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その道の先に  作者: たけのこ派
第二部/星皇祭編
74/126

2-33/フェーズ4:向こう側

前回のあらすじ

戦わないこと、戦わせないこと。それもまた、ひとつの戦い方です。

 長い黒髪が、照明を浴びて美しく(つや)めく。

 手入れの行き届いた長髪は、それそのものが育ちの良さを表しているかのようだ。こうして揺れ動くだけでも目を惹くあたり、ポニーテールというのもなかなか捨てたものではない。


 だが。こと今だけは、振り返る通行人の存在は望むべくもない。


 間近に迫った本戦決勝を前にして、聞こえてくるのは遠くからの喧騒だけ。

 観客はその殆どが席に着き、試合開始の時間を今か今かと待ちわびている。そもそも平時ですら人通りのないこの付近において、警備側も貴重な人員を割こうとは思わないのだろう。

 ただでさえ余裕のない状況下で、警備の手を薄く広げるほどバカな話はない。愉快犯という相手の性質も併せて考えるのならば、スタジアムに注力した方がよほど有用なのは自明の理だ。

 興奮と緊張はいずれも遠く、彼方に陽炎(かげろう)のごとく揺らめくのみ。本戦の決勝という環境下では、この静寂はあまりにも場違いだ。


 ……そして。静寂があるからこそ、その音はより一層大きく響く。


 高らかに鳴らされる靴音は、信念の強さを示すかのように。

 そこに宿る確たる意志は、隠れ潜む誰かへの挑戦状だ。騎士の決闘を彷彿とさせる態度で、言外に逃げも隠れもしないと告げている。

 一定のリズムを刻み続ける靴が、ある一点でぴたりと止まる。その行動が意味するのは、其処が指定された「待ち合わせ場所」であるという事実だった。

 許可なく侵入すればたちどころに警報が鳴り響くよう、警備が強化された管理室。その前に広がる閑散とした通路は、三日目に激闘が繰り広げられたその場所だ。

 襲撃者が半壊させたという外壁はブルーシートに覆われ、今もなお生々しい爪痕を残している。その物騒さも相まって、なお一層誰も寄り付かない場所と化していた。


「————」


 誰かを。間違いなく自分をあざ笑っているであろう、顔も知らない誰かを探して、「彼女」はゆっくりと周囲を睥睨(へいげい)する。

 ああまでして呼び出した以上、相手は必ず近しいどこかの位置に隠れ潜んでいるはずだ。そうでもなければ、こんな回りくどい真似をするはずもない。

 油断も慢心も、そこには一切が存在しない。あるのはただ、目の前の事実を認識する機能だけ。

 人間味の一切を欠いた、いっそ機械的とも呼べるその瞳。美しく整った双眸(そうぼう)は、「彼女」を取り巻く世界をカメラのように映し続け——


「なるほどね。なかなかやるじゃん、雨宮くん」


「そりゃどうも。上手くいってありがたい限りですよ、和泉さん」


 ——そして。


 「水無坂だったもの」は、瞬く間にその姿を変える。


「あんたは筋金入りの愉快犯だ。どれだけ安全策を講じようが、どれだけ用心深かろうが、一番の特等席に座りたい欲望には抗えない。……どれだけ姿を隠しても、この場所には絶対に来ると思った」


「水無坂ちゃんを釣れた時点で、どうなろうと俺の目的は達成されてる。俺が来ない可能性も十分考慮できたはずだけど?」


「だからこそ、こうして釣り餌を用意した。こっちが対応策を打ってることに勘付かれた時点で、あんたは雲隠れするに決まってる——だが、誘い出せたとなれば、必ず見つからない場所から観戦を決め込むはずだ」


 瞼を一度(しばたた)かせれば、そこに居るのはもはや水無坂ではない。

 まめまる。降谷によってそう名付けづけられた、彼女の能力から生成された一匹の狐——手のひらサイズの小さな獣は、時折ノイズが走ったようにその存在をブレさせる。

 他者の外見を完璧に模倣し、ある程度なら自律行動も可能な使い魔。和泉さんを見事に騙し(おお)せた彼は、最後に大きな尻尾を一振りして虚空へと消えていく。


「勝負のすべては、あんたを誘い出せるかどうかにかかってた。……確実な疑似餌を用意できる知り合いがいて助かったよ」


 この(おとり)作戦を思いついたのは、時間にしてわずか数分前のことだ。前振りもクソもない唐突な電話だったにも関わらず、降谷は二つ返事で引き受けてくれた。

 事情の大部分を伏せて話した上、そもそも舌が回っていたかも相当に怪しい。それでも即決で了承してくれたことが、彼女が彼女たる所以(ゆえん)と言っても過言ではないだろう。

