3-9/ブレイジング・サマーⅡ
前回のあらすじ
やたら動く! やたら喋る! DX滝川研究顧問!
星刻者にとって、己の神器は代えの効かない一点ものである——と。そう仮定するのならば、俺は随分と浮気性ということになる。
最初に貸し出された人造神器は改良中、2代目のよくわからんアレも大して使っていない。いかに特殊な状況に置かれているとはいえ、この数ヶ月だけで命を預けるアイテムを取っ替え引っ替えしているとなれば、武器に愛着を持ちにくくなるのも仕方がないというものだ。
だが。そんな俺にもひとつだけ、自分の武器だと胸を張って言えるものが存在する。
「整備したのはぼくじゃなく知り合いだけど、銃の整備に関して彼の右に出るものはいない。間違いなく最高のコンディションだと、ぼくからも太鼓判を押しておくよ——もっとも、あくまでコレは量産品、外国やこの国の裏社会なんかで一般的に流通しているものと同様だ。カタログスペック以上でも以下でもないから、過信するのは禁物だよ」
「量産品ほど信用がおけるもんもそうそうないだろ。それだけ支持されて、実績も挙げてるってことなんだから」
受け取ったその感触は、以前手にした時から寸分たりとも変わっていない。支給された予備の弾薬ともども検分し、これまた支給されたホルスターにちゃっちゃかと装填していく。
「いや、もちろんそれに反論する気は無いんだけどね。ないんだけど……なんだろう、うーん……」
「うーんじゃない。そうやってピーキーなワンオフものばっか作ってるからモニターが居なくなるんだろうが」
そもそも、「誰でも使用できる」汎用性が人造神器の売り文句ではなかったのか。利点を伸ばすどころか、もとよりワンオフ品である通常神器に対抗しようとするから、こんなよくわからんことになっているのである。
「とにかく、整備してくれた人には礼を言っといてくれ。……多分、これからもお世話になる」
「ああ、もちろん。いつでも歓迎だし、必要なら別の銃を用立てるとも言っていたよ。いくら携行が義務付けられているとはいえ、研究部に銃とここまできちんと向き合う人間はいなかったし、彼としても嬉しいんだろう」
「別のもんを使うつもりはないが……や、まあ。心意気だけでも、ありがたく受け取っておく」
遡れば星皇祭、予選の折でのできごと。試合で封星弾の使用を禁止され、カイン戦であれだけ活躍したこの拳銃はお払い箱になってしまった。
そもそも謎の(高級ハムでも入っていそうな)箱から出てきただけに、整備がされていたのかも疑わしい。死蔵しておくのも勿体無いし、どのみち使わないのであればメンテにも出すか——と思い立ち、博士経由で業者に整備を頼んだ次第なのである。
一瞬腕が鈍っていないかと心配したものの、よくよく考えてみれば大した訓練など積んでいない。武器の性能を信じるといえば聞こえはいいが、その実情は近代文明の利器におんぶに抱っこされているだけである。
牽制用に弾幕を張るか、確実に当たる距離からまとめてぶっ放すか。選択肢などそれくらいが関の山だ。そんな人間に捕獲作戦などという大それたものを依頼するあたり、つくづく第二本部の人間はどこか狂っていると思う。
「というか、てっきり拳銃について何か知ってるもんだと思ってたんだが。博士の差し金じゃないのか?」
「まさか。きみがこんなものを出してくるなんて、あの時になるまでは思いもよらなかったよ。裏ルートに繋がりでもあったのかと勘ぐったくらいさ」
「……んなもんあったら、もっと楽に勝ててただろうさ」
心底から驚いたような顔をする博士に向け、何を言うか考えた末に溜め息をひとつ。
魚見を経由して授けられたこの拳銃であるが、結局のところ誰がどういう意図で俺に渡したものなのかまったくわからない。もしかしたら博士の差し金ではないか、と考えたこともあったが……ここまでヒントのひとつもないとなれば、いい加減に不気味に思えてくる。
さてはあれか、未来の俺が窮地の俺を助けるために過去に送ったとかいう設定でも出てくるのか。やたらハイパーなゼクターっぽいなそれ……俺としてはむしろ過去の人間が託したとか、そっちの展開の方が燃えてくるんだが。
「ま、使えるもんならありがたく使わせてもらうだけだ。幸い、他の武器よりよっぽど素直な性能してくれてるからな」
「整備の際に一度バラしたそうだけど、不審な点はなかったそうだからね。正真正銘の武器、文字通りただの拳銃だ——封星弾もこっちで支給するから、きみは惜しまず好きに使ってくれればいい」
皮肉も揶揄もなんのその、という姿勢を前にすれば、それ以上真相を追い求めるのもバカらしい。
準備を終えて腰を上げれば、博士は待ちきれないといった様子で研究室の外へと踏み出す。所作がやたら子犬っぽいんだよな……というか、この炎天下の中白衣で行くつもりなのかあんた。正気か?
