3-7/ツギハギ
前回のあらすじ
夢の内容、覚えていますか?
『ほい、スタンバイおっけー。そっちは?』
「ん。……問題、なし」
天井から響いてくる声に、目を閉じて小さく息を吸う。
脳裏に思い浮かべるのは、いつもと同じ寂れたロッカールーム。ただ一言、魔法の呪文とともに竜頭を押し込めば、それだけで段違いの力が溢れ出す。
「制限解除——1番から4番、問題なし。……っ、5番、よし」
視界が揺らぎ、指が震える。僅かでも気を抜けば、その瞬間に制御が追いつかなくなることは必定だ。
昨日までは空だった5つ目のロッカーに、確かに仕舞い込んだ一冊の本。それを手に取った瞬間、明らかにそれまでとは違うものが紛れ込んでくる。
アクティブにした能力はひとつもなく、ただ元栓を緩めただけ。その段階でこのありさまなのだから、まったくもって先が思いやられるのも仕方がない。
「5番、展開——っ」
くらくら、と。
意識の末端で、火花が鮮やかに散る。接続したばかりの5本目の回路は一切馴染むことなく、簒奪者に抵抗するがごとく暴れ狂う。
本来の持ち主でない人間が、能力を強引に使用する。訓練に訓練を重ね、針の穴に糸を通すようなコントロールを習得した状態でさえ、その制御は困難を極めるものだ。
……で、あるのなら。
奪ったばかりの能力を初めて使う危険性など、わざわざ言葉にするまでもない。
「っ、ぐ……ぅ、っ……!」
食いしばった歯の奥から、言葉ですらない何かがこぼれ落ちる。
押さえつけようとすればするほどに、殴りつけるような鼓動が加速していく。急速に消える平衡感覚に耐えきれず、くの字に折った身体が悲鳴を上げた。
『……ったく、なーにが問題なしなんだか。はい、じゃあ5分休憩ね——ほら、立ってないで座った座った』
「……そこ、は……今日は、これで終わり、って……言うとこじゃ、ない?」
『んなこと言っても意味ないでしょ、どうせ終わりにしないんだから。言われて素直にやめとく奴なら、こっちももっと気が楽だっての』
息も絶え絶えに吐き出した言葉は、しかしあまりに適切な評価に封殺されてしまう。
座るどころか全身を投げ出し、えずく喉を押さえ込んで深呼吸をひとつ。恥も外聞もなく冷たい床に転がれば、ようやく熱暴走しかけた身体の感覚が戻ってきた。
『やっぱ昨日の今日じゃ厳しいでしょ、どうせ睡眠もろくに取ってないんだろうし。個人としても、星皇軍の人間としても、大人しくやめといたほうがいいって注進しとくけどね』
「はは……慧眼ですね、鬼島大尉」
『あれ、他人をおちょくる余裕あるんだ。んじゃ今すぐ再開するべき?』
「……あと3分」
天井から響いてくる声に、殊更に軽薄な反応を絞り出す。こうしているうちに呼吸が整ってくるのだから、軽口もあながち捨てたものじゃない。
もちろん。大尉の言葉が本心からのものであることも、軽く流すべきではない類の話であることも……重々、承知しているつもりだ。
能力の試運転と言えば聞こえはいいけど、その危険性はご覧の通り。アクセルを踏み込む前から事故になりかけるなんて、僕がドライバーなら免停待ったなしだ。
性質から制御のコツまで、能力のひとつひとつがまるで別物の性質を持っている。船の操作方法を必死に覚えたところで、別の能力では飛行機の扱い方を要求される……といえば、その複雑さも少しは表現できるだろうか。
それなりに人間を殺して、その度に同じようなことを繰り返してきた。少しは慣れた頃かと思ったのに、相変わらず初見の能力制御には手も足も出ない。
今までの経験を踏まえた上でこれなのだとしたら、いよいよもって救いようがない。5回目の今でさえこの惨状とあっては、完全な制御など夢のまた夢だろう。
『あー……これ? ……じゃないな。これか?』
「……何してんの」
『いや、使ったことない機能とか試してみたくなるもんでしょ。背景設定、環境設定っと……お、これか』
「え? ——うわ」
へたれている僕をよそに、ぽちぽちと機材を弄る鬼島さん。
なまじマイクの精度がいいおかげで、音だけでも何をやっているのかおおよそ把握できてしまう。天井から響いてくる雑然とした音声に呆れていると、風景が一瞬にして野外のものへと変わっていた。
『ほー、こうなるのね……これがジャングルで、こっちが砂漠? はは、おもろ』
「……あれだけ訓練室に入り浸っておいて、知らなかったの?」