 以前の様子から考えるに、(まめまる)の見聞きした情報はある程度までしか降谷に共有されないはずだ。勘がいい降谷のこと、既に何かを悟っている可能性もあるが、それでも真実を軽率にばら撒くのは気が引ける。

 彼女が望めば説明はするが……和泉さん(かがいしゃ)水無坂(ひがいしゃ)も既知の仲である降谷にとって、真相を知ることは必ずしも望ましいこととは限らない。そんなことを考える程度には、俺にも彼女への情というものがある。


「ま、気づかれる可能性も勿論考えてはいたけどね——にしても、ここまで綺麗に出し抜かれるのは想定外だ。まさか、水無坂ちゃんが秘密の共有なんてことをするとは、ね」


「水無坂が話さなくても、犯人の見当は付いてたさ。さすがに場所は聞かなきゃお手上げだったがな」


「へーえ……うまいことやってた自信があるんだけどなあ。どこでバレたのやら」


 驚いたような顔で頭を搔く和泉さんは、その実全く焦った様子など見られない。

 まあ、それも当然と言えば当然だ。いくら真犯人を追い詰めたつもりでも、俺一人ではどうしようもないのだから。

 目の前にいるのは本戦出場選手、万全の状態ですら相手取ることが苦しい相手。対する俺のコンディションは最低値以下、文字通り死にかけの有様だ。

 もとより万全のコンディションで戦えたことなど無い俺だが、分けても今回ばかりはどうしようもない。鍔迫り合いを演じるどころか、戦いを成立させるのすら絶望的だろう。


 だが。その程度で引き下がれるのなら、そもそも俺はこんな場所に立っていない。


「勘だ。俺の直感は当たる」


「えー、なにそれ」


 お望みとあれば、全くもって面白みのない解答を返してやる。

 不規則に揺れ動く視界の中、それでも意識だけはしっかり保って口を開く。

 期待していたらしい和泉さんには悪いが、あいにくと俺がそこまで明晰(めいせき)な推理を披露できるわけがない。勘でも当てずっぽうでも、この場を用意できた時点で俺の勝ちだ。

 複数犯が云々だの、そんなものは後からいくらでも付いてくる。小難しいことを考える役目など、魚見にでも一括でぶん投げておけばいい。


水無坂(アレ)がどんな人間で、それ以上にどんな性格なのかを知ってなきゃ、そもそも個別に誘い出すなんて思いつくはずがない。だが、最初から水無坂一人が狙いだったのなら、最初の犯行予告の時点でそうしてるはずだ——そこまで考えて、あとは俺の知る限りで一番()()()()()が好きそうな人間に絞った。それだけだ」


