EX−5/0605:彼をよく知る彼(裏)
幕間②、最後の一幕。俊たちの裏で頑張る魚見のお話。
はい、突然ですがここでクイズです。
日本星皇軍に所属する人員は、坂本さんのような実働部隊の人間だけである。マルかバツか?
……もちろん、こんなことは聞くまでもないんだけど。というか、わざわざこんな言い方をしている時点で答えを言っているも同じだ。
僕が昼日中から、出来の悪いクイズにひとりで興じている理由。それは外部からこちらの世界に来た生徒の大部分が、この組織を戦闘集団か何かだと思っているからだ。原因は言わずもがな、日本星皇「軍」という物々しい名前のせいである。
当然星皇軍が「軍」たる理由、つまり実働部隊は組織の中核として存在する。星皇軍最高レベルの戦力たる坂本さんが第二本部のトップに立っていることからも、その事実は明らかだ。軍閥政治といえば聞こえが悪いけど、その側面があることは否定しきれない。
でも。実際のところ、そこに所属しているのはごく少数の精鋭だけだ。
残りの大多数、数にして星皇軍のおよそ70パーセント以上の人員は、戦闘を本職とはしていない。外界の星刻を保護し、こちら側の世界の秩序を保つ、この組織の大前提とも言える任務に従事している。
……つまるところ、市役所や町役場的な役目こそがこの組織の本業だよ、という話。もちろんこちら側の世界を総括している以上、そういった事を管理しなければならないのは当然の帰結であるとも言えるんだけど。
とにかく。日本星皇軍とその本拠地である軍本部は、その名前から受けるイメージよりもよほど一般的な施設なのである。一階のエントランスともなると、軍部以外の一般の星刻者を見かけることも珍しくない。
諸々のめんどくさい手続きは全てここで済ませることになるため、学生の姿を見かけることもざらだ。特に外出申請とか、制服姿の生徒たちを見かけない日はないと言っていい。運が悪いと何ヶ月も待たされる可能性もあるけど、それでも地元へ帰省したい気持ちを捨てきれない、ということなんだろう。
まぁ。これだけの前置きの果てに、結局何が言いたいかというと——要するに、軍本部に学生がいるのはさほど珍しくない、ということだ。
現に正面玄関から堂々と入っても、不審な目を向けてくる人は誰一人としていない。日常の中の光景として、誰の記憶にも残らないまま処理されていく。僕としても行動しやすいので、この環境は願ったり叶ったりだ。
エレベーターを使うとなると多少珍しくはなるけど、それでも上層階に用事がある生徒がいないわけではない。一度乗ってしまえばほぼ人目につかないし、そもそも最上階に用事がある人間はおおかた僕の知り合いだ。
他人は僕のことをさほど気にしていないし、詮索するほどの物好きがいるわけでもない。居て当然という空気を醸し出していれば、誰も僕に対した注意を払わなくなる。
……と、そういった諸々の話を踏まえつつ。
「よし、これで終わりっと」
時刻はそろそろ、午後の1時半を回るあたり。日曜の昼下がりに仕事をするほど馬鹿な話もないけど、残念ながらそうも言っていられない。
現在地、軍本部の司令室。部屋の主人も、その飼い主もいない中、存在を主張するのはどでんと積まれた数冊のファイルだけだ。
前言の通り、怪しまれることもなく正面玄関からやってきた僕の目的をものすごーく大雑把に説明するなら、それはどうしても必要なデータがあったからということになる。ちなみにその内容は特級の個人情報なので、あしからず割愛させていただく。
「く——ぅ」
閑散とした部屋の中で、ひとり大きく伸びをする。
坂本さんはおろか、響さんすらも急用で席を外しているため、現在この場所には僕しかいない。いくら僕の仕事関連とはいえ、いち生徒を一人で司令室に置いておくあたりが、この第二本部がユルいと言われる所以なんだろう。
あらかた作業をやり終え、さてどうしたものかとしばらく黙考。窓から入り込む陽射しに意識を揺蕩わせつつ、これからどうすべきかという思考に心を溶かす。
響さんは用が終わったらそのまま退出していいと言っていたけど、ここを無人の状態にするのは防犯上よろしくない気もする。そのへんの杜撰な金庫よりよほど厳重な警備体制が敷かれている、ということは理解しているものの、それでも鍵を開け放った状態で出ていくのはどうにも気分が悪い。
「……よし」