「……念のために確認しとくが、外なんだよな?」
「ああ。目的地は内結界と外結界の中間地点、俗に言う管制塔だね。カイン討伐の時、外へ出るために使っただろう?」
「ああ、まあ。使ったっちゃ使ったが……」
俺を先導するようにてくてくと歩いていく博士には、どうやら言いたいことが1ミリも伝わっていないらしい。いやまあ……本人が暑くないならそれでいいんだが……。
にしても、だ。こうしてだらだらと歩いていると、有る事無い事に関わらず色々と頭を巡らせてしまう。
先ほどは勢いで押し切られてしまったが、今すぐに実戦に移るのは冷静に考えて正気の沙汰ではない。相手が俺だったからよかったものの、水無坂などにこんな話を振っていようものならすげなく断られていたはずだ。
そして。それ以上に、根本的な問題がひとつ。
「しかし、そんなに星屑がタイミングよく出てくるもんかね。そんな高頻度で出現するなら、星皇軍が星刻者を保護してるって話も怪しくなってくるんだが」
「日にもよるけど、大抵二、三日に一匹は迷い込んでくるかな。外の門には大抵警報装置があるから、星屑が接近した時点でこっちに連絡が来ることになってる。ここ数日、どこぞの門の向こうでうろうろしてる星屑が一匹いるから、支部の人に頼んで追い込み漁をしてもらおうかと思ってね」
追い込み漁ってなんだ。イワシの群れと同じ扱いをするんじゃない。
「……そもそも、支部って外の門の上に建ってるんじゃないのか」
「外の門の総数に比べたら、支部の数なんて微々たるものさ。人員も資金も有限だからね、ほとんどは無人の監視システムに頼るくらいしかできないんだよ」
何気なく聞いたつもりが、やたら世知辛い話が返ってきてしまった。いや、別にそんな現実を聞きたかったわけではないんだが……。
「それより、さっきの話についてはどうなんだ。星皇軍の保護って、そこまで徹底できてるもんなのか」
「……いくら精力的に活動しているとはいえ、全ての星刻者を網羅できているわけじゃない。一番保護が進んでいるのは第二本部だけど、多めに見積もっても六割を保護できているかどうかってところだろうね——これに関しては、ぼくたち軍の努力が足りてないことの証明にしかならないんだけど」
意図せず嫌味のようになってしまったそれを口走ると、隣からは似つかわしくないテンションの言葉が返ってくる。
なんならテンションどころか内容すら、それなり以上に想定外のものだ。思わず顔を上げて視線を向けると、そこには苦り切った顔の博士が立っている。
「六割——って、第二本部周りの地域だけ見て、ってことか?」
「ああ。残りの星刻者は当然、星屑になる可能性が段違いに高い環境に晒され続けることになる。あるいは上質な餌として標的にされるか、ね。何れにせよ、野良の星刻者がかなり危険な状態であることに変わりはない。……年にどれだけの星屑が生まれているのか、考えただけで頭が痛くなってくるよ」
似合わない表情で目を伏せる博士の言葉は、心からのものだと言えるだけの実感が篭ったものだ。
ただ、漠然と。日本星皇軍という組織は、星刻者を一人残らず救い上げているものだと——なんの根拠もなくそう思い込んでいただけに。
その言葉は、予想外極まりないものだった。
「それも人員不足が原因、か?」
「それもあるし、それ以外の理由もある。こちらから把握できるのは、どれだけ早くても能力を発現した後になるからね——誰が星刻者なのかを特定しても、今度は本人や保護者に事情を信じてもらわなきゃならない。学院に入学させるまで、ひたすら訪問と交渉を繰り返すってわけだ。軍と呼べば聞こえはいいけど、活動の大部分はこんな感じだよ」