 水無坂に対してのみ、犯人が個別でアプローチを取っている。その予想そのものは、言わずもがな直感の産物だ。

 こちらの行動に対して最高の反応を返してくれる、考える限り最良の玩具。もし俺が犯人だったとすれば、水無坂という存在は天啓にも近しい存在に見えることだろう。

 勝手に(いきどお)って、面白いように反応を返してくれるのだから、これほど面白い見世物もそうはない。油を注ぎこそすれ、手を出さないという選択肢は存在しないはずだ。


 ……しかし。事実として三日目の時点では、水無坂は歯牙にも掛けられていなかった。


 あの事件で彼女を襲ったのは、不意打ちに長けた透明化の能力者——魚見が言うところの「本来の黒幕」から放たれた手下の男だ。

 あのとき水無坂が標的になったのは、予告犯からすればまったくの想定外だった。それどころか、こうして水無坂で()()こと自体、考えてもみなかったに違いない。


 だとすれば、だ。一度目と二度目の犯行予告の間に、犯人が水無坂の性質を認知するイベントがあった、ということになる。


 三日目の夜。専属警備がどうこうと、水無坂が俺に向かって駄々をこねたとき。彼女の実態と性格を把握するには、あの一幕があれば十分だ。

 そして。あの場に同席していた人間の中で犯人に該当しそうな人間となれば、自ずと対象は絞られてくる。


「愉快ねえ。はは、言うじゃん」


 他者を揶揄(からか)い、手玉に取ることを好む。トリックスターと言えば聞こえはいいが、実力者がそんな気質を備えているのだからタチが悪いことこの上ない。

 本戦初日に抱いた、和泉さんに対する第一印象。あまりにも失礼が過ぎる直感は、しかし図らずもこの状況を言い当てていた、というわけだ。


「一日目の事件、あれもあんたの仕込みか?」


「いいや? あれは正真正銘、俺を標的にした『事件』だったよ。完全に不意を突かれて、気が付いた時にはベッドの上だ。黒幕さんが誰かは知らないけど、計画も実行の手際も完璧だった——被害者直々に太鼓判を押してやってもいい」


 壁にもたれかかった和泉さんは、茶化すようなそぶりすら見せて口を開く。

 恨み骨髄(こつずい)だった過日の様子とは裏腹に、その口調のどこにも黒い感情は見られない。あまりにも露骨すぎるその変化は、眉を(ひそ)めるには十分過ぎるほどのものだ。


「もちろん腹は立ったさ。必ず復讐してやると誓った——でも、単に犯人を見つけて締め上げたところで、俺の気が晴れる以外には何の面白みもない。いちばん鼻っ面に効く仕返しをしてやらなきゃ、やられ損もいいとこだ。だろ?」


「……その結果が犯行予告か。随分とまたロックだな」


「周到な計画を立てる人間が何よりも嫌うのは、己のペースを乱されることだと思ってね。だからなるべく派手にやって、向こうが後手に回らざるを得ない状況を作った」


 手品の種明かしをしたくて仕方がない子供のような、限りなく純粋な表情で。

 あくまで嬉々とした声色のまま、和泉さんが言葉を継ぎ足していく。自分の仕掛けた爆発に恍惚(こうこつ)とする爆弾魔がいるとするのなら、こんな表情をしているに違いない。


「計画に予想外の障害が生じれば、相手は必ずリカバリを試みる。だったら、俺は無視できないほどの騒ぎを起こすだけでいい。待ってるだけで向こうが勝手に飛び込んできてくれるんだから、こんな楽な話もないだろ?」


「それでも、黒幕が乗ってくる保証はどこにもなかった。傍観を決め込まれる可能性も、まったくなかったわけじゃないはずだ」


「だろうねえ。でも実際、向こうは見事に引っかかってくれたよ。探してた加害者その人をご丁寧に寄越してくれたんだから、黒幕さまさまってやつだ」


 犯行予告も、爆発騒ぎも。あれだけ星皇祭を騒がせた一連の事件は、すべからくただの手段でしかなかった。

 被害者から加害者へと変ずるまで、時間にしてたった1日。その1日でこれだけの筋書きを用意し、涼しい顔でそれを実行に移す手腕は、当然ながら常人のそれではない。

 隣で戦っている先輩が犯人であることなど、さすがの魚見でも考えが及ばなかったのか。(あいつ)の場合、身近で戦っていた味方を疑いたくなかった、という心理も多分に働いているのだろう。

 己が犯人である痕跡を完璧に隠しつつ、何食わぬ顔で標的の捕縛まで成し遂げている。これらすべてが僅か十数分の出来事なのだから、マッチポンプもいいところだ。


「……復讐、と言ったな。だったら、ひとつ訊きたいことがある」


 相対するその笑みに、徐々に呼吸が浅くなる。

 揺れ動く視界が示すのは、限界が近しいことの証左に他ならない。


 だが——まだだ。


 飛び出そうとする何かを縛りつけ、踏み止まるように平静を保つ。

 まだひとつ、訊くべきことが残っている。その答えを得るまで、()()を自由にさせてやるわけにはいかない。


「あんたほどの実力があれば、黒幕を徹底的に追い詰めることもできた。あんたの言う復讐を、最後まで貫徹することもできたはずだ。……なのに何故、途中で方針を変えてまで、水無坂に手を出した?」


