2-34/8月9日、本日はお日柄もよく
過ぎ去ってこその祭です。
「ゔあー…………」
二週間。あれだけ濃密だった星皇祭から、気づけばそれだけの時間が過ぎていた。
終わってみれば一瞬で過去になるあたり、時の流れというのは不平等という他にない。一分一秒を戦っていたあの本戦期間中はなんだったのか、と文句の一つも言いたくなる気分である。
……まあ。こと俺に限って言えば、本当に不平等だったわけだが。
「やあ、おはよう。気分はどう?」
「いいと思うか?」
「えー、なかなか捨てたもんじゃないと思うけどねぇ」
ほざけ。内情を知ってなきゃ出ないんだよそんなセリフは。
人をおちょくってるとぶっ飛ばすぞ、と啖呵の一つでも切りたいところだが、くたびれ儲けにしかならないのは自明の理だ。にしても張り付いた笑みが腹立つんだよなあ……申し訳ありません、このような学生で。
「僕も顔は広い自信があるけど、これだけ病院のお世話になる人は初めて見たよ。今回でまた記録更新でしょ?」
「欲しけりゃくれてやるよ、こんな記録」
気のせいか未だに重い身体に喝を入れ、自販機の底から二人分の飲料を引っ張り出す。
よく冷えた炭酸を体の中に流し込めば、遅れ気味の思考がようやく追いついてくる。無駄な口ばかり回るのだから、まったく効率が悪いことこの上ない。
「おっと危ない——あ、それで例の事件の顛末だけど。もう聞いてるんだっけ?」
「いや。……というかお前、俺がどういう状況だったか知ってるだろ」
「まあね」
不機嫌な口ぶりの俺を前にしても、魚見は悪びれもせずそう返すだけだ。絶妙にアメリカナイズされた動きが、胡散臭さをより一層加速させる。
おっと危ない、などと抜かしつつ、放り投げた缶を危なげなく受け取って口をつける魚見。炭酸が溢れるかと密かに期待していたのだが、そうそう上手くいってくれるはずもない。
「例の事件」——星皇祭のでのごたごたが片付いたのは、先にも述べた通り二週間前まで遡る。
数多の妨害を受けながらも、警備員の尽力によって表沙汰に至ることはなく。例年にないレベルのイレギュラーに見舞われた星皇祭本戦は、それでもなんとか大団円を迎えた……らしい。
推測の形になっている理由は簡単、俺がその場にいなかったからだ。というか、あれだけ渦中にいたにも関わらず、騒動がどういった形で終息したかすらも把握していない。
本戦五日目、和泉さんにタイマン勝負をふっかけたあたりを最後に、俺の記憶は途絶している。次の記憶は文字通り二週間後、一昨日に目が覚めた時点まで飛ぶのだから、眠り姫と揶揄われるのもやむなしだ。
……もっとも。病み上がりどころか、ゾンビも顔負けの状態で動いていたのだから、こうして何事もなく復活している方がおかしいのだが。
俺に打ち込まれた毒の強度は、どうやら常人を数回殺して余りあるレベルのものだったらしい。
当たりどころの問題か、それとも変な耐性でもあったのか。幸いなことに、俺は九死に一生を得ているが……どこから入手したにせよ、大統領でも殺すのかと言いたいくらいのオーバーキルっぷりだ。
「3日ときて5日ときて、その次が二週間とはね。毎回病院でオチ着けるの、さすがに無理が出てきたんじゃない?」
「無茶苦茶言うな」
オチのために毎回死にかけるやつがいてたまるか。星皇軍から毎回保障が下りるとも限らない以上、嵩み続ける医療費もバカになっていないのだ。
もはや見慣れたベッドに、懐かしさすら感じる病室の匂い。覚醒した瞬間に何が起きたのかを大方悟れるようになったあたり、俺も一段と成長したものである。
さすがに二週間も眠りこけていたのは予想外だったが、それだけあればとっくに事態の収拾もついている。夏休みに突入した学生たちからすれば、星皇祭など遥か過去の出来事と化しているのだろう。
今日を含めてここまでの3日間、動ける範囲で聞き耳を立てていたものの、もう誰も星皇祭のことなど話題にしていない。起き抜けに情報だけ貰っても何が出来る訳でもないのだが、やはりどうしても気にはなってしまう。