「……うちでそれなら、他の本部はどうなるんだ。7つだか8つだか、日本のあちこちに散らばってるんだろ?」
「規模的にも担当地域の人口的にも、第二本部と第一本部がトップ2だね。というより、うちは地下の貯金があるからここまで高いだけで、外の世界から保護してくる数は総本部と似たり寄ったりなんだ。実質的な割合としては、三割でもあれば僥倖と言っていい部類だよ」
三割。これだけ大規模な組織が一心に働いてすら、保護の数字はその程度でしかない。
救われないその他大勢は、今この瞬間にも己の能力に怯えているのだろう。何が出来るわけでないにも関わらず、その事実だけが肩に重くのしかかる。
何もわからない暗闇に自分一人だけが投げ込まれる、その恐ろしさは多言を要しない。星屑が生まれ続ける理由も、星皇軍が星屑の根絶を第一義に掲げる理由も、朧げながら見えてこようというものだ。
……だが。それはそれとして。
今の会話において、明らかに引っかかる点がひとつ。
「地下、って聞こえたんだが。随分と含みのある言い方をするもんだな」
「……ああ、そうだね。そういえば地下のことについて、大した話をしていなかったかな」
聞こえた単語に耳聡く反応すれば、博士は珍しく苦笑を浮かべて頭を搔く。
聞き逃してやっても良かったのだが、現時点で既に山のような説明を聞かされているのだ。ここで取り零すくらいなら、まとめて一気に疑問を解消しておいた方がいい。
話しながら歩いていることもあって、目的地までにはまだしばらくの猶予がある。このペースで歩き続けるのならば、話題のひとつくらいは楽々消費できるだろう。
そもそも、だ。あまりに誰も触れないので忘れかけていたが、あの地下街は構造からして不自然極まりない。
どうせ厄ネタのひとつやふたつは埋まっているのだろうと思っていたが、ここまで匂わされると余計にキナ臭く思えてきてしまう。藪蛇だとは言うものの、そもそも突かなければ何も出てこないのだ。
「実はね——と言っても、薄々感づいていることだとは思うけど——ここの地下街も地上層も、日本星皇軍が用意したものじゃない。遥か昔、恐らくはこの国で星刻者のコミュニティが発生した時に作られた、いわば隠れ里なんだ。……というより、旧体制にあっては地下こそが本拠地で、地上は結界の監視スペース程度の扱いしかされていなかった。14年前、革命で旧体制が崩壊するまでは、ね。こう言うと聞こえが悪いけど、日本星皇軍は旧世代の遺産をそのまま使わせてもらってるってわけだ」
「旧体制、ねえ……宮殿跡地、ってやつと関係があるのか?」
「ああ、ご明察。数百年か数千年か、とにかくそれくらいの間、この世界は単一の家系によって支配されてきた。地下の社会があそこまで整備されているのも、日本星皇軍の発足も、元をたどればすべてが其処に行き着くんだけど——ま、その話はまたの機会に譲るとして。問題はまた別なところにある」
宮殿跡地、などというファンタジーな言葉を口にしたのは、確かいつぞやの樋笠だったか。毎度のごとく記憶をフル動員させて糸口を探し出すと、博士は肯定しつつ話を先に進めていく。
「大昔、旧体制の根本となるコミュニティが設立された時、当時日本中にいる星刻者がこの場所にかき集められた。以降何世代にも渡って、彼らはずっとこの場所で生き続けてきた——この隠れ里で、ずっとね。時たま野良の星刻者が外から流れ着くことはあっても、その逆はまったくなかったんだよ」
「血統、ってやつか? 確かに、そりゃ旧体制だ」
博士の言葉から浮かんでくるイメージに、どうにも息苦しい感覚がまとわりつく。