 また随分と過保護な物言いだね、などと。もし魚見が同席していたのならば、そう言って憚らなかったに違いない。

 それでも。この質問は、俺がこの場に来た意味そのものだ。

 足を引き摺り、息も絶え絶えでここにたどり着いた理由。その答えを聞き届けるためにこそ、俺は無様を晒してでもこの場に立っている。


「なんだ、そんなことか」


 しかし。

 平凡極まりない俺の質問に、返ってくるのは呆れたような言葉だけ。

 溜息、そして冷笑。心なしか興醒めしたような表情が、それが「愉快」なものではなかったことを端的に表している。


「そんなもの、さっき君が言った通りだよ——そっちの方が愉快だから、さ。復讐も悪くはないけど、逆に言えばそれだけだ。それに、そもそも俺が好き放題やってる時点で、黒幕なんてお飾りみたいなもんでしかない。どこの誰かは知らないけど、正直可哀想になってくるよ」


 他人事のように呟かれる言葉の中に、嫌味の響きは微塵もない。

 それは、文字通りの単なる事実。黒幕の存在など取るに足らないという、和泉さんからすれば当然の宣言だ。

 より遊び甲斐のある玩具を見つけた彼にとって、復讐というものはもはや記号以上の意味を持ってはいない。実行犯に制裁を加えた時点で、その存在は視界に映らないほど小さなものへと変わっている。


「どれだけ出来の良い作り物だろうが、天然モノには遠く及ばない。どこぞに潜んでる黒幕さんを徹底的に追い詰めるより、上物の玩具で遊び倒したほうがよっぽど有意義ってもんだ。だろ?」


