2-27/フェーズ3:それは、吹けば飛ぶような
7月28日。雨宮俊は職務に忠実な人間です。
星皇祭、本戦四日目。いくら一大イベントとはいえ、四日目ともなればそろそろ中弛みもしてくる頃合いだ。
いかにレベルの高い選手たちの駆け引きを見られるとはいえ、参加チームが決まっている以上は目新しさも薄れてくる。同じような試合の展開を繰り返し見ていれば、いい加減に多少は飽きも来るというものだ。
だが。不安を抱く諸氏においては、どうか安心してほしい。
選手から運営まで、プロフェッショナルが揃っているこの星皇祭本戦。となれば当然、そのあたりのマンネリ対策も万全に講じられているのである。
開幕から三日間続いた団体戦の予選は、昨日決勝進出チームの決定とともに幕を閉じた。続きとなる決勝戦を観られるのは本戦最終日、六日目までお預けとなっている。
最後の最後に一番盛り上がる予定を持ってくるあたり、首脳陣も客寄せのなんたるかをよく心得ているというものだ。勝ち上がった4チームのうち、1位通過が樋笠たちのチームだというのだから、坂本大佐もさぞ鼻が高いことだろう。
では。最終日までの空白の二日間、行われるイベントとは何か。
その答えが、星皇祭におけるもうひとつの種目——すなわち、星皇祭本戦・個人戦だ。
大まかなルールや使用フィールドは団体戦と同様だが、最大の変更点として「戦闘区域の縮小」という特別ルールが設けられている。
時間経過とともに使えるフィールドの範囲が限定されていき、指定範囲外にいたプレイヤーは強制で失格になる。どこかで聞いたような仕組みであるが、団体戦と比しても厳しい戦いになることは明らかだ。
一試合あたり8人か9人で行われる、己以外が全て敵のガチマッチ。それも時間が経てば経つほどに戦闘が避けられないようになる、というおぞましい特典付きである。
「リアルでFPSゲーをやる奴がいるか……」
ルールを確認した時、真っ先に出てきた感想を再度呟く。
バトル上等の選手と、よりスリリングな場面が見たい観客。双方のニーズに応えた結果、誕生した悪魔の如きシステムがこれである。あまりに血も涙も無いやり口というか、間違ってもこの中で戦闘などしたくない。
出場選手は各本部から5人ずつ、総勢25名もの大所帯となっている。これだけの人数がたった一日の予選で9人まで減らされ、明日にはもう決勝が行われるというのだから、そのスケジュールのハードさには戦慄するしかない。
加えて言えば。個人戦出場選手のうち半数ほどは、団体戦にも出場していた掛け持ち組である。
個人戦にエントリーするほどの人間には大なり小なりバトルに適性があるものだが、それでも連日の試合をこなすのは紛うことない超人の域だ。メンタル的にもフィジカル的にも、「普通」でないことは明らかである。
樋笠のように団体戦の決勝が内定している人間の場合、予選の結果如何では一日も欠かさず試合に出続けることになる。自ら望んでその地獄をこなすあたり、個人戦の出場者は皆一様に戦闘狂の判を押されても仕方がない。
……まあ、問題はそうじゃない方なわけだが。
この先に待ち受ける、恐ろしいほどに面倒臭い仕事。それを前にして、思わずそんな思考が脳裏をよぎる。
繰り返すことになるが、個人戦と団体戦の二刀流自体には何も問題はないのだ。
当人たちが望んでやっているのだし、それ以上に実力を証明できるわかりやすい指標にもなる。二つの試合を掛け持ちした、というだけで、実力者として一定の尊敬を得られることだろう。
……そう。問題は「個人戦にのみ出場する選手」なのである。
団体戦と違い、個人戦に出場するのはあくまで当人の裁量に委ねられている。となれば当然、集まるのは好戦的な者ばかりになるわけで。
……つまり、だ。もうお分かりのことだろうが、改めて述べておくと。
「個人戦にのみ出場する選手」——彼ら彼女らはみな、狙っていた団体戦での本戦進出を果たせなかった、という事実を背負っているというわけだ。
積もり積もった鬱憤やら、ここまで溜め込んできた諸々の感情やら。それらを全て個人戦に注ぎ込むとなれば、当然ながらそのエネルギーは尋常なものではなくなるだろう。
今回の騒動が予想外に長引いていることもあって、抱えているストレスも最高潮に達しているはずだ。現に第一試合までまだ余裕がある今でさえ、選手たちのピリつき具合は目に見えて分かるほどになっている。
まあ、とても分かりやすく言えば。めちゃくちゃに空気が悪い、ということだ。
そして。
