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その道の先に  作者: たけのこ派
第三部/夏休み編
78/126

3-1/白昼夢

 暗い。その上、狭い。

 当然といえば当然だけど、路地裏なんてものは大部分の人間にとって居心地のいい場所じゃない。なんとなくアングラな空気感に警戒心を抱き、落ち着きなく周囲を見回すことになる。

 幸いにして僕はまだ慣れているけど、それでも入り組んだ裏道というのは緊張するものだ。荒事をなるべく避けたい人間にとって、チンピラの()()()に利用されていそうな場所に入ることほど気疲れすることはないのである。


 ……まぁ。そんなことを言っていられない状況なのも、もちろん承知の上なんだけど。


 そもそもこの状況自体、僕が再三頼み込んで作ってもらったものだ。猛獣を野に放つがごとき、信じがたい愚行を受け入れてくれた坂本さんと滝川さんには、どれだけ感謝してもしきれない。

 たった一回の「特例」を作り出すため、何人の人間が奔走する羽目になったのか。その事実を念頭に置いているからこそ、間違ってもこの仕事を疎かにできるはずがない。


「——おい、お前か? 俺らをここに呼び出したって奴はよ。……聞いてんのか、オイ」


 路地裏の中でも更に奥まった、日の差さない薄汚れた一角。

 積み上げられたガラクタの山にじっと身を潜め、視界の先で展開される光景を注視する。

 この辺りを縄張りにしていると思しき、学制服を着崩した不良の集団。彼らに取り囲まれている細身の男は、浴びせかけられる挑発的な言葉の数々にも反論することなく、ただ俯いてじっと押し黙ったままだ。

 今日の獲物を見定めた集団と、難癖という名の罠にかかった哀れな被害者。誰がどう見たとしても、この光景にそれ以上の意味を見出せるはずがない。

 この路地裏に人が寄り付かないのも、ここら一帯が狩り場として知れ渡っているからだろう。不良の縄張り、なんて時代錯誤なものが未だに存在しているあたり、街全体からしても随分と幅を利かせている団体らしい。


 ……今までの話で、当然伝わっていると思うけど。僕が今いるここは当然第二本部でも、その下の広大な地下街でもない。


 (ゲート)をくぐった先に広がる、いわゆる「表側の世界」。とある大都市の裏側、薄汚れた人間がうろつく細い通りの中心で、正しく一触即発の空気が流れ出していた。

 このまま見ていれば、もう数秒で事態は動き始めるはずだ。そしてそれが、およそ平和的な方向性ではないことは馬鹿にもわかる。

 目を背けることなど許されない。もちろん反対に、今飛び出して止めることもだ。


 不良たちの動きを誘導したのも、彼らがこの場で、こうして出会うように仕組んだのも——外でもない、僕自身なのだから。


「……………………………あ」


 小さな、小さな。

 男の喉から零れ落ちたのは、声とすら呼べないほどに断片的な音。それは一見すれば、押し殺された悲鳴のように思えるかもしれない。

 あまりの恐怖に叫ぶことすらも忘れ、ただ間抜けな声を上げることしかできない。そんな状況には、僕にも幾らかの覚えがある。


 ……でも。今回に限って言えば、それはまったくの的外れだ。


「おい、お前……!?」


 異変を最初に察した一人は、きっと勘がいいのだろう。

 一瞬で蒼ざめたその顔を見るに、危機察知のスキルは大したものだ。この場をうまく切り抜けられたら、彼はグループの中でもひとかどの人物になるに違いない。


 ただ。そのためには、目の前に迫った危機をどうにかする必要があるけれど。


「……は?」


 わけのわからないものに遭遇したとき、人間が取れる行動はふたつ。

 考えるよりも先に体を動かすか、ただ口を開けて眼前の光景を観察するか。言うまでもなく、大部分の人間は後者だ。

 理解が追いつかないが故に、(ほう)けた顔で困惑するだけ。いかな不良(ワル)といえど、よほどの実戦をくぐり抜けていない限り、意識に空白が生じることは言うまでもない。


「あ……あァ————ア     ハ」


 そして。一度転がりだした事態が、その空白を待ってくれるかと問われれば。

 そんなものは、言うまでもなく否だった。


「な……んだ、コイツ——!?」


 ようやく我に返った数人が、男を取り囲むようにジリジリと移動する。

 怯えながらも未だ逃げようとしないのは、油断と慢心が成せる技か、それともこの裏路地の支配者たる矜持(きょうじ)から来るものか。何れにせよ、その姿勢は一定の評価に値する。


