00-01/うたかた
なんてことはない彼の、その始まりの話。
昔から、誰かの顔色を伺うのは得意だった。
目の前にいる人間が何を思い、何を言えば喜ぶのか。避けるべき地雷を予測し、当たり障りの無い、上っ面だけの会話を回す。それは癖というものすらも越え、今や僕という人間の本質そのものにまで根着いてしまっている。
その発端、その本質。それが何であるのかと問われれば——たぶんそれも、僕の能力に由来するんだろう。
物心ついた時には、僕の体には能力が宿っていて。それそのものが否応なく、僕の生き方の指針を決定していたのだから。
いつ能力が覚醒したのか、少なくとも僕には記憶がない。この能力の特異性ゆえか、それとも記憶にないほどの昔に強制覚醒を経たがゆえなのか。正しいことは何もわからないし、分かったところで何が変わるわけもない。
重要なのは、その結果として存在する事実だけ。頼るべき親類縁者は一人としておらず、記憶にある限りずっと日本星皇軍で生まれ育ってきたという、この上なく簡潔な事実だけだ。
触れたものなら誰彼構わず能力を抜き取ってしまう、星刻者にとっては絶対の暴力に等しい力。剥き身のナイフのようなそれを管理するために、幼少期から能力の制御方法を徹底して指導された。
『いいか? それはお前の「能力」で、疑いようのないお前の「所有物」だ。だったら、持ち主であるお前に制御できない道理はない。飼い犬を躾けるのは飼い主の役目だろう?』
親代わり、と。そう呼んで差し支えないほどに、坂本さんは僕に親身になってくれた。鬼島さんも、響さんも、滝川さんも——僕が第二本部の首脳部と繋がっているのも、元を正せばこの経験があったからだ。
幼少のうちに制御方法を身につけたおかげで、星皇学院でも「普通」に振る舞うことができた。一般的な星刻者と変わらない距離感で、その他大勢の中に紛れ込めていた。
自身の能力を危惧して周囲との関係を断てば、それこそ怪しまれる火種になる。ディスコミュニケーションを貫くくらいなら、誰とも適度な交流を維持しておいたほうがよほど生き易い。
誰かが転校してくるたび、さりげなく人物像や嗜好を探って。それに合わせた会話と態度を出力し、「会えば話す」程度の関係性に留める。
今にして思えば、星皇学院という特殊な環境下であることも幸いしたんだろう。学院に初等部や中等部の段階で転入してくる者たちは、いずれも能力の暴発を経ているがゆえに、過去には人一倍敏感だった。
傷を負った心を閉ざしてしまう者、より強い繋がりを求める者——しかし彼らには総じて、「過去に踏み込んではいけない」という不文律がある。みな一様に苦しんでいるからこそ、そのラインは絶対のものとして認識されていた。
慣れてしまえばなんてことはない、同じ方法の繰り返し。中学どころか初等部の段階で、この生き方は完成されきっていた。
そして。中等部に進学して、彼女に出会った。
稲葉朔弥。中学三年生。文武両道、才色兼備を絵に描いたような、完璧な存在。
誰もが俯きがちな世界の中、周囲にただ明るさを振りまき続ける、嘘のように素晴らしい先輩だった。
聞くところによると、彼女は中等部からこちらに移ってきたらしい。初等部から中等部への進学、いわゆる「身内感」が強いこの学院で生徒会長にまでなっていたんだから、学校の中心としての影響力は間違いなく本物だろう。
その名声に違わず、彼女は入学したばかりの一年生の中でもすぐに話題に上がるまでになった。「いつの間にか友達になっている」と多くの人間に言わしめたその手腕は、三年から一年まで、満遍のないコミュニティを作り上げるに至っていた。
生徒との関係性の維持も完璧な上、先生からの物覚えもいい。そんな彼女を見て、僕はなんとなくこう思ったのだ。
——あぁ。同類だ、と。
完璧な己を演じるその裏に、言い表すことのできない何かが隠されている。それは僕以外の誰にも気付けないほど、僅かで小さな違和感だった。
それを咎めるのはもちろんご法度だ。ルールを犯す気なんてさらさらなかったし、わざわざヤブを突こうとも思わなかったけれど。
……けれど、どうしてか。初めて見つけた「同類」に、どうしようもなく心が掻き乱された。
同族嫌悪の類だったのか、それとも興味だったのか。正確なところが何なのか、今となっては分かりようもない。
ただ、言いようのない「何か」に心惹かれて。
