3-3/チェンジ・ヒロイン・ワールド
分割二話投稿の後編です。炎天下に若人ふたり、何も起きないはずもなく……。
なんかいい感じで終わったと思ったそこの貴方。安心してください、まだ続きますよ。
二人で食卓を囲み、久方ぶりの家族団欒に興じたのが8時過ぎ。時間の流れというのは速いもので、外出の準備を整えているうちに小一時間が経過してしまった。
駄姉の言葉を借りるわけではないが、今日は一週間の疲れを癒す安息日である。普段の俺であれば、洗い物と洗濯だけしてゴロゴロとしているところだが……生憎と、今日は昼過ぎに予定が入ってしまっている。
軍とは関係の無い、あくまで私的な呼び出しではあるが、万が一にも二度寝などして遅刻しようものならシャレにもならない。覚醒状態を維持する上では、約束の時間まで外で行動していた方がよほど確実というものだ。
と、いうわけで。読書でもして時間を潰すべく、学校の図書館へと足を運んだのだが——
「もちろん閉まっていますが。掲示を確認していなかったのですか?」
「知らんし……」
閉まってた。ぴえん。
蔵書整理か、それとも施設のメンテナンスか。いずれにせよ、今日に限って図書館は休館という次第らしい。
平時なら土日であろうと朝一から開いているため、てっきり年中無休だと勝手に思い込んでいたが……よくよく考えれば、図書館が年中無休のはずがない。理屈も何も、俺が悪いの一言で済ませられる話なのだが……何なんだろうな、この敗北感は。
……というか。それよりも、だ。
「じゃ、何で居るんだ」
「散歩です。休日に散歩することがそんなにおかしいですか?」
「おかしいとかじゃなくてだな……」
いや、おかしい点もそこかしこにあるんだが。むしろ多すぎて突っ込みきれないというか……うん、前にもやったなこの流れ。
が、しかし。以前までのやりとりに比べても、今回は輪をかけて異常と言っていいものだ。
「前々から思っていましたが……貴方、私のことをロボットか何かだとお思いですか? 24時間365日、一心不乱に仕事できる人間がいるわけないでしょう。適度に休息をとってこそ、パフォーマンスも向上するというものです」
「一ヶ月前までのお前が聞いたら泡吹いて倒れるぞ、その台詞」
「日々成長している証拠です。進歩がないのは怠惰の証ですよ?」
「……なーんで煽り癖は進歩しないんだろうな……」
売り言葉に買い言葉とは分かっているが、どうしても反射的に言い返してしまう。いい加減聞き流すべきだとはわかっているのだが、どうやら俺も俺でまったく進歩していないらしい。
灼熱の午前9時半、人もいない図書館前で口論する俺。既に重々承知のこととは思うが、その相手はもちろん我らが水無坂である。しかも今回は、今まで頑なに見せてこなかった私服を引っ提げての登場だ。
腰のリボンで絞られた、薄い水色のワンピース。手に小さな鞄を携えていることも合わせ、見てくれは完全に金持ちのご令嬢だ。これで麦わら帽子でも被ろうものなら、映画の撮影と言われても納得してしまいそうになる。
水無坂といえば制服か体操着しか見てこなかった俺にとって、私服姿というものはそれだけで特大の衝撃と言っても過言ではない。そういえばこいつ美少女だったな……ポテンシャルの高さは知っていたが、人間は外見が九割だとはよく言ったものだ。
だが。今回の「異常」、最大の衝撃は、私服姿とはまた別にある。
「……で、その——」
「ああ、これですか? いろいろとひと区切りついたので。それに、いい加減暑いですし」
事もなげに答える表情に、気負いと呼べるものは微塵もなく。
だからこそ、その変わりようがより一層強調されている。
水無坂の象徴とも呼べる、よく手入れされた艶のある黒髪。腰元まであったその髪が、まるで何かの冗談かのように——肩のあたりの長さまで、ばっさりと切り落とされていた。
