1−6/駄菓子、議論、売り場にて
さつまりこが好きです。美味しいですよねアレ。
「にしても、たった一日でドッキリみたいなレベルで物事が動いてたなんてねぇ。寝て起きたら住む世界が変わってるって、ある意味じゃ異世界モノだよねこれ」
「どの意味だよ。だいたい、今回に関してはお前は仕掛け人の側だろ」
「仕掛け人……うーん、言われてみれば確かに。仕込みとか下準備に一ヶ月くらいかかってるし、地味に今回のMVPじゃない、僕?」
ねえよ。住む場所も学校も変わるドッキリがあってたまるか。そもそもどの立場からコメントしてるんだお前は。
数分前に坂本大佐の部屋から退出した俺と魚見は、現在元来た道を引き返している。定期的にすれ違う制服を着た人たちが、話に聞く日本星皇軍とやらの隊員ということなのだろう。日曜だというのに真面目に仕事をしているあたり、トップの堕落加減とは雲泥の差だ。
ちなみにそのトップこと大佐であるが、どうやら本来の仕事をほっぽり出してあの部屋に籠っていたらしい。説明を終えてうたた寝を再開しようとしたのも束の間、ほどなく迎えに来た女性——魚見曰く響さんというらしい——に引かれ、断末魔とともにあえなく退場していった。
制服が様になっていた美人秘書ではあったものの、あの形相を前にしてそんなことを言えるはずもない。無力な俺にできることは、ただ大佐の無事を心から願うことだけだ。大佐、あなたのことは忘れません……3分くらいは。おお、南無。
「……何でも良いんだが、結局寮に行くんだろ? 方向はこっちで合ってんのか」
「あ、その件なんだけどさ。その前に行きたいところがあるんだけど、いい?」
大佐の最期を頭から追い出し、話題を切り替えるべく質問する。するとそれを待っていたように、歩みを止めないまま魚見が口を開いた。
いい? とか言ってるが、その実態はただの強制だ。寮がどこにあるかも知れない現状、俺にできるのはこいつの提案を飲むことだけである。八割がた脅迫なんだよなあ……確認する意味ある?
「……先に寮じゃないのか。大佐からの命令なんだろ?」
「大丈夫大丈夫、ちょっと寄り道するだけだよ。それに君も、どこに何があるかは知っておいたほうがいいんじゃない? 割と広いし、何も知らないと確定で迷うよ、ここ」
寄り道、ねえ……なんとなーく語弊があるような無いような、そんな気がしないでもないが。
にこやかな笑みを顔に貼り付けたまま、こちらの逃げ道を確実に潰していく魚見。胡散臭いムーブがこの上なく似合っているあたり、やはりこいつの本職は詐欺師なのではないかと勘ぐってしまう。
「ほらほらちゃっちゃと行っちゃおう。善は急げだ」
考える間もなく勢いに押し切られ、「寄り道」の方向へと舵を切る。
まあこの先の予定もないし、別に付き合ってもこれと言った不具合はないのだが……それにこのあたりの地理を把握しておくという言い分も、決して間違いとは言えないのがタチが悪い。それもいいか、と思えてしまうのは、諦めなのか納得なのか。
……いや、アレだな。完全に丸め込まれてるな、これ。知ってた。
# # #
「質問いいか?」
「ん、どうぞ」
「……なんで基地の下にこんなもんがあるんだ」
「そんなに驚くことでもないんじゃない? ほら、駅ナカの地下街とかと似たようなもんだよ」
「その分類はさすがに雑すぎる」
や、あれもあれで相当なんだが。デカい駅の地下街とか、下手したら脱出不可能レベルの迷宮だ。
しかし。今目の前に広がっている光景は、形こそ違えどそれを彷彿とさせる威圧感を放っていた。
あの問答を経て、更に歩くことしばし。俺たちが辿り着いたのは、敷地のはずれにひっそりと存在していた、地下鉄の入り口のような階段だった。
醸し出す空気感といい、辺鄙すぎる場所にあることといい、明らかに怪しいニオイしかしない。もちろん即決で引き返そうとしたのだが、つらつらとそれらしいことを並べ立てる魚見に説得させられ、結局足を踏み入れてしまったのである。
「なんで地下にショッピングモールなんか作ってるんだ……意味がわからん」
だが。まさかこんなことになっているとは、誰が予想できたであろうか。
やけに長い階段だとは思ったが、まさかその先に屋内施設が——それも、一日中遊べるようなレベルの大店舗が直通で存在していることなど、リハクの目をもってしても読めようはずがない。何故駅ですらない、大佐曰くどっかの森にある施設の地下にこんなものがあるのか、如何とも理解しがたいものがある。
「いやぁ、元々はこんな大きさじゃなく、もう少しおとなしめな感じだったんだけどねぇ。今どきの子に合わせて色々と追加していくうちに、これだけの広さになっちゃったらしいよ」
「増築理由が適当すぎる」
そんな軽いノリでとんでもないものを作るな。レゴの家ですらもうちょっと慎重に建てるぞ。
「とにかく、ここなら大抵のものは買い揃えられるから、これからは欲しいものがあるならここで買うように。僕は行きたいところがあるから、何か探して適当に食べて、一時間後にここに集合ってことで。あぁ、外には迷うから出ない方がいいよ。じゃ」
「おい、魚見——おい」
……本当に行っちゃったんだが。え、これドッキリとかじゃ無いんですか? マジで?