『使っても市街戦くらいだって。野外戦闘の訓練なら、それこそ遠征関連のほうがよっぽど経験積めるのよね』
「あぁ……そういえば、夏のはそろそろだっけ。実地の練習もするか、そりゃ」
適当にいじくり回される設定に合わせ、背景が目まぐるしく変化していく。
完全に興味本位で環境を変えられるのだから、こちらからすればたまったものじゃない。凍土から砂漠に放り出されるこちらの身にもなって欲しいんですけど……動物だったら間違いなく絶滅してるよ、これ。
……まぁ。付き合って貰っている身で文句なんて、間違っても言うべきじゃないんだけど。
人を殺して、能力を奪った。それがいかに受け入れがたいことだとしても、それが紛れも無い事実であることに変わりはない。
であれば。そこで立ち止まることこそ、これ以上ない怠慢だ。
奪い取った能力を、理解し、使いこなす。坂本さんの言う通り、それが僕にできる最大限の葬いなのだから。
こんな仕事をしている以上、命の危機は必ず訪れる。いつかその能力が必要とされる場面が来たとき、力不足を後悔するほど情けないこともない。
能力を死蔵していたから、何もできずに死んでしまいました——なんて。
そんなもの、彼らに対する、この上ない冒涜だろう。
彼らの命を奪った僕には、その分まで生きなければならない義務がある。その義務を果たすために、僕に立ち止まっている暇なんてない。
『なんなら今日も絶賛演習中よ? 大佐はそっちにいるし、流川は流川で忙しいし……滝川は、まあ、バカやってるだけだと思うけど』
「……滝川さんだって色々あるんでしょ。仕事、最近忙しそうだし」
『いーや、今日に関しては完全にクロだね。絶対趣味に走ってるぞ、アレは』
この人、同期に向かってなんてことを……。この立場の差に一切拘泥しない点、清々しいくらいに第二本部の空気感だ。
アットホームと言うべきか、身内のノリが強いと言うべきか。ここだからこそ許されてるけど、他本部じゃ間違ってもこうは行かないだろう。
もちろん、言うまでもなく。その恩恵に一番与っているのは、他でもない僕自身だ。
「…………はぁ……」
僕の能力が機密である以上、公衆の面前でおいそれと曝け出す訳にもいかない。使いこなす云々とは言ったけど、能力を試し撃ちすることすら細心の注意を払わなければならないのだ。
僕の事情を知っているのは、坂本さん以外には鬼島さんと響さん、そして滝川さんだけ。当然のことながら、その全員が重要な立場と責務を抱えている。
上層部の人間をこちらの都合で動かした上、メンテナンスと偽って本部のトレーニングルームを借りきって。そんな環境で訓練をしているのだから、職権濫用と言われても仕方がない。特別扱いどころか、もはやコネの大盤振る舞いだ。
普段は滝川さんの監視のもとやっているんだけど、どうやら今日に関しては先約があるらしい。真面目に仕事をしているのかは置いておくとしても、おかげで戦闘訓練には欠かせない大尉まで動かすことになってしまった。
遠征を前にして忙しいはずだろうに、こうして協力してくれる鬼島さんには頭が上がらない。こうして自分に割かれている労力を意識するほどに、小さな仕事ひとつ満足にできない自分が恨めしくなる。
——だからこそ。ここでいつまでも、甘えてばかりはいられないわけで。
「……よし、休憩終わり。続き、やろう」
『あり、もう? どうせまたぶっ倒れるのがオチだろうに……んで難易度は? 時間無制限のデスマッチ?』
「……いや。通常ルールで。市街地マップでランダム出現、強さは4か5くらいで——なんなら多対1でもいいんだけど」
『え、マジ? 飛ばすねえ……んじゃ、いっそ俺も混ざるか』
軽口を叩きながらも、鬼島さんはオーダー通りに設定を弄っていく。ふらつきながらも立ち上がる頃には、目の前に広がる樹海は一瞬で姿を変えていた。
入り組んだ街路に居並ぶ一軒家、そして規則的な感覚で立つ街灯。シミュレートされた住宅街のモデルは、星皇祭で使用したフィールドと同じものだ。
「別に混ざってもいいけど、能力吸っちゃうかもよ? 誉ある日本星皇軍の大尉が訓練で討ち死にとか、シャレにもなんないと思うけど」
『ほほほ、よく吠える犬ですこと……んじゃ、接触判定はオフにさせていただきますわよっと。そーれ、気張れー』
「えぇ……そんな機能あったの……?」