本格的に情報の収集に乗り出すべきか、それとも信頼できる情報源と接触できる機会を待つべきか。そんなことを考えつつ、だらだらと時間だけを消費していたら——3日目にして、その情報源の方が訪ねてきた、という次第なのである。
「あ〜…… 沁みる」
「炭酸でそこまで感動できるのすごくない? 感動のコスパならたぶん日本一だよ、君」
「二週間ぶりの嗜好品だぞ。感動くらい自由にさせろ」
いくら昼前かつ日陰の中とはいえ、八月の晴天の恐ろしさは推して知るべしだ。
気がついたら月が変わっていた、などという話はよく聞くが、まさか比喩抜きでそうなるとは思わなかった。このぶんだとまだまだ悪化しそうというか、ほっといたら今度は三ヶ月くらい飛びそうな怖さがある。
現在地は病院の中庭、日除けの下にベンチが設えられている一角。拭っても拭っても噴き出してくる汗が、猛暑の過酷さを端的に知らしめてくる。
「というか、本当に退院していいのか。……さすがに怖いというか、なんなら未だに信じられないんだが」
「大丈夫だって、お医者さまのお墨付きだよ? せっかく拾った命なんだし、運が良かったってことで納得しておけばいいと思うけどね」
身体の点検も兼ねて軽く歩いてみたが、多少の重さ以外の異常は一切と言っていいほど見られない。せいぜい、暑さへの耐性が多少下がった程度のものだ。
明らかにヤバい毒を貰ったにも関わらず、後遺症の類も一切ないのが逆に恐ろしい。今日には退院も可能と言われたが、さすがに都合が良すぎて信じたくないのが正直なところである。なんか騙されてたりしない? 大丈夫?
「ま、それはそれとして——とりあえず、簡単な報告でもしておこうかな。まずは君、というより和泉さんの件から」
その声とともに、視線をスマホからこちらへと飛ばす魚見。
硬めの口調からして、わざわざ病院に足を運んだ理由もこれか。やっとこさ突入した本題に、居住まいを正して向き直る。
「とはいえ……これに関しては、君に伝えることなんてあってないようなものなんだけどね。君、最後にどうなったのかは覚えてる?」
「……なんとなく、な。あの増援はお前が呼んだのか?」
「まぁ、そう言えなくもないね。君の希望通りに監視は緩くしたけど、君ひとりに任せるにはあまりにも危険すぎたから。鬼島さんに頼んだら、うまい具合にやってくれたよ」
俺にとっては数日前の、しかし実際には二週間も以前の記憶。
混濁したそれにピントを合わせれば、様々な情報が一息に浮かび上がってくる。中でも鮮明に再生されるのは、最後に耳に届いたあの声だ。
俺が倒れるちょうどその時、助太刀に来た声の主。俺の聞き間違いでなければ、あの戦闘を鬼島さんが引き継いでくれた、ということなのだろう。
警備を強化すれば、用心深い犯人は異変を察知して必ず撤退する。監視の目を通常のままにしておくよう、和泉さんとの対面に先んじて魚見に話を通しておいたのだが……ちゃっかり救援をよこしてくるあたり、こいつもなかなかに強かだ。
保険を打っておくのはいかにもらしいやり方だが、今回ばかりは結果としてそれに助けられた。この上なく癪だが、この件に関しては頭を下げるより他にない。
「君が気絶したすぐあとに、鬼島さんが和泉さんを捕縛。君は速攻で病院送りになって、それでこの一件はおしまい。なんなら君をこっそり運び出すのが一番苦労したくらいだよ。尋問で多少の情報は得られたけど、この辺の話は直接聞いてるんじゃない?」
「ああ……まあ、動機の類はな。それよりも、他の奴はどうなった? 複数犯だの何だの、お前が担当してたアレだ」
「黒幕さんのことなら、警備隊の人たちのおかげで簡単に捕まえられたよ。和泉さんにしても黒幕さんにしても、案外尋問に協力的で助かった。模倣犯が出てくる様子もなかったし、一連の事件は五日目に全部終わったってことになるね」
「……そうか」
そんなもんか、と。