そんな状況の中にあって、彼女がただ一人例外というわけでもない。
むしろ空気中に漂うギスギス感のうち、何割かは彼女が原因だと言ってもいいくらいである。一言も喋ってないのにここまで空気を悪くできるの、もはや一種の才能だと思うんですけど。
「ああ、時刻通りに来たのですね。てっきり来ないものなのかと」
「あんたと違って、こっちはれっきとした仕事なんだよ。ただのワガママで他人に迷惑かけるとか、そう気楽にやれるもんでもないんでな」
開口一番に飛び出してきた、明らかにこちらを挑発する言葉。あえてそれに乗ってやっても、目の前のお嬢さまは悪びれずに鼻を鳴らすだけだ。
睡眠を取ってもろくに回復していない疲労感と、これからの仕事に対する凄まじい気の重さ。働きたくないと声高に叫ぶ身体にそれでも鞭打って来てみれば、待っていたのは朝一からのこの扱いだ。
幾らかは覚悟していたことではあったが、それでもやる気が死滅するのは仕方がないというものである。プロ意識とかないです……鍛えてませんから……。
「ええ、素晴らしい心がけです。仕事に対する真摯な姿勢は評価されると思いますよ」
「そりゃどうも。面接の時のアピールポイントにでもしておこうかね」
学生のアルバイトが選手の警備をする——例外中の例外とも言えるこの事態だが、しかし鬼島大尉の尽力によって話は昨日のうちにつけられている。
今日からの仕事で変更されたところといえば、せいぜいがシフトと勤務場所程度のものだ。なるべく俺に負担が出ないような方法を模索してくれたのだろうが、こうして軽口の応酬をしていると特例措置であることすら忘れそうになる。
言ってしまえば、警備の対象がゲートから一人の人間になっただけ。それも昨日のように好き放題動き回られるのならともかく、今から試合までは宿泊棟での待機が義務付けられている。
いかな水無坂とはいえ、さすがに試合をフイにするような無茶はそう軽々とできないらしい。水無坂の試合は第二試合ということもあり、数時間は部屋で『お喋り』する以外の選択肢がないのが実情となっていた。
「それで、俺はここで突っ立ってればいいのか? そのうち居眠りしだすかもしれんぞ」
「ええ、それで構いません。そのために貴方を指名させていただいたのですから」
「……はあ?」
扉を指して軽口を叩けば、想定外のコメントが返ってくる。
いつも通りの買い言葉かと思ったが、それにしては随分と目が据わっていた。その不可解さに、知らず間抜けな声を上げてしまう。
……さてはこいつ。警備員をホストか何かと勘違いしているのではなかろうか。
そもそも、昨日のアレを指名とかいう言葉で片付けているのが腹立たしい。子供の癇癪、と言ったほうがまだ相応しいと思うんだが。
「ご心配なく。貴方の功績については正当に評価しています。ですが、学生が特例で警備に当たるともなれば、相当に悪目立ちすることになるでしょう? 昨日取り逃がした犯人も、この件を間違いなく認識しているはずです」
俺の的外れな心配を他所に、水無坂は滔々と語り始める。どこか得意げなその語り口には、明らかに頭痛の気配を感じさせるものだ。
肥大する嫌な予感を裏付けるように、彼女の言葉は止まることなく紡がれていく。
「少なくとも、普通に警備を強化するよりはよほどつけ込みやすい。私が黒幕なら、貴方が警備に当たっている時間こそ、最大の好機と捉えます。こうしている今でも、襲撃される確率は昨日より高くなっているでしょう。であれば——」
「……おい、お前な」
堪え切れず口を挟んだのは、彼女が何を言おうとしているか分かったからだ。
もちろん。その程度で、水無坂が止まるはずもない。
「——こうして待っているだけで、向こうからこちらに飛び込んできてくれる。私が貴方の目を掻い潜ってまで行動しなくとも、犯人の方が会いにきてくれるのだから、これほど楽な話はありません」
ともすれば——平時の彼女自身が、誰よりも笑い飛ばすであろうその言葉。
本来なら一笑に付されてもおかしくないような、なんの確証もない狂言。妄想と斬って捨てられてもおかしくない考えを、しかし彼女は一切の淀みなく口にする。
「実際に居眠りしていただいても構いませんよ? 警備が緩くなれば緩くなるほど、私も犯人も都合が良くなりますから」
狂気すらも感じさせる昏い情念が、その瞳の奥底で燃え盛る。
「…………」
水無坂という人間、その内に含まれた執念を軽んじていたか——そう問われれば、その答えは断じて否だと言い切れる。
