2-12/お祭り騒ぎのイントロダクション
7月25日。本戦、スタートです。
——星皇祭本戦、開幕。
第一から第五まで、各本部からより抜かれた超一級の使い手たち。彼らが一堂に会し、ここ第二本部で熾烈な戦いを繰り広げる、一週間にも及ぶ盛大な祭典の始まりである。わーわーぱちぱち。
……はい、これだけ宣伝しとけばもういいでしょ。
なんかそれっぽい煽り文句になってると思うし、あとは仕事サボっても許されるんじゃないですかね。駄目? なんで?
「ちょっと。初日の朝からそのテンションとか、この先絶対持たないよ? これから死ぬほど人も来るんだしさ」
「初日の朝だからに決まってんだろ。この前に弁当作って来てんだからな、俺は」
気だるげな俺の思考を悟ったのか、冷めた視線をこちらに送ってくる魚見。その姿に軽口を叩き返すものの、仕事を前にしてテンションを上げることなどできようはずもない。
唯一のプラスなポイントといえば、あの駄姉の弁当をこれから一週間作らなくていいことくらいだろうか。もっとも、そのまま放置したら放置したで餓死していそうなあたり、どっちにしろ気が気ではないのだが。
「……にしても、また随分と辺鄙な場所に建てたもんだな。移動の手間だって馬鹿にならんだろうに」
「土地が空いてる場所の方がいいんだよ、こういう施設はね。演習場とかスポーツの練習施設とか、だいたい山奥に建ってるもんでしょ?」
取り留めのない会話は、まだ朝の冷たさが残る世界の中に溶けていく。その言葉がやたらと大きく聞こえるのは、周囲に俺たち以外の姿がないせいか、それともここの空気が思いの外澄んでいるせいか。
本戦の会場となる現在地は、もう見慣れた第二本部の軍部棟——ではなく。その下、例の広大な地下空間の端に作られた、設備の整った巨大なスタジアムだった。
本来は軍の演習施設だが、星皇祭の本戦に限って一般にも解放されるらしい。年に一度の書き入れ時だけあって、会場の周囲には屋台のようなものまで出張ってきている隙のなさだ。
ちなみに地下空間と一口に言うものの、例の地下街とは似ても似つかないほどに閑散としている。高校野球さながらの盛り上がりがなければ、人影もろくにないことは想像に難くない。
それもそのはず、この施設は商業区……の向こうにある居住区、その更に向こうにある工業区に位置しているのである。都心から郊外、郊外から山間地へと、お手本のような変遷を経ているだけあって、立地はお世辞にも良いとは言えないのが実情だ。
移動の煩雑さは転移システム——説明はめんどくさいので端折るが、要は門のような転移装置だと思えばいい——によってだいぶ軽減されているものの、それでも早朝からの行動は如何ともしがたいものがある。俺も商業区以外に出向くのは初めてであるが、まさかここまで区画整備された街になっているとは思わなかった。
宿泊用の荷物やらなんやらを指定された部屋へとぶちこみ、業務の説明とともに装備一式を渡されたのが十数分前。到着後すぐに準備を進めたこともあって、仕事の本格的な開始まではまだ幾分の猶予がある。
想像以上に広い敷地内には、客はおろか選手すらもまだ到着していない。スタジアム外縁をぐるりと回り込み、所定の位置についたはいいものの、忙しくなるのはもう少し先になりそうだ。
「初日に来るの、選手とお偉いさんだけだったか? 遠路はるばるご苦労なもんだな」
「正確には『初日にゲートを介して来る人たち』ね。システム面の負担もあるから、初日は他本部からの一般客は招かないことになってるんだよ。当たり前だけど第二本部の一般客は普通に来るから、間違っても気を抜いて良いってわけじゃないからね」
「はいはい……精々お客様の邪魔にならないように頑張りますよ」
柄にもなく張り切る魚見を前にして、低血圧を隠す気もなく返答する。
一般客、と言うと何やら大仰な感じもするが、要はこの場所に住んでいる人々のことだ。祭りと銘打たれているだけあって、星皇学院の学生だけでなく、居住区で生活している人々も観戦に来るらしい。
……学生のイベントを見に来る一般人というのもなかなかに面白いが、別段想像ができないわけでもない。先程にも例に出したが、こちらの世界でいう高校野球的な感覚なのだろう。高校生が泥臭く頑張る仕草というものは、一定の共感を呼ぶのである。いや知らんけども。
「そういえば、そのゲートの話なんだが。結局そのへんの説明とか全くされてないぞ、俺は」
忍び寄る睡魔を断ち切るため、少しでも口を動かし続けることを選択する。
既に二回ほど使用してはいるものの、門のなんたるかは先のカイン討伐戦の折に少し触れられただけだ。用途自体はその名前から想像できる通りの単純明快さだが、原理の知らないものを使い続けるのは若干の恐怖がないでもない。
マザーゲートがどうたら、入口と出口の違いがどうたら。なんとなくの理解こそできているのものの、その詳細は依然として不明瞭なままだ。