気がつけば僕は、彼女と言葉を交わすようになっていた。
# # #
『朔弥さんはさ。……理不尽だ、って思ったことない? なんで自分がこんな目に、とか。自分じゃなくても良かっただろう、なんて』
『なくはないよ? でもまあ、そんなことを言っても始まらないからさ。過ぎたことを悔やむよりは、前を向いて生きたいなって——中学生が何言ってるんだって話だよね、あはは』
帰り道。生徒会の仕事が終わった頃には、日はとっぷりと暮れている。
3ヶ月——彼女と話すようになって、成り行きで生徒会の仕事も手伝うようになって。
気がつけば、二人で帰るのが当たり前になっていた。
『それにね? わたし、今の生活の方が良いなって思えるんだ。いろんな人と仲良くできるし、知らないことがいっぱい知れるから。向こうにいた頃じゃ、こんなのは思いもしなかったし』
人間関係をなあなあで済ませていた僕が、特定の誰かに肩入れしている。3ヶ月前の僕が見たら、きっと白けた視線を送ってくるんだろう。
こうして会話している最中も、その思いは消えていない。お前のスタンスはどうしたと、心の奥底で理性的な僕が叫んでいる。
『恭平はどうなの? 今、楽しい?』
『僕は——どうだろ。ずっとこっちにいるから、あんまり代わり映えしないかな。生きてる世界がひっくり返るとか、そんなことはあんまり』
『え〜、そうなの? こんな美人と一緒にいるんだし、代わり映えして欲しいんだけどねぇ』
『自分で言っちゃうんだ、それ……』
首を傾げて笑う彼女に、邪気のようなものは感じられない。それはいつも見るような微笑みとは、また違う類のもので。
いつも輪の中心で、分け隔てなく振りまかれる笑顔——それとは似ているようで異なる、年相応の素朴な彼女の笑み。それを引き出せるのは己だけだと、初々しい自負のようなものも持っていた。
『でも。なんていうか……安心はしてる、かな』
『安心? わたしといるときに、ってこと?』
『ん、まあ、そんなとこ』
『……へぇ〜、そうなんだ。へぇ〜』
ニヤニヤと口元を歪める彼女に対し、耐えきれず顔を背けてしまう。自分がどんな顔をしていたのか、考えるだけで嫌になってくる。
実際、安心していたのは紛れもなく真実だ。より正しく言うなれば、安らぎを覚えていたと言った方が近しいのかもしれない。
肚の奥底に、何かを隠し持っている。それを互いに承知の上で——いや、承知の上だからこそ、何処かに通づるものがあったんだろう。
手札を見せ合うことがなくとも、何かを持っていることは確実に見抜いている。見抜いているからこそ深入りはしないし、逆に取り繕うために変な気を使う必要もない。
相互確証破壊、なんて言えば大それているけれど、その実像はもっと単純だ。
『うん。……わたしも、安心してるんだと思う』
危ういバランスの上で、奇跡的に成り立っているこの関係は。
『恭平といるときはね、嫌なことも忘れられるから。そんなこと忘れてしまえばいいんだって、そう思うことができるから。……さっき言った前を向きたいって話も、恭平がここにいるからだよ』
『……それは』
それは。一般的に持て囃され、美しい夢を描けるような関係性ではなく——
『気休めでもいいから、前を向いて、って——恭平といるときは、心の底からそう思うようになれた。だから安心するし、信用してる。ありがとう』
そう、例えるなら。共犯者とでも呼ぶべき、そんな歪んだものだったのだから。
『……いつでも、そう思えるようになるといいね。僕がいないところでも』
『えぇ〜、その返しはなくない? これ、だいぶ理想的なシチュエーションだと思うんだけど』
軽口を叩いて笑う彼女と顔を見合わせ、どちらからともなく笑い出す。
分かっている。これ以上先に踏み込めば、きっと大切な何かが壊れてしまうと、お互いが理解しきっている。
傷付かないギリギリの位置まで接近して、そこから動かずにふわふわと漂うだけ。さながらソードラインのごとき不可視の境界線、それを意識し続ける関係性なんて、あまりに臆病だと言わざるを得ない。
『……まぁ、うん。その信用を裏切らないように、頑張るよ』
『え、ほんとにそんなこと言っていいの? 期待しちゃうぞぉ』
『程々にしてくれると助かるかな……』
……あぁ、本当に。僕はどうしようもないほど臆病で、笑いたくなるほどに弱い。