ここ数日の彼女の行動はみな、手を焼くと表現して差し支えないものだった。この個人警備など、その最たるものだと言っても過言ではない。
だが。それでも、足りなかったのだ。
彼女が宿しているものを、抱え込んで膨らみ続けたその大きさを。正確に、余すことなく把握するには、痛み分けのような口約束などではあまりにも足りていなかった。
「……なんでだ」
昨日の一件で、水無坂はもう一度自分が標的になる可能性は充分にあると踏んだのだろう。だからこそ、こうして自らが囮になるような真似を実行に移している。
彼女を守ったこと、その事実を他ならぬ彼女自身に体よく利用された。道具としての利用価値があると、自らの手で証明してしまった。
そう。言ってしまえば、俺は水無坂にまんまと出し抜かれたのだ。
「何が、あんたをそこまでさせる? あんたの目的は本戦で勝つことであって、犯人を吊し上げることじゃないはずだ。それともこの犯人探しが、大会で結果を残すより大事だって言うつもりか?」
だからこそ、俺は問わねばならない。
手負いの獣が如く、感情の炎を隠そうともしない水無坂に正面から向き直る。
利用されたことへの怒りはない。何処までも純粋な疑問だけが、胸中を静かに漂っている。
本戦が始まった時から——いや、思えばそれより遥か以前から。その兆候自体は、彼女の中に常に存在し続けていた。
水無坂と出会ったその日からずっと、彼女の中に見え隠れしていたもの。
焦燥感によく似た、しかし決してそれだけではないその感情は、星皇祭が近くなるにつれてよりその主張を強め——そして、とうとうここまで肥大したのだ。
ともすれば。彼女の存在そのものを飲み込み、なおも暴走してしまいかねないほどに。
彼女の根底に巣食うもの。彼女を駆り立て、ここまで追い詰めたもの。それが何なのかを、俺は明らかにしなければならない。
好奇の視線がないといえば嘘になるだろう。人間の一番弱い部分を、不用心に暴き立てようとしているのは承知の上だ。
それでも——それでも。たとえどれほどの口撃に晒されたとしても、問いかけ続けなければならないと、直感めいたものが囁いている。
「…………わたし、は。私は、ただ」
——だが。
「……ただ、許せないだけです。この大会を妨害して、何もかもを台無しにしようとする人間のことが」
問いに遅れること数十秒、ようやく返ってきたその反応。
それは。
想定していたもののどれとも似ても似つかない、吹けば消えてしまいそうなものだった。
あれだけ荒れ狂っていた感情の炎は、しかし今は何処にも向けられることはない。ただ己一人を焼き焦がすかの如く、彼女の内側で空虚に揺らめいている。
「……っ」
真正面から瞳を見据えようとする俺に対し、水無坂は心なしか苦しげに目を逸らす。
咎めるものと逃れるもの——何時ものそれではない、完全に逆転した構図。有り得べからざるその顛倒が、弱々しい彼女の声により一層の拍車をかけていた。
「……正当な評価を得る為に、正当な努力をしてきた。誰よりも苦しんできた人間が、結果を出すこともできずに、不当な人間に不当な手段で踏みにじられる——そんなこと、許されていいはずがないんです。絶対に、間違っている」
先ほどまでの勢いは見る影もなく消え去り、その言葉のどこにも欠片すら残されていない。
例えるなら、帰るべき場所を見失った迷子のように。一転して絞り出すように零される彼女の声は、覆っていたものを無理やり剥ぎ取られたかのような震えに満ちている。
「——それは」
水無坂の言葉をどう受け止め、どう応えるのか。何を口にするべきなのか。
完璧には程遠くとも、多少は考えがあった。引き出した言葉への対処法を、多少は用意していたはずだ。
だが。彼女のあまりの変わりようを前にして、口を衝いて転がり出たのは中途半端な声ひとつだけ。
肯定も、反駁も。その一切を許さぬほどの変貌に、続く言葉は喉元で立ち消えになる。
俺と水無坂の間に降りてきた、沈黙という名の間隙。それはゆっくりと、だが確実に周囲の空間を支配し、何もできない俺を嘲笑う。
『失礼しまーす——あれ、ノックって3回で合ってる? 2回だっけ?』
そして。
永遠にも思えた数秒の沈黙。それを突き崩したのは、俺でも、ましてや水無坂でもなく。
……聞き覚えのありすぎる、底なしに能天気な女の声だった。
俊、いよいよこの物語の本題へ。ここまで長かった……。
……なんか邪魔が入ってません?
次回は明日、23時ごろ投稿予定です。
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