1−33/終幕、あとの祭り
激闘決着、その裏側で。
なぜ、どうして。
疑問ばかりがいたずらに散逸し、思考もろくに定まらない。その中で、なおもはっきりと言えることはひとつだけ。
僕は、失敗した。
リスクを承知で接近し、この男の神器を無効化する。捨て身の作戦は紙一重のところで成功し、僕は足止めという役目をしっかりと果たせていたはずだった。
「っ、が——あああああ……っ!」
とめどなく血が流れ出す左足は、膝から下が跡形もなく吹き飛んでいる。どうにか立ち上がろうとするものの、指の一本にすら力が入らない。
極度の激痛と混乱の只中にあって、能力を維持することなど不可能だ。こうして意識を保っているだけでも、奇跡に近しい僥倖と言っていい。
能力をつなぐパスはとっくに切断され、命綱たる暗幕すらも消え去った。丸腰の方がまだマシと言っていいほど、今の僕は無残な有様だ。
「惜しかったなぁ。あと一歩、ってトコか? 最後の詰めが甘い以外はいい線行ってたぜ」
男が突きつけるのは、暗殺用と思しき小さな拳銃。どこかに隠していたと思しきそれは、メインウェポンたる突撃銃とは見比べるまでもなく貧弱だ。
しかし。それから放たれた銃弾は、地面ごと僕の足を抉り取っていた。
事ここに至って、僕はようやく理解する。この男の神器、その本質は銃ではなく銃弾だったのだと。
それが銃器であれば、どのような形であろうと問題ない。重要なのは、弾を撃ち出すシステムそのもの。引金を引けるものがある限り、どのような銃でも神器として機能させられる。
一発しか撃てないピストルであろうと、秒間何発をばら撒くような厳つい銃であろうと、等しくクレーターを作り上げることができる。一山いくらの星刻者が扱う神器とは次元が違う、十二宮の神器に相応しい代物だ。
銃が神器だという固定観念に囚われ、それを奪ったことで安心しきっていた。挙句生じた隙をまんまと突かれたのだから、あまりにもレベルが違っていたとしか言いようがない。紛れもなく、僕の驕りが生んだ失態だ。
「悪ぃが、ボスから直々の呼び出しなんでね。遊んでやれるのはここまでだ」
僕が弾き飛ばした機銃を、男は悠々とした挙動で回収する。薄笑いを浮かべたままの動きでも、そこに隙と呼べるものを見出すことはできるはずもない。
彼にとって、これは最初から最後まで「遊び」だった。それだけの話でしかなかったのだ。
「……僕を、殺さないんですか?」
「はぁ? お前なぁ、殺すに決まってんだろ。久々に楽しい殺し合いができた相手だぞ? 殺さないのは失礼に当たるってもんだ。違うか?」
僕の質問に、鼻を鳴らして答える男。当然、そこに冗談の気配など微塵もない。
もちろん、いかな僕といえどそれくらいは理解しているつもりだ。彼がこういった人種であることは、この短時間だけで痛いほどに味わった。
きっと。彼にとって、この言葉こそが真理なのだろう。単純で唯一絶対の、弱肉強食という確固たる法——それだけが正義である環境に身を置き続けているからこそ、彼はこうして断言できるのだろう。
……少しだけ。迷いのないそのあり方を、少しだけ羨ましいと思ってしまった。
「……名前も知らない相手を殺すなんて、また随分と思いきりがいいんですね」
「はぁ? バカかお前。生き残って初めて、名乗る権利が与えられるんだよ。戦場にいる限り、俺もお前も、等しく名無しだ。ま、ジャックなんて名前のやつがこの国にいちゃ、逆に目立つだろうがな」
結局、僕は足止めすら果たせなかった。笑いながら撃鉄を起こす男の姿に、その事実が果てしない重みを持って僕の胸を刺す。
この男は最後まで、本気で僕を殺そうとしている。それ自体は間違いのない収穫だ。
綱渡りよりもなおひどい賭けに勝ち、この男を騙し通した。それが示しているのは、本来の目的を達成できたという事実に他ならないのだから。
……でも。
彼を自由にすることで、状況が悪化してしまうのだとしたら。取り返しのつかない事態を招いてしまうのだとしたら、僕は——
「じゃあな。楽しかったぜ」
その思考は、最後まで行き着くことはなく。
感慨も何もないまま、至近距離から放たれた銃弾。奇跡など起こるはずもなく、それは僕の胸元を撃ち抜き爆散させる。
僕だったものが爆ぜ、ばらばらになって飛び散っていく。
恐れ、悲しみ、無念、痛み。そんな感情は何ひとつとしてない。感じる暇さえ、どこに見出せるはずもない。
消えゆく世界の向こう側で、こちらを一瞥した男が踵を返す。もはや興味もないとばかりに銃を仕舞うや否や、その姿は既に能力によって彼方へと跳んでいた。
「————」
先にあるのは、黒く、深い闇。
虚に転がり落ちるかのように、意識の火が急速に小さく萎んでいく。
嫌だ。怖い。死にたくない。感情の篭っていない瞳が、機械的にその呟きを吐き出し続ける。
ありがとう、と誰かが口にした。
そんな言葉を受け取る資格など、僕にあるはずもないことをわかっていながら。
記憶。
記録。
混ざり合って拡散する自己、そしてそれを見つめるもう一つの視点。
過去と現在、すべてが無へと沈んでいく一方で、誰かがそれを外側から観測していることを自覚する。
これは誰だ? 問うまでもない。紛れもない、正真正銘の僕自身だ。
……でも。それなら、今ここにいる僕は、いったい誰なんだろうか?