「全部詳しくやるとめんどくさいんだよね……まぁ超噛み砕いて言うと、第二本部のゲートは一番旧式なんだよ。マザーゲートの特徴は『一定範囲内の入口側ゲートにアクセスできる』って点だけど、これはその中でも輪をかけて特殊。座標を指定すればどこの入口にも繋げられるし、なんなら他の出口にも直で飛べたりできる」
「旧式って言うのか、それ。最新機種じゃなく?」
「機能としては確かに最高だけど、そのぶん燃費がひどいんだよ。のべつ幕なしに出入りさせてたら、あっという間にガス欠になるってレベルでね。だから、他本部にある後発のマザーゲートは、機能を制限して燃費を向上させてるってわけ——さっき言った一般客の入場規制も、この辺の事情が関わってるってこと」
「ほおん……意図的なデッドコピーってことか」
旧式の性能が一番良い、とは。正当な理由があるのはもちろん承知だが、それはそれとして厨二心に刺さってくる設定だ。オリジナルの方が強大だとか、闇のキバの鎧だとか、男の子はあの辺の設定が大好きなんですよ。
「そういや、お前がここにいる理由も大概謎なんだが。いつ俺を巻き込んだんだ」
「巻き込んだとは失礼だなぁ。このイベント、僕は割と楽しみにしてたんだからね? 団体戦だって本気で勝ちを狙ってたんだよ、ああ見えて」
「……ほんまか、それ」
大尉と手合わせした時から続く疑問を投げかけてみるものの、返ってくるのは眉唾ものの答えでしかない。失礼なこと極まりないが、こいつにイベントを楽しむ真っ当な心があるとは到底思えないのが本音である。
「ほんとほんと。で、選手として出られないのなら、せめて特等席で試合を見たいと思うのは当然の流れでしょ? たまたまその時に君の話題が出たから、推薦しておいたんだよ、鬼島さんに」
まぁ、その時にちょっとした裏技は使ったけどね。そう嘯く魚見の顔は、まったくもって悪びれる様子もない。
「その時」——恐らくは団体戦の直後、ここぞとばかりに大尉に絡んでいた一件がそれか。この仕事の競争率が高いことを理解した上で、そんなもん知るかとばかりにコネをフル活用するあたり、俺よりもよっぽど悪質だ。
「あ、そういえば。人が集まるところにはつきものだと思うけど、変な奴もそれなりに出てくるから気をつけたほうがいいよ。それを取り締まるのも僕らの仕事だしね」
「ああ、さっきもそんなこと言われたっけな……具体的には?」
さもなんでもないことかのように、話題を別なものへとすげ替える魚見。今更になって責任を追求する気も起きないので、大人しくその話題転換に乗ってやることにする。
滅多にない大規模なイベントである以上、引っ掻き回して喜ぶ愉快犯のような輩が出てくるのは当然の摂理だ。さすがに爆破予告のような直接的なものはそうそうないが、屑屑とした嫌がらせのようなものは大なり小なり毎年発生しているようである。それをどこまで水面下で、大会の進行を妨げずに抑えられるか、それも警備の重要な仕事……らしい。
もちろん、上の言葉は先の業務説明の時に言われた内容だ。ぶっちゃけ話半分で聞いていたために、脳内から情報を引っ張り出すのにも時間がかかってしまった。
勘違いするな、俺がそこまで高い勤労意欲を持っているわけがなかろう。俺が自発的に奉仕精神を働かせることなど、あの駄姉の尻拭いをするときくらいのものだ。
そもそもの話、厄介ごとはその道の人間——具体的には、動員されている第二本部の正規軍人あたりに任せるべきなのである。あくまで正規の警備隊は星皇軍の人員であり、俺たちはその補佐という役回りなのだから。
俺のような一介のバイトにできることなど、せいぜい見回りの強化が関の山だ。もちろん命じられた仕事はするが、給金以上の仕事など荷が勝ち過ぎる。適材適所、素晴らしい言葉だと思います。
「愉快犯ならまだいいけど、たまーに本物が紛れ込んでたりするんだよね。実際に殴り合って本戦出場者を決めるわけだから、その過程で何かしらの恨みを買ったりすることもある。殆どは些細なものだけど、いわゆる『そうじゃない人たち』がわざわざ手の込んだ嫌がらせをしてくることもあるんだよ。この場合、会場よりも選手狙いになるからよりタチが悪いというか」
「あー、なるほどな……まあ、頭には入れとく」
顰めれた眉根と露骨に下がった声のトーンに、何処か浮いていた認識を改める。
ルールに則ったスポーツの試合なら兎も角、この星皇祭はガチガチの実戦だ。特に多人数が入り乱れる団体戦においては、ルールなどほぼあってないようなものでしかない。
集中攻撃やら待ち伏せやら、果てはエスケープまで戦法として成立している。ダーティー上等の戦法にかかって敗退すれば、憤慨するのも仕方のないことではあるのだろう。
……まあ、俺は心が広いから全部許してるけどね? でもさ、四対一で囲んで叩くのはちょっと良くないよね?
