3-2/朝食・ウェイクアップ!
8月14日。折り返し地点を既に過ぎている夏休み編、スタートです。ずっと寝てた主人公が悪い。
今週は分割投稿したいと思います。二話目は明日投稿予定です。
『——開発が延期され続けてきた米国のスーパーコンピュータですが、このたび正式な完成を迎えたと発表がありました——』
真っ当な社会人。現代社会では当然に求められるスキルであるが、改めて考えるとその水準はあまりにも高い。
明らかに寝足りない時間から起きて身支度を整え、明らかに定員オーバーな通勤電車に詰め込まれて出勤。部下の尻を拭い、上司に頭を下げ、取引先との関係性に心を砕き、西から東へ日々駆け回る。
8時間の勤務を終えて帰っても、次の日にはまた同じローテーションが待っているという恐ろしさだ。残業やら休日出勤やらも加われば、休みなどもはやあってないものでしかない。
自分が同じ仕事をやれるかと問われれば、まず間違いなくNoと答えるだろう。学生生活ですらいっぱいいっぱいの人間が、「真っ当」な企業人として立ち回れるはずもない。
『——「アイオーン」と名付けられたこのコンピュータ開発の裏には、アルカディア社による多大な支援があったとのこと。また、開発の中核には邦人の技術者も関わっていましたが、彼は不慮の事故により3年前に亡くなられています——』
これで両親がバリバリの企業エリートだった、みたいなオチでもついたら面白いのだが……誠に残念ながら、両親が何をしていたかなど知る由もないのが実情というものだ。なんなら顔も名前も知らないし、これはもう居ないと言っても過言ではないのではなかろうか。
『——彼の意志を継いで開発された「アイオーン」は、世界最高の性能という謳い文句に違わず、我が国を始めとした各国のスーパーコンピュータとは一線を画する計算速度を誇っています。既に試験運用がなされていますが、いずれの分野でも目覚ましい成果を挙げており——』
や、しかし。こういう場合は往往にして、父親が終盤に最大の敵となるのが常である。来るべき決戦の日に向けて、今のうちから決め台詞とかを考えておくのもありかもしれない。
俺の生き様、見せてやる——とか、父さんを止められるのはただ一人、俺だ——とか。それっぽい台詞を日頃から準備しておくからこそ、晴れ舞台で輝けるというものだ。
『——スタジオには、先端技術に詳しいコメンテーターの安藤さんをお呼びしています。安藤さん、今回の「アイオーン」開発についてですが——』
……まあ、要するに。そんな下らないことを考えられるくらい、待ちぼうけを食っているというだけの話なのだが。
自分の家で待たされる、というのもおかしな話だが、現にその通りなのだから何も言えるはずがない。そもそも真っ当云々の話も、真っ当からは程遠い社会人のお守りに嫌気が差してきたからだ。
もちろん、仕事の疲れが溜まっていることは承知の上だ。俺とて一週間、無駄に警備の職場体験を積んだわけではない。
己の体で金を稼ぐのがどれほど大変か、この上なく身に沁みて理解しているつもりである。分けても俺が昏睡している期間中は、その心労も並々ならぬものではなかったはずだ。
だが。そうやっていつまでも甘やかしているから、この駄姉が成長しないのだ。
アレが自発的に起きるのを待っていれば、食卓に並んだ朝飯が冷え切るのは目に見えている。正午を容易に回るどころか、もしかせずともこの朝飯が夕飯になってしまうだろう。
雨宮俊の朝は早い。二人分の朝飯を作り、惰眠を貪る同居人を叩き起こすところから1日が始まる——そう、いい加減に駄姉を起こさなければ、俺の1日は始まってすらくれない。
であれば。俺がやるべきは、今この場においてたったひとつ。
弟のベッドを占領し、気品のかけらもなく大の字になって涎を垂らす駄姉。これを叩き起こすために、必要とされている作業を行えばいい。
と、いうわけで。……前置きに随分と紙幅を割いてしまったが、ここからが本題だ。
「おい、起きろ」
一切の情け容赦なく——そう、それこそ実の父親を斧で破壊するときのように。
部屋のカーテンを一気に開け放ち、そのままの勢いで布団を引き剥がす。こういうのは何事も勢いが肝心、行くか行かないかの思い切りが重要なのだ。行っていい、ってさ……。
「んぅ……だめ……そこ、っ、くぅ……」
唐突に安眠を妨げられた駄姉の口から、なんとも言えない声が溢れ出す。
やめろ、無駄にいかがわしくするな。色んなコードに引っかかるだろうが。というか後半は確信犯だろ、騙されんぞ。
「もう少し……あと49日だけ……」
「縁起が悪すぎる」
そして、ようやく起きたかと思えばこの謂である。どんなスパンで生きてんだお前。
まる一ヶ月以上目を覚まさないとか、それはもう世間的に見て立派な昏睡だ。俺の昏睡最長記録を塗り替えていくの、割と洒落にならないからやめて欲しい。
意味の分からぬ往生際の悪さを発揮し、ヤダヤダと布団に縋り付く姉。強引に引っ張り起こそうとするものの、その身体は瞬間接着剤もかくやというほどの強さで布団に張り付いて離れない。
だいたい、なんで真夏に布団に張り付いてられるんだこいつは……アレか、ベッドの羊毛に仲間意識を感じてたりするのか。お前は人間だぞ、いい加減目を覚ませ。
「いつまで寝てるかはそっちの勝手だが、今起きなかったら朝飯は抜きだからな。泣きついてきても補償は出さんぞ」
「またまた、そんなこと言っちゃってぇ……でも、そんな俊くんの奥底には、普段は言えない本当の気持ちがあるのです! 今だから言えるその気持ちを、お姉ちゃんだけにどうぞ! はい、せーの——」
「お前を殴りたい」
そろそろ強めの一発を入れても許されると思うんだよなあ……駄目?