一息に言葉を出し切った魚見は、それきり俺に背を向けて立ち去っていく。目的地は既に決まっているのか、こちらを一切顧みることもない。
「……ええ……」
あまりに予想外の展開に、口から声とも呻きともつかぬものが零れ落ちる。我に返って呼び止めようとした時にはもう、魚見の姿は雑踏の中へと消え去っていた。
奴にとっては勝手知ったる場所かもしれないが、俺にとっては完全に未知の世界だ。初見の場所に一人取り残すとか、あいつには人の心がないんですかね……下手したら遭難までありうるぞこれ。
呆然と立ち尽くそうが、天を仰ぎ見ようが、それで状況が好転する訳でもない。やむなく近くの案内板を見て行き先を決めようとするもものの、そこで新たな問題が俺の前に浮上してくる。
「……金は?」
そう。金欠だ。
病院で着替えこそ済ませたが、その他の荷物は当然ながら持ち合わせていない。学生鞄に入れていたはずの財布はもちろん手元になく、あるものといえば先程受け取った携帯だけだ。
ダメ元で学生服のポケットをまさぐってみるものの、幾らかの小銭以外にはめぼしい収穫もない。総額128円、何を食えばいいんだこれで。
目の前の喫茶店で優雅なティータイムでもと思ったが、こんなはした金ではとても望めない。せいぜい駄菓子を2、3個買うのが関の山だろう。おやつは120円まで、小一の遠足でもかなりハードな縛りプレイだ。
「…………食品売り場ってどこだ」
悩みに悩んだ末、やはりこのはした金で買えるものを買おうという結論にたどり着く。
寝ていたせいで実感が薄いが、考えてみれば丸一日、何も口に入れてないのだ。ようやく調子が戻ってきたのか、空っぽの胃袋は今になって空腹感を主張し始めている。駄菓子だろうがなんだろうが、腹を満たせるに越したことはない。
無秩序に動き回る人波をかき分け、目的の食品売り場へと歩を進める。休日ということもあってか、周囲にいるのはその多くが学生だ。星皇学院とやらの制服を着ていると思しき女子、それに駆け寄る同じ制服の男子……よし、顔覚えたからな。覚悟しろよお前。
溢れ出す怨念を押さえ込んでえっちらおっちらと進み、二、三度迷いつつもようやく目的地へ到着。ここにもそれなりに人はいるが、さすがに先程の比ではない。
これほど特殊な立地でいったい何を売っているのかと思ったが、意外にもラインナップは普通のスーパーと変わりない。見慣れすぎた食品売り場の光景は、ここが地下であることを忘れそうになるほどだ。
「あっちか」
卵の特売、4時からのタイムセール。いずれ必要になるであろう情報を頭に入れつつ、さらに向こうの棚へと視線を移す。
議題はたったひとつ。限られた資金、128円という財産をどう使うべきか。
折り重なる熟考の末、俺が導き出した答え。それはもちろん——
「まあ、コレだよなぁ」
そう、じゃがじゃがりこりこサラダ味。これを除いて他にはない、と断言できる。
考えてもみて欲しい。この値段で腹持ちがよく、なおかつ飽きがこない、おまけに持ち運びにも適している隙のなさだ。まさしく神に愛された唯一の駄菓子、天が我らに遣わされた大いなる恵みと言っても何ら過言ではない。この素晴らしさを語りつくそうとすれば、一晩あっても足りないことは自明の理だ。
……が。残念ながら、今はそれで行数を稼いでいる場合ではない。
目前にあるサラダ味は残り一個、文字通りの超品薄状態なのだ。これが最後のひとつをお前に与える、という神からの啓示であることは、状況から見ても確定的に明らかだろう。
有り余る幸運と、この巡り合わせに心からの感謝を。よく分からない神によく分からない感謝を捧げ、一日ぶりの食事となるであろうそれへと手を伸ばす。
——その、寸前で。
ぴしゃりという小気味の良い音ともに、俺の手が素早く払われた。
俺を遮ったのは、隣から伸びてきたすらりとした腕。雪肌と呼ぶに相応しいその手が、さも当然と言わんばかりの流れで最後のひとつをカゴに入れ——
「おい、ちょっと待て」
その手首を、俺が掴んで止める。
「どう考えてもそれはおかしいだろ。今俺が取ろうとしてたの見てなかったのか?」