 ……しかし。それも、時と場合によりけりだ。

 理解の及ばない存在に立ち向かうのは、勇気ではなく蛮勇だ。分けてもこの状況においては、一目散に逃げる方がよほど賢い選択に違いない。

 

 包囲網を敷かれていることにも頓着(とんちゃく)せず、ただ壊れた機械のように笑い続ける男。

 例えるなら、それは振り下ろされるのを待っている手旗のように。掲げられたその右腕が、予兆のごとく不気味に脈動し——


「アハ——ハ    ア ハ    ヒヒ」


 ——そして。

 復讐が、始まった。 


 どう取り繕おうと、人間の腕とは言い難い怪異。およそ正常とは言えないそれが、男の体を瞬く間に出来の悪いパッチワークへと仕立て上げる。

 一瞬にして変質した右腕は、その部分だけ合成でもしているかのように異質極まりない。男の見た目が普通であればあるほど、その異様さは理解し難いものとして世界に現出する。


「……おい、ヤバいって——」


 ……もし。仮に、の話だ。

 もし仮に——不良たちのうち一人でも、『星の力』に対する理解があったのであれば。男の使用した能力が自己修復の類だと、そう看破することくらいはできたかもしれない。

 自己修復系能力の真骨頂、自己改造能力。己の身体を好きなように弄くり回し、外見から機能までそっくり作り変える。

 より強い膂力(りょりょく)を欲すれば、こうして腕だけを作り変えることも可能だ。やろうと思えば翼すらも生やせるというのだから、感覚としては3Dモデルのようなものか。

 ……もちろん。そんな知識が、ただの不良でしかない彼らにあるはずもないわけで。


「やめろ……やめろよ、おい——!」


 異形と化した掌が獲物を掴み取るまで、時間にして数秒も必要ない。

 標的とされたのは、不良たちの中でもリーダー格と思しき男子。訳も分からず捕まった彼は、ようやく自身の置かれた状況を理解したのか、威厳もへったくれもなく泣き叫ぶ。

 補正値に高低差はあるとはいえ、星刻者の身体能力は一般人とは比べ物にならないほど高い。どれだけひ弱そうな見た目の男でも、相手が街のチンピラ程度であれば、こうして認識される前に距離を詰めることすら可能というわけだ。

 何の変化もない脚ですら、簡単に包囲網を突破できるほどのポテンシャルがあった。文字通りの常人離れした瞬発力に、反応することすらも許されずに接近された。


 ——なら。あの見るからにおぞましい、異形と化した腕に捕まってしまったら?


「う……わああああああ!!!!」


 その勢いは、まさしく(せき)を切ったと言うに相応しい。

 恐怖のタガが外れた少年たちが、蜘蛛の子を散らすように逃げ出していく。混じりっけなしの純然たる恐怖が、その顔にみな一様に張り付いている。


「おい……待てよ、おい! ふざけんな——!」


 (すが)るように助けを求めるリーダーの声は、しかし誰に相手をされることもない。文字通り敵の手に落ちている状態なのだし、当然といえばそれも当然だ。

 悪魔のような右腕に少しでも力を込めれば、そこに捕らえられた人間など()れたトマトのように砕け散る。そんな光景が現実のものだと、何の冗談もなくそう理解できることが、彼らにとってこの上ない不幸だった。


「ァは ヒ    あ葉は葩ははハハはa派h波」


 狂笑は人間の域を超え、もはや言葉という最低限の形すらも保っていない。

 左右で非対称となるほどに肥大した右腕を、さながらシオマネキのごとく掲げる男。首を掴まれ、言葉すらも出せなくなったリーダーが、その先で宙吊りにされている。

 あと少し。ほんの少しでも力を込めれば、リーダーの首は簡単にへし折れる。

 それは単なる思い込みではなく、加害者と被害者の間をつなぐ明白な事実だ。生殺与奪の権利を握っている確信があるからこそ、男の不気味な高笑いは止むことがない。

 恐ろしさのあまり失禁し、口からはヨダレを垂らすリーダー。極限まで高まった恐怖と絶望に耐えきれなくなったのか、彼は最後に目を大きく見開き——


「……ぁ」


 そして。糸が切れたように、こてんと気を失った。


 ……さぁ。ここだ。僕がここに来た理由が、彼のこれからの行動に集約される。

 