喉元まで出かかった言葉を、なんとなく相応しくない気がして抑え込む。
何の感慨を宿すこともなく、すらすらと答える魚見の口調。それが事務的であればあるほど、この事件が終わったものであることをより一層実感させる。
「……呆気ないもんだな、終わりは」
多くの手先を操り、周到に計画を立てていたであろう黒幕。
指先ひとつで、あわやスタジアムを恐慌の渦に叩き落としかけた愉快犯。
言うまでもなく、当事者として奔走していた間はとんでもなく苦しめられた。それだけに、その終わりはあまりにも肩透かしに映ってしまう。
「……いや」
いや。きっと、それが正しいのだろう。
どんな策謀を巡らそうとも、どんな暗躍を重ねようとも。
然るべき終わりの形が訪れれば、「悪役」の抵抗は意味がない。事態は速やかに収拾され、あとに残るのは僅かばかりの記憶だけなのだ。
いくら暴れ回ろうと、最後に訪れる断罪を免れることはできない。どれだけ舞台の上で目立とうが、往生際が悪かろうが、時が来れば幕は必ず降ろされることを、誰もが直感的に知っている。
クライマックスで正義の味方に敗れ去り、物語は大団円で幕を閉じる。それが悪役が「悪役」たる理由、あるべき姿なのだから。
降りてくる緞帳を受け入れず、その枠を超えて抵抗を続ける者。そんな輩は、悪役と呼ぶことすらも値しない。
それは、きっと。
舞台という大前提すらも破壊する——純然たる「敵」そのものだ。
「そんなわけで、五日目の個人戦決勝は滞りなく終えられたよ。六日目もアクシデントなく終わって、星皇祭は円満に終了。いや〜、めでたしめでたしだねぇ」
「……まあ、何事もなく終わったのなら何よりだ」
明らかに含みのあるその声に、あえて何も言い返すことなく目を閉じる。
いや、言いたいことは色々ありますけどもね? それでも、俺以外に大した負傷者も出ていないようだし、大局的にはめでたしめでたしなことに違いはない。
しかし、だ。
そんなこと——ああ、そんなことよりも。
俺にとってはもうひとつ、ごく個人的に気がかりな問題が残っている。
「それで——」
「ああ、言いたいことは分かってるよ。水無坂さんのことでしょ?」
そんな質問など、とっくの前にお見通しだと言わんばかりに。俺の言葉を読んでいたらしき魚見が、機先を制して口を開く。
事件の結末も気掛かりではあったが、それはあくまで警備員としての責務の話だ。後顧の憂いなく解決されたとあっては、否が応でも意識は本題の方へと逸ってしまう。
すなわち。水無坂の「結果」が——結末がどうなったのか、という話だ。
「水無坂さんは入賞だったよ。奮戦はしたけど、やっぱり壁は厚かったみたい。あ、ちなみに個人戦の優勝者は樋笠先輩ね。団体戦と合わせて二冠、とんでもないよあの人」
運命を決するがごときその言葉は、しかしあまりに何の躊躇いもなく。
端的にそう言い放たれたそれは、何の感情も孕むことはない。だからこそ、事実だけがより重くのしかかる。
落胆、ではないのだろう。脳裏に過ったものを押しとどめておく程度には、俺にも思考する頭がある。
だが。結果を単なる結果として受け止めるには、俺はあまりにも彼女の内面に近づきすぎたのだ。
「結果の割には落ち着いてたけどね、彼女。びっくりするくらい晴れやかな表情してたし、出し切れたんじゃない?」
「……そうか。ならいい」
瞬時に浮上した無数の思考は、しかし形をとることもなく消えてゆく。
……勘違いするな。星皇祭が終わった今、俺は単なる部外者だ。
あの決勝の舞台の上で、彼女が何を考えていようとも。優勝できなかったという事実を前に、どんな結論を出していたのだとしても——これ以上は、みだりに深入りをするべきではない。
長いこと寝ていたからか、思考回路がろくな働きをしていない。どうにもならないことを考えてしまうのは悪い癖だが、今は尚のことそれが顕著なようだ。