 獲物を残忍にいたぶることを楽しみながらも、飽きた瞬間に次の対象へと興味を向ける。嫉妬や怒りなど微塵も介在していない、文字通りの気紛れそのものだ。

 例えるなら、それは猫。無邪気さと残忍さ、相反する二つを抱え持ったその性質は、まさしく愉快犯と呼ぶに相応しい。

 水無坂が毒牙にかかったのは、言ってしまえば悪運以外の何物でもない。ともすれば次の瞬間にさえ、和泉さんは水無坂への興味を失っている。


 ……ああ、よく分かっている。最初からこの質問は、確認に過ぎないものだったのだから。

 だが。それが彼を見逃す理由になど、間違ってもなりはしないのだ。


「で、そろそろ本題だ。……君だって、何も犯人探しに来たわけじゃないんだろ?」


 ここまでの話など、すべてが下らない前座に過ぎないと言わんばかりに。

 強引に話を断ち切った和泉さんが、待ちきれないといった様子で神器を現出させる。


「雑談とか、交渉とか——そんな面倒なのは別の場所で、俺たち以外の誰かがやればいい。今俺たちがやるべきは、もっと他のことだ」


 虚空を切り裂いて現れる、美しい装飾が施された一振りの刀。

 突き付けられた切っ先が、この会話劇の終幕を指し示す。


「……話し合いで済むなら万々歳だ。穏便に済ませられるのに、わざわざ騒ぎを広げる意味がない」


「えー、素直じゃないなあ。穏便に済ませたかったのなら、そもそもその状態で来てないでしょ、君。他にいくらでも方法はあったはずだけど?」


 お見通しだと言わんばかりに、和泉さんが目を細めて笑う。それは紛れもない、捕食者の眼光そのものだ。


 ああ、知っている。

 俺は、その眼を——その眼を向けられた瞬間に湧き立つ、己の中の衝動を知っている。


 カインとの一戦以来、『それ』はずっと傍観を決め込んできた。一瞬目を覚ますことはあっても、そのはげしさは見る影もなく鳴りを潜めていた。

 無意識であれ意識的であれ、俺はそれを恐れている。だからこそ姿を見せないのだと、勝手にそう思い込んでいた。


『ああ……はは、ようやくお目覚めか。まったく、舌が肥えるのも考えもんだな』


 恐怖もなく、震えもなく。

 この状況の只中にあって、『俺』はただ歓喜の声を上げる。


『安心しろよ、お前は死なない。たかが毒程度で、お前()が殺せるものか』


 縛り付けていたはずの理性の鎖は、もはや何の意味もない。

 和泉さんの言う通り、方法なら他にいくらでもあった。水無坂を止めた時点で、俺の役目は達成されていたのだから。

 俺がここに居る理由。どれだけ取り繕おうと、その根本は隠しようもないものだ。

 至極明快で、この上なく単純。だからこそ、反論の余地などあろうはずもない。


「……へーえ。きみ、()()()()か」


 得心したような笑みを浮かべる和泉さんを前にして、全身の感覚が研ぎ澄まされていく。

 コンディションは劣悪、相手も言わずもがな凶悪。勝ちの目など皆無、それどころか勝負をすることすら不可能だ。


『なに、丁度良いハンデだ。これでようやく興が乗ったんだ、この大会も案外捨てたもんじゃないだろ?』


 ……いいや、違う。

 この程度の(かせ)など、物の足しにもなりはしない。


 落ちる。

 堕ちる。

 深い(あな)の底へと沈みゆくほどに、喜悦が身体に満ち満ちてゆく。


 以前よりも深く、以前よりも鋭く。肉体を駆け巡る高揚感の前では、障害となり得るものなど何もない。


「ああ——」


 ようやく、ようやくだ。


 長い長い、ただ過ぎ去っていく試合を眺めるだけの時間。

 あまりにもくだらない、冷え切った退屈から、これでようやく解放される。


 人造神器、起動。引き抜いた短剣が、音もなく展開する盾が、半ば麻痺した触覚をも貫いて存在を主張する。

 合図など必要ない。これから始まることなど、双方がどうしようもないほどに理解しきっている。

 いつ切れるともしれないほど、ピンと張り詰められた緊張の糸。

 触れれば砕け散りそうなほどの空気が、たった二人だけの空間に充満し——


「……は」


 そして。

 文字通り、空気が爆発した。


 受け止めた盾に伝わってくる、ビリビリと痺れるような感覚。こちらを一撃で屠りうるその攻撃に、血が暴れ狂い出しそうなほどの昂りを見せる。


 爆撃、と。あえて平凡な名をつけるとすれば、そう表現するより他にない。


 何もない空間が唐突に(ねじ)れ、抉れる。手榴弾でも爆発したかのような衝撃は、しかし何もない虚空から発生するのだから手に負えない。

 奇襲性と威力を兼ね備えた能力は、例えるならば空間爆撃とでも呼ぶべきか。ジャックとかいう男は爆撃を銃口からバラ撒いていたらしいが、こんなもの一発でも当たればオーバーキルは確定だろう。

 風景が歪むような前兆こそあるものの、気を抜けば一発で粉々になることは想像に難くない。安全装置(セーフティ)が存在するフィールド内部ならいざ知らず、ぶっつけ本番で貰うにはあまりにも恐ろしい攻撃だ。


「右、2秒」


 ひとつ一つの動作を、念入りに確認するかのように。

 受け切った爆撃をもとに、次の一発をより確実に防ぐ目算を積み上げていく。

 発生のタイミングを、タイムラグを、インターバルを把握しろ。予測と攻撃、双方に生じるズレを修正して対応しなければ、待っているのは確実な死だ。


「わお、やるね」


 気の抜けた声とは裏腹に、和泉さんの攻撃の手は片時も止むことがない。

 二発、三発——一切の遠慮なく、嫌らしい角度から差し込まれる爆撃。奔流のごとき攻め手の向こう側に、上機嫌な笑みが浮かび上がる。


「……っ」


 視界が揺れる。不規則に明滅する意識が、肉体の限界値を如実に示す。

 このまま防戦に回っている限り、状況は何一つとして好転しない。いくら爆撃の嵐から身を守り続けようが、その先にあるのは時間切れによる強制ゲームオーバーだ。


 もちろん。わざわざ言われずとも、そんな下らない幕引きにするつもりは毛頭ない。


 踏み込め。爆撃のタイミングを見切り、一気呵成に畳み掛けろ。

 手持ちの武器は短剣、どのみち接近しなければ当たりようがない。短期決戦を仕掛けるのであれば、戦法は単純なほど効果的だ。

 一瞬の機を見計らい、正面の標的へと一息に踏み込む。彼我の位置は直線上、決して届かない距離ではない。


「はは、そうこなくちゃ」


 が。たったそれだけ、ひと息のうちに終わる動作ですら。

 今の俺では、あまりに遅い。

 一歩を詰めたその刹那、和泉さんの姿が掻き消える。朦朧とした意識の中、脳裏を突き刺すのは喧しいほどの警鐘だ。


 ——まずい。死角に回られた。


 直感的な理解を裏付けるのは、首筋に伝わってくる殺気。抜き放たれた刀身が美しく煌めき、危機をこの上なく端的に指し示す。

 