閉塞的で排他的、旧弊のしがらみに絡め取られながら生きていく。軽く聞いただけで浮かび上がるそのイメージは、とてもではないが宮殿などという煌びやかなものではない。どちらかといえば、それは山村の姿に近しいものだ。
「結果論的な側面もあるけど、端的に言い換えればそうなるだろうね。それで、ここからが重要な話なんだけど……星刻者は本来、ごく僅かな確率で発生する突然変異のようなものだ。ただしその確率は、ある程度は遺伝によって左右される側面もある。つまり——」
「……なるほどな。代を重ねるほど、星刻者が出やすくなるってことか」
「その通り。ぼくの言いたいことを理解ってきたじゃないか、雨宮くんも」
先んじて口を開けば、博士は共謀者を見つけたような表情でニヤリと笑う。いやちょっと、同類扱いしないで欲しいんですけど……。
素のテンションに戻ったのはいいことだが、それはさておいても同じ括りに入れられることにはかなりの抵抗がある。俺はまだ人間でいたいんですよ、あなたほど踏み外してはいないんです。
「旧体制にあっては、『星の力』の有無が人権の有無と同義だった。いくら血を厳選したとしても、子供が星刻者として生まれてくる確率なんてものは、例えるならばサイコロで狙った目を出そうとするようなものでしかない——だから、なるべくサイコロを振る試行回数を増やして、その上で望ましい目だけを更に掛け合わせていったんだよ。細い細い糸を、どうにかして手繰り寄せられるように、ね」
「……おかしくないか、それ。地下がどれだけの広さかは知らんが、土地には限りがあるんじゃないのか」
おそらくは空気を重くしたくない、という配慮からなのだろう。殊更に何気なく繕われた言葉は、しかしそれだけにひとつの事実を浮き彫りにする。
予感。背筋に走るそれは、あくまで推測の域を出ないものだ。
血の厳選。試行回数の増量。——そして、彼らがこの場所を出ることはなかった、という、簡潔に告げられた過去。それらを掛け合わせた結果、浮かび上がってきたものに過ぎない。
「ああ。君の考えていることは、紛れもない真実だよ」
だというのに。
どうして、嫌な予感というものは、ここまで的中してしまうのか。
その言葉に、何の感慨も込めることなく。
ただ淡々と、博士は事実だけを吐き出していく。
「無能力者として生まれてしまえば、その利用価値はふたつだけ。社会貢献か、実験素材か……いずれにも適合しなければ、速やかに終了されて終わり。そうして生まれたごく一部の星刻者だけが、限られた土地と資源を享受することを許される。そんな世界が、ほんの十数年前まで当たり前のように続いていたんだよ。おかげでこの地下世界には、普通なら考えられない密度で星刻者が集まってるってわけだ」
「……そんな体制、長続きするとはとても思えんが。反乱だのなんだのが起こって然るべきじゃないのか」
その体制に不満が噴出した結果が、さんざ話題に出されている革命なのだろう。その事実それ自体に、疑う要素はどこにもない。
だが。そんな無茶なやり口であれば、それ以前から不満を持つ人間が続出していたはずだ。いくら能力者の王国とはいえ、反乱が度重なれば疲弊は避けられない。国と呼べるほど大きなものではないにしろ、体制が瓦解することは自明の理だ。
「だろうね。でも、そうはならなかった。ほとんどの人間は、この状況に疑問を抱くことなく受け入れていたよ。無能力者と能力者を問わず、ね」
しかし。
閉ざされていた世界は、想像以上に狂った歴史を眼前に突きつける。