どんな髪型でも似合うのは美人の特権だが、見た目から受けるイメージがガラリと変わるのは避けようもない。事実、最初に背後から声をかけられた時は、あまりの変わりように誰かもわからなかったほどだ。
「……なんですか、その顔は。散髪に貴方の許可が要った覚えはありませんが」
「いや、似合ってないとかそういう話ではなくてな……毎日やたら凝ってただろ、髪」
珍しくしこりが残るような言い方をする水無坂に引き摺られ、同様に煮え切らない答えを返してしまう。
転入してからここまで、ほぼ毎日のように変えられていた彼女の髪型。ヘアモデルもかくやというほどの手間をかけられていたことを知っている身としては、その髪がすっぱりと切られる日が来るなど想像もしていなかった。
「あの髪も結局、私の意志で選んでいたものではありませんでしたから。形だけのものに縋っていたのなら、訣別するのも形からでないと釣り合いが取れないでしょう?」
口をもごつかせる俺の表情に、言葉にならなかった感情を察したのか。
「言ってみれば——そうですね。断髪式、といったところでしょうか。過去の想いを振り切った女は、髪を切るのが慣わしと聞きましたので」
「……断髪式ねえ。それだけ聞くと相撲取りだが」
「八艘跳びなら自信がありますよ? なんなら背後にも回り込めますが。試しますか?」
どこかズレていて、しかも古風な慣習を口にする水無坂。その口調は、以前からは考えられないほどに軽やかなもので。
……だからこそ。それこそが、星皇祭で彼女が掴み取った何かなのだと再認識する。
制服に拘らなくなったことも、柄にもない軽口を叩くことも——そして何より、口元に浮かんだその笑みも。重荷を背負っていた頃の彼女では、到底考えもつかないものだ。
「遠慮しとく。本気出して泣かれたらシャレにもならんしな」
……ああ、なるほど。これなら確かに、意味はあったと言えるのだろう。
珍しく人助けにやる気を出して、とても上手くいったとは言えない無様を晒して。
それでも——と。雨宮俊が掴み取った約束には価値があったのだと、きっとこれから何度でも繰り返す。
水無坂にとって、星皇祭が大きな転換点となったように。あの一週間は俺にとっても、それだけの価値があるものだったのだから。
「……私が泣くような人間に見えるのですね、貴方は」
「そりゃま、泣かないに越したことはないが……こんな非常識な世界に生きてる以上、いつ何が起こるともわからんだろ。俺が突然化け物になったとして、泣かない保証があるって言えるか?」
「今更星屑程度で驚くほど、ヤワな鍛え方はしていません。軍に通報して終わりです」
「……や、別に星屑になるってわけじゃないんだが……」
ああそうか、こっちの世界だと化け物=星屑なのか……。
化け物にも色々バリエーションがあると思うのだが、なまじ本物がいるせいでイメージが固定化されてしまっている感はある。あれは化け物というよりゲテモノの類だと思うんだがなあ……もっとこう、人間の形をしたバケモノみたいなのをイメージして欲しかったんだが。
人間の皮を被った人外とか、絶対に人類種とは相容れない存在とか。そういう浪漫ある話をしたかったのだが、どうやら水無坂には届いていないらしい。この世に生まれたことが消えない罪な存在とかダメ? ダメかあ……。
「——それで、話を本題に戻しますが。貴方、今から何かご予定は?」
「……昼過ぎに博士——滝川さんに呼ばれてる。そこまでの時間を潰す予定が潰れたから、しばらくはフリーってことになるな」
認識の齟齬を噛みしめている俺に構うことなく、水無坂は素知らぬ顔で話題を次へと進めている。本題ねえ……この雑談に本題あったのか……。
博士、と言いかけて修正したのだが、どうやら彼女には伝わっていたらしい。何やら思案顔で頷いた彼女は、俺の言葉が終わるのを待って二の句を告ぐ。