残った炭酸を一気に流し込めば、ようやく目が冴えるような感覚が身体を包み込む。やっぱり時代は炭酸だな……メロンエナジーは最強なんだっておばあちゃんが言ってた。ソーダもそうだそうだと言っています。
「……行くぞ。大体の話は終わっただろ? 昼には退院したいからな」
「アクティブな患者だねぇ……ま、報告事項はこれくらいかな。しばらくしたらまた坂本さんあたりと話すことになると思うけど、それはまたおいおい——あ、そうだ」
投擲した空き缶は、過たずゴミ箱に吸い込まれて甲高い音を響かせる。ここ最近で缶投げもずいぶんと上達したものだ、などと要らぬ感慨を抱いていると、思い出したかのように魚見が言葉を継いだ。
「その水無坂さんだけど、君が退院したら会いたいってさ。目を覚ましたって話はしたから、そのうち連絡が来ると思うよ」
「……連絡先、教えた覚えないんだが」
「そりゃ僕が教えたからね。知らない電話番号だからって切らないようにしなよ?」
こいつ、平然と人の個人情報を……俺にも人権と呼べるものくらいはあるのだが、そのあたりはまるで考慮に入れてもらえないらしい。
前々から思っていたのだが、俺の個人情報、二束三文で買い叩かれすぎではなかろうか。ここまで人権がない扱いをされ続けると、己が人間でないと言われても納得できるのだから不思議である。雨宮俊実は非人間説、一周回って信憑性が高くなってきたな……。
「まあ、分かった。水無坂から連絡な。あとは?」
「あとは——ないね。うん。こんなところだよ」
微妙に歯切れが悪い言葉は、言いかけた何かを飲み込んだものか。
釈然としないその口調を問い質そうとも、答えが返ってくることなどない。それを理解しているからこそ、その先を追求することなく背を向ける。
こいつは……魚見は、俺とは比べ物にならないほどに難しい立場にいる。いくら鈍い俺といえど、そのくらいは朧げながらに察しているつもりだ。
魚見の立場が、事情が、抱えているものが。彼の体裁が、それを口にさせることを許さない。
「……俊!」
だから。
踏み出しかけた俺の背に、追いついてきたその言葉は。
きっと。体裁や外面を取り払った、本心からの言葉なのだろう。
「僕のせいで、君は命を落としかけた。それを誰よりも知っているはずなのに、あのとき僕は君を頼った——危険性を理解していながら、その上で死地に送り込んだのは、紛れもない僕の責任だ。君は僕を、好きなように断罪する権利がある」
振り絞るようなその声は、普段の彼とは似ても似つかない。
それはまるで、糾弾されることを望んでいるかのように。いつかの水無坂と同じ、苦しみを孕んだ剥き出しの声が、白日の下に曝け出される。
「一度だけじゃない、これで二度目だ。……この次があるのなら、きっと僕はまた君を危険に晒すことになる」
彼が今どんな表情をしているかなど、俺にわかるはずもない。
ただ。その声だけが、痛々しい響きを持って俺の背中に突き刺さる。
「今回みたいな幸運が、この次も続くとは限らない。この次で終わってしまうかもしれない。だから——!」
「魚見」
……そうだ。
どんな顔をして、何を考えているのか。そんなことが、自分ではない誰かに理解できるはずもない。
水無坂と、あるいは俺ではないすべての人間と同じように。彼の抱えている問題もまた、余人には立ち入ることなどできないのだから。
「貸し、一だ。……そのうち飯でも奢れ。それでチャラだ」
だからこそ。俺にできるのは、ただ俺の意見を押し付けることだけだ。
それでいい。それでいいのだ——例えいつか、それだけでは済まされなくなったとしても。
今だけは、こいつにだけは。……たぶん、それでいいのだと。
駆け寄るその足音が、答えを示しているような気がした。
次回、第二部最終回。
彼女から始まったこの物語、やはり彼女で終わらせるのが筋でしょう。
次回は週明けの月曜日、23時より投稿予定です。どうか最後までお付き合いください。
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