「……っぐ」


 一閃。躊躇いなく首を刈り取らんとするそれに盾を合わせ、残された膂力(りょりょく)を振り絞って受け止める。

 細身の刀身に込められているのは、盾ごと俺を両断せんばかりの力。明らかに許容量を超えた負荷に、盾越しの腕が軋みを上げる。

 このまま片腕を使い潰しても、せいぜい数秒稼ぐのが関の山だろう。満足な反撃もできないまま、ただ無慈悲にすり潰されるのは火を見るよりも明らかだ。


「一回見ただけで対応してくるとはね。なんで本戦にいないの、君?」


「……クジ運?」


「はは。ナイスジョーク」


 大真面目に鍔迫り合いなどしようものなら、そう遠くないうちに真っ二つになる。立っているだけでも厳しい今、たった数秒でも競り合えるのが奇跡のようなものだ。

 感心したような声を上げる和泉さんには悪いが、真っ向から斬り結ぶなど愚の骨頂でしかない。こちらから仕掛けるのであればいざ知らず、()()()()()状況での近接戦など死と同じだ。


「……そこ」


「うお」


 仕切り直しに必要な一手は、単純であればあるほど良い。

 増大し続ける左腕の負荷と、それに伴う絶大な痛み。それら全てを意識の片隅へと追いやり、右手の短剣から激流を撃ち出す。

 風穴のひとつでも開けてやれれば御の字だったのだが、それはあまりに高望みが過ぎるか。軽やかにいなして距離を取る和泉さんを前に、九死に一生を得た気分で地を踏みしめる。


「イイね——例の大立ち回りの話は聞いてたけど、まさかここまでとは思わなかった。嬉しい誤算もあったもんだ」


「そりゃどうも。そんなに戦いたいなら、個人戦にも出ればよかったんじゃないか?」


 たった一回。切り結ぶどころか触れ合った程度で、頭が今にも割れそうなほどの痛みを発している。戦慄(わなな)く身体が未だ崩れ落ちていないことに、誰よりも自分が驚いているほどだ。

 一撃を強引に止めた左腕は、和泉さんが離れてもなお痺れ続けている。もう一度同じ使い方をしようものなら、今度こそ完全に使い物にならなくなることは想像に難くない。


 ……さて。ところで、ここからどう攻めたものか。

 ろくに回りもしない頭に鞭打ち、状況をこじ開けるための突破口を模索する。


 接近戦では圧倒的に不利。斬り合いはほぼ不可能、一度でも防戦に回ればその瞬間にゲームセットだ。攻撃を受け止め、あるいは受け流した上で懐に入り込む短剣のバトルスタイルは、今回に関しては絶望的と言わざるを得ない。

 だからといって遠距離戦に持ち込もうにも、こちらの対抗策など無いに等しい。絶え間ない爆撃で一方的に削られることは、先の展開を見る限りでも明らかだ。

 水流による撹乱と不意打ち、そして人造神器のモード変換機能。こちらに残された手札といえば、せいぜいがその程度のものか。

 断片的とはいえ一度見せてしまった以上、前者がまともに機能するかはかなり怪しいと言わねばならないだろう。本戦出場選手ともなれば、わずかな情報から能力の応用法を看破してきてもなんら不思議ではない。


