけを信条に、数世紀に渡ってひたすら血統を練り上げてきたのだ。純血主義を貫いた先がどうなるのかなど、わざわざ明言するまでもない。

 まともな人間など、自分(それ)を含めて一人たりとも居はしない。人間として存在できないほどに致命的な歪みを抱えていても、能力が優れていればそれだけで全てが許される。

 人間ならば、彼らを恨むのだろう。理由のない暴力に怒り、強者から下される抗いようのない裁定に怯え、場合によっては復讐を決意するのだろう。


 ——()()()()()もいいかな、と思ったこともあったけれど。

 結局。いまいち判らなかったから、やめることにした。


「……っつー……」


 首をぐるりと回せば、完全に復元された身体が音を立てる。毎回()調()されるだけあって凝ることはないが、さりとて倦怠(けんたい)感が残るのは避けようもない。

 前言を光の速さで翻しているような気もするが、今日の展開はいささか以上に予想外だった。懲罰を受けることは避けられないと思っていただけに、免罪されたのは僥倖(ぎょうこう)以外の何物でもない。

 父が「不問とする」と言ったのなら、それは誰であろうと絶対の効力を持つ。たとえ長兄であろうが、逆らった瞬間に死よりも重いペナルティが課せられることになるだろう。

 少なくとも今日いっぱいは、彼らの憂さ晴らしに付き合わされることもない。限りある時間を浪費しなくて良い、それは何よりも素晴らしいことだ。

 折檻に一時間、意識を取り戻すまでに早くて半日。本来なら()てていたはずの時間と体力を、こうしてやりたいことに費やせる。これを素晴らしいと呼ばずして何と呼ぼうか。


「んー……」


 地下の大書庫に収められているのは、この家の成立から途切れることなく記録され、綴られてきた無数の文献。それは取りも直さず、この狭い世界の歴史をすべて収蔵しているにも等しい。

 我が血筋があってこその世界だと、もう何度聞かされたことか。それが何の誇張でもないのだと、この蔵書の数を見るたびに思い知らされる。


「…………くぅ」


  この大書庫にある資料であれば、誰よりも——それこそ、管理を担当している使用人よりも詳しい自負がある。連なる棚の最奥部、十年単位で開かれていないようなものですら、大体は目を通しきったつもりだ。

 拾える知識はすべて拾った。ここにあるものならほぼ全てを(そら)んじられるし、何となれば論理の錯誤を指摘できるものすらある。

 能力以外の点で成果を挙げれば、あるいはもう少しまともな扱いをされるかもしれないと。手近な知識をあるだけ渉猟(しょうりょう)したことも、結果は全くの無駄足だった。

 結局、得たものはたったひとつ。この世界は明らかに間違っているという、誰もが抱くような馬鹿げた確信のみ。

 そんなこと、最初から分かりきっているはずだ。そも大前提として、こんな世界は全てが狂っていなければ成立し得ない。


 だから。この確信の出所は、きっと根本的に別な場所にある。


 間違っているものが、その存続を許される理由はふたつ——その間違いが受け入れられているか、誰かがその間違いを隠匿しているか。

 どれだけ情報を擦り合わせたところで、言葉にできない違和感のようなものが浮かび上がってくる。それが間違いのまま受容されていることを差し引いても、必ず隠されているものはあるはずだ。

 この家で情報を隠せる人間といえば、自ずとその対象は一人に絞られる、(そこ)に触れようとすることは、文字通り世界に逆らうことと同義だ。ありったけの情報を読み込んだ上で出てくる結論がそれなのだから、親不孝者と呼ばれても仕方がない。

 ただ、それでも。くだらないこの生と引き換えに、己の興味を満たせるのであれば。

 この尊い血筋にあってすら隠匿されるほどの、「何か」の一端に触れることができるのなら……それは、価値と呼んで差し支えないのではないか、などと。

 極めて冷静な頭で。そんなふうに、馬鹿げたことを考え——



 ——そして。その(ねがい)は、予想外の終わりを迎えることになる。



# # #



No.—/『とある古びた手記』第27ページより



『我が組織に有能な人材はいくらでもいるが、ブレインと呼べるのはジュリアス・ホワイトを置いて他にはない。

 弱冠18歳、私と同じ年齢の新顔でありながら、既にしてこの組織の根幹と呼べる位置に関わっている。プロジェクトが実現可能なものとして日の目を見るに至るまで、彼がいなければあと10年はかかっていた……などと言われているのだから、その才知は推して知るべしだろう。


