2-19/フェーズ2:重なり合う想定外
前回のあらすじ
(・ワ・姉)←結局差し入れ全部食べた
胸元から伝わってくる、規則的かつ機械的な振動。昨日とは重要度が段違いになったそれに、すわ緊急連絡かと慌ててポケットを弄る。
「————っ」
しかし。
いざ携帯を開いてみれば、そこにあったのは想像をさらに歪にしたものだった。
届いたのは、業務連絡用の番号から一斉送信されたと思しきメール。もちろん個人を特定できる要素など微塵もなく、それゆえに誰が書いたのかも判然としない。
そこに書かれているふざけた文言は、普段であれば完全に無視するほどにトンチキなものだ。スパム扱いされ、誰の目にも留まることなく処理されることは疑いようもない。
そう。本来なら。
「…………え、なにこれ」
とっさに口を衝いて出る言葉なんて、所詮その程度のものだ。
想定外の事態を前にして、気の利いた言葉ひとつも捻り出せない。他でもないその事実が、己が凡人であることを痛いほどに自覚させる。
【通達】。そう題されたメールには、節々に気取った様子が滲み出ていた。
「昨日に発生した、和泉透夜を標的とした事件の首謀者は私である——そして同時に宣言しよう。明日だ。時刻は正午、標的は一人——止めるもよし、虚言だと斬って捨てるもよし。選択権は君たちに委ねられている。諸君らの健闘を期待する」
隣に立つ振本さんが、確認するかのように内容を飛ばし飛ばしで読み上げていく。信じられないものでも見たかのように震えるその声が、却って事態のリアリティを一層増幅させる。
無機質に光る画面に踊る文章。そして、そこに内包された、底知れぬと言っていいほどの悪意。
忘れもしない。見覚えのある愉快犯じみた口調に、つい一ヶ月前に見た彼らの姿が脳内に湧き上がる。
「……っ」
こんなこと、そう何度も起こっていいはずがない。暴走寸前の感情がそう訴えかける一方で、わずかに残った理性が今取るべき行動を指し示す。
やるべきこと。やらなければならないこと。バラバラに散った思考が走り、一本の線へと収束する。
のんびりするな——グズグズしている間に、いくらでも行動は起こせる。むしろ今動かなければ、遅きに失することは確実だ。
必要なのは情報共有。それも、一ヶ月前のあの事件で同じものを見ている人間となれば、この場で適しているのは一人しかいない。
「——もしもし、俊?」
『……ああ、こっちでも確認した。どうせメールの件だろ? たぶん大尉とかにも行ってるんじゃないか』
ワンコールで電話口に出たのは、つい先ほど聞いたばかりの疲れた声。
予想外の事態が直撃しても、冷静さを保てる程度の処理能力は残っていたらしい。一切の前置きを必要としないのは、問題の重要性をお互いに理解しているがゆえだ。
「関係者にはほぼ全員に行き渡ってると見ていいだろうね。……それに裏方だけじゃなく、もしかしたら選手が見てる可能性もある。ただの愉快犯か、本物の犯人なのかはまだ判別がつかないけど」
『この状況でご丁寧に名乗り出てくれたんだから、犯人様と無関係とは口が裂けても言えんだろ。まさか、向こうから名乗り出てくれるとは思わなかったがな。犯行声明を出すのはこの世界の一般常識なのか?』
「な訳ないでしょ。劇場型犯罪のつもりか知らないけど、こっちからしたらいい迷惑だよ。毎回毎回こんなことやるなんて、よっぽど暇人が多いのかもね」
この状況でもお互いに軽口を叩き合うのは、動揺を少しでも抑えようと試みているからこそだ。ひとまず切迫した事態は起こっていないらしいことに安堵しつつ、手短に会話を重ねていく。
事実、こうして話しているだけで、多少なりとも状況を把握できるようになっている。声に出すことで問題を明確化する、というやり口も、案外捨てたものではないらしい。
——でも。今この場においては、それ以上に重要なことがひとつ。
「……ねぇ。この書き方、どこかで見覚えがあると思わない?」
図らずも俊が口にした、犯行声明という単語。そのおかげで、この会話の核心に踏み込みやすくなった。
事前に犯行を宣言したとて、自身の優位性が微塵も揺らぐことはない。そう言わんばかりの自信が、文面の節々から滲み出している。
「……まさかとは思うけど。でも、万がいち——」
そして。傲岸と言っても差し支えないほどのその余裕は、否が応でもひとつの事件を想起させるものだ。
胸の内に去来する最大の懸念。取りも直さずこの電話の意味に直結するそれが、早鐘のように僕の心臓を打ち鳴らす。
『いや、奴じゃない』
しかし。
僕が口にしようとした言葉の続きなど、最初から知っていたと言わんばかりに。
その可能性を、俊は殊更にはっきりと否定する。
『こんなみみっちいことをやって喜ぶ人間なら、前の事件はもっと楽に終わってたはずだろ。そもそも、アイツならこんなメール止まりじゃなく、総本部に直接宣戦布告するくらいのことはやってのけるだろうさ——今回のこれはただの愉快犯、それもとびきりタチが悪いヤツだ』