剣を突き立てられることも厭わず、血塗になって突き進むことを決めていたのなら——傍観者であることをやめ、全てを捨てて誰かを助ける覚悟があったのなら。
結末は、もう少しマシなものになっていたかもしれないのに。
# # #
稲葉朔弥と出会って半年ほど。ちょうど夏休みが明け、新学期になってすぐの頃。
ふと、彼女がいないと感じる時が増えた気がした。
いないと言っても、割合にして月に数日かそこら。意識しなければ分からないほど、それは小さな差異でしかない。
それでも。連日欠かすことなくクラスの中心にいて、生徒会でも存在感を発揮していて——それも、毎日一緒に帰っている相手となれば。
その欠落は、看過するには些かばかり重すぎた。
「体調を崩した」であったり、「外せない予定が入った」であったり。いくら見え透いた嘘とはいえ、本人がそう言うのだから追求のしようがない。ましてや、「家族とゴタゴタしてて」なんて言われた日には、聞けるものも聞けなくなること請け合いだ。
背負った過去に何があろうと、そしてどんな問題が尾を引いていようと、問い質すことは許されない。それがここで生きる上での、唯一絶対のルールだ。
でも……いや。しかし、それでも——なんて。
脳内で回り続けるくだらない思考が、日に日に深いものになってきたとき。
気晴らしに読んでいた新聞の隅に、小さな記事を見つけたのだ。
某県某市。都市にほど近い、とある郊外の街。そこで起こった、或る行方不明事件について。
——最初に、とある一家が消えた。何の変哲も無い核家族が、一夜にして忽然と姿を眩ませた。
夜逃げか失踪か、それとも止むに止まれぬ何かの事情があってのことか。一応の操作が行われたものの、大した事件にはなり得なかった。家庭内で争った形跡が一切なく、さも「旅行に行きます」と言わんばかりに整えられていたことも、それに拍車をかけたんだろう。
なんてことはない、全国紙に載ったのも奇跡と思えるほどの三面記事。でもどうしてか、それがひどく心に引っかかった。
某市は、確か。たった一度だけ口にした、稲葉朔弥の生家がある場所で——。
わけもわからぬ胸騒ぎに掻き乱され、それを気のせいだと押さえつけて日々を過ごす。こんな体たらくで中立を名乗ろうとしていたんだから、笑い飛ばされても文句は言えないだろう。
真相を知りたいと思いつつも、それを直視するのがあまりにも恐ろしい。悶々と消えてゆく日々は、しかし程なくして進展を迎えることになる。
——次に、とある中学の学生が消えた。数人の女子生徒が、数回に分けて念入りに狙われた。
一度にひとり。狩りでもするかのような正確さと冷酷さで、「行方不明」者がひとり、ふたりと積み重なっていく。
学校という共同体の人間が立て続けに狙われれば、さすがに事件を水面下で収めることは不可能だ。保護者の懸命な訴えもあり、事件はこの段になってようやく、話題の端程度には上るようになった。
だというのに。犯人は行方どころか、その尻尾すらも見せる気配がない。
一月に一度か二度、生徒が露のように立ち消える。最後に目撃証言がある場所を訪れても、直近の人間関係をいくら洗い出しても、不審な点は何ひとつない。
幽霊の仕業だ、などと。そんな話がいつからか、まことしやかに囁かれるようになった。
標的になった学校の生徒は皆、姿の見えない暗殺者に怯えて過ごすしかなかった。とりわけ女子生徒の取り乱しようは輪をかけて酷く、狂乱して部屋に閉じこもる学生すらいる有様だったらしい。
そして、そんな折。5人目の行方不明者が出てからしばらく経って、いつものように稲葉朔弥が学院から消えた。
定期的な彼女の「休日」は、しかし誰かに咎められるわけもない。精々今日は寂しいね、などと、井戸端会議の合間にその不在が認識される程度だ。
……いや。それも当然といえば当然なんだろう。
“皆の人気者”で、“教師からも信頼されている”彼女。そんな彼女を疑う人間など、誰一人としていなかったのだ。
だから。僕が取れる手段なんて、最初から個人主義しかありえかった。
坂本さんに話を通して、特別に稲葉朔弥の個人情報を渡してもらった。過去に踏み入ることが最大の禁忌とされる星皇学院にあって、僕は進んでそのルールを踏みにじった。
もっともらしい言い訳なら、いくらでも思いついたはずだ。何もしない中立の皮を脱ぎ捨てて誰かひとりに手を伸ばす、これ以上ない好機だったはずだ。