「もし妨害とかで選手がケガとかしたらどうなるんだ。例のダメージカットの結界とやら、フィールド以外には張ってないんだろ?」
「救護班がいるから、よっぽどのことがない限りは大丈夫だと思うよ。多少のケガなら回復系統の能力でどうとでもなるからね」
救護班、か。大会に救護班が居るのは当たり前といえばそうなのだが、そこに能力が絡むのはさすがこの組織というべきか。
もっとも、異能力の括りにヒーラーが居るのは、むしろ当然と言ってもいいレベルだ。ほぼ確定でお世話になっていることも相まって、やっと出てきたかという安心感すらある。
むろん、言うまでもなくあの病院のことだ。深手も致命傷もなんのその、数日で動けるようになっている治療技術は、能力ありきと考えた方がよほど自然だろう。傷跡のひとつも残さずに治してくれるのだから、俺としては足を向けて寝られるはずもない。
「その回復能力ってのはどの程度万能なんだ。自爆テロとかに巻き込まれても問題ないのか?」
「能力の強さとか適合率、あるいはその能力者の練度によりけり、としか。救護班はその道のプロが揃ってるわけだし、大抵の外傷なら問題なく治療できるんじゃない? さすがに自己修復系の能力には負けるけど」
「……回復と自己修復の違いは?」
ほーら、油断してるとすぐそうやって知らない単語を出す。あまりにも自然に流すものだから、聞き耳を立てていなければすぐに取り逃してしまいそうだ。
博士といいこいつといい、どうして毎度毎度トラップを仕掛けてくるのやら。例によって大体の意味は推測できるぶん、なおのことタチが悪いと言っても過言ではない。
「違いも何も、文字通りの意味だよ。他人の治療もできるのが回復系で、自分の治療しかできない代わりに回復力が高いのが自己修復系。自己再生とも言うし、より高位の能力だと自己改造のレベルまで行ったりするけどね。属性も前者が風、後者が土で、違うといえば違うけど——あ、属性の話は?」
「前に博士から聞いた。それより、自己再生ってことは腕とか生えてきたりするのか?」
「その認識で大体合ってるよ。腕がすっぱり切り落とされたとして、切断面に切られた腕を引っ付ければ繋がるのが回復系で、新しい腕がにょきっと生えてくるのが自己修復系かな。……ま、上のほうの回復系は下手な自己修復系よりも速いから、こと回復力に関してさほど違いはないんだけど。十二宮とかあのへんだと、もう傷が付く前に治ってたりするんじゃない?」
「もはや治療ですらないだろ、それ」
どこかで聞いたようなやり取りを挟んで、やたらと物騒な例えが提示される。
傷が付く前に治るとか、それはもう因果律操作に踏み込んでいると思うのだが……まあ、十二宮クラスでもなければそんな真似はできないあたり、能力の釣り合いは取れているのだろう。自己改造というよくわからん単語も出てきたし、高位の自己修復系はそれはそれで恐ろしそうな相手である。
「何にせよ、それだけ準備万端ならバイトが出る幕もないだろ。俺らは最低限の仕事だけやってりゃ——っと」
志願制のバイトにあるまじきモチベーションの低さを吐露した途端、狙っていたかのようなタイミングで連絡が入る。
まさかとは思うが、愚痴だけ聞き分けられるシステムとか搭載されてたりするのだろうか。やだ怖い……この通信機器捨てようかな……。
「お、もうそろそろってところかな。さぁ、気合い入れていこう」
「まだ案内するだけだろ……」
もちろん、そんな嫌らしいペガサスフォームのような仕様ではなく。
インカムから伝わるごく簡潔な通達に、二人揃って耳を傾ける。内容は選手団がじき到着する、という至って普通の業務連絡だった。
この次には星皇軍のお偉方が到着するのだろうし、数時間後には一般客が入場して試合開始だ。つまるところ、これ以降は本格的にお仕事モードというわけである。
「はい名簿。しっかり確認しといてね」
「あいよ」
体が重いのは山々だが、金を貰うからにはそれ相応の働きはしなければならない。平時よりも気合が入った魚見の隣で、これからやるべき仕事に頭を巡らせる。