断言するその口調は、静かながらも一切の反論を許さない強さが含まれたものだ。彼にしては珍しいほどの力強さに、抱いていた懸念が一瞬で吹き飛ばされる。
それは雨宮俊にとって、「奴」が——カインという存在が、それだけ重いものであることの証左。
刻み付けられた存在感は、何者も比する事などできはしないのだろう。
それこそ、紛い物の存在を一瞬で看破できるほどに。
「……まあ、そこの勘については信頼してるよ。少なくとも、君以上にあの男と関わった人間はいないだろうし」
『ああ、賭けてもいい。今回のコレは間違いなくカインなんかじゃない。もっと小さい、そのへんの生徒だか不審者だかの犯行だ。もちろん、こんなものを大っぴらに出してる時点で、小悪党とは言えないレベルまで来てるけどな』
「それを言うなら、被害者が出てる時点でね。ま、メールを見る限りじゃ、犯人の方はまだ全然満足してないみたいだけど……いや、それより」
電話口の向こうで響くその声に、話題を次の段階へと移行させる。
カインという恐るべき敵が関わっていない。何も見えない状況の中、そう確信できたのは間違いなく僥倖だ。
でも。その場合、また別の深刻な問題が姿を見せることになる。
「君ももう気付いてるかもしれないけど……例のカインが犯人じゃないなら、かなり危険な状態ってことになる」
そこで言葉を一旦区切り、視線を周囲に巡らせる。
隣にいる振本さんは、どうやら僕と同じようにどこかと連絡を取り合っているらしい。未だ動揺の渦中にあるのか、そのテンションは平時とは似ても似つかぬほどだ。
普段の様子が嘘のように、動転してまくし立てる彼。その姿からそこはかとなく距離を取りつつ、次の言葉を継ぎ足していく。
「わざわざこんなやり口をとってるからには、犯人は僕らの内情を多少なりとも知ってるって考えていい。このメールだって、そもそも連絡用の携帯の存在を知らなきゃ送れないはずなんだし」
『……犯人は身内に居る、ってことか。そりゃ大事だな』
「犯人そのものなのか、それとも協力者なのかはわからないけどね。でも、この警備関係者の中にいるってことはたぶん当たってると思うよ」
一度完全な形で犯行を成し遂げ、その上こんな形で圧力をかけてくる。
性格からして、相当ロクでもないタイプの輩であることは間違いない。そしてそんな人間に限って、頭のキレも行動力も兼ね備えているからタチが悪いのだ。
「……どちらにせよ。僕らがてんてこ舞いするのを見て喜んでる、とびきり性格の悪い奴であることは間違いないだろうね」
『自己紹介か?』
「あ、分かった? やっぱりバレちゃうもんなんだねぇ」
割と深刻な話のはずなのに、帰ってきたのはこれ以上ないくらいに端的な言葉だった。随分と余裕があるみたいで何より……いや、僕も乗っかったからお互い様なんだけどさ。
ブラックどころかドス黒いジョークを飛ばし合い、一度小さい呼吸を挟む。
あれだけホワイトアウトしかかっていた思考も、会話の中でだいぶ落ち着きを取り戻していた。流石に絶好調とはいかないけど、この調子なら判断に支障は出ないだろう。
「——とにかく、僕は今から鬼島さんに連絡を取ってみるよ。そのうち緊急招集がかかると思うから、そこで改めて落ち合おう」
『ああ、気をつけろよ。内通者の話にしろ、今回はまだなんかありそうだ。どうせまた仕事が増えるぞ』
「お互いにね……や、なんでその方向にフラグ建てるかなぁ」
せめて予想くらい、明るい方向にして欲しいんだけど。そう答えれば、やや行き過ぎなほどに真剣な声が返ってきた。
『いや、こういう時に限って当たるんだよ、俺の勘。俺の占いは当たる』
「はいはい。じゃ、後でね」
適当なコメントに取り合わず、ひと思いに通話をブチっと切断する。
忠告はありがたい限りだけど、最後のおどけたような口調は必要だったのやら。ま、いつも僕がふざけているぶん、それの意趣返しと言ったところなんだろう。
昨日に引き続き、今日の夜も長丁場になることは確定だ。なんなら会議やら警戒やらが輪をかけてキツくなる可能性もあるのだし、気力があるに越したことはない。
「振本さん、そちらは——」
「ああ、問題なし。にしても、まさか……こんなこと、完全に予想外だ」
俊のことを一旦頭から追い出し、携帯をポケットに収めて振り返る。
ぶつかった視線の先。同じく通話を終えたと思しき振本さんが、えも言われぬ表情で携帯を握りしめていた。
ハイになっていたテンションが収まったぶん、その顔はいつにも増して疲れ切っている。抱いている感情の様相は、その憔悴ぶりからも容易に理解できるというものだ。
「……いや、そもそもの話、犯人の頭の中からして意味不明すぎる。何を考えたらこんな行動に出られるんだ? 有り得ない」
平時の様子は何処へやら、苦悶の声とともに頭を掻きむしる振本さん。
昨日の事件で第一発見者になったと思えば、今度は悪意を何倍にも濃縮したような災難が降ってきたのだから無理もない。貧乏くじを体現したかのようなその境遇に、同情の念がふつふつと湧き上がってくる。