決めた。5分ほどで戻ります、と響さんも言っていたことだし、今回はもう少しここで時間を潰しておこう。もし誰かが訪ねてきたら……急に呼び出されたから何もわからない、ということにしておこうか。
「うん、それがいいかな」
苦しい言い訳に見えるけど、事実として少し前には俊や樋笠先輩も此処に呼び出されている。彼らが総本部に出向いている間、此処で待つように指示された……とかなんとか言っておけば、不自然には映らないはずだ。たぶん。
ちなみに今言った呼び出しの件、坂本さんがあの手この手で渋ったせいで今になった、という裏事情がある。前々から総本部には行きたくない、と事あるごとに口にしていたけど、さすがに言い逃れができなくなったらしい。
ゴネずにおとなしく受け入れてくれたら、総本部と第二本部の摩擦も多少は解消されると思うんだけど。内情を半端に知っているがゆえに、そんな考えが頭に浮かんでしまう。変なところで頑なになるあたり、坂本さんも坂本さんで相当アレだ。
「総本部ねぇ……」
知らず知らずのうちに現れていた、思考にぽっかりと空いた孔。
その空白を埋めるように、小さくそうひとりごちる。
俊が目覚めたあの日、坂本さんと交わした会話。追憶と呼ぶには未だ新しすぎる記憶は、奇しくも今と同じ時間帯、同じ場所で行われたものだ。そしてその中で、坂本さんが僕の疑念に答えることは終ぞなかった。
仮に「答え」足るものを提示されていたとしても、心の中の靄が晴れることはなかっただろう。お前の存在を隠すための人選ではない、と断言されたとしても、この鬱屈とした気分は変わらなかったはずだ。面倒な僕の感情を理解しているからこそ、坂本さんは何も言わなかったのだから。
……それでも。それだけのせいにはしたくないとわかってはいても、どうしても色々と良からぬことを考えてしまう。
「あー……ダメだダメだ。しっかりしなきゃ」
ぶんぶんと頭を振って、後ろ向きな思考を叩き出す。まったくもう、油断するとすーぐにネガな方向に行くんだから……。
分かり易すぎるくらいの欠点であることは自分でも理解しているけど、こればっかりはどうにも仕方がない。捕食者は生まれた時から捕食者だし、ウサギは生まれた時から臆病だ。自分ではどうすることもできない、生まれ持った性質なのである。
暗い方に流れようとする意識をどうにかして変えようと、ポケットをまさぐってスマホを取り出す。
数件の着信を払いのけて時間を確認したところ、響さんがここを出てから既に10分は経過しているようだった。几帳面な響さんが連絡の一つも寄越さないあたり、よほどのことが起こっている可能性もある。
用事が難航しているのか、それとも別に予想外の事態でもあったのか。いずれにせよ、もう少しここで待機になることは確定事項だ。最悪の場合、一時間単位でのお留守番を覚悟する必要があるのかもしれない。
「——失礼。坂本は現在外出中かな?」
「いえ、僕はここに呼び出されただけなので、そのあたりのことはあまり」
その時。
不意に浴びせかけられた声が、決して小さくない動揺を誘う。
間髪入れずにその返事を捻り出せたのは、事前に解答を用意しておいたからに他ならない。一瞬でも答えに詰まらなかったのは、我がことながら拍手を送っても良いくらいの出来だ。
しかし。それを差し置いても、その声は完全な不意打ちだった。
「ふむ、そうか。それは申し訳ないことをした。坂本は基本的に動かないものだと思っていたのだが……また随分と間の悪いタイミングで来てしまったようだな、私は」
いつの間にか開け放たれていた扉、その前で目を細めて微笑む一人の人物。縒れたスーツに包まれたその姿を形容するなら、「地味な男」という評が一番的確ではないだろうか。
中肉中背に黒髪、普通そのものといった背格好の中で目印になるようなものといえば、せいぜいがアンダーリムの眼鏡くらいのものか。小脇に抱えたタブレットも合わせれば、どうにも理系の畑にいそうな印象を受ける。
これで白衣のひとつでも着ていたら、紛れもなく昔ながらの研究者像に当てはまっていたはずだ。滝川さんのようなタイプとは正反対に位置しているものの、同じ方面に立っていることは疑いようもない。
「……僕もしばらく待機しているのですが、どうにもまだ連絡もない状態でして。ここで待つ、というのはあまりお勧めできないかもしれません」
