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その道の先に  作者: たけのこ派
第三部/夏休み編
81/126

0-02/夙夜夢寐

過去が人を作る。

『不登校の生徒……?』


『ああ、そうだ。……恐らくは、もう長くない』


 深く、深く。

 意識が引き込まれる空間は、嫌というほど見覚えがあるものだ。

 声が反響する。僕がいることを意にも介さず、目の前で「僕」と坂本さんが話し合っている。


『長くない、って——』


『そのまんまの意味だと思っていいぞ。カウンセラーも頑張ってるみたいだが……その上で、()()()()だ』


 まあ、それも当然といえば当然かもしれない。

 今のこの景色も、これから起こることも。そのすべてが、僕の経験を反芻しているだけなのだから。


 そう。これは夢だ。


 分かりきっている結末に僕を導くだけの、最高に無力で滑稽な映像。「過去」であるはずの映像は止まることなく、「今」となってこれでもかというほどに無力感を叩きつけてくる。

 この先を見たところで、楽しいことなど何も待っていない。忘れもしない生傷を抉られ、また憂鬱な気持ちで目を覚ますことになるんだろう。

 どうしようもないし、どうにもできない。擦り切れるほど再生された記憶を、もう一度特等席に縛り付けられて見ることのどこに、楽しいと言える要素が存在するというのか。


「……っ」


 ああ、そうだ。嘘偽りなく、本心からそう思っているはずなのに。


『……もうダメなのなら、僕の能力も意味がないはずだけど』


『いいや。辛うじてだが、対象はまだ人間の領域に止まっている。時間の問題であることに変わりはないが……今ならまだ、お前の能力で「処理」することが可能ってわけだ』


 ——どうして、この映像は止まってくれない?


『……引き返すことはできないの? もう、何をしても?』


『さあな。俺も直接話したわけじゃないから、断言することはできん。同じ学生のお前が介入し続ければ、あるいは何かが変わるかもしれんが——悠長に奇跡を待てるほどの時間はない、ってのは確かだ』


 ……いいや。

 そんな理由(もの)、最初から分かりきっている。


『お前は前に言ったな。彼らが獣に落ちる前に……完全に終わってしまうその前に、その手で終わらせてやりたいと。引き合いに出すわけじゃないが、今はまさしくその言葉通りの状況ってわけだ』


 僕が——僕自身が。この先に待つ光景を見るべきだと、そう望んでいるからに他ならない。


『今この時点においては、間違いなくこれが最善手だ。お前の思惑がどうであれ、これを実行に移せる能力者は、お前をおいて他にはいない。言うまでもなく貧乏くじ、一番損する役回りだろうな』


 あえて情に訴えず、端的に並べ立てられた事実の数々。問いかけるようなその瞳が、過去の「僕」を通り越して今の僕へと突き刺さる。

 辞めてもいい。引き返してもいい。「この瞬間」、仮に翻心(ほんしん)していたとしても、坂本さんは何も言わなかったはずだ。

 どれだけ特異な能力を持っていようと、固い決心を抱いていようと、所詮は中学生の戯言だ。他人の命を背負う重みがどんなものかなんて、今の僕ですら受け止めきれていないのだから。

 加害者となることに、僅かでも気後れするのであれば——分不相応の重圧と責務を抱いて、それでも進み続ける覚悟がないのなら。今すぐここで引き返せと、言外にそう告げている。

 今にして思えば、坂本さんは僕を止めたかったのかもしれない。僕がこうして、無様に思い悩むことを見透かしていたからこそ、あえてきつい現実を突きつけていたんだろう。


 ……もし。もしも、だ。


 決断を下すこの瞬間に、もし戻れたとしたら。あるいは、今の僕の姿を、当時の「僕」が目の当たりにしたとすれば。

 その時導かれる答えは、今とは違うものになるのだろうか。

 後悔に(まみ)れ、救えなかった人間と同じ数だけの(とが)を背負って。無力感に(さいな)まれ、懊悩(おうのう)するこんな僕を見て——それでも「僕」は、同じ答えを返せるのだろうか?


