2-17/フェーズ1:狩人は影の中
7月26日、本戦2日目。
「和泉さんは?」
「問題なし。多少の衰弱はまだ残ってるけど、もう普通に起きて動き回れるレベルだよ。明日には完全に回復する見込みらしいから、試合にも復帰するんじゃないかな」
「……そうか。何よりだ」
二日目の試合日程が終わり、暮れなずむエントランスの片隅。未だ残る喧騒の空気とは裏腹に、俺と魚見の間には昨日とは別種の倦怠感が漂っていた。
「本人的には、今日からでも試合に参加する気まんまんだったらしいけどね。今日出られなかったぶん、今はトレーニングルームに篭って元気に暴れまわってるよ」
「いいのか、それ。ドクターストップとかあるんじゃないのか?」
「『試合じゃないなら止められる理由はない』とか言って、無理やり突破したらしいよ。『いつまでもダウンしてるとか、犯人を喜ばせるだけで癪だ』とかなんとか」
「……そりゃ逞しいこった」
口を突いて出た乾いた笑いは、しかしそのうちの何パーセントかは本心だ。少なくとも、彼に大事がなかったことに関しては、紛れもない安堵の気持ちが胸に広がっている。
ちょうど昨日の今頃、突然告げられた『緊急事態』——魚見からの電話を受け取って医務室へと急行すれば、そこにいたのは他でもない和泉さんだった。
……もっとも。より正確を期して言うなれば、「運び込まれた」という表現の方が正しいだろう。
俺が到着した時には既に、気を失った和泉さんはベッドに寝かされていたのだから。
『俺が見つけたときにはもう、完全に気絶してた状態でね。どうにか背負ってここに運び込んだけど、諸々の連絡を請け負ってくれたのは魚見くんだ。俺一人じゃどうしようもなかったよ、本当に』
疲れた口ぶりでそう語ったのは、医務室に控えていた警備員の先輩だ。
名前は確か……振本さん、だっただろうか。体格的にも平凡そのものといった様子であるし、長身かつ筋肉質の和泉さんを背負ってここまで来るのは相当な負担を要したはずだ。偶然近くにいた魚見を捕まえることができたのは、まさしく不幸中の幸いと言っていい。
『君は振本さんと一緒に和泉さんの警護を。追撃が来ないとも限らないし、今襲われたら振本さん一人じゃ対処しきれないから』
端的にそう言い放った魚見の声に、遊びの類は一切なく。いつかに見たような、平時とは似ても似つかないその様相は、それだけ事態の緊急性を示していた。
各方面への連絡やら伝達と、そこから発生した雑事への対処。それらが迅速に、かつ最小限の手間で行われたのは、ひとえに魚見の手腕あってのものだ。
俺が到着してから警備隊が急行してくるまで、その時間差は僅か数分にも満たない。その数分で仕事をすべて終えていたのだから、今回ばかりは魚見に手放しの賞賛を送らなければならないだろう。やけにこうした出来事への対処が手慣れているようなそぶりを差し引いても、その機敏さには舌を巻くほかない。
言うまでもないことではあるが、この警備隊——すなわち、俺たちバイトの上司ということになる——の人員は、星皇軍第二本部の正式な隊員から構成されている。軍部の中でも実働担当の顔ぶれが揃っているらしいが、それを総括しているのは誰であろう鬼島大尉だ。何故魚見が大尉をツテにしてこのバイトを掴んだのか、朧げにでも見えてくるというものである。
「結局、犯人はまだ捕まってないんだろ? 和泉さんから話とかは聞けなかったのか」
「和泉さんも顔は見てない、ってさ。使われた能力を推測しても、遠隔で攻撃を受けたと考えるのが妥当だろうね。時間も場所もかなり慎重に選んでるし、不意打ちとはいえ本戦出場者をダウンさせる手際の良さも相当だ。まず間違いなく計画犯だよ」
「……なのによく外出できるな、和泉さん。怖くないのやら」
「むしろ返り討ちにしてやる、って意気込んでるくらいだし。それに犯人がここまで綿密に襲撃の計画を練ってるんだとしたら、このタイミングでもう一度和泉さんを狙う可能性はかなり低いんじゃないかな。この次があるのかはわからないけど、さすがに今同じ人間を狙うのはリスキーすぎる」