「まだ取っていなかったのだから、貴方のものではないでしょう。それより、離してもらえますか? このままだと訴えられますよ、貴方」
目の前で小さく、さも当然というふうに首を傾げる少女。
容姿、立ち居振る舞い。外見を構成する全てを勘案に入れ、その印象をごくごく端的に表現するならば——ありきたりだが、それは美少女という他にないものだった。
俺より低い身長は、どれだけ高く見積もっても160センチ手前といったところだろうか。胸の下あたりまである長い黒髪は、冷たさすら感じる整った容姿にこの上なく似合っている。ピンと伸び切った背筋も合わさって、こちらを突き刺す視線はナイフと喩える他にない。
清楚という言葉をそのまま具現化したような、大和撫子ドンピシャのビジュアルだ。その身に纏う雰囲気のせいか、制服を着ているにも関わらずまるで同年代とは思えない。可愛い、というよりは綺麗と表現する方が、よほど当て嵌まっているだろう。
……しかし。しかし、である。
いかな美少女と言えども、それが狼藉を見過ごす理由になどなりはしない。分けてもこちらは絶食状態、空腹でエネルギー切れの寸前なのだ。食べ物の恨みは根深いぞ、思い知れ。
「まだ取ってなかったって、それはそっちが妨害したからだろ。そもそもそうやって横取りすること自体が非常識だ。今時小学生でもやらんぞ」
「横取りとは人聞きが悪い。ただこれを取ろうと手を伸ばしたら、偶然貴方とタイミングが被ってしまっただけのことです。むしろ、そうやって難癖をつける方が非常識だと思いますが」
「……難癖って、あのな。あんた、順番待ちしてる人間の列に割り込むのか?」
「まさか。ですが、今回はどこにも列が見当たらなかったもので。それとも、最初に並ぶことまで禁止するのですか?」
おおう……こいつ、想定以上にやりおる。
涼しい顔のまま舌戦に応じる彼女の瞳は、俺の言葉に微塵も揺らぐことはない。ああ言えばこう言う、の姿勢を維持したままここまで食い下がれるあたり、クソリプ合戦の素質ありだ。どうやら大和撫子なのは外見だけ、という訂正を入れなければならないらしい。
このまま力尽くで奪い取るのも選択肢のひとつではあるが、さすがにそれは禁じ手だ。言い訳は署で聞こう、という流れになりかねない。なんならもうだいぶ怪しいまである。
「もういいでしょう? 私も予定があるので、そろそろ解放していただきたいのですが」
そして、こっちがなんとか穏便に済ませようとしてる横でこの謂だ。
彼女にとって、この一件は完全に終わったものとして認識されているらしい。もういっそ、手から水を出して驚かせるとかもアリかもしれんな……いやしかし、それで他の商品が濡れたら弁償ものだ。
……さて、どうするべきか。
もはや何に怒っているのかも分からなくなってきた中で、この騒動にどう収拾をつけたものかと頭を悩ませる。平行線の議論をしていてもこちらが疲れるだけなのだから、可及的速やかに解決策を提示しなければならない。
——そして。
そんな俺の、くたびれた思考を断ち切るように。
何の前触れもなく、少女の体が掻き消えた。
……いや、掻き消えた、という言い方は正しくないだろう。
消えたと認識した時には既に、彼女の体は俺の手の届かない位置にあったのだから。
「すみませんが、時間も押していますので私はこれで。それと、女性に手荒な真似をするのはあまり褒められた行為ではありませんよ? 気をつけてくださいね」
何が起こったのか、理解が追いつかずに立ち尽くす俺。そんな俺を尻目に、少女は優雅に立ち去っていく。
戦利品を握りしめる彼女の表情は、氷のように冷静なまま。それでも、その言葉尻に勝ち誇ったような響きがあったのは、決して勘違いではないのだろう。
「……なんだそれ」
予想外すぎる結末を、咄嗟に受け止めることもできず。
敗者の俺に与えられた権利は、ただその場で立ち尽くすことだけだった。
120円の駄菓子に全力を出すヒロイン、クールに見せかけてるだけでたぶんアホ。
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