「……では。少し、歩きませんか。こうしてゆっくり話すことは、今までなかったと思うので」
「別に構わんが……学校周りを、か? 歩いてて楽しいもんでもなかろうに」
「それなら、地下街を。そこの階段を下れば、商業区の北のほうに出るでしょう」
「いや、知らんが……」
そもそも東西南北とか意識して歩いたことないんで、あの区画。バイト先以外への行き方など、いまだに覚えられないし覚える気もない。
本題と聞いて身構えたが、帰ってきたのは思いがけないデートのお誘いだった。確かに財布も持っているし、商業区の散策は時間潰しに最適ではあるが……え、何? どういう風の吹き回し? 裏がありそうで逆に怖いんだが。
行きますよ、とそ知らぬ顔で告げる水無坂の瞳には、当然のごとく一点の曇りもない。綺麗な顔してるだろ? 話聞いてないんだぜ、これで……。
このあたりの決断力、身も蓋もない言い方をすれば強引さは、鳴りを潜めるどころか磨きがかかっている。好意的に解釈するのならば、遠慮がなくなったということなのだろうが……そもそもこいつに遠慮という概念、存在するかどうかさえ謎だ。
「——ああ、その前に」
と。
既に一歩を踏み出していた水無坂が、しかしそこで己の動きに待ったをかける。
「これを。ここしばらく鞄に入れっぱなしでしたが、品質は問題ないはずです」
気持ち早口で口走りながら、それを俺に押し付ける水無坂。その姿に、いつかの己自身が脳裏を過る。
「感謝の品です。……貴方の好きなものが分からなかったので、これでおあいこということで」
「……あのなあ」
「感謝されるようなことはしていない——でしょう? 生憎ですが、その返答は既に私が使っていますので。受け取らないだけの別の理由がある、というのなら、聞かないこともないですが」
焦ったような口調から一転、彼女は得意げな顔でふふんと鼻を鳴らす。
意趣返しのようなその答えから察するに、以前俺に一杯食わされたことを覚えていたらしい。表には出さずとも、虎視眈々と反撃の機会を伺っていたのだろう。
俺のサプライズが余程腹に据えかねたのか、いつか同じ目に合わせてやろうと考えていたのか。いずれにせよ、まさかこんな形で反撃を貰うとは夢にも思っていなかった。
「…………わかった。ありがたく受け取っておく」
「それはどうも。賞味期限が切れないうちに食べていただけると助かります」
「……こいつ……」
底意地の悪い笑みを浮かべる水無坂を前にして、どうすることもできずに白旗を揚げる。なるほどな、実際にやられるとこうなるのか……想像以上に腹が立つというか、やり込められた感がすごい。
——よし、決めた。彼女が徹底抗戦の構えを取るというのであれば、次は二割り増しで腹立たしい方法を模索してやろう。他人を煽るためにプレゼントを贈るのは本末転倒な気もするが、なに、もとより彼女も分かりきっている。
「……ああ、もう」
いくら馬鹿なことを考えていても、目の前の事実は変えようもない。だからこそ、俺はありのままの感情を述べ立てることしかできないわけで。
……仕方ない。今回ばかりは、言い訳の余地なく完敗だ。
特大のため息をひとつ吐き捨て、歩き出した背中を追いかける。
彼女との因縁を象徴するかのような、いつかに取り合った緑色の駄菓子。彼女の鞄に入っていたそれは、今も心持ち熱を帯びているような気がした。
主人公、第三部にしてようやくラブコメの気配。ハーレムへの道のりは……あまりにも遠い……。
次回、また視点が飛ぶ予定です。今回は横だけでなく、縦にもぐいんぐいんと動きます。乞うご期待。
次回は来週日曜日、23時ごろ投稿します。変更がある場合は、活動報告等でお知らせさせていただきます。
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