お互いに視線を合わせないまま、言葉だけを相手めがけて放り出す。
ここまでに起こった出来事を並べ立ててみても、何ら状況は好転しない。むしろ、憂鬱な気分がより一層浮き彫りになるだけだ。
昨日の夜に話を戻そう。ベッドに横たわる和泉さんを一目見るや否や、警備隊はこれを事故ではなく事件と判断した。
どうやら魚見も、そして医務室の救護班も、みな同じ見解を抱いていたらしい。程なくして、他の警備隊から末端のバイトに至るまで、緊急連絡と題されたメールが送られることになったのである。
『雨宮ちゃんもそのうち見分けがつくようになると思うけど、これは俗に言う「マナ切れ」ってやつ——生命維持に必要なエネルギーが枯渇してる状態ね。能力の過剰使用でなることもあるけど、そんなことになるのは半日以上ぶっ続けで戦闘した時くらいのもんだ。星皇祭の試合時間程度じゃまず起こりえないし、そもそも試合中の選手のコンディションはしっかりモニタリングされてる』
『……突発的な事故って可能性は?』
『ありえない話じゃないけど、それにしちゃ条件が整いすぎてんだよね——こんないいタイミングで起こらないでしょ、普通。早い話が、このマナ切れは人為的に引き起こされたものってことだ』
それも相当な悪意を持った誰かの手によって、ね。昨晩の鬼島大尉の一言が、確かな重みを持って脳裏に去来する。
『星の力』の使用にはマナと呼ばれるエネルギーの消費を伴い、その残量には体力と同じように限りがある——ライフエナジーじみたこのエネルギーの説明は、予選の折に魚見からされた通りのものだ。
残量如何によっては立つこともできなくなり、場合によっては昏倒する……といった説明も聞いたものの、頭の片隅にこびりついていた程度でしかない。まさか、これほどすぐに実例を突きつけられることになるとは考えもしていなかった。
本人の回復力が格別高かったのか、それとも思ったほど重症ではなかったのか。幸いなことに、和泉さんは今日の昼前には既に意識を取り戻している。
マナは時間経過で回復する、という説明こそ聞いていたが、実際に回復したという話ほど安心感があるものはない。いささか元気すぎる気がしなくもないが、なんにせよ後遺症もなく動き回れているのはこの上ない僥倖というものだ。
「マナドレイン——つまり、相手からマナを吸い出す能力は、全体で見てもかなり希少な類だよ。遠隔から使われたことも併せて考えれば、真っ先に候補に上がるのは精霊操作の能力だろうね。あんまり自信がないけど、確かインディアン座だったんじゃないかな」
「……精霊だからインディアンって、ネーミング雑すぎるんじゃないのか。シャーマン座に改名したほうが良いだろもう」
「僕に文句言われてもねぇ……この能力を作った神様に直接言ってほしいな。あ、精霊の話ってされてる?」
いまいち気乗りしないテンションのまま首を横に振ると、魚見は何やら言葉を模索し始める。
ため息を吐きながらも思考を回しているあたり、どうやらわざわざ解説をする心算らしい。別に説明を頼んだ覚えはないんだがな……まあ現状で何ができるわけでもなし、有益な話だと割り切って聞いてやることにするが。
「かなり雑な説明になるけど、精霊はマナの集合体みたいなものだと思えばいいよ。認識できないほど小さな存在から、大きいものでは星屑まで、カテゴリはかなり広範だけど……今回の話で出てくるのは前者、俗に微精霊とか呼ばれてるものだ。これは空気中、今この場にも漂ってるマナの塊みたいなもので——あ、先に言っておくけど、どれだけ目を凝らしても僕らには見えないよ。適性のある一部の能力者、それこそ今回の事件の犯人みたいな『精霊使い』でもない限りね」
「……『精霊使い』ねえ。それっぽくなってきたな」
何気なさを装ったまま目を凝らした瞬間、行動を完全に先読みしたかのようなコメントが飛んでくる。いや? 別に? 思考回路読まれたから動揺してるとかねーし?