「誰も疑問を持たなかった。選ばれた者も、そうでなかった者も、ずっと偽りの楽園で暮らし続けてきた——唯一の例外、地上層にいた人間たちを除いて。その彼らでさえ、革命という行動に移ることができたのは、様々な外的要因があってのことなんだけど……まあ、その話はまたの機会に。今重要なのは、あの地下街には先住民がいて、そのほとんどが星刻者だった、ってことだ」
「……ひとつ質問。学院を卒業した人間が、地下街にそのまま住む例は?」
「毎年、それなりに。つまり、そういうことだ」
先住民。これ見よがしに含みをもたせた言葉の裏に何があるのかなど、わざわざ問い直すまでもない。
「世代間格差と言うべきかはわからないけど、今の地下街には二つの世代がいる。革命前の思想、血の貴さという認識をそのまま保持している世代と、外部から流入してきたより新しい世代。……前者にとって、日本星皇軍の存在は受け入れがたいものとして写っているはずだ。表立った声こそ上げていないけど、ぼくたちのことを決して好ましい目では見てはいないだろう」
「いらん火種を抱え込んでるんじゃないのか、それ。見えてる爆弾みたいなもんだろ」
「だとしても、だよ。それを理由に叩き潰せば、旧体制の二の舞だ。そんな愚かしいことはできないし、するつもりもない。……もっとも、これは大佐の主張の受け売りなんだけどね」
ぺろりと舌を出す博士にも、それなりに思うところはあるのだろう。
考えてみれば、星皇軍の上層部にこの「革命」の当事者がいたとしても、何ら不思議なことではない。まして坂本大佐ほどの地位にある人間ともなれば、どこかで必ず関係は持っているはずだ。
その上で。歪んだ歴史と、その後始末を押し付けられた上で——それでも。
それを過去にし、あるいは過去にしないための戦いを、日本星皇軍は請け負っている。
であれば。俺がここで言えることなど、何ひとつたりともありはしない。
「いやはや、こんな暗い話をするつもりはなかったんだけど。これ以上つまらないことで気を揉んでも仕方がないし、一旦この話はおしまいってことで……さあ、着いたよ」
馬鹿なことを考えている暇があるのなら、今日の本題に目を向けろと。
そう言わんばかりに、いつの間にか目的地が目前に立ち現れていた。
目前にて慎ましやかな存在感を放つ、サイズにしてコンビニふたつ分ほどのその建物。一度だけ訪問した——というより、ほぼ通り過ぎただけなのだが——その様相は、以前から変わらず寂れたままだ。
……が。一見して何の変哲もないこれには、ただ一点だけおかしな点が存在している。
「管制塔……で、いいんだよな、これ」
「もちろん。何か気になる点でも?」
「ああいや、そんな大したことじゃないんだが……いきなり目の前に出てきたら誰でもビビるだろ。何の仕掛けだ?」
研究棟を後にし、炎天の中をダラダラと歩くことしばし。
方向は中心部から正反対、進めば進むほど敷地の外れへと行き着くことになる。せいぜいが給水塔やら何やらの設備程度しかなく、視界を塞ぐような建物など存在しない。
……だというのに。何故この管制塔は、直近になるまで見えなかったのか。
直進するだけであれば、百メートルかそこらは楽に視界が確保できるであろう僻地。その道程で、突然視界のど真ん前に建物がニュッと立ち現れたのだから、驚くのも無理はないというものだ。
以前は夜闇の中だったために流していたが、こうして昼日中に経験すると不自然極まりない。例えるなら蜃気楼の逆パターン、一瞬にして霧が晴れた視界の如きである。
「ここの空間——つまり、内結界と外結界の合間の空間だけど——は、内結界の中からは見えないようにしてあるんだよ。ま、ハリボテとか書き割りみたいな感じの、カモフラ用システムだと思えばいい。今は内結界を抜けたから、見えるようになったってわけだ」
