2-16/フェーズ1:投げられた賽
各キャラの会話劇を経て、ようやくお鉢が回ってくる彼女。
……メインヒロインとは……。
「何ですか?」
「まだ何も言ってないだろ……」
なーんで俺にだけ当たりが強いんですかねえ、この人。いや、それだけのことをしてる自覚はありますけどもね?
それにしたって目の敵にされ過ぎてるというか、むしろ目の敵にされるからこんな扱いになるのか。鶏が先か卵が先か、疑問は尽きないものである。
夜の7時を過ぎたとはいえ、この季節ともなれば熱気はまだまだ健在だ。疲れている上にクソ暑い中、この当たりの強さはなかなかに堪える。
さすがに客足こそ過ぎ去ったものの、アリーナに残った独特の空気感は拭いきれずに漂ったままだ。もしかしたら、このテンションが下手な方向に作用しているのかもしれない、などと下らないことを考えてしまう。
「で、本当に何ですか? 貴方と違って私は忙しいので、できる限り手短に済ませてくれると助かるのですが」
「いや、暇だろどう見ても。今何してたんだよ」
「? 敵情視察ですが何か?」
嘘をつくな嘘を。串焼き片手に敵情視察する奴があってたまるか。
言い返す気力もない俺の前で、水無坂はもぐもぐと口元を動かしている。串焼き片手にドリンクを飲む、という酔っ払いのような仕草でさえ様になっているあたり、こやつの見た目だけは紛れもない一級品であると認めるしかない。
例によってコロコロと変わる髪型は、今日もまた別な種類のものだ。一本にまとめられた太めの三つ編みが、首の動きに合わせてゆらゆらと揺れる。
「だいたい、なんでこんな時間から動いてるんだお前は。場合によっちゃ不法侵入なんだが」
「私は選手なのですから、ここに入る正当な権利があります。試合前に迷っては話になりませんし、下見も正当な理由になるでしょう?」
「だからって今入る奴があるか。この時間は警備員以外は進入禁止だ」
「試合中に立ち入ったら、選手の方々の邪魔になるでしょう。そんなこともわからないのですか?」
うーっわ、うぜえ。いちいち煽らないと気が済まんのかお前は。
さも当然、と言わんばかりにかわいらしく首を傾げる水無坂に、どう言い聞かせたものかと頭を抱える。
文句のひとつでも言ってやりたいような口の利き方ではあるが、舌戦を挑んでも文字通りの徒労に終わるだけなのは経験済みだ。どれだけ果敢に殴りかかろうが、そもそも勝負が成立しないのだからどうしようもない。
怒涛のごとく押し寄せていた仕事の波も過ぎ去り、本線初日はなんとか恙無く終了した。諸々の雑事は魚見にぶん投げ、アリーナ周りやら選手控え室やらをだらだらと見回っていた俺であったが……。
——まさか。忘れ物や異物ならいざ知らず、知り合いが我が物顔で闊歩しているところに出くわすなど、どう転んでも予想できるはずがない。
いくら選手とはいえ、この近辺は試合時間以外は立ち入りが禁止されている。どれだけ権利を主張しようと、その厳然たる事実自体は何も変わらない。
どこから入り込んだのか、それともお得意の瞬間移動でも使用したのか。何れにせよ、随分と活きのいい飛魚もあったものだ。今この場で三枚におろしてやろうか。
「というか、暇なら返信くらいしろ。渡すものがあるって昼に連絡したよな? 忙しいなら仕方ないが、こっちも空いてる時間は少ないんだ。こんな所で顔を合わせるくらいなら、待ち合わせでもしてた方がよっぽど有意義だろ」
「待ち合わせ、ですか? 貴方と? ……有意義?」
「そこに疑問を持つな」
心底何を言っているのか理解できない、といった感情がありありと見える瞳の色。あまりにも直球すぎる煽りに、苛立ちすらも通り越して不安になってくる。
魚見なりこいつなりから煽りを受けてきた回数は数知れないが、ここまでの急角度で攻めてこられたのは初めてだ。明確にステージが違う生物を見る目をしやがって……獣畜生に向けるがごとき、ある種の憐憫すら感じさせる瞳である。一定の層に需要はありそうだが、生憎と俺はその道のものではない。