環境設定を知らなかった割には、やたらとニッチな機能を知っているらしい。どうにも気の抜ける掛け声とともに、試合開始の合図が告げられる。
そもそも仮想空間みたいなものなんだし、能力の吸収なんてできっこないんだけど。雑な茶番にそれでも付き合ってくれるあたり、鬼島さんも鬼島さんで上司の器だ。
『選択マップA、エネミー設定レベル5〜7、タイプ設定ランダム。エネミーの同時発生上限が3体に設定されました。エネミーの追加数は無制限です』
「……え、なにこの設定。キツくない?」
『自分で言っといてそれはないでしょ。ほれ、来るぞ』
……あぁ。やっぱり、余計なことは言うべきじゃなかったのかもしれない。
調子に乗って任せていたら、どうやらとんでもない設定を組まれてしまったらしい。このレベル帯での連戦、しかも制限付きとはいえ増援ありとか、正規軍人でも八割は音を上げること間違いなしだ。
「——5番、展開」
たった一言。魔法の呪文を唱えれば、それだけで何かに追突されたかのような衝撃が身体に走る。
ようやく収まってきた動悸が、またしても乱暴な動きで早鐘を打つ。暴れ馬のようなそれを強引に押さえ込めば、宙吊りになったかのように視界が揺れ動いた。
「っ…………まだ……!」
『そうそう、その調子その調子。死ぬ気でやんなきゃ、どうせ死なないんだしさ』
……ああ、そうだ。たかが訓練のひとつで、引き退ってなるものか。
いくら死ぬ気でやったところで、本当に命を失った人間の苦しみには足下にも及ばない。たとえ血を吐く思いでやっても怪我ひとつ負わない、そこにこそ訓練の意義がある。
殊更に挑発するような言葉が、軋む思考を焚きつける。ふらつく視界に構うことなく、そのままの勢いでアクセルを全開まで踏み込んでいく。
乗り方がさっぱり分からないのなら、手当たり次第に試してみるだけだ。ハンドルもブレーキも、こうして操作する中で見つけていくしかない。
『制限時間は30分です。シミュレーションを開始します』
鳴り響くアナウンスとともに、フィールドのどこかにエネミーが出現する。
今回の相手は人型、つまるところ星刻者のNPC。最低でもレベル5となれば、星皇軍の名に恥じない程度の実力は覚悟しておくべきだろう。
敵は3体。もたもたしていれば、瞬く間にこちらまで到達されてしまう。一度囲まれたが最後、袋叩きに合うのは自明の理だ。
「っぐ……こ、の——!」
対象能力はへび座。能力の詳細は自己修復。能力者の名前は、大宮亜里亜。
使いこなせ。頭も体も全て使って、この暴れ馬を統御しろ。
責任から逃げないために。この力を、然るべき場所で振るうために。僕がやるべきことを、今ここでやらなければ。
——でなければ、僕は。
彼女に顔を向けることすら、できなくなってしまう——!
「これ、で…………っ!」
千々に散らばった水流が、一箇所に統合されていくように。
自分の中で荒れ狂う力の流れが、ひとつところに収束する。秩序のない記号の羅列が組み替えられ、脳内で確かな意味を持った文字列へと変わっていく。
——いける、と。
目の前でちらつくのは、その先を指し示すか細い糸。それを掴み取ろうとした瞬間、戦況は見計らったように動き出す。
「「————!」」
屋根の上と、折れ曲がった道路の向こうから。ほぼ同時に僕を捕捉したNPCが、狩人のごとき挙動で距離を詰めてくる。
このままでは挟撃、それも高低差付きの超ハードモードだ。咄嗟に迎撃に移ろうとするものの、もつれた足は言うことを聞こうとしない。
正面の相手、およそ2秒後に最接近。屋根の上に立つ相手が、明らかに遠距離用と思しき投槍を構え——
「…………っ!」
そして。
着弾——その瞬間、道路が爆ぜた。
能力の恐ろしさを十全に示すかのごとく、アスファルトの地面が柔らかな土のように抉られる。爆風と熱波が顔に吹き付け、細かな礫が肌を打つ。
『おお、よく避けた』
……まぁ、より正確に表現するのなら。
木っ端微塵に爆砕したのは、「1秒前まで僕が立っていた」地面なわけだけど。
空色に偽装された天井から響いてくるのは、思いもかけないと言ったふうな感嘆の声。
立ち込める土煙と、大きく形を変えた道路の中心で。あわや直撃しかけた正面のNPCが、攻めの姿勢を維持しきれずにたたらを踏む。
「なる……ほど。自己修復って、こういう、感じか」
身体が、動く。
今まで言うことを聞かなかった肉体が、何の問題もなく自由自在に——