ここにいる自分自身と、此処に姿を見せない魚見恭平。形容しがたい感覚のなか、「僕だったもの」が完全にその機能を喪失し——
……………………。
………………。
……そして。
そして?
「——っああああああああ!」
そして、戻ってきた。
冷たい水底から、首根っこを掴まれて引き上げられるような感覚。急激な意識の変化についていけず、凄まじい目眩と吐き気が体を打ちのめす。
「がっ、う……! はぁ……っ」
早鐘のように胸を打つ動悸と、本当に撃たれたかのように痛む左足。混濁するふたつの思考は、現実の境界を曖昧に塗り替えていく。
自分の身体には傷ひとつない。単純極まりない事実は、だからこそ処理に時間を要するものだ。ふたつの現実に横たわる齟齬が余計に情報量を増加させ、僕の脳を圧迫する。
「……おい、大丈夫か?」
運転席で作業していた隊員が、見かねたように後部座席の僕を振り返る。どうにか首を縦に振ったものの、それさえも今の僕には大仕事という他にない。
「……はい。大丈夫、です」
思考回路をリセットするため、肩で息をしながら大きく身を震わせる。
未だ上と下の区別もつかないままに、視線を周囲へと彷徨わせる。車内をぐるりと見渡せば、ようやく自分の置かれた状況を客観視するだけの余裕がいくらか帰ってきた。
「……っ」
作戦対象からほど近い位置に停められたこの車は、突入前に支部から移動手段として借り受けたものだ。作戦が終了した暁には全員が帰還する手はずになっているが、現在僕以外で車内に詰めているのは支部の隊員一人しかいない。
後方支援を担当している彼の名前は、確か三原さんと言ったか。各部隊との連絡を取り持っていたその瞳は、しかし今は心配そうな色を伴って僕に向けられている。
「……1番、解除。全解除確認……ロック、よし」
問題ないと頭を振り、視線を正面へと戻す。
現状を把握したのなら、次に必要なのは能力の元栓を閉めることだ。慎重に確認するように、ひとつひとつの手順を実行に移していく。
あれほど胸を殴りつけていた動悸も、時間の経過とともに多少は落ち着きを取り戻していた。その変化はあるいは、今まで使っていた能力のパスを切ったからこそのものか。
兎座。1番ロックに割り当てた、僕が最初に奪った能力。その能力は分身だ。
より正確に言えば「発動時の能力者の状態を、そっくりそのままコピーする」能力になる。例の双子座みたいに際限なく量産することは不可能だけど、そのぶん精密な操作ができるのが売りだ。
生み出されたコピーはその時点で独立し、本人と同じ思考回路を持って動く。分身の見聞きした情報や感覚をダイレクトで共有できるため、練度次第によっては今回のように遠隔で偵察を行うことも可能、というわけだ。
……まぁ。これだけ言えば強力な能力にも見えるけど、実際のところはそうでもない。
敵と神器が二つになるのは確かに厄介ではあるものの、致死量のダメージを受ければ分身は消滅してしまう。おまけに自分と同程度の能力と思考しか持ち得ないのだから、格上の相手にはどうひっくり返っても勝てるはずもない。ぶん殴りゃ素直に消えるから楽、とは坂本さんの弁だったか。
でも。この能力、僕が使うなら話は別だ。
能力によってコピーされた僕は、当然オリジナルの僕と全く同じ性能になる。つまり、僕が持っている『星の力』の全てを、再現体の僕も使用することができる、ということになる。
『時間稼ぎ以上に、奴らがどこまで知っているのかを確認するのがお前の役目だ。可能性は低いが、もし奴らが全てを知っているとすれば、お前を全力で捕獲しにくるだろう。逆にお前に何の関心も払わず、ただ排除する対象として見るのであれば、脅威度はまだマシの部類だ。もっとも、それはそれでめんどくさいことに変わりはないがな』
だから、お前は偵察がてら軽くボコられてこい。事も無げに言い放つ坂本さんが、唐突に脳裏に去来する。
最後まで男を騙し通せたあたり、結果だけ見ればどうにかなったと言えなくもない。とはいえ、綱渡りだったことは火を見るより明らかだ。
情報収拾のため感覚を共有した結果、分身の心情や心境がダイレクトに流れ込んでくる……なんてことも当然ありうるわけで。実際に戦っている俊や先輩より段違いに安全なことは理解しているものの、自分と寸分違わない人間が爆散する映像を間近で見せつけられた上、その時のリアルな感情まで再現されるのは想像以上に応える。
さすがに能力の制御に熟達してきたとはいえ、加減を間違って繋がりを強め過ぎてしまう可能性もなくはない。恐怖で分身と自分自身の区別がつかないほどに取り乱してしまえば、戻ってこれなくなるのはほぼ確定だ。