 もちろん(と言っては失礼極まりないのだが)、天才という人種に漏れず、彼も随分とトガった人物であると評判だ。四方八方から「天才」をかき集めたこの組織の中ですら偏屈扱いされ、事実それに見合った結果(?)を出し続けている。


 曰く、意見の対立した人間を想像を絶するほどの言葉で否定し、彼らの心に消えない傷を残しているとか。

 曰く、承認を残すのみだったレベルで仕上がっていたシステムの数々を、「美しくない」の一言だけで一から作り直したとか。


 特に後者に関しては、そちらの方が結果的に良いものが出来上がっているのだから、誰もケチをつけることができなくなってしまっている。実質的な独断専行が許されているのも、彼の興味とこの組織の利益が一致しているからに他ならない。


 と、まあ。聞くだに気難しそうな人物だが、生憎と私との接点は文字通り皆無だ。

 私はあくまで、出来上がったプロジェクトを実行する側の人間に過ぎない。本社のエリートと現場の作業員(この例えが合っているのか、私にはイマイチ確信が持てないが)ほどの格差があるのだから、それもむべなるかなといったところだろう。


 加えて言うならば、私は彼のような天才が最も嫌うであろう凡愚(ぼんぐ)そのものだ。

 なんの才能もなく、才覚もなく、ただ数合わせとしてお情けでここに置かれているだけ。たかだか成立して三年の組織で古参を名乗ったところで、実績もないのだから虚しいだけだ。

 もちろん、組織の一員として作戦行動に従事したことはある。だがそれは、「参加したのだから立派だ」というレベルでものを言っているに過ぎない。


 と、思っていたのだが。

 まさかそんな相手から、直々に呼び出しを受けるなど。想定外も想定外というか、あまりの驚きに言葉が出なかった。

 何か重大な、組織を揺るがすほどのことを無意識にやらかしてしまったのかと。土下座でもなんでもする覚悟で、一大決心をして向かったのだが……。


 いや、結論から書こう。彼が言うには












 やあ、未来でこれを読んでいる読者諸君。これが資料として生き残っているということは、君たちは望外の幸運を手に入れたということだ。

 天才たる私の生の文書など、そうそう拝めるものでもないだろう。この文章も三通りほどの読み方ができる暗号で書いているから、重要資料として存分に研究するといい。

 さて。私はジュリアス・ホワイト、上段で散々こき下ろされた通りの天才だ。この組織の所業が後世に語り継がれているのなら、その九割は私が形にしたものと思って差し支えない。

 カズキをどこにやった、などとキレている読者もいるかもしれないが、残念ながらこの物語は君たちの都合で進むものではない。日記だから一人しか書き手がいない、などという先入観を持っているのなら、悪いことは言わない、そんなものは今のうちに捨てておくことだ。

 その考えを持つ前に、君たちはひとつでも別の可能性を検討したか? 誰かがイチノセカズキと名乗っているだけの可能性は? あるいは道半ばで(たお)れた彼に変わって、名も知らぬ誰かが筆跡を真似ているだけの可能性は?

 歴史を見返すなら、常に疑いの視線を持つことだ。根拠のない盲信ほどくだらないものはない。もっとも、過去の人間に時を超えて(さと)されるほど、偉大なる人類種さまはマヌケではないだろうが。


 ちなみに今の話は全て嘘だ。カズキは今、呼び出しを受けて別の部署に出向いている。あと数分もすれば帰ってくるだろう。

 こんな幼稚な手で顔を真っ赤にしているバカが未来にいると思うと楽しくて仕方がないが、生憎その反応を確かめる(すべ)は私にはない。精々怒り狂っていることを祈るばかりだ。