初対面の人物にも関わらず、また随分と失礼なことを考えている。我に返って自分の思考を確認するものの、不思議なことにこの人物には白衣こそが正装だと直感的に思えてしまう。
出で立ちと外見年齢、何よりも柔らかなその微笑。すべてを統合して考えても、熟れてきた国語の先生とでも表現した方がよほど当てはまっていることは間違いない。だというのに、どうしてそう思えないのか、釈然としない感情に囚われる。
「仕方ない。よければ君に言伝を頼みたいのだが、了承してくれるかな? なに、そう難しく考えなくてもいい。坂本でなくとも、君をここに呼び出した人間であれば意味は伝わるはずだ」
「……ええ、構いません」
自慢じゃないけど、僕はこれまで多くの人間と触れ合ってきた。それだけに、人間に対する観察眼はある方だと自負している。
本心を明け透けに表す者、心の裡に隠して頑なに見せようとしない者、友好的に見えて何かを企んでいる者。相対した人間がどのタイプか、ある程度は初見でもなんとなく理解できるようになってしまった。
にこやかに手振りを交えて話す、無害そのものといった空気を漂わせる目の前の彼——この人物を分類するなら、まず間違いなく三番目の部類だろう。
表面上の付き合いを無難に済ませ、本心では別のところに奸計めいたものを巡らせている。練度の違いはあるとはいえ、僕も同じようなことをしているだけに、同じニオイがする人間にはどうしても敏感になる。
「では、お言葉に甘えて。そうだな、『シゴウが点検に来た』とでも伝えておいてくれ。数字の四に故郷の郷、と書いて四郷。そうありふれた名字でもなし、伝わると思うが念のためだ」
「四郷さんですね。わかりました、伝えておきます」
「ああ、頼んだよ。では、私はこれで失礼する。来た以上は仕事をしなければならないのでね」
だというのに。
その人物評は、彼の持つたったひとつの特異性によってあっけなく崩れ去ってしまう。
扉を閉めて立ち去ろうとするその一瞬、分厚いレンズの奥に光った瞳。およそ人間が持つべきではないそれを目の当たりにして、僕はようやく違和感の正体を突き止める。
表情そのものに一切の変化はない。どこまでも優しげな、無害であることを示すその微笑が、一部の隙もなく顔に貼り付けられている。
それでも——いや、だからこそ。その眼には、際立った異常が存在した。
「そこ」には、何もなかった。
もちろん、それはあくまで比喩としての話。眼球そのものは確かにそこにあるし、光を失っているわけでもない。ふたつの瞳は視界を得るための器官として、その役割を十全に果たしている。
しかし、それだけ。彼の眼は外界を映す装置でしかなく、それ以上の機能を何ら担っていない。
それは目が死んでいる、なんて生易しいものではなく。
喜怒哀楽の全てが欠落したと言っても、まだ生温いほどに真黒な瞳だった。
坂本さんの瞳を灰色と定義するのなら、四郷と名乗ったこの人のそれは何色でもない。無色と表現するのすら烏滸がましい、色という概念すら見出せない瞳は、最後に僕を一瞥して立ち去っていく。
「……四郷さん、か」
本人が伝わると言っていた以上、彼はそれなりに顔の知れた立場の人間なんだろう。坂本さんのことを呼び捨てにする人は軍部広しといえどそう多くないし、少し調べれば出てくるのかもしれない。
……伝言といい、どうやらまたやるべきことが増えたみたいだ。これ以降関わることもなさそうな人ではあるけど、それでも知識があるに越したことはない。
日曜の午後に似つかわしくない気分で、白い天井を仰ぎ見る。未だ響さんが戻ってくる様子はなく、何の連絡も入っていない。
「……あぁ」
小さなため息。それは誰に聞かれることもないまま、静かな部屋に溶けて消えていった。
以上、幕間二編でした。割と重要なお話が多かった気がしますが、諸々を含めてこの先の展開を楽しみにしていただければ、と思います。
さて、次回からは新章突入です。以前にも申しました通り、第二部はこの世界や、そこに登場する人物の「関係性」に光を当て、より掘り下げることを目的とした章になります。彼ら彼女らがどのような選択をするのか、見守っていただければ幸いです。
「その道の先に」プロローグ後編、第二部「星皇祭編」。相変わらず牛のごとき歩みではありますが、変わらぬご愛顧をいただければ、これに勝る喜びはありません。
感想・評価等いただけると励みになります。よろしくお願いします。