「目立つことができればなんでもいい、くらいの考えでも不思議はないと思いますけど。むしろこうやってこっちが頭を悩ませるほど、向こうの考えにハマってる可能性もありますよ」
「だとしても、だよ。そも、目立ちたいなら最初の犯行から予告しておくはずだろう? どうしてわざわざ、こんな回りくどい真似を……ああクソ、考えがまとまらない」
「一番警備が厳しくなるタイミングを狙ってやった、とか? ほら、いかにもそういうこと考えそうな人が好きなやり方ですし」
我ながら適当すぎる僕の言葉を受けても、振本さんは深刻そのものといった表情で考え込んでいる。
予想外の行動に動きが止まるあたり、案外僕と近しい精神性なのかもしれない。むしろこれで動転しないような「規格外」の人間に比べれば、よほど人間らしい反応だ。
自分より焦っている人間がいると冷静になる、というのはよく聞く話だけど、そうそう馬鹿にできたものでもないんだろう。おかげで僕も、こうして周りや裏の事情にまで意識を回す余裕ができた。
……しかし、だ。
言われてみれば確かに、このやり口は回りくどいと考えられなくもない。
既に嫌という程繰り返されている通り、このふざけたメールは愉快犯そのものだ。
真っ向からこちらを小馬鹿にし、出し抜こうとするその手口。行き過ぎている気すらあるそれは、言い換えれば自己顕示欲の産物とも取れる。
でも。そう考えた場合、昨日の犯行が問題になってくる。
昨日の犯行は、見るからに特定の人間を標的にしたもの——個人を狙うために組み立てられた、陰湿そのものといったやり口だった。ただ一人を確実に仕留めるための、いわば暗殺者のような手口だったはずだ。
いたずらに敵の警戒レベルを引き上げる宣戦布告という行為とは、言わずもがな相容れることはない。不特定多数を射程に収め、スポットライトを浴びようとするこの手口は、正反対とすら言ってもいいだろう。
あるいは——別の可能性。最初の犯行を終えた時点で、犯人の目的が達成された場合も、可能性としてはなくもない。
犯人の標的が最初から和泉さんだけだったのなら、あとはどれだけ警戒をさせようが関係のないことだ。こっちが右往左往しているさまを観客席から眺めていればいいのだから、一応の筋自体は通っている。
……でも。それなら、ここまで気持ちの悪さを感じることもないはずだ。
理論立てて考えているはずなのに、どうしても納得できない何かがある。感情に訴えるその感覚は、どうにも気持ちが悪いことこの上ない。
「……かもしれないな。いや、なんにせよ、ここで停滞してるのは一番やっちゃいけないか」
苦虫を噛み潰したような表情をしていた振本さんは、しかしそこで両の頬をパチンと叩く。
惑う自身を叱咤するかのように放たれた張り手が、フロア一帯に聞こえるほどの快音を響かせた。
思考の奥底に止めた混乱も、なおも揺れる瞳も。すべてを強引に押さえつけ、振本さんは吹っ切れたようになははと笑う。
「みっともないところを見せて申し訳ない。先輩失格だな、はは」
「いえ……僕だってだいぶいっぱいいっぱいですから。犯人の目的なんてそのうちわかることですし、こっちから捕まえるくらいの気持ちでいきましょう」
「ああ。取っ捕まえて根こそぎ吐かせるのが俺たちの仕事ってね——じゃ、まずは作戦会議だ。招集は?」
「ちょうどかかりました。会議室ですね」
無理矢理に再起動をかけた振本さんは、多少なりとも余裕を取り戻してきたらしい。
若干の気負いを隠しきれないその様子を横目に見つつ、折しも飛び込んできた通達に視線を巡らせる。結果的ではあるものの、鬼島さんに連絡する手間も省けたのだし、あとは会議室に急行するだけだ。
——にしても。
早足で目的地へと駆けるなか、脳内で存在を訴える不明瞭な引っかかり。視界の片隅に映り込む真っ赤なままの頬が、知らず思考を別の場所へと誘う。
もちろん。このメールが来ること、それ自体は僕にも想定の範囲外だった。
本戦にはトラブルが付き物とはいえ、ここまで悪意が剥き出しになったものが来るとはさすがに予想できるはずもない。いくら昨日の今日で心構えをしていたとしても、予想外の角度から殴られたらこうもなってしまうだろう。
ただ。振本さんの驚愕、その本質があるのはきっと違う場所だ。
それが何か、具体的に言語化するには時間も余裕も足りていない。
でも。僕と振本さんに抱いている感覚、それは不思議と外れていないという確信がある。
だとすれば——なんとなくの直感も、拭いきれない違和感も、目を向けておくに越したことはないんだろう。
……直感で考えるとか、誰かさんの二番煎じだよねこれ。ああ嫌だ嫌だ。
予想外は平等に訪れる。犯人との戦いは第二ラウンドへ。
次回は明日、19時ごろ投稿予定です。
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