「……そんなもの」


 この夢を見るたび、無意味な仮定を抱く。

 分かっている。こんな悩みを抱くこと自体が、決断を(はずかし)めることになるのだと、嫌という程に理解している。

 悩み苦しむことこそが人間である証だと、どこかで誰かが言っていた。()()を殺して回っている僕が誰よりも人間らしいのだとすれば、これほど滑稽なこともない。

 過去の決断なんて、タイムマシンでもなければ覆しようもない。よしんば過去に戻れたとしても、なにも変えられないことなど目に見えている。

 確かなことはたったひとつ。少なくとも、この時の僕は——


『……やるよ、その仕事。最初から、僕がやりたいって言ったことだから』


『……そうか』


 確かに、己の意志で。そう、口にしたのだ。


# # #


 土田(つちだ)佳蘭(から)。僕が任務を受けて処理した「人間」、記念すべき第1号が彼女だった。

 随分と記憶に残る名前だ、などと。こんな状況でもなければ、そんなふうに呑気な感想を抱いていたのかもしれない。

 僕たち学生にとって、たった一年の差は天と地ほどに大きい。分けても中学に上がりたての一年生ともなれば、二年生というだけで畏怖と尊敬の対象になることだってできる。

 そして。その大きな隔たりは、当時一年生だった僕にとっても例外ではなかったわけで。

 二年生の土田佳蘭は、その名が示す通りキラキラとした人物だったらしい。何事もなく日々が過ぎていれば、彼女は(まか)り間違っても僕がお近づきになれるような人種ではなかったんだろう。

 「充実した学生生活」の体現者。青春を謳歌し、今を楽しむ理想の学生の亀鑑(きかん)。これが普通の学園であったのなら、遠目から様子を眺めるだけの関係性に終始し、それ以上のことなど望むべくもなかったはずだ。


 でも。とても残念なことに——この星皇学院(がっこう)は、普通の学校ではなかったのだ。


 中学の時点で星皇学院に在籍している。その事実が何を意味するかなんてこと、この世界に身を置いている者ならすぐに理解が及ぶ。

 暴発などと俗称される、適正年齢前の能力覚醒。それが引き起こされるためには、生命の危機に直面することが不可欠だ。


 事故、事件、災害。事情は様々でも、共通点は皆同じ。


 あわや落命しそうなほどの状況に立ち遭いながらも、幸運にも命を拾った者たちの。あるいは、命を落とすことが許されなかった人間たちの寄せ集めが、この学院の中等部だった。

 人間の心は、それほど強くはできていない。大人ならいざ知らず、それが中学生程度であればなおのこと。

 ある者は表面を取り繕い、ある者たちは寄せ集まって傷を舐め合う。奇跡的に新しい環境に適合できた者もいれば、頑なに心を閉ざして他者を拒絶する者もまた存在する。あまりにも歪なコミュニティが、学校という小さな枠の中に押し込められている。


 ……結論から言うと。土田佳蘭という人間は、後者だった。

 

 どこにでもよくあるような、珍しくもない不幸な事故。それに巻き込まれた日から、彼女という存在は原型が残らないほどに変わり果ててしまった。

 社交家だった性格は見る影もなく、反転するかのように極度の人間不信へと。内向的、という言葉では説明できないほどに、心を閉ざして殻に閉じこもった。

 いくらメンタルケアを専門にしている職員といえど、本人の意思抜きに立ち直らせることなどできようはずもない。際限なく悪循環に陥る彼女を前に、できることは無力感を噛みしめることだけだった。

 もちろん、僕がその場に直接立ち会っていたわけじゃない。それでも、渡された資料やカウンセリングのレポートに目を通すだけで、その時の映像が克明に浮かび上がってくる。

 精神の継続的な失調は、言うなればカビの温床のようなものだ。

 「よくないもの」が蔓延(はびこ)り、その結果として被害が加速度的に増大していく。悪質なスパイラルに一度(はま)ってしまえば、抜け出すのが至難の技であることは言うまでもない。