えーひどーい、などと宣うのは勝手だが、俺からすれば未だ手が出てないことを感謝して欲しいくらいだ。殴ろうと思ったその時にはスデに行動が終わっている、なんてことになった日には、きっと俺の胃壁はストレスで穴が空いているに違いない。
「日曜日だし、もう少し寝かせてくれてもいいと思うんだけどなあ。ほら、偉い人も言ってたじゃない? 『努力には対価が支払われるべきだ——労働の対価に安息日が用意されているように』って」
「知らん……」
何処の偉い人ですかそれは。今作った言葉を格言っぽく垂れ流すんじゃない。
覚悟してはいたことだが、やはりこの姉と会話するのは途轍もないエネルギーを消費する。誉れあるニチアサにこんなことをしているとか、ふとした拍子に我に帰ってしまいそうだ。
一人用の部屋に同居していることもあって、部屋の中は狭苦しいことこの上ない。一向に起きる気のない姉を前に、さてどうしたものかと意識を散らす。
……と、そこで。見慣れない物体が、机の上に鎮座していることに気がついた。
「……こんなもんあったか?」
「んー? ああ、それはお姉ちゃんのです。そういえばあんまり見せたことなかったね」
得意げな解説でもしたかったのか、それとも単純に気が向いただけか。
あれだけ渋っていたはずの姉は、しかしその言葉と共にのそのそとベッドから這い出してくる。寝起きのくせしてとんでもなく整った顔してんなこいつ……だからこそ腹が立つんだが。
「きちんと動くのか、これ」
「もちろん。あんまり触ったりしないから、そのぶん今でも綺麗なまんま。開ければちゃんと音も出るんだよ、ほら」
慎重な動きで手に取られたそれは、掌サイズの小さなオルゴールだ。
パカリと口を開けた小箱からは、なるほど美しい音楽が流れ出している。荘重な外装とそれに見合う音色は、直感的に安物ではないと確信できるだけの威厳があるものだ。
懐かしいような、それでいて何処か不安になるような。日曜の朝にはそぐわない不思議な旋律に、あるはずのない郷愁の念が刺激される。
それは、例えるのならば。記憶に刺さった小さなトゲの存在を、ふとした弾みに思い出すかのような——
「——はい、これでおしまい。おじいちゃんみたいなものだから、いつ調子が悪くなるかもわからないし。全部聞くのは一回メンテに出してからね」
しかし。
目の前で蓋をされた小箱が、彼方へと飛び去りかけていた意識を引き戻す。
「……きちんと動くんじゃなかったのか」
「骨董品だし、何かあってからじゃ遅いでしょ? 出すところに出せば数百万は軽く付くんだから」
「なんでそんなものを持ってんだ……」
そんな貴重なものを剥き身で置いておくな。俺が間違って捨てたらどうするつもりなんだ。
なんてことはないように話しているものの、もちろんこんなものを姉が持っていたことなど寝耳に水だ。今までの同居生活でも見たことがなかった点を鑑みるに、姉にとってもよほど重要な品なのだろう。
昨日は俺がバイト疲れでさっさと寝てしまっていたのもあって、珍しく姉のほうが遅くまで起きていた。俺が寝たあと、らしくない感傷にでも浸っていたのかもしれない。
「——さ、それじゃ朝ごはん食べよっか。ほらほら、早くしないと冷めちゃうよ?」
密やかに衝撃を受ける俺を他所に、姉は何食わぬ顔で俺を急かす。
ここまで開き直られると、もはや怒る気力すらも湧いてこないのだから恐ろしい。そろそろガツンと怒らねばならないはずなんだがなあ……毎度毎度有耶無耶にされるたび、この姉が磨いてきた処世術を見せつけられた気分になる。
「……今日はスクランブルエッグだからな。ケチャップ欲しいなら自分で取ってくれ」
「わお、久しぶり——というか、俊くんとの朝ごはん自体久々かも。うん、そう考えると楽しくなってきた」
先程までの倦怠感は何処へやら、姉は軽い足取りで顔を洗いに向かう。
言われてみれば確かに、二人揃って朝飯を食べるのは相当久々だ。一週間の星皇祭、二週間の昏睡状態ときて、退院後の数日も生活リズムが噛み合わず、結果としてほぼ一ヶ月ぶりの食卓になってしまった。
スパコンがどうだの、邦人の研究者がどうだの。耳馴染みのない話題を繰り返すトークショーを切り替え、二人で同時に席に着く。
食事の時間にテレビとは行儀が悪いが、休日くらいは大目に見よう。紆余曲折あってもこうして食卓を囲める、その事実こそが何よりも重要なのだから。
——それでは。手を合わせてください。
「「いただきます」」
雨宮葵(要介護1)
悩んだ末、ここで切ることにしました。一話あたりの文字数が少なくなってしまいますが、そこはご愛嬌ということで。
次回は明日、23時ごろ投稿予定です。……が、少しばかり不安定になりそうです(21時〜23時の間あたりでしょうか)。気長にお待ちください。
感想・評価等、いただけると励みになります。よろしくお願いします。