 どれだけ飛び出しそうになっても、ギリギリまで手は出さないと言い聞かせ続けてきた。それは温情の類でも、ましてや義心からくるものでもない。

 ただ冷静に、そして客観的に。僕は目の前の事情だけを受け止め、瞬時に判断を下す。……下さなければ、ならないのだ。


「————」


 気に入っていた玩具が、何の前触れもなく唐突に壊れた時のように。

 束の間理解できないという表情をしていた男は、しかしややもすると諦めたようにその「玩具」を手放す。

 積年の恨みを晴らした、と言えるだけの達成感は、その表情のどこに求めようもない。あまりにも呆気なく終わってしまった復讐に、虚無感を感じることもできずに佇んでいる。

 肩透かし。戸惑い。彼の中で渦巻く感情の波は、その何れもが名状しがたい複雑なものだ。獣に堕ちかけていたその表情は、しかし今はこの上なく人間らしい色で満たされている。


「……っ」


 ……これは、もしかすると。


 静かに息を飲む。緊張感が見えない針となり、全身にくまなく突き刺さる。

 楽観視が禁物だということなど、これまでに痛いほど学んでいる。物事が上手くいっていると感じているのなら、その時点で重大な失策を犯していることに他ならない。


 それでも……それでも。

 ほんの僅かでも見えた光明に、希望を抱いてしまうのは——人間として、間違っていることなのだろうか?


 揺れ動く彼の瞳は、狂気のみに彩られていた今までとは似ても似つかない。

 困惑と失望。積年の野望、人生の支柱だったものの意味が、こんなにも簡単に消え去ってしまったことに、隠しきれない動揺が滲み出していた。


「目を、覚ませ……!」


 声にならない声を、あらん限りの思いを込めて叫ぶ。

 そうだ。あなたを苦しめていた復讐なんてもの、結局はその程度でしかない。あなたはもう、自由に生きていいはずなんだ。

 視線の先でふらつく男に対して、僕ができるのはただ祈ることだけ。渦巻く(くら)い情念に打ち克つには、結局本人が乗り越える以外にない。

 最後の最後、人間性を完全に捨て去る瀬戸際まで来ていたとしても。たったひとつの選択さえできれば、そこからいくらでもやり直せる——必ず僕が、やり直させてみせる。


「…………あ…………」


 今にも消えそうな声は、しかし壊れ切っていた今までの声とは明らかに一線を画している。

 血が通い始めたそれは、崖際で揺れる心を何よりも端的に表すものだ。己の道に迷い、己のあり方に惑う、その苦悩は人間でなければ持てるはずもない。

 帰ってこい、と。叫びたい心を抑え込み、ただ目を逸らさずにその姿を見つめ続ける。

 想いが通じる、なんて子供じみた幻想は抱いていない。でも……きっと、「何か」は変わっているはずだ。


 異形と化した男の腕が、震えるその指先が。


 男の懊悩を表すがごとく、振り上げられたままピタリと動きを止め——

 


「あ……ああ、は————あ縺a願は?縺hはハアハ吶>縺」



 そして、彼は。



 次の瞬間には、()()()()()()()



「……ああ」


 分かりきっていた事実を前に、嘆息ですらない何かが溢れ出す。

 ああ、そうだ。この世界に、都合のいい神などいない。

 そんなこと、子供ですら直感的に理解している。誰もが平等に幸せなら、そもそも僕の仕事が存在を許されるはずもない。


「こちら一ノ瀬——作戦失敗。繰り返す、作戦は失敗。これよりプランBに移行する。どうぞ」


『こちら司令、了解。現在より対象を変異体(デブリ)04と呼称、速やかに無力化せよ。ロックの解除を許可する。どうぞ』


「一ノ瀬、了解。交戦を開始する。終わり」


 果たされた復讐の向こう側で、男が何を思ったのかはわからない。

 彼は自らの意志で、最後の一線を飛び越えることを選んだのか。あるいはもはや手遅れなほど侵食されていて、彼の意思が介在する余地などなかったのか。今となっては、真相は永遠に闇の中だ。