いくら入ってこられないのが分かっているとはいえ、星屑を見てトラウマを刺激される子もいるからね。そう付け足した博士は、俺の返事を待つことなく管制塔へと歩を進めていく。
「……内結界だの外結界だの、さっぱり意味がわからん」
「そのへんの話は、とりあえず中で。その道のプロもいることだし……何より、いい加減暑いし」
管制塔に立ち入る博士の足取りには、まったくもって迷いというものがない。
勝手知ったる人の家、という域すらも超え、ずけずけと母屋に押し入る親族のそれだ。というか結局暑いのか……白衣なんて着てくるからだろ。
「おじゃましま——っと、響ちゃん。終わった?」
「あと5分ほど。……ああ、雨宮さん、こんにちは。お話は研究顧問から聞いています。災難ですね、本当に」
「はあ……や、どうも」
管制塔、と。大層な名前を付けられている割に、その内実はイマイチパッとしていない。
確かに管制塔らしく、何らかの機器を操作すると思しきパネルのようなものはある。しかし、それは幾らかの例外を除いて、ほとんどが監視カメラの面倒を見るような程度のものだ。
言ってしまえば、機材のレベルは守衛室とでも言ったほうが正しい。加えて、奥に覗いている第二室の様相は、あからさまに仮眠室とでもいうべき様相を呈している。
勤務している彼らが星皇軍の制服を纏っていることも、より警備員っぽさが増す一因になっているのか。見てくれは完全に詰所というか、街の交番のごとしである。
……だが。
そんな環境にいても埋もれることのない、眉目秀麗な知り合いが一人。
「……あの、少佐はここで何を?」
「結界の整備です。定期的にやっておかないと、すぐに使い物にならなくなるので。大結界なら放置でも問題ありませんが、小結界ではそうはいきませんから」
流川少佐と呼ぶべきか、それとも響さんと呼ぶべきか。未だに呼び方が定まらない彼女が、何らかの作業を継続したまま口を開く。
少佐が相対しているのは、管制システムの傍に設置されている装置らしきもの。見ただけで他の機材とはレベルが違うと判るそれを前にして、彼女は複雑な操作を実行し、次いで手形認証でもするかのように掌を接触させる。
……ふむ。何をやってるのかさっぱりわからん。
話の流れから察するに、この機材も結界に関するものなのだろう。今日だけで何回結界って口にしてるんだろうな……ニュアンスでしか捉えていない単語をここまで連呼しているとなると、そろそろ頭がおかしくなってきそうだ。
「大結界と小結界ってのは、つまるところ外結界と内結界のこと。外結界は自動でシステムを維持し続けてくれてるけど、内結界はぼくたち……というか響ちゃんが後から設置したものだからね。当然、術者の維持管理なくして成立し得ないってわけだ」
「……内結界でも、小結界でもいいが。たった一人で管理できるもんなのか、それ」
「普通ならまず無理だろうね。学院から軍部棟、研究棟まで、この地上層をドームみたいにすっぽり覆ってるのが内結界だ。これを年単位で維持するとなれば、普通の術者なら間違いなくマナ切れで干からびてるよ——ある意味じゃ、大佐なんかよりもよっぽど替えの効かない人材だ」
「過大評価です。そも、これありきで成立しているものを前にして、独力で成し得ていると評価するのは不適当でしょう」
ことも無げに告げられたとんでも事実に対し、張本人の少佐はあくまで冷めた顔色のままだ。その余裕、大したことではないと言わんばかりの視線は、変わらず手元の機器に落とされている。
「……その機械、ですか?」