 次第に不登校気味になる彼女は、着実に『星の力』に蝕まれていた。精神を侵食する微弱な自我に対し、抵抗する気力もなく肉体を明け渡してしまっていた。


 それがどんな結果を招くかなど、今更改めて問うまでもない。


 もうダメだ、と。坂本さんが口走った言葉の意味を、僕は身をもって知ることになる。



『……失礼します』



 記憶の中の「僕」が、部屋のチャイムを押す。

 一回、二回。当然、どれだけ待っても返事が返ってくることはない。

 このままここで待っていても、(らち)が明かないのは自明の理だ。となれば不作法を承知の上で、部屋の内部へと押し入るしかない——目の前にいる過去の「僕」は、確かそんなことを考えていたはずだ。

 意を決し、握ったドアノブをぐっと押す。電子ロックもチェーンも機能していないことに驚きながら、「僕」は部屋の中へと一歩を踏み込む。


 そして。

 部屋の中心にいる、()()を目の当たりにした。


『——っ』


 息を呑んだのは、その在りように対してではなく。

 己の想像が甘かったことを、明確な形で痛感したからに他ならない。

 それは確かに、明確なヒトの形を保っていた。人間か人外かと問われれば、10人中10人が人間だと答えるだろう。

 ……でも、それだけ。本当に、「それだけ」だった。


 彼女は——土田佳蘭は。塞ぎ込むでもなく、ヒステリックに喚き散らすのでもなく。


 ただ、静かに佇んでいた。


 物が散乱している部屋であれば、どれほどよかったことだろうか。彼女が生活した跡が見て取れるのなら、まだ希望はあると思うことができたはずだ。

 でも。その部屋にあるのは、必要最低限の荷物だけ。いや、それすらも、満足に荷解きなどされていない。

 無造作に積み上げられたダンボールは、引っ越しの日からまともに触られた形跡がなく。わずかに使用されたと思しき物品の類ですら、既に埃を被っている。

 無許可で入り込んだ侵入者に対して、彼女は反応のひとつも返さない。ただ部屋の中心にじっと座り、定まらない眼で虚空を眺めているだけ。

 生気が感じられない、などという生易しい次元ではない。不自然な自然として定義するのなら、まだ死体の方がよほど()()()と思えるほどだ。 

 とっくの昔に電池が切れ、そのまま誰からも忘れ去られたかのような。壊れてバネが飛び出た、ありふれたブリキ人形のイメージが脳裏によぎる。


 それは、まだ人間であるだけのモノ。

 あらゆる人間性を捨象(しゃしょう)すべく、彼女を構成するすべてを丹念に(ふるい)にかけて。その網に最後に引っかかった、「人間」の搾りかすとも呼ぶべきものだった。


『あの——』


 声を上げたのは、任務を遂行しようという殊勝な心からではなく。

 ただ単に、その在りように耐えきれなくなったからだ。

 何もない、空っぽでがらんどうな(うつろ)。あまりにも直視するに耐えない姿を前に、つい、そう言葉をかけてしまった。


 ……その行動の是非を、どちらか一方に断言できる根拠はどこにもない。


 少なくとも、真に職務に忠実な人間足らんとするのなら、声などかけるべきではなかった。状況を確認し、速やかに「処理」に移るべきだったんだろう。

 ただ、他人より少しばかり特殊な能力を持っているだけ。いくら覚悟などと口にしたところで、所詮は世間知らずな一人の中学生でしかない。

 軽はずみなその行動が、何をもたらすか。

 経験も直感もない僕には、まるで想像が及ばなかったのだ。


『………………あ————』


 声が、漏れた。


『あ   ぁ あ       あ——』


 確固たる意志も、明確な言葉もない。

 切れ切れに発せられるのは、意味のかけらもないただの音声のみ。どれだけ注意を払おうが、そこに規則性を見いだすことなどできるはずもない。


 ——でも。この瞬間、僕は引き返せなくなったことを悟った。


 空っぽのまま、終わらせてあげるべきだったのかもしれない。

 どれほど空虚でも、見るに耐えないものだとしても。それは確かに、彼女にとっての安息には違いなかった。

 何もないはずの空間が、しかし外部に存在するものから「ドーナツの穴」と定義づけられるのと同じように。土田佳蘭という虚無は、僕という外部からの干渉によって、純然な虚無足り得なくなった。


 彼女は——かろうじてまだ、「彼女」と呼べるだけの存在は。


 ようやく僕の存在を認め、そしてこう言った。



 “……ああ”