……にしても。マナだの精霊だの、飛び出してくる単語はやたら聞き覚えのあるものばかりだ。
分かりやすさを優先している、とは以前の魚見の言だが、男の子の心を狙い撃ちしすぎではなかろうか。星皇祭が始まってからというもの、心の中の男子小学生が荒ぶりっぱなしである。
「微精霊は星屑なんかよりもよっぽど微弱だけど、それでも属性の力みたいなものはある。それを操作して攻撃に転用したり、一箇所にまとめたりして色々と役立てるのが精霊使いってわけ。かなり応用の効く能力だから、適合率や練度次第じゃ、今回みたいな遠距離からの隠密任務も可能になったりするんだよ」
「だいぶズルくないか、それ。属性操作型とか涙目だろ」
「属性の力を操作して」「色々と役立てる」。個人差はあれ、話を聞いている限りでは随分と融通の利く能力のように思える。
マナドレインとやらがメインウエポンなのかと思えば、あくまで武器のひとつでしかないとは。実質なんでもありじゃあないのか、と異議を申し立てたくなるのも仕方がない。
「実際はそうもいかないんだけどね。微精霊はほぼ使い捨ての弾みたいな形になるし、そもそもが器用貧乏になりやすい能力だから。精霊使い曰く、ホタルみたいな感じでそこら中に漂ってるらしいから、弾切れになることはそうそうないみたいだけど……あ、ちなみにこの大気中のマナってやつ、僕らが体内に持ってるものとは微妙に違うらしいけど、そのへんよく知らないから割愛ってことで」
「器用貧乏ねえ……そんなもんなのか」
立て板に水のごとくすらすらと言い切った魚見に、中身のない復唱を返す。なんなら後半ほとんど聞いてなかったまであるが、本人もよく知らないと言ってるので良しとしよう。
ナーフ筆頭候補レベルの能力だと思っていたが、話を聞く限りでは別段そういう扱いを受けているわけでもないらしい。御多分に漏れず、それだけ使いこなせる人間が少ないということなのだろう。
……もっとも、器用という評価を受けているだけでかなり恵まれていることに気づいてほしいものだが。今からでも俺の能力と交換しない? いい加減、人間放水機とか使い辛くてたまらないんですけど。
「とにかく、そのインディアンだかシャーマンだかが犯人だってことで良いんだろ? 誰がどの能力とか、そういう情報から洗い出しは出来んのか」
「そりゃ出来ないことはないけど、今の情報だけで決めつけるのは早計だよ。まだ精霊使いと決まったわけでもないし、似たようなことが可能な能力は他にもある。相手がミスリードを狙ってる可能性だってあるしね——第一、こんな大量の人間が出入りする場所でこっちから特定を仕掛けるとか、それこそ無理ゲーの類だよ。今日だってもう散々言われたでしょ?」
「……そりゃま、そうなんだが」
頭では解っていても言いたくなるのは、現状どうにも出来ない不満があるがゆえか。
事件が起こり、連絡が行き渡ったのが昨日の夜。先にも言ったように、情報自体は出し惜しみもされることなく共有されている。
ではなぜ、ただちに初動捜査を起こさないのか——その答えが、緊急招集やら朝一番の集まりでも再三にわたって強調されている、「できるだけ事を荒立てるな」という指示の存在だ。
この手の問題で大掛かりな捜査を行えば、必然的に本戦の進行には重大な支障をきたすことになる。これだけの人間が集まる場所で事件が起こったことを公表しようものなら、最悪大勢の観客がパニックを起こすことにも繋がるだろう。
犯人を探し当てるどころか、模倣犯が出現する危険性すらも捨て置けるものではなくなってしまう。何をするでもなくこちらが勝手に壊滅してくれるのだから、犯人にとってこれ以上に楽しいことはない。
もちろん、こちらも完全に指を咥えて眺めているわけではない。警備隊の人員は明らかに増量されているし、中には明らかにこういった事件に対応するための隊員もいる。そのための日本星皇軍、そのための実働部隊の配属なのだ。
……だが。いくら警備を強化したところで、後手に回っているという事実は打ち消しようもない。
「分かってはいても、やっぱり色々と言いたくなるもんなんだよ。事情を知ってて、それでも俺らだけが何もしてないなんて、なんとなく居心地が悪いだろ」
昨日の朝にも魚見が言っていた通り、大小の差こそあれこういった嫌がらせは珍しいものではない……らしい。もちろんここまで用意周到なものはなかなかお目にかかれないだろうが、基本的な対処法自体はどれも同じだ。
焦点となる部分は、どこまで穏便に済ませられるか、ということ。既に被害者は出ているが、それでもいかに本戦の進行に波風が立たないよう、水面下で決着をつけられるか——そういった秘密裏の対応こそ、この問題に対する肝なのである。
そして、だ。その類の対応において、俺たちのような末端のバイトにできることなど何もない。
奇しくも自分自身で言った通り、俺たちにやれる事など高が知れている。せいぜいが「警戒を強める」という名目で、見回りの回数を増やすことくらいのものだ。
いくら裏の事情に詳しくなろうと、結局のところ俺たちは素人でしかない。素人が生半可な判断で騒ぎ立て、状況を悪化させるほどに頭の悪いこともないだろう。
無論、そんなことは百も承知だ。
それでも。その事実を理解するほどに、己の無力感が腹立たしくなってくる。