さしあたっては選手団の誘導だが、団体戦のチームだけで12もあるというのだからなかなかに大事だ。兼任している選手もいるとはいえ、これに個人戦の選手も加わるというのだから、人数の多さは推して知るべしだろう。
選手村、というには大袈裟だが、選手たちが大会期間中に寝泊まりする場所もきちんと用意されている。それぞれが個室まで割り当てられているという豪華さであり、その待遇の良さは小規模なホテルといっても過言ではない。
我々警備員も宿泊施設を使えこそするものの、二人で一部屋の抱き合わせである。当然といえば当然とはいえ、諸行無常とはまさにこのことだ。
「ここから宿泊棟までは結構迷いやすいし、案内も大切な仕事だよ。部屋番号を把握してない選手もいるだろうし」
「んなこと言われてもな。さすがに他人の部屋まで面倒見きれんぞ」
各選手の名前、そして対応する部屋番号は資料として提示されているものの、それに頼られてはたまったものではない。
そもそもの問題として、ここからほど近い宿泊棟までの道のりも覚束ないのである。俺一人ですら危うい道を、誰かの案内をしながら歩くなど考えたくもない。警備員としての自覚が足りない? 全くもってその通りです。
「樋笠が団体戦と個人戦の掛け持ち、水無坂が個人戦オンリーか。団体戦は勝ち上がれなかったのかね」
「個人が強くても、チーム次第じゃ普通に負けがあるのが団体戦だからね。彼女の場合はその典型みたいなものだよ。個が尖りすぎてるぶん、むしろ全体のバランスが崩れる……なんてことはよくある話さ」
受け取った名簿を戯れに眺めれば、見覚えのある名前が二つほどちらついていた。
彼ら二人が勝ち上がること、それ自体は何も驚くことではない。彼らの実力を考えれば、むしろ当然と言って然るべき結果だろう。
……だからこそ。水無坂が団体戦で予選落ちしているというのは、些か以上に予想外の情報だ。
もちろん、彼女の実力不足を謗るつもりは微塵もない。だが、なまじ努力していたという話を各方面から聞いているだけに、どこか他人事でないような申し訳なさを覚えてしまう。
「……そんなもんか」
いや。
他人事と、そう割り切らなければならないのだろう。警備員が特定の選手に肩入れするなど以ての外だ。
俺が抱いているのは、所詮手前勝手な同情だ。よりにもよって俺から憐憫をかけられるなど、彼女にとっては死ぬよりも腹立たしい恥辱に違いない。
「お、来た来た。はいはーい、案内しまーす。ついてきてくださーい」
一人神妙な顔をする俺をよそに、魚見は姿を見せた選手団に大きく手を振っていた。お前はもう少しシリアスというものをだな……むろん、バイトとしては間違いなく正しい態度なので何とも言えない。
ぞろぞろと歩いてくる集団の先導を他の担当員から引き継ぎ、簡単な確認作業を挟んで行軍を開始する。と言ってもさほど距離があるわけでもなく、ややもすると一群は無事に宿泊等へと行き着いていた。
「僕は下の方を回るから、上の階の案内よろしく。終わったらここで落ち合おう」
宿泊棟内部にて行わなければならない業務は、施設利用に関する諸注意と部屋までの誘導だ。手際のいい、というよりは面倒な仕事を押し付けた魚見に心中で悪態をつきながら、半分になった選手団を引き連れてぞろぞろと階段を上る。
「部屋番号は、ここを起点に時計回りです。番号に間違いがあった場合、自分の番号の部屋が閉まっている場合等、問題がありましたら自分まで連絡してください——以上です。何か質問は?」
とはいえ、この程度の説明であれば臆することもない。事前に渡されたプリントを読むだけなのだから、仕事としては楽なものだ。
荷物という重荷から解放されたいがため、我先に部屋を確認する選手たち。三々五々に散っていく彼らの姿を、ひと仕事終えた心持ちでぼんやりと見据える。
選手たちが宿泊するだけあって、設備の整い方は大したものだ。バイト終わりの夜間はここで活動することになるのだし、自販機やら休憩スペースやらを確認しておいてもいいかもしれない。