 “もう、いいんだ”



「……っ」


 分かっている。これは過去だ。

 どれだけ違う未来を夢想しても、その選択を変えることなど(あた)わない。僕にできるのは、ただ目の前の光景を眺め続けることだけ。


 そして。それは、この時の僕にとっても変わらない。


 その瞬間、彼女は確かに笑っていた。

 自分をずっと縛り付けていた何かから、ようやく解放されたかのように。ようやくやってきた「お迎え」に、待ちわびていたと言わんばかりに笑顔を返す。

 きっと、彼女は理解していたんだろう。僕という存在に課せられた役割を、自分の身に訪れる運命を——僕の姿を認識した、文字通りその瞬間に。


 対照的に、僕は何も知らなかった。

 彼女の言葉の理由も、その表情に宿る意味も。


 命を取りに来た悪魔だと思われたのか、それとも新しい世界へと誘う天使を見出したのか。彼女の瞳に自分自身がどう映っているかすら、何ひとつ足りとも理解していなかったのだ。

 僕にできることは、最後の最後に残った結果を甘受することだけ。土田佳蘭という人間が、どのような過程を経てここへと至ったのか、それすらも知り得ないままに終わらせることのみ。

 何も知らない死神が、全てを理解した生者の命を刈り取っていく。いっそ愉快ですらあるその対比は、出来損ないの寓話のようだとすら思えてしまう。


 ……だから、なのかもしれない。

 止まることのない思考が、()()()へと流れ着いてしまうのは。


『……もし』


 もし、仮に。

 もっと早くから、彼女(あなた)と関わっていれば。彼女を知ろうとして、手を伸ばしていたのだとしたら。


 土田佳蘭という人間が、こんな最期を辿(たど)ることもなかったのではないか——と。


 あり得ない仮定であることなど、もとより嫌という程に承知の上だ。

 学院のみならず、専門のカウンセラーまでもが総出で彼女を救おうとした。それでも変えられなかった結果を、僕一人で覆せるなんて考えること、それ自体が既に烏滸(おこ)がましい。

 それでも……それでも、だ。


 万にひとつでも、救えた可能性があるかもしれないと。そう考えてしまうのは、果たして傲慢なんだろうか。


 何かを変えられるかもしれない能力と、それに相応しいだけの立場があるのだとしたら。

 ()()としての抑止力が、()()として戦おうとするのは、間違っていることなのか?


『——くそ、っ』


 記憶の先で、「僕」が呻く。終わらせなければならないモノを前にして、未だに踏み出すことができないでいる。

 知っている。繰り返されるその都度、目前に突きつけられるその疑問(ユメ)こそ、僕を苛み続けるものの正体だ。

 僕の仕事、僕なりの戦い方。その自覚をしたのはこれより前でも、それを使命として己に課したのは、紛れもなくこの事件がきっかけだったのだから。

 そして、だからこそ。再三に渡って、己自身が問いかける。


 ——(おまえ)は、ただ。あの人の死を、無意味なものにしたくないだけなんだろう?


『……ロック、解除』


 いくら耳を塞ぎ、目を閉ざそうと。心のうちから生じたその問いを、無視することなどできるはずもない。

 

 伸ばされた「僕」の手が彼女に触れる。吸い上げられた生命の重さが、「僕」の感覚を通じて僕の中へと流れ込む。


『…………』


 何度この夢を見ても、終わるのは決まってこの場面だ。

 己の意思で決断を下し、己の意志でヒトを殺して。その果てにあるはずの解答には、何度やっても辿り着けない。

 どれだけ綺麗事を並べても、結局はそこで手詰まりだ。自分自身の過去にすら、向き合うことを避け続けている。

 ——そんな人間が、誰かを救おうとすることなど。

 それそのものが、何よりも烏滸がましいことを知りながら。


「あぁ——くそ」


 最後まで上演された映像は、何の前触れもなくぷっつりと途切れて消える。


 「答え」は、今日も出ないままだった。

次回、時系列が戻って現在へ。彼の「お仕事」の詳細について、次でかなり明らかになるのではないでしょうか。


次回は来週日曜、23時ごろ投稿予定です。変更等あれば都度告知いたします。


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