増して今、俺たちは見事なまでに犯人に踊らされている。いいように弄ばれている現状を鑑みれば、頭のひとつも掻きたくなってくるというものだ。
「へーぇ。随分と積極的だね、珍しく」
「前も聞いたぞそれ。いい加減飽きんのか」
「いやまったく全然? 自覚ないかもしれないけど、君がそんなことを言ってる時点でだいぶ面白いからね。誰のことを心配してるのか知らないけど、軽めの天変地異だよ、それ」
「何もそこまで言うことないだろ……」
含みのある言い方にトゲを突き刺せば、想定していたものよりもよほど酷い答えが返ってくる。そこまで異常扱いされる謂れはないんだよなあ……俺のことをなんだと思ってんだお前は。
「あのな、俺だって知り合いの心配くらいはするぞ。実際に被害があって、しかもまだ何も解決してないんだから、そりゃ多少は気にもなるだろ。あと単純に、犯人の掌の上で振り回されてるのが癪だ」
柄でもないことを考えていることなど分かっているし、当然ながら自覚もある。軽くでも俺を知っている人間からすれば、一様に気持ち悪いという感想が出てくるだろう。
だが。それを差し置いても、今回の件は看過できないのだ。
知り合ったばかりの和泉さんが狙われたこともかなりショックではあったが、それ以上に問題なのは樋笠や水無坂が巻き込まれる可能性がある点だ。今回こそ和泉さんは軽傷で済んだものの、この次も同程度で済むという保証はどこにもない。
本戦に出場し、勝ち残ること。そこにどれだけ重きを置いているかの違いはあるにせよ、実際に選手として選ばれたからには成し遂げたいことがあるはずだ。それを試合ですらない、闇討ち同然の行為で妨害されたとなれば、受けるダメージは並大抵のものではないだろう。
特に……特に。何処ぞの誰かのような、意固地になっている人間にとっては。
「言いたいことは僕にもわかるけど、こればっかりはどうしようもないよ。僕らが目を光らせてることにも価値はある、と思うしかないね。和泉さんの件だって、振本さんの努力があったからこそ大事に至らなかったわけだし、僕らバイトの存在だって捨てたもんじゃないさ」
「振本さんなあ。あの人も相当苦労人というか……いい人だな。ほんと」
珍しく宥めすせるような物言いをする魚見は、今の今まで俺を煽り散らしていたとは思えないほどだ。言い聞かせるようなその言葉に、心なしか空気が弛緩する。
「いい人」。昨日初めて顔を合わせた時には印象の薄かった振本さんも、今ではすっかりそのイメージが固まってしまった。
災難にもめげずに頑張るいい人なのか、いい人だから災難に見舞われるのか。何れにせよ幸が薄いことだけは確かなので、どうか強く生きて欲しい。
「……いい人、ね。あぁ、僕もそう思うよ」
「いい人だろ、実際。今も和泉さんに付いてるんだろ? 休みもなしによくやるもんだ」
「それに関しては分からないけどねぇ……和泉さんのことだし、実際制止を振り切ってトレーニングに行ってるわけだから」
やっぱり苦労人じゃないか……。改めて聞くと、不憫この上ない立ち位置である。
昨日の今日でこんな話題を出すのもアレだが、そのうちストレスで倒れることすらありそうだ。このバイト労災とかないの?
「——じゃ、そろそろ僕は戻ろうかな。犯人さんが今日も何かしないとは限らないしね」
「勘弁してくれマジで。これ以上何をどうするつもりなんだよ」
「いやいや、まだ分からないよ? 第一の事件はまだ始まりに過ぎなかったとか、諸悪の根源は味方にいたとか、割とありがちな展開じゃない?」
「実際にやるやつがあってたまるか。無能警察ポジのこっちの身にもなれ」
我ながら趣味が悪いとは思いつつも冗談を飛ばせるのは、ある程度のテンションが戻ってきたが故か。
小学生レベルの軽口を叩きあいつつ、お互いに視線を別々の方向へと向ける。お互いにやることが残っている以上、いつまでも歓談しているわけにいかない。
「それじゃ、また後で。何もないことを祈ってるよ」
「おう。何かあったら骨は拾ってやるよ」
どうせすぐに相部屋で会うことになるのだから、気取った挨拶などしていたら日が暮れてしまうというものだ。
適当極まりない言葉を最後に、ひらひらと手を振る魚見に背を向ける。
今日の仕事は既に完遂し、残っているのは名ばかりの業務だけ。昨日に引き続き自主的なパトロールをするのもいいが、いかな水無坂といえど昨日の今日で出歩くほど阿呆でもないだろう。
……たぶん。きっとそうだ。そう思わないとこっちの身がもたん。
さしあたっては……そうだな。見舞いがてら、和泉さんの様子でも見に行くとするか。
「……見舞い?」
いや、見舞いか。
今はすこぶる元気に飛んだり跳ねたりしているらしいが、数時間前まで意識がなかったのは事実だ。空元気だとはとても思えないが、もしかしたらということもある。警戒しておくに越したことはないだろう。
……なーんか嫌な予感するんだよなあ。見舞いに行ったら手合わせ申し込まれそうで嫌なんだが。
第一部では1日が事件の舞台になりましたが、この第二部は星皇祭という長いスパンの中での物語になります。
緊張と緩和、合間に挟まれるキャラ同士の掛け合いなども併せてお楽しみください。
次回は明日、少し時間を変えて19時に投稿しようかと思います。
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