「…………は」


 吐き出した息は熱く、肺から焼け(ただ)れたような痛みが零れ落ちる。

 鉛のように重い腕も足も、命令をまともに聞く気がないことは明らかだ。思考さえ散逸しているのだから、その末端器官が律儀に仕事をこなすはずがない。


「は、はは、ははは——」


 ああ。

 本当に、最高の気分だ。


 身震いするほどの歓喜。総毛立つほどの興奮。そのすべてが、紛れもなく俺自身が望んだものだ。


 であれば、苦痛も恐怖も、この快楽を彩るささやかなスパイスでしかない。


 混濁した思考を上塗りするように、沸騰した血が体内を駆け巡る。止めどなく横溢(おういつ)する渇望に飲み込まれ、その他の一切が雑音となって消えていく。

 限界が近いというのであれば、それを超えて使い倒してやればいいだけだ。必要だというのなら、喜んでその代償を支払おう。


 たったそれだけで、この戦い(あそび)を続けられるのであれば。

 そんなものは、代償と呼ぶことすらも値しないのだから。


「……こっち側、なんて言ったけど、撤回するよ。君は俺の同族なんかじゃない、紛れもない()()()()の人間だ」


 そのとき。何かを悟ったような和泉さんの表情は、決して気の所為ではないのだろう。

 震えを帯びたその声は、しかし恐怖を示したものではない。

 そこに内包された感情は、圧倒的な芸術品を目の当たりにしたときのような。あの時カインが見せたものと同じ、静かな納得と興奮が、その口調の裏から滲み出していた。


「なるほど、本戦に出てこないわけだ——(ほんもの)からすれば、有象無象がお遊びでやってるこんな大会なんて、退屈しのぎにもならないものだろうさ」


 その言葉を最後に、鈍重な動きで落ちてくる静寂の(とばり)。前触れのように訪れたそれが、鈍重な動きで世界を覆う。

 短期決戦、もとより時間など必要ない。交わす言葉など、それに輪をかけて不要なものだ。

 あと一回。雌雄を決するのであれば、たった一回の攻防で事足りる。

 俺も、和泉さんも、その事実をとうの昔に把握しきっている。だからこそ、これ以上無駄な会話を重ねる必要もない。

 消える。音も、感情も、感覚も。

 世界を構成するすべてのものが遠ざかり、暗黒の中に溶けて沈む。

 凍りつき、動くことのない時間の中。一向に進まない秒針が、(つが)えられた矢の如く限界まで引き絞られ——


 そして、一気に弾け飛んだ。


「——っ」


 押し殺した和泉さんの声が、不意を衝いた事実を端的に示す。

 今ある手持ちの武器をただ使うだけでは、当然ながら決定打を与えることは困難だ。簡単に予測され、防がれてしまうことは想像に難くない。


 だが、使い方を変えればどうだ?


 出涸らしの能力を振り絞り、標的めがけて放出する。

 照準を合わせるのは、右前方に位置する修復中の内壁。ブルーシートに覆われた壁面も、正確に思い描けば能力の起点にすることは不可能ではない。

 暴力的な勢いで(ほとばし)る水流が、壁の破片ごとブルーシートを吹き飛ばす。仮留めを振り払ってすっ飛んだそれは、狙い違わず和泉さんの視界を青く染め上げる。

 たった一瞬、一発限りの目潰し。確かに和泉さんの虚を衝いたその間に、一気に彼我の距離を詰めにいく。


「やるね——」


 視線が交錯するのは、文字通りたった一瞬のこと。

 再び(まみ)えた和泉さんの瞳に、焦りの色は見られない。


 だが。本番はここからだ。


 衝撃と水流のあおりを受け、壁から勢いよく崩れ落ちる無数の瓦礫。そのうちのひとつ、目潰しが機能している間に拾い上げた次なる「武器」を、タイミングを合わせて和泉さんへと投擲する。

 僅かなタイムラグさえ、生死に直結する戦いの場。そのさなかにおいて、ただひと時でも視界が奪われるデメリットなど言うまでもない。

 障害を躍起になって取り除こうとするか、平静を失って取り乱すか。どれだけ練達していたとしても、己のテンポが乱されることに不快感を覚えるのは確実だ。

 そして、その障害が取り払われたとき。さらにもうひとつ、無視できない異物が眼前に飛来していたとしたら?