 さて。それではカズキが帰ってくる前に、他人の日記を書き荒らして帰るとしよう。


 まず上の話題だが、私はイチノセカズキという人間を評価している。今の所は、この組織にいる人間の誰よりもだ。

 彼はおよそ、凡人と呼ぶに相応しい人材だ。天才的な頭脳を持ち合わせず、身体能力が図抜けているわけでもない。

戦場において要求される咄嗟の機転もなく、ましてや「異能」が開花しているわけでもない。

 努力すれば人並みの成果は挙げるだろう。そうして積み上げていけば、いつかは一廉(ひとかど)の役職くらいには着けるだろう。そして今の世界では、そんな普通の人間は生き残れない。

 分けてもこの組織において、普通の人間が席を置けるだけの余裕はない。誰も彼もが異なった才能を有し、大義のために命を賭けているのだから当然だ。“少数精鋭”の中に凡人が混じっているなど、名前詐欺も甚だしい。


 しかし、だ。彼が戦う理由は、くだらない大義のためではない。

 口では大義を口にしながらも、その実たった一人残った家族のために戦うという。妹を一人にしないがため、生きて帰ることこそを第一義に動いているというのだから、他の人間からすればさぞ大罪人のように映ることだろう。

 未来のため、文字通り身を粉にして世界の明日を切り拓く。その志のみに殉じることを是とするこの組織にあって、イチノセカズキはとんでもない裏切り者だ。


 

 どうだ? 素晴らしいだろう?



 誰も彼もがロボットのようなこの組織にあって、彼こそは紛れもない人間だ。賞味期限の切れたこの世界の中、その輝きがどれほど貴く、美しいか、少しでも考えを巡らせれば簡単に理解できる。

 彼は凡人ではあっても凡愚ではない。そも、いくら天才が集まったところで、所詮私の足元にも及ばない小粒ばかりだ。己の才を過信することもなく、がむしゃらな人間として足掻くその在り方は、私的にかなりポイントが高い。

 とまあ、そういうわけだ。私が如何にイチノセカズキを買っているか、ささやかながら理解はできたと思う。なんならスライドの数枚でもブチ込んで解説してやるのもやぶさかではないが、紙幅(しふく)の都合上このあたりに留めておこう。


 話はまるで変わるが、プロジェクトの進捗は順調だ。既に基盤を構築し、四分割して展開するところまでは軌道に乗っている。

 このままいけば、システムそのものはあと数年のうちに完成するだろう。第二ステージへと移行するのも、そう大それた夢物語ではない。

 しかし、だ。唯一の問題点として——肝心(かなめ)の動力が、どう考えても足りていない。

 今の出力のままでは、精々ふわふわと空に浮かぶのが限界だろう。ハリボテの熱気球ならそれでも問題はないが、目的地に向けて邁進(まいしん)するロケットには到底なり得ない。

 当面の課題は、この動力源をどう工面するかだ。大容量のバッテリーを外付けで積み込むのが一番楽な手だが、それにしても色々と方針の見直しを図る必要がある。

 ……もちろん、この問題に関しても、大まかな解決策は提示済みなワケだが。

何せ本物の天才だ、一山いくらのサルとは格が違う。悩むからには常に解決策とセットで考えるのが天才の責務だ、覚えておくといい。


 さて、こんなものでいいだろう。歴史的資料として価値あるだけの情報は乗せてやったのだから、あとは好きに時代考証でもするといい。無論、全て嘘の可能性を念頭に置いて、だ。


 それでは。親愛なる隣人との友誼(ゆうぎ)がこれからも続くことを願って、このあたりで筆を()こう。

 後世の諸君が、この文を読み解ける程度には頭が回ることを祈っている。



6月20日 ジュリアス・ホワイト 記』

プロフィール等の数字は基本的に時系列に沿っていますが、もしかするとこっそり手直しするかもしれません。「こいつまた間違えてんな……」くらいの温かい目で見守ってやってください。


次回は一週間後、来週日曜の夜に投稿予定です。次週から新章開幕、季節は冬! 雨宮俊の人間関係も基本的に冬!


それでは。第四章、クリスマス編にてお会いしましょう。


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