——稲葉朔弥。生後間もなく両親が死亡し、親戚筋の一家に預けられる
だというのに。彼女に踏み込む勇気もなく、彼女ひとりのために全てを捧げられる覚悟もなく。
——養親および義姉から虐待を受けていた形跡あり。数年以上の長期にわたって、重度のネグレクトが継続して行われていた模様
ただの傍観者に過ぎない身でありながら。
傍観者という安全地帯から踏み出せない、臆病者でありながら。
——進学先の中学校においてはバスケットボール部に所属。部の中心的な立ち位置にいた義姉の主導より、学校でも恒常的ないじめが行われていたことを確認
無我夢中で手を伸ばす、などと。そんなことが許されると、本気で思ってしまっていた。
——能力の覚醒要因は自殺未遂。※※※※※からの投身自殺を試みたが、能力の強制覚醒により失敗。2ヶ月後、第二本部の保護下に入る
強欲にも、己の中途半端さを自覚しなかった。
彼女に真正面から相対して、それでもと言い続けることができるのか。避けようのない問題から目を逸らしたまま、ただ焦りだけに突き動かされて走っていた。
その強欲さが、どのような結果を生むのか。
僕はすぐに、この身で実感することになる。
# # #
『っ、この……!』
建て付けの悪い扉を強引に叩く。がたん、という音が響いた直後、倒れこむような勢いで屋上への道が開いた。
開け放たれた空間から流れ込むのは、高所特有の強風。季節にそぐわないほど生ぬるい理由は、目の前に広がる光景を見れば自ずと理解できる。
『……恭平?』
そう。それこそ、火を見るよりも明らかだった。
手入れされていないことがよくわかる屋上の外観に、不釣り合いなほど鮮烈な影。それは彼女が、燃え盛る炎を背にしているからに他ならない。
ぱちぱちと。何かが燃える音が、肌にまとわりつく嫌な熱気が、意識に否応なく入り込む。
火のないところに煙は立たない——燃やす対象が存在しなければ、そもそも炎はあそこまで景気良く燃え上がらない。
鼻腔をくすぐる匂いがなんなのか、その理解なんてとっくの前に及んでいる。それなのに、現実を前にした脳が、その事実を受け入れることを拒んでいる。
『そう。……ううん、最初から隠し通せるとは思ってなかったけど。でも良くわかったね、ここだって』
『……資料を、見たから。ここで、朔弥さんは——』
からからに乾いた喉は、きっと吹き付ける熱気のせいだけじゃない。
わななく唇が、その先を言葉にすることを拒んでいる。それを口に出してしまえば終わりだと、頭の芯で何かが訴えかけている。
『うん。わたしはここで、一度死んだ。もう嫌だー、なんて思って、全力の勇気でジャンプした。……まぁ、結局死ねなかったんだけどね』
でも。僕が言い淀んだ言葉の先を、彼女はさも当然のように引き継いでしまう。
『死ぬこともできなくて、ヘンな能力が使えるようになって。最初は怖かったよ、もちろん。でもね、色々説明を受けて星皇軍に入って——それでようやく、わかったんだ』
『……わかった、って』
『うん。これは、ボーナスステージなんだって。あのとき死んだわたしが、綺麗に終わるために——ほら、恨みがあったら成仏できないって言うでしょ? だからそれを、綺麗さっぱり洗い流すためのロスタイム』
感情を込めることもなく、さりとてただ淡々と読み上げることもせず。
能面のように固まった表情で、彼女は詰まることもなく言葉を接いでいく。
『復讐、って言うのかな。色々考えたし、ダメだとも思ったけど……死んでからも我慢しなきゃいけないなんて、そんなのは割に合わないなって思って。やる以上は最後まで終わらせたかったから、準備はすごく頑張ったよ? 慣れない人マネなんてしてたから、恭平に見抜かれちゃったんだと思うけど』
それはまるで、最初からこうなることを予期していたかのような。
用意してきた原稿を読み上げているかのような、予定調和じみたものだった。
『……でも。タイミングがいいんだか、悪いんだか——これで最後だって思ったら、気が抜けちゃったのかも。うん、きっとそうだ』
学校から抜け出した彼女が外出許可を取り、度々出向いていたこの某市。
街の風景の中に埋もれた、なんの変哲もない廃ビルの屋上で。
稲葉朔弥は、人を燃やしていた。
肉が焼ける独特の匂いと、黒焦げになった人間のカタチ。