 展開される光景は、疑問に対する明快な解答に他ならない。


 僅か一瞬のうちに収縮し、()じくれる瓦礫。原形をとどめないほど散り散りになったそれは、和泉さんの「爆破」が凄まじい威力であることを如実に物語っている。

 第一の障害を取り除いた先で、間髪入れずに飛来してきた第二の異物。それを手っ取り早く排除するためなら、便利な己の能力に頼るのは至極当然だろう。


 ——ああ、それでいい。

 その「爆破」こそ、俺が望んでいたものだ。


 砕け散り、空に踊るは無数の破片。狙い通りの光景を前に、神経を極限まで集中させる。

 要求されるのは、針の穴を通すがごときコントロール能力だ。破片が地に落ちるその前に、すべてを掌握しなければ意味がない。

 壁面、床、そして適当な瓦礫。己の身体以外のどこからでも水流を射出できることは、予選において既に実証済みだ。

 であれば。いくら難しかろうが、不可能と断じる理由は何処にもない。


「っ——!」


 その合計、数にして10本以上。


 散りゆく破片の位置を把握し、それらすべてを能力の「起点」に変える。同時に射出された数々の水流は、その(ことごと)くが和泉さんへと収束していく。

 レーザーもかくやというほどの勢いで殺到する、視界を埋め尽くさんばかりの物量攻撃。それは時間をかければ難なく対処されてしまう程度の、虚仮威(こけおど)しの一発芸に過ぎないものだ。


 しかし。どれだけ見掛け倒しの攻撃でも、時間稼ぎの役割は十二分に果たしている。


 動揺、驚愕、あるいは戦慄。その時和泉さんが抱いた感情は、そのうちのどれかに当てはまっているのだろう。

 だが——そんなものを知る意味も、ましてや必要性もない。

 この状況下において、重要なことはただひとつ。そしてそれは、笑えるくらいに単純な事実でしかない。


 ()()は、隙だ。それも、致命的なまでの。


「神器換装」


 最後の一歩を踏み込むと同時、子気味良い感触とともに神器を連結させる。

 最高の条件で唸りを上げる、ここまで温存してきた切り札。斧へと姿を変えた神器を振り抜けば、和泉さんの服が瞬く間に朱に染まった。


「っ、ぐ——!」


 食い縛った和泉さんの口元から、およそ似合わない呻きが漏れる。振りまかれる鮮血は、この場に安全装置(セーフティ)が存在しない何よりの証明だ。

 苦痛に身を捩る和泉さんを前にして、次の一発を刻まんと神器を握り込む。

 情けや手加減の類をかける余裕など、残念ながらどこにもない。大ダメージを与えて足を止めた今、必要なのは駄目押しの一発を叩き込むことだ。

 あと一撃。たったそれだけで、この勝負に決着がつく。

 振れば当たる距離にいる相手を、横一文字に搔っ捌くだけ。たったそれだけで、完璧なチェックメイトが掛けられる。


 ()()()()()()


「……っぐ、ぁ——が」


 十重(とえ)二十重(はたえ)に揺れ動き、色彩を欠いていた視界。いよいよ限界を迎えていたそれが——突如として、正常なものへと立ち戻る。


 それは、間違っても完全な回復などではなく。

 たった今燃え尽きた蝋燭(ロウソク)の、最後の輝きに等しいものだった。


「づ、あ……く、そ」


 最大の好機。最初にして最後の、文字通り必殺の間合い。

 にも関わらず。電池切れの肉体がもたらすのは、身体と思考の深刻な齟齬だけだ。

 攻撃も、防御も。それどころか、そこに至るまでの思考そのものですら。

 

 あらゆる手段が——絶望的なまでに、「遅い」。


 ……ああ、最低な幕切れだ。足掻くつもりが、ただ醜態を晒しているだけなのだから。

 最後の最後で詰めを誤るなど、水無坂になんと言われるか分かったものではない。あれだけハッパをかけておきながらこのザマはなんだ、と笑われること請け合いだ。


「……惜しいね。残念だよ、本当に」


 かろうじて拾い上げたその言葉すら、致命的な遅れを伴って。

 目まぐるしく移り変わる戦況の果て。血に染まった和泉さんの神器が、知覚できないほどの速度で振り抜かれる。



 ——『扉』が、見えた。



 進むべきか、退くべきか。

 選択肢として提示された扉は、しかし触れるには少しばかり遠すぎて。



 それは、まるで。



 まだ()()()ではないと、言外に告げているような——



「さすが雨宮ちゃん。……ちょっとやり過ぎだよ、これ」


 そして。

 全てが消える。

最終戦、決着。毎回倒れてんなこの主人公。

次回よりエピローグです。予定ではあと2話、といったところでしょうか。「その道の先に」第2部、完結まではもうすぐです。


次回は金曜日、23時ごろ投稿予定です。たぶん。


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