 ……いや。そんなもの、ハナから問題にすらなっていない。


 僕は賭けに負けた。一人の人間を救うことに、また失敗した。この上なく単純明快で、動くことのない唯一の結果がそれなのだ。

 だとすれば。今僕が選び、為すべき使命はたったひとつ。

 彼の苦しみを、ここで速やかに終わらせる。それだけが僕に期されている役割であり、果たさねばならない任務なのだから。


「——先輩。もう、いいでしょう」


 身体を起こす。こうなってしまった以上、もはや身を隠している意味もない。

 乱雑に放り捨てられた不良の頭を、今まさに踏み砕こうとする男。背後から声をかければ、行動を止めた(ソレ)は獣じみた動きでこちらに向き直った。


「あなたの復讐は果たされました。()()()を許せば、あなたは人間以下の獣へと落ちることになる」


「——?」


 こちらの言葉に反応し、それは首を傾げて疑問の意を表する。

 見た目も中身も、()()はまだ人間と定義して差し支えない存在なのだろう。どの程度自我が混濁しているかはさておき、きっと僕の言葉を理解するだけの頭は残っているはずだ。

 もっとも。その定義も、あと幾許もしないうちに崩れ去ることになるけれど。


「滝川室長」


『こちら滝川。変異体(デブリ)04、適合段階(コンディション)4から5へと移行中。完全変異まで推定900秒』


「了解」


 制限(ロック)は既に解除した。残った仕事はたったひとつ、ただこの始末をつけることだけ。

 敵か、獲物か。今の(それ)にとって、世界を認識する基準はそのいずれかのみだ。そして一度「敵」と認識されてしまえば、あとはもう戦う以外の手段は残されていない。


「————!!!!」


 敵意を(あら)わにした(それ)が、その身体を変質させていく。

 右腕だけではない、全身に施される自己改造。それが完了してしまえば、正面切って戦うことは困難を極める。

 そのまま星屑に完全変異される、なんて失態を犯した日には、飛ばされる首がいくらあっても足りないだろう。どれだけ上手く立ち回ったとしても、第二本部の首脳陣が軒並み干されるのは疑いようもない。


「僕には、あなたを救えませんでした。こうなってしまったのは、紛れもない僕の力不足です。だから——」


 謝罪が自己満足でしかないことなど、自分が一番分かっている。

 所詮は半端者の自己保身、醜くて浅ましいエゴの塊だ。そもそも一流の人間からすれば、こうなっている時点で失敗だと断じられても不思議ではない。


 ——だから、せめて。()がまだ、人間であるうちに。


 わずか1秒。その半分の時間もあれば、数歩分の距離を詰めるなど造作もない。

 人間だろうと人外だろうと関係ない。視覚で外界を認識しているのならば、その不意を衝くことには慣れている。

 すべては、たった一発の攻撃を入れるために。世界最強の男を相手に積んだ訓練と比べれば、こんなものは児戯にも等しい難易度だ。

 彼我の距離、ゼロ。相手が反応する前に、僕の掌が彼の胸に触れ——


「ごめんなさい。……僕も、すぐに向かいます」


 そして。

 その言葉を言い終わる頃にはもう、その命の灯火は消え去っていた。


 ぐわん、と。触れた瞬間、男の体から抜き取られた何かが、掌を伝って僕の身体へと入り込む。

 形もなく、温度もなく。「在る」と認識されることすらない、言うなれば魂の親戚のようなもの。生命力の源であるそれを取り出された人間が、その命脈を保てるはずもない。

 まだ温かい空っぽの身体は、確かな重みを伴っていて。死体が残るという事実こそが、彼の本質が未だ人間であったことの証明になるなんて、皮肉としてはあまりにも出来すぎている。


「……っ」


 どれだけ歯嚙みをしようとも、奇跡が起きることなんてない。

 だから、あるがままを端的に伝えよう。


 8月13日。今日、僕は——魚見恭平は。

 人生で5度目の、殺人をした。

獣に堕ちた人間は、果たしてヒトと呼べるのでしょうか。

それを殺した人間は、ヒト殺しと断罪されるべきなのでしょうか。


第三部「夏休み編」。以前にも書きましたが、この部はもともと2.5部にするつもりだったため、番外編要素が強めです。

具体的には、いつも裏方の彼をメインに据えて。彼の「お仕事」と、それにまつわる過去を楽しんでいただければと思います。

……メイン主人公の方? なんかドタバタコメディとかやるんじゃない?


次回は来週日曜、23時ごろ投稿予定です。変更等ある場合は適宜お知らせさせていただきます。

なんかドタバタする方に視点が移ります。乞うご期待。


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