「別にな、俺個人の約束ならいくら反故にしても構わんが……今回に関しちゃ、降谷に頼まれたもんだ。彼女の気持ちを無下にしたくないなら、受け取らないにしても断りくらい入れとけ」
「……そうですか、降谷さんが」
さすがに引っかかるものを感じて釘を刺すと、水無坂も思うところがあったのか顔色を僅かに変える。
他人の名前を武器に使うのはどうにも気がひけるが、数少ない好意的な人物だけあって効果は抜群だ。あれだけ好き勝手やっていたコイツを一撃で怯ませるあたり、さすがの降谷といったところか。
……しかし、どうしてここまで扱いに差があるのやら。もう少し俺に優しくしてもバチは当たらないというか、俺に回されるはずだった好感度が軒並み吸い取られている可能性すらある。
「申し訳ありません、その点に関しては私の軽率でした。では、後で私の部屋に持ってきていただけますか」
鋼の如き面の皮の厚さも何処へやら、恐るべき物分かりの良さであっさりと自分の非を認める水無坂。
降谷の名前を出すだけでこのしおらしさとか、黄門様の印籠もびっくりの効能だ。いつもそれくらい分かりやすいと助かるんですけどね、ええ。
「後でも何も、今ここから出て渡せばいいだろ。串焼き食って敵情視察の真似事なんざしてるくらいなら、今日の記録でも見返してた方がよっぽど有意義だ。控え室なんざ出番が来たら嫌でも入れる」
「今日の映像は一通り閲覧し終えました。警備の方に挨拶してから入ろうかと思ったのですが、運悪く誰も見当たらなかったもので。今ここで貴方に許可をもらえば済む話では?」
「んな訳あるか。入場券じゃないんだぞ」
この機に乗じて連れ出そうと試みるものの、水無坂は俺の言葉を聞くや否や気勢を取り戻して牙を剥く。
猛犬もかくやというその視線を見るに、どうにも俺に指図されるのが相当気に食わないのか。徹底抗戦の構えを取るのはいいが、頼むからもう少し別の場所でその意地を使って欲しい。
「……あのな、強情なのも大概にしろ。どうしても入りたいんだったら、明日にでも担当の警備員に話は通しておいてやる。恩に着せたいわけじゃないが、本来なら今この場でペナルティがあっても文句は言えないんだからな」
我ながら大人気ないと思いつつも、水無坂の態度に触発されて意地の張り合いに応じてしまう。もう少しクールな方面のキャラ付けで売っていくつもりだったのになあ……争いは同じレベルの者でしか発生しない、蓋し名言だ。
意地でもこの場所を動こうとしない水無坂に、イライラが脳内で堆く積み重なっていく。
ただでさえ一日の労働で疲労困憊しているというのに、これでは気が休まるどころかサービス残業だ。この場面を他の警備員に見られでもしたら、何を言われるか分かったものではない。誤解を解くのにひと手間、水無坂を説得するのにふた手間、とても受忍できる面倒でないことだけは確かだろう。
いつかと同じような……具体的にはラスト一個のじゃ○りこを巡ってにらみ合った時のような、いささか以上に見覚えのある膠着状態。驚くほど似通った状況に、いっそ笑いがこみ上げてくる。
かくなる上は仕方がない。今度こそ実力行使もやむなしか——という思考が、疲れきった頭の中で膨張と収縮を繰り返す。
だが。
俺の思考など、最初から考慮にすら値しないとでも言うように。
事態は、限りなく唐突に動き始める。
『俊、今どこ? すぐに来て、緊急事態だ』
空気を切り裂いて鳴り響く、無機質な携帯の着信音。
一切の装飾を廃した魚見の声に、全身を緊張が駆け巡る。
星皇祭本戦。今回の事件が、堰を切ったように幕を開けた。
役者は揃った。さあ、始めましょう。
本日は二話投稿です。二話目はいつもの時間、23時ごろ投稿予定です。ぜひお読みくださいませ。
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