「ええ。これは、そうですね——有り体な言い方をするならば、「結界石」とでも言いますか。私のマナを溜め込んで、効率的に結界を維持し続けてくれるものです。要するに充電池のようなものですね。私はあくまで、技術進歩の賜物にあやかっているだけですよ」
「はあ……」
理解したような、していないような。
結界について未だ正しい理解は何ひとつできていないが、とにかく凄いということだけは分かる。本人は謙遜しているが、現にこれだけのことを成し遂げている時点で、その優秀さは説明するまでもない。
「こんな感じで一向に認めようとはしないけど、響ちゃんは名実ともに星皇軍が誇る結界師だ。なにせ、総本部に引き抜かれたこともあるくらいだからね——基本的に第二本部とはソリが合わない総本部からの評価がそれなんだから、わざわざ言うまでもないだろう?」
「その話はお断りしています。……この説明も、もう嫌というほど繰り返しているはずですが。それとも「厳重注意」をお求めですか、研究顧問?」
「……とまあ、こんな風にジョークのセンスもある。餅は餅屋ってわけじゃないけど、結界のことについて訊くなら、これ以上の適役はいないはずだと思ってね」
突き刺すような言葉をひらりと躱し、あくまでにこやかなまま話を進めていく博士。タコ殴りにされても自分のペースで話を進められるそのタフさ、客観的に見ても厄介なことこの上ない。
コレに鬼島大尉、極め付けに坂本大佐まで。第二本部の上層部、どう考えても問題児の寄せ鍋すぎるんだよなあ……。
結界の維持という大任を担う傍ら、第二本部の真面目な部分を一手に引き受けているのだから、その心労は察するに余りある。この若さで少佐まで昇進するのも、至極当然の成り行きだろう。
「……例の星屑を誘導するまでには、もうしばらくかかるそうです。私に答えられることであれば、その待ち時間くらいは何なりと。どのみち、暫くは身動きが取れませんから」
作業が終わったと思しき少佐が、視線を部屋の奥へと飛ばす。どうやら、話なら隣室で、ということらしい。
OKが出るとは思わなかったが、考えてみれば彼女は今まさに労働を終えた身だ。マナを一度に大量消費すれば、倦怠感が生じるのは避けようもない。
小結界とやらの維持にどれだけのマナが必要なのかは知らないが、決して少ないものではないのだろう。全力疾走でもした後だと考えれば、その疲労は察するに余り有る。
「よしよし、そうこなくっちゃね。じゃ、せっかくだし上物のお茶菓子を開けようか。えーっと、確かこの辺の棚に置いておいたはず……」
作業中の隊員もなんのその、博士は訳知り顔で奥へと進んでいく。
どうやら裏には、給湯室のような設備も完備されているのか。溜め込んだ茶菓子やら何やらを取りに行くその姿は、さながら冬眠から目覚めた熊の如しである。
……というか、ここは腐っても共通施設のはずなのだが。何で私物化してるんだあの人……。公民館か何かと勘違いしていないだろうか。
「行きましょう。台風に文句を言っても仕方がありませんから」
「……そうですね……」
さすが、年季が違う。割り切り方心得てるなあ……俺もこうならないといけないのだろうか。
……無理そうだな。この方向性はなかったことにしよう、うん。
第二本部最後の砦、流川響。彼女がギャグ堕ちした日が、第二本部最後の日になります。
次回は一週間後、来週日曜の夜に更新予定です。長々とした説明も一段落、次回は戦闘回になります。
……目算では前回と次回を合わせても一回で終わっていたはずなのですが。文字数、なぜ増えた……。
残り少ない第三部、どうかいましばらくお付き合いいただければ幸いです。
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