およそ地獄の具現としか思えない光景の前で、彼女の笑顔が照り映える。
『最後、って——』
『そのまんまだよ? わたしの復讐は、これで終わり。あとはここで、やりそこなった自殺をきちんと終わらせれば、綺麗に成仏できる——そう思ってた、んだけど』
その頬は、濡れていた。
他ならぬ己のために、己の意志で復讐鬼に堕ちて。それでも捨てされなかった人間性の名残が、今の事態を正確に把握しきっている。
『そうだよね、そんなに都合のいい話なんてあるはずない。わたしにボーナスステージをくれた神様がいるなら、その人の許可なしに死ぬことなんてできっこないんだって——なんで今まで気づけなかったんだろう』
伏せられる瞳も、戦慄く腕も。
今となっては、そのほとんどが彼女の制御下から離れている。
否。とっくの前に、それは彼女では無くなっていた。
復讐という強い負の力に呑まれ、彼女はここまで行き着いた。その過程でどれほど精神が汚染され、適合率が上昇していたのか、そんなことは今更言うまでもない。
宿主の中で育った星屑は、もはや彼女から身体の主導権を奪うまでに成長した。星屑に羽化する前に自殺されてはたまらないと、肉体が意志を押さえつけたのだ。
『ごめんね、恭平。……貴方に、こんな』
頭のどこかで、こうなる可能性は理解していた。この廃ビルに突入する時点で、制限は既に解除済みだった。
普通なら認められないし、許されるはずもない。いくら星皇学院に所属しているからといって、中学生が中学生の介錯をするなんて、そんなものはどう考えても間違っている。
——でも、残念ながら。そのための能力は、あつらえたように手元にあった。
そうだ。僕なら、彼女を彼女であるうちに、終わらせてやることができる。
それができるのは、他でもない魚見恭平だけだ。この状況にふさわしい唯一の能力の使い手が此処に居る、そんな幸運は世界のどこを見回したってありはしない。
手を伸ばして、彼女に触れるだけ。たったそれだけで、全てに決着がつく。
パズルのピースがはまるように、状況が美しく整っていく。この絵面から逆算したのではないかと思うほどに、あらゆる情報が完全に合致する。
それは紛れもなく、世界にとって有益なことで。
何よりも、彼女自身が望む「救い」だったのだ。
だから、僕は。
震えを押し殺し、目の前の彼女に手を伸ばそうと——
『違う…………僕は…………僕は——!』
——何も違わない。これが、義しいことだ。
——中立を気取っていたくせに、誰かに入れ込んで。そのくせ最後の一歩を踏み込めなかった、そのツケは自分自身で払わねばならない。
『っ…………ぁ…………あああぁぁああぁぁ!!!!』
揺れる。
揺れる。
視界が、指先が、意識そのものが。
この腕を伸ばすべきだと、今ここで腕を伸ばさなければならないと、うつくしい「正義」が声高に叫ぶ。
何もできない自分を恥じた。嘲笑って、焚き付けて、それでも指先ひとつ動かせない己を呪った。
こんな人間、失望されてしかるべきだ。いっそ唾棄してくれれば、どれほど楽になれただろうか。
『ごめんね——』
優しい言葉と共に、彼女は最後に微笑んで。
『——ありがとう』
僕の手に、そっと手のひらを重ね合わせた。
初めから矛盾を抱えていた。
求めたものは、未だ遠く。
以下、章終わりの恒例行事です。
というわけで第三部、これにて終幕です。ここまでお付き合いいただいた皆様に、心よりの感謝を。
本来は数話で終わらせる閑話のつもりだったのですが、予想外に時間と文字数がかかってしまいました。週一更新ということで、かなりまどろっこしい進行度になってしまうのは避けようもないのですが、そのあたりは寛大な心でお目溢ししていただければ……と思っております。
さて、今章を経て、物語はいよいよ本筋に入ります。なんか毎回言っている気がしますが、ここからが本当のスタートになる……はず。たぶんきっとそう。
第四部のテーマは「異変」。戦闘が増え、それに伴って少しばかり難易度も上がるかもしれません。主人公力の見せ所、楽しんでいただければ幸いです。
次週は来週日曜の夜、以前のようなちょっとしたレポートを投稿予定です。第四部に関係する内容も含まれていたりするかも。
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