暫くはフロア入り口で待機、その後確認がてら一周して魚見と合流。あとは報告をして、次の仕事に備える——さしあたって、やるべき任務はそんなところだろうか。
早くも次の仕事について考えているあたり、相当に社畜適性が高いのかもしれん。嫌だよお……人生に潤いを見出したいよお……。
「——意外ですね。貴方はこんな仕事に積極的な人間ではないと思っていたのですが」
「気づいたら参加することになってたんだよ。いつもの流れだ」
……そして、だ。知り合いがいるとなれば、当然声をかけられることも想定に入れなければならないわけで。
選手たちがめいめいに部屋を探し始める中、最後まで移動せずに残っていた水無坂。努めて意識に入れないようにしていたが、口を開かれてしまっては相手をしない他にない。
ちょうど直前まで話題に上っていただけに、彼女の方から話しかけてくるという事態に少なからず身構えてしまう。会釈を返してくれた樋笠と違い、ここに至るまで特段の反応がなかったのだからなおのことだ。俺の存在を認識してないのかと思ったぞ、割とマジで。
「気乗りしないのなら辞退すればいいでしょうに。心配しなくても、この仕事なら他にいくらでも希望者は見つかりますよ」
「生憎だが、こっちも食費がかかってるんでね。そう簡単に跳ね除けるわけにもいかなかったんだよ」
「食費といっても、一人暮らしでそこまで嵩むものでもないでしょう。羊でも飼っているというのなら話は別ですが」
「羊どころか鯨なんだよなあ……」
お互いに意地でも視線を合わせず、前だけを見据えたままひたすらに言葉の刃を投げつけ合う。まったく、ああ言えばこう言うとはこのことだ。
平時より倍プッシュで言葉が刺々しく聞こえるのは、この場所に至るまでの様々な要因のせいか。ピリついている、と魚見が言っていた通り、現在の水無坂はいつにも増して凶暴だ。
星皇祭に対して彼女が抱いている、尋常ならざる執念と執着。団体戦で思うような結果を残せなかったとなれば、それはますますもって強いものになっていることだろう。
……だが。どうにも引っかかることがある。
仮に彼女がこの大会で目標を抱いているとして、その具体的なビジョンが思い浮かばない。自己顕示欲など彼女から最も遠い概念であろうし、軍部入りを熱烈に求めている、というわけでもないはずだ。
直接的な勝ち負けに拘っていないことは、予選における彼女の振る舞いからも見て取れる。しかし依然として、それ以上のことはさっぱりわからないままなのだ。
「まあ、なんでもいいですが——こうして受けた以上は、それにふさわしいだけの仕事をお願いします。大会の運営に不備があるなどもってのほかですから」
柄にもなく頭を働かせる俺の存在など、最初から気にもかけていないとでも言うように。
あくまでも冷ややかな口調を崩さぬままに言い放った彼女は、そのまま一瞥もくれることなく立ち去っていく。
……というか、わざわざ釘を刺すためだけに残って話しかけたのか、水無坂。言いたいだけ言って満足したのかは知らないが、それにしてもまた随分と大儀なことだ。気まぐれにしてもそれはそれで怖い。
「はいはい……」
善処させていただきますよ。
長い髪を翻す後ろ姿に、嫌味半分、本心半分でそう呟く。もちろん、その言葉が届いていないことは承知の上だ。
「——はあ」
かくなる上は仕方ない。最大限にサボるつもりだったが、選手直々に釘を刺されてはどうしようもないというものだ。
……さあ。面倒なことこの上ないが、ちゃちゃっと次の仕事も片付けてしまいますか。
絆されすぎじゃない?(コメント寄稿:魚見恭平)
土日の更新が不可能になりそうなので、次回投稿は週明けといたします。時刻はいつも通り、23:00ごろを予定しています。例によってのんびりお待ちいただければ幸いです。
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