ではなく。
ふらつく足も、瞬く視界もそのままで。
不調を強引にねじ伏せるだけの脈動が、体の内から溢れ出していた。
『ま、言うなればドーピングみたいなもんだ。回復とは似てるようで、その実根本から違う——動かないものを治して使う、ってよりは、強引に動かしてると思った方がいい』
「……道理で。自分にしか使えないわけだよ、それ」
回復と同じだと思っていたけど、どうやら認識を改める必要があるらしい。
回復系の能力が風邪薬なら、さしずめこちらはエナジードリンクといったところか。再生というか修復というか、とにかくこの手の能力はやけに戦線復帰が早いのが疑問だったけど、エナドリをがぶ飲みしているものだと思えばそれも納得だ。
『自己修復からの自己改造ってのも、ドーピングの極致としては割とそれっぽいでしょ。これ考えた昔の人、間違いなくキメてたんじゃない?』
『えぇ……なにそれ。モンスターキメてる奴が本物のモンスターとか、そういうオチ?』
適当に今考えたことを口に出せば、鬼島さんはツボに嵌ったのか大笑いしている。そんな面白いかなぁこれ……そもそも昔にエナドリなんてものがあったら、それはそれで大騒ぎだ。
「それより、これってレベル6とか? 初手から挟み撃ちとか、ちょっと酷すぎると思うんだけど」
『どっちもレベル5だっての。ちなみに今東から来てるのがレベル6、あと10秒で有効射程だってよ。どうする?』
「っ——どうする、じゃない……!」
せめてあと少しくらい、コンディションを整えさせて欲しいんだけど。そんな願いが聞き届けられるはずもなく、無情にも状況は悪化していく。
晴れゆく土煙の中、目前に立ち塞がる二人のNPC。さらに上級の一体が追加されるという事実に、うまく働かない頭が警鐘を鳴らす。
「……あぁもう……っ!」
未だふらつきが残る足と、それを補って余りあるほどに漲ってくる活力。地面を蹴り飛ばして相手の懐に飛び込めば、数歩後ろの道路が演出さながらの制度で爆破される。
明らかに本調子でないにも関わらず、身体能力は鋭敏そのものだ。なんなら想像を超えた出力が返ってくるのだから、少しでも油断すれば逆にやり過ぎそうになる。
制御自体はなんとか形になったけど、扱いに習熟するには経験を積む以外にない。自己改造という高等技術はおろか、神器の開放すらまだまだ先の話だ。
能力の感触を掴むためにも、今回は素手で戦うしかないらしい。触った瞬間にゲームセットにならないのは僥倖だけど、おかげで真っ向から肉弾戦を挑まなければならなくなってしまった。
「ここで、まず一人……!」
何もしなければ、あと数秒もしないうちに囲まれる。だったら多少無理をしてでも、包囲網を突破するのが先決だ。
反応しきれない相手の鼻っ面に、沈み込んだところから掌底を一発。ふらついたその腕を引き寄せ、そのまま逆方向へと蹴り飛ばしてやれば、追い討ちのように飛来した遠距離爆撃が炸裂する。
仮にこれが実戦だったら、彼は今頃粉微塵だろう。NPCだからこそ躊躇なくやれているものの、気を抜けばもしものことを考えてしまいそうになる。
『ナイスショット。ほれ、考えてる余裕なんかないぞ』
「……っ、分かってる、よ……!」
だから、気を抜かない。
大宮亜里亜が何をして、最後に何を思ったか。僕には結局、その感情を推し量ることしかできやしない。
僕がやるべきは、この能力を完全にものにすることだけ。それが今必要なことで、今求められていることだ。考えなくていいことを考えられるほど、僕に余裕があるわけもない。
だって——そのための戦闘で、そのための訓練で。
そのための、仕事、なのだから。
……まぁ、でも。
それはそれとして、難易度的な意味では言うまでもなく——
「……キッツい、んだけど、これ……!」
『おーおー、頑張りたまえよ若人。ちなみに10体倒すと、俺モデルのモブが出てくるように設定しといたから。結構強いぞ?』
「いら、ない……!」
なんでそんな無駄機能ばっかり……やっぱり変なオーダーとかつけるんじゃなかった……!
鬼島仁、ワンチャン全力モードの魚見と戦えるかとワクワクしていた模様。なお、結果は……。
次回、例によって来週日曜更新です。たぶん俊パート、説明ばっかしてくるあの人も出る見込み。
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