「……状況はどうなっていますか?」
とにかく。とにかく、だ。
こうして無事に戻ってこれた今、過ぎたことを言っても仕方がない。
まだ何かできることがあるかもしれないと、運転席に身を乗り出して口を開く。まだ戦っている人間がいるのに、僕だけが休んでいるなど以ての外だ。
「君が戻ってきた直後に、残り二箇所の戦闘もほぼ終了した。首謀者の男はどうやら、君が相手取っていた男に始末されたらしい」
「始末、ですか?」
「ああ。詳しいことはまだ分からないから、改めて聞き出すことになると思う。……それでこちらの損害だが、重傷者が一人だ」
しかし。
出鼻を挫くようなその言葉に、ようやく整理のついた心が再び騒ぎだす。
「重症者が一人」。嫌な予感が、半ば確信じみた重みを持って心にのしかかる。
「ああ。雨宮くん、といったか? 鬼島たちの部隊が合流し、簡易的な処置は施した。幸い急所は外しているそうだが、戻ってき次第そちらの病院に運び込むことになる」
「……っ!」
無意識のうちに目を背けていた僕、その無力さを嘲笑うかのように。
予感は、瞬く間に一つの事実へと姿を変える。
分かっていた。素人の彼を戦場に出せばこうなることは誰の目にも明らかだと、十分すぎるほどに覚悟していた。
先輩を加味してもなお、無謀すぎる戦力差だったのだ。即死でないのが得難い幸運だと、拳を突き上げて喜んでも許されるに違いない。
それでも。
「……それは」
それでも、僕は——
「魚見くん、あと一分ほどで鬼島たちが戻ってくる。いろいろと思うこともあるだろうが、それは一旦堪えてくれ。ここからは一刻を争う事態になりそうだ」
その時。
踏み出そうとするほどに、底なしの沼へと沈んでいく思考。それ拾い上げたのは、運転席から響いた声だった。
仕事人としての徹底するため、あえて感情を消し去った事務的な言葉。日本星皇軍の隊員にふさわしい態度が、止まりそうな僕の頭を奮い立たせる。
「……いえ、大丈夫です」
そうだ。まだ何も終わってない。
悲観も反省も、この場においては必要ない。そんなものは、全てが終わってからゆっくりやれば済むことだ。
「問題ありません。僕にできることは?」
思い出せ。今の僕は兵士だ。成すべきことを成す為に、一切の感情を配して動け。
何度も何度も、繰り返し——誰かの命を奪う準備をするたびに、自分に言い聞かせてきたはずなのだから。
# # #
『よお』
声がする。
気味悪く反響し、おぞましい不協和音を作り上げる声。もう随分と聞き慣れたそれが、傷口を抉るようにして思考の孔に入り込む。
『楽しかったろう? もっとも、この程度じゃあ腹ごしらえにしかならんだろうがな』
五月蝿い、黙れ。
どれだけ虚空を睨みつけても、腹立たしいその声が止むことはない。頭を振って追い出そうとする努力も虚しく、一度霧散したそれはすぐに元の形へと戻る。
『やめとけよ。結局、全部お前の頭の中の話なんだ。一人相撲なんて虚しいだけだろ?』
俺の行動など予測済みだと言うように、結ばれた虚像は俺を嘲笑う。
眼前を飛び回る不快な蝿は、どれだけ叩いても消えることはない。さらに気味が悪いのは、その蝿が自分と寸分違わぬ容姿をしている点だ。
『お前のソレは底抜けの器だ。どれだけ食っても満たされないものが、この程度で埋まるはずがない。生半可に味を覚えたぶん、お前はより空腹感に苛まれることになるだろうな』
「……知るか。消えろ」
口数の減らない蝿だ。薄笑いを浮かべながら言葉を吐き出す影を睨みつけ、吐き捨てるように言い渡す。
端からお前と会話を続けるつもりなどない。最初からそう言い続けているにも関わらず、そのニヤケ顔は留まる事なく笑い続ける。
『心配しなくていい。お前がお前でいる限り、次の機会はすぐに訪れる。外でもない、お前自身が望んだことだ』
俺の怒りにも動じることなく、影は視線の先でゆらゆらと踊る。
俺の考えも、返答の一言一句に至るまで。全てを知っているかのような言動が、ますます俺を強く苛立たせる。
『ああ、もちろん知ってるさ。俺はお前なんだからな』
嘲笑うような言葉。その中に混ざり込む、あり得ないはずの不純物。
それは、嘲弄の類ではなく。どちらかといえば同情や憐憫に近しい、だからこそ意味の分からないものだった。
闇の中に沈みゆく影。その姿は解けるように消え、文字通り跡形も残らない。
『忘れるなよ? 俺も、お前も、同じ雨宮俊だ』
最後の言葉が、何もない空間を覆うように虚しく木霊する。
これにて終幕。次回、第一部エピローグ。
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